2013年7月31日水曜日

「福島原発」という名称

日本には54基の原子力発電所がある。4基は壊滅しているが、原発であることには変わりない。

54基のうち、その名称に県名が付けられているのは福島と島根だけ。他の原発はそれが作られている地域名が付けられている。

泊、川内、浜岡、玄海、伊方、柏崎、刈羽・・・なんという県にあるのか。とっさに答えられる人は少ないかもしれない。当該道県の人を除いては。

福島原発の立地地域は双葉郡の大熊町と双葉町である。二つの町に敷地がまたがっている。しかし、双葉原発とも、大熊双葉原発とも呼ばない。呼ばないではない、その名称は付けられていない。

なぜ「福島原発」なのか。原発建設の話が持ち込まれ、積極的に誘致したのが、当時の福島県知事はじめ、県当局だったからだろうか。

仮に、仮にだ、「双葉原発」という名称であったなら、“福島”という名前が、忌避され、嫌われ、差別や同情を、“フクシマ”という表現も、FUKUSHIMAという外国からの表記もなかったのかもしれない・・・。

しかし、そこは「福島原発」だった。「東京電力福島第一発電所」だった。その名称が付けられ、県民がそれを“甘受”してきた以上、そえがもたらした災禍の結果は、県民全部が“共有”しなくてはならないのだ。

風評被害なるものが、遠く百何十キロも離れた会津地方にまで及んでいるのも“共有”ということの一部なのかもしれないが。

約200万人の福島県民の中には15万人の避難者を、どこか他人事のようにみている人もいる。自分のこととして受け止めてはいない人たち・・・。

福島県人が、福島県を見るとき、そこに様々な人たちがいるという福島の実相。

強制避難は0キロで止まった。一時は50キロという話も出ていた。アメリカは80キロまで自国民を避難させた。
事故後、コンパスで同心円を書きながら、計りながら、自分が住んでいる地域が県発から何キロ圏かを“確認”していた人もいた。

避難があったかどうかだけではない。避難すると否とを問わず、福島は皆、大きな“被害”を蒙っている。

事故直後、マスコミの多くは、東京からの指示で50キロ圏内でさえ、取材を自主規制した。線量を図れば大方はわかることなのに、勝手に線引きしていた。

その一事が、今のマスコミ不信への伏線にあるのかもしれない。

一昨年書いたことと同じようなことを書いている。

同じようなことを何回も書いているということは、何も変わっていないということの証左かも。

断片的に伝えられる事故現場の報道。

汚染水処理問題、地下水汚染。東電社長の言を聞いていると「お手上げ状態」という感じがしてくる。
収束どころか悪化しているような感じさえ受ける。

工程表もへったくれもない。数千人の人が“収束作業”に従事しているのもかかわらず、“前進”は見られない。

そこに国が全精力を投じているとはとても思えない。「福島の事」とされているのかもしれない。

福島を乗り越えて、そこをほったらかしにしておいて、次なる再稼働に邁進しなければならないのだろうか。
この国のエネルギー事情なるものは。

きょうも伝えられる浄化装置停止のニュース・・・。


いまさら何を言っているのか。同じ話の繰り返し。そうですよ、年寄りは何回でも同じことを話すものなんですよ。

2013年7月30日火曜日

一括りには出来ない「福島」

佐村河内 守の交響曲第一番「HIROSHIMA」をじっくり聴いた。大げさに言えば、対峙する想いで、向き合う想いで聴いた。
その曲の存在を知って、「つまみ食い」の聴いては来たが、“覚悟”をもって聴いたのは。遅まきながら・・・。

佐村河内は広島生まれの被爆二世。聴覚障害者。

うまく言葉が探せない。「魂を打たれた」としか。そして「泣いた」としか書けない。鐘の音一つもないがしろに出来ないような。

なぜ彼がその交響曲に「HIROSHIMA」と名付けたのか。広島でもなく、ヒロシマでもなく。彼の中にある“情念”が、あえてローマ字を選択させたのだろう。そう勝手に推測する。さまざまな思いが交錯する中で。

福島を「フクシマ」と表記すること、「FUKUSHIMA」と表記することを極端に忌避する人がいる。福島県人に。それは大方、県外から言われることに対してだろうが。

漢字、カタカナ、ローマ字。僕は意図してそれらを使い分ける。すくなくとも、「フクシマ」はこの地を指した表現ではなく、東京電力福島第一発電所の大事故が引き起こした、放射性物質による、さまざまな“汚染”、そう人の内部に発生した、例えば“差別”、そして、それが引き起こした様々な事象・・・。原発事故そのものとでもいえばいいのか。

