2011年12月31日土曜日

年の瀬雑感 終わりと・・・

忌まわしい2011年があと数時間で終わる。

この年は3月10日で止まっていればいいなとつくづく考えてしまうことも。

3月10日までは、それがどんなものであろうと、人々は「普通の生活」をしていたのだから。

3月11日夕方からすべて「普通」でない生活がはじまった。そして、多くの死者を生み、多くの流浪の民が生まれた。

テレビは年末報道番組であの大津波の模様を繰り返す。それを是とするか非とするか。見る人の心模様で変わる。

そして年末年始の特番合戦。5時間、6時間スペシャル。恒例とはいえ、見たいものは無し。

そして大晦日のきょう。ゴールデンは紅白を中心に回る。歌には力があり、演出も東日本大震災を念頭に置いてというけれど。

今年の締めくくりのテレビがこんな番組のばかりでいいのか。

日本のすべてが壊れた。物理的にも精神的にも。今年の漢字は「絆」ではない。
年末にあたって考える。一文字だとしたら「壊」だと。

国土が壊され、生活が壊され。たしかに絆は生まれていた。しかし、絆の前にあったのは壊。

それを象徴するのが政治。政治は、統治機構は壊れた。年の終わりになっても壊れ続けている。
二大政党政治。その「まやかし」。そのための小選挙区制。

民主党離党者が新政党を作るという。その政党名が「絆」だと。だれかが上手い事を言っていた。「きず(を)な(めあう)」のきずなだと。
政治は完全に壊れている。政治家と被災地の間に絆はない。

壊れたあとは誰かが後片付けをしなくてはならない。壊れた瓦礫処理にはかばかしい進展がみられない。人もこころも壊れてしまっているから。壊れた心の後始末・・・。

今夜の紅白で長淵剛は歌という。新曲「ひとつ」という曲を。これだけは聞いてみようと思う。なぜか。原発事故に驚いた長淵は故郷の鹿児島に逃げた、疎開した。そこで海と戯れ悠々自適の生活をしていた。
その彼を襲った「自責の念」。自分を責めて、被災地に向かい、自衛隊を励ました。

長淵が言う「自責の念」。壊れた心に普通の心を取り戻させた彼の「意思」。それを歌からききとれるかどうか。

一年が終わる。終わりがあれば始まりもある。あすから何が始まるのか。無いかが変わるのか。変化の様を見続けたい。

9ヵ月前。民放テレビがようやくCM枠を復活させた頃。報道番組の合間に登場してきたAC公共広告機構のCM。あの時はほんと嫌だった。「ポポポ~ン」。魔法の言葉で、素敵な言葉でポポポ~ン。愉快な仲間や友達できるよ。

魔法の言葉も、素敵な言葉も無かったけど。なぜか今になると懐かしい。凍えたこころを温めてはくれなかったけど。

ボランティアや自衛隊に「ありがとう」と言い、「お互いさまだから」と悲劇を受け止める人達がいた。そう、「お互いさま」。この言葉と心根だけが壊れた日本人の心を取り戻せるものかもしれない・・・。

一生忘れないけど、今は言いたい言葉。「2011年よ、さようなら」。

2011年12月30日金曜日

年の瀬雑感 その二

多分、今年最後の「仮設」詣で。東京から送られて来た手編みひざかけを持って。到来物の品々おすそ分け持って。

仮設に配られたゼンリンの住宅地図。その地図見ながらの「ふるさと談義」。

「オレのところの村長は立派だぞ。きのう全戸を回って挨拶していった」。どこか誇らしげ。信頼されている様子。垣間見たリーダー像。

そして向けられる永田町への厳しいまなざし。

慣れ親しんだ犬が飛びついてきました。抱かれると「もう放さないよ」ってな具合。この犬はよかった。連れてきてもらえたから。

「強制避難」させられた地域には多くのペットが残されたまま。この寒さ。どうなっているのだろう。それを思うとやり切れない思いの飼い主。

明日夜にはカレンダーを変えるという。年が明けるとすぐ3月がくる。3月は来てほしくないと病み上がりのじいちゃん。
ひざかけ肩にかけてピースサインのばあちゃん。

「原発反対って言わない人は、皆、おいしい思いをしている。森永さんもおいしい思いをしたんでしょ」。俳優の山本太郎。ヒーロー。一部メディアの。テレビ朝日が会う夜福島からやる朝まで生テレビ。それのパネラーにもなっている。

「おいしい思いなんかしてませんよ」。苦笑する森永卓郎。昨夜のTBSの番組。

決め付けての議論、持論。なんだか怖いこの国の今の空気。

「人の心と科学の距離」。きょうから始まった朝日新聞の連載。「リスク社会」にあった言葉。

放射能が列島を分断する。不安は家族をも分かつ。人々は福島を避ける。不安と科学はすれ違う。そして、歴史は繰り返す。この「リスク社会」という特集に断片的にちりばめられた言葉・・・。
天使人語にちりばめられて言葉のいくつか。「放射能もはっきりしてくれ。進む覚悟が決まればがんばれる」。避難している人の言葉。「何でも絆でくくると。収まりのいい物語になってしまう」。作家の言葉。「長期戦に入り、みな疲れている・・・人生はマラソン、頑張らない時間を作り、エネルギーを蓄えたひとが勝つんです」。作家で医者の言葉。そして倉本聡「日本と言うスーパーカーに付け忘れれた装置が二つある。ブレーキとバックギア」。

歴史は繰り返す。
「戦争時、強硬派は戦争を知らない若手が多かった。今こそ昭和と向き合う必要がある時代」。俳優の役所広司の言葉。またも思い出すブスマルクの至言。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」。

絆でくくるな。孤族でくくるな。リスクで括るな。この歳末風景。一つの言葉ではくくれない。いくら言葉を使っても語れない。

読み始めた糸井重里の「できることをしよう」。瓦礫に中を走るクロネコのクール宅急便。川内村を書いた作家、たくきよしひろの「裸のフクシマ」にあったほぼ全村避難の川内村をクロネコのメール宅急便が走っていた。一通のメール便を運ぶために・・・。

普通でなくなった今の社会。だから普通の話が胸を打つ。

2011年12月29日木曜日

年の瀬 雑感

年末の事を「年の瀬」ともいいます。「瀬」。はい、ワタクシめの名字の一字ですから「瀬」を使わしてもらいますと・・・。
「瀬」とは水しぶきをあげて流れる急流のことを言うのだそうです。あわただしさを表すための表現。年の瀬。

そう言えば百人一首にもあった。「瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に会わんとぞおもふ」。むすめふさほせ。「せ」と聞こえたら「われても」の札に即座に手を出す。うんうん、子供の頃の遊びは百人一首だった・・・。

年の瀬、年末、歳末―。たしかにあわただしいです。人の動きや、雰囲気が。
何があっても、年末は年末。正月は正月ということなのでしょう。

被災地でも、それなりの年末や正月の光景があるのでしょう。テレビはもっぱら仮設の餅つきの様子を伝える・・・。

早くもUターンラッシュなんて言葉も聞かれるようになりました。
東北の被災地に向かうUターンラッシュの列が多ければ多いほどいい。
どんどん帰って欲しい。被災地を見て欲しい。感じて欲しい。

昨夜、大阪から帰省した奴と飲みました。震災以来何回も帰ってきてはいるものの、話せば話すほど話題は尽きず、彼自身も認める「温度差」。

放射能騒ぎが尽きない福島県。どれほどの家族が帰省するのでしょうか。
「孫と過ご正月が何よりの楽しみだったのに・・・」。じいちゃん、ばあちゃんが嘆いています。帰省を止める。放射能が家族の「絆」を断ち切っている。

孫にお年玉をあげて楽しく過ごす。そんなささやかな日のあったことが出来なくなった。毎年の恒例行事が出来なくなった福島県の家族の現実。

きょう仕事を終えて新潟に避難している妻子のもとへ急ぐ父親がいます。新潟のアパートで過ごす正月。福島に暮らす両親のところへは孫を連れて行かない。行けない。

都会の歳末光景を映し出すテレビを見ながら、仮設で暮らすお年寄りたちはどんな思いが去来しているのでしょうか。いや、仮設だけではない。普通の家でも。

あわただしさの中に忍び込んでいるむなしい思い。

「割れても末に会わんとぞおもふ」。そんな瀬。年の瀬。

2011年12月28日水曜日

はっきりカタをつけてよ♪

山口百恵の往年のヒット曲。「絶体絶命」。
そのなかのおなじみのフレーズ♪はっきりカタをつけてよ、やってられないわ~~♪

同じく百恵ちゃん。プレイバックパート2。♪ばかにしないでよ~そっちのせいよ♪

別に今年をプレイバックしているわけではないけれど・・・。
絶体絶命、ばかにしないでよ。なぜか今の福島県。

中間貯蔵施設を双葉郡に。お国からの要請。予測されていたこととはいえやはり来るものが来た。

双葉郡のどこなのか。細野は一か所と言ってるらしいが。県知事は相変わらず「地元とよく協議して」。「重大なことと受け止めている」。

関係市町村の反応は様々。仕方ないと言う人もいれば許せないという人も。
「住民の意見集約」。どうなるのか。

貯蔵施設作れば、まず30年は戻れない。戻るという選択肢は無理。住み慣れた故郷を捨てること。

来年には、居住3地域の「選別」もある。長期帰宅困難地域。帰宅っていったって30年も放って置いた家はもう住めない。「帰宅」という文字がまやかし。

中間貯蔵施設と言っても、固定化の懸念あり。30年後の政権が今の政権の約束を履行できるのか。

福島の悲劇はむしろこれから始まる。土地を国が買い上げ、家も買い上げ、新たな場所に町を作らねば。

わかってはいるけれど諦めきれない。そんな心境の双葉郡の住民。

他人事のようだけど、もう、はっきりカタうぃつけた方がいいかも。何千人もの大移住。それは宮城、岩手の被災者も同じだが。家はあるのに戻れない。

まさに、「ばかにしないでよ」。

原発事故。その不条理の中で煩悶しながら、自分たちでの選択肢を持ち得ない人たち。

それにしても、なぜ今、この時期になっての「言い渡し」なのか。中間貯蔵施設にしても、帰宅困難地域にしても。とっくにわかっているはずなのに。

「どんな悲しみや苦しみも必ず歳月が癒してくれます。そのことを京都では日にち薬と呼びます。時間こそが心の傷の妙薬なのです」。瀬戸内寂聴が呟いている。
それはそうかもしれない。でも、この「日にち薬」を逆手に利用したような国や東電のやりかた。福島県に「日にち薬」は無い。

