2014年1月31日金曜日

東京の片隅で・・・

明日から東京渋谷の円山町にある小さな映画館、“小屋”でドキュメンタリー映画が公開される。
何回も書いている「無人地帯」。2011年の4月、浜通り、飯舘を主に撮った原発事故をめぐる記録。製作者自らが認める「破壊」の記録。

//この40年間、250Kmはなれた東京はここの電気の恩恵を受けて来た
その東京では誰も大惨事を想定しておらず 今 何をすべきかも誰も分かっていない
何が起きたのか誰にも分からない 何が起きているのかも今後どうなるのかも

原子炉の中のことはデータでしか分からない
この事故では データは極度に断片的だ

停電でほとんどの計器が止まっているのだ

放射性物質も目に見えない その見えない微粒子が
偶然 風に運ばれて雨と共にこの風景と人々に降り注いだ

それでも見たいのはただの悪趣味か
あるいは このすべてに意味を求めるせいか

見えない破壊の不安から何か見たいだけなのか//

映画のナレーションの一部である。

そして、制作した監督はこんな感想も言っている。

「これから“無人”とされるかも知れない場所を撮りに行ったはずが、結果として僕たちが撮っていたのは、とても人間性の豊かな、敬愛すべき“人間”であり、その人たちの持つ人間本来の智慧でした」と。

この映画はいわゆる劇場公開はされてこなかった。福島の浜通りでは映写会のようなものがあったが、完成から2年以上経っての劇場公開。

しかし、その劇場は「ユーロスペース」という映画専門学校内の劇場。収容数は100人程度か。
渋谷のはずれ、片隅にある多くの人が知らない劇場。

そこでの試写も観たし、DVDは何度も観た。そして思った。これは東京の人が観るべき映画だと。観て貰いたい映画だと。

監督は続編を用意している。しかし、それを完成させるための資金が無い。興行収入がなんぼというレベルではない。続編が出来ればいいのだ。

折から東京では都知事選。候補者が繰り広げる「原発論争」は、ある意味「不毛」だ。

原発論争は、戦争をめぐる歴史と似ている。映画は「人」の目線で、当事者の「人」の目線で、その事故を描く。
政治の場で交わされる原発論議。それは、「国家」としての「政策」としての論議。
戦争で、戦場に赴いた兵士やその家族の物語は、歴史としては残らない。死者の数だけが残される。引き揚げ者の数だけが。

国家として伝えられる戦争。そこには「人間」は介在していない。

たまたまのタイミングではあろうが、都知事選が佳境にある今、東京の“片隅”で上映されることに意義があると思うのだ。

「“遺言” 原発さえなければ。福島の3年間、消せない記憶のものがたり」
そんな題名のドキュメンタリー映画も3月8日からポレポレ東中野という“小屋”で上映されるという。そこも言ってみれば片隅のようなところ。

遺言というタイトルは堆肥小屋の壁に「原発さえなければ」とチョークで書いて自殺した相馬市の酪農家のことだろう。


東京の片隅で「福島」が映し出されている


きょうもテレビでやっていた。消費税増税の前の駆け込み需要の話。家を買う、買った。車を買う、買った。家具を新調した・・・。
そして株価の上下に一喜一憂。そう「東京」のテレビ。




片隅・・と書いていて歌を思い出した。
須賀川出身の演歌歌手、門倉有希。彼女の持ち歌に「どうせ東京の片隅に」というのがある。自伝のような歌。夢を抱いて出て行った東京。そこでの望郷歌。

もう20年も前の歌だろうか。縁あって彼女と知り合い、須賀川の文化センターでその歌を聴いた。
どこを検索しても出てこないけど、歌の合間に語りがあった。祖父が焼く炭焼き小屋の煙、その煙越しに見える安達太良山の光景・・・。それらを“捨てて”東京にいった彼女。

その歌の語りと無人地帯にあった飯舘の風景が重なる・・・。

2014年1月30日木曜日

「責任野党」を巡って

始まった国会。安倍がまたもや“新語”を使い始めた。連発される「責任野党」という言葉。それに反応する各党。

安倍の概念から言えば、それを彼自身が考え出した言葉なのかどうかはともかく。
いや、なんでこういう言い方をするかと言えば、施政方針演説にしても代表質問の答弁にしても、それは秘書官を中心にした官僚が書いており、彼はそれを読み上げるだけだから。
でも、読みあげたとしても、それは彼自身の言葉として記録され、評価される。

言葉の屁理屈と受け取ってもらってもいいが。責任野党、責任ある野党。その責任とは、何に対しての責任ということなのか。言い換えれば、野党の責任とは何だろうっていうことだ。

野党が負うべき責任とは何を言うのだろう。

安倍の言葉から類推するに、何でも反対、何でも抵抗という野党は責任野党ではなく、政策協議の出来る野党を責任野党というカテゴリーに置くらしい。

つまり、擦り寄ってくる野党。みんなの党や維新の会を指しているらしい。
憲法問題や安全保障に関して似たり寄ったりの政党らしい。国の基本政策に関して同調出来る政党を指しているらしい。

みんなの党はすぐさま反応。自らを責任野党だと言ってのけた。

「責任野党」。この言葉にかなりの違和感を持つ。民主党の中にも憲法観や安全保障、集団的自衛権について安倍と同じ立場の人もいる。

責任野党という言葉で、「責任」という重い言葉を使うことによって野党分断を図ろうということか。

与党公明党は責任政党ではないということか。

だから、訳知り顔の政治評論家もどきは、政界再編成を目論んだものと解説する。

それはあり得るとしても、いや、それの方が分かり易いとも思うのだけど。
政界再編成。

自民党は数年前、野党の時代があった。その時の自民党は「責任野党」であったのか。
そもそも政治の責任とは何なのか。

「3・11」後、その混乱する事態を収束すべく、民主党政権は野党自民党に「大連合」を申し入れた。
与野党で事に当たらないと進まないという民主党の非力さをわきまえた上で。

自民党はそれを蹴った。ひたすら民主党政権の攻撃に終始していたような記憶がある。
なんでも反対自民党。かつて揶揄された、なんでも反対社会党という言葉を彷彿とさせるように。

立場が替わればいう事も替わるという事か。喉元すぎればすべてを忘れるということか。

国策としての原発。それがもたらした過酷事故。岩手や宮城の震災対策を含め、民主党政権には完全に失望していた。

責任、責任という言葉が“まき散らかされて”いた。東電の責任、国の責任。どれも曖昧なまま。そう、もともと「責任」という言葉は定義を持たない曖昧な言葉なのだ。
企業で不祥事があれば、すぐマスコミが責め立てる責任論。それは、社長辞めろってことでしかないように。

国の責任、東電の責任、やがてそれはさまざまな場面に飛び火した。例えば食物の“汚染”をめぐる福島県への生産者責任といった論議にまで。

少なくとも国と東電は、事故そのもではなくとも、その後の対策にしても、責任を押し付け合って来た。

挙句の果て、責任論の狭間の中で、福島に押し付けられたのは「自己責任」という放り投げ。

「責任」という言葉には、うんざりしているのだ。単なる言葉のやり取り、言葉遊びとしか見えないのだ。

野党が果たすべき責任。それは与党の、政権の打ち出す政策や政治手法について異を唱え、非とし、歯止めをかけることではないだろうか。

責任野党という言葉を持ち出し、する寄る者は是とし、他は否とする。無責任だと言わんばかりに。

なんだい。大政翼賛会を目論んでいるのかなとも冗談交じりで言いたくなる。限りなく「お山の大将」で居たいんだなとも。

そして、それに反論すべき野党のなんとも物足りない、だらしない、歯がゆいことか。

オヤジの小言、寝言の類でありますが。

2014年1月29日水曜日

「数字」のある日々

時々、地元紙のおよそ半面を使って書かれている数字を見ることがある。
モニタリングポストの記録だ。県内の放射線量の。
郡山でもその測定箇所は数十か所。ほとんどの地域が、年間1ミリシーベルト、いわゆる時間あたり0,23μシーベルトよりも低い。0,24とか0,25が時々散見される程度。

程度っていうのは、根拠が無い。放射線の影響に関する数値って、どこにも確たる根拠がないのだから。
国が決めた0,23μ。それ以下の地域がほとんどなのに、除染は進められている。しかも遅々として。

新聞半面を使って数字が並んでいる、しかも小さな字で。このことがつまり「福島」の実態だ。
放射線と、数字としての放射線量と毎日向き合って暮らしているということ。
株式市況欄と見間違うような。

この「放射線量」の欄が無くならない限り、福島県は「汚染」から解放されない。
しかし、仮のこの欄が必要でなくなる時が来ても、無くしてはならない欄のような気さえする。それは「モニュメント」としての数値であってもいいのかもしれないし。

NHKの夕方のニュースでも、毎晩伝えられている。県内各地の放射線量。
およそ1分。最小値と最大値が。淡々と伝えられる数値。福島にいることを実感する。

原発事故後、テレビはL字に切った画面で毎日、一部民放も含め、県内の線量を伝えていた。
郡山が2μになったのはしばらくしてから。下がったなと感じ。
やがて1μに。

数カ月たって町内会から線量計貸し出しの案内。1軒あたり1時間。庭で1,5μくらいあったか。室内でも1μ程度だったか。書き留めていた紙はすでに捨ててしまった。

そういえば、テレビは連日のように言っていたな。外出は出来る限り控えるように。帽子の着用、マスクの着用を怠らないように。コートも。帰宅したら、付着物を玄関先で振り払い「手洗いとウガイを励行するように」。来ていたものはすぐ洗濯するように・・・なんて。そうそう、マスクは一回使ったら捨てるようにとも。

「にわか専門家」が溢れていたな。テレビにも、ネットにも。50キロ圏内まで避難するようになるって“噂”が充満していたな。
線量と同時に伝えられる天気予報。風向きが関心事だったよな。

線量の数値にばかり目が行き、何の番組をやっているのかほとんど見なかったよな。

夕方のNHKニュースと地元紙の細かい数字。それ以外は、多くが平常に戻った今。東京発のテレビ番組では尚更。

ノロウイルスや新型インフルエンザの話題に集中している。インフルエンザの予防策、ウガイ、入念な手洗い。家庭でも学校でも。
あの頃の“光景”に似ているな・・・。

しかし・・ほんと、とんでもない事故を起こしてくれたんだよなぁ・・・。

NHKのローカルニュースついでに。飯舘村の「残された犬や猫」のことを取り上げていた。野良じゃない、飼い犬、飼い猫。犬は200頭、ネコは400匹はいるだろうと。

玄関先に鎖でつながれたままの犬。飼い主は避難先から1時間かけて日中は出入り可能なこともあって、餌をやりに来る。手作りの温かいご飯を持って。「再会」を喜び合う。涙とともに。
夜間の気温はマイナス。水は凍っていて飲めない。水用のボールは氷。置いてきた餌は無い。夜中にネズミが食べていってしまう。ネズミが残したものを食べようにも、半分凍っているドッグフード。犬は一ずつ拾い上げて口で溶かして食べている・・・。

実態のレポートはあった。実情も知った。だかららどうしたらいい。それへの言及は無い。避難先に連れていくことは出来ないのか。家の中に入れておくことは出来ないのか。
「表飼い」の犬はしっかり放射線を吸い込んでいる。

数分間の“特集”。ラストカットはその犬の遠吠え。大きな声での。我が家の犬はその声を聞いてテレビに飛びつく。
室内犬と一緒に暮らす夜、日々。飯舘の犬の顔と鳴き声が耳に残り、目に浮かび、晩飯は喉を通らないような心持だった。脇に犬がいることに、寝ていることに「うしろめたさ」をひしひしと感じ・・・。
あの犬たちは自分の一生をどうとらえているのだろう・・・。こんな生活はまだまだ続くのだ。

2014年1月28日火曜日

一枚の切符

大事に、財布の中に入れて持っている一枚の切符がある。

「釜石から復興未来 ゆき」
諦めない限り有効 300円 下車前途無効
311釜石復興の祈り発行 三陸鉄道公認

切符にはハサミが入っており、発行日を印す“消印”がスタンプで押されている。‘24.3.11と。
この‘24の数字の意味が解らない。あの日は2011年だったし、平成では23年だったから。もしかしたら復興未来に到着するのが2024年と見込んでいたのだろうか。

この切符を手に入れた時、やはり感動があった。力強さを感じ、そのアイディアに感服した。
何よりも「諦めない限り有効」という期限。

そして、三陸鉄道はどうやら「停車駅」には到着しそうだ。

4月、三陸鉄道が全線開通になるという。最後まで運休になっていた南リアス線の釜石―吉浜間、北リアス線の田野畑―小本間。

全通となる。

これで僕が持っている切符は用無しなのか。
切符の行き先は、終着駅は「復興未来」となっている。全通をもって復興とは言えまい。
まだ、この切符は、大事な「お守り」としてとっておく。それまでは乗るまい。下車前途無効なのだから。