福島県、それは県と言う一つの行政区画だ。県境が決められたいきさつも含めて。住居表示だ。

福島は広い。会津・中通り・浜通り。大きく分けての三地域。言葉も風習も、食文化も、人の在り様も違う。

原発事故後、言われた距離による様々な違い。郡山は東に端の方でも50キロ圏内に入るかどうか。事故直後も今も、線量は避難させられた川内村の大方よりも高いはず。場所によって多少の違いはあっても。

「汚染マップ」なるものをちゃんと見てほしい。少なくとも猪苗代湖、そう会津地方の隣までは、色が違うのだ。

自主避難した人たちはもちろんいる。でも、大方の人は、この地にいて、ごくごく普通に暮らしている。普通に住んでいる。いくばくかの不安を抱えながらも。解明なんかされっこない低線量被ばくの影響を懸念しながらも。

だから時々言う。「中途半端な被災地」と。

県産の農作物を食べないという人たちもいる。ネットも含めて、あえて県外産の食品を求める。それにどんな農薬が入っていて、食品加工物が入っていようとも。

そして、ここからが問題なのだ。帰還困難区域や避難解除準備区域などの“再編”された地域の人たち。準備区域は4年、困難区域は30年・・・。

困難区域は除染含めて、まったくの手つかず。

“再編”が、その地域に居た人たちを分離させている。分断、対立という大仰な言葉は使いたくないから分離とする。あるいは亀裂とでも言おうか。

見聞きした範囲でだけで言う。ビッグパレット脇にある仮設住宅。おととしの完成時は川内村と富岡町の人たちが住んでいた。隣町。川内の人たちは、いつも国道6号方面に、いわき方面に向かうために、富岡町を通っていた。感覚としては同じ地域だった。

「帰る」「帰れない」。線量が大方判明し、帰還云々が伝えられるようになってから、双方の、同じ敷地内にいる人たちの間に微妙な感情の齟齬が生まれ始めていた。悪しざまに言う言葉を聞かされた。

中途半端な立場の僕が中途半端にそこには介入出来ない・・・。聞いて帰ってくるだけ・・・。帰れる線量の川内の人たちも、多くはまだ帰っていない。富岡の人たちは帰ることをあきらめた人もいる。

双葉郡浪江町。帰れるようになった。帰って事業を再開したり、住み始めた人もいる。でもそれはごくわずか。
隣町の双葉町。帰還困難区域。海沿いの200戸くらいは帰っていいという地域。青い色の地域。すべてを隔てる大方の赤い地域。

双葉町の人たちは、それこそ県内全域に散った、県外各地に散った人達は、どうも浪江を良く言わなくなった。恨み節まで出る時もある。毎日行き来していた隣町同士・・・。

だから言う。「福島」という一括りでは、この地を語れないということを。

すでにして、2年余りという時間が、人の心を切り裂いたということ。時の経過は、いたずらに過ぎ行く時は、人の心を変えてしまうということ。

同じ福島県民でありながら、中途半端な立場にいる僕たちは、そのことをただ憂うるだけしか出来ないというもどかしさ・・・。


2013年7月29日月曜日

福島と「反原発」は交差しない。

昨日から福島市で原水禁世界大会が開かれている。

15万人もの人たちが「避難生活」を送っている。高線量が主たる原因で、もといた家に帰れない人たち。少なくとも「原発被災」にかかわる双葉郡や飯舘など9町村。そこの帰還困難区域に指定されている地域。

「もう帰れない」。「帰らない」。そんな決心をするべき時期にきてしまったようだ。

福島の、いわゆる原発立地地域。そこは「原発で潤った町」だ。「東電さん」のお世話になった町や村だ。原発が出来る前は、基本的には貧しい地域だった。
いまさら能書きたれても仕方ないが、貧しさは悪魔を味方だと思ってしまう。ダメだとわかっていても“悪魔”を受け入れる。

日本地図をちょっと俯瞰してみてくれればいい。原発がある地域は、基本的には貧しい土地だったということ。
札束をちらつかせれば、それに“なびく”。その他の地には、それを責める人たちがいる。

