2014年2月28日金曜日

NHKと「政治」のこと。昔語りとして。

昔、佐藤栄作が内閣総理大臣だった時、官房長官をつとめていた人に橋本登美三郎という人がいた。富ヶ谷に大きな家を構えていた。

富さんという愛称で呼ばれていた。茨城県選出の議員。もともとは朝日新聞記者。南京支局長の経歴もある。
富さんの後援会は「西湖会」と言った。富さんは朝日新聞出身ながら、自民党の郵政族として、NHKに「貢献」し、NHKに大きな影響量を持っていた。
選挙区の後援者の子弟はじめ、NHKへの就職希望者にはかなりの便宜を図っていた。

富さんの「お声がかり」で入局した人たちは、局内に「NHK西湖会」というのを作っていた。局内では“派閥”を形成し、少なくとも報道にはそれなりの影響を与えていたように思う。だから、三流民放記者の中では「それなりのNHK観」が出来ていた。

後援会長の息子に海老沢勝二という人がいた。富さんの口聞きでNHKに入り、政治部に配属され、官房長官番を務めていた。

豪放磊落。茨城弁丸出しの好感が持てる男だった。出世街道をひたはしていたが、NHKの会長が島桂次だった時、なぜか、関連会社のNHKエンタープライズに出され、島が失脚すると、異例にことに、本体に復帰、会長をつとめた。

たしか相撲協会の横綱審議委員長もやっていた。

田中角栄も就職担当の秘書を置き、民放にずいぶん口聞きをし、就職した人たちは、その会社の中に「清心会」という(たしか、この字だと記憶しているが)集まりを作っていた。

何を書きたいのかというと、政治家とNHKの関係だ。知っている昔話としての。

NHKの福島放送局長を務めた人に、伊東律子さんという人がいた。酒は飲むし、フットワークは軽く、NHKの評価を高からしめた人。
彼女は、そう海老沢会長時代か。東京に戻り、番組制作局長をやっていた。その後、NHKでの最初の理事になった人。
時々、メールや電話でやり取りしていた。

彼女が制作局長時、NHKは大揺れに揺れた。ETV特集で“従軍慰安婦”の問題を取り上げた時。
当事者ではないので詳細は知らないが、番組は、自民党の知るところとなり、制作過程で“検閲”があり、中川昭一を筆頭に、NHKに強力な圧力がかかり、その一人に、たしか当時幹事長代理だったと思う。安倍晋三も内容に抗議していた。それは“偏向報道”であるとして。

それらを“政治介入”というかどうかはともかく。

この件で、律子さんはほとんど語らなかった。言えない何かがあったのか。言う事の無駄さを覚えていたのか。
電話をしても「それは言えないは」と返されていた記憶。

NHKの予算は、国会の審議事項である。今は総務委員会というのか、かつては逓信員会といったが、そこで審議される。NHKの会長が答弁する。
NHKの永田町にいる政治部記者は、その国会対策に専念し、いつもの「マスコミ」としての振る舞いは無く、ひたすら「局」のために頭を下げていた。

だからどうだ、と言うわけでは無い。

NHKの経営委員の発言が問題視され、籾井会長の発言が物議を醸し、理事が“離反”し・・・。
連日のこの無様さ、恐ろしさを見聞きするにつけ、ふと思い出した昔話。

人柄は顔に出るという。籾井会長の顔。傲岸不遜を絵に描いたような。顔だけではない仕草も。答弁席で目をつぶり、首をぐるぐる回している仕草。その深層心理は「お前らのいう事は聞きたくもない」という心模様に現れ。どこかロキード事件の時の海部八郎を思い出させるような。

商社マンてすごいんだな。百戦錬磨なんだなって。

NHKの受信料は払い続けている。民放の社員であっても。それは「テレビを見る上での一つの義務」だとも思うから。払っているから批判も出来る。批判する権利の担保として払っているのかもしれない。

NHKは取材力もある。機材も凄い。カネはある。取材費だって。NHKは情報の宝庫だ。ニュースは時としてくだらない。でも、いい番組も作る。台風情報や地震情報はやはりNHKで見る。
NHK職員の思っていることや心理はわからない。彼らは“放送”は出し続ける。それをどう見るかは視聴者の「能力」。リテラシーの問題。

意に沿わないから不払いではなく、払った上で批判するのが賢明なのかも。

朝の連ドラや大河ドラマで”感動“していると言っていた人は多々いるのだから。でも、NHKとはこんなところなんだと思っておくのもいい・・・。

2014年2月27日木曜日

「丁寧な説明」と「コメントを控える」と

昼飯を食いに蕎麦屋に行った。会計を済ませるとレジの店員さんが言った。紙片を差し出しながら。
「レシートの方、大丈夫ですか」。

いらないから「いらない」と言って出てきたが、この言葉づかい、「大丈夫ですか」、なんとなく意味はわかるが、とんでもない日本語がはびこっているとしか思えない。その店員さんが悪いのではない。そんな“教育”“指導”がされてきているからだ。

いわゆる「マニュアル敬語」、「曖昧な言葉」、「言葉の意味の取り違え」などなど。

「お水の方、大丈夫ですか」「お飲み物は大丈夫ですか」。「袋、差し上げますか」、「いえ、大丈夫です」・・・。枚挙に暇が無い「大丈夫」の”洪水“。巷にあふれる「大丈夫的言語」。

曖昧な、意味不明な、どう解釈したらいいのだろうかというコトバが何の抵抗も無く使われている。

それが「巷」だけではなく、若い世代だけではなく、「権力」の場でもまかり通っていることの不快さ。

「今後はより一層、丁寧な説明につとめていきます」。避難区域の解除の問題でも然り、中間貯蔵施設の問題でも然り。辺野古移転の問題でもしかり。高台移転の問題でも然り。

不満や疑念に対して、「丁寧な説明」という言葉で、それは、当面を糊塗しているものとしか思えないのだが、そんな言葉で”逃げきろう“とする。

丁寧な説明とはなにか。同じことを何回も繰り返していうことか。今までは「丁寧」ではなかったということか。
記者会見の場であっても、その「丁寧な説明とは」ということについての問いかけが無い。その一言で終わってしまう。
そして、「丁寧な説明」が行われてという“その後”のことを聞かない。

今の政権では特に目立つ。「丁寧な説明」という言葉の安易さが。

「コメントを差し控えさせていただきます」。個別の事例についてはとか、その件は影響があるのでとか、多少の前ふりを付けながら。

だいたい、コメントってどういう意味に考えているのか。まさしく「曖昧な外来語」なのだ。
考えを言わない、説明をしない、意見を言わないということか。
NHKの会長がしきりに連発しているから。
ノーコメントと言わずに差し控えるというすり替えにいやらしさを覚える。

「コメントを差し控える」「可能性は排除しない」。外務官僚が編み出した言葉だ。日本語には本来馴染まない言葉だ。

「差し控える」と言われたら、反論しろよ。質問者は。委員長は注意しろよ。「質問に明確に答えてください」と。
差し控えるのは当人の勝手だが、そうはいかない。答える義務がある。明解に。

