2011年12月1日木曜日

「琉球処分」と「東北処分」

防衛省の沖縄防衛局長の「発言」。もちろん許されざるものであることは言うを待たない。

オフレコ懇談と言う中で、酒が入っていたとしても、断罪に値する。それをすっぱ抜いた琉球新報を評価する。そこには沖縄県人としての気骨があるから。

「通販生活」のCMを放送拒否したどっかのテレビ局との落差。

琉球処分。琉球を沖縄として「本土」に組み込んだ明治政府。太平洋戦争で多くの被害を受けた沖縄。戦後、施政権はアメリカにあり、日本でありながら日本でなかった沖縄。「パスポート」を持って沖縄に行った頃が思い出される。

「沖縄の返還無くして日本の戦後は終わらない」。時の総理大臣佐藤栄作はそう言った。返還されて沖縄県が誕生したものの、そこにはなんら解決されない米軍基地。沖縄にとって、戦後は終わっていない。
この国の安全を担保するための沖縄駐留米軍。内地はそれを共有しようとしない。米軍基地を沖縄に閉じ込める。あきらかに「差別」である。

沖縄にたいする、それが、たとえ“無意識”であろうとも「差別」がある。それは、この防衛局長だけでなく、政府はじめ、各所に存在するのではないだろうか。

河北新報という新聞がある。その名の謂われ。かつて「白河以北一山百文」と東北地方が中央政府からさげすまれた頃、それに反意を示すために付けられた新聞社の名。平民宰相と言われた岩手出身の原敬は号を「一山」とした。

地方紙にはそれなりの気骨がある。

東北処分、福島処分。東北差別、福島差別。原発事故を契機に、山百文的感覚が日本人の中に蘇ってきてはいないだろうか。瓦礫処分にしても然り。放射能問題についてはまさに。

米軍基地を沖縄に閉じ込めようとする発想。放射能を福島県内に「閉じ込めよう」とする発想。無意識の「差別」。
野田首相は就任演説で言った。「福島の、東北の復興なくして、日本の再生はありえない」と。佐藤栄作の演説がデジャブする。

放射能と「闘う」福島県民は、かろうじてヒロシマ・ナガサキを語る資格を得たのかもしれない。そして、処分・差別という意識の中では、オキナワを多少は語る資格を得たのかもしれない。苦難の差は彼の地に及ぶべくもないが。

沖縄県の元知事、大田昌秀さんは、その著書の中でこう書いている。
「日本人は醜いー沖縄に関して、わたしはそう断言出来る。“醜い”と指摘したのは心性のことである。理解ある同胞という顔をしながら、痛みの分担になると背を向ける。そんな時にふと見せるのが、仮面の裏に隠された“差別”というもう一つの顔である」と。

福島県民は、いま、仮面舞踏会のステージに立たされているのだろうか。

1 件のコメント:

白田川 一 さんのコメント...

 今の日本と言うのは、基本的に薩長の路線を踏襲しているので、その分だけ始末が悪くなってしまうんですよね。東北処分や琉球処分と言うのも、今、その現実について伏せられている男性差別と通ずるものがあるように思えてなりません。薩長政権は自分らの汚点を伏せて美化すると言う手法を頻繁に採ってきたのですが、それをフェミ勢力が真似て「薩長かぶれ」し、自公にすり寄って天下を盗るに至ったようなものです。自公はすっかり「親米売国左翼」と化したようなものですが(小泉政権以降、その傾向が特に顕著となった)、自公やフェミらのポピュリズムで洗脳された馬鹿女子らは、いずれ第二次大戦終戦時のような十字架を負わされて猛省させられる運命となるでしょうけど、もうこれ以上その時が来るのを待っていられません!!


 秀吉の様なイケイケドンドン路線から脱し(薩長・左翼・女子どもはそれを真似てる)、家康の如き不戦安定路線へと切り替えないと日本が滅びます。

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