原発が出来る前から、いや、明治にさかのぼっても、もっと以前からかもしれない。過疎という言葉では不十分だ。
あえてこの国土の中に、中央権力は「貧しい地域」を、なかば“無意識”に作ってきた。
それが「原発エネルギー政策」の標的にされた。立地地域は原発で栄えた地域なのだ。歴史的事実として。

その“負の歴史”を福島県民はどこかで肌で感じている。

被災者の誰一人として原発にはこりごりしている。しかし、原発で収束作業にあたっているのも被災者。「東電さん」にはお世話になっているという感情がある。
賠償金を受け取りながらも、それにためらいを覚えながらも、後ろめたさを感じながらも、受け取っているという根源的苦悩。

それがわかっているから、東電はなお、カサにかかったように福島に接してくる。
「ばかにするんじゃめえよ」と思いながらも、怒りをぶつけながらも、折り合いをつけようとする。
再稼働で揺れる立地他県。「原発がなければ生活が出来ない」。それも本音。

自己矛盾には気付いているにもかかわらず、無理やり安全だと信じ込もうとする心情。

東京で行われている反原発運動。それは、参院選で二人の反原発運動家を当選させた。
「福島の農産物は食べるな、福島には人が住めない」と言い切る人たちを。

「賠償金で農家を補償すればいい」そんな短絡な思想で「福島」を語る人。

そんな次元じゃないんだよな。農家は土への愛着が違う。金で買うものではない。そんな心情は意にも介されない。

反原発運動と、そう、運動としての反原発と、福島の原発観。それは交差しないものなのだ。原水禁大会に来た人たちにそれが届くかどうか。

反原発運動の人たちが、それこそ「歴史」を学んでいてくれれば、ちょっとでも知っていてくれれば、「生きる」ということの根源を理解してくれれば、もうちょっとは福島県民の心情もわかってもらえると思うのだが。
彼らにはその余裕もなければ、想像力もカケラも無い。

“実験場”としての福島。その実験とは、なにも被ばく線量の健康への影響だけではない。金の威力をあらためて確信させるための実験場なのだ。

福島県民の、東電で、原発で働いていて、そこの現場を熟知している人でないと、収束作業は全くはかどらない。いや、機能しない。「後始末」までも、その手に委ねられている福島県人。立地地域に住んでいた人たち。

実直で、働きもので、貧しかった人たち。国の、巨大権力の罠にはめられて人たち。金で縛られる蟻地獄のような・・・。

反原発に積極的に動かない、声を上げないということを以って福島県民をさげすむなかれ。

全国津々浦々に流れるテレビの映像。そこに見える東京の豊かに見える、それが錯覚だと気づかないまま、それに憧れる人たち・・・。
それを責めるなかれ。
「豊かさ」という空気にこの国は支配されてきたのだから。

東京の豊かな生活を支えてきたのは、貧しい地方の人たちだったということも含めて。

今更語る話ではないかもしれないが、反原発の活動家と称する、ほとんどエセだと思うけど、その人を基軸にして、没落した社民党や一部勢力の結集を図ろうという動きが、ほんと、ばかばかしすぎる話が、まことしやかにメディアが面白半分のように伝えるから。


福島県民とひとくくりで書いた。そうではなく様々な福島県民がいるということは百も承知の上で。

2013年7月28日日曜日

「水」をめぐるさまざまなこと

昨日夕方、郡山も雷雨・・・。たまたま“例会”あって出かけねばならず。冠水した道路があちこち。車のフロントガラスは視界10%・・・。
ビール祭りの花火も結局中止。
隅田川の花火大会も中止になった。

きょうも豪雨に襲われているところがある。もう雨はいらないと住民はいう。
水不足で深刻な影響をうけているところもある。干上がったダム・・・。

護岸の工事をしても、道路の排水施設を改良しても、完璧な水対策は出来ない。
雨乞いをしても、降らないところには降らない。

水不足も言われる。取水制限が“発令”される。途端にメディアは騒ぎ出す。
「水」の無駄遣いをやめようとか、正しい水の使い方とか、“専門家”が、いや、都知事までもが「シャワーの正しい使い方」の“緊急講義”。

「湯水のごとく使う」という“古語”を引き合いに出しての蘊蓄も。説教をたれる新聞のコラム氏。


一昨年3月12日以降、原発事故後のそこは、「水」が、全てのカギを握っていた。ヘリから水がまかれ、多くの放水車が終結し、キリンと呼ばれる消防庁の放水車のノズルから水がかけられ、海水を引いて・・・。

