2011年9月30日金曜日

何気ない子供の言葉に

放射能による食物汚染。ますます広がる傾向。いかんともしがたし。ネットの書き込みや、基準値超えたセシューム検出された二本松の米。「絶対出荷するな。それはお前たちが食え」などの匿名メールが市役所に殺到とか。

除染よりも集団疎開したほうがいいなんて真顔で言う識者も。

学校の給食ももめている。どんな食材が使われているかわからないという親の不安。信じるしかないのだけど。弁当持たせる。こどもは怪訝な表情。なんでボクだけ弁当なの。親は説明に苦労する。
友達みんなと同じが良いと子供は思う。

下手をすると子供の世界で「いじめ」の原因にもなる。大人は大人で「いじめあって」いる。

こと放射能に関しては、寄り添うことよりも離れることを選択する。

そんな中、笑えるようで笑えない子供の言葉。

「大人はあの世とか、この世ってばかり言っているけど、今、僕たちが生きているのはどっち。間の世?」大人は答えられない。

「原発って電気作っていたところでしょ。なのに、なんで、そこが電気無くなって爆発するの?」。素直で当然すぎて大人は即答できない。

こどもの素朴な疑問は、まだ数限りなくあるだろう。それらに「冷静」に「わかりやすく」説明できるように大人はもっともっと能力を高めなければ。

放射能から逃げているんじゃない。避けているんだ。こどもにそう教えなさい。
逃げるというここと避けるということの意味をちゃんと教えなさい。

親がうろたえれば子供もうろたえる。

放射能をめぐって連日の数値化報道。なんでも数値化。それしか尺度がないからか。
「自分のことばかり考える大人」、「みんなが」と考えるこども。震災後に改めて知った子供のこころの耳目の鋭さ、鋭敏さ。そして感性。

2011年9月29日木曜日

お詫び

なぜか、亭主の方からコメントに対する返事が書けません。書いては消え、書いては消え。だーふくさま、TACOさまゴメンナサイ。
手を打ってみますが。まさかグーグルちゃんに嫌われたわけではないと思うけど。

東京フォーラム余禄

きのう書いた東京・霞が関でのフォーラム。
基調講演の後の第二部は東北大学と福島大学の留学生のトークセッションでした。

東北大学からは中国人、インドネシア、マレーシアからの留学生。福島大学からは中国二人、ベトナム。

仙台で被災した子たちの困ったことは、やはり通信回線の途絶。揺れる中でどうしていいかわからず。近くに知り合いも無し。地震は未経験。本当の怖かったそうです。どうしていいのかわからない・・・・。多分パニックだったのでしょう。

そして困ったことが情報を得る手段が無いこと。テレビみてもよくわからない。ネットがつながったら中国のテレビを見て、そこの情報で行動したようです。
そのテレビの情報が“増幅”されていたかどうかはいざ知らず。

引率の先生の話。原発爆発以降、中国人留学生の間にチェーンメールが大量に来た。見せられた先生も判断に苦しんだ。3月何日に新潟港に中国から大型の客船が来る。みんな新潟に来てその船に乗って避難してくださいというような内容だった。そこに行った学生もいれば行かなかった学生も。先生は心配になって新潟港に行ってみた。そんな船はもちろん無い。学生たち大勢がうろうろしているだけ。とりあえず自分の学校の生徒だけを声を枯らして集め、“帰途”につかせた・・。

確かに震災後、爆発後、郡山でも、亭主のところにも「拡散」で多量のチェーンメールが来ていました。もちろん無視。拡散させた人に注意をしましたが。

一部の心無いネット族のやること。新潟港に行って片隅で集まる学生見ながらニタニタ笑っていたのか。

ネットの「闇」。一部の“識者”と称する人たちが最近、やたらと「情報リテラシー」なんて言葉使って論陣を張っているようですが。

福島大学のベトナム人留学生は言っていました。放射能のことがわからない。みんな怖いという。私は思いっきりおおきな口をあけて空気をいっぱい吸い込みたいのに。それをしていいのかどうか・・・と。

彼らのほとんどが避難所にボランティア活動。彼らの手助けに涙を流して喜んでくれる日本人を見たそうです。
日本人は秩序正しい、マナーに優れている。一様に言ってくれました。そして、これからも日本の良さを母国に発信したいと。

トークセッションを聞きながら、そこに混ざりたいという欲望を抑えるのに懸命でした。

スマートフォンの回線がそのうちパンクする、ソフトバンクとAUがアイフォンの奪い合いしてる。そんなことどうでもいい。災害時に、携帯電話が使えるようなインフラ整備が焦眉の急。通信会社の社会的責務だと。

2011年9月28日水曜日

勝手に「までい大使」になって来た

きのうは東京で講演してきました。霞が関ビル。懐かしの場所。永田町・霞が関、おいらの昔の縄張りだ。
そこで行われた三井不動産主催の「防災フォーラム」。元岩手県知事、総務大臣だった増田寛也氏と一緒に「基調講演」。

その増田さん、実は彼の父親、増田盛さんとは、かつて交流があった。盛さんが参議院議員だった時。その話をしたら彼びっくり。「父親のことを言われたのは初めてです。父親ご存知のジャーナリストに出会ったのは初めてです」と。「いや、それは単に年をとっているってことだけですよ。それにワタシはジャーナリストじゃありません。ローカリストです」と答え二人で爆笑。

彼は再三地元入りしている身。見聞きした現実をもとに、市町村や県の限界を越えている。国がもっともっと前面に出て、責任、責務を果たすべきと。
高台移転、産業振興の街づくりに対して国が大きな絵を描いて実行すべきと。
そして復興に向けての「人間力」がいかに大事かと言及・・・。あらら、人間力使われちゃった。亭主が言いたかったことなのに。

亭主、とっさに話の内容変更。「3・11の数日前に主宰している塾で、便利さがもたらすものという話をした。塾生に便利になったと思うものは何だと聞いたら大半が携帯電話だと言った。震災が起きたら携帯は全く使えなくなる。まさに”情報途絶”。パニック。その環境に置かれることの覚悟を」と。
そして計画的避難区域に指定され、ほぼ全村避難となった飯舘村の話を。「飯舘村ってご存知ですか」。あらら、反応無い。
地図で説明。原発からの距離から始まって。日本一美しい村が放射能に汚染された。持参した本。「までいの力」。以前、さんざん書いたけど。
震災後発刊された本。震災前に書かれた飯舘村の菅野村長のメッセージを紹介。「私たちの村がすすめているまでいライフの大きなメッセージは、暮らし方を少し変えてみようではないかということだ。戦後一貫して大量生産、大量消費、大量廃棄によって作られてきた今日の日本経済のスピードを少し緩めて、走っている人は歩く、歩いている人は立ち止まる。立ち止まっている人はしゃがんでみる。そうすると足元の花の美しさが見えてくるような気がする。もう一つのメッセージは、人と人とのつながりを深めよういうことだ。他の国に誇れる日本人の国民性は”トラさんクマさん醤油貸してよ、味噌がなくなったのよ”という関係であったはずだ。戦後一貫して効率一辺倒、スピーディーにお金が全てという価値観で進めてきた結果、人と人との関係が希薄になり、自分さへよければ病になってしまった。お互いさまの”までいの心”が必ずや新しい日本を再生する基礎になると思う」。

書きあげた数日後の震災、放射能。このメッセージは、その精神は生き続けている。いや、事故後に通用している・・・。そんな話を。

全村避難を決め、村役場移転の日、菅野村長のあいさつ。「除染や雇用確保などにあらゆる手を尽くし、2年後、全員でこの村に帰ってこよう」。

その後菅野さんは言っている。なんで2年なのかを。1年は無理だ。3年では長すぎる。村がバラバラになる。中をとっての2年。何の確証もないけれど、村民に”希望”を持ってもらうのが願いだと。そして、自らに課した期限だと。

いろいろなフォーラムで顔見知りだとか。増田氏と菅野村長。2年の話は知らなかったと。「勉強になりました、立派な発想ですね」と。

講演で話してみてもあらためて菅野村長のリーダーとしての資質に惹かれる。人口6007人の村長のリーダーシップ。人口200万人の県知事のリーダーシップ。彼我の間にあるものは・・・。県知事の強いリーダーシップを持ったメッセージを県民は聞いたことがない。

飯舘村には「までい大使」という人がおられるとか。著名人も含めて。亭主はにわか「までい大使」をやってきました。

講演の最後にこう付け加えました。「までい大使の一人が、なんでこんな美しい村に放射能が降ったんでしょうかねと言った。村民の一人が答えた。いや、この村だから降ったのですよ。もし、神様というものがいたら、この村ならきっと立ち直れると思ったからでしょう」。

村民のことを、人をまず主眼において行動する村長。その村を誇りとする村民。

こんな話が都会の人たちにどれくらい受け入れられたか。

久しぶりに歩いた東京。足が疲れました。棒のようです。

2011年9月27日火曜日

心療内科に患者が増えて・・・

心療内科、ストレスクリニックに患者が引きも切らないという。知人の医者から聞いた。

津波の被災者、原発被災者。はかりしれない恐怖感とストレスを感じている。
目に見えない放射能との“闘い”。表で遊べない子供たちは、神経を病んでいる子がかなりいるという。肉体的症状に出る子もいる。
亭主が子供のころに使われていた言葉。「神経ハゲ」。
その親達も病んでいる。