2011年、台風災害で福島県のJR只見線の線路が流された。只見川にかかっていた鉄橋。
JR東日本によれば、沿線住民の只見の町民の要望はあるものの、復旧させる考えは無いようだ。85億円の費用がかかるから。復旧させても、採算路線にはならない。運賃収入で費用を回収できない。それが大きな理由とか。
只見線は会津若松と新潟県の魚沼市を結ぶローカル線。車窓から望める光景は素晴らしかった。鉄橋を渡るローカル線の雄姿も美しかった。
奥会津只見町。そこは、かつて人で大いに賑わった町だった。今の人口が3,000人位だとしたら、一時期、そこには万を越す人が集まっていた。
只見川電源開発。田子倉ダムを作っての大規模な水力発電。東北電力の管内。その水利権を新潟県が持つか、福島県が持つかで揉めたところ。両県知事の交渉にまだ1年生議員くらいだったろうか、田中角栄が入って半々でまとめた。
時の東北電力の社長はたしか白洲次郎。東山温泉で毎夜どんちゃんさわぎを繰り返していたという。民謡会津磐梯山の替え歌まで出来ていたとか。

ダムが完成し、出稼ぎ含め多くの作業員が去り、只見は“寒村”になった。“過疎”の町になった。かつて、人や資材を積んで走った只見線。鉄路の役割は、少なくとも採算が合うというレベルでの役割は終わったということか。

そして福島県浜通りを貫いていた常磐線。東京と宮城県を結んでいる鉄路。常磐線は、当然というべきかどうか、原発事故で寸断されている。全線開通の見通しも無い。部分的に運行されている。

出稼ぎ、集団就職。日本の経済成長を支えた人達が手にしていた切符。その行先には「明るい未来」とでも印字されていたのだろうか・・・。

2014年1月27日月曜日

・・・そして漂流、終の棲家


空き待ちの特養ホムーへ漸くに入りし百歳の母の空き部屋

今朝の新聞の読者投稿、歌壇にあった一首。千葉県の女性が詠んだ句。
「空き部屋」をどう読むのか。百歳の母親が亡くなって空き部屋になったということか。漸く入った部屋なのに、他のベッドは空いているということか、空き部屋が目立つということか。

高齢化社会だという。65歳以上は高齢者だという。4人に一人が。たしかに街には老人の姿を数多く見かける。

「豊かな老後」と為政者は言う。高齢者に優しい街づくりが言われる。豊かな老後っていったいどんな老後なのだろう。

老後、終の棲家とすべきはどこなのか。様々な形態の老人施設。介護施設。
流行言葉の「サ高住」。サービス付高齢者住宅。ごくごく一部の金持ちの老人しか入居は不可能。

高齢者は「ビジネス」の対象だ。国や市町村の老人福祉対策も、ある意味では「ビジネス」。

地方によくある光景。それなりの大きな家に三世代家族が同居。孫と楽しく暮らす老人の図。例えばNHKの「家族に乾杯」という番組で毎回みかける図。
それが平均的な日本の家族の図としよう。

孫と暮らすことが一番の楽しみだった。仮設に住む独居老人や老人夫婦は必ずそういう。
でも、そんな些細な“楽しみ”は無くなった。一つ屋根の下に孫はいない。こども夫婦もいない・・・。

仮設で死ぬことを覚悟し、思い描いている。

一部の金持ち老人は、物理的環境としては、カネさえ出せば、“豊かな”、“安心して暮らせる”環境に身を置くことが出来る。

しかし・・・。

行き場を失い、漂流する高齢者も多いという現実。特養、養護老人ホーム。そこに入ってくるのは、そこを最後の砦とした高齢者。
そこに入るのには自治体が「措置」を決めねば入所出来ない。費用は自治体が負担する。一人当たり20万とか。赤字財政に悩む自治体はいきおい、「措置」を回避する。生活保護にふりむける。一人10万で済むから。

税金を使って建設され、運用されているはずの老人ホーム。一つの社会的基盤。
そこに入所を希望する人たちがいても、それを認めない自治体。
施設はあるが運用に、そこで働く人たちのコストにカネがかる。自治体の能力を越える維持費、運営費。

老人ホームには空き部屋が目立っているという。

三陸の沿岸に防潮堤を作る国の施策が進行している。巨大な公共工事。自治体もその建設を望む。
やがてそれが完成する。その後の保守管理は自治体の仕事。果たしてその維持費をやせ細っていく自治体が担えるのか。

老人ホームの空を待つ老人や家族。介護が必要な老人やその家族ならなおさら。
老健施設はあちこちにあり、いろんなサービスがある。しかし、介護保険に入っていても、”要望“はとてもじゃないが満たされない。
職員は不足している。そん職を希望するひともいれば、厭う人もいる。

「とかくこの世はカネ次第」という戯れ歌が現実にある。豊かな国にっぽんが言われる国にあっても。

都知事選。高齢者福祉が候補者の口にあがっているという。さまよえる高齢者、それは投票所どころではないかもしれない。

将来の絵図だ。
多くの候補者が65歳以上だというこの皮肉な光景。

高齢者を例にとった。高齢者以外にだってある。さまよえる人々。漂流する人々。終の棲家を持ち得ない人たちの群れ。

そして、ちょっと目を転ずれば、戦禍を戦火を逃れ、そこで逃げ惑う老人や子供も大勢いるというこの地球。

こんなことを書きながら、どこか内容が上滑りなのは、数年後の自分の姿を想像しているからかもしれない。
本人の意思とは無関係に、人はどこで終焉を迎えるのか・・・・。「生産人口」ではない、カネを持たない高齢者は「くたばりぞこない」の余されものっていうことなのか。

誰を恨むっていうわけじゃない。世の中ってそういうもんなのだろうなと。

2014年1月26日日曜日

漂泊と定住と

猪苗代湖畔で仕事をしている友人が教えてくれた。帰れない白鳥のことを。
その白鳥の一家は5人、いや5羽。父親の片方の羽が無い。上手に飛べない。
越冬しても、長い旅をすることは不可能だ。他の家族は飛べる。でも父親の傍を離れない。シベリアに帰ることを諦め、猪苗代湖に定住することを決めた様子だという。湖に一家は漂っているという・・・。

今、日本には203万にもの在留外国人がいる。もちろん不法入国、滞在ではない人たち。多くが労働力とされ、生産人口だ。父親が「デカセギ」として来日、その後家族を呼び寄せ、その家族の多くが日本での定住を決めたという。
地球の裏側の故郷を“捨て”。

もう30年も前か。写真家の藤原新也が「東京漂流」という本を書いた。
そこには漂流物のような都会の光景と、帰る家があるのに帰ろうとしない若者の姿があった。

渥美清演じるテキ屋稼業のフーテンの寅さん。柴又の家にはめったに帰らず、全国を放浪している。ある時出会った踊り子のリリー。流れ者なのか。
「あんたは帰るところがあっていいわよね」。その一言に寅さんは考え込む。
山田洋次監督のメッセージなのだろう。

人はどこで生まれ、どこに行き、どこに帰るのか。

帰るところを持たない12万人の人達。仮設や借り上げはあっても、そこは「帰る」ところではない。漂泊のまっただ中にいるのだ。

帰るところを持たない多くの漂流家族。飛べない白鳥になれというのか。

偶然か必然かはともかく、たまたま、その地に暮らしていて、その暮らしを失った人達。
望郷の念はともかく、「帰る」ということについて、他人事のようで申し訳ないが、自問自答し、答えを見つける時期ではないだろうかとも。

映画「無人地帯」を撮った加藤カメラマンが過日の試写会後、ぽろっと言っていた。
「みんな大きな家に住んでいたんですね・・・」と。

そう、その家ももしかしたら「原発マネー」で建てた家かもしれない。多少の「うしろめたさ」を一夜の酒で飲みこんで、原発の恩恵に浴したことへの悔恨だってあるだろう。

いつまで続く漂泊の日々。いつか来るのか定住の場所。

「今生きているところが故郷なんだ」。そう考えるようにしていると学者で小説「心」を書いた姜尚中は静かな口調で言っていた。映画監督の是枝裕和との対談で。3・11を考える対談で。
故郷を見つけるための漂泊の時ということなのだろうか。

なんか、こんな事書いているのって、今の流行り言葉「ポエム化」しているのかな・・・。

でも、誰かが言っていた。

「詩は空白を埋めてくれる」って。

2014年1月25日土曜日

幾つになっても「テスト」は嫌だ

運転免許更新時。70歳を迎える、越える人は「高齢者講習」を受けなければならない。
間もなく更新時。昨日、公安員会から送られて来た葉書を持って教習所に。
多少の年齢差はあるものの、同年代の人達6人と3時間。

シミュレーターのようなもので「反応速度」とか、「動態視力」、「静態視力」、眩しさ、暗さでも視界検査。
結果は同年代比、やや優れているというだったが、減点4。視力はやっと通過って具合。

「機械」の扱いや要領がよく理解出来ていないってこともあるのだが(言い訳か)なんとも複雑な心境。

もう4~50年前か。東京の日の丸自動車教習所で運転免許を取った。実地試験の前にある仮免時の教習所の学科試験。50点満点。問題無くクリア。満点。

実地教習、高速教習も問題無し。最低時間で「卒業」した身だが。本免許は免許センター。学科は100点満点で97点だった。うっかりミスが三問あったということ。

最近は見なくなったが、ちょっと前までは夢でいつも「試験」の夢を見ていた。
何も“準備”していないという恐ろしい夢(笑)。
とにかく学校の試験、テストというものが嫌いで苦手だった。

就職。新聞社の試験。学科は無事通過。面接で落とされた。レコード会社の試験も同じ。それの理由はわかっている。「演歌は好きですか」と聞かれ、正直に「嫌いです」と言ってしまったから。試験官の反応で「これはダメだな」と分かった。一緒に受験した友達に教えた。「好きです」と答えろと。彼はレコード会社に入り、かなり名の通ったプロデューサーになった。

教習所。実地教習。「上手いですね」とおほめの言葉を戴いたものの、なんか嫌だ。この教習の結果で免許更新の可否が決まるわけではないが。

教習所の指導員は「皆さん緊張しますから普段とは違うと思いますが」と、車庫入れが上手く出来なかった人に、半ば慰めの言葉をくれてはいたかれど。減点4も緊張のせいだと言ってはくれたけれど。


テストされるって嫌なのだ。

75歳になればこれに認知症テストが加わる。
「どんなテストなのか、警察庁のホームページにあるから練習されておいたらいかがですか」。親切に指導員は言うけれど。その時になってみないと症状はわからない・・・。

車を持っている限り、テストはついてまわるということ。たとえ幾つになっても。ああ、嫌だ。

毎年の自動車税、保険料、車検。タイヤ交換・・・。車を持つ限りカネがかかる。辞めようと思っても、車が無いと生活できない。

仮設にいる知り合い。免許証を返納した人を数人しっている。車も廃車にした。郡山まで一緒に避難してきた車。犬二匹を「住まわせて」いた車。

片側二車線の国道があり、交通量も多い。
「怖くて運転出来ない」と言う。

勢い、日常生活は「不便」になった。買い物に行けないし。そう高齢者にとって、仮設は著しく不便な場所なのだ。病院にもおいそれと行けないし。

村の日常では信号もほとんど無く、運転は楽だったという。車庫入れも無かったし・・・。

「ま、記念の品だね」。使えない運転免許証をテレビの下に置いてある。

最近、高速の逆送含め、高齢者による交通事故が多い。昨日の教習所の近くでも82歳の人が運転する車が横断歩道をわたっていた人をはねる死亡事故があった。病院に行く途中だったという。

視野狭窄というか、視界が狭くなってくる。年とともに。それが事故の原因だとも。

肉体は、その能力は、加齢とともに衰えてくる。衰えは自覚している。でも、車を持たねば地方都市では生活できないという現実。

とにかくテストとか検査とかは嫌なのだ。幾つになっても。残像が夢にいつまでも出てきて欲しくないし。
大学入試。共通一次も、センター試験も無い時代に育った世代。あとは何の試験が待っているのだろう・・・。

あの世とやらにも試験はあるのかな。

2014年1月24日金曜日

除染通知が来た

除染関係書類在中。A4版の封書が郡山市原子力災害総合対策課から届いた。
この4月、つまり、あれから3年以上経っての来年度に実施されるという我が家の周りの除染。

郡山市の除染は、町内会単位ではなく、字単位で(市役所の説明)で行われているという。今年度、50メートル先までは除染が行われていたが、地名が違うため、字が違うために次年度。4月以降、まだ春のうちなのか、夏になるのか秋になるのか・・・。

もうすでに「どうでもいいや」って言うのが正直な感想。最近は自宅まわりの線量を計ってはいないが、どう考えても0、以下の数字だろう。

説明会を今月31日にやるからご出席を。除染当日は必ず立ち会ってくれ。こまごま書類には書いてあり、同意書を提出しろと。
「お付き合いしましょう」っていうような投げやりな感情。

ネコの額ほどの庭は、3年間荒れ放題。時々生い茂る雑草は抜いてはいたものの、芝生はほったらかし。

だって、どうせ除染で掘り返されるんだからってことで。

家屋の洗浄をやるのかどうか、どうもはっきりしない。庭土を堀り返し、穴を掘ってそこに土や草の類を埋めるってこと。埋めるのが嫌なら、庭の脇に袋に詰め込んで置いておくということ。
庭木の剪定はするが伐採はしないとか。やはり説明会で聞いてみないと。枯れた芝生のあとはどうするのか。
除染を“経験”した知人によれば、砂利をひくとか、何とかという土を敷くとか。

ま、楽しみに(笑)待つとしましょうか。

旧警戒区域などの国の直轄除染と違い、郡山は市の事業。自治体の除染、最近トラブルが多いとか。
一番問題なのは、元請と下請けとのカネのやり取り。下請けに元請がカネを払わない。作業にあたった下請けは、除染した所帯に費用を請求するとうケース。