これがまかり通っていうせいだろうか。「普通の市民」の間でも、使っていい言葉にされている風潮。

どうぞご勝手に推測してくださいってことか。

言葉の曖昧さは、国を曖昧な国にする。曖昧な空気が醸成され、それを良しとするこは、何をもたらしてくるのだろう。

あの3・11後の官房長官や関係省庁、もちろん保安院、そして東電。皆、曖昧な言葉の表現で責任放棄をはかっていたなという記憶。

“惻隠”に裏打ちされた、それが美徳ともされてきた日本文化。例えば古い和歌などは曖昧さによってその美しさを表現している。

しかし、文化と政治は別だ。

上から下まで、身分を言っているのではないが、言葉の劣化が激しすぎる。

昨今、永田町での言葉のやり取りを見聞きしていてふと感じたこと。

2014年2月26日水曜日

「再稼働」と「避難計画」

安倍政権は、とにかくすべてのことに前のめりになっている安倍政権は、エネルギー基本計画なるものを決めた。
それはイコール「原発再稼働」を進めるということ。原発を重要な電源と位置付けたこと。ベースロード電源なんて、またもや官僚の持ち出した意味不明の言葉で煙に巻くように。

そこには東京電力福島第一発電所における「大爆発事故」のことは”なかったこと“とにした国家形成の野心が存在している。

原発再稼働を推し進めようとしている多くの人達。この国の枢要な地位にいる人達。

原発推進を使命だとさえ思っている自民党の議員は、勝ち誇ったようにさえ見える顔で言う。
原子力規制委員会が厳重にチェックしたものは絶対に安全なのだと。そして付け加える。「避難基準、避難計画が出来上がっているところしか再稼働を認めるはずはないのだから。避難計画が出来ているのだから」と。

どう考えてもここにある「論理的矛盾」。

絶対安全なら事故が起きるわけがないはず。事故の可能性があるから避難基準を作るはず。避難基準があるということは事故の可能性があり、それに備えておかなければならないということ。

避難という言葉があるかぎり、絶対安全は無いと言っていることに等しい。

日本語ではそう解釈されるはず。論理的に言って。

原子力規制委員会という、原子力の“専門家”が、危機管理をも担えるのだろうか。それを判定できるのだろうか。

「万が一のことがあるかもしれないので、避難を想定し、人命に影響が無いようにする」。そうとでも“正直”に言えばまだ”救い“はあるものの。

絶対安全だと言われていた、そう思い込んでいた、思い込まされていた福島原発だってどうにもならないシビアアクシデントに見舞われた。
とりあえず住民は避難したが、関連死を生み、いまだまともな生活を営むことすら出来ない。

事故の総括もなされていない。事故の直接的な原因は地震だ。しかし、それを拡大させてしまったのは誰が考えてもあきらかなように、すべからく「人為的」なものなのだ。

今でも現場では連日のように人為的ミスが連発している。

原発を建設するための専門家は大勢いた。事故後の危機管理や拡大防止が出来る人はいなかった。

関係省庁や電力会社で、その後、そんな人材の育成、発掘につとめた形跡なんてどこにも無い。

再稼働の審査。それはあくまで技術的なものであり、施設が完備されているかどうかだ。

避難のための道路なんて確保もされていない。パニックに陥った時の人間の心理や行動なんて机上では計りえない。

この前の大雪。立ち往生した車。閉じ込められて人達。あのときひたすら願った。地震が来ませんように、富士山が爆発しませんように。と。
逃げようとしても逃げられない。

避難計画が機能するとは全く思えない。

なぜ「再稼働」なのか。経済成長だという。
福島原発建設のために多額のカネが使われ、後処理のために今後どれだけのカネがかかるのか。何十兆円を必要とするのか。

あの時、多くの関係者は、推進してきた官僚は、何かをする「リスク」よりも「何もしないリスク」を選んだ。何もしないことの方が責めを追わないで済むから。

これだって「リスク」をめぐる論理的矛盾の為せる業だ。

安倍が声高に、脅すように言う「経済成長」。早くも国際的にも国内的にも、さまざま“ほころび”が“ひずみ”が、目に留まらないような形で出てきているというのに。

2014年2月25日火曜日

顕在化してきた「福島切り捨て」

何気なくネットを見ていたら、こんな“投稿”が目にとまった。南相馬の人だ。

国会の予算委員会での“出来事”。原則、全閣僚出席のはず。

福島県選出で維新の会に所属している小熊慎司氏が質問していた。原発関連問題で。
その詳しい内容はわからない。報道でも、彼の質問、答弁は書かれていないから。本人もネットをやっている。本人のページを見ていてもそのことは書かれていなかったが。

小熊氏の質問に対してヤジが飛んだという。
「ここは福島県議会か」。

その質問が、たとえ“稚拙”であれ、“些末な内容”のことだとしても、仮にだよ。
「ここは福島県議会か」というヤジの意味は何だろう。もしかしたら彼の質問にいらついていたのかもしれないが。
国会議員の驕り昂ぶり。
大所高所からのエネルギー論議は国会に馴染むもの。原発事故のよる福島の問題は国会に馴染まないもの。そういうバカな驕りがあったのだろう。
どこの政党の議員かはしらない。憶測は出来るけど。

それに関与していないとしても、国会には原発事故調というのが出来、それは“未完”のままであっても、国会議員の“総意”として出されている。

その内容が何であれ、原発事故の問題は、福島だけの問題ではない。国を挙げて、いや、国際社会も大いなる関心を持って見ている人類共通の問題のはず。

この一言のヤジが、今の政界を物語るに言い得て妙なことなのだ。いや、政界だけではない、官界も含め、多くを覆っている「空気」なのだ。

予算委員長はそのヤジをたしなめたのだろうか。その時の答弁に立った閣僚はどういう心境だったのだろうか。

福島県民をバカにし、県議会も冒涜したものだ。あくまでもその投稿を信じての上の事だが。

「福島切り捨て」。その“思想”が、このヤジの根底にある。その空気を察知しているからヤジが生まれてくるのだろう。

これが、為政者によって声高に言われる「民主主義」の実相なのだ。民主主義を具現化した一つの“手段”である議会を構成する人の考え。そんな人を選んだ選挙民。つまり「限られた民意」。その帰結。

明らかに、急加速するように「福島切り捨て」の動きが顕在化してきた。
都路地区の帰還問題。「仁王立ちになっても帰還を納得させてこい」。復興庁幹部に念押しされての、そんな“使命”を帯びて田村市の住民説明会に臨んだ赤羽経済産業副大臣。

「これだけしても理解しないのなら、後はもう知らないよ」と言わんばかりの“通告”。
その裏にあるのは賠償金問題。

そう、昨日は賠償金の打ち切り論議が盛んだった。そう、きのうは「最終処分場」について、政府はお手上げだというような考えだった。まずは中間貯蔵施設を決めろに終始する環境大臣。

そして、福島県はそれに抗する術を持たない。

県民は「切り捨て」論が顕在化する中で、来るべきものが来たな、そんな思いで右往左往している。悩みは深まるばかりだ。

「切り捨て論」の中で生きている福島県民。

福島県選出の民主党議員は「最終処分場を安倍の地元の山口に持っていけ」なんていうバカ丸出しの大会決議をまとめる。県選出の自民党議員、それも閣僚二人。何を考えていることやら・・・。

強いことを最善とする政治。

国家とは何か。それを赤絨毯の上で優越感に浸っている人達に問う事も無意味なのだろう。

敢えて断っておくが、ボクは政治に関しては「ど素人」ではない。政治は強いものだけのためにあるのではない。弱い者に目を向けるのが政治だ。そんな「哲学」を持っていた自民党議員を多く知っている。正確にいうなら、そういう時代もあった。ということか。

