2013年10月19日土曜日

「風評」の発信は“福島”にもあるということ

きのう、ある中央紙の記者と話をした。彼は丹念に福島県を取材している。仮設にも通い、“帰還”で揺れる地域の住民集会にも顔を出し。

僕は彼に言った。「風評被害」って必ずしも「外」の人が言っている事だけとは限らない。県内の人も風評を撒き散らしている場合だってあると。

ここ数日、なぜかネットに出回っている写真がある。たった一枚の。川内村の米の栽培の様子。稲の横で防護服を着た人たちが水田の中でなにか作業をしているような写真。

今年の風景として拡散され、防護服を着ての稲刈り。そんな米は食えるかといた類の。

写真は去年、一昨年の試験栽培の時のものだ。
今、今年、防護服で田んぼや畑にいるのは帰還困難区域で、汚染された土壌が農作物にどういう影響があるかを調べるために作付した、わずかの農地だけ。汚染の移行係数を調べるためのもの。食べているのは野生動物。人のための収穫なんて考えてもいない。

現状としてあり得ない実相をあたかも今のことの如くネットに載せて何を得ようとしているのか。

偏執という言葉がある。偏執狂という言葉もある。手の込んだ「デマ」を喜んで流した人。それを真に受けて拡散に努める人。まるでそれが「義務・責務」であるかのように。意味不明なコメントまでつけて。

“福島”から自主避難したという人の話もよく登場する。なぜ福島に“カッコを付けたかというと、その人が、本当に福島の人かどうかはわからないから。

エセふくしま人も多く登場してくる。

今朝たまたま見たのが福島県大玉村から新潟に自主避難したという女性の話。それらをブログに書いている人がいる。「ずくなし爺さん」というHNだったか。「ずくなし」というのは長野県の、信州の方言。

その女性のいたところは「O村」と書かれている。すぐに大玉だとわかるのに。
なぜ伏字を使うのか。

大玉はいかに線量が高かったか。でも自主避難を「阻害」する村の雰囲気があった。非難をためらっていた時に体調を崩した。こどもが心配だ。新潟に来たら体調は戻った。福島にいるときに動植物の放射線による奇形をたくさん見た・・・などなど。

そのブログにコメントが寄せられている。「福島に人は住めない」という言葉が並ぶ。

大玉村には20キロ圏内から避難してきた人達の仮設住宅がある。日々普通に暮らしている。

もし、この女性が実在の人物ならば、なんで敢えて「告白」をするのか。人目を忍んで新潟で暮らしているとも書いているのに。

「福島には人は住めない」。学者さんも言った。まともに受けた人を責める気はないが。

事実と違うことを言って何を得ようとしているのか。

僕は純粋な福島県人では無い。東京の人間だ。たまたまこの地に居ついてしまっているだけ。福島に対して特段の愛着も無い。

自主避難者は僕の周りにもいっぱいいる。知り合いに。その人達を非難する気は毛頭ない。

福島、福島と言い募る。福島県と言うには明治政府が勝手に決めた行政区域。
被ばくの問題を「福島」という二文字で括ってほしくないのだ。

郡山とて“汚染された地域”であることは間違いない。でも、そこに多くの人が暮らしている。そこにいる人を「無知無能呼ばわり」されるのはとんでもないことだ。

県外に行って「福島から来ました・・・福島の汚染は・・・」。福島を貶めることに何の意義を感じているのか。

風評被害に拍車をかけるだけのこと。と思う。

福島の農作物はダメ。酒もダメ。線量の低い観光地も敬遠される。いわきでは昨日、事故後初めての魚の水揚げがあった。検査は施してある。でも漁師は「消費者の風評」を一番懸念している。

ヨーロッパ産のジャムから140ベクレルという線量が検出された。ブルーベリージャム。チェルノブイリの影響だともいわれる。

これは多くの人が問題にしない。

被害者である人が、ありもしないような“被害”を言い募り、あげく補償、賠償金の多寡を言う。福島から来た人が、福島にいた人がそう言っているんだから、福島って本当に怖いよね。

それが拡散されていくという風評被害なるものの一つの断面。

偏執狂というか被害妄想というか。どこかで言いふらされているヘイトスピーチなるものに“同質性”を感じる。

ネットの功罪。ネットに依存症が撒き散らすデマと虚報。「知る」ということは「個の確立」。流されないでと言いたくて。

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