クリニックを訪れる人の多くが睡眠障害を訴え、抑うつ状態の症状がみられるとも。高齢者は痴呆が進んでいるともいう。

住みなれた家や場所を離れて、慣れない土地や、狭い空間で暮らすことからくるストレス。

気心のあった友達との会話がなくなり、仮設で常に「隣」をきにしなければならない生活。

空間放射線量から、食べ物による内部被曝を気にしすぎるあまりのストレス。
無責任な、あらゆるメディアから発せられる“情報”の数々。

安定剤などの薬を処方すればいいのか、「話し」をじっと聞いてあげればいいのか。医師も苦悶しているという。

何事も無かったように「明るく、楽しく、笑い声の響くテレビ」にストレスを感じる人だっている。

この地で暮らす人達は、そろそろ「覚悟」を決めなければならないのかもしれない。放射能とともに暮らすと言うことの。

1マイクロシーベルトから20マイクロシーベルトの狭間で、どういう人生観や価値観を持って生きて行くかの。

無くなった家や家族への想いをどこで引き出しにしまえるのか。帰れない土地への想いをどこで立ち切れるのか。

あるかもしれない「内部被曝」による病気の発症のリスクと、ストレスによってすぐさま出てくる「さまざまな病気」のリスクとどちらを選択するのか。

だれも「正解」を持たない。

そして福島から医者が去っていく。医者、看護士。医療従事者が足りない。
“医療崩壊”、それも福島の現実。

2011年9月26日月曜日

「村」から学んだ言葉

「村」から多くの言葉を学んだ。福島県相馬郡飯舘村。計画的避難区域に指定され、ほとんどの村民が避難、移住。その飯舘村にあった言葉。「までい」。「までいの心」。丁寧に真心こめてというような意味。村民達に代々受け継がれてきた村の気風。村の掟。までいの心はお互いさまという生き方になっていく。

お互いさま。その気風があったからこそ、長い避難生活、避難所、仮設の生活を耐え、我慢している、我慢出来るのが福島というところの県民性。

少なくとも、この村からは「までい」という言葉を学んだ。美しい言葉として。

もうひとつの村。原子力村。政治家、電力会社、学者、霞が関、マスコミ。そこには独特の言語が存在している。「ただちに健康に被害を・・」「いますぐ健康に被害を・・・」。「いまのところ・・・」。
そして突然現れた日本語。水棺、石棺。マイクロシーベルト、ベクレルなどなどの耳慣れないカタカナ語。知っているのが当然と言わんばかりにマスコミはそのままたれ流す。
発災。これも官僚用語、「村」用語なのだろう。政治家の口からこれが出た時、瞬時、意味がわからなかった。

原発を語る時、専門家という学者達は好んでカタカナ語を使う。仮に彼らが日常使っている言葉だとしても、普通の人には、いや、それを一番知りたがっている人には理解不明のカタカナ語。かつての居住者だった学者達も同じ。村言葉をためらいもなく使う。マスコミは“ただちに”迎合する。

いわば業界用語である。科学者が難解な言葉を使うこと、発すること。それは平易な言葉で、子供でもわかるような言葉で伝えられない、つまり、何もわかっていないのではないか。言葉とはそういうものである。

最近、汚染が深刻化を増している中、またしても「難解」なコトバに出会った。
ND。放射性物質の測定。未検出を意味するという横文字の略語。農家の人達も、受け売りのように使う。ND,NDと。なんと言う英語の略か。答えられない人が多い。Not detected の略。Detectedとは知覚、識別と訳す。

難解な言葉が生まれるごとに、問題の解決も難題となっているような気がする。
安易にカタカナ語がつかわれる度に。

「までいの力」。その言葉が“再生”したのは、スローライフを取り入れようとした時、その意味がわからなかった村民が、説明を聞いた時にこう言ったからだという。「なんだいそれは俺達が昔から言っていた、“までい”じゃないか」と。

2011年9月25日日曜日

沖縄と福島と

野田総理が訪米から帰国した。お土産を持って帰って来たというより、多くの課題を背負わされて。

オバマには沖縄の米軍基地問題で、かなりきつく言われたらしい。とにかく沖縄の米軍基地、普天間の移転問題は、それこそ「凍結状態」だった。
野田訪米と時を同じくして訪米していた沖縄県知事は、あらためてはっきり言っている。基地を県外へと。

政府の考えの中には辺野古移転、普天間固定、その他沖縄県内への分散。県外移転という考えは皆無。

仮に県外と言ったら、どこかの候補地でもあげようものならその県は絶対に反対するにきまっている。すでに基地がある横田だって三沢だって。

日米安保条約によって、日本を守るという建前の米軍基地。もはや。それの持つリスクを国民で共有するという考えは国民の中には無い。沖縄の基地は沖縄の中で。隔離である。

フクシマ問題。放射能で汚染されたものや、今、これしかないと言われている除染。土を含めて“放射線廃棄物”の貯蔵施設はどうする。最終処分場は国が責任を持つと菅は言った。いつまでに結論を出すのか。何にも言ってないし、誰も多分考えていないだろう。何十年先の話としてほっておかれる。仮置き場や中間貯蔵施設は県内だと明言された。

薪や市場や花火のことを持ち出すつもりはないが、最終処分場を県外へという話は現実成り立たない。沖縄と同じ言ように、のらりくらりと先送りされて、遠い未来、福島は廃棄物の貯蔵場となる。

福島隔離政策。政策と言うより国民感情。半永久的避難民の処遇は、もしかしたら、どこかに引き受けるところがあるやもしれない。どこかの土地に第二の「福島」が生まれるかもしれない。

除染の最大の方途は、いまのところ表土を剥ぐことだという。その土を何処に持っていくか。県内でも受け入れるところはあるまい。
そこで出たものはそこに留め置く。ケースは違うが福島の沖縄化である。

野田は「福島の再生なくして日本の再生は無い」と断言した。沖縄と福島と。彼はどうさばくのだろうか。

汚染米が出た場合、出荷出来ないその米はどう「処分」されるのだろうか。

気の遠くなるような話が、まだまだ続く。

2011年9月24日土曜日

「拡散」

拡散。文字通り解釈すれば、広がり散らばることを意味します。
放射能汚染下にある福島県民、」いや、その近隣の人達にとっては「拡散」はイコール放射性物質が広がり飛び散ることに直結します。
拡散という言葉や文字には敏感に反応してしまう。

昨日も原発1号機で水素検出。窒素で酸素を封じ込めているから水素爆発の危険性は少ないという報道。そして原発は微量な放射性物質を出しているが、拡散の危険性は無いと東電が言っているとか。

風に乗って、雨で落とされ。拡散した放射性物質に、県民は日々戦々恐々なのです。

二本松の一部の米からは暫定基準値超えた玄米。本検査しても多分検出されるでしょう。500ベクレル以上の放射能が。

原発から60キロ以上ある二本松で米が・・・。農家は悲惨です。風評は多分「拡散」されることでしょう。生産高全国4位を占める福島の米が・・・。


震災後、ツイッターで使われる用語。これもネット用語というのか、ツイッター用語というのか。「拡散希望」「拡散お願いします」という“つぶやき”が大量に“放出”されています。
もちろん“善意”のつぶやき。どこで炊き出しやっているとか、ボランティア募集とか、被災地支援が主目的なものが多いのですが、時々、デマに類するもの、有りえない危機、危険を言い募るものもあります。

ツィッター上で「拡散」という字を見ると無性に違和感を感じます。ネット上での言語の貧困さを感じます。

拡散希望を言っている人は大概が完全匿名。顔写真も無し。出元不明。「拡散希望」の文字に条件反射のようにリツイートする人達。

どっかで「風評被害」(この言葉も嫌いなんですが)をよぶ“拡散希望”。
こんな時です。匿名はやめませんか。ツィッター名は「匿名」でも、写真からたどれば実名や身元がわかるようにしませんか。

限りなくネット信奉者の人がいます。ネットだけは本当の事を言っている、既存メディアは信頼出来ないって。はたしてそうかな。

亭主はツイッター名は「karakarajii」と名乗っていますが、本名も記載しています。住処も。HPには経歴その他も記しています。たどれば身元ばればれ。
写真は愛犬を使っていましたが、実物に替えました。顔に自信はないけれど。

Karakarajiiはからから亭の延長線上で使った名前。匿名のつもりはさらさらなし。

例え善意であっても、それが社会的に意義がある内容であっても、それをフオロワーに伝え広めるために、拡散希望という呼びかけはやめて欲しいな。

原発爆発後から増えだした拡散希望の文字。ひさしく見なかったらまたぞろ“復活”の兆候。

原発被害者には「拡散」という言葉は嫌な言葉なのです

2011年9月23日金曜日

底なし沼の電力マネー

お彼岸の中日。台風一過の秋晴れ、各地。後始末に懸命の被災者。まるで沼の中から引き上げられてきたような家。泥を出し、洗い流し・・・。

大地震で倒れ、壊れた墓石は数知れず。近所の墓地も未だあの時のままといった光景。
今回の水害でもそうだった。あの地震の時もそうだった。避難が遅れた、避難しなかった。「ご先祖さまに申し訳ない」。一時帰宅の人がまず持ちだしたのは位牌。住めなくなった故郷を思う心の多くが、先祖代々の土地。「日本精神の研究」の究極の課題。死者への想い、位牌、墓。