除染は、今や、「除染事業」となり、金儲けの仕事となっているということ。国の直轄でも手抜き除染が問題になっていたが。

除染に人を出して儲かっている派遣会社もある。

事務所の隣は、元は金融業のようなことをやっていた。ある時から除染業者に衣替え。毎日大勢の人が出入りしていた。夕方は日当を受け取りに来る人の大声。
「ここは手狭なんで、大きなビルに引っ越します」。そう言って出て行った様子。今はそこは空き部屋。儲かったんだな・・・。

市の案内文を見ると2015年度、2016年度にかかる地域もあるとか。

なんとも、「格好だけの除染」という気がしないでもないし。もちろん、我が家の辺のことだけど。

除染のある光景。それはきょうも見られた。大げさな言いかだが、「3・11」は今も常にそこにあるということか・・・。

今度の日曜日、伊達市の市長選がある。候補者は3人。焦点は「除染問題」。年間20ミリシーベルトか、5ミリか、1ミリか。それでの論争。
そこは現実問題としての「除染」がある。

1Fの汚染水。海側の井戸から、海まで40メートルのところで、これまでの最高値であるストロンチュウムなどβ線の放射性物質が1リットルあたり310万㏃検出されたという。
東電は「汲み上げの影響だ」と説明している。

事故現場では漏れ出す放射線、そこから90キロ離れたところでは除染。ブロックもコントロールもされていないのだけど・・・。

除染っていったいなんだろう。どう理解すればいいのか。福島の現状。

2014年1月23日木曜日

連合東京という“怪”、そして都知事選が始まった

東京都知事選が告示された。10数人もの候補者が立ち、選挙戦が始まった。

今回の都知事選、なんとも言えない「みっともない」選挙戦であり、「わけのわからない」選挙戦になっているという印象。

ネット上ではその話題に話が集中し、あることないこと、「発信」が繰り返され、それを斜めよみしているだけでも辟易としてくるような。

そして週刊誌。なんでもかんでもスキャンダルを暴くことに一生懸命。“メディア”と称する現代の「化け物」が、都知事選を“醜悪”なものに仕立て上げているような。すでにして「うんざり」してくる。

どうしても腹立たしいことがある。

繰り返し言うが、東京は東京電力福島原子力発電所の電気のすべてを消費していたところだ。当然、最大の争点だと思う。消費者責任をいうべき選挙であるはずだ。
首都の電力を生産し続けてきた福島。その福島に起きた「悲劇」。それを真剣に、福島に向き合って論争しないという選挙戦。

連合東京という労働組合組織がある。その会長は東電労組の出身者。その連合東京は升添を支持するという。いわば自民党と組んで。

労働組合と言うのは労働者の味方だ。連合という組織も、基本的には社会党系だったはず。時代の変遷。総評と同じレベルで連合は語れないとわかってはいても。

東電の社員は、組合費を給料から天引きされ、その多くが組合員であり、その上部組織としての連合。

連合は多くの「労働者」の立場に立つべきなのに。労働者は自分たちの身を守ってくれる“砦”として、組合費を払っている。

原発事故は多くの労働者の職を奪った。東電の組合員である社員は、事故現場で過酷な作業にあたっている。あたっているはず。作業員という協力会社の人も。

同じ構内労働者を守るのが労組の使命。原発事故現場の、あの日以来の過酷な作業にあたっている人達に対して、労組はどういう対応をしてきたのか。
会社側とどう対峙してきたのか。

東電と言う会社は、とにかく自己保身に走っている。政府は金を出してそれを支援している。そして、その会社の労働組合。死語かもしれないが「御用組合」。
労働者の「味方」であるよりは会社の「味方」、しいて言えば、政府自民党と同調すらはかる。

「フクイチ」で働く東電社員はどう思っているのだろうか。

過酷な環境の中で働く東電社員や協力会社の社員。彼らを守るのが労働組合の第一義的な使命のはずなのに。都知事選にうつつを抜かしてる場合じゃないはず。

自民党の内部調査では、升添が大勝するという予想、予測あり。政党の調査はそれなりの正確性がある。だから「勝ち馬に乗ろう」ということか。
それが労組にとって何の理や,利ありや。

久しぶりに放映されているNHKのローカル番組、被災地からの声。きょうは「帰れない」南相馬の人たちの声だ。

福島の被災者支援。それを言っても東京では何の票にもならないのだろう・・・。

だんだん冷めてくる。都知事選に対しての思い。

2014年1月22日水曜日

「修学旅行は福島に行こう」

去年の12月、東京のある大学の同窓会が郡山で開かれ、そこでの講演を依頼された。「復興はいかにあるべきか、支援はいかにあるべきか」、そんな内容の話をしてくれと言う。
講演の演題は「“知る”という支援」にした。まずは知ること、知らなければすべては始まらないということ。知るとは学ぶということであり、学べば考える。そう思っているから・・・。

国学者であり、思想家であり、碩学である末次一郎氏が書いた「色紙」を持っている。そこにはこう書かれている。

百聞は一見に如かず。百見は一考に如かず。百考は一行に如かず。と。

その講演の中で、いろんなことを話した。あの「3・11」、あの日に被災3県では何人の赤ん坊が生まれているか。揺れる大地の上で。100人いる。福島でも30人が生まれている。そしてみんなすくすくと育っているはずだ。その子たちはもう2歳と9カ月になっている。そんな話から始まって。
今、日本で稼働している原発は何基あるか。そんなことも問うてみた。即答は無かった・・・。

そして、こんな提案をしてみた。会場には教職者と思しき方もおられたから。
「修学旅行はぜひ東北3県に行って欲しい」と。高校生たちにぜひそこで学んで欲しいと。
知る、知った。それは忘れないということにつながる。そう思っているから。

修学旅行。今や、いやもっと以前から、それは「思い出作り」の終学旅行となっている。修学、文字通りの学び修めるということからちょっとずれているような。

観光地は、特に福島の会津では、修学旅行が来なくなったということが災後の大問題になっている。会津の地で、戊辰戦争を含め、会津の歴史を知ることも大事なことだ。だから会津の地に多くの人が来てくれることを願うのだが。

きのう、夕方のNHKのローカルニュースを見ていたら、兵庫県の高校生が修学旅行で相馬を訪れているという話題を放映していた。
高校生たちは、未だ、ほとんどあの日のままの相馬の海岸の光景、“瓦礫”の山を見た。その地で、海で亡くなった人達のことを案内人から聞いていた。
そして海岸に流れ着いた多くの“ゴミ”を拾い集めていた。

見て、聞いて、知った。

旅行特有の”笑顔“とは、次元の異なる世界にその子供たちはいた。

高校生たちは、そこから何を持ちかえるのだろうか。
記憶に何を刻んだのだろうか。

その地を修学旅行地に選んだ学校のことだから、「その後」も当然考えているのだろう。

生徒たちにぜひ「レポート」を書かせて欲しい。書いて欲しい。そして学校はそれをきちんと保管し、20年後に彼らに返せばいい。

読み返したその子たちは、大人になっているそこ子たちは、それを自分たちの子供に見せるのがいい。

それが「語り継がれる」ということの一つになるのだから。

昔、JRのキャンペーンで「そうだ、京都に行こう」というのがあった。新幹線の車内にはそのポスターが掲げられていた。

「そうだ、皆で東北に行こう」、「南三陸に行こう、福島に行こう」。そんなキャンペーンがあってもいいのじゃないかと思う。

兵庫の高校。阪神淡路大震災を経験した地の高校生。彼らは当時生まれていたかいなかったかの境目。

でも、どっかでつながっているのかなとも・・・。

福島に来て欲しいと懇願しているわけではない。来た方が、知った方が、これからの君たちの将来にきっと役立つことが、学ぶことがあると思うから。

福島は喜んで、修学の場を提供する。

2014年1月21日火曜日

かくも傲慢で強引な政治

「民意」とはいったいなんだろうか・・・。

選挙が唯一民意を示す手段であるとするならば、およそ民主主義なる言葉を使いたがる人たちは、名護の市長選、南相馬の市長選で示された民意。それを“尊重”して然るべきはずなのに。

もし、両市長選とも自民党が推す候補が当選していたら、「民意が示された」として、政権側もその「民意」を盾に事を進めていったであろう。
一地方自治体で出された結果を“勲章”のようにひけらかしたであろう。

結果は違った。それはすでに予想され、織り込み済みであり、それをなんとか挽回しようと、「カネ」をひけらかすという、余りにも素人じみた戦術に走り。

国政は一自治体の選挙結果に左右されないと言い放つ。500億円は“恩返し”だったのだから無しにするという。

沖縄県知事も、一市長選の結果で、自分の考えを変えることは無いと断言する。

傲慢だというほかない。自民党が大勝して衆院選、参院選。それを「民意」と皆言ったではないか。国政選挙は民意であり、地方選は民意で無いということか。

名護の選挙結果は、辺野古に米軍基地が来るのは嫌だという名護だけの”エゴ“ではないと思う。沖縄に米軍基地はいらないという沖縄県民の民意と捉えるべきだと思う。

明治政府が行った“琉球処分”以降、沖縄は“屈辱”を味わい続けてきた。その歴史が、国に対して「ノー」を突きつけたのだ。

名護の民意を中央政府は、真摯に受け止めるべきだ。

普天間返還に向けて淡々と作業を続けて行くと官房長官は言う。普天間、宜野湾市の市民は、普天間の負担が軽減されるなら辺野古を歓迎すると民意として言っているのだろうか。

原発事故によって発生した「指定廃棄物」の最終処分場を巡って、候補地にあがった町は市はもめている。「まさか自分のところにくるなんて。反対だ」。そこの住民はおおむねそう言う。

最終処分場が必要なことはわかっているが、自分のところには来て欲しくない。持ってきて欲しくない。

そんな“住民感情”なるものが沖縄にも存在するのだろうか。

政権の傲慢さ、強引さはすでにして実証済みだ。いわずとしれた特定秘密保護法の採決。あとから「反省してる」と言わざるを得ないような強引さ。

なにがそうさせているのだろう・・・。

きょう、辺野古移転に伴う工事の着工について、入札の公告を出した。市長選で示されて民意など「無かったこと」のように。

この強引さは何を意味し、何を目論んでいるのだろう。

今の政治家、もちろん与野党を問わずだが、政治のプロはいないと改めて感じる。素人ばかりだ。しかし、絶大な“権力”だけは握っている。
政治のプロとはアマチュアのことがわかる人のことを言う。プロフェッショナルとはそういうことを指す。

口だけは言う「地方の時代」「地方自治の尊重」「権限移譲」。それは格好だけのことだったのか。地方の民意を意に介せずに、無かったことのように見ることが。

実は、政権にとっては大きな痛手だったのだ。それはわかっていることであった。だから、余計に強気に出ることで、中央突破を図ろうとすることで、政権の体面を保とうとする。

自民党の幹部の一人が言っていた「アリの一穴が怖い」。そう、そんな人だっているのに。

地方の民意の無視。それは、遅からず、福島にももたらされるは必定かとも。

2014年1月20日月曜日

名護と南相馬、そして民意

沖縄の名護市長選。普天間基地移設、辺野古埋め立てに反対する現職市長が勝った。
福島、南相馬市長選、脱原発を言う現職が勝った。

福島について言えば、郡山、いわき、福島、二本松と現職が敗れる連鎖に相馬市と南相馬市がその流れを断ち切った。

福島県の県紙を除いて、ほとんどのマスコミの関心は沖縄。たしかに、普天間基地問題は大きな政治課題であり、名護の民意が国にNOを突きつけたということで大きなニュースだろう。
でも、南相馬だって原発と言う“国策”を巡る大きなファクトであったはず。

名護の扱いはとてつもなく大きく、南相馬は、びっくりするくらい小さい。

共通して言えることは安倍政治に大きな困惑を与えたこと。

しかし、一市長の「反対」で、どれだけ国策を変えることが出来るのか。

そして、選挙で示された「民意」なるものをどうとらえるか。
どういう展開が今後予想されるかはともかく、基本的には国は「意に介さない」という姿勢であり続けるのだろう。

沖縄を語る資格を持っているかどうかは忸怩たるものあるが、名護で示されて民意をどうとらえるのか。

名護市はメインストリートであっても人影は少なく、明らかに経済、財政的には“疲弊”しているはず。

それに付け込んだ石破は「500億円の名護振興基金」を打ち出した。仲井真知事と安倍首相の話し合いでも、安倍は3,500億円の沖縄振興策を打ち出した。

沖縄は、今の沖縄では、カネは喉から手が出るくらいに欲しいもの。でも、沖縄県民は、名護市民の多くは、とりあえずそのカネを拒否した。
明治政府による琉球処分以来、脈々として続く沖縄人の心情、真情があったのだろう。