日を追うごとに心の傷が増している。

はっきりカタをつけてもらうしかないのか。自分たちでカタをつけなくてはならないのか。そう、まさに絶体絶命。

今年もあと3日。

2011年12月27日火曜日

視点・能力・想像力の欠如

政府の原発事故調査・検証委員会の中間報告。紙面を読むのにおおいなる時間を費やしました。
これまでも五月雨的には出て来ていた事柄ももちろんありますが、あらためて愕然とします。

何という無策で無能な政府に身をゆだねざるを得なかったのか。
新聞の見出しにおどる「全体像を見る視点の欠如」という文字。それが問いかけるもの。

あらためていいます。菅内閣であったことが日本国民の大いなる不幸であったということ。不運であったということ。そして福島県知事が佐藤雄平であったということ。

どこまで真実に迫っているのかはなはだ疑問ですが、この政府の調査委員会であっても、官邸が全く機能不全に陥っており、マヒしており、有効な手だてがなんら講じられなかったことがはっきりしています。

官邸の5階の首相執務室なるところと地下にある危機管理センターとの“分断”。

なんで菅は地下に降りていかなかったのか。ヘリに飛び乗って第一原発に行ってどなりまくって帰ってきたのか。東電本社に乗りこんで、「東電はつぶれるぞ」と脅したのか。

彼には宰相としての能力は皆無だった。「東電はつぶさない、だから、皆しっかりやれ」。それがトップの言葉。

たぶん、事故を起こした途端に東電の幹部や社員は「これでこの会社は終わった」と思ったろうに。

膨大な量の中間報告。さらに最終報告もいずれ出されるという。しかし、この調査検証委員会には責任を追及する権限は無い。それをもとに国民がどう判断するかだけ。

では、国会に出来た、それこそ偽証罪にも問える権限を持った事故調査委員会。ほとんど動いていない。そして、国会の中では常に真実の追求や真相究明は「政治的思惑」の中で埋没していく。
あの時、官邸5階。菅の周りにいたのはおべんちゃらばかりのお茶坊主だけ。「虚偽の記者会見」を続けた枝野。何のおとがめも無し。原発に関わる経産相として居座っている。「反省しています」とコメントはしたようだが。

思い出しますね。あの頃テレビに連日出ていた学者やNHKの水野や山崎といった解説委員。格納容器がある隔壁があると「安全」を言っていた。

菅に言い訳させるために出演させるテレビ局。

SPEEDIの計測を隠した奴ら。福島県庁にもFAXで届いていた。公表はしなかった。なぜ。公表するのは国の仕事だからとか。

バカいってるんじゃないよ。

双葉警察署の署員が原発爆発を確認した。無線で県警本部へ。県警は各所に問い合わせる。県は未確認だという。県警は県警の責任で「爆発」を公表した。

福島県は原発立地県である。そのトップの県知事は「もし原発事故が起きたら」という想定も想像もなかったのだろう。国の責任じゃない。立地県として、国に歯向かってでも県民を守る行動に出るべきだったのに。

国のせいだ、東電のせいだ。違うよ。あんたの責任も大きい。

その無能びりを天下にさらした菅。どう責任をとるのか。菅を海江田を枝野を。裁判にかける方法はないものか。

平成23年3月11日午後2時46分までは日本は「平和ボケ」した国だった。

問われ続け、語り継がれ、風化させてはならないのは震災のことだけではない。
あの時、日本という国はこんな奴らが中枢にいたという悲しすぎる政治の実態。

今年もあと4日・・・。

2011年12月26日月曜日

権利と義務

きのうのTBSの15時間番組。「報道の日、2011.記憶と記録とそして願い」。久々の大型報道番組。きのうも書きましたが、テレビとしての伝えるという範疇の中での義務はおおかた果たしていたように思います。知る権利などどいう得体のしれない物は前面に出さず。
“アッパレ”といいたいところだけど。

夕方5時半頃からはじまった原発コーナー。ブラックボックス、官邸の5日間。再現ドラマの手法とって。これがどうにもいただけなかった。マンガだね。

それはそうとして、菅も海江田も枝野も東電も。全部インタビューでは「言い訳」ばかり。核心をついたもの無し。隔靴掻痒、靴の上から足をかくような。

誰が悪いってことばかり。菅は東電を悪者にし、海江田や枝野は言い訳。福山メモも消化不良。

3・11。あの時のこの国の指導者がリーダーが菅であったことがこの国の最大の不幸だった。もう何回も書いているけど。

真のリーダーは言い訳はしない。全ての責任は自分にあり。自明の理なれど。

愚にもつかない東電の話聞いていると、いささか前の話。電気料金値上げ話。「料金の値上げを決めるのは電力会社の義務であり、権利である」。そうしっらと言ってのけた西沢社長。日本語の使い方を知らないのか、何もわかっていないのか。

権利と義務。中学校で習いましたよ。義務を果たして、はじめて権利を得ることが出来るのだと。

とりあえず一民間会社が値上げするのが権利だ、義務だ。義務とは安定供給することだけ。

この東電の発想が「無主物」という発想につながる。放出された放射能汚染は土壌に付着した以上、その土地の所有者のもので、東電のものでないという強弁。

そして国に援助を求めながらも、カネさえはらえばいいんでしょうっていう賠償金話し。

建設の時からそうだった。なんでも、カネ、カネ、カネ。その思想が事故後も続いている。被害者もそれに慣らされていく。

生存権が破壊され、居住権もはく奪され。無主物に悩まされ。

中学生の時に習った憲法。権利と義務。あれは・・・。

だから、メディアのお願い。権利ばかりを主張しないでね。義務を果たしてね。
政治家にそれをお願いしてもダメなんだし。

今年もあと5日。2011年の終わりの前の戯言。

2011年12月25日日曜日

映像の力

TBSの15時間特番、「報道の日」を見ていました。

あの津波の様子は言葉では伝えられない。言葉では言い表せられない。
番組の構成がどうだ、出演者がどうだと言うことは問題ではない。

これまで、何回も見た映像もあるけれど、こうやってまとまってあの日の映像を見ると言葉が出ない。

テレビと言う物が「進化」をとげ、テレビのみならず個人がビデオカメラを持つようになった時代。携帯電話で動画が記録出来るようになった時代。

集められた映像の力。そこから人はあらためて何を感じとるか。記憶を呼び覚ますことも必要かもしれない。見ない方がいい人もいるかもしれない。

今の時代に起きた今の時代の惨事。

時には冷徹にさえ見える映像だが、見ながら覆われてくる無力感、脱力感。

あの日の数日間は興奮状態にあったと思う。あの時と今とでは伝わり方が違う。

あの映像の前では、ともすれば思考停止に陥る。逃げる。そのことしか出来ることが無かったという事実。

「防潮堤がなんだい」「防波堤がなんじゃい」。カメラを回しながら叫ぶ男性の声がすべてを物語っているような。

取材に行った記者もカメラマンも、本社で見ていたデスクもその他の局員も。自分たちの「仕事」についてあらためて考え入ったはず。

「その後」の報道についてはいろいろ論議がある。しかし、テレビに映し出された映像は、どこかで“編集”という手が加えられていたとしても、事実の断片を冷酷に物語っている。

2011年3月11日。あの日がどういう日だったのか。
映像がよびさまさせてくれる記憶。見ていなかった事実。さまざま、映像の力を思う。伝えることの大切さを思う。

クリスマスだから思うのか。あの地震、津波は決して神の仕業ではないと。神の業にしては、もちろん聖書の記述にはノアの洪水やバベルの塔の“逸話”が記されているけれど・・・。
映像を前に語るべき言葉を持たない、持てない。あの事実だけは風化しない。

2011年12月24日土曜日

サンタクロースと笑顔と

きょうは、今夜はクリスマスイブ。今日を最高潮に全国に「サンタさん」があふれました。

サンタクロースの本名はセントニコラウス。聖職者。サンタさんがクリスマスイブに子供たちが用意した靴下の中にプレゼントをおいていく・・・。こんな行事がいつから定着したのかよく知りませんが。

子供にとってはまたとない楽しみごとであったのはたしか。ませガキの亭主はとっくにその正体を見破っていましたが。

サンタさんはきのうもきょうも大活躍の様子です。被災地を多くのサンタさんが訪れているようです。

子供たちは一様に大喜び。親も。子供たちの笑顔は仮設にもはじけていました。
子供の笑顔を見ると、笑い声を聞くと大人たちも笑顔になれる。子供たちを“慰問”に行ったサンタさん達が、逆に子供たちから元気を貰って帰ってくる。

今年のクリスマスは、いろんな意味で「特別なクリスマス」なのだ。

新潟に妻子が避難している「時々我が家の居候」も、今夜、仕事終わりで、新潟に向かう。トナカイさんの橇ならぬ愛車を駆って。おりしもクリスマス寒波の予報。磐越道は大雪だろう。吹雪いていたら危険。でも、彼はサンタの役割を果たしに行く。子供の喜ぶ顔が見たいから。明日未明には郡山に向けて出発の予定。

クリスマスイブ。全国の教会ではミサや集会が催されます。神父や牧師は何を語るのか。ものすごく興味があります。何を語りかけるのかに。

ケセン語に聖書を翻訳した、被災者である大船渡の医師、山浦玄嗣さんは教会に行って何を祈るのか。それを知りたい。

きのう大阪の毎日放送が制作した佐渡裕指揮による「1万人の第九」。歓喜の歌の大合唱。気仙沼を結んで。

歌の力、音楽の力を感じる。兵庫県のメイン会場。その合唱団の中に郡山から大阪に転勤している「ポン吉」がいた。何回も練習したらしい。彼の顔は発見できなかったけれど、多分、郡山にいる妻子の事を思いながら、万感の思いで「歓喜の歌」を歌っていたのだろう。歓喜の歌、それは、神への祈りの歌。
歓喜の歌は鎮魂の歌だった。