お盆の時もそうだった。倒れたままの墓石に水をかけ花を手向けての供養。信仰という表現とはちょっと違う習俗。

亭主の家の墓は東京八王子。墓参ままならず。彼岸花を買い求め、仏壇へ。せめてもの供養、手向け。

水害や津波で流されてしまった墓も多いという。埋葬されている骨もどこかに沈んだ。

墓参かなわぬ原発避難区域の人達。仮設住宅の中に活けられた小さな彼岸花。

原発マネーというか電力マネーというのか。学者やメディアに「撒かれた」金、よくぞここまでと言えるくらいの「底なし沼」。

直接的ではないにしても、いや、あえてそういう「トンネル」や「迂回ルート」を巧妙に作って渡されていた金。

原子力賠償紛審査会の委員、学者に報酬が渡されていた。よくぞそこまでという感じ。

返納したと委員の学者は強弁する。審査に影響は与えないと強弁する。しかし、やはり中立性確保という審査会の在り方からすれば由々しきこと。なんであろうと被害者は審査会の結論に疑義を抱くは必定。その委員が「中立」の立場を貫いたとしても。
不信、不信、東電の対応に不信の連鎖が続いている時。賠償請求書類の高飛車な態度や強圧的言葉に怒りが湧き、突き返す自治体もある時、その書類に文部科学省の大臣までもが、どこまで本意かはわからないが、「問題あり」と言った書類。

審査会も文科省の管轄。ばれた以上、これら委員さまにはやはり退場願わねば。経緯は承知していたとも言われる。だから政府は信じられないと言われる。

もうこれ以上不信の連鎖が広がればどうなるのか。底なし沼に落ちたような「信」。

2011年9月22日木曜日

「町」と「街」と

数日間にわたって列島を恐怖に包んだ台風15号。昨夜は当地郡山に爪痕を残してくれました。河川は氾濫するは、町の低地では道路が冠水するは。
街道のあちこちも決壊するは。夜中までサイレンの音が鳴りやまず。
一夜明けたら道路は渋滞、渋滞。あちこちで通行止め。

県内だけでなく、宮城や岩手でもそうだったようですが、とりあえずの空き地に建てられた仮設住宅。水が流れ込み、床上浸水の被害にあったとこも多数でした。避難してきた人が避難所にまた。
「地震と時に戻ってしまった。また一からやり直さないと」。被災者はため息。
どこまで痛めつけられるのか。

昨夜の町からすっかり人気が消えていました。水だけの街。街道は寸断・・。

原発避難区域を「死の町」と言った鉢呂発言。それをめぐって未だ論議がされているようです。以前に言った政治家もいる。メディアもその表現を使ったなどなど。

「死にまち」。それは、ある意味「文学的表現」として許される言葉なのかと。
「まち」としゃべった言葉に「町」という字を当てるか、「街」という字を当てるか。もちろんメディアの表現は、全部「死の町」でした。

感覚的に解釈するなら「町」とは住居表示、地名、行政区画。線で引かれたもの。
「街」とは人が行き来するところ。常に人が営みを続けているところとでも言おうか。

人が居ない、人々の生活が感じられない。そういうことの「死の町」発言だったとしたら、「街」は死んだようであるけれど。「町」は厳然として存在している。「町」は無くなっていない。

どの字を当てるかによって同じ言葉でもとらえ方に差があるような。

水があふれ、道路一面が貯水池のようになり、人っ子一人いないようになった昨夜の郡山の街を見ながら、繁華街を見ながら、そんな思いがした次第。
ちなみに、亭主が毎月寄稿しているタウン誌。その名称は「街こおりやま」。その誌面からは毎号人の息吹が感じられる。

2011年9月21日水曜日

天災があまりにも多すぎる

「いったい、今年はどうなっているんだい」。近所のおじさんとの会話。もちろん天災のこと。大雨のこと。

台風15号の災害。「88年生きてるけどこんなこと初めてだ」。住民は茫然としたようにつぶやく。

テレビが伝える氾濫寸前の川の模様、濁流。繰り返し流される映像みていると、どうしても3・11の津波がだぶる。

避難の呼び掛け。とるものもとりあえずの避難所。あの避難所の光景も3・11とだぶる。

「もうたくさんだ」。空に向かって叫んでも雨が止んでくれるわけでもない。

今年は天災が多すぎます。

台風のことは台風に聞け。津波のことは津波に聞け。そんな茶心のような侘びさびみたいなことも言っていられない。

名古屋の被害。100万人に避難勧告といわれたが、どこか行くところあったのだろうか。

同じような雨量が東京に降って荒川や江戸川が氾濫したら・・・。ぞっとします。
あげく土砂崩れ。高いところが安全というわけでもない。
地下に造られた近代都市。水が流れ込んだら・・・。

今夜からはこっちにも来るらしい。強い風が仮設の屋根を吹き飛ばさないのか。
大雨が原発に降ったら汚染水はどうなる。風で汚染された瓦礫が飛んだらどうなる。
せっかく復興の兆しが見え始めた宮城や岩手の沿岸部は・・・。

たしかに、たび重なる天災の経験で、情報が伝えられるのは早くなったし、人力でできることは、それなりにやっている。逃げるしかないってこともかなり浸透した。でも、でも・・・。

人知ではあがらえぬ天地、雨土の仕業。

インフラ含め、日本経済はますます疲弊すること必死。

大げさなようだけど、歴史はこの平成23年をなんと記すのか。

「もうよっぱらだ」。郡山弁。「もうたくさんだ」。きょうも思考が停止しそう。

明日になれば台風一過か。床上浸水した家屋を洗い流す住民の姿、年寄りの労苦に、またまた3・11直後を思う。

天災にも立ち向かい、生き抜かねばならないのが「宿命」なんだろうけれど。

2011年9月20日火曜日

反核・反原発運動と被災地と

原発事故の影響で計画的避難区域となり、今も高い放射線量が計測され、村ごと避難させられた飯舘村の村長、菅野典雄さんが一冊の本を書いた。

「美しい村に放射能が降った」。福島市に移転した役場で書いた本である。その中に書かれている彼の考え。

「本村はこの事故のみをきっかけとして“反核の旗手”になるつもりはない。むしろ飯舘村が、原子力事故における放射能汚染被災地の範となって、復旧・復興を果たすことが、福島県をはじめとする東北地方、さらに日本にとって最大の利益となり、もって世界の範となるものと考える」。

ちょうど、この本を読んでいる途中、きのう、東京で大規模な反原発集会が開かれたというニュースを見た。呼びかけ人はノーベル賞作家の大江健三郎さんら著名人。参加者は主催者発表6万人。警察発表2万7千人。

原発事故の「象徴」でもあるひまわり。ひまわりの花の色を模した黄色いTシャツ姿の人たちが会場を埋め尽くしている。やがてデモ行進。プラカードやシュプレヒコールには、言葉の使いようは様々ではあるが、「反原発、脱原発。反核」。

放射能で汚染され、人々が避難した「死の町」への思いは見当たらなかった。今の「フクシマ」への“言及”は見かけなかった。参加者にはもちろん福島県人もいたと新聞には書かれているが。

思想・信条としての反原発運動。デモというよりパレードのような行進。その頃県内では川内村への一時帰宅が行われていた・・・。

思想・信条と現実の間にある微妙なかい離。

飯舘村は原発によって何らの恩恵も受けていない。少なくとも村独自では。菅野村長は言っている。2年間で住民を村に返したいと。返すと。

飯舘村の住民だれしもが原発はいらない。反対だと言っている。思っている。しかし、被害者としては「最大」に比すような生活を余儀なくさせられても、今は「旗手」になるつもりはないと言っている。今やることは「村の除染以外にない」と。もちろん飯舘村の子供たちもほとんどが内部被曝している・・。

福島県は放射線アドバイザーとして長崎大学の山下俊一教授を招へいした。福島大学の副学長への就任を要請した。山下氏は長崎大学を辞めて福島に来た。

生まれ故郷に住んでもらいたい。住んでほしい。そのためにどうするか。彼の信条の一つ。そんな中での彼の発言の一つが反核の市民団体の逆鱗に触れた。
「山下をリコールしろ。辞任を求める」。学者やジャーナリスト、弁護士。さまざまな知識人が顔をそろえて記者会見した。辞任を求める署名運動をやると。

リコールに必要な署名は有権者の3分の一。数万人の署名を集める、集まると市民運動家たちはのろしを上げた。締切期限を延長につぐ延長させた結果が集まった署名は6千六百人。

山下氏は福島に身を置いてきょうも働いている。市民運動家たちは、少なくともメディアには露出しなくなった。

反原発。脱原発、もちろん大賛成である。しかし、今、福島に生きている人たちが欲しているのは、スローガンではなく、身近な「除染」、それだけなのである。

微妙に違う二つの「空気」。そのはざまで亭主の頭はまたもや混乱してくる。

2011年9月19日月曜日

愚者の愚問

原発2号機付近の放射性セシウムの放出濃度が半月前に比べて一ケタ程度下がったという。原子炉の温度が下がったためとか。
0、 75~0,33倍だったのが0,03~0,01に。

数字の意味するところは愚者にはわからないが、とにかく下がったというのは良い事。で、原発事故現場は果たしてどういう状況にあり、無いがどれくらい“改善”されたのか。愚問であろうが、さっぱりわからない。報じられない。

郡山市の大気中の放射線量。きょうは0,86。たしかに漸減状況にある。とは言え、またまた愚問。この放射能、なんで無くならずに大気中に存在しているのか。風も吹いたし、雨も降ったのに。愚問である。

専門家さまは言う。ある人は「原発から依然放射性物質がでているからだ」と。ならば、あの当時のように風向きで数値は変わってしかるべきなのに、多寡の傾向は各所で同じ。

別の専門家は言う。「土壌や木々や家に付着した物質が、大気に放出されているからだ」と。たしかに土壌は汚染されている。雨とともに放射性物質が大気から落ちて付着したから。でも、それがまた大気へ・・・。

またまたとんでもない話が。愛知県の日進市の花火大会。被災地復興を願っての催しだったとか。福島県川俣町で作った花火を打ち上げる予定だったのが、“住民”の反対で取りやめになったと。
花火が汚染されているという根拠はどこにあるのか。誰が言い出して誰が付和雷同したのか。