本土対沖縄。米軍基地の扱い。民主党政権が誕生し、鳩山が、その真意はいろいろ取り沙汰されるものの、県外移設を高らかに謳ったことが、混乱に拍車をかけた。

沖縄の米軍の司令官も言っていた。「基地の問題は、米国の問題というよりも日本の政治の問題なのだ」と。「居て欲しいと日本が言っているとも」。

沖縄は、今や、現実問題として基地経済に依存している。雇用の問題を中心に。
米軍基地を県外に移転させて、沖縄の地域経済を維持出来る方途は国は持ち合わせていない。

だから、沖縄には、名護で示されて民意と。もう一つの「隠れた民意」があるはず。

多分、安倍政権は、これからも様々な「圧力」を沖縄にかけ続けるだろう。

そして国民レベルでの大きな民意は、沖縄は海の向こうのことなのだろう。

だから、稲嶺当選で喜んでばかりはいられない。これからが問題なのだとも。

南相馬市、多分、これから国や東電から様々な圧力が掛けられるだろうカネの問題も含めて。

「お上に弓引くやつは可愛くない」。

原発事故以来、ずっとそうだったが、県は国に対して常に及び腰。南相馬の民意は県民全部の民意ではないとするだろう。
これまでの様々な交渉事でも、県は常に当該市町村の問題として「投げて」きたのだから。

人口数万人の一地方自治体の市長選。それが国政にどれほどまでの影響を与え、圧力となり得るのか。

そして二つの市とも「民意」は錯綜しているのだ。

名護市に「力」による混乱が起きないことを祈る。でも、あり得ない話ではない。米軍の戦車によって蹂躙された沖縄の地が、ダンプカーやブルドーザーによって蹂躙されることだってあり得る。

沖縄米軍基地と原発。

突きつけられている、手を打ってこなかった懸案。だからこそ、小さな、当事者である自治体“反乱”が持つ意味は大きい。

沖縄封じ込め、福島封じ込め。そんな構図をまたしても考える。

2014年1月19日日曜日

「見えないもの」をめぐって

「見えないものを見る目」、そんな言葉が流行っていた。その「見えないもの」という対象は多岐にわたっていたが・・・。

「3・11」後、福島では、その見えないものとは“放射能”だった。それは今でもそうだ。

「見える化」なんていう流行り言葉に乗るつもりはないが、モニタリングポストや線量計で示される数字が唯一、放射性物質についての「見える」もの。

だから「数字」が大きな意味を持ち、数字の高い、低いが判断基準になり、それが「健康被害」ということに結び付いていく。

多分、これからも「福島」は、無機質に示される数字に支配される生活が続いて行くのだろう。

健康被害なるものの、「見えないもの」の一つだ。“1ミリと20ミリ”の狭間に何があるのか。今は、口にのぼってはいるものの、それは全く見えていないはず。

そして、もう一つの見えないもの。それは、人の心の動き。見えないものにさいなまれて、より、こころが考えが対処の仕方が見えなくなってきている。

見えないがゆえに、人と人との間に“葛藤”を生む。いや、自分自身の中でもか。

見えないものを見る。なんか哲学的で、文学的で、思索的で、上手い表現かもしれない。でも、「見えないもの」を別の言い方にしたらどうなるのか。

例えば「瓦礫」。宮城県ではその処理は完了したという。瓦礫と言う言葉で、それでしか言い表せない光景は、無くなった。見えないものになった。しかし、その跡に残った荒涼たる光景は、依然、「見えるもの」として存在する。存在し続ける。

原発事故の現場。それは「見えるもの」であり、「ここにあるもの」だ。それが「見えないもの」、「そこにあったもの」という過去形で語られるまでは。


哲学や文学は、ある意味、「ここにないもの」を対象にして、それを探す試みだった。

それが一つの“救い”のようなものだったから。

でも、「ここにあるもの」「そこにあるもの」として捉えれば、向き合い方も変わってくる。

この国は「ここにないもの」を探し、求める。そんな文化を中心にしてまわってきたのかもしれない。

常に「ここにあるもの」「見えるもの」を中心にして、もろもろ考えて行けば、あらたな展開だってあり得るのかもしれない。

「もし、仮に、原発が無かったら」。そんな論議は福島ではもう通用しない。

例えば、震災や原発事故を捉えた映画は、見えないものを対象に、その見えないものをどう表現するかに、それに携わっている人たちは、苦労し、意を用い、精魂を傾けて来た。それは今後も為されるだろう。

たとえば“家族”という小さな単位であっても、そこに横たわる「見えないもの」をどう演出し、どう演じるかに、悩み続けて来た筈。

3年前まで語られてきた「見えないもの」と、あの日以降の「見えないもの」への捉え方、考え方は違う筈。

福島にあるすべてのことを「ここにあるもの」と捉えて、さまざま考えて行かねば。

絵空事のような話にはもう飽き飽きしている。

「最後の一人まで探し出す」。年金記録の問題で、時の政府は大見栄を切った。それを誰かは信じた。でも、結果は、それが不可能であることがはっきりした。
政治の“約束”なんてそんなもんだ。
「最後の仮設が無くなるまで」、そう言われて何かを信じるのだろうか。

「今、ここにあるもの」、それと向き合うことしかない・・・。

2014年1月18日土曜日

電力“消費者”としての東京

ごくごく単純な話し、もう、今や、東京で使われている電気のほとんどが福島で作られていた、福島第一発電所で作られていた。それを「知らない」という人はいないだろう。今でも福島の広野火力や小規模ながら水力発電で、それはもちろん東京電力の発電装置だが、電気は東京に送られている。
東京の電気は新潟の原発からも送られていた。今はどの原発も稼働していないが。

東京は巨大な電気の消費地だ。消費者だ。そして、この国は消費者を大事にする。消費者庁なんて官庁もあるくらいに。
そして事あるごとに「消費者は声を上げよう」といい、何かクレームごとがあると消費者センターに連絡しようと呼び掛ける。

福島は電力の生産地だった。
「うちは東北電力さんから電気を買っているのに。なんで東京電力の爆発でこんなことになるのかな・・・」。全村避難を前に、炬燵の上で手を組みながら飯舘村の主婦がつぶやいていた。
「東京電力がなければな・・」とも。そして別の人は言う。「起きてしまったことは仕方ないけど、納得いかないよ。あいつらの言い分は聞けない」とも。

映画「無人地帯」に記録されている言葉だ。

消費者である以上、なにかと言うと消費者の権利を主張する以上、東京都民は原発について議論すべきなのだ。どっちに動くにしても。

都知事選の焦点に原発を掲げることの是非がかまびすしい。

争点に、最大の争点にして然るべきだ。消費者だったのだから。

都政とはなんぞやなどと、いわゆる「政治論」のレベルで、政治の在り方、地方自治のありかた論で、屁理屈を言っている政治家、政治評論家や政治ジャーナリストさんたちよ。
玄人ぽいその解説、いらないよ。どこの党内事情がどうだとか、裏ではどうだとか、それは、大好きな政治論議ではあるけれど、ちょっと違う。

以前はこう言っていた。こんなことをしていた。それはどうでもいいこと。
今、原発についてどう思うか。どうすべきか。
最大の消費地、東京が真剣に考えること。3・11後を問うという意味でも。

原発について、都民の選択を問うべきなのだ。奇禍として訪れた都知事選。

消費者の責任において決めるべきことなんだ。原発につての選択を。

原発が無くなって電気料が上がれば困る。そう家庭や工場で声があがる。それはそれでよし。でも、絶対安全な原発は無く、欲得の問題を絡めずに、福島の悲劇、今も延々としてつづく悲劇、解決の道筋も見えない悲劇。それを知って、どうするかの選択をすべき“チャンス”を迎えたんだぜ。

反対のための反対運動。それは無視して結構。個々人の「モラル」「在り方」として敢えてその道を選ぶべきなのだ。

この時以外は無いのだよ。意思を示せるときが。

数日前、郡山市内であった建設関係の新年会。
「アベノミクスが浸透して、景気はよくなってきていると思う。しかし、建設資材が高騰し、資材不足。発注があっても応じられない。しかも人手不足。人が集まらない。お互い情報交換を密にして乗り切らないと」と社長の挨拶。
雑談の中で言われる。「オリンピック工事が始まったら、この事態はもっと深刻になるだろうな」という危惧の念。

そういう点ではオリンピックの問題だって焦点の一つにあげてもいい。他の事はおおよそ猪瀬がレールを敷いているんだから。

誰かの犠牲の上で、犠牲を強いて、成り立つ政治。

とにかく厄介なしろもの。破壊された原発。手を付けられない“原発”を抱え込んでいる福島にとって、従来の政治論議の延長で語られる都知事選にはしらけきってしまうのだけどな。

だからね、福島県人も、そろそろ県知事選のことを心配しましょうや。このままでいいのかどうか。後出しジャンケンがどうだこうだという稚戯に類した「高等戦術論」なんてやめてさ。

明日の南相馬市長選の結果も気になる。名護の市長選のことも。

2014年1月17日金曜日

「巡礼の旅・・・」

19年前の今日、あの阪神淡路大震災があった。6400人余りの方が亡くなり、神戸の街は“壊滅”した。
朝から、そう発生した午前5時46分から、神戸を中心に、鎮魂の祈りに包まれる。
19年前を思って祈る。それは生きている人達の、時の流れへの“巡礼の旅”かもしれない。

あの日、まだ寝ていた。その時は。会社の宿直から電話があり、テレビを付け、とにかく会社へ。会社の棚の上に並べられている5局を写すモニターからは、空撮を含め、その映像が次々に映し出されている。
「破壊された映像」。
大阪の局との取材応援。支援の手配。とにかく一日中立ったままだったような。

それが「遠く」で起こった惨事であることがかえって歯がゆかった。

火災も含め、破壊しつくされた映像。

後日、「阪神淡路大震災と方丈記」というコラムをやっとの思いで書き上げた記憶がある。「大地震(おおない)ふることはべりき」の段を引用し、冒頭の一文に戻り。うたかた、風の前の塵・・・・。

半年後、ようやく神戸に行くことが出来た。長田の仮設商店街に足を向けた。
そこには人が溢れてはいたが、“復興”という言葉は浮かばなかった。

とにかく、神戸の街はすっかり、その姿を変え、仮設がマンションの復興住宅に変わっても、そこには多くの問題が渦巻いている。今のこと。

その年、3月22日、地下鉄サリン事件が起こった。神戸が祈りに包まれている日、被告の一人の“遅すぎた裁判”が行われている。

地震とオウム。関連性は無いと思うけれど、あるのかもしれない。
気障なようだが「黙示録」としての。黙示録とは「啓示」という解釈での。

「巡礼の旅」ときょうの表題に書いた。村上春樹の「色彩を持たない田崎つくると彼の巡礼の年」から借りた。

彼の災後の文学とも思ったが、そうであるのかどうか。わからない。読む方がかってにこじつけるだけ。

「アンダーグラウンド」。オウムを題材にした、村上春樹のインタビュー構成の小説。そこにも黙示録的なものを感じた。

そして、3年前の東日本大震災。神戸と決定的に違うのは、東北は原発事故を伴ったこと。

「悲しみの共有」の中で、原発事故はどういう位置に捉えられるのか。

「3・11」の後、また方丈記を持ち出して書いた。数本を。方丈記に仮託する以外に、鴨長明の時代に遡る以外に、巡礼は出来ないと思ったからか。

きのう、東京の渋谷に行った。原発事故後、4月と5月と7月と。津波で破壊された浜通りの光景、何も破壊されていないが、見えないものによって破壊されてしまった飯舘村・・・。「無人地帯」というドキュメンタリー映画の劇場公開に先立つ試写会。

故郷であるはずの渋谷。その町もすっかり面影を変えていた。あの頃、つまり毎日のように通っていた百軒店。ジャズ喫茶が二軒あった一角。もちろんその店は無い。スイング、オスカー。
あやしげなホテル街に変貌していたボクの町。そこには色彩があった。でも、それは単なる看板としてだけの色彩。

きのうはボクにとっては“巡礼の日”だったような。そして残ったのは、限りない疲労感。

渋谷に向かう山手線。たまたま、無人地帯の監督が大島渚の“弟子”であり、大島渚が持ち続けていた「怒り」を受けついでいたからかもしれない。
前日に見た日本テレビのメンタリー「忘れられた皇軍」を見ていたからだろうか。山手線の車内で脳裏に浮かんだ光景。傷痍軍人がいたあの頃、子供の頃の光景。

あの頃、山手線は子供たちにとっては格好の遊び場だった。一区間の切符を買い、何周でも乗っていられた。最前列でレールを見て、車窓の風景を飽きずにながめて。必ず傷痍軍人と出会った。白装束の。義足や義手の。
その人達との接し方を子供はわからなかった。首から下げた募金箱に入れる金は持っていない。だけど、その異形の人たちがいるのは戦争によるものだとはわかっていた。出会う度に戸惑っていた・・・。

記憶を巡る巡礼の日だったのかも、昨日は。

「無人地帯」の監督に聞いた。インタビューを受けていた飯舘村の人のその後を。笑って答えていた95歳と言っていたばあちゃんは去年亡くなったという。
60年間、丹精込めて手入れをして美しい花々を庭に咲かせていたばあちゃん。
消息は不明になっていたと聞いた・・・。

2014年1月16日木曜日

「仮設に戻りたい」

きのう「復興」という言葉についての疑義を書いた。それと同じように、あの大震災後、あちこちで言われ、問題点とされ、多くの人が口にする「コミュニティー」。

この“突然ように”降って湧いてきたようなカタカナ語に未だ当惑しているし、それっていったい何なんだいって思考が抜けきれない。

辞書にはこう記されている。①地域社会、共同体。②個人を全面的に吸収する社会集団、家族、村落など。と。

三陸地方の高台移転の話でも、福島の原発避難の問題でも、必ず言われるコミュニティー。それが壊される、それを大事にしないと・・・。
仮の町が言われた時もその言葉が前面に登場し。県外避難者の間でも、それは常に言われていた・・・。


