2012年9月30日日曜日

子供たちの「本音」

あの時以来、子供たちは本音では何を感じ、何を思っているのだろう。
一見、無邪気そうに遊んでいる子供にしても、「あの時」のことや、それ以降のしばらくの事を聞くとあまり答えない。逆に口を閉ざす。

テレビを見ていて何を思っているのだろう。大人たちの会話や行動を見ていて何を感じているのだろう。

接しているこどもたちは、なにか、親の事を、親が言うことに敏感に反応しているように見えて。

口にはしないことを書かせると、書くと、鋭いことを書く。言う。

見て拾った言葉。

「絵をかいて、あの日を思ったかなしき夜」
「ほうとうは、自分自身を助けたい」。

小学校4年生の文章です。震災、津波、原発事故を経験した。

「家が建てられ、街の形が整えば復興になる。それは違います。全ての人がつながり、温かい思いがあふれるような未来になること。それが本当の復興だと僕は思うのです」。

警戒区域から避難しているこどもの言葉。中学生です。

タウン誌の座談会に参加した時、真の復興とは精神の復興だと喋ってきました。
その気配が今のこの国に見られないから。

すでにして、カネと欲と自己保身に身をやつす人達が主流を占めているようだから。体裁を取り繕うことの執心している人がほとんどだから。

そんな事を子供たちはとっくに見抜いている。

もしかしたら、あの日やあの出来事は、その後の事どもは、かえって立派な子供を作ったのかもしれないと。

逆境の方が子供は立派に育つのかもしれないと。

郡山の子供たちも普通に学校に通い、幼稚園に通っています。家の周りでボール遊びに余念がありません。

「横断歩道を渡るときは気をつけて、交通事故に気をつけてくださいね」。そんなお手紙をもって、きのう近所の子供たちがきてくれました。しばらく家の中ではしゃいで、しゃべって帰っていきました。

“憂国の士”を気取る大人たちは、ネットで安部晋三の“カツカレー”で盛り上がり、あげく新聞社のビルに入っているレストランのカレーの値段を比較し。

テレビのワイドショーキャスターもそれを話題にし。その値段を。

「あんらのギャラではその何倍もの値段のカレーが食える」。それを殊更話題に
することなのか。

ついに大手新聞社も“参戦”。カツカレーをめぐるコラムまで組む始末。

この国は“貧困”だ。貧困なるがゆえに、3,500円のカレーを問題視するのか。そのことを云々すると言うこと自体、日本人の一部が精神的貧困に陥っているってことじゃないのか。

帰り際、子供たちが言っていた。「今夜のウチのご飯はカレーだよ。お母さんが作ったカレーだよ」。嬉しそうだった。

かれらが、10年後、20年後、「あの日のあの事」をどう語るのか。「今の世がどんな世の中なのか」。敢えて教えないでおきます。彼らなりの感受性できちんと受け止めていると思うから。