耐えがたき怒りと疲労感・・・。

2014年2月24日月曜日

「ホームレス歌人」のこと

歌壇に久々「ホームレス」が登場した。その人が自分の“肩書き”をホームレスと書いているから、それをそのまま継がせてもらう。

途方もなく 空広がりき リュク背負ひ
ホームレスの道踏み出したとき

氏名は宇堂健吉とある。どこの人だかはわからない。ホームレスと書いてあるだけ。住所は無いということなのだろう。

大豪雪をもたらし、多くの被害を与え、今なお残滓が残っているあの雪空。
それは、まるで無かったことのように、きょうの福島の空は青い。本当の空のようだ。青空がひろがっている。途方も無く。

ホームレスへの道を踏み出したのはいつの頃なのかワカラナイ。その時の思い出が途方もない空の広さだったということなのだろう。

途方もないひろい空。それは寄る辺無い身の対象としてあったものか、それとも限りない自由への象徴だったのだろうか・・・。

過日の二度にわたる大雪の時、東京に大雪が降った時、飢えもせずぬくぬくとした場にいながら、東京の代々木公園にいたホームレスのことを思っていた。
あの寒さをどうしのいでいるのだろうかと。

あの頃、たまに東京に戻った時、いや、それ以前もか。犬を連れて必ずのように代々木公園に行っていた。顔見知りというわけでもないが、何回かすれ違うホームレスの人たちと挨拶を交わすようになっていた。彼らは犬を見ると笑顔になり、なにやら餌になるようなものを探してきて、与え、頭を撫でてくれていた。

あの大雪の中、飯舘の太郎こんという繋がれたままの犬を思い、代々木公園のホームレスのおっちゃんのことを思っていた。
数年前か、宮下公園から強制排除されるホームレスのことをテレビのニュースで見ていた。なぜかボクの中には“怒り”があった。

もうどれくらい経つのだろう。“有名”なホームレス歌人がいた。その人の名は公田耕一。それ以外は何もワカラナイ。

最初に知った彼の句。
「(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ」。

この人は只者ではない。と思った。柔らかい時計とは、ダリの代表作だ。ダリの「記憶の固執」のモチーフ。柔らかい時計は、通常の時計とは進み方が違う。

原発事故後、ビグパレッとが避難所になった時、そこでは炊き出しが行われていた。温かいラーメンの日もあった。カレーの日もあった。知り合いがそのカレーの列に並んでいた。二時間はかからなかっただろうが、一緒に並んで取り留めのない話をしていた・・・。その時、このホームレス歌人の句を思い出していた。その日の空は“広かった”ように記憶している。

失礼な言い方かもしれないが、家を捨てさせられて避難所に押し込められている人。炊き出しに並ぶ人。その人達だって行き場を失ったホームレスじゃないのかと。

公田耕一の句は、歌壇に載った句は、ほとんど、メモにしてとってある。一時は毎週のように載せられていた。どんな歌がくるのか。期待していた。

もう一句。
「パンのみで生きるにあらず配給の パンのみみにて一日生きる」。

避難所で配給される支援物資のパン。それはどうみても固くて常人ではたべられるようなシロモノでは無かった。

公田耕一はある日忽然として消えた。待っていたが帰って来てくれなかった。

歌壇の選者も困惑していたであろう。

きょう、久しぶりにホームレス歌人に会った。でも名前は違っていた。作風も別人だと思えた。

仮設の人たちの中で短歌つくりに勤しむ人たちがかなりいると聞いた。

半ば絶望的な状況になった時、前向きに生きる気持ちを持ちうるかどうかは、「表現する力」を持つことなのかもしれない。そんな勝手な感想を抱きつつ・・・。

2014年2月23日日曜日

「福島」と「フクシマ」

災後、時々「フクシマ」という書き方をする。あえて「フクシマ」と書く。
福島ではなくて。

福島は県名であり、地名である。「フクシマ」は、原発事故がもたらした、その後のさまざまな事象、多くの避難者を出しながらもなも且つ「その動き」を止めようとしない国、事故によって人生を、生活を根っこから変えられて人達の“日常”。未だ解決の糸口も見つけられない1Fの現場。賠償金、補償金をめぐる時には醜くも見える人の動き。

それらの事象の、原発をめぐる社会システムの、そこに日本という国の縮図があるから、敢えて「フクシマ」と書く時がある。

フクシマとカタカナ表記されることを嫌う人たちが多い。県民には。それは特にネット上でカタカナ表記することによってこの地を揶揄し、貶す人達の言辞が流布されていたことも大きい。
マスコミも時には無意識のように、悪意は無くともカタカナ表記をする。

福島かフクシマか。

福島市生まれで川内村に住んでいた作家の鐸木能光氏が書いた本の題名は「裸のフクシマ」だった。彼はカタカナを敢えて使うことに確固たる思想を持っていたから。嫌がられることを承知の上で表記を使った。
社会学者の開沼博も“「フクシマ」論”と題した本を書いた。ゲンシリョクムラはなぜ生まれたか、そういう副題を添えて。彼も福島県出身者。

俳人、金子兜太。94歳。自らを「荒凡夫」と称する。父親の感化もあり若い頃から俳諧の道へ進み、大学を出て日銀に就職。やがて戦争で召集。南洋の島でも句を詠んでいた。生きて帰国。日銀に復職。その権威的な体質の日銀、権力を求める日銀マン。それに反抗する。

福島支店に転勤する。福島を好んでいたが、数年で転勤、長崎へ。

過日、兜太は福島を訪れた。福島西高校の先生と俳句を通じてのよしみがあったから。その先生はたしか吉田先生だったと思う。兜太の前で、先生は黒板に句を書いた。

ひとりひとり フクシマを負い卒業す

その句を見て、噛みしめるように、目を閉じて兜太は言う。
「福島は綺麗なところだった。でも、それが消えようとしている。フクシマとされている・・・。そういうことなんだよな」と。

フクシマと書いた先生の気持ちは、フクシマが福島に戻ることを願っての句ではなかったのか。そんな風に受け取った。

兜太は東日本大震災、特に津波で多くの人が一瞬のうちに亡くなったことへの思いは尋常では無い。戦地で人の死を、非業の死と見てきたからだろう。こころの傷を持ち続けているからだろう。

津波に呑まれた町で、捜索隊が一軒の倒壊した家屋の中から人の声が聞こえる。見つけ出すと、わずかな空間の中に年取った、身体の不自由な祖母と高校生の男の孫がいた。二人は無事救出された。そのことを句に切り取る。

津波のあと 老女生きてあり 死なぬ

災後、兜太の作風も変わったともいう。

「フクシマ」という表記方法はあってもいいと思う。それが訴求力を増す場合もある。

身勝手な“言論”がまかり通っている昨今。言葉が軽々しくなっている昨今。考え抜かれた上での「フクシマ」が、“自由”であることを・・・。それが言葉の重みなのかもと。

2014年2月22日土曜日

言葉の「力」

浅田真央が会心の演技をし、見ている人の多くの涙を誘った。その華麗な舞に酔った。それを可能にしたのは、本人も言っている。佐藤信夫コーチの言葉があったからだ。

前日のショートプログラムでの「失敗」。それを引きずっている浅田。コーチが叱っても浅田は覚醒しなかった。選手村に戻る前、佐藤コーチは静かに語りかけたという。

「昔、自分が指導していた選手がフリーの前に風邪をひいてぎりぎりの状態だった。“ぶっ倒れたら周りに叱られても必ずリンクの中まで助けに行く。倒れるまでやれ”。そう送りだした結果、会心の演技で総合8位に入った」。やさしくそのことを浅田に伝えた。そして言った。「何かあれば先生が助けにいくよ」。浅田は黙って聞きながら思ったという。
「私は何も病気でもないのに、出来ないということは絶対ない」と。自分を取り戻して少し寝て、食べて、励ましのメールを見て滑走に臨んだという。