あらためて思う。「福島」という名は、あらゆる場面で、一部のひとたちからすれば「隔離・差別」の対象だということを。

そして思う。行政の何たる弱腰。定見の無さ。“匿名”の抗議にびびって取りやめるとは。税金払っている市民はお客様。お客さまの意向にははむけないってことか。名もなき市民には酷政をおしつけることも多々ありなのに。

仮に花火のどこかが、何かが多少汚染されていたとしても、それを打ち上げたからってどれくらいの放射能が降るの?
どう測ってもND,未検出だとおもうけど。ばかばかしいにもほどがある。

“危険”は及ばない範囲でなら、“善意”の義援金も送る。自己満足のために。
“危険”がありそうだと誰かが言えば手のひら返す。

全く偽善の詐欺まがいの「復興支援」なんて言葉使わないで欲しい。

亭主は前から再三言っている。書いている。一つだ、絆だ。そんなことありえないと。

多分、オバカな“市民”に対して、反論する市民もいるはず。普通の市民が。その声は多分黙殺されるのだろう。

2011年9月18日日曜日

やはり地震が多すぎる

余震なんでしょうか、誘発地震なのでしょうか。ここにきて、やたらと地震速報が多いような。

これだけ地震が多いとなんか、やはり異様です。どうすればいいのか、どう予測すればいいのか自信が無い。なんて「ノリオさん」風のダジャレ、おやじギャグを地震予知連絡会のセンセイが言ったかどうかはともかく。

もちろん、3・11以後の一ヶ月間の余震数にくらべれば減ってはいるものの。

亭主の携帯には「なまず速報」というソフトが入れてあります。震度1でも記録されている。一日に10回は福島県沖とか宮城県沖とか、茨城県沖とか震源。
内陸部のも。

昨夜は宮城県松島で被災した旧知の人が来県。被災の様子をつぶさに聞きました。家は津波で流されなかったものの、目前まで迫っていたとか。家はほぼ地震で全壊だったとか。「定年過ぎて家を建て替えるとは・・・」と。

そして松島界隈の古老の言い伝えを教えてくれました。貝塚があるところより海側には家を建ててはいけないとか、「津」という地名のあるところは、大昔、海であったり、津波が来たところと思った
ほうがいいとか。「津」のつく集落はほとんど被害を受けたとか。

三陸方面の被災した子供たちは、ちょっとした地震にも過敏に反応する。トラウマ持っている。

震度2くらいだと我が家の壁からも漆喰の粉じんが落ちてきます。白い粉が部屋中に散っています。キーボードも「雪化粧」みたいな。

地震の研究者たちも、コンピューター含め、あらゆる科学技術を駆使して地震予知や地盤変動の地殻変動の解析に余念がないとか。

先日の毎日新聞だったか、首都圏でも30年以内に大地震が来るとの予測が98%だとか。

地震は止めよう無し。もし来たら、その後の対応、対策を如何にしておくかだけが人知で出来ること。

不確かな可能性に身をゆだねてその日の無事を祈るばかりか。

地震、台風、豪雨。災害列島というしか無し。予測して実行可能な対策、集落移転とか、耐震工事とか、食料備蓄とか、全国からの支援網の完備とか。

郡山中心市街地にあり、半壊状態で解体中のビルが突然崩壊しました。足場もろとも。その時は地震は来て無かった。ちょっとした重機の震動によるものか。

度重なる余震で、だんだん弱くなっていたのでしょう。

重傷者あり、車数台がオシャカ。通行人は幸い難をまぬかれでしたが。

郡山はようやく解体工事が本格化してきました。まだまだ手つかずのところも多々あり。解体後の空き地。何か建つのか。放置なのか。
町の景色は徐々に変化してきています。

危険ロープのところには近づかない。上を向いて歩こう。そんな行動の“日常”。

2011年9月17日土曜日

ベストセラー

新聞に一週間に一回、県内の書店のベストセラー、トップ10が載ります。
これが凄ゴ(小さいゴ)。ほとんで原発本ばかり。

たしかに書店でも原発本が平積み。買ってる人はあまり見かけたことはないのですが。

で、ベストセラー、いったいどれくらいの部数が売れたのかはわかりませんが。
たとえ買ったとしても読破されているのかどうかわかりませんが。
県民の関心の高さが示されているのかも。

読む気にもならない「タレント教授」や、カリスマ系学者の本、さらには福島県前知事の本・・・。前知事はいまや講演会にひっぱりだことか。なんだかね~~って感じなんですが。

ここ数日の朝日新聞。東電から県や市町村にいくらのお金が寄付金としてわたされている。電源立地三法のお金以外に。Jビレッジの「寄付」から始まって。
なんで、こん時期のこの記事。意図があるような。「金貰っていたんだからグダグダ言うな」って読みようによっては取れてくる記事。
そのJビレッジ、社長は知事の充て職。

で、ベストセラー10傑のうち7冊が原発、放射能関連本。一冊だけほっとした本。飯舘村の菅野村長が書いた「美しい村に放射能が降った」。

残念ながらまだ買っていません。読まないと。

第10位。「日本人なら知っておきたい日本文学」。

亭主も原発本や放射能本にいささかうんざり、飽きてきています。ずいぶん買って読みましたが。大同小異。中には噴飯ものも。

当店開店準備中に回ってきました。町内会の線量計。一時間かけてはかりました。雨樋の下、2,3μシーベルト。側溝2,9μシーベルト。
今は0,25.なんと亭主の寝室0,4以上。

ちなみにゲンキ君も測ってみました。0、21μシーベルト。きのう洗ったせいかな。

きょうも郡山農学校産の野菜を買いました。みずみずしくておいしそう。
地産地消、身土不二。元気で健康の源は地元の農産品。

隣の田んぼの表土、0,9マイクロシーベルトでした。まだ刈り取りは先のようですが。新米食いたいッ。

文化庁の国語調査の結果にイライラです。

2011年9月16日金曜日

なんだか変なことばかり

朝日新聞にベタの数行の訂正記事が載っていました。鉢呂発言に関して。

「13日付け鉢呂氏放射能発言、経緯はの記事で、“防災服の胸ポケットにしまっていた個人用線量計を覗き、その日に測定された数値の一つを読み上げた”とあるのは“防災服の胸ポケットをのぞくしぐさをし、その日に測定された数値を口にした”の誤りでした。鉢呂氏はその場に線量計は持っていませんでした。訂正します」。

大臣一人辞任に追い込む記事を書いておいて、数日たってのベタの「訂正」かい。もっとも朝日だけでなく各紙、各テレビこぞって報道した放射能発言だけど。火元のフジテレビは未だ詳細明らかにせず。他社もおおむね“黙殺”。

緊張感が無いというか、いい加減というか。

そしてこれらの報道を見聞きした自民党は国会論戦の場で、さも事実のように、責めたてる。

鉢呂の釈明会見で「ヤクザまがい」の暴言吐いた記者は、その後、上司とともに鉢呂のところに謝罪に行ったというし。

いはやは、ひらたく言えば「マスコミ道」も地に落ちたもんだ。永田町政局記者ども。それに飛び乗る野党の政治家。

国会の本会議代表質問のあの下劣なヤジはなんだい。天下の国会議員かい。中継しているNHKさんよ。居眠り追うのもいいけれど、ヤジ飛ばす議員の顔も映してくれよ。

そこは国会、赤じゅうたん。被災地そっちのけの泥仕合多々。国会30日めで延長。はじめっから決まっていたんでしょ。裏では。どうにか顔を立てようなんてういう裏取引。とっくにお見通しですよ。

泥鰌でもナマズでも金魚でのなんでもいい。つまらぬ駆け引きやる暇あったら早く、早く、被災地どうにかしてよ。

もう、政争にはみんな飽き飽きしてるんです。
きょうも宮城の仮設でまた一人、自殺者が出たとか・・・。

2011年9月15日木曜日

「被害者」が「加害者」になるということ

ネットでは有名な現代ビジネス、端的に言えば講談社の電子版かな。そこの主催で昨夜「現代ビジネス特別企画、福島で“農業”を考える車座ミーティング」という“セミナー”がありました。単なる集まりろ言えばいのかな。
ユーストリーム、ニコニコ動画中継付きで。

福島県は農業県、商業都市といわれる郡山でも農家は沢山あります。市民は農業に大いに関心がある。NPO法人郡山農学校という組織があって、地元の農業活性化に意を注いでいる人たちもいます。他にも生産者たちが作っている「あおむしクラブ」など、いろいろなグループが。亭主はなぜか、その農学校の周辺徘徊人でありまして。徘徊だから農作業にはほとんど参加しないという。

司会は田原総一朗。なにせ昔の「お友達」。参加した農家も知り合い多し。のぞいてみました。
郡山の農家の代表といわきの農家の方が、いわばパネリスト。ゲストは農業ジャーナリストとでも呼べばいいのか。農業関係の雑誌を発刊している浅川芳裕さん。

久しぶりに会った田原さん、たしかに老けたが頭は冴えわたっている。小気味いい司会。的確なアドバイスや知見を述べる浅川さん。体験を語るパネリストや参加した農家の人たちの積極的発言。

あらためて明らかになってくる放射能汚染の実態。苦悶、苦闘する農家の実態。

福島県の農家の目下の最大の課題は、いわずとしれた「除染」。述べ480人の手を借りて表土を剥いだといういわきの方。ゼオライトで放射性物質吸着させての除染やっているという郡山の鈴木光一くん。