大人が教えたことが全てではない。彼らが体験し、感じたことを、彼らの言葉として発するはずだから。

子供たちが突くバスケットボールの音と笑い声が窓の外から聞こえてくる日曜日・・・。

2012年9月29日土曜日

「最終処分場」のこと

国は福島県に約束した。仮置き場と中間貯蔵施設は県内にしてくれ。最終処分場は国が責任をもって県外にすると。高濃度の放射性廃棄物の行方。

中間貯蔵施設の場所も未だ決まっていない中、国は「最終」の埋め立て地の選定に動いた。

最初は栃木県の矢板市。疑念と反対の声。宙ぶらりんのまま今度はいきなり茨城県の高萩市。市長は反対。

突然の訪問、突然の要請だったという。環境副大臣の訪問。

これらをめぐってのマスコミの扱いは極めて小さい。地方紙以外は。

最終処分場。それは国にとって重要な決定である。それを副大臣がいきなり持ちかける。そうだとしたらこんな幼稚な話は無い。いや、“偽装”としか思えない。

国で練りに練って、相当な根回しや“工作”をして、持ちかける話である。

いきなり、突然。それは、断られることをわかっていてのパフォーマンスだとしか思えない。それを見抜いているからマスコミの扱いが小さいのか。

「やってますよ、動いていますよ」という福島県に向けての“だまし”だ。

中間貯蔵施設がどうにか決まったとして、その数年後、福島県に言ってくるのだろう。「いろいろやりましたが、結局ダメでした。ここは一つ・・・」てな具合で。

その頃、どんな政権が出来ていて、原発政策がどう展開しているかわからないが。原発から出るすべての“ゴミ”に対して。

富岡町は「今後5年間は帰らない、帰れない」と決めた。すでに大熊町でも決めている。浪江も。

今後5年間―。5年後の街の姿を想像できるか。荒れ果て朽ち果てた街になっているかもしれない。町は町であって、町ではないだろう。

仮に除染が進むとして、それはほとんど期待が持てないが、どうやって5年間待つのだ。
「仮の町」で待てというのか。

移転を考えている人も大勢いる。しかし、東電は一括賠償に応じない。国もそれを叱責しない。

最低5年はつづく“無人地帯”。そこは格好の貯蔵施設候補地になり得る。そして、核の“ゴミ”の一大集積所になる。想像に難くない。

この想像が、国のずるさ卑怯さの指摘が間違っていて、後年、「お前は嘘つきだ」と非難されたらなんと嬉しいことだろうと。

2012年9月28日金曜日

「安酒の酔い」。村上春樹は語る

作家の村上春樹が朝日新聞にエッセーを寄稿した。前振りは一面トップ。東アジアの領土問題に関して。

「国境を越えて魂が行き来する道筋」と名付け、いわゆる文化交流の視点からだが。それを塞いではならないと。
長くなるが一部を引用―。

国境線というものが存在する以上、残念ながら(というべきだろう)領土問題は避けて通れないイシューである。しかしそれは実務的に解決可能な案件であるはずだし、また実務的に解決可能な案件でなくてはならないと考えている。領土問題が実務課題であることを超えて、「国民感情」の領域に踏み込んでくると、それは往々にして出口のない、危険な状況を出現させることになる。それは安酒の酔いに似ている。安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。論理は単純化され、自己反復的になる。しかし賑(にぎ)やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ。
 そのような安酒を気前よく振る舞い、騒ぎを煽(あお)るタイプの政治家や論客に対して、我々は注意深くならなくてはならない。一九三〇年代にアドルフ・ヒトラーが政権の基礎を固めたのも、第一次大戦によって失われた領土の回復を一貫してその政策の根幹に置いたからだった。それがどのような結果をもたらしたか、我々は知っている。今回の尖閣諸島問題においても、状況がこのように深刻な段階まで推し進められた要因は、両方の側で後日冷静に検証されなくてはならないだろう。政治家や論客は威勢のよい言葉を並べて人々を煽るだけですむが、実際に傷つくのは現場に立たされた個々の人間なのだ。

村上春樹作品のフアンである。彼の著作の大方に触れた。彼の作品は中国でもベストセラーに入る。

なぜこの時期に、いやこの時期なのだろうが、朝日が村上に書くことを依頼し、なぜ村上がそれを快諾したのか。経緯、意図はわからないが。

3・11後、彼の著作を期待していた。知り得る限りでは、彼は沈黙したままだったような。ドキュメンタリーノベルとしてオウム事件の後、ウアンダーグラウンドを書いた彼が、それはどこかで作家の視点から、オウムの本質をついていたような気がしたからか、「3・11とその後」について書いてほしかった。