神の言葉は、声はもちろん聞くことは出来ない。だからその代弁者がベートーベンだった。

今夜の教会。神の「代弁者」。取り次ぎ人である聖職者達が、どう神の声を伝えようとするのか。

「絆」だ、「寄り添う」だ、そんな上っ面な言葉はもういらない。胸に響き、忍び入る言葉がどこかで発せられるのか。

「サンタさ~~~ん」。大声で呼びかけにわかサンタを無心で追いかける子供。
来ないと思っていたサンタさんが登場した喜び。
「ありがとう」という声掛け。「ありがとう」という子供も言葉に癒される大人。

そう、やはり今年のクリスマスは特別なクリスマスなのだ。

2011年12月23日金曜日

「出来ることをしよう」

「出来ることをしよう~ボクらが震災後に考えたこと~」。糸井重里さんの編著による本が出ているらしい。まだ買ってないし、読んでないけど、近々買いに行くつもり。読むつもり。こうやって、やたらと本を買い、積んでおいてしまっているような気がするけど。

読みたい本、読まねばいけない本が多すぎる。読書能力を超えている・・・。読破出来ない。

なぜこの本に興味をひかれたのか。もちろん論文でもないし、文学でもない。気持がわかるから。そうしたいと思っているから。彼の文章やつぶやきには「優しさ」があるから。

たまたま震災後の塾で塾生に言った。「それぞれが出来る範囲で、やれることをやろう」と。いつもと同じように、仕事に精を出すのも「やれること」だと。

きょう郡山に子供の遊び場がオープンした。「PEPキッズ、郡山」という施設。前にも書いたけど、大手スーパーのヨークベニマルが持っていた建物を改修して、用具を入れて3億円。それを市に無償で貸与。放射能に悩む親や子供たちに提供した。
塾生の何人かがその運営に関与しているらしい。

遊具や砂場で遊ぶ子供たち。思いっきり身体を動かして跳ねまわっている。そうこなくっちゃ。

親戚からまた手編みのひざかけが送られてきた。仮設の人へのプレゼント。

それぞれが、それぞれの生活に大きな負担を掛けない範囲で、誰かのために何かやる。出来ることをやる。

当たり前のことのようだけど、当たり前が当たり前で無くなったような時代。震災がもたらした“プレゼント”かもしれない。

ちょっと想像しただけでも、雪かきを手伝っているボランティアがいるかもしれない。足腰がままならないお年寄りの送迎をやっているかもしれない人達がいる。
PEPで子供達の遊び相手になってる若者達がいる・・・。

そして、そんなことを思うたび、このところとみに思うようになった。「俺は何をしてるんだい。何にもしてないじゃないか」という自責の念。

「出来ることをしよう」。でも、それに“共感”しながら、結局何も行動してないような自分。

「俺に出来ることは書くことだけ。からかた亭は年中無休で営業させよう。しよう」。そう宣言して書き続けて・・・。

もしかしたら、遠くの“お客様”には飽きられているかもしれないけど、せめて、せめて、これだけのことぐらいしないと・・・。

きのうも番組のことで電話してきた東京のテレビ屋さんが言ってくれた。「毎晩寝る前に必ずみることにしてますよ。本当です」と。それはそれで非常にありがたいけど、なんかちょっと出来ることってあるはずなんだけど・・・。

2011年12月22日木曜日

半旗を揺する虎落笛

仙台に住んでいる旧友、山河弘道から封書が届きました。川柳の同人誌。冊子の名前は「杜人」となっています。「とじん」と読むらしい。

その発行人が山河弘道。ペンネームというか句号というのか、「舞句」という名前を持っている。山河舞句。

舞句。そう、彼は往時NHKのアナウンサーでした。一時は全国ニュースも担当していた。彼と知り合ったのは彼がNHKの郡山支局長に赴任して来た時。同い年。もう一人、FCT,福島中央テレビに中山寧という男がいて、これも同い年。会社は違うけれど、なんとなくウマが合い、よく飲みに行き、会を作ったり・・・。
元アナウンサーだからマイク、舞句。郡山時代から飄々とした川柳を読んでいました。
中山はもう鬼籍に入ってだいぶ経ちます。

NHKと定年退職後、故郷の宮城県に帰り、仙台に居住し、句作で活躍していると聞いていました。震災後、彼の事が気になり、当ブログに書いたことあってのですが。

その彼から送られてきた近況と季刊詩「杜人」二冊。
「娘がインターネットをいじっていて、貴兄の文章を発見。小生のことまでとりあげていて「くれているようで感謝」からはじまって、やはり川柳関係の仕事に携わっている現状。そして、たまたま内陸部に住んでいたので直接の被災は免れたものの、放送関係者や取材で知り合った人など10人を亡くしたと。

たまたま命を長らえた者として、生涯、震災を引きずりながら作句していくと。

亭主の賀状の文面を引き、「首を回らせば70余年」ですか、良寛ほど達観は出来ませんが、くたばるまで、自分も含めた愚かな人間と愚かな社会を看破していきたいと結んでいました。

添えられていた一枚の紙。川柳集 明日への祈り、東日本大震災と書かれた表紙。現代川柳臨時増刊号とされており、発刊したのは神戸の会社だとか。4月号。一番早く発刊された震災川柳集だとか。そこに彼の句が数首載せられていました。

「怒怒怒怒怒・・・・・・(途中から怒の字が反転されて7文字)怒怒と 海」

多分、宮沢賢治の風の又三郎の冒頭、「どどどどどうど どどうどど」をもじったものかと。

背を丸めただただ祈る震度七
漆黒の海へ我が子の名を叫ぶ
避難所の赤子泣け泣けたんと泣け

もうかつてのような粋でユーモラスな句を作る気にはなれない。時事川柳や社会吟を作っていくと手紙に記されていました。杜人の中の彼の句には福島を詠んだ句も沢山ありました。

福島が泣く「フクシマ」という汚名
放射能汚染父祖の田累々と
深呼吸禁止半径2キロ

東北を削ると題した句集には・・

日本人だな避難所に結いがある
仮設から仮設へ乱れ飛ぶ訃報
振り向けばもう狂ってはいない海
東北を削る重機も秋の音

手紙の最後、欄外に“最新作”が記されていました。

我が胸の 半旗を揺する 虎落笛

手紙で彼の電話番号がわかりました。これから電話してみます。

2011年12月21日水曜日

卵8割減、鶏肉5割減・・・

久しぶりに農場主と会った。その後どうしているか気になっていたので。
彼の農場の主力商品は鶏。鶏肉と卵。有機栽培で育てた鶏。これを使った親子丼は絶品。

淡々として彼は語る。「卵の出荷は8割減、鶏肉5割減ですよ」と。全国的にそこそこ有名な彼の農場の鶏。県内だけでなく県外の取り扱い多い。取り扱うところが減ったという。いや、激減。もちろん卵も鶏も「未検出」なのだが。

彼の友人の酒蔵も取り扱いが急激に減ったという。福島市の大波地区で米からセシュウムが検出されて以来。

卵の出荷は明日までと言う。農場の“最後”の卵、買いにいかないと。鶏肉は来年2月で終りにするという。

約束の時間に彼は遅れてきた。理由。業務用の大冷蔵庫、冷凍庫が故障したという。とりあえずの復旧に80万円かかるという。

「なんだい、弱り目に祟り目だね」。亭主の言葉に彼は黙ってうなずくだけ。

日本各地だけでなく外国にも知人がいるという彼。先月イタリアの農場に行ってきたと。完全に自給自足の村に。学んだことが多いとか。

鶏をやめて、あらたな事業を始めようと考えていると。もちろん野菜も作っている。毎日線量計とにらめっこ。

積極的に“除染”はやらないことにしたという。除染ではなく“移染”だからと。除染した水は川を汚すだろうし、たとえばゼオライトの吸着させても、そのゼオライト材の処分が出来ないだろうし。ゼオライト材を置いたところは高線量になるだろうし。

大赤字を抱えながら、次の一手を考えている。土と一緒に暮らしてきたものの気概。「身土不二」が彼の信念。

別れてから気がついた。彼は「風評被害」という言葉を一回も使わなかった。言わなかった。被害者だけど被害者になりたくない。加害者を追及したり、加害者のせいにしても始まらない。そんな気持ちがあるからだろうか。誰かを、どっかを責める言葉もなかったような。

現実を見据え、次に踏み出すことを考えている。広大な農地を使って「研究施設」、もちろん放射能と農業にかんするような、そんなことが出来たらいいなとも考えているような。

まだ45歳。その気があればやりなおせるさ。新しい「農」のモデルケースを作れるかもしれない。

いろんな人が、人たちがいる・・・。

彼の農場の卵。絶品である。太鼓判押す。その卵と会えなくなる・・・。

2011年12月20日火曜日

報道の違和感。あらためて・・・

北朝鮮の金正日総書記が死去。たしかに昨日の報道には驚きました。
で、それを伝える日本の、諸外国のメディア。あの行方不明が懸念とか言われていたおばちゃんアナウンサーの御尊顔久々拝見。そのアナウンスで死去を知った。「列車の中で〝病死“と」。

さ、それからの映像。朝鮮中央テレビの映像。〝号泣“する市民や軍人。どっかの部屋の中。金日正の銅像の前で整列して号泣する人たちの映像。

全部が全部、朝鮮中央テレビの「引用」でしょ。どうみてもあの泣き叫ぶ映像は「演出」としか映らない。新聞の写真だって然り。朝鮮日報のものか。

そりゃ仕方ないですよ。外国人の報道陣はいないのだから。だったらせめて号泣映像に「朝鮮中央テレビより」ぐらいのキャプション入れてよね。出所不明の映像って嫌だ。

そんなこんな、北朝鮮を伝える報道にいつもつきまとう違和感。そこにある「テレビ」を利用した演出。

そしてスタジオに紙面に〝参加“した事情通。政治家、外交官、学者・・・。
みんな、わかってないのにわかったことを言う。訳知り顔での解説だらけ。

きょうもそれは続いています。病死という報道にはついつけてしまいたくなる“”かっこ。

報道の違和感。一番違和感があったのが原発事故一時帰宅の光景。例えば川内村。あの頃郡山の避難所は1,2マイクロシーベルトくらい。川内村は0,4くらい。

村の「体育館」に集められて、大仰にタイベックススーツ着せられ、ビニール袋一つ持たされ「帰宅」。レポーターは「決死行」を真顔で喋る。
あのスーツ、防御服。放射線を防護しません。せいぜい汚れ落とし程度のもの。