水が入るかどうか、かかるかどうか。水がこの国の命運を握っていた。“原子炉”に水が注入され、どうにか次なる爆発を抑えられた時、みんな「水」に感謝した。

町には水を求める人たちが長蛇の列を作っていた。給水車に人たちは群がった。

今、「そこ」では水が厄介者になっている。大量の汚染水。汚染された地下水。
放射性物質に“汚染”された水は、以前から、海洋に流出している。

そしてトレンチなるトンネル内からは、23億ベクレルという数値の水が“発見”される。あの事故直後の数値を同じレベルの線量。

冷却するための水が発する蒸気、湯気にも高濃度の放射性物質が・・・。

23億ベクレルという数値は何を意味するのか。それが海洋に流出し、海を汚すということだけなのか。
湯気の“正体”は。誰ものぞけない原子炉建屋の中はどうなっているのか。

汚染された地下水のことも、トレンチの中のことも、東電はとっくに知っていたに違いない。

それの“発表時期”をめぐってさまざまな見解が示される。

全ての情報源は東電にある。露見する前に“対策”が打てると過信していたのだろうか。
発表したということは、お手上げ状態だということを暗に言っているのか。

いくら責めても東電を責めても問題は解決しない。
国の規制委員会は「調査」の指示を出すだけ。政府は音無しの構え。

地質学者や海洋学者は何も語らない。いや、語れないのだ。現場を知らないのだから。

原発事故現場。結局何も変わっていない。変わっていない。いや、変わったのかも。「悪い方向」に。より「深刻な方向」に。

収束宣言は撤回しなさい。国を挙げての対策を考えなさい。

そう言っても耳を貸す人はいないのだろう。福島の一つの場所でのことだけ。そんな割り切り方をしているのかもしれない。国は。

山口や島根では物凄い豪雨だとテレビは伝える。

そんな豪雨があの現場に、無防備にさらされた残骸の上に降ったら・・・。

ちょっとでも想像してごらんよ。とんでもないことになるかもしれないのだから。
まさに「日本沈没」になるのだから。
雷が、現場のどこかの電気系統に落ちる可能性だって皆無ではない。豪雨の中、復旧作業なんて出来るわけがない。

「水」をめぐっての悲喜こもごも。いや非々だらけだ。でも水は、雨は、自然現象として、人の「営み」には無関心だ。

健康のため、美容のため。高い水が飛ぶように売られているという現実・・・。

汚染水をろ過し浄化するシステム。アルプスも近々稼働中止になるという。

濁流の災害はすぐに忘れられるだろう。でも、数年前にあった台風災害の水禍の後は、今も生活に影響している。たとえば只見線。


そして誰も解決策を持たない原発事故の後処理・・・。重大事故は継続中なんです。

2013年7月27日土曜日

「1ミリ」という数字の意味

1ミリ、1ミリシーベルトのことだ。放射線量。年間の被ばく線量の数値。
年間1ミリシーベルト。毎時換算で0,23マイクロシーベルト。

その「1ミリ」という数字に、福島県民の毎日が“規制”されている。いや、“翻弄”されていると言ったほうがいいのかもしれない。

30キロ圏内にあった田村市の都路地区の一部。当然、あの事故後、“強制避難”させられた。

その地域は避難指示解除準備区域となり、来月からは宿泊可能になる。そこが“除染”されて線量が低下したのか、自然に低下したのか、もともと低かったのか・・・。30キロという数字によるものなのか・・・。

国は職員20人余りをそこに宿泊させ、線量を測った。屋外に9時間いた人が1,6ミリシーベルト。屋外に2時間いた人は0,4ミリシーベルト。

郡山でも、そこと変わらない線量の地域もある。

郡山でも延々「除染作業」が遅々としながら進行中だ。高線量地区とか低線量地区とかの区分けは無い。行政区画単位に“もれなく”・・・。

原発事故後言われた被ばく線量の基準。最初は20ミリシーベルト、しばらくして暫定基準値としての5ミリ。そして最終結果は1ミリ。ICRP、国際放射線防護委員会の言っていた最低基準。