それはともかく、「安酒の酔いに似ている」。ある意味うまい表現かもしれない。
安酒。戦後、いや、それから10年以上経っても、新宿の西口の線路際にあった立ち飲み屋のような居酒屋。そこで大人たちは毎晩のように安酒を、メチルアルコールのようなものをひっかけ、何やら喚き、暴れ、殴り・・・。
その居酒屋街は、いわばバラックの建物であり、その狭い通りは喧騒に満ちていた。そして退廃の匂いがした。そんな大人たちを、隠れるようにしながら見ていた・・・。

村上エッセーをどう読むか。人それぞれだろう。上手い比喩だと言えばそうだ。メタファと言えばそうだ。メタファ、それは村上が好んで使う言葉。
安酒という一語が、ボクには、戦後の光景に重なる。安酒、その二文字は戦後を語るに足る表現として映る。彼はこの二文字に何かの意味を持たせているのかもしれないから。

もう一つ。作家で僧侶の玄侑宗久が地元紙、福島民放に寄せた日曜論壇の一節も引く。

「全国的にも決して高い線量と言えない会津地方にさえ、風評被害が及ぶ現実・・・。福島と聞けば怯えるこの国の人々が、日本製品は買わないという彼の国の人と、大差なく見えて仕方がないのである」。

その日、その日を、狭い視野で追い、見る者、読む者に的確な判断材料を与えないマスコミよりも、文学者の視点の方が、はるかに鋭いのかもしれない。

かつて、漱石や龍之介がそうであったように。

2012年9月27日木曜日

「民意」と「永田町」のかい離

それを嫌だと言いながら、つい政治の話を書いてしまう自己嫌悪。ちょっとだけお許しあれ。

きっと野田はほくそ笑んでいるのかもしれない。安部が自民党の総裁になったことを。野田が自公民という大きな枠組みで政治をやっていこうと、とりあえずの課題、赤字公債法案成立を図ろうとするなら、政策的に一致出来る部分がある石破の方がパートナーとしてはよかったかもしれない。しかし、実は手強いと踏んでいた。

安部、彼には「敵失」が期待出来る。民主が“過去”を攻め込む余地がある。
さらに、安部選出に至る民意なるものの反映。それも多数の民意ではない。
いわば「身内」の党員の民意に背いた結果が、次の選挙で地方組織の活性化を失ってしまうだろうという“敵失”も。

ま、安部でも石破でも、どっちでもいいことなんだけど。総裁選のシステム、党員票と議員票。党員票を数多く獲得した石破。それが、いわゆる“人気投票”であり、“素人”の票であろうとも、”プロ“の議員票では逆転された。

その「かい離」が嫌なのだ。民意が反映されない政治と言うものをあらためて見せつけられたのが嫌なのだ。まして、重ねて言うが、その民意とは「身内の民意」だったのに。

かつて、自民党の総裁選には総裁予備選という制度が導入された時があった。
1978年の総裁選。福田赳夫対大平正芳。田中角栄、後藤田正晴の“暗躍”で、大方の予想に反して福田は党員による予備選で負けた。
「天の声にも変な声がある」。そんな“名言”を残して福田は本選挙を辞退した。

その予備選に当たるのが今の党員票。「天の声」は石破だったのだが・・・。

きのう早速秋田県連の4役が辞任した。民意が反映されていないとして。
自民の地方組織崩壊の予兆か。青森でも、山梨でも、県連から疑問符が出されている。

福島の民意、それも石破が勝っていた。被災地の民意なぞ届かないってことの証左とまではいわないが、総裁選の「制度」の欠陥。

昨夜のテレビを見ている限り、安部へのインタビューを見ている限り、三党合意を聞き、今後の国会対応を聞き、選挙を聞き、領土を聞くが、消費税増税については誰も聞かない。正面切って。

選挙、選挙。安部は言う。選挙やって何が変わる。

野田は選挙のために細野を党の顔にした。ある意味福島を切った。
安部で選挙は自民に有利に働くのか。自民党員は自民党の候補に入れるだろうが、党員の民意に背いた総裁ということで、民主に有利に働くかもしれない。たぶん、そう思って野田はほくそ笑んでいる。
いやそれよりも、自民、民主の体たらくを見ている有権者は、維新に流れる可能性大。