郡山ではTシャツ一枚で暮らしていて家に帰るときには完全防備。保安院なのか、東電なのか、県か国なのか。完全防備の指示出したのは。テレビ映り、写真に写ることを想定しての完全な「演出」だった。住民はそれに乗せられただけ。ご丁寧に体育館に帰ってきたら全員「放射線量測定」。出るわけないでしょ。高い数値が。

この異形、異相をどのメディアも言及しない。遠くに住む人たちはその格好見ただけで「凄い、やばい」ということになる。

はい、今は川内村に関してはみなさん適宜用事がある時は普通の恰好で帰っています。ただ、何にも無くなった生活手段。帰れないだけ。住めないだけ。

原発に関して政府や東電が隠している、何か裏があるって書くのなら、自分たちが取材しているそのものに「隠された意図」があるのではないかとくらい思ってみたらどうだろう。ありのままがいい。当然です。だったら北朝鮮を放映する映像には出所を明記しましょうよ。

金親子の出生の秘密だとか、謎のベールの覆われれた国の素顔だとか、瀬戸際外交が得意だとか。隠されたものを知りたがるのは人間の常ではあるけれど。

しばらくは北朝鮮報道の「違和感」とお付き合いってことでしょうか。

2011年12月19日月曜日

仮設の人からお歳暮を貰った。

今朝―。「ピンポ~ン」とドアチャイム。開けてみたらなんと仮設に住む川内村から避難してきているバアチャン。

「いやあ、御無沙汰。いろいろ世話になったない。気持ちだけお歳暮」。お歳暮の“のし紙”ついた洗剤のセット。こういうのって目茶苦茶嬉しいんですよね。

バアチャンとはちょっと御無沙汰。気になっていたところであり、渡そうと思っていたところであり。

「ちょっと上がっていけよ」。「いや今表で娘待たしてるから、こんどゆっくり来る」。
「どうしてる?パチンコばかりやってるんじゃないだろね」。「やってないよ、あはは、たまには行くけどね。目の前にあっから」とペロリと舌を出して。


「これ、持っていこうと思ってたんだよ。使って」。手編みのひざかけ。東京の親戚が送ってきてくれたもの。「避難してきている人にあげて下さい」とのことで。その他手編みのポシェットやキャップ。「表で遊べない近所の子供さんたちにあげてください」と。

子供たちには普段着のサンタさんやってきましたが。

「なんだべ、手編みじゃないか。暖かそうだね」。
「じいさんにでもやってくれよ」
「いやだ、やんねえ」。オレ使う。

「仮設は寒いかい」
「そんなに寒くはないよ。炬燵配られたけど、もう前に買ってあったんで。くれるなら早く言ってくれれば買わなかったのに」。

「それよりもさ、オレ〝日個“は4人になってしまった。何か買ってうあやねばなんないべ。たいへんだよ」と嬉しそう。はい、こっちではひ孫のことを”ひこ“と言います。

「じいさんどうしてる」
「このごろ週に2回デイサービス行って風呂さ入って帰ってくる。出て行ってくれた時は助かるよ、あはは」。
「そのうちまた来っから」そう言ってバアチャン颯爽と帰っていきました。

川内村と言えば、友人から貰った焼酎「十六夜」。川内村の天然地下水を使った焼酎。作っていたのは双葉町の富沢酒造店。原発からわずか3,5キロにあった酒蔵。この酒蔵の名物が清酒「白富士」。社員あげて避難して、警戒区域指定前と、一時帰宅と時に持ちかえってきた白富士の酵母。会津若松の老舗、花春酒造の社長が申し出た。「遠慮しなくていいから、うちの蔵使って酒を作って」と。

先日、その白富士が見事出来上がったという。300年の歴史を誇る銘酒が。
搾りたての舟口酒試飲して、一家そろって泣いたという。こういうのを“絆”って言うんじゃないかな。

川内村のバアチャン、その焼酎の事は知らなかった。よし、じいちゃん交えていっぱいやっぺ。

白富士も呑んでみたい。一口でいいから。

2011年12月18日日曜日

「ハイテク」と「ローテク」

きょうもあちこちで除染活動が繰り広げられています。その効果や問題点はさておいて。今、やることは、今できることはそれだけ・・・。

ホームページ、トップの「随想」更新しました。♪やるなら今しかねえ♪

原発は、その運用も含めて、あらゆる「ハイテク技術」が結集されていたはずです。中央制御室だって。その「ハイテク」が一瞬にして吹きとんだ。それがもたらした飛散物、放射能汚染。それを除去し、人がすめるような環境にするのが、とりあえず除染。

除染作業。きわめてローテクです。草をむしり、土を剥ぎ。スコップ使い、どぶさらい。人海戦術と体力。

塾で紹介したポーランドの詩人の詩の冒頭。
「戦争が終わるたびに、誰かが後片付けをしなくてはならない。なんと言っても、ひとりでに物事が、それなりに片付いてくれるわけではないのだから・・・」

第二次世界大戦で多くの悲惨な光景を体験した日本人は、恒久平和を誓った。
その後訪れた第三次世界大戦の恐怖。核戦争の恐怖。冷戦構造の崩壊で、その危機は遠のいた。安堵したのもつかの間。第四次大戦が起こった。原子炉爆発。

全面核戦争が起こっていれば、人類の多くが消滅していたかもしれない。
福島県を襲った戦争。多くの人命は失われていないが、過酷な生活が待っていた。その戦争の後片付け。それが、スコップに鍬に、せいぜい高圧洗浄機。

アインシュタインは言ったという。第四次世界大戦があったら使う武器は「石とこん棒」だと。まさに福島県は第四次大戦の真っ最中かも。

まだ、ハイテクに彩られた高度成長の夢を追い求めるのか。ローテクを潔しとしてきた農地はおおかた汚染され、自然の恵みを受けることが至難の業になった。
一縷の望みを託して、人々はローテク作業に励む。寒風に耐えながら。

除染作業にあたっていた県北地方の60歳の方が亡くなった。すぐさまネット上では被曝と結び付ける輩が登場する。「80キロ圏内で除染作業をすることは死ぬということ」だと叫ぶ。いい加減にしろよ。

集団疎開を声高に言う人達がいる。「思想」の問題か。「思想」で、多くの人々の生活を断ち切るわけにはいかない。

除染。その効果や結果は多くの未知数を抱えている。広大な農地や山林をどうするか。誰もワカラナイ。でも、誰かが後片付けをしなければならない。それがローテクであろうとアナログであろうと。

郡山のきょうの空間線量は0,75マイクロ。我が家の庭は多分1,2マイクロ。町を挙げての除染の気配無し。一人でやるには気力、体力ともに無し・・・。

「ひとりでに、それなりに片付いてくれるわけは無い」と分かっているのだが。

2011年12月17日土曜日

「収束」が招く混乱

きょうもハイドンの戦時のミサを聴いています。
そうです。福島県は未だ「戦時」なのです。戦争は収束していません。

野田首相がきのう高らかに読み上げた「収束宣言」。その言葉をめぐって、より混乱が、困惑が助長されています。

「発電所の事故そのものは収束に至ったと判断される」。冷温停止状態になったことを確認したからステップ2は完了した。そんな発言。

たしかに冷温停止状態は確保されているようだが、メルトスルーして溶けだした核燃料の状態は誰もわかっていない。誰が考えても不安いっぱい。応急修理のような循環冷却装置。いつ不具合を起こすかもしれない。

国内外に向けた安全宣言。大いなる政治的思惑。にもかかわらずの思惑外れ。誰も安全宣言を信じようとはしない。アメリカの論調などはより厳しいし。

発電所そのものは「収束」と言っているけど、新聞の見出しに躍る「原発事故収束宣言」という見出し。これは怒りますよ。福島県民は。

冷温停止を確認とだけ言っておけばよかった。なんで収束なんて言葉使ったのか。官僚の作文読み上げか。

ここまで持って来た現場の作業員の必死の努力は多とするものの、彼らだって違和感もっているのではなかろうか。収束宣言に。

避難している県民達の問題は、ほとんど何も解決していない。県知事が出した米の安全宣言のほころび。安全宣言なんて所詮そんなものと受け止めている。

希望の希の字もない。

安全宣言の次は住民の住み分け。長期帰宅困難地域。事実上の「帰れない宣言」。そして、中間貯蔵施設の固定化。

冷温停止の“確認”。一つの区切りではあろうけど。確認したのは誰なんだい。
「収束」という言葉だけを捉えてメディアは騒ぐ。日本語の使い方を知らない総理大臣の為せる罪。本当に冷温停止したのなら、それは終息に向けてのわずか1センチくらいでしかないのに。

「新段階への移行を国内外に発信する意義は大きい」。読売新聞の社説にあった一行。どうなってるの、この“視点”。
記者会見のあと野田君は読売のナベツネや朝日の論説主幹などと会食したとか。
「立派な会見でしたね」と、まさかおべんちゃら言ったとは思わないが。当然話題の主だったと推測に難くない。何を話したのか。どこの社も書かないだろうね。
安全宣言は、福島県民には不信感を増させるだけ。次の不安が助長されてくるだけ。安心材料にはなっていない。

かくも乖離した永田町と福島の感覚。福島は未だ「戦時」なのです。

2011年12月16日金曜日

「冬の日」

今朝、郡山に一時、かなりの雪が降りました。福島市にも。いわゆる中通りにも冬がやってきました。西日本にも降ったということです。

枯れた田んぼに降る雪をみていると、大好きだった詩が浮かんできます。
三好達治の「冬の日」。

    ああ、智慧は、かかる静かな冬の日に、
    それはふと思いがけない時にくる
    人影の絶えた境に 山林に
    例えば、かかる精舎の庭に
    前触れもなくそれが汝の前にきて
    かかる時、ささやく言葉に信をおけ
    「静かな目、平和なこころ、その外に、何の宝が
    世にあろう」。

昔、兄事していた人が、怒りにふるえ、寺に身を置いていた時があります。
その人にこの詩をファックスで送りました。
真夜中、その人から電話がありました。「お前、生意気なことするじゃないか」。その声は泣き声でした。

数年後、彼は不遇の死をとげます。わずか60歳。追悼文に宮沢賢治の死を添えました。「永訣の朝」の最後の数行。

  わたくしのけなげないもうとよ
  この雪はどこをえらばうにもあんまりどこもまっしろなのだ
  あんなおそろしいみだれたそらからこのうつくしい雪がきたのだ
  おまへがたべるこのふたわんのゆきに
  わたくしはいまこころからいのる
  どうかこれが天上のアイスクリームになって
  おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
  わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