呪縛から解放されたように、浅田は舞った。彼女にしか出来ない演技を披露した。

いつもリンクの脇で見つめる佐藤信夫コーチの柔和な姿が好きだ。みているだけだが。練習中は叱り怒り続ける時もあるという。

佐藤信夫さん、72歳。コーチとして円熟を極めた人は、その時、どういう言葉をかけるのか、それを「知っていた」人なんだろう。リンクでもどこでも主役はもちろん選手だ。しかし、その脇には選手を主役たらせる脇役がいる。

選手とコーチとサポート体制。それらが一体となって結果が出る。

背中をポンと叩いて送りだす「おまじない」だってそうかもしれない。

浅田をして後世に残る演技を、伝説を成し遂げさせたには佐藤コーチの言葉。
「言葉の力」だったと。

3・11後、何回も「言葉の力」について書いた。あの時、どういう言葉が発せられていたか。「頑張ろう」。

国や県のリーダーからは「力」を貰う言葉は一切発せられなかった。狼狽ぶりしか感じられなかった。「指針」を持たない多くの民は、それに失望し、それが今でも尾を引いている。

言葉の力を求める人たちは、絶叫する詩人の言葉にすがり、やがてその無意味さを知る。古人の言葉に救いを求めた。それとても奮い起こすものではなかった。

寄り添うだの、なんだの、“偽善”に満ちた言葉の翻弄された人とて多い。

コーチとは決して技術の指導者だけではない。心の支えであるということ。


昨日、縁あって一本のドキュメンタリー映画を観た。「ぼくのうしろに道は出来る」。脳幹障害を患い、“植物人間”とされた一人の人を回復への道に向かわせる人と人との“物語”。

“主役”は「言葉」だった。毎日のように、医者には意識障害でなんの判断能力も無いと烙印を押されて人を意志の疎通が出来る人間に回復させる。それは毎日話し掛けること。やさしく話し掛けること。患者の人格を認めて。

その映画でも「言葉の力」をあらためて知った。目で字を追いながら、話しかける言葉一語一語にうなずきで返すことの繰り返し。患者は「覚醒」していったという実話。

言葉が生命力を持っているということ。

どっかでは、いぎたない言葉や無責任な言葉が飛び交い、言葉はまさに世相の反映の如く「大量消費」されている。それを追及されると前言を翻し、釈明、言い訳け、取り消しに走る。いったん発せられて言葉はいとも簡単に保身のために「ゴミ箱」に投げ入れられるかのよう。

「初めに言葉ありき」だ。神が人間に授けたものは言葉なのだ。火を授けられてのは悪魔の仕業なのだ。プロメテウスと言う。
民を安堵させる言葉を持たない政治家。

浅田真央とともにあった佐藤コーチに拍手を送る。感動を与えてくれた原動力となったその言葉にも。

人は、言葉によって蘇ることが出来るということ。多くは語るまい。そのことだけをこころにとどめる。

2014年2月21日金曜日

「グッドルーザー」という言葉を・・・

グッドルーザーという有名な言葉がある。悪びれない敗者と訳されている。温めている言葉の一つだ。
「ウインブルドンの観客は、勝者よりも、悪びれない敗者に限りない拍手を送る」。イギリス人がスポーツ選手に対して抱いている思想を如実に表現した言葉。紳士の国と言われていたが、まさにそれだ。日本の武士道の本当の精神だってその言葉と同じ精神性を持っているのだと思うが。

浅田真央に寄せられた森喜朗の暴言。ショートプルグラムの結果を受けて。
「あの娘、大事な時には必ず転ぶんですよね」
「負けるとわかっている団体戦に出して恥をかかせることはなかった」
そして、「見事にひっくり返った」とも。

講演での発言。長い文脈の中で一語を切り取ったとまたもや釈明の様子だが、その言葉を使ったことは事実だ。

その発言が真央ちゃんのところに届けられていたかどうかは知らない。
とにかく彼女はフリーで最高の演技を見せた。誰しもが真似を出来ないような。演技を終えたあとの彼女の表情。天を仰ぎ、万感迫っての泣き笑い。尊敬に値する。人生のすべてを賭けたようだった。

6位入賞。インタビューで彼女は言った。「今まで支えてくれた人に恩返しをしようとだけ思って演技しました」。

とにかくオリンピックになるとメディアはこぞって「メダル、メダル」と言い、選手もそれを意識する。プレッシャーと言われる。それは選手は誰しも百も承知だ。ある種の「覚悟」を持って臨んでいる。

オリンオピックとは国威発揚の場でいいのだろうか。それは誰しも自国の選手の活躍を期待し、どこかでメダルを意識している。金メダルをとれば総理大臣が電話して激励し、“政治利用”する。メダルを取らなかった人は忘れ去られる。

森は元ラガーマンだ。ラグビーの世界では試合が終わればノーサイドとされる。勝者も敗者も無い「ノーサイド」。

1964年の東京オリンピック。マラソンの円谷幸吉選手のことが記憶に新しい。自衛隊員だった彼は、結局「日の丸の重圧」に苦しんで、「もう走れません、お許しください」との遺書を書いて自死した。
その国立競技場。観衆は最後のゴールを目指して最下位で走ってくる選手をじっと待っていた。その選手に万雷の拍手を送っていた。
優勝者への拍手よりも最下位の選手に送られる拍手の光景を見るのが好きだった。そこだけは泣いた。いくら遅かろうとも全力を出し切った人を讃えていた。
日本人の多くは、ウインブルドンの観客と同じ感性を持っていた。

いつの頃からか。そう、バブルという時代からか。この国は「勝ち組」と「負け組」の二極に分化する空気が醸成されていった。企業の勝ち組、負け組、社内での勝ち組、負け組、社会での勝ち組、負け組。
小泉純一郎が首相在任時、大相撲の表彰式で、武蔵丸に勝って優勝した貴乃花を称賛した。「痛みに耐えてよく頑張った。感動した」と。武蔵丸だって負傷していた。両者とも同じ条件。武蔵丸への言及は無かった・・・。

そんな風潮、空気は今も続いている。総理総裁は権力争いで勝った者。勝者の論理が全てだ。

浅田真央を勝つべき人、金メダルを取るべき人としてしまったのは組織委員会やメディアだ。国費で派遣されているから、だから・・・。そんな位置づけが押し付けられる。

2020年東京オリンピック。ここから250キロ離れたところで開催される。
250キロ離れたこの地に居るものは、この地には多くの「敗者」が存在していることを実感している身にとっては、森喜朗が組織委員会の長についているそのスポーツの祭典を拒否したい心境になる。