維新の会がイニシチャチブをとる混沌とした政局。それにキミ耐えうるや。

今度の総裁選ではっきり見えたこと。それは旧来の派閥はもはや解体したということ。今まであった派閥の残滓もことごとく消えたということ。

それが自民党にとってよかったか、悪かったかは、わからない。党史を誰かが後日書けば、歴史の転換点とでも書くかもしれない。

福島から世間の、メディアの眼をそらさせようとしていたかのような政治ショーはことごとく終わった。

民主でも自民でも構わない。本気で「福島」に取り組んでくれよ。さまざまな観点、さまざまな意味で。

一昨日の報道ステーション、前中国大使が出演。政治家のパイプが無いと嘆いていた。唯一名を挙げて彼が評価したのが、6年前の「安部訪中」。
総裁選前日に個人名挙げての評価。うさんくさい気はしたものの、「中国通」が評価したのなら、野党党首として、尖閣解決に、日中問題解決にいかなる挙に出るのか。国を思う心意気が真にあるなら、身を殺す覚悟はありやと聞いてみたい。

外交音痴の野田を助けてやっても、それがこの国にとっての「負」にはならないはず。今の中国に対して、「安部人脈」が機能するのかどうかは定かではあらねど。

とにかく政治ショーはひとまず終わり。そして、尖閣はじめとする領土問題、オスプレの沖縄。すべてが藪の中、そして“不毛地帯”なりと。「冷静に対処」という中身の見えない言葉だけが独り歩きする・・。

2012年9月26日水曜日

「舟」と「潮目」と

自民党総裁選、まさに“政権交代”になるような騒ぎであり。それに隠れたような、民主党の閣僚、党役員人事。

そんな“大物”の騒ぎをよそに、こわっぱどもが何やら蠢いている。自民党を離党、民主党を離党、みんなの党を離党。
もはや泥舟に乗っているのは身の危険とばっかりに、維新の会にひたすら頭を垂れ。見苦しい。

政治家は好んで「憲政の常道」という言葉を使う。あるべき姿と捉えよう。

簡単な話し、比例区で政党名の名のもとに当選した議員は、他の政党に行くのは裏切りである。新党の場合はその限りに非ずということで、法的には許されている。しかし、道義的にはおかしい。

壊滅寸前のみんなの党の江田幹事長が「議員辞職をしてから行くべきだ」と激怒したというが、その通り。

でも議員辞職した“議員”は維新は欲しくない。政党要件を確保するためには現職が必要。

少なくとも有権者は、その政党に所属しているからということで一票を投じたわけだから、特に比例区は。鞍替えは選挙民の“民意”を覆すということになる。

泥舟に愛想を尽かして、船の中で書いたという八つの“政策”を旗印にしている大きくなるかもしれない船に身を預ける。卑怯なる振る舞いと。

潮目を見て乗る船を変える。乗った舟も泥舟になりかねない。たぶん成る。

こういう奴らを称して言う。「新しものがりや」と。

中国の古典は、今や中国のものではない。中国は儒学を含め、先人の教えを捨てた。よきものはよしとする律義な日本人はその教えを咀嚼する。

貞観政要の一節。

「君は舟なり、人は水なり。水は能く舟を載せ、亦能く舟を覆す」。

自民も民主ももはや泥舟。その泥舟の船長目指した争いが今行われている。
どんぐりの背比べ。お池にはまってドジョウがこんにちはって出てくるのか。

どじょうも泥舟。

選挙はどうなる。それまでにまた潮目は変わる。

福島に対する、被災地に対する潮目は、潮の見方は変わった。もう見るべき潮目ではないような。舟は来るのか。人々は未だ漂い続けている。

そして尖閣列島波高しだ。この国の向かう先が見えない。

2012年9月25日火曜日

政界とマスコミの“癒着”