1ミリシーベルト。その数字の重さ。除染の基準値はどこでもここでも1ミリ。

1、5だったら、3,0だったら・・・。実は誰もわかっていない。正解を知らない。

空間線量だけを言うなら、一昨年の数値を言うなら、避難してきた川内村の一部よりも郡山の方が高かったはず。

常時宿泊が可能になる都路のその地区。住民は国から貸与される個人線量計とデータ読み取り機を常時携行することになるらしい。

1ミリシーベルトの“呪縛”が定着した中で、全住民が常時宿泊に応じるのか。

もう一つの数字の問題。100ベクレルという基準。食品の安全基準値。

放射線の無い世界なんてどこにもない。

川内村の農業をやっている人が書いていた。乳牛用の牧草。隣の草地から100ベクレルを少しだけ上回るセシウムが検出された。そこの牛乳組合が設けている自主規制値は30ベクレル。使えない牧草を刈るというむなしい作業が続いていると。

もはや、こと原子力、放射性物質にかんしては、それが国際的な権威がある機関の数字であても、「すでにして権威に信頼を失った人たちは、数字を信用しない。

数値の中での生活、“監視”されながらの生活。補償とか権利の問題ではなく、被害が出るか、出ないか。因果関係がどうなるのか。自分なりの判断基準を持った人、持てない人、たぶん、大量に被ばくしているであろう原発作業員。

爆発事故から2年半になる。1ミリシーベルトと20ミリシーベルトのはざまで、福島の人たちは暮らしている。そして数字は、問題をより複雑化させ、数字が人のこころを壊しさえもしている。

早期帰還は政府の“陰謀”と言っていられる人がうらやましいかも。そうかもしれないが、時の経過はより深刻であり、複雑になる一方なのだ。

福島県民でも、「何もかんがえていない」ように見える人たちもいる。だから余計に複雑なのだ。


「反」とか「脱」とか言って“正義”を語っている人たちとの間には、埋まらない溝が増えてきているという実感。

2013年7月26日金曜日

「風立ちぬ」

宮崎駿監督のアニメ、「風立ちぬ」が完成、公開され、多くの観客を集め、興業収入も含め、大ヒットしているという。

最初に、いや、ちょっと前だったけれど、そのアニメ映画の事を知った時、その題名を見た時、やはり浮かんだのはこの言葉。

「風立ちぬ、いざ生きめやも」。

堀辰雄の本、風立ちぬの冒頭に書かれた一節。若いころ、この本を読んだ。大方は忘れたが、このフレーズだけははっきり記憶している。

「なんか、風が吹いてきたようだ。でも、どんな風であろうと生きなければならない」。“やも”という「強めの終助詞」に打たれた。

思い出して、ここ数日間、「風立ちぬ」というタイトルで書いたエッセーの元原稿を探していた。書いた記憶があったから。ある雑誌に。やっと見つけ出した。
いつ書いていたのか。5年も前。

その一部を敢えて抜き出してみる。手前味噌のようで恐縮だけど。

「風立ちぬ いざ、生きめやも」。

『堀辰雄はその代表作「風立ちぬ」の中のこんな一節を記す。この一行をどう読み取るのか。生と死の狭間を彷徨する少女との会話の中で生まれた言葉。生きようか、生きるまいか。その問いかけに対して、生きようとしなくてはならないと風が教えてくれている。そう読み解いてみたい。この季節に吹く風、立つ風は、例えば、花々がそれを享受しているように、美しく生きることを教えてくれているのだから。

風は吹くのか、舞うのか、立つのかー。
風は読むのか、声を聴くのか、感じるものなのかー。

「風たちぬ」。本の副題とも思われる“いざ生きめやも”は、フランスの詩人 ポール・ヴァレリの詩、海辺の墓地からとったもの。

序曲から始まり、春、風たちぬ、冬と続く物語。最後の章、死のかげの谷。1936年の12月のレクイエム。

「遠くからやっと届いた風が、二つ三つの落葉樹を、他の落葉の上に移している・・・」。

そう、風は、落葉樹にも「いざ、生きめやも」と呼びかけている。』


こんなことを書いていたのだ。宮崎駿と僕は同年代。いや、生まれ年は一緒。同じ時期にこの本を読んでいたのかもしれない。彼も。

アニメ映画の予告編の最後にはこう字幕が記されている。
堀越次郎と堀辰雄に敬意を込めて。と。そして、大きく「生きねば。」と。

アニメ映画と堀辰雄の本とでは、主人公の女性の名前も違う。時代背景も“戦争”の前だ。本には零戦も登場しない。軽井沢のサナトリウム・・・。

しかし、時代の空気は似通っていたのだろう。今と。

どっかで読んだか、見たか。この映画を作った動機を彼はこう語っていたように思う。
「あの、日本が道を間違えてしまった時代の空気と、今の空気が同じように思えてきたから」と。そんな意味の言葉だった。

