2012年12月18日火曜日

どこにも“高揚感”が無い・・・

わずか2日前のこと、その余韻が列島各地に残っているとは思うが・・・。

新聞や学者は、こぞって票の分析をやるだろう。その意味合いを探るだろう。
的を射た結論がだされるかどうかはともかく、それを冷静に眺めてみたい。

「意識を探る」というのは、ある意味至難の業とは思えども。

自民大勝。維新が地歩と築いた。

でも、予想外とも言える大勝にもかかわらず、自民に、そこに票を入れた人達に、“高揚感”が無い。

勝って兜の緒を締めよ、ということなのか。

自民党もわかっている。積極的な支持では無く。消去法による、民主党への失望がこの結果をもたらしたということを。

それを「他山の石」と受け止めているからだろうか。3年前のようなはしゃぐ様子や、何かが変わると言った期待感はあまり感じていない有権者。

憲法改正論議、その行方だけに目が行っているのも現実。

亭主の関心があった「数字」が出された。白票、無効票の数。やはりというか・・・。
選挙区の無効票は“過去最高”の204万票だったと。

低い投票率。その中で投じられた「白票、無効票」。有効投票率は、数は、もっと少なかったということになる。

「政策に共感出来る政党があっても、その党の候補者がその選挙区にいなかった。それが影響した」と学者は“分析”する。比例区における白票、無効票もぜひ示してもらいたい。それも民意に他ならないのだから。

比例区の自民の獲得票はほぼ前回選挙並みだったという事実。

だから、自民が勝ったのではない、民主が負けるべくして負けたのだということ。

そういう意味では、自民は「大人の政党」に脱皮したのかもしれない。はしゃぎ高ぶらないという現象を見ても。

今後の政局展望は・・・と聞かれる。今夜も聞かれるだろう。どう答えるべきか、「古い政治記者」の感性では読みとれないものがある。解をもたない。そこには「感想」しか存在しないから。

選挙の違憲裁判が提起されるだろう。選挙制度の在り方も言われるだろう。小手先の「定数削減」でお茶を濁すわけにはいかない、今の制度の是非。

選挙の直前、津田大介が上梓した「ウエブで政治を動かす」という本を手にした。読破には至らなかった。

インターネットの発達がわれわれに見せてくれたのは「新しい民主主義」という夢だ。そのとき、少なくともきみは政局ショーの観客の一人では無く、実際にこの国を動かす一人になっているかもしれない。そう彼は自説を投げかけている。

彼の説が、どれくらい今度の選挙に反映されていたのか。ネットでも選挙論議は盛んだった。しかし、彼らの投票行動はどうだったのか。相変わらずの“観客”だったかもしれないし。

原発は自民政権時に出来たものだ。その被害をまともに受けた福島県民も、避難民も、いわば“自民回帰”を選択したと受け取られている。その結果だけの故をもって、「反」の人達は、福島に刃を向け始めている。

避難民の投票率は低かった。それは「あきらめ」の意志表示だったのか。
いや、政党はどこでもいい。よりましな、今をどうにかして欲しいという切望の中で出された投票結果なのかもしれないと思う。

「今をどうにかして欲しい」。その一点。それに誰がこたえ得るのか。

被災地と政治の間の乖離は深まるのか、埋められるのか。
そして、何も変わらなかった・・・それだけを恐れるのだが。現実かもしれない。

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