“癒着”なんて言葉を使うと、週刊誌記事の見出しみたいであり、仰々しいが、ま、単なる“出自”、“人脈”とでも思ってください。

民主党の人事、自民党の総裁選の顔ぶれ見ていて、ふと思いついたこと。
政界にマスコミ出身者がいかに多いかということ。

幹事長代行になった安住は前歴NHK記者。石原展光は日本テレビ記者。だからどうだって言うわけじゃないけど、政治家の“評価”にはその前身、経歴がよく語られ、それをもってその人の立ち位置がうんぬんされる。メディアはそれを好んで書き、判断材料とする。たとえば輿石、元日教組というように。菅は市民運動家だったというように。それはその通り。若いころ叩き込まれた“精神”はそう簡単に抜けるものではない。政治家としての判断の基準に前歴、経歴は微妙に影響している。

しかし、マスコミは書かない。その人がマスコミ出身者だから、どうだこうだという評価はしない。

咄嗟に浮かぶだけでも、マスコミ上がりの政治家はかなりいる。小宮山洋子はNHKのアナウンサーだった。三宅雪子はフジテレビ記者だった。
おっと、いた。テレビ朝日アナウンサーだった丸川。

今や派閥の長になった額賀は元産経新聞政治部記者。中川秀直は日経の経済部。
大島理森は毎日、いやいや、まだまだ続々といる。東北放送のアナウンサーや、読売出身も。

「永田町マスコミ会」なんて作ったら、大政党が出来るくらいの人数。

昔、佐藤政権の重鎮だった橋本登美三郎。NHK出身。NHKの中に「西湖会」というのを作り、NHKの地元をはじめとして数多くの職員を就職させた。
海老沢勝二はその筆頭。海老ちゃんは政治家にはならなかったが、影響力は大だった。

政治記者をやっていた時、永田町を徘徊していた時、知り合いの、友人の記者が、政治家になることを志した。政治家の方から乞われた人もいる。
取材者として永田町を見ている時、その政争、政局の渦中に身を置いていると、その面白さに惹かれる。権謀術数、駆け引き、騙し合い。面白いのだ。
そして、また知る。権力の魅力を。
そして政治家になって行った人を多く知っている。

いきなり思い出す緒方竹虎。朝日新聞の主筆から政界に転じた。吉田内閣で枢要な地位を占めた。いきさつはいろいろあるだろう。
当時の言論人、いわばマスコミは、国を思うという視点に於いて、政治と表裏一体であったような。

読売のナベツネさんは、今でも政界に対して甚大な影響力を持っている。朝日新聞からテレビ朝日に転じて来た三浦甲子二も凄かった。政界人脈は半端ではなかった。中曽根内閣、大平内閣の誕生に陰で“暗躍”していた。逸話を語り気はないが、彼の政治行動は知悉している。取り次ぎのようなことまでやったから。

今の政治家とマスコミ幹部との関係は知らない。テレビで見ていた限り、毎日出身の、たぶん、現役記者からすれば「とんでもない」と思っているかもしれないが、三宅久之さんだって、影響量は大だった。

ある意味、ある時、田原総一朗も、政界の内部の人間であるという傾向すらある。

マスコミは政治家になるための“登竜門”であったのか。手段であったのか。
それは松下政経塾の存在とどこか似ている側面がある。
松下塾は、幸之助さんの思いを他所に、いつしか“登竜門”、資格を得るための存在と化した。そして政治家の器は限りなく小さくなり、マスコミも宙ぶらりんのような状況。