雪を見ると、どうしても、3月11日の午後3時前の光景を思い出します。大地が揺れ、道路が歪み、建物からは破片が次々と落ちてくる・・・。そして、急に空から降って来た雪、雪・・・。不思議な光景でした。

天上のアイスクリームは午後から本格的に降るという予想。

事務所の入り口に掲げてある三好達治の二行詩。昔、彫刻家が贈ってくれました。

     太郎をねむらせ太郎の屋根に雪ふりつむ
     次郎をねむらせ次郎の屋根に雪ふりつむ

この詩の意味がいまだ読みとれていません。太郎とは誰か、次郎とは誰か。いや、何か。
ただ、この額の字を見ているだけで、少しは静かな目になれそうな気がして・・・。

2011年12月15日木曜日

喪中葉書と年賀状と

昨日、義弟の訃報が届きました。67歳。患っていた癌。当店の常連さんでもありました。20年以上、直接会話したことは無かったのですが。

年末―。喪中葉書が寄せられます。大体が親の喪中ですが。中には息子さんを亡くしたという学生時代の後輩からのものもあり。40通くらいあったでしょうか。「喪中につき・・・」。誰が亡くなったのかわからないものも。でも問い合わせるわけにもいかず。

喪中葉書に返事を出していいものやら。毎年悩みます。12月というのは、なんか嫌な季節かもしれません。

去年、愛犬を亡くしました。広義で言えば、心情としては「喪中」。でも年賀状は出しました。

こんな文面でした。

首(こうべ)を回らせば七十余年 
人間(じんかん)の是非は看破に飽きたり
往来の跡幽かなり深夜の雪
一炷の線香古窓の下 

良寛の句を書く年になりました。古希です。
秋晴れの朝、、愛犬澪が静かに旅立っていきました。
夢の夜や 夢になりゆく 犬の影
人間の是非は看破していくつもりですが、さまざま、一つの節目と心得ています。賀状も今年で失礼させていただこうかと思っています。
皆様のご健康とご多幸を祈りつつ・・・。

節目、区切り。今年は、来年の元旦に配達されるであろう年賀状は失礼させていただくつもりです。

もし、去年、こんな賀状を出していなければ、今年も出さずにはいられなかった。でも、何を書いたらいいのか・・・。区切りを申し出て良かったと思っています。
旧知の朝日新聞の北上支局長からも葉書が来ていました。喪中かと思ったらさにあらず。年賀状を出す気には、どうしてもなれないので、年末の挨拶にしたと。「大変な年でした。お互い頑張りましょう」。そう万年筆による添え書きがあって。

今日から年賀状の受付が始まったとか。テレビが映す晴れ着姿のお嬢さん壇上に上がってのくす玉割り・・・。複雑な思いで見る歳末風景。

被災地の方や仮設にいる方。年賀状はどうされるのでしょうか。多分、書く気にはなれないでしょう。無理ですよ。そして、被災された方々、避難された方々に年賀状は届くのでしょうか。励ましの言葉を乗せた一枚の葉書が。住所変更したあるのかな。20キロ圏内には郵便配達だっていかないだろうし。宛先無しで返送になるのかな。

津波で一瞬にして家族を失った人たちは、喪中葉書なんて書いたのでしょうか。
まだ4千人近いという行方不明者を抱える家族はどうするのか。

年末年始のご挨拶。日本の古き良き慣行。それも崩れてしまった・・・。些細なことかもしれませんが。

亭主は年賀状を戴いたら、返事だけは差し上げるつもりにしています。多分、来ると思うから。貰いっぱなしではとてつもなく失礼だし。
読めない字の手書きにするか、どうするか。思案中です。

2011年12月14日水曜日

「戦時のミサ」

久しぶりに会った彼が言った。「そうそう忘れないうちに渡しておきます。CDです。廃盤と言われていたものなのですが。手に入りました」。

そう言って渡してくれたCD。ハイドンの「戦時のミサ」。レナード・バーンシュタイン指揮、ニューヨークフィル演奏によるもの。

この曲には一つの逸話、伝説がある。1973年、ベトナム戦争の最中。アメリカ大統領にニクソンが就任した。就任記念コンサートがケネディーセンターで催された。オーマンディー指揮のフィラデルフィア管弦楽団。曲目はチャイコフスキーの大序曲「1812年」。
同じ日の同じ時間にバーンシュタインはワシントン大聖堂でこのハイドンの戦時のミサを振った。
雨の日だったという。大聖堂に入りきれなかった聴衆は1万2千人いたという。教会の外で雨の中で、この演奏を聴いたという。少なくとも聴衆の数からいえば、バーンシュタインがニクソンを上回った。
そして後年、手塚治虫は「雨のコンダクター」という作品に仕上げたという。

CDをくれた彼の電話の誘いは「御無沙汰しています。ちょっとお話したいことがあります」というようなものだった。会ってみると取り立てて特別な話は無かった。きっと亭主の聞き違い。「ちょっとお渡ししたいものが」ということだったのではなかったかと。

彼は当店、からから亭の常連だという。「震災後、毎日書いていますよね。凄いです。たまに更新時間が遅いと、具合い悪いんじゃないかと心配して・・・」とも言ってくれた。

そして気付きました。ブログを読んでいて、毎日怒ったり悲しんだり、嘆いている亭主の心持をおもんぱかって、労わりのプレゼントがこのCDだったということに。

あらためてゆっくり演奏を合唱を独唱をソロを聴きました。キリエからはじまる46分余り。そして案の定泣きました。肩を震わせ嗚咽しました。

クラシック音楽を聴いて泣いたのは、昔、小沢征爾が指揮した、ベルディーのレクイエムを聴いて以来2度目。

そう。我々は今「戦時」にいるのです。軍隊こそ攻め込んでこないけど。

まもなくクリスマス。街は光に彩られています。津波で街ごとなくなった南相馬市の原町地区の海岸にもイルミネーションがともされています。その海に向かって光を放つイルミネーション。そこには「ありがとう、みんながわらいあえるところにします」。そんな文字が浮かびあがっています。
親と息子が行方不明のままだというこの電飾を作った人は言います。「決して置き去りにはしないよ。元の町のような賑わいを取り戻すまで、ここを離れないで頑張るよ」。そんな想いを託したという。

今年のクリスマス。あらゆる教会でいつもの年とは違うミサが執り行われるだろう。戦時のミサの演奏はないにしても。

旧約聖書創世記。神は光あれと言われた。光は神の象徴。電飾が無い時代は神の光はすべてキャンドルだった。

聖書が書かれたヘブライ語には時間軸が無いという。過去形も現在系も未来形も無いという。だから・・・「天地創造」はもしかしたら今も続いているのかもしれない。
「戦時のミサ」を聴きながら頭をよぎったことども。

2011年12月13日火曜日

「海くん」のこと

新聞。何百人の記者が書いた記事を一人で全部読むというのはkが遠くなるような作業だと時々思うのです。読みべき記事もあれば、読む必要の無い物もあるけど。
テレビのニュースで知ったこと。発表物の類は読まないようにしています。読むに越したことはないけど時間が・・・。

朝日新聞南三陸駐在 三浦英之記者。もちろんどんな人か知りませんが。以前にもこの人の記事を書かせてもらいました。コラム 「南三陸日記」。読ませる記事です。

駐在。それが新聞社の中でどういうポストなのかわかりません。支局長でも無ければ支局員でもない。駐在。多分筆致からして若い人ではないだろうと思います。練達の士だと推測します。

きょう掲載されていた南三陸日記 「海くん、待ってるよ」。
志津川少年野球クラブに所属している渡辺海(かい)くん11歳。津波の被害に遭い、一家は20キロ離れた内陸部の登米市に転居した。5月、その海くんの家の引っ越しを三浦記者は手伝っていた。彼に海君は言った。「いつかここに戻ってくるよ。僕の名前『海』だから」。来年、海君は中学校に進む。最後の試合、負けたが顔は晴れ晴れとしていたという。試合後海くんは記者のところに駆け寄り「来年から登米の中学校に行きます」と宣言した。「でも、いつかは戻ってくるよ」あの日と同じ言葉を繰り返した。僕らの約束は続いている。

要旨、こんな記事。いい記者だと思うのです。取材のかたわら引っ越しを手伝い、子どもとの約束を続ける。“ほぼ日いとい新聞”の記者のように。

今月の塾。長渕剛の詩「復興」と取り上げました。自然に意志はあるのかというテーマの導入として。

   憎い、憎い、私は 自然が憎い
   憎い、憎い、私は 海が憎い
   たわむれ 優しく 大きく 父のような海だったのに
   怖くて憎くて たまらない 許せない 絶対に許さない
   こんなに あなたを 愛して 生きてきたのに
   なぜ 海よ あなたは 私たちを壊す・・・

こういう書き出しで始まる1055の字の長文の詩。

長渕が憎いと言った海に、長渕の歌で励まされた海の男たちは出て行く。海を憎いとは言わない。

自然には意志は無いのではないか。自然は人間の生活には無関心であり、自然現象としての動きをしただけではないのだろうか。それが塾生への問いかけ。

塾生から意見が出され、それぞれが自然の所作について思いを巡らしているようでした。

塾では言わなかったけれど、長渕も自然には意志が無いということを知っている。しかし、憎いという言葉で表さない限り、彼の気持ちの踏ん切りがつかなかったのではないかと。

渡辺海くんの話を読んで、また一つ考えさせられました。

そして、詩が一つ浮かんできました。三好達治の詩。

   海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。
   そして母よ、仏蘭西人(フランス)の言葉では、あなたの中に海がある。

フランス語でmèreは「母」。merは「海」

海(かい)くん、いい名前をつけて貰ったね。

2011年12月12日月曜日

「オフレコ」

「あのさ、これオフレコなんだけどね」。そう言って唇に人差し指を当てて喋ろうとする奴がいる。「いいよ、オフレコの話なんか聞きたくないよ。俺おしゃべりだから」と亭主。
「いやさ、ここだけの話なんだけど・・・」。彼は自分は知っている〝秘密“を喋りたらしい。俺はなんでも知っているんだというようなことを知らせたいらしい。

「オフレコ」。この一種の業界用語はいつの間にか巷にも蔓延しているような。

旧聞に属するかもしれないが、防衛庁の田中前防衛局長の沖縄での「オフレコ」発言。一部マスコミや著名なジャーナリストの中には彼を「擁護」する向きがある。オフレコ破りをした記者に非があるとする。