「安全な野菜を作っても安心してもらえない」。それが最大の悩み。線量計の数値だって安心材料にはなっていないという消費者心理の解きほぐし。

「農家の人が最大の被曝者、被害者です。原発爆発後も田畑で作業していた。当然外部被曝もあり。そして安全な野菜を買ってもらえないとなると、もうどうしようもない被害者」。これはまぎれもない事実。でも、彼らはめげていない。どうやったら安全、安心な野菜を消費者に買ってもらえるか、届けられるかに腐心している。「食」の供給者としてのプライドを持っている。
それが、いつの間にか「汚染された農産品を売っている、けしからんということで加害者扱いされる」。その不条理。未検出のものしか出荷していないのに、福島県産というだけで忌避される不条理。

当然のことながら田原さんや浅川さんからは様々な行政の怠慢が指摘されました。逃げ腰、及び腰、見て見ぬふり。既存の法律を盾にとっての無策。

ミーティングの結論めいたもの。「生産者と消費者が一緒になって、一同に会して、まともな専門家を招いて勉強会を何回もやりましょう。理解を深めあいましょう。ちゃんと測定しながら」。

「復興庁は福島に置こう」。相変わらずの田原節。「朝まで生テレビを郡山でやろう」。応援込めた田原節。

言いだしっぺの現代ビジネスさん、いろいろ企画してくれることでしょう。

今朝の報道。農地除染にはやはり表土剥ぎ取りが有効との農水省の実証試験結果。とっくに現場では実証済みだっていうのに。でも、効果あったのは間違いなし。絶対実行してくれよ。野田政権。
とりあえず暫定基準値超える農地、8300ヘクタールの除染をやってよ。

そういえば昨日、浅川さんが言っていました。おもしろかった。「日本は最大のトラクター大国。除染公共事業を国の施策にするべきだ」って。

郡山で新米とれたら食うぞ。野菜は毎日たらふく、ムシャムシャ食ってるぞ。徘徊亭主は。

2011年9月14日水曜日

大いなる勘違い

永田町や霞が関では「大いなる勘違い」がますます勢いを増しているような。

「どこどこ新聞のなんのたれべえ」という名刺を持っていれば誰とでも会えるし、誰もがそれなりの扱いをする。国会バッジと通行証さえ持っていれば鑑定の中でもどこでもはいれる。

たまたま入った新聞社。たまたま配属された政治部。たまたま入ったテレビ局。たまたま配属された報道局。言ってみれば、たまたまなった“特権階級”。名刺なければただの人なのに。バッジ持たずにうろうろすればただの“不審者”かもしれない。

大いなる勘違いを起こした記者さんたちは、「日本を動かしている」みたいな錯覚に陥る。あげく自分たちの書く記事が世の中にどういう影響を与えるかに考えが及ばない。

縦割り行政。それがこの国の統治機構として様々な弊害を起こしているとマスコミや学者が言う。それはその通り。
マスコミ界はいかに。編集局、あるいは報道局。その中に政治部、経済部、社会部、外報部などなど「部」が存在し、まさに縦割り報道をやっている。

社会部や地方部、地方支局の記者。被災地に飛び、被災者と時には寝食をともにし、被災者目線に立った記事を書く。生の声を伝えようと努力する。
東京のいる政治部や経済部の記者。大臣同行などで被災地や原発地域に行ったとしても目線は大臣に向けられ。
原発視察から帰って来た大臣捕まえて、感想聞く。あげく、その場に居合わせなかったのに、「仲間うち」から聞いた話をさも自分が取材したかのように、あやふやな記事を書く。書かれた仲間は追随する。

縦割り報道。東京のマスコミ村。縦割りで書かれた記事の数々がその日の新聞を作る。紙面全体を見回すと一貫性の無いことしばしば。

なにも今回の鉢呂辞任劇にだけ限ったことではない。

新聞で言えば、一面の報道が正しいのか、同じ一面でもコラムが正しいのか。二面が正しいのか、三面が。社会面が・・・。

憶測、伝聞を含めて数々書かれる匿名記事。ニュースソースは常に秘匿だし。
記者会見では、辞めると決まった人にはまさに罵詈雑言。
「お前、何さまのつもりだ」。
総理大臣の前では聞きたいこともきけず。及び腰に終始しているのに。小沢の前ではまるでお追従のように、おどおど話を聞かせてくださいって感じで接しているのに。

マスコミ人としての矜持はどっかに消し飛んでいる。

「ぶらさがり」なる奇怪な問答のありなしで総理大臣を採点し。ぶらさがりなるものの語源御承知か。
ぶら下がる。それが始まったころの自虐的取材形態だったのを。極端に言えば、一本のマイク、通常はNHK。そのコードに先にコードをぶら下げて録音した手法。そしてそれは、下世話に言う立ち話。

数日前、テレビでやっていた、あの震災翌日に手書きの瓦版もどきを出した石巻日日新聞。そこの記者が言っていた。「ジャーナリストじゃないですよ。ローカリストですよ」。その若い記者の言葉に信を置く。過去の亭主の自戒を込めて。

2011年9月13日火曜日

十五夜、そして十六夜

昨日は十五夜。仲秋の名月。日の暮れ頃から東の空に見事な月が上がりました。

わが心を しずむるごとき輝きを、帯びてのぼりくる月に出会いぬ

大震災、原発事故以来、花鳥風月を言うのはよからぬことと思いこんでいた節があります。
でも、間違いだったことに気付きました。
地球上で、この日本列島で何があろうと、何が起きていようと、月は月。その季節になるとちゃんとあらわれてくれる。

窓越しに月を愛で、戸外に出て重ねて月を眺めました。月はいつものように月でした。お月さまでした。村上春樹の小説のように二つはありませんでした。
1Q84に生きているのではない。2011に生きている・・・。

東北の被災地の人も、避難所の人も、仮設の人も。紀伊半島の被災した人たちも、それぞれがそれぞれの想いで月を眺めていたのではないでしょうか。

ツイッターやフェイスブックにも全国各地からの月の写真が載っていました。載せていました。

早く「普通の生活」に戻りたい。被災地の人たちは皆そう思っています。仲秋の名月を眺める。月を愛でる。日本人にとっては普通の生活。農事暦を含め、月の満ち欠けに合わせての“日常”。

津波に襲われた瓦礫の間からも花が咲いたと聞いています。仮設の玄関脇にプランターで花を育てている人もいます。

どんな環境にあっても花鳥風月を語ること、それは、人が人であることの証なのかとも。

我を連れて 我が影帰る月夜かな

放射能の恐怖を感じながら毎日を送っている子供たち。避難せずに郡山に残っている子供たち。

近所の子供がギュウヒで作った「お月見団子」ならぬ「ウサギ」のお菓子を手作りして持ってきてくれました。赤い目がちゃんと入ったうさぎ。母親と一緒に作ったのでしょう。その子の家でも、そのお月見だんご、うさぎを供えて月を眺めていたのかも。
その子にとっては「特別なお月見」だったのか、いつものようなお月見だったのか。
無性に嬉しかった子供からの贈り物。

おじさんはダメでもお月さまは一生キミのことを守るとおもうよ。

今夜は十六夜。塾生の一人からメールをもらいました。ちょこっと欠けた月の方が味わいがあると。人は完ぺきじゃなくてもいいんだよと祖母から言われたメッセージに思えたと。

もしかしたら、月も被災地を照らすことにためらいがあったのかもしれません。しかし、月はいつものように普通に月でした。

李白の詩。月下独酌。
「杯を挙げて名月をむかへ、影に対して三人を成す」。
十六夜の月に会えたら、今夜も杯を挙げてみます。この半年を振り返りながら。

2011年9月12日月曜日

これで政治家は「貝」になるかも

鉢呂の辞任、後任枝野。またまたあの枝野の三百代言みたいなおしゃべりを折りに触れて聞かされるのかと思うとちとうんざりする。

原発問題をめぐる記者会見での枝野発言。流行語大賞も貰えそうな「いまのところ」「ただちに」。極めつけは避難指示発言。彼の発言は混乱に拍車をかけたことは是認するところ。

多分、自民党は枝野大臣を責め立てるでしょう。

それはともかく。今回の鉢呂発言。ひとつは「死の町」。擁護する人もいる。まぜならそれは“事実”だからだと。レポータやメディアもそういう表現していた。しかし、政治家となるとそれは許されない。かりそめにも「死」という言葉はいかなる場合でも使ってはならない。彼の語彙の不足さがもたらしたものとも。

「放射能を移す」。数人の記者との夜の立ち話。どうもすっきりしないところもある様子。聞こえてきた話し。防護服のまま帰ってきた鉢呂に、取り囲んだ数人の記者の一人が、放射能は大丈夫ですかみたいなことを言ったとか。それに答えて鉢呂がこすりつけるような仕草をしたとか。そんな報道もあり。

記事は匿名。政治家は実名。「進退問題に発展する可能性も」。記事がこう書いたら、それは辞めさせろってことと同じ論調。
鉢呂の釈明会見もなんだかすっきりしない。怒鳴った記者もいるとか。それを咎めた記者もいるとか。

囲んだのはどことどこの記者で、誰が「放射能を移す」って言われたのか。実名で「それは私です」「こう言ってました」とはっきり名乗り出て初めて五分の“勝負”かと。

匿名をいいことに書きたいことを書くってやり方はいただけない。しかし、今のメディアは“匿名”であることをいいことに、書きたい放題ってところも大。

記者へのウケ狙いが裏目に出た典型かとも。

民主党内では早速「記者との付き合い方、懇談のありかた」を見直そうって動き急だとか。

なにしろ政治部記者さまたち、大臣の首を取ることを生きがいにしているような。そんな風潮、最近またぞろ甚だしとも。

だから政治家はますます「貝」になる。

こんなことを見越していたからか。小沢は滅多にしゃべらない。小沢化するのか全員。
いわゆる「ぶら下がり」なる奇妙な慣習。やらない、やらないと官邸クラブは攻めるけど、ドジョウのパンツはますますブリキになるかも。