善し悪し論ではなく、ふと思ってしまった“人脈図”。

2012年9月24日月曜日

「人事」について

妙という言葉がある。用兵の妙、人事の妙。妙とは、優れていること、うまいことと言った意味。言い得て妙というように。

人事の妙。「組織」の人事をどう決める、どう扱うかによって、その組織や集合体の在り様は大きく変わる。

だから、得てして、社長は、ほぼ一年間“人事”に終始する。人事がその会社の命運を決めることすらある。

例えば、戦時中、いや戦前も。当時の内閣の顔ぶれがどうであったか、それによって、戦争の帰趨も含め、この国のありようは変わっていたかもしれない。いや変わっていたはず。

政界。政権党の人事、内閣の閣僚人事。誰を起用し、何を目指すのか。そこに“人事の妙”があるはず。

記憶の限りでは、いや、経験の限りでは、佐藤栄作は人事の妙を見せた数少ない政治家だった。バランスを考え、敵も取り込み、任すところは任せ。池田勇人にもそれがあった。

官僚上がりは特に人事に意を用いる。経験則として。それが生かされていた時代。

いつの頃からか。派閥順送り人事と言われ、派閥均衡と言われ、滞貨一掃とも言われ、およそその任に相応しくない人達が、そのポストについた・・・。
政治の劣化は人事がもたらした。そう言っても過言でない場合が多かった。

人事は人事権者である内閣総理大臣が行う。そこには、必ず意図がある。その意図を読み取り、何を考えているのかを記者や評論家は読み解く。

明後日に迫った自民党の総裁選。「選挙の顔」「選挙の顔」と言う。言い古された陳腐な言葉・・・。でも、現実、選挙に「顔」は必要なのだ。ある種の“人気投票”となっている以上。
だから、真紀子や進次郎が一時候補として取りざたされた。

どこまで持つのかわからない野田政権。メディアは報じる。輿石幹事長再任。この顔は選挙の顔にならない。

政調会長に細野を持っていく。幹事長代行に安住を。少なくとも細野は選挙の顔になり得る。
野田人事も選挙目当ての人事だと。

少なくとも細野は原発担当大臣として、環境相として、もちろん評価は定まってはいないが、「福島」を知悉している数少ない政治家。

野田はかつて言った。「福島の復興なくして日本の復興無し」と。細野は言った。代表選辞退の理由に。「福島」の解決のためにやらねばならないことがあるからと。

その任を野田が外す。彼にとっては福島は眼中にないってことか。福島よりも選挙の顔探しとしか見えない。輿石は党内バランスのための、政権延命のための姑息な手段。
細野の後任に誰を充てるか。真摯に向き合えるのは誰か。残念ながら、悔しいことに、その候補が浮かばない。居ない。

福島県選出の玄葉光一郎。尖閣問題でも為すすべ持たず。そのポストを持てあましているような。彼とて福島担当の任に非ずとしか見えない。哀しいかな。

その人事をもって何を遂行しようとするのか。それが見えない。延命、保身、選挙のための人事・・・・。かい離は新たなかい離の始まり。そして“絶望”・・・。

人事の妙を尽くしたつもりが、大いなる人事の誤りであった、いや、もうすでに言える。誤りだと。
政権は人事によって崩壊する。内閣改造、党役員人事、それを起死回生の手立てとする“常道”も、野田の力量ではだめだったということか。

2012年9月23日日曜日

・・・彼岸まで。

雨のお彼岸・・・。きょうまでか。寒いです。
酷暑から一転。

暑さ寒さも彼岸まで。よく言ったものです。そして、徐々にではなく急に季節は短い秋に。

正岡子規の句。「毎年よ、彼岸の入りの寒いのは」。

暑さ、寒さ。温度計による数値がそれを示します。それとともにあるのが体感温度。
身体で感じる温度、人によって違う温度差。暑さも寒さも、その地で体感して味わうもの。

今持って言われる「温度差」という表現。被災地とそうでないところと。“被害地”とそうでないところと。致し方ないことなんでしょうが。

ある夫婦“喧嘩”に遭遇しました。知り合いの夫婦。久しぶりにあったのですが。

放射線による被害、避難をめぐって。夫は言います。「とりあえず政府を信用しようよ。その数字をもとに考えて行動すればいい」。妻は言う。「政府の言うことも、マスコミの情報も、ネットも信じられない」。小学生の子供を連れての“避難”を持ちかける妻。夫は応じない。