コミュニティーとはもともとあったものだろうか。
カタカナ表記するかどうかは別にして。

それが「形」としてではなく、人間の「感情」を伴ったものなら尚更。

②の“定義”にこだわるつもりは毛頭ないが。

喪失があって、はじめてそれが意識され始めたのだろうか。全てを失って、心のよりどころ、喪失感を埋める”作業“の中で目覚め始めたものなのかもしれない。

卑近な話だが、町内会というのはコミュニティーと呼べるのだろうか。人口32万人の郡山市はやはり地域コミュニティーなのだろうか。

同じような悲惨な境遇にあった結果、その場で生まれたのがコミュニティーと言えるのかもしれない。そう“個人”を吸収してくれるような。

だから、「仮設」が生まれ、そこに暮らしている、それがかつては見知らぬ人同士であっても、そこにコミュニティーが誕生する。そして、それは極めて大事なものなのだと。

こんな話を聞いた。
狭くて住環境の悪い仮設を“運よく”出られた人がいる。県外に、見知らぬ土地に避難している家族と一緒に暮すようになった。
その人は、特に高齢者は、「仮設に戻りたい」と言い、実際に戻った人もいる。

たとえ住環境は改善され、家族とは一緒になれても、それ以上に知り合いが出来ない。話し相手がいない。それに耐えられないのだという。

仮設に戻れば、2年前から出来た気心のしれた知り合いがいる。一緒に苦労した仲間がいる。心がやすらぐというのだ。

たしかに、現実問題として、仮設があるところには新たなコミュニティーが生まれた。さまざまな“支援”も仮設単位で動く。
おすそわけも、お互い様もある。

物理的な環境よりも、人間的な環境を求めるのかもしれない。
都会の無縁社会や孤族の問題にも通じる。

阪神淡路大震災のあと、長田区でも仮設は2年で無くなった。災害復興住宅とでもいうのか。高層マンションが出来、長田の人たちの多くは、その“快適”なマンションに入った。
そして「孤」の生活を余儀なくされているという。

福島の仮の町構想はどうなったのだろう。どこへ行ったのだろう。
復興住宅なるものの建設も、遅まきながら進んでいるという。数年後、仮設は無くなるだろう。それは「長い間」住めるような場所ではないのだから。


こんなことをふと思ったりする。コミュニティーとはもともとあったものではなく、新たに出来上がった、作り上げたものなのだと。
それは、どこか「故郷論」と似ているような気がしてならない。

そして、数年後、またコミュニティーは崩壊し、物理的に無くなり、どこかで新たなコミュニティを作る動きが出てくるのかもしれない。

しかし、仮設に“Uターン”するのは行政的には、東電の側の論理からするとそれを阻む規制もあるという。

作られたものではない、作り上げたコミュニティー。それと人間との関わりあい方。
政治の問題を越えているような、それが解決出来ないような、重い課題。

2014年1月15日水曜日

「東北は立ち直る」

久しぶりに郡山駅の新幹線改札口に行った。

改札口の脇に土産物売り場がある。そこに飾られていた黒のTシャツ。

「東北魂」と大書された背面。その脇に書かれていた。「東北は立ち直る」と。

上手い。いい言葉だ。

「立ち直る」。それはこの二年以上、探していた言葉だったのかもしれない。

何故か・・・。

何回も書いた。「復興」という言葉のあいまいさ、不定義を。その意味を問い続けた。そして、今でも思っている。「復興とは何だい」って。

でも時々復興という言葉を書く。言ってみれば、それの方が「楽」だから。伝えやすいと考えるから。

でも、本質は捉えていない。何を指して復興というのか。復興庁という役所の人に聞いても明確な答えはないだろう。

メディアに復興と言う字が堂々と書かれ、多くの人々がそれを言う度に「復興」ということの中身がより漠然としたものとなり、課題を曖昧にし、復興を言うことが“正義”だと勘違いされてきているのだ。

再びふるいおこす。元の形に戻す。復旧とはどう違う。再生というのはどうなのか。

「故郷“復興”のために頑張ろう」。いきなり鉢巻姿になって拳を突き上げている「偉い人」たちの姿は滑稽だ。

高度経済成長に押しつぶされ、そこにあった固有の文化や自然の姿。人々の営み。
大きな「喪失感」の中に多くの人たちが生きている。暮らしている。
明日を考える余裕すらなく。

そうした人たちの日常を取り戻す。

それには「立ち直る」って言葉はぴったりくるし、分かりやすいかもしれない。

戦争によって破壊されつくした日本。廃墟の中から人々は、日本人は立ち直った。それは戦争前と同じ日本を作ろうということではなかったように。

猫も杓子も「復興」「復興」を言う中で、時々戸惑う。機嫌が悪いと、その意味は何だと言ってみたりする。怪訝な顔をされる。

「復興」と言う言葉の意味や、その在り方、実像。それはきっと画一的なものではなく、個々人にとってそれぞれ違うものでは無いだろうか。

いや、違う筈だ。

個々人が思う「復興」なるものの姿。それを成し遂げるための第一歩は「立ち直る」という気概なんじゃないだろうか。

東北新幹線は「あの日」以来、数か月にわたってストップしたままだった。郡山の駅舎も壊れ、車両が行き来しない、乗降客のいない駅舎は廃墟だった。

3月11日の翌日、12日に東京に結婚式で行く予定だった。切符を買っていた。4月になって、細い通路が出来、そこを通って払い戻しに行った。

そこは建築現場のようだった。狭い窓口に駅員が数人いた。「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と駅員に言われた。「あなたがたのせいじゃないよ。こんな中で御苦労さま」。そんな会話を交わした。

そして駅舎は復旧し、新幹線も開通するようになった。

それが当たり前のように、駅には人の賑わいが戻ってきた。

そんな駅のあの時の光景を見たいたからだろうか。立ち直ると書かれたTシャツに興味をそそられたのかもしれない・・・。

あのTシャツ、買いに行ってくっぺ。

2014年1月14日火曜日

「創られる“若者像”」

テレビの報道系、ワイドショー的番組についてだけ取り上げて言う。その「演出」について。成人の日を巡る伝え方について。
腹立たしいから。

ニュースを含め、情報系の番組は、ほとんどが発局は東京だ。成人式、それもおおむね東京での光景。

そしてテレビの基本は「画になる」ということ。画になるネタを探し回るということ。

今年は「花魁」ファッションが流行りだという。なにやら「花魁もどき」の着物姿をし、肌には描いたのであろうタトウを入れ・・・そんな格好の女の子を見つけては撮って流す。

大方の「大人」は眉をひそめる。なんだい、どうなっているんだい、今の若者は。と。
それは、大勢の新成人のごく、ごく一部に過ぎないのに。

画を求めて那覇を探す。“恒例”のような荒れる成人式。警察とのもめ事、逮捕者。
「大人」は眉をひそめる。

目立つために、目立ちたいだけでやっている「大人の目」を“勘定”に入れた行動なのに。
おかしな若者像が、テレビで“量産”されていく。うたかたのように消える一瞬の若者のパフォーマンスなのに。

東京のどこかの駅前。ご丁寧に都知事候補の顔写真と名前を書いたフリップを持参。晴れ着姿の女性を呼び止める。
「この人知ってますか。名前はなんて呼びますか」。

マスゾエ。読めなくて当たり前だよ。ヨウイチは読んでいたけど。タモガミ。無理だよ。福島県人なら、彼の出生地が田母神という地域であり、道路標識があるこで知っているだろうけど、「え、たもしん??」、そう怪訝そうに読んだっておかしくは無いはず。

そして、その番組が持っていく方向は、「都知事候補者の名前も知らない今どきの若者」っていう雰囲気。

きょう細川護煕が出馬表明したけれど、モリヒロって読める人は多くはあるまい。

新成人の一部を切り取って全員がそうであるかのように、笑いの中で語ることに何の意義があるのかとも。

そして、いわゆる被災地での成人式では、それは真実、いい話なんだし、それを取りあげることに違和感はないのだが、どうも、どの局も「お涙頂戴」のような美しい話に“仕立て上げている気にすらなる。

「3・11」以来、その実相は面で伝えられることと、点で伝えられことがあった。そして点で伝えられることは、深く掘り下げられており、丹念に取材されて居り、点を見ることで面が見えること、わかることもあった。

成人式の伝え方、それは、どうもお手軽な「点」での伝え方。それで、面としても若者像を伝えて欲しくない。

こんな話題も提供されていた。沖縄だったか。式典のあとの「バカ騒ぎ」で、ごみがまき散らかされた道路を振袖姿の子が、ごみ拾いをしているという話題。

どういう、誰の発案かしらないが、振袖でのゴミ拾い。やめたほうがいい。着物が汚れる。衣装屋さん泣かせだぜ。

家に帰ってジャージーに着替えてからやって欲しいなとも。

だから、そのテレビを見ている人は、そのまま、その子たちを見て、「今どきの若者は」という位置づけをすべきじゃないと。
それは点にしか過ぎず、しかもテレビが「創った」ものであるという見方をしてもらわないと。それにはテレビと向き合うための“想像力”をも必要とする。

そして、それは、政治報道にだって当てはまるはずだとも。

そして、もう一面では思う。成人式とは各自治体がしつらえた儀式。そこに全員がお行儀よくいるのは、かえって不気味だとも。礼儀正しく、行儀よく、大人しい若者たち。かえって、その順応ぶりが気になったりする。

世間を見る窓としてのテレビ。その窓に向かう感性も必要なのになぁ・・・。

2014年1月13日月曜日

「新成人」と「行き場の無い高齢者」と

昨夜、東京から来た知人と郡山市内のホテルのロビーにいた。

ロビーはいっとき、若い男女で埋め尽くされていた。成人式の“二次会”だったのだろうか。ごく普通の服に着替えて。

そのホテルのロビーは「3・11」後、そこに宿泊していた人も含めて、交通網が遮断されて行き場の無くなった人たちの「避難所」だった。

ホテルは大方が損壊。従業員は部屋から毛布を持ち出し、炊き出しをし、ロビーには多くの人が毛布の中でかなり長い間過ごしていた。

そこは一時期、決して“晴れやかな場所”ではなかった。暖房も切れていたし。

やがてそこは晴れやかな場所に戻っていった。

郡山の成人式はきのうビッグパレットで行われていた。振袖姿の女性、羽織袴の男性。歓声がうずまき、スマホの撮影会が続き、イベントがあり、来賓挨拶があった。

「3・11」後、その場は8千人からの人がひしめき合ったいた、着の身着のままの、食料を得るための段ボールで囲われた、人間の尊厳が皆無のような避難所だった。数か月にわたって。

そんな光景や面影や今は全く無い。


着飾った成人式。日本全国での。

僕には成人式の記憶が無い。それがあったのかどうかも知らない。着るものは学生服しか持っていなかった。
二十歳になった日、それを覚えていない。

「整えられた成人式」。その日が彼らにとって何を意味するのだろうか。

二十歳の誓いやどこでも読み上げられ、それには期待するのだが。

写真は“記録”として残るだろう。思い出になるだろう。友人との久しぶりの再会。楽しい一日だったろう。
でもそれは、長い人生の中のたった一日だけの通過点だったのかもしれない。


そのタイミングをねらったのかどうかは意図はわからないが、今日の朝日新聞の二面にわたる特集は老人問題だった。

都会の、行き場を失った、大方は痴呆や介護を必要とする高齢者が、まるで「ふきだまり」のように、そこにしか身を置くところが無いという通所介護施設の話。通称は「お泊りデイ」。デイサービスなのにそこに泊り続ける高齢者の話。

見出しは書く。「行き場なく雑魚寝の老後」と。

このところ自分の「老後」が気になる。とりたてて老後の蓄えも無い身、今は、疲れたを連発し、明らかに身体の動きが緩慢になっている自覚は持っているものの、やがて「普通」でないからだ、介護を必要とするかもしれない身、数年先かもしれない自分の、その時の姿を想像したりする。

とにかく「健康第一」と真剣に思いながらも、日々に追われて何もしていないようなこの自分。

「なるようにしかならない」。そう思って考えを中断する自分。


今年の新成人は121万人。去年より1万人減っているという。

たぶん「社会システム」として、若い人が高齢者を抱えると言うシステムは崩壊するのは必至だと思う。

国の政策にしても、何にしても、それを考え実施するのは現役の人たち。政治家にしても官僚にしても。

際立った高所得者だった僅かの高齢者を除いて、「豊かな老後」は有り得ないのではとも思う。

人は、その多くは、「今の自分」を基準にして物を考える。それは「今が、今さえ良ければ」という事では決した無く。

121万人の新成人。彼ら、彼女らの50年後はどうなっているのか。
学者や専門家、役所では数字としてそれの予測はしているだろうが、やはり、それに携わっている人たちは、遠い将来の事としか見ていないのかもしれない。