森喜朗は「元首相」という肩書で今も“君臨”している。真央ちゃんは有終の美を飾りながら「引退」に向かう・・・。

政治家はスポーツに介入してほしくない。政治とスポーツとは全く別次元のものであって欲しい。
そして賢明なる日本国民は、メダル狂騒曲に巻き込まれず、スポーツそのものを楽しんで欲しい。平昌五輪に向けて動き始めている多くの戦士たちのためにも。
国を挙げて称賛され、栄誉賞だのなんだの、それを贈られることを、メダリストたちは本心、喜んでいるのだろうか。彼らは、その場にいない“敗者”のことを常に思っているはず。

2014年2月20日木曜日

「大雪害」余禄

15,16日の大雪。福島県の幹線も高速もすべて止まっていた。大渋滞が発生していた。全く進まない車列・・・。閉じ込められたままの人達・・・。

福島市の松川町に飯舘村からの避難者の「仮設」がある。「仮設」と書くには自分なりの訳がある。仮設住宅とは書けないのだ。そこはおよそ住宅という概念には当てはまらない場所だから。

松川町の仮設には207人が暮らしている。その8割は高齢者。そこにももちろん雪は降り積もった。除雪車も来ない、除雪に機械も無い。生活道路を確保するのは手作業だけ。

この仮設は国道4号バイパスを見下ろす高台にある。

16日の早朝、体力のある住民はスコップで除雪に励んだ。4時間。バイパスを見ると、車は朝見た時と同じ。まったく動いていない。

住民の一人が自治会長に声をかける。
「渋滞中の車に炊き出しをして、おにぎりを配ろう」
その場にいた誰もがうなずいた。

集会所には富山県のお寺から送られてきた米があった。1斗5升の米を2升炊きの炊飯器をフル稼働させて炊いた。25人の人は“自宅”から梅干と海苔を持ちよった。

出来上がったおにぎりは200個。4人の住民がドライバーに配って歩いた。雪に足をとられながらも。見かねたドライバーも車を降りて配るのを手伝った。
三日間何も食べていないというドライバーもいた。「上の仮設から来た」というと「避難生活をしていて大変なのに、いただけません」と丁寧におにぎりを断るドライバーもいた。

自治会長は言った。「私たちは日本中から支援してもらってきました。困った時はお互い様。ぜひ、私たちの感謝の気持ちを受け取って欲しい」と。

何度も頭を下げる人、涙を流してお礼を言う人。村の人たちは寒さも忘れておにぎりを配って歩いていた。

この話は、ラジオ福島の大和田新というアナウンサーが書いていたもの。そrを借用した。

飯舘村には「までいのこころ」という精神がある。お互い様という気持ちもここから出てくる。
伊豆大島の大水害。台風の時の。この時、大島にコメを送ったのは浪江の人だった。ボランティアへの炊き出し用に。送られた人は浪江の人たちのところにボランティアで来ていた人。
この時も「困った時はお互い様」。そんな言葉が交わされていた。

困った人でないと困った人の気持ちはわからない。

飯舘村とおにぎり・・・。原発事故直後、避難してきた南相馬の人たちにおにぎりの炊き出しをやっていたのも飯舘村だった。高線量の放射能が降っているなんてつゆ知らずに・・・。

飯舘村も大雪に覆われていることだろう。あのご主人が週に何回か昼間だけ来て餌と水をもらっている鎖に繋がれたままの犬、太陽くん。
あのご主人だって高齢だった。雪の中、太陽くんのところに行けているのだろうか。水は凍っているはず。雪を舐めながら太陽くんは急場をしのいでいるのだろうか。ものすごく気になる・・・。

何故時折、飯舘村にこだわるのか。昔、多少の縁があった。どぶろく特区に指定された時、それを買いに行った。ミートバンクも見に行った。多少の知人もいた。どぶろくを買って帰る道すがら、星の綺麗な村だと思った。なんか温かい気持ちにさせてくれる村だと思った・・・。
飯舘村は原発から何の恩恵も受けていない。原発で働く若者はいた以外は。その村にどこよりも高い放射能が降った。その不条理に「すべて」が語りつくされていると思うから。

全村避難を決めた時、菅野村長は村民を前にこういった。「3年経ったら全員で帰ってこよう」と。3年に確たる根拠があったわけではない。素人考えでも2年は無理だ、早すぎる。5年と言ったら村民の心が持たない。耐えられる限度は3年。そんな思いだったという。

間もなくその3年がくる。帰る見通しは全くない。仮設暮らしも3年が精神上限度だと医療関係者は言う。仮設の期限は1年のびた。来年はどうなる・・・。

きょうの「被災地からの声」。広野町の話だった。いわきの仮設に年寄り二人で暮らしていると気が狂いそうになる。ここに来るのが唯一の息抜きだ。町に帰って商売をはじめているお馴染みさんの店を訪ねて言っていた言葉。
広野町にも大雪の名残が随所にみられた。

2014年2月19日水曜日

「雪害」は続く・・・。

大雪で孤立した地域はまだ解消されていない。孤立した部落は多々ある。派遣された自衛隊員は必死の作業を続けている・・・。

郡山でも幹線道路の除雪は一応出来た。しかし、一歩脇道に入ると悲惨な状況だ。除雪は手付かず。凍りついた雪はいかんともし難し。ハンマーや鉄のスコップで氷になった雪塊を砕く高齢者・・・。

我が家の前は農道。除雪の対象にはなっていない。陽の当たらないところはツルツル。今朝、出がけにその道を疾走してくる多いなワンボックスカー。停まる気配も無し。やむなく車をバックさせて譲る。挨拶も会釈も無く、よろよろしながら走り去っていく白いワンボックス。運転しているのは30代とおぼしき女性。通り抜けに使っている。なんと、いわきナンバー。あまりにも不作法。その道は抜け道としてあるのではないはずだが。

除雪にもいろいろ問題がある。今朝、国道4号で女性がひき逃げされた。歩道は除雪で雪が溜まり、歩ける状況ではない。除雪された車道を歩いていてはねられたらしい。先を急ぐ車は歩行者への理解が全く無い。いたるところ歩道は歩けない道なのだ。

その歩道の雪を除雪するにはもう人力では限界。車道の雪が積まれているから。
郡山市は除雪車が足りない。市は呼びかける。除雪機器を持っている業者への協力を。しかも雪の捨て場が確保されていない。せめて子供の通学路を確保と親が動くが人力では限界。そんな光景がまだまだ続く・・・。

政府はやって昨日になって災害対策本部を立ち上げた。遅きに失したとはまさにこのこと。そして安倍は相変わらず、全力を挙げてということだけを官僚が書いた紙を読み上げている。

あのNHKでさえ、どうにもならない状態のニュースでさえ、さすがに昨夜の見出しは「早めの対応」だった。政府の対応が遅いとあからさまには言えないのか。でも、言外にそれを言っていた。

「降るとみば、積もらぬ先に払えかし、雪には折れぬ青柳の枝」。会津藩主、蒲生氏郷が秀吉の勘気を蒙って自害するときに、千利休の後継者、会津にかくまわれていた千少庵が送った句。