夜回りしても何も言わない政治家を「ブリパン」と言った。ブリキのパンツと。言わない人のところには記者は寄り付かない。ブリパンだからと、ことさら悪口を言う。

公式会見含めて政治家の口を「貝」にしてしまって国民は何の得ありや。

言った、言わないはともかく、鉢呂は言動や所作振る舞いにおいて、記者の機嫌とりのような軽い振る舞いがあったことは間違いない様子。

軽さ。これが民主党の限界かも。そして、皆が貝になる中で枝野の弁舌だけは冴え渡るかも。なんたって”言質“を取られないような言い回しの妙に長けた人だから。

総理大臣を辞めた菅はやたら饒舌。「ボクはどこも悪くない。悪いのは東電と経産省」。論評もせずに垂れ流すメディア・・・。

2011年9月11日日曜日

来年の今頃・・・

来年の今頃、この国はどうなっているのだろう。一年なんてあっと言う間。その姿が想像できるような、したくないような。

民主党の代表選。誰が党首になっているのだろう。野田なのか。まさか小沢が“復権”しているのか。選挙さえなければ民主党政権。総理大臣。

原発はどうなっているのだろう。冷温停止は確保されているのだろうか。
エネルギーはどうなっているのだろう。この冬を乗り越え、また猛暑を乗り越えられたとしても。

“節電ファッショ”は、依然、風潮として残っているのだろうか。

円高はどうなっているんだろう。企業は海外に出ていってしまっているのだろうか。

被災地の人たちの暮らしはどうなっているのだろう。原発避難民はどこでどうやって暮らしているのか。

雇用は、失業者は・・・。

すでにして、福島県からの県外避難者の54%が「移住」を考えているという。

今日を、明日を考えることにいささか疲れてきた。だから一年先を思って見ようとする。だけど、希望の「希」の字も見えて来ない。

日本人の食卓はどうなっているのだろう。電気釜で炊いたホカホカのご飯は食べられているのだろうか。福島県は4番目の米の生産地。野菜だ、椎茸だ、肉だ、果物だ。秋の味覚はことごとく敬遠されている。

「国の責任で、速やかな対策が求められています」。テレビのキャスターはそう言い続けているのだろうか。

せめて、せめて、人と人とのつながりの中で、新たな、「美しい物語」のひとつもで出来上がっていればいいけれど。
「民」の力で、新しい何かが生まれてくれていればいいけれど。強力な除染装置や、復興のための知恵が。

皆が責任転嫁ばかりしている。国は地方の「合意」が必要だと逃げる。自治体の長は、国の無策ばかり言う。

被災地の「復興」に、善意の仮面をかぶった剥げ鷹が舞いおりてくる。

賠償は金。責任は倫理観。ないまぜになっての混乱。

不信の渦はもっともっと巻き怒り、とんでもない国が「再生」されているかもしれない。それまでに、また大災害な無ければ・・・。

穏やかな日々は望み様も無く・・・。

2011年9月10日土曜日

さまざまな「自由」

経産大臣になった鉢呂って男、いつも目玉がきょろきょろ動き、さながら金魚のように見えて仕方がない。せめて政治家としての立ち位置はきょろきょろしないで居て欲しいが・・。

明日であれから半年。はっきり目に見えて変わったのは内閣の顔ぶれだが、無策のままでいくのではないかという危惧が拭いきれない。

その鉢呂が言った。「原発周辺の市街地は人っ子一人いない死の町だった」と。
今更いわれなくてもわかっている。半年前から「死の町」だったのだ。死の町にしたのは誰だ。死の町とは再生が無いということか。
翌日陳謝したというが。あげく「放射能をうつしてやる」とも言ったとか。
何を言うのも自由なんでしょうが。所詮、この程度の認識の男かと。
こいつらに委ねている“運命”が悲しすぎる。

「死の町」から逃れて全国をさまよう、そこで生きてきた人たち。県外移住者は増え、「再生」の見通しは全くない。およそ放射能を“感知”するところから人々はどこかに安全だと思うところを求めて逃げている。
移住は東京にまでも及んでいるという。東京も「縮む」と言う。

福島の農家支援のため、福岡市内で開店予定だった産地直送品の販売店が、出店を取りやめた。「九州に福島の物を持ち込むな。車も入れるな」。そんなメールや電話が相次いだからだという。

福島県産品を買う、買わないは「消費者」と言われる人の自由なのだ。

基準値以下でも放射能のあるものは一切嫌だと判断して行動する自由もある。一方、生産者を苦しめる非理性的な行動だと批判する自由もある。両方の自由を認め合うことが大切だと放射線防護学の大学教授が語る余りにも「評論家」的な、新聞の社説的な自由論。

放射能以外にも、いろんなリスクがある中、福島県を離れた家族の決断は尊重されるべきだが、住み続けることにした家族の判断も尊重されるべき。外の人たちの、「福島県から離れることが正しい」という声を、「あなた方は間違っている」という非難と受け止め、苦しむ福島の人たちのいることも気に止める必要がある。

ツイッターで見た投稿。

どういう判断をするかは自由。責任を伴った自由なのだ。それを「とどまっているのは間違った判断」と、その決断を無責任であるかのように一蹴する学者。抗議すれば「言論の自由」だと開き直る。

半年が経って、福島排斥と言えるような「空気」が台風被害を助長する湿った空気のように列島に張り出してきている。

電力制限令が解除された途端、「原発地域の奴らは東電の金でいい思いをさんざんしてきたんだ」。そんな、したり顔で“実態”を声高に語る、死の町を語るサラリーマンが都会の居酒屋でビールを飲んでいる光景ありと東京の友人が伝えてきた・・・。

誰がどこで何を言うかはもちろん自由だけど、無責任な自由、人の心を傷つける自由も“保証された権利」なんだろうか。

2011年9月9日金曜日

金魚ならぬ泥鰌のフン。

野田総理大臣さまが昨日福島県においでになりました。郡山駅で降りて車で原発へ。そして県北視察、県庁で知事さんたちと懇談。

テレビで見ていると、フンがいる。フン。県選出の国会議員さま。郡山が地元の参議院議員、増子輝彦さま。天皇陛下ご来県、菅直人視察。必ずいる。いるのはま、勝手でございますが、その位置取り。常にカメラに映る位置に。そしてどこにでもくついて行く。まさに金魚の糞みたいに。

この方どうも糞がお好きのような。テレビに移っていれば「票」になる。そう信じ込んでいるのか。震災前までは時々勝手に送られて来ていた「マシコノート」なるメール。震災後はぱったり沙汰止み。お忙しいんでしょうね。

国会議員に与えられる国鉄の無料パス。それを存分に使って新幹線はよくご利用されていると聞き及んでいますが。

県北へ野田様がおいでになったら今度は金子恵美ちゃんが「糞」に。水先案内人の風情。

地道な活動より目立つ動きを。

国会議員さんていつもそうだった。テレビに出ることだけを考えていた御仁も。そのくせ「テレビはけしからん」と時々大声あげる。自分の意に沿わないと。

テレビの威力は凄いのです。そのテレビ。今朝のみのもんたの朝ズバ。連日のなでしこフィーバーだったのですが。
昨日の北朝鮮戦振り返ったVTR。ナレーターが連呼する。「チカガ、チカガ」って。キンガでしょ。近賀。

毎日やってるナデシコの話題。でも選手の名前を間違えて読む。
原稿書いた記者が間違ったのか。いや、記者というかディレクターというか。その人の過信。近賀をチカガって読むはずないという思い込み。
そしてナレーターの無知。編集マンの無知。チェックミスした人たち多数。

「どんなに易しいものでも、名前や地名には必ずルビをふれ」。よく“教育”したもんでした。スタジオで訂正一言あったけどあとの祭り。みのもんたが偉そうに説教垂れたり、正義の味方のふりしても番組が信頼できなくなる。これがテレビの現状。
どこか系列は違うけど東海テレビのセシュウムくん事件と似ている。悪気は無くても影響は大。

テレビ人がテレビの存在をわかってない。

そのテレビの放射能報道で、右往左往させられる視聴者。

テレビに出たがる、写りたがるバカ。出たがりを出演させて物議を醸すおバカなテレビ。

馬鹿と阿呆の絡み合い。鶴田浩二が歌っていたっけ。セリフで言っていたな。世の中真っ暗闇じゃございませんかーーて。

2011年9月8日木曜日

「水」について

台風12号、いまだ爪痕くっきり。テレビで見ていたあの濁流。濁流。大雨。空から水が落ちてくる。川を濁流に変えるだけでなく、山林をも根こそぎ崩落させる水の力。

孤立した集落。やっと避難所に行った人たち。かろうじて我が家にとどまれた人達。ライフライン完全にストップ。

被災者は口々に言う。「大津波のようだ」と。水がもたらした大災害。水は怖い。
そして雨が止み、ホッとしたときに口に出る言葉。「水が飲みたい、水が欲しい」。

東日本大震災から間もなく半年。あの巨大な津波の映像がまた・・・。逃げるしか抗しようのない水。全てを根こそぎ持って行ってしまう水。

避難所に一番最初に届けられたのは水だった・・・。

人は、いや生き物は、水が無ければ生きては行けない。数滴の水が山の遭難者の命を救ったこともある。

そして、いったん荒れ狂った水は人の命を奪って行く。

水、水、水・・・。地球は水で覆われている。

母親の胎内も羊水という水。

原発事故も水が、冷却水が出るか出なかったかによって事故の帰趨を変えた。機械の操作含め、水が出なかったことが大きな原因の一つ。

3・11直後、人々が探し求め、買いに走ったのも水。水の争奪。そう、田畑に必要なのも水。だから昔はよくあった「水争い」。水をめぐる村八分。

水が無ければ生きてはいけない。水によって命を、生活を奪われる。

放射能の除染作業に使われるのも水。原発収束のカギも冷却水という水。その原発事故現場を野田首相が視察。
作業員や自衛隊の士気を鼓舞。そして除染に向けた思いを巡らすとか。