亭主の経験と見解。「オフレコとは破られるためにある。書かれるためにある」。

書かれたくないことなら言わなければいい。言うってことは書いてくれってことに等しい。ただし、出所不明で。

オフレコと称して何かしゃべる、少なくとも政治家や官僚に関しては、そこに老獪なマスコミ操作の意図がある。観測気球然り。リーク然り。

書かれることに意味があるのだ。そして、ネタを欲しがるマスコミを「味方」にしようとする意図も。
オフレコでも何でもいい。ネタをくれるところにはマスコミは集まる。いくら夜打ち、朝駆けしても何もしゃべらない政治家のところには誰も寄らなくなる。
そして言う。「あれはブリパンだから行ってもしょうがない」と。ブリパン。ブリキのパンツ。固くて破れないっていうような意味。

田中前局長のオフレコ発言。例えが悪かった。でも彼はどこかでその真意を書かせたかったのかもしれない。

オフレコ破りはルール違反。そんな簡単な言葉で言えることじゃない。ダイレクトコートしただけじゃないの。

政府首脳は官房長官、政府筋は副長官クラス。業界なら誰でもわかるニュースの出所。
ここ数年はやったのが関係者。検察のリーク。誰も咎めないのに。

書いた琉球新報に一票。

思い出した不愉快な発言。松本龍なる大臣が宮城県庁に乗りこんで知事に罵詈雑言。あげく「この話はオフレコだぞ」。東北放送が放映し、各マスコミもけしからんと書いた。松本龍は確かにオフレコだと言った。しかし、それを報道したことを誰も咎めない。

永田町や霞が関ではきょうも「オフレコ懇談」が行われているかもしれない。そして福島県についてのオフレコ発言があるかもしれない。
「もうあそこは帰れない土地だけど、土地を取り上げる前に取り上げるぞとは言はない」というような・・・。

2011年12月11日日曜日

あれから9カ月

あれから、3.11東日本大震災から9カ月。きょうもあの日と同じように寒いです。
あの日の、あの時刻を過ぎました。日本列島各地で、相変わらず地震が発生しています。鹿児島では震度4だった・・・。

30年以内にマグニチュード9の地震が起きる確率は30%だと学会は言い始めた。その“予兆”のような自然現象の変異が伝えられる。

9か月。被災地では至る所で“鎮魂”の営みが行われ、この大災害を「風化」させにようにと陸前高田市では、モニュメントが建てられ、神戸から送られた「希望の光」が点灯されたという。

9か月にして、「風化」という言葉が使われ始めている。何をもって風化というかはともかく、人の“意識”ってそんなものだろうか・・・。

「風化」を象徴しているものは、政治の「劣化」なのだろう。政治家達の思惑は被災地を忘れたかのように、もちろん、予算や復興計画は作られているのだが、ただただ「嘆かわしい」と思えるようなことばかり。
党内融和だの選挙がどうだだの。どうでもいいことなのに。

「風化」どころか、原発事故は依然進行中であり、いいしれぬ恐怖感や厭世感が、きょうのどんよりとした天気のように続いている。

国は「汚染状況重要調査地域」というのを設け、それに指定された地域には除染のための財政支援を行うとか。その基準は年間1ミリシーベルト。毎日発表される測定値。郡山は測定地点の県の合同庁舎前で。0、75マイクロシーベルト。年間1ミリを毎時に換算すれば0,23マイクロシーベルト。

ということは我が家も「重要調査地点」ということか。

終わりの見えない道。未知との“闘い”。疲れ果ててきていようとも。

放射能をめぐる話は、ますます過激さを増しているような感あり。風化は及びもつかない。

せめて「風化」という字に「風花」をあてて束の間の平常心を取り戻そう。

風花の風を残して消えにけり。今日の朝日俳壇にあった一句。風は汚染を消してはくれないが。

昨夜の見事なまでの皆既月食。見る人の心を動かした自然の美。自然は人々の心をどう忖度しているのか。心とは多分無関係にさまざまなものを送りこんでくる。意志は無い。見る人のこころの在り様がどうとらえるかだけ。

自然には意志は無い。自然は人間に無関心だ。先週の塾で取りあげたテーマ。

自然が配布していったものを、人間の心が「風化」させてはならないと思うのですが。

2011年12月10日土曜日

茶番劇

先日大枚はたいて買った岩波国語辞典。やっと読める範囲の字の大きさだけど。

茶番を引いてみると「比喩的に、ばからしい、底の見え透いた物事」と書いてあります。

国会最終日に出された問責決議案。なんで最終日なの?。もっと早く出すべきだったでしょ。出すならば。問責可決ならば審議拒否ってことになる。拒否するには与野党とも思惑交差する。
出さなければ自民・公明の顔が立たない。裏で話し合い。国会に最小限影響がないであろう最終日を選ぶ。

とんでもない茶番劇じゃないですか。

年明けの通常国会では可決両大臣のいる限り審議拒否だとか。だから、それまでに内閣改造するとか。

ああ、茶番だ。茶番だ。

自民党の総裁や幹事長はバカの一つ覚えのように解散だ総選挙だと。

なんでも反対、自民党。政権交代選挙に負けて、自民党はもはや三流政党になり下がったのか。かつての社会党と同じだ。反対だけ言っていても選挙は勝てない。少なくとも谷垣・石原コンビでは。数少ない有為な人物はどうも「干されて」いるようだし。

茶番ついでにもう一つ。ベトナムなでへの原発輸出を可能にする原子力協定の採決。民主党議員12人が「造反」したという。その中には郡山を地盤にする増子輝彦センセイも。「福島県民の感情を考えると賛成出来なかった」との弁。

あらら、あなたは経産省の副大臣かなんかやっていた時は必死になって、今の県知事とタッグを組んでプルサーマル推進の強権を発動したんじゃなかったのか。県民感情考慮。いいよ、考慮しないで。自分の意思は述べてない。

彼の頭にあるのは、県民を持ち出すのは「選挙」。
増税論議にしても然り。税の在り方の本質論や国家の有り様よりも優先するのは「選挙に勝てない」という保身の本音。

国会議員の言動、行動はすべて茶番。それを多分見抜いているであろうにもかかわらず、表の事象だけを大見出しで書き、政局記者が幅を利かすマスコミ。

マスコミ報道も言ってみれば茶番だ。

「号泣した記者がいた。歯を食いしばってシャッターを切ったカメラマンがいた」。そんな“キャプション”がついている「記者は何を見たのか」というタイトルの本の広告。

永田町で号泣している記者はいるのか。張り番で「寒い、冷える」とツイッターで連呼する人いるけれど。

2011年12月9日金曜日

曲学阿世の徒

群馬大学の早川由紀夫という教授、専攻は火山学らしいけど、福島の放射能被害についてツイッターで語った事が波紋をひろげている。

新聞報道によれば「セシウムまみれの水田で毒米つくる行為も、セシュウムまみれの牛を育てるということも、サリンつくったオウム信者と同じことをしてる」と書いているという。さらに「福島の農家が私を殺そうとしている」などの書き込みもあったそうな。

大学は訓告処分にしたというが、当のご本人、記者会見やって「放射能の危険性を多くの人に迅速に伝えるために、 あえて過激にした。処分は学問の自由を奪う行為で、大学の自殺」と批判したという。

こんなバカげた話をいちいち誰何するのも「ばかばかしい」けど、この教授、放射能汚染マップ作りに参加していて、メディアも御贔屓にしていたというから始末が悪い。

言うまでも無いが、誰も殺人を意図して米を作り、牛を育てたりしていない。土と真摯に向き合い、牛を丁寧に育て、食べる人たちに喜んでもらおうとしていた人たちばかり。牛では「責任」をとって自殺したひもいる。

原発事故以降、やたら登場してくる学者さまたち。もう何度も書いたけど、おかしなことを言う人が多い。ほとんどが信用出来なかった。

早川発言。まさに〝狂気の沙汰“としか。狂気ついでに言えば「あんたが麻原彰晃だ」。

この発言よりももっと怖いのは、彼の言辞に賛意を示す人が多いということ。処分した学校にも「苦情」が行っているという。

著名な女性ジャーナリストは以前から喝破していた。「学者がカルト化している」と。まさに。

曲学阿世の徒。昔、吉田茂が東大の南原総長を指して言ったセリフ。きのうの亭主のブログにあった書きこみ。安岡正篤の活眼活学に記されている崔子王の言葉、四不殺。その一つ。「学術を以って、天下を殺すなかれ」。まさにこれに当てはまる「エセ学者」と。

本来の言葉の意味ととはちょっと違うとしても、曲学阿世が多すぎる。そういう奴らに限って必ず言う。「学者としての良心が・・」と。お前ら、もともと「良心」なんて持ち合わせていなかったろう。

お願い。メディアよ、片棒担ぐなよ。醜い日本人がだんだん増殖されているような気がして。

サリン事件の“真相”も未だ藪の中なのに。引き合いに出されたサリン事件の被害者も不愉快この上ないと言っている・・・。

2011年12月8日木曜日

福島県知事の“罪”

二本松市の米農家から、また国の暫定基準値をわずかに上回る放射能が検出された。一戸だが。

もしかしたら、まだ、検出米は増えるかもしれない。「福島県産」というひとくくりにされ、米は行方を失い、農家は途方に暮れる。福島県の“受難”は、もしかしたら、始まったばかりかもしれない・・・。

いったん安全宣言を出した福島県知事はきょう、「もっと細かく専門家の意見を聞けばよかった」などと述べ、「反省している」とボソボソ声で釈明していた。

反省だけなら猿でも出来る。そんな平時に流行った言葉を持ち出しても何の意味も無い事承知だが。

3・11。総理大臣が菅直人であったことの“不幸”と同じく、いたそれ以上に、県知事がたまたま佐藤雄平という男であった事は、やはり、県民にとって最大の不幸だった。

5年前、佐藤雄平を県知事に選んだ。長い間、渡部恒三の秘書として、カバン持ちとして仕えてきた身、県知事をどれだけ所望していたかはしらない。経過をふりかえれば「たまさか」という気がしてくる。前知事の「逮捕」という事件がなければ変わっていたかもしれない。