辞世、返歌はともかく、「積もらぬ前にはらへ」。早めの対応をしていれば、今回のような事態は避けられたはず。

真実はなへんにありやはわからないが、見聞きした範囲では、埼玉県の上田知事は秩父市からの自衛隊派遣要請に対して「自衛隊が無理だと言っている」として要請を断った。今は出動しているらしいが。
秩父の除雪にいち早く向かったのが新潟県の業者。新潟県の要請で。その要請があった中、埼玉県知事は、県職員と共に、県職員のチームが優勝した「ゲーム大会」のイベントに参加して笑顔満面だった。
上田知事はその政治遍歴には多少の違いがあっても安倍の同調者。
昨日の釈明会見。
「自衛隊員も無尽蔵ではなく、ましてや便利屋でもない。人命に関わることである以上、対策を大きくとることは当然であるが、それは自らの責任を全うする前に他人に任せることと同義ではないと考える」。

どう理解すればいいのだろう。

雪国新潟県の大雪対策は万全だ。福島県にも応援の除雪車を提供してくれている。たぶん、その道は、川俣町を通り浜通りに抜ける道。かつて毎日自衛隊車両や警察車両が毎日通っていた道・・・。地元の子供が「ごくろさま」と書いた紙を持って車両に感謝の意を表していた道。

この国に危機管理ってどうなっているのだろう。自治体の危機管理ってどうなっているのだろう。

「危機管理能力」、それは原発事故後、あれだけその不甲斐なさを指摘されていたのに。

安全なところにいる人には、“青柳の枝”の喩は通じまい。大木だと過信しているのだから。

2014年2月18日火曜日

やはり「想定外」が登場した

簡単にひとくくりで言うのもなんだけど、今度の雪による大災害。自衛隊も動いている。懸命の作業が続けられている。国土交通省の道路事務所の職員も、各自治体の職員も。

とにかく一応天候が収まっている間になんとか「救出」の道を付けて欲しいと祈りばかり。

また明日から雪の予報もあり・・・。

例えば、大渋滞を招いた最初の原因はノーマルタイヤの車のせいかもしれない。
人の生き死にに関係してくる事故。やはり行政、国が責めを追うのは致し方ないこと。
対応の遅れというのは厳然としてあった。それを「想定外」という言葉で片付けようとする“言い訳”は納得出来ないのだ。
「想定外」というのは言い逃れであり、自己を正当化するための逃げ道でしかない。その言葉の「あやしさ」は、あの原発事故で経験済みであり、為政者が使ってはならない言葉になったはずなのに。

大昔、40年以上前か。豪雪都市と言われた新潟県長岡市を視察に行ったことがある。街の中心街、中心道路には日本で初めての融雪装置が施されていた。道路の真ん中からスプリンクラーのように水が出てくる。雪が積もらないように。溶かして流す。一口でいうとそういうこと。

豪雪地帯ならではの「知恵」と思った。新潟県は山梨に災害派遣部隊を出した。
そういう備えが常日頃からあったということだろう。

今度の大豪雪、大災害。「異常気象」だという。もはや、たぶん、これは「異常」なのではなく「通常」ということになってきているのではないだろうか。地球規模での。

温暖化が原因だ、大気汚染が原因だとも言われる。たしかにそうだろう。でも、他人事のようなことを言うようだけど、それを受け入れ、そうしたのは全部人類。

あの数メートル先も見えないPM2,5なるものの大気汚染。経済成長を国是としている中国が、工場から吐き出している煙。

原発はクリーンエネルギーだという。化石燃料に頼らなければ大気汚染は防げるという。それは全く次元が異なるエネルギー論議。

論理の飛躍はあるかもしれないが、「成長」を希求する以上、地球規模で“最悪の事態”が来ることは必定なのかもしれない。

これだって「想定内」じゃないのだろうか。

今度の事態で物流は全部ストップした。その影響は全国に及ぶ。ここ郡山だって例外ではない。昨日の卸市場は入荷が無かった。

物流がストップしたことによる「経済的損失」。市民生活への影響も含めて、どれくらいの数字になるか。自動車の生産工場の操業停止になってるということなど含めて。

その損失は、成長率を上回るかもしれないのだ。道路マヒだけじゃない、生活マヒだけじゃない。国の経済がマヒしたことにもなるのだ。

明日から予想される再度の雪。すでにして買占め、買いだめが行われているとも聞く。物流が滞っている中で。

決して豊かな国でなくていい。安心して暮らせる国であって欲しいのだが。

豪雪被害だけを問題にしていてはダメだ。国の在り方、世界の在り方。それを根本的に見直していくための出発点と捉えるべきだ。想像力の世界だ。とりあえず安全な地域に居る人たちへの課題。

除雪車だって、ほとんどの自治体は完備されていない。細い道路は人力以外に方途が無い。

そこでだけは「助け合い」という“アナログ”精神が発揮されている。

いろんな場で、今度の経験を生かさない限り、また同じようなことは起きる。
「想定外」は通用しないのだと。

2014年2月17日月曜日

かくも見事な「想像力」の欠如。

国家とは、国民の安全と生命を守ることを義務とする。そう理解していたのは間違いだったのかもしれない。国家は時として“容易”に国民を見捨てる。そう思った方がいいのかもしれない。

連日の雪掻き。長時間の。もう体は限界だ。今日はどうしても事務所に来なければならなかった。原稿を入れなくてはならないから。道中の道路は酷いものだった。轍にハンドルをとられ、スタックを繰り返し、どうにかたどり着いた。
大渋滞こそなかったが、車も少なかったからか。悲惨な状況にはあわなかったが。

原稿一本だけをようやく入稿し、これを書いている。

長野県や山梨県。そこで渋滞にはまり、何時間も、いや何十時間も車の中に閉じ込められていた人達。食糧も水も無かった人達。陸の孤島と化した中で、電気も来ない状態で不安な夜を過ごしていた過疎の集落の人達。
物流が途絶え、コンビニにもスーパーにも食料品は皆無。誰もが「救援」を「救出」を待っていた。徒歩で脱出した人たちが凍死した。

閉じ込められた恐怖感。それは味わった人にしかわからないもの。先の見通しがわからない、どうしていいかわからない。孤独との闘い。
大雪は天災だ。しかし、その被害にあった人達を助けられない。それは人災だ。

東日本大震災の時と同じ光景が、その現場にはあった。そこにいた人達は、お互い助け出そうと努力した。当該自治体も避難所を設けるなどの努力をした。

その現場やそこを取り巻く環境。そこに見えるのは機能不全としか思えない国家。

ようやく要請された自衛隊派遣。派遣要請は遅すぎた。自衛隊の派遣要請は基本的には県の権限。よしんば自衛隊に早めに要請していても、救出作業にすぐ当たれたかといえば、無理はあろう。道路がふさがっているのだから。豪雪の中、ヘリが飛べるわけもないのだから。

官邸主導による国を挙げての救援。それが必要だったこの雪害。どうみても「手をこまねいていた」としか思えない国の対応。
車のガソリンは切れる。空腹だけが襲う。

安倍が昨夜、高級てんぷら店にいたことが非難の的になっている。どこでなにを食おうがそれはそれで結構。その前にやるべきことはやっておいているのならば。

官邸に災害対策本部が設置されたわけでもない。被災者が極限状態にあるときにやっと関係省庁の役人が集まって、連絡会議だと。

当事者だけにしかわからない苦しみと恐怖。しかし、それを想像するのが、想像力を働かして対策を講じるのが国家の役目なのだ。

テレビが伝えていたのは、ニュースで報道していたのは東名の渋滞と首都圏の交通情報。
山梨県は関東圏。地元放送局は無い。しかしNHKは支局を持っているはず。
東京のテレビ画面は知らないが、文字でもあの状況が伝えられていたのだろうか。