高齢化社会と言われて久しい。それが、現実の問題として表れて来た。誰も有効な手を打てないでいる。

不謹慎のようだが、成人の日と言う目出度い日であるからこそ、高齢化社会に思いを馳せる。

老いる、衰える。それを人生の摂理として、哲学として教えを語る人たちがいるが、とてもじゃない、そんな高潔な人格なんかになれそうも無いし・・・。

なんの覚悟も持ち得ないまま、きっと今日一日を終えるだろう。「なじょすっぺ」。そんな疼きを抱えたまま・・・。

2014年1月12日日曜日

県境が生んだ「差別」

福島県と宮城県の県境を接したところに丸森町というところがある。

飯舘村からも車で10分足らず。宮城県が福島県に、地図で見ると「くいこんで」いるところ。

その町にも放射能は降った。

一時は都会からの田舎暮らしにあこがれて移住してきた人達も多かった町。昔は養蚕で栄えていた町。いくつかの村が合併してできた町。

東京電力福島第一発電所の爆発事故。以来、原発事故の代名詞となった福島。
その被害を受けている地域。そこは行政区画としての福島ではない。
子供の被ばく問題も含めて、住民避難の問題も含めて、そこは福島と同じ扱いになって然るべきだが、そこは福島では無い。

「フクシマ」と言うべきなのか。カタカナの「フクシマ」。それは丸森に適用される表現だとも思えるのだが。

福島県人は「フクシマ」とされることを嫌う。そして原発被害は福島にだけあるものと思いがちだ。しかし県境をまたいだところに原発被災者がいるという事実。

その県境に近い村。耕野地区。小学生はたぶん15人いる。町が行った除染で、線量はかなり減った。でも、0.3マイクロシーベルトはあるはずだ。

爆発直後には年間5ミリシーベルトのところもあった。

“除染”された土は子供たちの遊び場に“同居”している。

子供たちは外遊びをし、屋外プールもそこにはある。

放射能は県境では防げない。

たぶん、今でも南相馬やいわき市より線量は高いはずだ。

しかし、そこは福島ではない。

復興庁が決めた子ども被災者支援法基本方針案の「支援対象地域」から外されている。原子力損害賠償紛争審査会の「自主的避難対象地域」からも外されている。

コンフレに入って積まれたままの汚染土。その行き先も決まっていない。やがて福島県内の中間貯蔵施設にそれは搬出されるのか。

都会の一部にも丸森のような線量の地域もあるはずだ。


除染をめぐっての国の対応は不可解の一語に尽きる。環境省と総務省の“縄張り争い”。それも逃げ口上の。

統一する筈の復興庁も頭を抱えるだけ。

こんな地域は宮城の他の町にも、千葉県にも有るんだぜ。


丸森の学校関係者は頭を悩ましている。

「被ばくのリスクと心のリスク」を考えながら。子供間での心の傷を考えている。


町は予算を組んで子供たちの甲状腺検査も実施している。

町から自主避難家族が生まれたとする。その家族に対して援助や賠償は無いと聞く。

県境で放射能は止められるはずはなかった。有り得ないことだ。そして「被害」が出て来た時、県境と言う二文字が大きな障壁になっている。

原発事故の中で、“見捨てられた”町。そう、地震でもあった長野県栄村のようなケース。

“見捨てられた”村。

丸森町のことは県も国も知っているはずだ。でも、結果は知らんぷりを決め込んでいるようにしか見えない。東電は言わずもがな。

町の人口流出は激しい。1万人はいるのかどうか。耕野部落、筆甫部落・・・。

もしかしたら福島県内との交流が大きなウエイトを占めていたかもしれない宮城県に“所属”している“過疎”の町。

子供たちは屈託の無い笑顔で、思いっきり身体を動かし、太鼓と格闘し、歌を歌っている。
みんな大の仲良しのように見える。

高齢者は木を切り、草を刈り、それなりの、それぞれの“除染”に努めている。そして町は苦悩している。

県境があるゆえに生まれた差別。そう思わざるを得ない。


「福島」から「フクシマ」を見る。そしてそこに東北の現実を見る。

きょうは成人式。郡山では着飾った20歳がそれぞれの思いを語っている。

丸森町にも新成人はいるはず。どんな成人式を迎えているのだろうかとも思う。

2014年1月11日土曜日

2年10カ月・・・

あれから2年10カ月。もうそんな日にちが、と思う人もいれば、まだかと思う人もいる。

何が変わったのか。何も変わってないのか。それも人のとりようで様々。

「目に見える復興は進んでいる」。先日安倍はそんな意味のことを言っていた。

目に見える復興。震災瓦礫の処理、処分状況は宮城・岩手では90%を超え大方終着点は見えてきたようだ。

福島は未だし。“汚染”されていない瓦礫ですら60%台。細々と進む除染なるもので、行き場の無い土や木を入れた野積みの「フレコン」は、いわば放置されたまま。

瓦礫処理が進んだ。それは「後片付け」が済んだということ。その後をどうするか。誰が悪いというわけではない。広がる光景は「復興」とは程遠い。

巨大な防潮堤論議が果てしなく続く。まずは防潮堤ありきということなのだろうか。津波の被災地では。

目に見えない復興。それが人の心や人間関係を指すものであれば、その目に見えないものはより「深刻さ」を増している。

福島県内は、引き裂かれた福島県内は、たとえば賠償金の問題をめぐり、たとえば自主避難、県外避難、県内避難をめぐり、県民同士の“いがみあい”や“分裂、分断、対立”はもはや修復不能な状況にすら見えてくる。

19年前の阪神淡路大震災。2年で仮設は無くなった。東北では仮設がそのままであり、その生活に慣らされ、そこから脱出する気力がだんだん失われているような気さえする。

沖縄の基地問題、原発禍の福島。それはおおかた、「その地だけの問題」とされ、「阻害」されようとしているかにも思える。

それぞれ当該地だけでは解決不可能な問題なのにもかかわらず。

「疲れた」。そんな感覚が人々を支配し始めている。

あの大震災から一ヶ月余、宮城県の山元町というところに臨時の災害FM局が誕生した。30キロ県内が受信可能区域。

未だ以って、災害情報を、地域情報を流し続けている。アナウンサーは元地元のテレビ局に勤めていた71歳の人。

いとうせいこうが書いた災後の文学といわれる「想像ラジオ」という本を想起させる。

放送免許の延長を、期限切れの前に申請した。

「仮設が無くなるまでこのラジオ放送は続ける、伝え続ける」という関係者の強い意志で。

伝え続ける努力を大手のマスコミがどれだけ持続させているのか。心もとない。

絆、忘れない、風化。そんな言葉の数々は、あまり聞かれなくなった。

2年10カ月なんだよな・・・。あと二カ月で丸3年。

大きな節目が待っている。

りんごラジオは開局以来、一日も休まずに情報を伝えてきた。わずかの人数で。カネ儲けになるわけでもないのに。

あの日から数日後。この「ブログ」なるものを一日も休まず書いてきた。それは何の役にも立たないものであり、老いの繰り言みたいなものでもあったが。

徒労感は正直ある。でも、それを言わない小さなFM局の存在に励まされる。

東京都知事選。なんだか遠い国の話のようにさえ思われることがある。
「脱原発」「反原発」。原発が選挙の焦点だと言われ、それを隠す、隠さないが言われようとも、「東京」というところの原発論議だ。

その道に分け入って見れば書きたいこと言いたいことは山ほどある。

でも、2年10カ月という節目には、近づく大きな節目の3・11を前にしては、「足元」に目を転じなくてはならないとも思う。

相変わらずネットで展開されている「デマ」、飽きずに提供されているデマ。福島を“危険地帯”だと決めつける人たち。

これからの二カ月。考えなければならないこと。考えを整理しなければならないこと。山ほどあると思った今日・・・。

2014年1月10日金曜日

温暖化と寒波と地震と

たしかにこのところ地震が多い。関東周辺を始め、福島沖や宮城沖。震度は4から3,2までといろいろだが。
なんか不気味な感じがする。

あのマグマが吹き上げて出来た島、西ノ島。どうなっているのだろう。このところさっぱり報道されない。

素人考えでも「地殻変動」を感じてしまう。

そして、今日は寒い。寒いの一語。晴れていて青空はあり、遠くには「白きたおやかな峰」は望めるのだが。さっきは零度だった。

日本海側、大雪との報。この冬一番の寒波襲来と天気予報は伝える。

寒波は日本だけではない。アメリカの大寒波だ。水道管は破裂し、吹き上げた水が電線を凍らせてしまう。大停電だってあり得る様子。寒波による死者も出ている。

地球温暖化だという。数十年後には水没する島や国もあるとか。北極の氷は溶けだしているとか。

温暖化なら暖冬という考えは甘いらしい。全体的な温暖化が、海水の温度が上昇することで、かえって大気を不安定にし、寒波をよぶとか。

日本海側や北海道の大雪。西日本の一部も。全国的に今朝は氷点下だったとか。
朝から晩までの雪かき、除雪。高齢化社会には辛いものだ。

福島県の浜通り、原発がある地域。そこにも寒冷注意報が出ているとか。現場で、表で働く作業員。さぞかし辛いことだろう。“着ぶくれ”では作業は出来ないだろうし。

でも、この寒波。決して異常気象ではないと思う。昔は東京にもかなり雪が降った。小さな庭に隅に「かまくら」を作り、ろうそくの明かりで半纏着て本を読んだりして愉しんでいた記憶がある。
冬になると車にはチェーンを積んでいたし。

今は、雪が舞っただけで天気予報のお姉さんたちは大騒ぎしている。

あの頃は、そう昭和20年代は、家の暖は炭火か練炭火鉢。それでも過ごしていた。
歯医者の待合室に置かれたガスストーブは羨ましかった。でもガス中毒注意が訓えだった。

学校の石炭ストーブ。持参の弁当をそこに置く。温められた弁当からは「タクワン」の臭いが教室に充満していた。

人間の営みと自然にはなにか因果関係があるような気がする。宮崎駿が言っていた“感想”。

ニューヨークでも言われ始めている。もし東京に昔のような大雪が降ったらどうなるのだろう。
交通はマヒする。停電でも起きれば大騒ぎとなるのは必定。その「損害」はすぐさま経済的損失と換算されて伝えられる。

マスコミはこぞって言うだろう。都市機能の脆さが、インフラの弱さが露呈されたと。
自然と対峙するのは、都市機能の強化ではないはずなのに。いくらインフラを整備しても、自然はそれにお構いなしに気ままに動く。

便利な生活、それは自然の前では弱いのだ。

そして何よりも仮設。エアコンはある。ファンヒーターもあるはず。でも断熱材の入っていない“建物”は寒いのだ。床から寒気がしみこんでくる。

仮とはまさに仮。一時しのぎの場でしかない筈なのに。そこで三回目の冬をやりすごそうとしている人達がいる。

年齢とともに寒さはこたえてくるんだよな。冬は寒く、雪が降るのは当たり前と相場は決まっていたんだけど・・・。
とにかく自然の為せる業はわからないということなのだ。原子力規制委は福島原発の全電源喪失を地震が原因では無く津波によるものと結論づけるらしい。
だから、原発の防潮堤をかさ上げすれば重大事故は防げるというロジックになるのかも。人間が造った防潮堤の高さなど、津波は多分、意に介さないはず。

2014年1月9日木曜日

“明るい未来のエネルギー”

双葉郡双葉町。原発があった町、原発の“廃墟”が“残骸”がある町。

もちろん人は住んでいない。

町のメインストリートには大きな横断幕というのか看板というのか。時代を象徴するかのような“標語”が残されたままだ。

「原子力明るい未来のエネルギー」。

たぶん多くの人が明るい未来を想像して、この文字の下を行き来していたのだろう。

明るい未来を無くしてしまった町民がいるのに、この“看板”だけは今も残ったままだ。

一時帰宅の同行したテレビがその看板を”何気なく“映している。人の往来の無いところにこれだけは、あれから2年10か月になろうとしている今も、そのままで残されている・・・。

もうこの“標語”を信じている人はいない。少なくとも双葉郡の中には。

なんで「撤去」されないのだろう。線量が高いと言っても撤去作業くらいは出来るはずなのに。

東電に対するいやがらせなのか。「東京」に対する、再稼働を言う人たちへの、無言の抗議なのだろうか。

この標語は、かつて地元の子供たちに呼びかけて、採用された標語だったと記憶している。

双葉町の人たちはどういう思いで、看板の映像を見、時にはその下を車で通っているのだろうか。

廃墟の中に居座る看板。

シャッター商店街の屋上に残された実態の無い看板よりもずっと始末が悪い。

往時を偲ぶ「原風景」だというのだろうか。

往時を思った時に、心の傷に塩を塗り込むようなものに、よそ者のボクには見えてしまうのだが。

彼らにそれを聞く術を持たない・・・。

「原発遺構」として、それを残しておくのも一つの考え方だろう。双葉町にそういう”歴史“が”遺産“があったのだということで。

作家の一人が唱える「原発観光地化計画」なる“構想”とは、全く別次元の問題として。

その“看板”が映し出されるたびに、それを他所から見る目は「福島への偏見」になるような気もする。

忌まわしい過去を拭い去るのか、それを“碑”としてつるしておくのか。

残酷な光景。そうとしかボクには映らない。

もはやくすんだ看板なのか。未だ以って光り輝くメッセージなのか。

あの、あそこにある標語を見るたびに、復興とか再生とか、そんな言葉が、「看板倒れ」に聞こえてきてしまうのだが。

2014年1月8日水曜日

「日本史」は学ばれてこなかった・・・

寡聞にして知らなかった。高校では日本史は選択科目であり必須科目ではなかったということを。

文部科学省は学習指導要領の改訂に合わせて高校で日本史を必須科目にするよう検討するという。
日本史は約40年間、高校では選択科目とされ、高校生の3~4割が日本史を学ばずにいたという。

