2012年8月30日木曜日

「福島を語る」ことの断片

友人と久しぶりに飲みながら、ゆっくり時間をとって喋った。お互いに今の世情のもろもろについて語り合いたかったから。

政治に始まって、災後のことのいろいろ。お互い、政治についてはもはや絶望という思い。彼は地元のいろいろな選挙に関わってきた、いわば”プロ“。その彼をして言はさしむ。自民党への痛烈な批判。彼は党員。それも熱心な。
そんな人が自民党を否定しているということ。

中央政界から始まって、県知事への批判。そして県議達は「いったい、彼らは何をしているのだ」という嘆き。共に共通の名前を挙げながら。

「じゃ、どうする?解散になったら?誰を立てる?推す?」。
「誰もいない・・・」。

もう一人の友人も加わる。痛烈な県政批判。県民から支持されない県政。
政治と言う観点から言えば、福島県民は、やはり“見放されている”と。

その“不幸”だけを嘆いていてもはじまらない。なんとかしようよ。地味に地道に活動している若者を応援しようよ。

福島県民のありように話が及ぶ。

郡山では“有名”なある婦人。昔、結婚して沖縄に嫁に行った。たしかご主人は会計士だったと。過日亡くなられたが。

その婦人はご主人亡きあとも沖縄県民とした公私ともに活躍している。時々、生まれ故郷の郡山に戻ってくる。かれはその人と会った。そして、福島県から、郡山から沖縄に“自主避難”している人達の実態を聞いたという。

その婦人は那覇で各種の婦人団体に参加している。原発事故後、沖縄に自主避難してくる、自分の故郷、郡山の母子を歓迎し、歓待した。面倒も見た。やがて、どっかに“違和感”を覚えるようになった。いわゆる“ママ友”という人達に電話やメールで伝える。「そっちは危険だから、早く沖縄にいらっしゃい」と。県人会が出来るくらいに増えた自主避難者。
沖縄の県民所得は低い。沖縄県民よりも“優雅”な生活をしている福島県民が生まれる。
そして、行政に対しても要求がエスカレートしているように感じられるようになった。

そんな話だ。

米軍基地で苦しむ沖縄県民に、どれだけの福島県人が関心を寄せてきたか。ほとんどゼロであろう。3・11前の福島の日常には沖縄はなかった。

何十年という歳月を沖縄で過ごしている彼女には、どうしても“違和感”があるし、ある種の哀しさまで感じるという。

なぜ、今のタイミングでの発表か。その意図はわからない。県の推測では30年後には福島県の人口は4割減っているという。数年前までは220万人に人口だった。今は190万人台。その4割が減る・・・。

話は4時間にも及んだ。そろそろ帰ろう。また近いうち会おう。そして3人で笑った。我々の「近いうち」はそのまま実現させるということだぞと言わんばかりに。

先日書いたSL物語。きのうはテレビユー福島がローカル特番で1時間放送していた。あの沿道、沿線で手を振っていた人達に信を置く。
そしてあのような番組が、決して全国ネットの番組にならないことを知っている。

沖縄と福島と。「封じ込め」という共通項があるとボクは語ってきた。そして、新たな、問題にもなりかねない、福島と沖縄の人間模様が出来ることを恐れる。

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