ネット時代だという。安倍も女房もネットをやっている。ボクの数少ないフォロワーからだって山梨の模様は伝えられている。ネット大好きな政治家もいる。

だけど大方は自分では目を通してはいないのだろう。
各自治体に問い合わせをちゃんとしていたのだろうか。

知ろうとする努力を放棄していたような官邸。見えないものを見ようとする意志になかった官邸。「官邸主導」という威嚇に各省庁は怯えていたのかもしれない中で。

東京都知事はテレビに出演して「1日で溶けるでしょう」と言っていた。23区はそうだったのかもしれない。三多摩地区と言われる山間部。そこもれっきとした東京都だ。そこへの想像力も働いていない。まして他県おや。

知人から郡山市長のフェイスブック投稿記事が回ってきた。誤字二か所。判読不能の文章。除雪車の出動に対する言い訳。渋滞していて職員の出勤もままならなかったことをご理解いただきたい。
つい1週間前にも経験したはずだ。泊まり込みの体制を作っておけばいい。市長が擁護し守るのは職員では無い。市民のはず。

NHKにもうひとこと。公共放送だということ。オリンピックの放映権を獲得した種目の競技はおおむね夕方6時ころだ。昼間、ハイライト番組にうつつを抜かしている場合かよ。公共放送の使命は的確な災害報道なのだ。

経験にも学ばない愚者どもよ。

すべては「想定外」という言葉で逃げ切るのがオチなのだろう。

2014年2月16日日曜日

安倍の「あざとさ」

「あざとい」という日本語がある。辞書にはこうある。
“押しが強くて、やり方が露骨で抜け目が無い”と。

きょうも雪のことを書く。昨日も雪掻き。近所で力を合わせ。きょうも朝から雪掻き。正直、この老骨にはこたえます。前の道路でスタックする車。救出に。
こんな裏道くるなよ、って言いながら・・・。

山梨県はひどい状態だとか。いや、だったとか。陸の孤島状態だったとか。
食料品は無い、何も無い。物流が途絶えると一夜にしてそうなる。

立ち往生の車。東名やその他の道路でも然り。福島県でも幹線の国道4号が機能せず。近所の御主人は福島に二泊。帰宅かなわず。
長時間車に閉じ込められていたとか。奥さんが雪掻き作業。

まさに雪害、災害。自衛隊の救出作業はかなわなかったのだろうか。出たところもそうでないところも。

食料品が店頭から消える。停電が続く。まさに「3・11後」の数日間の光景を彷彿とさせる。

国の半分が「機能不全」の中、国の中枢のなんともぼやけた光景。首相動静見ると、午前中は公邸で過ごす。午後2時25分報道各社のインタビュー。31分羽生結弦選手を電話で祝福。54分富ヶ谷の自宅。

新聞は今日は配達されてない。ネットでみた東京の新聞記事。

どう解釈すればいいのか、この「のんびりさ」加減を。ツイッターで現場からの救助要請は山ほど流れているというのに。自分もツイッターやフェイスブックをやっているはずの安倍。そんなもん見てないってことは分かり切っているのだが。
FBには今日になって女房がなにやら一言載せていたっけ・・・。

地元仙台で大震災に会い、家族4人で避難所で暮らし。それこそ食料とて無いような中で。スケートをやめようと思った羽生を横浜にいた恩師が助け舟。

彼自身が言うように、金メダルの原点は、被災地東北にあった。金メダル会見の席でも最初に出た言葉は「東北」だった。あまり笑顔を作らない彼にインタビューアーがその訳を聞く。「東北の現状を思うと笑えません」とかれは即座に答える。

宮城県の仮設にいるお年寄りの男性は言う。「頑張ろう東北とかいた日の丸を持って走ることはないよ。君の姿を見ただけで俺たちは頑張れるぞ」と。

安倍との電話。安倍が言う。「リンクに一礼する姿は、まさに日本人の美しさだと感服した」と。
あのね、安倍よ。たとえば箱根駅伝であっても、倒れこみそうになりながらも、走ってきた道路に向かって頭を下げる選手は多いんだよ。サッカーだって、高校野球だって、選手はグラウンドに一礼するんだよ。「闘いの舞台に、戦わしてくれた舞台に礼をする、それは皆がやっていることなんだよ。スポーツジムのインストラクターだってレッスンの前後にはやっている。
国会の議場で、頭も下げずに足早に去っていくキミの姿を自分ではどう思っているんだい。

羽生の金メダルにあやかっている。それを称賛することで自分をたかめようとする。いやな根性だ。あざといのだ。
ねぎらいの言葉をかけるなら、メダルをとれなかったけれど一生懸命やった選手をこそねぎらえよ。
キミの傲慢な感覚の中では頂点を極めた人にしか関心がいかないのか。
そうだろうな。日ごろの思いあがった言動からはそうなんだろうな・・・。

「弱い者」は排斥する。それがキミ自身の信条なのだろうな。災害で困惑している“国民”はキミの目には入らないのだろうな・・・。

それにしても羽生は立派だったと思う。すぐにでも練習したいという。失敗をしたジャンプに悔いを残して。そして「金メダルを取った今がスタートなんです」という。
頼もしい19歳だ。10代の子に数々教えられるオリンピック。

さすがにNHKとても、見た範囲でのニュースではこの安倍の”祝福“を報じなかった。ささやかな抵抗か。
NHKの問題にしても、立憲主義を否定する発言にしても、安倍の暴走は止まるところをしらない。安倍自民党を選んでしまった国民、安倍を担いだ自民党。
国際的に孤立を深める日本。

「あざとい」人か・・・いるよな・・・。

2014年2月15日土曜日

雪に埋もれて思うこと

郡山に居て30年弱。こんな大雪、雪だけではない、吹雪も。体験した記憶は無い。
昔、裏磐梯のスキー場では体験したことがあったけれど。

風邪の身はさておいても、この雪の中では外出は不可能。籠るしかない。思索の時間にあてるのには、この雪はそんな“風情”“風流心”も吹き飛ばしてしまうような。

暴風雪。気なるのはやはり原発。無人カメラは大きく揺れている。積雪の具合はわからないが、林立するクレーンが大きく揺れている。
どんな影響をもたらすのか。
その映像を見るたびに、そこで働く作業員の人達の苦労を思う。寒さと風と雪。体力の低下は著しいだろうと。
「危険」な作業はやらないだろうが、見回りは必要なのだろう。
とにかくそこでは人が働いている。

時折見るテレビ。L字のワイプに切られた画面には続々と大雪の情報が。横に流れるスーパー。字幕。
そのテレビの光景は、あの「3・11」後、しばらく続いた光景なのだ。

流される情報は大雪であり、交通機関への影響だけど、画面の作りはあの時と同じ。タイムスリップ感に襲われる。
番組内容は見ていない。字幕だけに、字幕を負うことに目が行く。

こんな天候でも働かねばならない人達がいる。
今朝、新聞は来ていた。郵便物も届いていた。宅配便も来た。
膝まで埋まる雪の中。本当に御苦労さまだと思う。

仮設住宅も大変だ。買い物にも行けない。雪国暮らしだった人達。雪には慣れている。食料の保存方法だって各家では確保してきた。かつて住んでいた家では。仮設ではそれがままならない。
「兵糧攻めだな」。電話の向こうでそう言っていた。結露も凄いという。サッシの隙間から雪が舞い込んでくるようだとも言う。