これは大きな“盲点”だった。塾で時々「歴史」を話す時がある。それは学校の教科書のような歴史ではないのだが、今を、未来を語る上での過去。つまり歴史。そこには当然、東北の歴史も含まれており、東北の歴史が、「3・11」を語る上で、読み解く上で“必須”だと思うから。

塾生の多くが「歴史は苦手なんだ」という。もちろんボクも苦手だ。年号と歴史を暗記するような「日本史」には。
だから、「今」に合わせたような形で、歴史との関連性を話すようにしている。それを知らないと今の日本は語れないと思うから。

どう解釈するかはともかく、「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」というビスマルクの至言だってある。その言葉を引き合いに出して「歴史」を話す時がある。

「グローバル社会を見据え、日本のアイデンティティーを学ばせる必要がある」。それが政権与党の意見だとか。そんなことはどうでもいい。どうでもいいとは言わないが、アイデンティティーよりも「歴史を学んでこなかった」ことの罪は大きいと思うから。

郡山に生まれ住んでいる人達だって、安積開拓という言葉だけはかろうじて知っているが、その歴史を知らない人が多いことに唖然としたことがある。

日本史はNHKの大河ドラマで習っている。そんな人が多数なのかも。ある程度、史実に基づいて作られているが、しょせんドラマはドラマなのだ。

新島八重が日清、日露戦争を賛美しはじめた徳富蘇峰に強烈な嫌味を言う。そんな場面があったのは面白かったが。
(もっとも、それも見てはいないのです。ネットで知ったことなのですが)。

大方、歴史の教科書は「勝者によって書かれた歴史」である。「敗者による歴史書」は少ない。

例えば明治維新。明治政府は日本を「統一化」するために全国共通の国定教科書、検定教科書を作り、それを学ぶことを義務付けた。
「明治維新とはいいことだった」。そんな教えを刷り込まれてきた。官軍をよしとし、賊軍を悪としてきた。

教科書にあった明治維新。それに懐疑的になったのは福島で、会津でいろいろ学んだから。

明治維新とは何だったのだ。それを今、あらためて考えている。

昨今、この国の在り方を巡って明治維新が引き合いに出されている。たとえば言葉だけだとしても、TPP交渉を鎖国、開国といった明治維新になぞらえて。

きのう、来日中のトルコのエルドアン首相は、エルトゥールル号事故の遺族に対して感謝状を贈ったという。
安倍は二回トルコに行っている。オリンピック招致時、安倍はトルコに対して、イランイラク戦争時の日本人救出に対して礼をいったのか。少なくともその場では言っていなかった。その歴史を知らなかったからだと思う。

トルコの国民は学校の歴史教科書で、エルトゥールル号事件のことは習っている。国民はそのことを「恩」として知っている・・・。

日本史必須を支持する。ただし、その内容が問題だ。沖縄についてどう書かれ、どう教えられるのか。ビキニ環礁での水爆実験の犠牲者が久保山愛吉さんだけで終わるのか。
そして、何よりも、日本の原発史がどう記述されるのか。福島の歴史がどう書かれるのか。「不都合な真実」が隠される教科書は無意味であり有害だ。

文部科学省や中教審の「根性」を見たい。

ビスマルクの言葉をひいて塩野七生はこう書いていた。
「今の政治家は歴史にも経験にも学ばない愚者だ」と。

そうだ、もしかしたら、今の政治家の多くは高校で日本史を選択してこなかった人達なのかもしれない。

たとえ、この国にとっては「負」であろうとも、正しい日本史の教科書が出来、すべての高校生がそれを学ぶ。そうだといいのだけれど・・・。

2014年1月7日火曜日

「町の文化は本の数で決まる」

原発事故で町のほとんどが帰還困難区域に指定されている双葉郡の大熊町。
そこの住民の多くは会津若松市の仮設で暮らしている。

いつの頃からかは知らないが、「読書の町おおくま」として全国に知られているという。
大熊町の小中学生は、10年前から毎朝学校で読書をするという教育を受けてきたそうだ。
町は予算を計上して町立図書館の蔵書は14万冊もあったという。小中学校の図書室にも本がそろっていたという。

それらの本は持ち出すことも出来ず、そこに置かれたままだという。

大熊の小学生は、廃校になっていた会津若松の小学校の校舎を借りて勉強している。そこには全国からの支援で8千冊もの本が送られてきているとか。

「町は読書と言う武器を持っている。それを最大限に生かす。町の未来のためにも」。そう関係者は言っている。

読書の習慣が身についている子供たちは、放射線のことについても勉強している。県の方針では年3時間がそのための勉強とされているらしい。
なんとも、こころもとない県とも思うが。

大熊の子供は年20時間、それの勉強に充てる。そして、学ぶ。読書の習慣がついていると想像力が生まれる。放射線のことにしても、単なる科学知識だけにとどまらない。その先を想像し、深いところまで考えるようになるという。

校長はこう言っている。
「読書は自立するときの糧になる。知識を増やして、みんなが同じ意見になった時でも、別の意見を言える人間になって欲しい」と。

同調なる空気が支配するこの国。その中で異論を言える人が育っていくということ。それが必要なんだと。

帰還にしても貯蔵施設の問題にしても、住民への説明が行われる。100人の集会。大きな声に支配される雰囲気。そこで持論を、自論を述べることには勇気がいる。

大熊の子供たちが読書の後、どういう事をしているのかは知らないが、クラスの10人程度に分かれて、誰かが問題を提起し、それをもとに議論すれば、話し合えば、全員が納得した結論だって生まれるだろうし、他人の意見に耳を傾けるという”礼儀“も身につくかもしれない。

「読書の町 おおくま」がいつの頃から始まっていたのかはしらない。もし、それが40年も前から始まっていれば、「原発」に対する町の姿勢も変わっていたのかもしれないとも思う。
でも、町の財政状況では、何万冊もの蔵書を持つ図書館なんて持てなかったのかもしれないが。

朝、授業が始まる前に10分か15分、読書をさせる教育をしている学校は全国にもいくらかある。

かたや、町に本屋も無ければ、図書館もない地域の子供たちもいる。彼らは「電子教育」に目を向ける。スマホで受験勉強をするのだという。学習塾とタイアップするような形で。

郡山の私立の学校では、電子黒板が導入されるそうだ。
先生の、上手いか下手かはともかく黒板に書かれた字を見ることは、それを書き写すというやり方は無くなっていくのかもしれない。

後援会で、スライド、パワーポイントを使う演者がいる。聞きに行った人たちはスクリーンに目が釘付け。喋っている人の表情はうかがえない。手元の明かりは暗い。メモをとるのも至難の業。
聞いた人の頭の中になにほどの事が残ったのだろう。

そんな疑念を持つことがしばしばある。

アナログとデジタル。そんな言葉で対比するのもおかしいかもしれないが、本を読むということは、その本の厚さ、重みに比例するかのように、ずっしりと何かを読んだ子供たちに残すとおもうのだけれど・・・。

2014年1月6日月曜日

昔は物を思はざりけり

久しぶりに新聞の歌壇を見た。
その中の一首に目が留まり、釘付けになり、何度も読んだ。

「フクシマに生きて千日ふと思う ムカシハモノヲオモハザリケリ」。

福島市の人の投稿だ。もともと福島市の人か、避難して福島市にいる人なのかわからないが。

この人がなぜカタカナでフクシマとしたか。その心情がよく分かる。下の句にカタカナを使っていること含めて。

福島ではないフクシマ。同じ県名、地名であってもそれは全く違うところのなってしまったということ。
そして、東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故、それによる多くの被害、避難者、分断、対立、それにかかわる諸々の人間模様。福島に対する国の在り方、それらを含めて「フクシマ」と表記すること。

きっとこの人だってフクシマとは書きたくなかったのだろう。しかし、そう書かざるを得ない・・・。

ふと思う。この「ふと」にも意味があると思った。「いつも」じゃない「ふと」なんだ。「ふと」とは一市民の感覚なのだ。

そしてこの人は、百人一首の句を引いた。

百人一首。小学校の高学年から中学時代。凝りに凝っていた。たぶん、父方の祖母の影響だったと思う。人の顔さえ見れば「百人一首をしよう」と迫ってきていた。何時間でもつき合わされた。
句は全部覚えていた。下の句を聞けば上の句が浮かぶという程度までは。
百人一首の世界を知っていてよかったと思っている。それを起点に他の和歌の世界にもすんなり入れていたこと含めて。

新聞に投稿された人もたぶん百人一種のフアンだったのだろう。思い出す句に自分の想いを重ねた・・・。

「逢いみての後の心に比ぶれば 昔はものを思はざりけり」

権中納言敦忠の句。恋歌だ。原句は男女の恋歌。しかし、この投稿者にとっては故郷への恋歌に変わったのかもしれない。

「モノ」とは故郷であり、原発そのものではなかったのかと。自分への叱声とも思える。

ボクは勝手にそう想像してしまっている・・・。

そして「千日」という時の重さもあらためて感じる。

千日という時日を経て、なにがどう変わったのか・・・。

そう、ボクだって昔は物を思わない人だった。原発に対して、今のような「反感」はなかったと思う。常に「違和感」は持っていたが。

物を思わない人が増えている。確実に増えている。

福島だけではない。東北の被災者の中には、仮設の一人暮らしの中で、句を詠み、綴り、何度も書き直し、物を思い始めた人がかなりおられると聞く。

「逢みての・・・」、それは原発と出会ってしまったということなのだろうか。

「ムカシハモノヲオモワザリケリ」。この数文字は戦争にだって当てはまる。

知って、見て、聞いて、経験して・・・。そして思う、考える。「ムカシ」とは過ぎ去った時代だけではない。自分自身の過去でもあるのだと。

2014年1月5日日曜日

午年につき馬の話をちょっと

「甲午」(きのえねうま)、今年の干支である。干支はそれぞれに意味があるらしい。
戊辰戦争、戊辰の干支は「草木が繁茂し、動きが活発になる」という意味があったらしい。
なんとも言い難いが。

会津地方に馬谷(まや)という部落がある。いまでもその地名が残っているかどうかは定かではないが。
奥会津から柳津に抜ける道にある谷。そこはいつの頃からか、魔谷と地元の人は呼ぶようになった。馬橇が一台通れるだけのような道だたという。岩肌に沿って続く道の眼下には滝谷川が流れている。

山で伐採した木を馬橇に載せて町まで運ぶ途中、ある日、猛吹雪が襲った。足を滑らせた馬は川に転落して死んだ。
村の若者は普段は唯一の生活手段である馬のその肉を食べることは禁制であったが、谷に落ちて死んだ馬の肉には手を出した。唯一の現金収入の道を閉ざされた馬の持ち主の心中はともかく、若者たちは馬の鍋を作り、酒を飲んで、馬を弔いながら酒宴に興じていたという。

いわば民間説話の類かもしれない。

その奥会津出身の三坂春編(みさかはるよし)という人が江戸時代の中期に書いた本に「老媼茶話(ろうおうさわ)」という民間伝承の“民話集”がある。大方が伝聞による地域の逸話だ。

会津地方の逸話だけでなく、関東方面の民話も集められているという。
いわば「会津物語」だ。

「3・11」後、柳田國男の「遠野物語」が脚光を浴びた。その中には大津波による犠牲者の、死者と生者の会話の話は、第99話にしか書かれていないのだが。

勝手に推測させて貰えば、遠野物語よりもずっと以前に会津物語はあった。そんな話の展開も可能だ。
遠野。そこは馬の産地だ。「馬搬(ばはん)」という職業があった。

森で伐った木を馬で運び出す。昔は日本のあちこちでもあった光景かもしれない。雪の北海道には馬橇があるように。
馬搬を生業にしている人は、全国で二人しかいないと言われる。

農耕馬というのも各地にあった。馬は人間の生活とは切り離せない存在だった。

森の中、馬は“自在”に動く。トラックを入れないでも、道路を作らないでも、手間と時間はかかるものの、馬を使うことは自然に優しい作業だ。

大自然の中に排気ガスを巻き散らかさなくても木の運搬は出来る。馬に見るエネルギー問題。

青森県大間に原子力発電所が建設中だ。完成するのか稼働出来るのかは分からないが。大間、下北半島。本州の最北端。そこの尻屋崎には海を渡って吹きつける吹雪に鼻をむけて、凛々しく立っている寒立馬(かんだちめ)がいる。

寒立馬が冬の間、何を考えているのか。それは人間が知り得ることでは無い。

馬と原発・・・。

福島県相馬地方には有名な祭りがある。相馬の野馬追い。その神事に近い祭りは、原発事故で散った地元の人たちを、呼び戻し、結び付ける重要な行事だった。そこでは馬と人間は一つに結ばれている。

福島第一原発。それがある大熊、双葉。発電所が出来る前は塩田だった。その前は陸軍の飛行場。その前は・・・荒涼とした原野。
かつてその地に多くの人が入植した。馬を伴っていた人もいたかもしれない。人馬一体になってその地の開墾に当たっていたのかもしれない。