「生きねば。」 戦争で亡くなった人達だけではない。つい2年半前に我々は多くの亡くなった人達を知った。

生きねば。それは死者からのメッセージだと受け止める。生き残った者に対しての。

「生きる」ということに戸惑っているのかもしれない人々が大勢いる。“東北の現実”を知ることによって、生かされているという思いに昇華させよう。
そう、東北の人たちは、そう思っているに違いない。


2013年7月25日木曜日

選挙から消えたあのカタカナ語、そして・・・。

誰も奇異に感じていなかったのだろうか。選挙前も選挙中も、選挙後も。
民主党が政権を獲った時、ネコも杓子も、政治家もマスコミもこぞって使っていた。

「マニフェスト」「マニフェスト」。その大合唱。

マスコミが名付けた「マニフェスト選挙」なる奇怪な呼称。あげく「アジェンダ」だとか。鶏冠頭のお調子者が。

マニフェストなるものが与野党問わず作られ、本編や概要も。あげく長妻厚労大臣は登庁時、職員を前にその冊子を掲げ、「これが私の考えだ。よく読んでおくように」。

あの時も、このカタカナ語の乱用、濫用にずいぶん文句を言った。どこの国の選挙だと。

なにせ“舶来志向”の日本人気質。というわけでもないだろうが、新し物がりやってことなんだったんだろうか。

3年前の選挙後の国会でも、マニフェストという言葉が飛び交い、それに違反したとかしないとか。

政治家様やそれを取り巻く党職員、政策秘書なる連中。

カタカナ語を使うことで「新しい時代の到来」とでも思っていたのだろう。

なにせマスコミが諸手を上げて、カタカナ選挙に加担した。

そして・・・。
今回の参院選。マニフェストなんて言葉は登場しなかった。政策とか公約とか。
それらの中身はともかく、「日本型選挙」を“取り戻した”。

アジェンダと叫んでいた人は「理念」と呼び名を変えた。

しかし、新たなカタカナ語が登場して。
アベノミクスとか、ネット選挙とか。

アベノミクスの“正体”は未だわからない。でも、あの時のマニフェストなる言葉に酔いしれていた国民は、中身も判然としないアベノミクスという言葉を“好んで”使っている。

ネット選挙解禁。一番悪乗りしたのがマスコミ。未だに、ビッグデータなどを使って解析に余念が無い。ネット、ネット、ネット。
その“価値”や“意義”を無理やり構築している。

多くの事例は上げないが、ネット選挙運動が行われても、投票率の向上にはつながらなかった。

「ネットで、ワンクリックで、ポチとなで投票できるなら選挙の参加したと思う」。若者は言う。そうなのだろうか。

どうも、かなり昔から、マスコミは「日本語」についての定見が無いようだ。
新聞用語事典なる冊子はあるものの。

テレビのデジタル化。高画質に加え、言われたのが「双方向」。双方向の典型はネット。“視聴者参加”と銘打ったわざとらしい番組。
いいんだよ。テレビは一方通行で。送りぱなしで。

テレビのデジタル化という「国策」が、ネット選挙にまでおよび、意思表示の場をネットに預ける。そんな「社会システム」が考えられていたのだろうか。

TBSの夜中のニュース番組。“ツイッター問答”なるコーナーがある。寄せられてツイートを紹介するだけのようなコーナー。問答にはなっていないし。

ネット信奉派と懐疑派のおおいなる「乖離」。

マスコミの悪癖。役所や発表者の言葉をそのまま使うこと。それを使わないと「知らない人」にされてしまうという“恐怖”。

読者や視聴者は無関係。
なにを、こんなことをいまさらと思われかもしれないが、「3・11」後、少なくとも原発事故に関して、さまざまなカタカナ語、役所用語、電力会社用語の、わけのわからない“学者”が使う「業界用語」に翻弄された。

そんなカタカナ語に始まる「専門用語」は、勝手に解釈され、いい加減に流布され・・・。

「相手を、人を煙に巻くときは、わざと難しい言葉を使えばいいのさ」。そう“教えて”くれた高級官僚の顔を今もよく覚えている。その相手の中には政治家も入っていた。

サミットという言葉のフルネームを意味をどれだけの人が知っているのだろう。
GDPのフルスペルや意味をどれだけの人が知っているのだろう・・・。


日本語を取り戻そうぜ。