知事就任以来、雄平知事から県政の確たるビジョンを聞いたことがない。すでにして沈滞気味だった福島県をどうするかというビジョンを。

知事はじめ、県の役人は、原発事故後、何をしてきたのか。避難民のほとんどが、いや、全員が語る。「県からは避難そのたについて何の指示もなかった」と。

顔の見えない知事だった。知事の“罪”は大きい。

彼の任期はまだ3年もある。3年間、この知事のもとで、暮らしていかなければならないのか。県民の多くがそんな疑問をより強く抱くようになった。

反原発のスローガンを掲げ、東京でデモをする県民がいる。座り込みをしているグループもあると聞く。それはそれでいいのだが。

県知事リコールという声は聞かない。声が出ない。頭では思っていても行動におこせないのか、口にしないのか。

原発事故後、数カ月は知事も県庁も県民も東電を敵としてやってくれなよかった。外の敵に目が向きすぎて、身近にいた役立たずどもにあまり気が行かなかった。もっとも、3・12、13、14と行く先も見えぬまま夜道を流浪していた避難民たちは気づいていただろうが。

役立たずどもが権力を持ち続けて、試行錯誤の除染活動をやっていて、県外に脱出する県民が次々と出ている現実を目の当たりにして、農業県の農家が苦境に立たされているのに、ひとかけらの“光”も与えられない行政・・・。

昨夜たまたま、要職を歴任してきたベテラン県議と懇談の機会があった。彼の持論。「歴史を動かすのは、よそ者、バカ者、若者」。

自民党籍を持つ彼も、大阪の橋下を支持するという。

福島県を変える、県の歴史を大転換させるようなよそ者、バカ者、若者はいないのか。

亭主が見回したところその該当者は見つからない。でも、いるはずだ。橋下は副市長に中田前横浜市長を取り込むという。大阪にとってはよそ者。しかし若者。

県内にその意気ある者ありや。県議という地位に甘んじている奴らにはいない。
よそ者でもいい。火中の栗を拾う人はいないものか。

亭主はよそ者、バカ者。しかし、若者の範疇からは大きくはずれているし・・・。

2011年12月7日水曜日

原発とカネ

このところ、原発事故を巡り、賠償金の話が連日伝えられている。

政府の原子力損害賠償紛争審査会は、避難地域の周辺にある福島県内23市町村の全住民を、賠償対象とする追加指針を決めたという。
賠償額は、被曝による影響が大きいとされる18歳以下の子どもや妊婦が1人40万円、それ以外は8万円だ。

亭主の住む郡山市もこれに該当している。多分、8万円が払われるということなのだろう。なにか「不快感」が湧いてくる。

カネでしか問題を解決できない、カネで問題を解決させてしまおうという姿勢。

この数字を裏読みすると、大人は被曝の影響はさほどない。子どもと妊婦は影響が大。比較でいうとそういう見方も出来てくる。やはり「被曝」はあったのだと。

郡山に住んでいる乳児を抱えた母親が言っていました。「粉ミルクからもセシュウムが出たというし、ミルクを溶かすのにはミネラル水を買ってきているし、米はミネラルでといでいるし・・・。水代だけでも凄い出費」と。「一回限りの賠償金貰ったって役に立たない」とも。

この賠償金、東電が支払うもののはず。さて、払われるということになったら亭主はどうするか。
気持ちは「いらない」「けったくそ悪い」。でも、貰わなければ東電に「戻る」。
ばかばかしい。貰った上で使途を考えよう。自分たちのために使いたくない。
本当に苦しんでいる人たちのためにいささかでも・・・と思う。

郡山で「被害」を受けた農家の青年も言っている。おかしいと。対象になる大人は130万人。8万円を掛けた総額で、子どもたちが安心できるような環境整備や施設つくりに振り向けるべきだと。

賠償金なんていらない。元の大地にもどしてくれよ。そういう思いの人も多かろう。

原発とカネー。語れば長い話になる。立地の時からを。立地地域は確かに多額の交付金を貰い、寄付金を貰い、潤っていたことは事実である。高額所得者もいた。

今、仮設に暮らし、借り上げ住宅に住んでいる人達。これまでに賠償金が支払われている。しかし、その支払われ方には多くの問題がある。家族構成や戸籍や住民登録などの状況によって。東電は、各家族や個人の状況なんて把握できない。把握できるのは町や村役場。しかし、東電のカネの配分については細かく立ち入らない。

原発交付金は県の財政にも「寄与」したきた。事故後、県知事や幹部が声を大にして言ったのは「賠償」。

交付金の恩恵を全く受けていなかった飯舘村やその界隈の村、部落。そこが一番線量被害が大きい。

30キロ圏内の川内村。線量だけを言えば郡山よりかなり低い。多少のホットスポットなるところはあるにしても。

思い出す。セシュウムに汚染された稲藁を牛に食べさせ、結果汚染牛が生まれ、あらゆることに絶望して自ら命を絶った酪農家の事を。彼は原発から何の金銭的恩恵も受けていなかった・・・。

生業を無くした農家も多い。生活も含めて、支援や賠償はもちろん当然。

それにしてもだ。事故直後同心円をひいてコンパスで丸を書いて強制避難をさせたのと同じように、50キロという枠の中で、いわばばらまかれるカネ、カネ。“汚染”された金のように見える。

賠償金問題が進んでいく中で、郡山以西の、例えば会津地方との同じ福島県民同士での“感情的軋轢”が“こころの分断”が起きることを恐れる。

2011年12月6日火曜日

もはや埋め難き溝

震災で壊れた道路脇の溝のことではない。壊れた溝や側溝は工事すれば治る。日本人の心の中や頭脳の中に生まれてしまった「溝」。もはや埋め難きものとなっているような気がして。その溝を埋めないと復旧も再生もあり得ないと思うのだが。

国民の、特に被災者、原発被害者。そこに生まれた政府や行政に対する不信。それは今、なお増幅の一歩をたどっているような。

顕著なのは原発事故への対応。政府に対する不信を作った「犯人」。それは数限りなく繰り返された枝野官房長官の記者会見。「ただちに」「いまのところ」発言。東電と保安院の曖昧さ極まれりの記者会見。

テレビの映像が原発の爆発を伝えているのに、その内容や意味を伝えないどころか、見えないものは隠そうとする姿勢。

枝野に百歩譲ろう。「いまのところ健康に影響は及ぼさない」。それはいわゆる外部被曝のことであって、多分、彼の頭の中には内部被曝という考えは毛頭なかったのであろう。

とにかく、政府は行政は東電は、事実を過小評価し、ことさら安全を強調した。少なくとも、あの一か月の彼らの発言が真実を伝えているものだったら、今になっての土壌汚染の拡大、内部被曝への恐怖、食物汚染。そんなものは無かったはずだ。

いわゆる専門家という輩を多数集めた中での政府の見解。事実を隠そうとしたのか、誰も何もわからなかったのか。

これは中央政府だけではない。県という地方自治の要に対しても当てはまる。事実や現実を直視しない。知見が全く無い。

放射能がまき散らされた県内からの「脱出者」は6万人。県は新規の避難者は認めないという。

県民の大多数は言う。「国も県も信用できない」と。避難した人も留まった人も、「自己判断による自己防衛」しか手段を持たない。
国民・県民と国・行政の間に出来た溝。修復は不可能に近い。しかし、溝をどうにかして産めない限り、誰も救われないのだ。

旧福島市内の米は全部出荷停止とされた。被害はより拡大している。

別の溝も出来た。以前からあったといえばあったのだが、それを決定的にした。既存メディアとフリーないしはネットメディアとの、まるで敵同士のような対峙。既存メディアは真実を伝えない。隠すとネットは言う。ネットではデマがつぶやかれる。今もつづくこの受け手不在の自己主張。

かなり以前にも書いたが、テレビは40キロ圏内に入って取材することを放棄した。放棄させられた。地元の記者やカメラマンはほぞを噛んだ。しかし「中央」の命に背けない。それを聞いた時、亭主は多分書いた。「テレビは終わった」と。

内情はともかく、一般の市民は、県民は、やはりテレビを唯一の接触媒体と見ている。ネットで情報収集したり、リテラシー能力を働かせることが出来ない人が数多いのだから。ネット至上主義と声高に言う人はわかった欲しい。SNSも含め、その環境が整備されている人は国民全部ではないことを。使えない人たちが数多くいることを。

この情報メディアの溝もたぶん埋まらないだろう。高度に成長した情報化社会が達成されたと勘違いしている人たちが多い現代社会なのだから。

そして・・・・。県外に避難した人と避難しなかった人との間にも溝が深まる。

同じコミュニティーの中で暮らしていた人たちの間にも溝が生じてきている。

そして犯意が全く存在しない者同士で、被害者と加害者という分け方がされ、日本人同士に大きな溝が生まれている。生まれてしまった。

どうやって溝を埋めるのか・・・。カオスの名はカオス。混沌の中を生きる・・・。

2011年12月5日月曜日

本は読みたし、されど叶わず

時々の「私事」ですー。

3・11以降、無性に本が読みたくなっています。もちろん震災関係や原発関係もさることながら、気持を落ち着かせる、別の世界に束の間いざなってもうらう。考えるヒントを探す。勉強する。いろんな意味で。

4月、5月はいつも亭主は、ま、今でもそうですが、当ブログで怒ってばかりいました。そんな亭主の精神面での“健康”を気遣ってか。友人のマサルちゃんが息子に託して、本を数冊持ってきてくれました。

有り難たかったです。その一冊「バチカンの聖と俗」。バチカンに駐在していた大使の書いたもの。

「なぜローマ法王は日本に対してメッセージをもっと発しないのか」と思っていた時でもあり、なぜ宗教者は震災を語らないのかと疑問に思っていたときでもあり、いささか気がまぎれました。

塾生の一人もマサルちゃんと同じ思いを持ってくれたのか、本を送ってくれました。僧侶たちが書いた「覚悟の決め方」。仏教者として書けるギリギリの範囲で物を書き、生き方を説いていました。

