亭主はいわゆる「通販」で買い物をしたことがありません。従って、いわゆるカタログ誌とは無縁であります。たまにいきなり送られてくるのがあっても無視。
テレビはいわゆる「テレショップ」。通販みたいなものが相変わらず“全盛”。BSなんてどこを回してもテレショップ番組ばかりの時も。
テレショップ番組にいささか疑義をはさんでいる広告評論家、コラムニストの天野祐吉さんが先日書いていたコラムで、カタログ雑誌「通販生活」を褒めていた。絶賛に近い。通販雑誌なのに、まさにジャーナリズムであると。
そういわれれば時々テレビのCMで目にしていた「通販生活誌」のCM。「わたしも通販生活しています」と著名人が登場してたっけ。
その通販生活誌の「通販生活 秋冬号」のCMをテレビはOA拒否したと天野氏が批判。
なぜか。表紙に書かれた「原発国民投票を」というにがお気に召さなかったらしい。テレビ局の。
新聞の論壇時評という欄で、作家の高橋源一郎さんもこの通販生活誌を取り上げている。この秋、もっとも充実した「論壇」誌だと。
「原発国民投票のための勉強」という記事があって、いろんな人に原発震災について語らせているとか。そして、ここからがミソ。「電気をつかわないかまどご飯」が巻頭特集であり、次の特集が「脱原発時代の暖かい暮らし」と銘打って、「窓から逃げる暖かい空気を遮断するカーテン」の紹介や、「メイド。イン・東北」で売っているのは「気の毒だから買ってあげよう」ではなく「品質にこだわって選んだ東北の品々」だとか。
論壇誌以上に「ライフスタイルの提案」以上の何かを感じるものがあると作家は指摘している。そして曰く。「テレビにCMを拒否されるのは最強の論壇誌の証明と。
この通販誌の「センス」凄いですね。通販誌をあなどってはいけないのかも。
早速本屋に聞いてみました。この本あるかと。在庫ありですとの返答。よし、なけなしの財布はたいて、昼飯代カットして通販生活誌買ってみないと。
記事を読んでカタログ見て、つい何か買ってしまうかな。そこは自己抑制(笑)。
読んでみたくなった、見てみたくなった通販誌。
でも、いつから通販誌って誕生したんだろう。経済成長の真っただ中で産声あげたものだったのかもしれない。そして時代を経て「買い物難民」が続出する当世。通販誌の存在も見直されてくるのかな。
やばい。ちょっと入り込んでいる(笑)。
2011年11月25日金曜日
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