とりあえず船出の野田政権。水にまつわる一文を送る。貞観政要から抜く。

「君は舟なり、人は水なり。水は能く舟を載せ、また、能く舟を覆す」。

なんにしても決してあなどれないもの。それは水かと。

2011年9月7日水曜日

専門家を専問家と呼ぶ

専門家という人達が、やたらにテレビに登場している。3・11以降。専門家とは大体が学者。
テレビだけではない。新聞も然り。

日本人の“悪い癖”。専門家と称する人たちをやたらと珍重する。その人たちの発言に心服する。

専門家と言わない時は、「なになにに詳しい」という肩書きを付ける。

この基準がわからない。主婦を家事の専門家と称するが如し。

原子力の専門家。放射線の専門家。食品安全の専門家。

おしなべて言えるのは、「危険」をことさら言い立てる人ほどメディアにもてはやされる。
本屋にうずたかく積まれたこれら専門家と称する人たちの本。「危険」「危ない」の連呼。新聞の広告では「何十万部突破」。その本を買って読まない人は“バカ”だといわんばかり。

印税稼ぎで本を書いているとまでは言いませんが。

とのかく困るのはこの専門家と称する人たちの言っていることが正反対だったり、けなし合ったりしていること。言うこと「てんでんこ」。
3・11以降、いや原発爆発以降、一貫して持論を展開してきた人も、途中で変節した人も。

テレビのニュースバラエティーみたいな番組に出て、芸能人と一緒になってニヤニヤ笑いながら放射能の恐怖を言い募る人。

変節漢の一人、中部大学とやらの武田という教授。いつのまにやら先鋭化した危険論者に。

関西のテレビで言っていたとか。「今、東北で農作物を作るのは間違い」って。例に挙げたのは岩手県一関の放射線量。

東北の農家の人たちがどんな思いで農作物を作っているのか。放射線量の過敏にまで反応し、必死になって「安全」な食を提供しようと歯をくいしばて頑張っている。生計が立ちいかなくなる農家も多数。

十羽ひとからげに言うようで恐縮だけど、「安全基準」なるものも、役人と手を組んであんたたち専門家が作ったもの。だから農家の人たちはその基準値を守り、それを唯一の拠として作物を作っている。

それを「作るのは間違い」という言い草はないだろう。間違いという言葉の先には罰がある。

本当に専門家と言える人がいるなら、その人たちがやること、言うことはただ一つ。どうやったら「安全」のなるかということ。

国会で「7万人の福島県民が流浪の民と化している。国は何をしているんだ。何もしていないじゃないか」。そう、怒髪天を付くかのように言った東京大学の児玉龍彦という専門家は、時間があれば福島県入りし、除染活動に汗を流している。同じ大学の助教授小出裕章は「50キロ圏内に住むなんてありえない、すぐ避難すべきだ」と声高に言う。「家や庭は除染出来ても森や山は出来っこない」と突っ放し。

どっちに立つかはそれぞれの勝手。

そんなに専門家が多いのならテレビも新聞も人選よく考えたら。いや、考えたのでしょう。番組制作意図に沿うような専門家を呼ぶことを。

こう言っちゃ失礼だけど、過激であるほどテレビは売れる。

最近、専門家を専問家と言うことにした。門の中に口を入れる。口先ばかりで役に立たないという皮肉を込めて。

なんで亭主が専門家と称する人々にある種の敵意を見せるのか。ここ郡山市の大きな病院から逃げ出した医者が看護師がいるから。それも押取刀で。残った医者は言う。「医者として恥ずかしいことです。あるまじき行為をしてくれました」と。医者という専門家だって、それだけの知見しかない。逃げるという。

自分達の言っていることが、どれだけ影響を与えるか。知っていて、いや、受け狙いで言いたいことを言う専門家と称する人たち。

原発を作っておいて、事故が起きるやいなや、いや、原発は危険なんですと性懲りも無く言い出す専門家。世間の「空気」を察知して、それに迎合して身の処し方を考える。

あらゆる分野でそんな専門家がいるから、日本は危うい国になる。かつて経験してきたはずなのに。空気に乗っかって戦争への道をひた走って来た過去。

2011年9月6日火曜日

数字が世の中を物語るということ

まもなく大震災から半年を迎える。メディアは様々な形で「特集」を予定している。折にふれ、刻んでいかなければいけないことは語り継がれねばならないのだから。

多分、「特集」の冒頭では何人の命が奪われ、何人がいまだ行方不明で、何人が避難生活を余儀なくされており・・・。そんな入り方をするのでしょう。

なぜなら、数字の大さが、そのことの被害の大きさを物語る尺度として用いられるから。

今日も懸命の搜索活動や復旧が行われている紀伊半島付近の大災害。日が経つに従って増えてくる犠牲者の数。

その数が「災害の大きさ」を物語る根拠となる。

数字、数字なんです。

野田内閣の世論調査。数字。支持率はおしなべて60%前後。政党支持率も民主回復、自民下落。予想通り。

何をもって「支持」の評価基準としたのか。泥鰌や泥まみれが受けたとばかりではなし。菅への反感の裏返しか。何をやるのか、何かやったか。それも全く無い中での世論調査なるもの。

この一種の「妖怪」のような調査数字が、これからのいろんなことを推し量る、報道のスタンスを決める大きな尺度となる。この数字から政治が始まる。

政治かもメディアもこの数字に振り回される。


放射能の測定値。これほど、日々の生活を振り回した数字は無い。ベクレルだ、シーベルトだ。学者が泣いたり、怒ったり。数字を計測の日々。大気から土壌から農作物まで。
「国の基準は信用できない」。それじゃ何を信用する。自分たちで。結果、安心基準は限りなくゼロの世界。

新聞紙面には、もう、お決まりのように地図と数字。定点観測地の数字。テレビも同じ。「単位はミリシーベルトです」って、どこか投げやりにも思えるような。
そして、各地の実測値と、かけ離れている数字。県や市、挙句、国のホームページでも見られますと。ホームページの数字追いかけていたら何時間かかることやら。妄言。パソコンの電気代が・・・。
パソコンがどこまで市民生活に浸透、普及しているのか。「公開してます」って“責任逃れ”のようにも。

生活保護受給者が203万人になった。被災地の失業者が、求職者が6万人異常になった。ハローワークでの就業率は20,5%の13,017人だ。

毎日が数字、数字。数字で全てを割り切ろうとするかのような。数字で全てを表現しようとしているかのような。
数字に「支配される」世の中・・・。

2011年9月5日月曜日

”瓦礫”の正体

瓦礫、瓦礫。この国には次々とガレキが生まれる。あの戦後が国中爆撃や火災によるガレキの山だったように。今もまたガレキが・・・。

自然災害がもたらした瓦礫。裏山の土砂崩れで倒壊した家屋。川の氾濫で流された家や橋。あげく鉄橋まで。

台風12号も多くの瓦礫を作った。壊れてしまえば言葉では「瓦礫」としか呼べない。しかし、数時間前まで、いや、直前まで、そこに人々の営みがあったことを思うと「瓦礫」という二文字で呼ぶのは余りにも辛い。

東日本大震災、原発事故。多くの瓦礫を生んだ。このガレキについてはメディアはたぶんまだ報道し続けるであろう。
特に原発に関する「瓦礫」については。なぜなならそれは列島各地に処分の在り方含め、影響を与えるものだから。

台風、水害にあった被災地。瓦礫。いつまで報道の対象になるのか。すでにして、先般の新潟・福島大豪雨での被害は報道されなくなった。あの寸断され、線路が垂れ下がっていた鉄道。今はどうしているのか、どうなっているのか。

誰もどこも伝えてくれない。今回の和歌山、三重、関西でもそうだろう。数日すればニュースでなくなる。

震災、原発事故が生んだ瓦礫問題。とくに原発。事故直後は「福島のためになんかしよう。避難地域のためになんかしよう」。そんな機運が盛り上がっていた。

半年を迎える今はー。瓦礫の焼却処分に県内でさえ反対の声があがる。細野原発担当大臣は「最終処分場は福島県にしない」と“明言”するが、中間貯蔵は県内だ。多分、今となっては県外持ち出しは不可能であろう。