こんな会話が去年、ずっと交わされていたとか。あげく喧嘩、妻は家出したと。

「え、どこに家出したんだい」とボクは思わず聞きます。
「言えの周り・・・」。

「離婚話しにまでなりかかったんですよ」。夫がボクに説明する。

去年の会話がまた繰り返されている目の前の光景。

妻に聞く。「危険だ、避難しようとなんで、何を基準に判断したんだい」。
「皮膚感覚ですよ。母親としての」。

皮膚感覚か・・・。「その皮膚感覚っていうのがわからないのですよ」。また夫。

もう突っ込まない亭主。これ以上、去年を持ち出しての喧嘩は勘弁と。

「うちの会社にもいましたよ。皮膚感覚で避難っていう女性社員が」。

皮膚感覚か・・・。それに基づいた行動か・・・。難しいな・・・。

「感覚って言われるとこっちが降りるきゃないんですよね」。夫はそう言って後は飲んだ。


・・・彼岸。彼岸の入りの日、近所に住む、元同じ業界の先輩、同業他社の方が亡くなりました。86歳。
きょうは告別式。参列してきました。そして知りました。
亡くなった方は南相馬の原町出身。津波で生家は流され、親戚12人が流された。

去年、3・11後、確かにあまり見かけなくなっていました。かなりふさぎこんでいたということです。

彼岸に行った人達。此岸にいる我々。お彼岸の終わりとともに舞い込んでくる冷気。皮膚感覚だけじゃない、こころの中にもしのびこんでくるような秋・・・。

2012年9月22日土曜日

相変わらずの「記事」の書き方

原子力規制委員会に関する新聞記事。職員が大方経産省から来ることなどに触れ・・。

「早くも規制行政の信頼回復には程遠い人事」との指摘が出ている。

きのうこんな記事を見てしまいました。

規制委員会のことはさておき、この記事にある「指摘」。どこから指摘されているのか、誰が指摘しているのか。
こういう書き方は嫌いだ。取りようによっては第三者を装って“客観的”と言おうとしているのかもしれないけれど。

書いた人が、社がそう思っているんでしょ。だったらそう書きなさいよ。

この手の記事ややり方は枚挙にいとまが無い。
「批判を呼びそうだ」とか昔流行った「成り行きが注目される」とか。
「予断を許さない」「反響を呼びそうだ」
社説、論説でもよく使われる常套句。結語は常に「問いかけ」口調。

記者会見でもよく使うこのやり方。質問で。「なになにという批判もありますが、いかがですか」と言った調子の。

もし僕が質問されて当事者だったら言い返す。「それは誰が言っているのか」と。

自らの主張や考えを明らかにせずに、いわば「世論」みたいなものに、それを勝手に推し量るような感じでの記事。あえて言わせてもらえば「幽霊記事」だと。“誰が”が無いのだから。

曖昧な表現ということなのか。問題提起と投げかけ。そして、悪者と作りたがる。責任を誰かに押しつけようとする。
出所の明確でないことを敢えてよしとする。

今、この世の中は、まさに“混沌”で覆われている。カオス。
それを打破出来ない。民主党をけなす、自民党の総裁選もけなす。二世になんとかと。
それを“指摘”して、その上でどうしようというのか。
常に「投げかけ」で締めくくられてしまう。

新聞が明確な「指標」を書いた、示したとする。必ずそれに「反対」したり、何らかの烙印を押そうとする。

悪者のつくりっこ。もう、いささかうんざりしている。特に原発事故その後の「責任のなるり合い」。それもうんざりだ。

はっきりしない。わからないことだらけの世の中。一挙に冷え込んだ秋の気配のように・・・。