その他、本屋に行って、財布の中身と相談しながら、結局本を買いまくり。ページを繰っていない本もあり。しこたまため込んでしまって・・・。

なぜ、次々と読破出来ないのか。原因は「目」です。本を読んでいると、目がとにかく疲れる。痛くなる。そして眠くなってしまう。目薬差しながらの読書も限界。

目からきたのかどうかはわかりませんが、先日やった頸椎症。ようやくおさまりかけたら今度は腰に、足に。痛みとしびれ。

頭は活字を求めているのに体がついていかない。

「ねじれ亭主」ですな(笑)。

しかも、この寒さで風邪気味となり。あはは、満身創痍だ。

きょうはこのブログアップしてから、明日の塾の講義の準備。塾が終われば、月3本は最低書かなければいけない原稿に・・・。

パソコンが目に悪影響を与えていることも十分承知なんですが。講義の準備するために本を取り出す。ちょっと読む。また目にくる。原稿書きに飽きたら本を読みたくなる。

昨日から読みだした本。川内村在住だった、たくきよしみつという人が書いた「裸のフクシマ」~原発30キロ圏内で暮らす~。帯封にあるのは「マスコミがまたく報じない3・11後に地元で始まった悲喜劇」とある。

目薬差して、目をタオルで暖め、時々は目頭を指で押さえ。読みふけりたいけど読めない。そして読んでいられない。

塾の準備急がねば。塾の模様はまた後日・・・。

2011年12月4日日曜日

郡山の野菜たち

郡山のNPO法人郡山農学校や郡山農業青年会議所。野菜やコメ作りに日夜専念してきました。

きょうはひさしぶりの「あぐり市」。郡山の町のど真ん中での野菜の直売。寒い風が吹くすさぶ中、生者者達が手塩にかけて育てた野菜が数多く並べられました。

なにせこのご時世。野菜の販売は難しい問題。生産者達はそれぞれ独自に線量計を自腹で購入。測りに測ってnot detected。ND。未検出を確認の上での出品。

いろんな種類の野菜達が並べられ。野菜達は皆元気そう。みずみずしさをより増したような。

ここの野菜。とにかく美味です。そして安い。農家の心がこもっている。地元のおなじみさんが立ち寄り、中には旅行者の方も味見をし。

震災以来初めての市です。

亭主は相変わらず痛みを持ったからだなのですが、顔出し。農家の人や野菜クン達に声をかけて。

とにかく、市のやっている通りは寒いのです。昨夜からの突風の名残もあり。「完全武装」の生産者。誰が誰やら顔が判別出来ないくらい。でも、皆にこやか。風をものともせずの根性。販売出来てよかった。

買われる野菜たちもどことなく嬉しそうに見え。

ビルの陰に入っての一服。苦労話を聞いて。みんな放射能の事に関してはずいぶん勉強したとか。とにかく詳しいです。検査体制もちゃんとしているようです。

この人達を放射能はどれだけ苦しめたのか。でも、苦労話はしても彼らは誰も「愚痴」を言わなかった。代々、土と暮らしてきた人達のたくましさ。
時折差し込む冬の日差しが、せめてもの彼らに対する「差し入れ」か。

今夜の我が家。野菜ふんだんの鍋となる模様。ふるまわれたコシヒカリの炊きたてご飯もおいしかった。

2011年12月3日土曜日

「閉塞感」

3・11以前、この国の有り様を語るためにメディアはいろんな言葉を使い、時代の様相をひとくくりにしていた。

例えば、無縁社会だの孤族だの。ニートだのロスジェネだの。

大地を揺るがす大きな地震、すべてを呑み込んだ津波。そして原発の爆発。

社会をひとくくりで語る言葉は無くなった。

無縁社会だったのが、絆という言葉にとって代わられ、地域コミュニティーが叫ばれ・・・。

閉塞感という言葉も“流行”していた。例えば政権交代も“閉塞感”を打破したいという民意だったとか。

その閉塞感という言葉も姿を消していた。もともとこの言葉。何に対しての、どんな閉塞感という記述が無いもの。漠然とした「空気」をさしていたものだったから。

最近、この閉塞感という言葉が“復活”してきた。事件があると、その解説で言う。「背景には閉塞感があるんでしょうね」とか。

原発反対運動。3・11前までは、一部政党や、団体に組織化された人達、そして理念を共有する人たちだけのものだった。

しかし、今は様相を一変させた。実害はともかく、放射能汚染という事実は、あらゆる国民の中に反対の機運を盛り上げ、さまざまな運動へと向かわせている。
これらの小市民的運動を、やはり「閉塞感の打破」という言葉でくくろうとする人達もいる。

原発と閉塞感と。閉塞感を身にしみて味わっている人達は、仮設に暮らす「原発避難民」。せまい部屋に閉じこもり。

この季節の冷たい雨・・・。家から出ることがためらわれる雨。頭の中にはいろいろなことが駆け巡るが、亭主の気分ももしかしたら「閉塞感」かも。

仮設の窓から見える景色は、また仮設。雨があがったら寒いだろうが表に出て見てください。
少なくとも郡山にある仮設はちょっと歩を運べば山が見える。山をみて少しは閉塞した気持ちを忘れて下さい。

晴れたら空を見てください。あなた達が暮らしていた村や町と同じような「ほんとうの空」が見えるから。

♪晴れた日には永遠が見える♪。亭主が若いころによく聴いていたジャズの一品。永遠。Forever。今の暮らしが永遠に続くものでないことを願って・・・。

それにしても、この多様で、複雑な世の中を、たった数文字の言葉で括って、世相を言い当てたかのようにいう「識者」達。一つの言葉ではくくれません。
被災者の心の内は。

2011年12月2日金曜日

カレンダーが行き来する季節

12月。きょうは思いのほか寒いです。寒い。安普請の事務所は冷え込んでいます。エアコンでは暖まらない。灯油を買いに走りました。

仮設住宅に暮らす人たちの事が頭をよぎります。仮設も様々。断熱工事がしてあるところもあれば、そうでないところも。狭い住宅、すぐ脇が窓。寒気が忍び込んできます。仮設では極力石油ストーブの使用は控えているということ。もちろん火事に対する配慮。エアコンと炬燵。とにかく冷えるそうです・・・。

友人に橋本広喜という県内ではそこそこ名の知れた版画家がいます。30年近く福島の風景を書き続けてきました。冬の光景を題材にしても、雪景色の中から暖かみが感じられる絵を描きます。自分の作品をもとに毎年カレンダーを作っています。彼の作品のフアンの中には、その月が終わると、その絵を切り抜いて額に入れて飾っています。
もちろん亭主もそのカレンダーの愛好者です。

友人に安藤元二という男がいます。東日本ダイワという建設関係の会社の社長。
その会社も橋本画伯の絵のカレンダーを毎年作ってきました。
会社用のは絵は6枚。一枚二か月のカレンダー。

福島を題材にしてきた画伯が取材範囲を東北六県に広げました。震災後、来年のカレンダーをどうしようと「企画会議」をやりました。震災をどうとらえるかも含めて。鎮魂の意味も込めて寺や神社を題材にしようとか、穏やかな風景にしようとか。

そして画伯は東北六県を回りました。

出来上がったカレンダー。「みちのくの四季」。表紙にはもちろん「がんばろう東北」のメッセージが添えられています。

宮城県は塩釜神社。青森県は弘前の春。岩手県は平泉。秋田は冬の角館。山形は熊野神社。そして福島は大内宿の半夏まつり。

このカレンダーは、今年は3千部作られました。2千部は仮設住宅に住む人たちに贈ろうと。その2千部を福島県内と宮城県の仮設住宅に運びました。
もちろん、全部の住宅に届けられるわけでもなく、“責任者”の方に預けてきましたが。集会場の貼られた「告知」見て、手にした人は大喜びだったということです。

手狭で、なにかと殺風景な仮設に、あのカレンダーがいくらかでも温かさを与えてくれたらと願うばかり。

そして画家の意気込みと、企業の「社会的貢献」について、あらためて考えさせられた次第。ちょこっとであっても・・・。

亭主もおすそわけで貰ったそのカレンダー。1年間、楽しくお付き合いさせてもらいます。

2011年12月1日木曜日

「琉球処分」と「東北処分」

防衛省の沖縄防衛局長の「発言」。もちろん許されざるものであることは言うを待たない。

オフレコ懇談と言う中で、酒が入っていたとしても、断罪に値する。それをすっぱ抜いた琉球新報を評価する。そこには沖縄県人としての気骨があるから。

「通販生活」のCMを放送拒否したどっかのテレビ局との落差。

琉球処分。琉球を沖縄として「本土」に組み込んだ明治政府。太平洋戦争で多くの被害を受けた沖縄。戦後、施政権はアメリカにあり、日本でありながら日本でなかった沖縄。「パスポート」を持って沖縄に行った頃が思い出される。

「沖縄の返還無くして日本の戦後は終わらない」。時の総理大臣佐藤栄作はそう言った。返還されて沖縄県が誕生したものの、そこにはなんら解決されない米軍基地。沖縄にとって、戦後は終わっていない。
この国の安全を担保するための沖縄駐留米軍。内地はそれを共有しようとしない。米軍基地を沖縄に閉じ込める。あきらかに「差別」である。

沖縄にたいする、それが、たとえ“無意識”であろうとも「差別」がある。それは、この防衛局長だけでなく、政府はじめ、各所に存在するのではないだろうか。

河北新報という新聞がある。その名の謂われ。かつて「白河以北一山百文」と東北地方が中央政府からさげすまれた頃、それに反意を示すために付けられた新聞社の名。平民宰相と言われた岩手出身の原敬は号を「一山」とした。

地方紙にはそれなりの気骨がある。

東北処分、福島処分。東北差別、福島差別。原発事故を契機に、山百文的感覚が日本人の中に蘇ってきてはいないだろうか。瓦礫処分にしても然り。放射能問題についてはまさに。

米軍基地を沖縄に閉じ込めようとする発想。放射能を福島県内に「閉じ込めよう」とする発想。無意識の「差別」。
野田首相は就任演説で言った。「福島の、東北の復興なくして、日本の再生はありえない」と。佐藤栄作の演説がデジャブする。

放射能と「闘う」福島県民は、かろうじてヒロシマ・ナガサキを語る資格を得たのかもしれない。そして、処分・差別という意識の中では、オキナワを多少は語る資格を得たのかもしれない。苦難の差は彼の地に及ぶべくもないが。

沖縄県の元知事、大田昌秀さんは、その著書の中でこう書いている。
「日本人は醜いー沖縄に関して、わたしはそう断言出来る。“醜い”と指摘したのは心性のことである。理解ある同胞という顔をしながら、痛みの分担になると背を向ける。そんな時にふと見せるのが、仮面の裏に隠された“差別”というもう一つの顔である」と。

福島県民は、いま、仮面舞踏会のステージに立たされているのだろうか。