目に見えない妖怪のような物への嫌悪感、恐怖感が満ち満ちている。

同じ日本という国土の中にあって、多少なりともリスクがあるとされるものは拒む。同じ国民として「シェア」するという思想は無くなった。

物体としての瓦礫だけではない。精神的瓦礫が生まれてしまった。精神の瓦礫が広がってしまった。現実のものとなった。

新聞にあった投稿。

「見つけても放射線出す一枚の家族写真も持ち出せぬ友」。

全てを政治が解決できるわけではない。“差別”という感情は、政治では解決出来ない。

差別という名のこころの汚染がさらに広がっていくような。秋風とともに。秋風に乗って・・・。

2011年9月4日日曜日

災害は忘れなくてもやってくる

東日本大震災以来、あの大津波の姿を見て以来、荒れ狂う水を見るのが怖いです。

数日前から日本列島を襲っていた台風12号。月並みな言葉でいうなら、またもや大きな爪痕を残しました。

日本は地震列島であり、台風列島である。避けがたい自然の猛威にさらさらる国。
たしかに、アメリカでも常にハリケーンがあり、その他の国でも然りなのですが。

先般の新潟・福島大水害。こんどは紀伊半島中心に西日本。

なぜか台風もいつもの年より多いし強いし、雨も凄い。

相変わらず発生する人的被害。被害は防げなかったのか、防げたのか。東日本大震災の教訓で、警報や注意報出たらすぐ避難していたのか。

たぶん、どこかで教訓は生かされていたと思いますが。たかをくくっていたとは思いませんが。

治山治水。大昔からの政策の柱。水がなくてはいきてはいけない。しかし、時として水は狂気となり凶器ともなる。

ダムに問題はなかったのか、堤防に問題はなかったのか。水力発電にはダムは欠かせない。しかし、自然災害に襲われた時にダムは・・・。

東日本大震災後、寺田寅彦の言がよく使われていました。「天災は忘れた頃にやってくる」。
台風は誰しも忘れていません。毎年のことだから。それに対する備えもそれなりに行われているはず。

しかし、大雨は土地を崩し、川を氾濫させる。

いくら「大きかった」「気圧の関係が悪かった」と言っても。毎年来るのがわかっている台風。
人災の面は無かったのか。
荒れ狂う自然の猛威は人知を呑み込んで行ってしまう。

台風は唯過ぎ去っていくのを待つのみなのか。あのエネルギーをそれこそ再生エネルギーになんとか“転換”出来ないものか。

自然災害は避けられないものならば、国土の再配置計画なんてことも真剣にかんがえなくてはならないのかも。人間の意識も含めて。

覚えていても、経験していても、忘れていなくても災害は襲ってくる。

テレビで災害の酷い地域や避難勧告出されて地域名見ると、そこにいる知り合いが気になって。大丈夫だった様子ですが。

あらためて思う。逃げることしか出来ないのが人間だということを。

2011年9月3日土曜日

福島の再生なくして・・・

野田新総理が高らかにかどうかはいざ知らず、とにかく政権の目標として「福島の再生なくして、元気な日本の再生なし」と宣言した。

そのお言葉、ありがたく頂戴しましょう。今のところは。さて何から手をつける。事故収束課、除染か。「再生」なるものがどんなに至難の業か。「再生」とは何を指すのか。

組閣工作の真っ最中、原発3キロ圏内の一時帰宅あり。相変わらずの二時間。
参加した人達のさまざまな思い。他人が推し量る術も無し。

悔しさ、無念。怒り・・・。

家の現状や、町の光景を見た参加者の一人が言う。「これで区切りがつきました。帰れないということがよくわかりました」。多くの人が故郷へ、自宅へ帰ることを諦めた。先祖代々の地を放棄する決意を固めた。酷である。酷なのだ。

3キロ圏内はもとより、20キロ圏内でも、人は住めないだろうと言う。菅が断言した。政府もそう思っているのだろう。それを、住めないということを押しつけることの反発を予想し、自ら諦めさせることにしようとした「一時帰宅」という“手段”。そんな思いさえしてくる。

自分達自身に判断させるという、一見民主的であって、実態は“自己責任”に追いやろうとするような“姑息”なやり方だとも。

野田くん、「再生」って容易なことではないのですよ。でも、再生した貰わねば。再生しないと。どこかに一抹でもいい「望み」を見ないと。

そう思っているのもつかの間。野田に外国人政治献金だとか。産経新聞。追随大手マスコミ。違法は違法。しかし、なにやら意図的な書き方。

子供の頃から面倒見てもらっていた焼肉屋のおばちゃんに何十万かの献金貰ったっていいじゃないの。それで政治信条や、政治が曲げられるの?。
要は国籍の問題なのか。日本の国籍持っていても、とんでもない悪さをしてこの国に害を与える奴もいる。草志会ってなんだい、市民の党ってなんだい?

高い給料払って、それを“ピンはね”して国民政治協会、自民党に献金させる東電のやり方。それは「是」なのか。

瑣末な献金疑惑よりも、再生への糸口を喉から手がでるように待っているのが福島県民の心情と思うが。

野田佳彦君よ。ふりかかった火の粉は払いなさい。今は、とりあえずキミしかいないのだよ。選ばれた以上は。有言実行と参りましょうや。とりあえず今日のところもエールにて。

2011年9月2日金曜日

昔貶され、今は褒められ

野田内閣発足。あだ名のよしみじゃないがちょっとだけ親近感(笑)。いずれにしてもあのバカ菅政治が終わったこと。「ほっ」。正直な感想。

冷静に考えて、この国の姿や統治機構をおかしくしたのは菅政治。日本の政治史の汚点のひとつかと。

未だ持って、いやある時から菅支持を言う国民も。「脱原発」を言い出したからが理由。本気でやるつもりだったらあんな手法は無い。やる気もない、やれっこない「はったり」。

言うだけなら誰でも言える。口先だけの「脱」。言うだけニャンニャンはどっかのテレビ番組(笑)。

で、新内閣。昔の自民党時代だったら顔ぶれみてマスコミはこぞって貶した。「派閥均衡内閣」と。新鮮味の無い派閥均衡人事と。あげく派閥順送り人事と。それが日本の政治をおかしくしているかのように。

時代は変わったのか。グループなんて言ったって、ま、金の面倒はたいして見てないだろうが、派閥均衡でしょ。慣例に従い参院にも配慮。で、マスコミは言う。「挙党体制人事」「党内融和内閣」だと。歓迎の声もしきり。派閥均衡でしょ。消えたような「オバケ」まで登場するし。

ということは、これまでがひどかったということの証左。鳩山人事も菅人事も否定ってことに。

永田町の“常識”復活が賞賛される。一時的に、表面的に「怨念」「排除」なるものがなかったというのがそんなに賞賛に値することなのか。

だから民主党政権にあっても派閥政治は無くならない。

「小異を捨てて大同に付く」。自民党総裁選の後に必ず言われたセリフ。小異は捨てられたのか。本当に大同についたのか。

ま、しばらく様子を見てみましょうや。

それにしてもわからない、解せない自民党首脳の発言、立場。昨日の党首会談でも谷垣や伸晃は言う。「震災の復旧、復興には協力するがそのあとは直ちに解散だ」と。彼らのいう復旧、復興とは三次補正のことらしい。必要だけど、それで復旧、復興が終わるわけもなし。まして原発においておや。

きょうのところのマスコミ論調からすれば、週末の「世論調査」なるものでは野田内閣の支持率、民主党の支持率上がるはず。自民は低下するはず。
それでも解散、解散って言い張るのかな。

郡山市議選、あと二日。選挙カーがガンガンと通って行く。「放射線量測定器を持っています。すぐ測ります」。立ち止まってそう訴える政党もあり。測ってもらう気はないけれど、どことなく微笑ましいような。「土壌の測定します」だって。

いやはやなんとも。

2011年9月1日木曜日

メディアだけはそのままであり

政局報道という奴にほとほとうんざりしています。だれがどうした、誰がこう言った。どうでもいいこと。で、見通しは・・・。どうでもいい。

かくいうものの。往時はその真っただ中に身を置いていた亭主ではあるのですが。

世の中様変わりしたというのに、何も変わらないのがメディア。そのまま。そのまんまおバカ。

未だ決まらぬ人事めぐってあれは小沢、あれは鳩山。論功行賞、取り込み、嫌がらせ等々。

相変わらず、自らたちが作り上げた「小沢神話」なるものに振り回されての自縄自縛。もともと小沢に「神話」なんてものあるわけないのに。雲の上のようなお方の一挙一動に、小沢を忖度した、わけのわからぬ「意向」を持って周り。

政治家とメディアはどこかで相互互恵関係。

いつの頃からか新聞・テレビのニュースでしか扱われなかった政治ネタがスポーツ紙のニュースとなり、スキャンダル追う週刊誌がまともなネタとして政局を語る。あげくテレビのワイドショー。どれを見ても金魚のウンコ。ドジョウも食べないような。

小沢も鳩山も菅も過去の人にしなさいよ。もういいんです。あの人たちがどう思おうと何を言おうと。
心ある若手よ。金魚のウンコ止めなさい。

解散総選挙無い限り、民主党政権はまだ2年続く。2年間、脱小沢だ反小沢だっていうバカ話に付き合わされるのか。

メディアの中には既存メディアはもとより、ネットメディアやフリージャーナリストと称する輩にやたらと「小沢信奉者」が多い。

はっきりしない東電の賠償。放射能の汚染は広がる一方。

政局を作る政治家。それを生きがいのように追っかけ回すメディア。

「政治不信」を言う被災地、避難者の声。それは眼中に無く。スタジオのボードに写真貼り付け、ああでもない、こうでもないの品定め。

ああ、もううんざりだ。なんの意味があるのか。

福島市は1週間遅れで今日から新学期。郡山でもそうだった。多くの子供たちが県外に転校していっている。

除染、廃棄物。国の責任責任とばかり連呼し、正義を語っているつもりのメディア。責任転嫁とも言える。

対案は無理だとしても除染策を考えている民間も多い。顔料が土壌汚染対策に効果ありとか。真偽はともかく、伝えるべきことは多々あるはず。

値崩れした桃。メディアの取り上げ方次第で流れは変わる。「街の人」に怖い、怖いばかりを言わせて悦に入っているようなしたり顔の奴ら。

政局報道の在り方。従来と全く変わらず。メディアも含め、永田町棲息動物は被災地の人達の何千分の一にも如かず。