斗南藩に移封された会津藩士。その中にいた広沢安重という家臣。彼はその地に、三沢に西洋式の牧場を作った。馬がそこで飼育されていたはず・・・。

取り留めのない馬の話だ。

でも、午年に馬のことを考えてみるのも悪くない。
ちなみに。ボクは馬刺しや桜肉は食べられない。

2014年1月4日土曜日

「東電社員」のこと

事故以来、どうも「東電」を多くの人がひとくくりにして語ってきた。そろそろその「呼び方」を変える時がきたかもしれない。

1Fで働く東電社員。彼らは、中には女性もいるはずだが、その多くが現地の、双葉郡の人達であるということ。

彼らは「避難者」なのだ。住む家を無くした人達なのだ。そして彼らがいなければ原発事故の処理も収拾も出来ないのだ。

地元の高校を卒業し、東電が作った、原発に従事するための高度な知識を学ぶ専門学校に入り、東電社員となって1F,2Fに就職した。

彼らは原発を熟知している。いわば手錬だ。彼らの“決死”の働きで、事故は「あの程度」で収まった。とりあえずは収まっている。

彼らは東電社員であると同時に、被害者、避難者なのだ。

今朝の毎日新聞の記事を見て驚いた。

「東京電力福島第一原発事故による避難に伴う賠償金をめぐり、東電が作春以降、社員に対しすでに支払った一人当たり数百万円から千数百万円の賠償金を、事実上変換するよう求めていることが関係者の証言でわかった。確認されただけで、総額は1億円を超えると見られる」。

これってどういうことだい。

「立ち入り制限の無い区域の賃貸住宅に転居した11年夏の時点で避難は終了したとみなす。転居前も賃貸住宅に住んでいたのだから、別の賃貸住宅に日こした段階で避難は終了した」。というのが理由。しかし、社員以外は引っ越しを伴う以上、賠償は打ち切られていない。

しかもADR、原子力損害賠償紛争解決センターによる和解案を拒否するケースもあると書かれている。

誤報や虚報ではなさそうだ。これによって若手社員らが次々と退社しており、原発の復旧作業にも影響が出かねないと記事は記している。

引っ越したあとの賠償金は「貰い過ぎ」ということらしい。東電の判断は。

政府は原発作業員の「手当」を倍増する方針を示している。東電は、コスト削減ということなのだろうか。とにかく削れるところは削ろうとしている。

「取れるところからは取る」。そんな根性のような。退職した当時の会長や社長の給料、退職金、企業年金はどうしたんだろう。

どこにいるのかもわからないあの“無責任”としか思えなかったような「最高幹部」たちの処遇。

今、福島原発収束作業を支えているのは、現場の士気だ。士気がそがれる限り作業はおろそかにならざるを得ない。厚遇してこそ士気はあがる。
自明の論理さえも通用しないその企業体質だと。

現場の社員が辞めると言うこと。どれがどんな影響を及ぼすか。東電が一番知っているはずなのに。

「貰い過ぎ」をしていた東電の社員は悪者なのだろうか。

正月三が日が明けた今日から、4号機の燃料移送も含めて、復旧作業は再会されているのだろうか。
汚染水対策は、何かが進捗しているのだろうか。

士気が下がった現場では事故が起きる。鉄則だ。

とにかく東電、1F構内で何が行われ、そこの人たちが何を思っているのか。あの区域はまさに治外法権区域のようであり、外の人間は知り得ない。

知り得ないということは不気味であり、不信のるつぼとなるのだ。

科学技術への重度な過信が起こした事故。それをどうにかする人間の“手作業”。

毎日、20ミリシーベルトという被ばく線量を気にしながら、そこで働く人たち。

とてもじゃないが、気が重くなり、どうしようもないなって思いになる東電のやり方。
そして「再稼働」に向けて、多くの社員の手を煩わせ、それこそが経営再建の道と確信しているあまりにも近視眼的発想・・・。

社員の冷遇は、社外の、つまり単なる被災者、避難者への冷遇ににも連鎖していくのだろうとの危惧。

元東電社員だった人、二人からの年賀状が届いていた。”事故”の事には何も触れられていなかった・・・。

2014年1月3日金曜日

帰省ラッシュ、Uターンラッシュとか

これも絶対的なニュースのネタなのだろうか。いつも言われる帰省ラッシュ、Uターンラッシュ。盆、暮れ正月。
ゴールデンウイークは行楽ラッシュ・・・。

東京を起点にして東へ、西へ。暮れの帰省、帰省。東京の人口はこの時期、半減か、7割もの減なのか。

多くの人が東京を離れても、まだまだ正月の東京は人で溢れている感。
東京への一極集中。とにかく東京に人が集まる。
必然なのだろうか・・・。

人は東京に行きたがる。東京は人を求める。

帰省という以上、東京の人口の多くは地方の人っていうことの証左。

ただ働くために、職を求めて東京に行った人達を、それでも「東京人」て呼ぶのだろうか。

中央対地方。福島対東京。そんな構図で物を考える時の逡巡。

東京って、地方の人で成り立っているんじゃないか。

かつて東京にもラッシュはあった。通勤ラッシュ。すざまじい光景。もちろん十分体験させてもらったけど。

昭和40年代、高度成長を目指していた時代。うさぎ小屋から鉄の箱に詰め込まれて目的地で吐き出されるように、ただ「運ばれて」いった感のあのラッシュの光景。

それを誰もが不可思議に思っていなかった。当然だと受け入れていた。

集団就職、金の卵。やむをえずか、望まれたか、望んだか。都会のラッシュに身を委ねて行った当時の若者。彼らは、彼女らはこの国を支えていた。

帰省。それは“義理”としての行為か、切ない願望の行為か。帰省ラッシュの中で何を思い、どんな故郷と再会し、郷里の家族とどんな再会を果たしたのか。

変わった光景をみたのか、帰るべきところとしてそこを感じたのか。

帰省ラッシュを伝えるテレビを見るたびにこの国の姿を思う。

もはや当たり前の光景がテレビのニュースとなるという奇異の感も含めて。

Uターンした人達、数日後には、数日前と同じ日常に戻るのだろう・・・。


ラッシュ・・・。ここ数日なぜか地震が多発している。

1日は3回、2日は7回。中には震度4というのも。気持ちのいいものではない。
「ボクは地球の地殻変動や自然災害というのは、人間の営みと全く無関係じゃないと思ってるんですね。人間社会の行き詰まりなんかとちゃんとつながっているんじゃないかって気がしてならないんです」。

こんなことを宮崎駿は言っていた。だからどうだってことじゃないけど。

どこか同感する部分があるということ。

地震と聞くと、地震を感じるとすぐに気になる原発。1F。年末年始、事故現場も休みだという。作業が。わずか数十人の“保守要員”がいるだけだとか。
4号機の燃料棒取り出しも中止しているのだろう。汚染水対策はどうしているのか。
地下水は人間の営みとは無関係に流れ込んでいるはず。あのタンクはいったいどれだけ増え続けるのだろう。
気が遠くなるような・・・。

日頃、原発にはその収束作業にあたる作業員の通勤ラッシュが続いている。皆車だから。車でなくては宿舎から現場にいけないから。
過酷な通勤。2時間とか3時間もかかるともいう。

作業員の“環境改善”とやらで、近くの線量が低い地域に宿舎を建設するという計画だとか。

なんだって遅いんだよ。まさに渋滞ラッシュに巻き込まれたように。

指先だけ使って文句言っていてもはじまらないってことは承知の上で。

大学駅伝の中継が映し出す東京の光景。時には懐かしい光景。街並み。

そして思うんだ。東京っていったいなんだろうって。

2014年1月2日木曜日

荷を分かち持つ・・・

新年二日目。皇居では一般参賀があり、皇居の近くを駅伝人が駆け抜ける。

新聞は休刊。テレビもニュース枠は少なく。穏やかなような物足りないような。

そうだ、一般参賀でも陛下は「穏やかな一年」と言われていた。誰だって思う。穏やかなることが有難いことだと。

昨日、新年にあたっての天皇陛下の「感想」が出されていた。
テレビはほんの一行。最後の部分しか伝えず、新聞は無い。宮内庁のホームページを見る。全文が載っていた。

思った通りだ。陛下はちゃんと「被災地」に言及されている。いや、それが陛下の言いたかった事の全てなんだといわんばかりに。
以下転載してみる。

「東日本大震災から3度目の冬が巡ってきましたが,放射能汚染によりかつて住んでいた地域に戻れずにいる人々や,仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々など,年頭に当たり,被災者のことが改めて深く案じられます。
昨年も,多くの人々が様々な困難に直面し,苦労も多かったことと察していますが,新しく迎えたこの年に,国民皆が苦しい人々の荷を少しでも分かち持つ気持ちを失わず,助け合い,励まし合っていくとともに,世界の人々とも相携え,平和を求め,良き未来を築くために力を尽くしていくよう願っています。
雪の深くなる季節,屋根の雪下ろしの事故には十分に気を付けてください。
本年が,我が国の人々,そして世界の人々にとって幸せな年になることを祈ります」。

国民に呼びかけている。皆が苦しい人々の荷を少しでも分かち持つ気持ちを失わずに、と。

天皇陛下の気持ちはどこまで届いたのだろうか。


天皇家が祀られている伊勢神宮、明治神宮、熱田神宮・・・多くの参拝者、初詣で賑わっている。
神宮。

八百万の神にふさわしい、数多くの神社。

神宮と神社。その呼び名の違いは・・・。おかしなことを考えてしまったり。

元旦とは昨日の元日の朝のことなのに、夜になっても元旦って言われていたり。
“好景気”に誘われてか、高額の福袋が売れているという。
高価な宝飾品。「高嶺の花」を「高値の花」と表記するテレビ。値段が高いってことをもじった皮肉ではなさそうだ。


あいかわらず“難解”なカタカナ語が横行している。

取り戻すのは、まず「日本語」じゃないのかな。

「今日よりは明日はきっと良くなると 信じて生きねば道は開けず」。
東日本大震災で息子を亡くし、その後夫を亡くし、14歳の犬と暮らしている大槌町の79歳の老夫人の詠んだ句。
住んでいた家は流され、無くなったが、農作業小屋に逃げて一命を取り留めた。
夫や息子の死亡見舞金や義援金をつぎ込んで、その小屋の脇に家を建てて住んでいるという。
「二人の生きた証し」だとして。

陛下の年頭にあたっての感想に述べられている言葉が染みる。

2014年1月1日水曜日

・・・そして忘れず

その詩に出合ったのは中学生の時だった。なぜか魅かれた。毎日のように書き写し、覚えた。確たる理由もなかったが。

いつか忘れていた。それを、あの、「3・11」以降、しばらくしてから机の上に置き、毎日のように読んでいる。「3・11」後のこの国を語るのにこれ以上の詩は無いとも思えるから。

その詩とは、宮沢賢治の「雨にも負けず」。

くどいようだが、その詩を書く。自分のためにも。

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい

「東北」を「東北人」を語りつくしている。そして、賢治が生きた時代の事ではなく、今への強いメッセージが含まれていると思うから。

「よく見聞きし、分かり、そして忘れず」。

年が明けた。新しい年を迎えた。東北を福島をどんな言葉で語られるのか。語り続けられる言葉もあり、新しい言葉が生まれるかもしれない。

たぶん、「風化」という事が、現象が進んで行くだろう。それに抗するのは「分かり、忘れず」なのだ。風化とは忘れることなのだから。

「無人地帯」というドキュメンタリー映画を撮った監督の、この作品が、4年になる今年、劇場で公開される。そのポスターに彼は書いていた。

「福島を忘れない。福島は忘れない」と。

去年から今年への不連続の連続。昨日書いた陽水について、また・・・。

氷の世界の後、彼はどこかで宮沢賢治の詩に出合ったらしい。音楽家の感性は賢治の世界に注がれた。「雨にも負けず」の詩を、彼なりに解釈し、メロディーをつけて曲に仕上げた。曲名は「ワカンナイ」。

雨にも風にも負けないでね
暑さや寒さに勝ちつづけて
一日 すこしのパンとミルクだけで
カヤブキ屋根まで届く
電波を受けながら暮らせるかい?

南に貧しい子供が居る
東に病気の大人が泣く
今すぐそこまで行って夢を与え
未来の事ならなにも
心配するなと言えそうかい?

君の言葉は誰にもワカンナイ
君の静かな願いもワカンナイ

望むかたちが決まればつまんない
君の時代が今ではワカンナイ

日照りの都会を哀れんでも
流れる涙でうるおしても
誰にもほめられもせず 苦にもされず
まわりの人からいつも
デクノボウと呼ばれても笑えるかい?

君の言葉は誰にもワカンナイ
慎み深い願いもワカンナイ
明日の答えがわかればつまんない
君の時代のことまでワカンナイ



賢治に傾倒していた少年は、大人になって陽水に歌に共感していた。そして、また賢治に回帰している。

東北に暮らしているから賢治に共感し、都会に暮らしていた時は陽水に同感していた。そういう話ではないのだが。

賢治の詩の最後。「そういうものに私はなりたい」。それは彼自身の“覚悟”でると同時に、今に向けてのメッセージ、呼びかけではなかったのかと勝手に解釈する。「そういう人になってください」という。

そして、陽水は賢治に“反論”しているのでは無く、共通項も見てとれるのだ。
今・・・。

経済成長、豊かさ、便利なもの。科学技術の進歩。それらを持つことを可能にした一つが“原発”。そんな時代を語り合っているようにも聞こえる。

陽水の「ワカンナイ」という言葉。それはすなわち、今のこの国の有り様であり、この国の将来のことでもあろうかと。

年頭妄言。今年もよろしく御贔屓にお願いします。