この大雪、悪天候。それだから働かなければならない人達がいる。テレビ屋さんたちもそうだ。警察、消防、気象関係者。駅の職員、保線作業員・・・。あらゆる交通関係者。そして自治体職員、医療関係者・・・。

寸断される交通機関。鉄道もバスも。東名高速ではスリップ事故の影響で何十時間も閉じ込められたままの車が多数。どうやって救出するのか。
「待つしかない」ということなのだろう。

停電の恐怖もある。さっき瞬停があった。

そしてバカがいる。停電があると電力会社の陰謀だとかなんとか。原発による電力供給量と停電とは関係ない。湿った雪が電線に付けば事故は起きるのは自明。

家に籠って能書き垂れている身はまだ楽なんだと思いながら。

雪の中を外出して被害にあう人、それは、それぞれにやむを得ない事情もあるのだろう。

とにかく天候の回復を待つ以外に無い。

時々映し出される都心の光景。雪に覆われた権力の中枢部。官邸。
大雪と2・26事件。それが頭をよぎるなんて、過去の妄想に取りつかれているだけなのだが。

豪雪地帯程の雪は、屋根まで埋まってしまうような雪は降っていない。それに見舞われてはいない。

閉じ込められたままの高速道路の車、車。ガソリンは、食料は、トイレは・・。
もしその中にいたら多分耐えきれない・・・。

自然とはこういうものなんだよな・・・。

1Fの画像は不鮮明さを増している。

2014年2月14日金曜日

ソチオリンピック 余聞

きのう書いた男子フィギアスケート。ショートプルグラムでは、まだ“哲学青年”は「哲学の道」を歩いている途中らしい。
哲学は思索。思索に結論は必ずしもついて回るものではないし。

羽生結弦くん、圧巻の演技。彼を支えているのは東北。被災した東北なのかもしれない。彼自身も“被災者”。現地を見た。知った。それが彼に力を与えているのかもしれない。
彼は常に口にする。「東北の方々の力になりたい」と。見せてくれ。「東北の底力」を。

高橋大輔。彼にまつわる話を聞いた。彼が練習場として使っていた、大阪市にあるスケートリンクが閉鎖の危機にあった。耐震改修費約3億円の半分を施設側が負担することが存続の条件として大阪府があげられていた。

彼は募金活動に動いた。チャリティー大会を開催した。でも、資金は集まらない。彼の活動を知った、「スケートフアンでない」人が、彼と会ってじっくり話を聞き、匿名で1億31千万円を振り込んだ。
“未来を担う子供たちの夢や希望を無くさぬように”との添え書きを付けて。

存続は決まった。そこで未来を担う子供たちはスケートの練習に熱中している。

ネットではメダルを取れなかった選手に対して、早くも“誹謗、中傷”が渦を巻いているらしい。あげく「税金泥棒」だとか。
税金泥棒という匿名の人達は、いったいいくらの税金を払っているのか。

日本の選手強化費は諸外国に比べて極端に少ない。その中で国を挙げてメダル、メダルを連呼する。選手にその責を負わせようとする。
いわゆる“ヘイトスピーチ”なるものと同次元。

この国は、まだ、スポーツ選手を育てる環境にないのだ。精神論や根性論をそこに持ち込んで。

戦時中の「空気」になぞらえる気はないが・・・。

隠れた「いい話」も聞いた。

女子のノルディックスキー。ロシアの選手の板が折れた。でも、転びながらもその選手は完走を目指した。
突然、スキー板を持ってコースに走って来た人がいる。なんとカナダの選手団のコーチだ。板を履き替えロシアの選手はゴールを迎えた。

かつて同じような事が、ストックが折れると言うアクシデントにカナダの選手が見舞われたことがある。その時に、カナダの選手に代わりのストックを渡したのはノルウエーの選手団の人だった。そのせいかどうかはともかく、ノルウエーは3位につけていたが4位に終わった。

カナダはそのことを忘れていなかった。その話は国中に伝えられていた。子供たちにも教えられていた。

そんな逸話だ。

この話を聞いて、またも、エルトゥールル号事件の事を思い出す。明治の時代、トルコの軍艦エルトゥールル号が和歌山沖で座礁した。折からの台風で。多くの乗組員が死んだが、90人ほどが和歌山県の串本の海岸に流れ着いた。
それを知ったその地の住民は、自らも台風の被災者であるのも関わらず、着るものと、なけなしの食料を持ちより、乗組員を救助した。明治天皇からも、その人達を無事トルコに送り帰すようにとの“勅命”が出された。

トルコではこのことは教科書に載せられており、国民誰もが知っている。

後年、イラン・イラク戦争時、バグダット空港には250人余りの日本人が脱出を求めて集まっていた。フセインはあらゆる航空機を間もなく爆破すると言っていたから。
日本の自衛隊機は来られない。民間航空機も来ない。絶望の中、トルコ航空機が到着した。そこにいたトルコ人には陸路で逃げろといい、日本人全員を成田に送り届けた。

トルコ大使は一言言った。「あの時の恩返しです」と。

その事は日本ではあまり伝えられていない。もちろん教科書にも。武士道の国でありながら。
東京オリンピックの招致最終決定日。トルコにいた安倍は、日本国の「最高指導者」として、エルドアン首相に、その時のお礼の一言も言わなかった。まして、「イスタンブールは治安が悪い」と言っていた。
2度目の訪問の際には触れていたみたいだが・・・・。

アスリートのちょっとした行動や思いやりが国際関係にも大きな影響をもたらすのかもしれない・・・。

2014年2月13日木曜日

「もう一人の自分との闘い」

ソチオリンピックも佳境ということなのか。日本時間の今夜遅くからフィギアスケートの個人戦。慣れ親しんだ競技。またまたメダルをめぐって騒ぎが続くのだろう。

いつの頃だったか。オリンピック精神は「参加することに意義がある」だった。
選手も、関係者も、国民もそう理解していた。
いつの間にか、そこに「国」という“圧力”が存在し始め、「メダルの数」がその意義のようになった。

フィギアスケートに町田樹選手が登場する。仄聞するに彼は「氷上の哲学者」というらしい。好んで哲学を学び、学んだ哲学を競技に生かしているような。

過去の戦績について彼はこんなことを言っていた。
「試合前にもう一人の自分が顔を出す。弱気な自分が。そのもう一人の自分との闘いなんです」。

もう一人の自分。わかるような気がする。多分、多くの人がそれを内在してると思うし。

彼のショートプログラムの曲は「エデンの東」だとか。たしか、エリア・カザンの作だった。ジェームスディーンを知ったのもあの映画だった。見たのは中学3年の頃だったと記憶している。

エデンの東。旧約聖書のカインとアベルの物語から作られてと思っている。
映画自体も“哲学的”だったような。

エデンの東の中で「ティムシェル」という言葉が使われる。“汝、治むることを能う(あたう)”と訳されている。

どうも元はヘーゲルの言葉。それを彼なりに解釈している。
“自分の運命は自分で切り開く”と。

頼もしいぜ、この若者。沙羅ちゃんも然り、ハーフパイプの二人も然り。弦も樹も。
素晴らしい若者が輩出している。

今夜、氷上で彼の哲学はどんな演繹をたどるのだろうか。


「3・11」後、ネット、特にツイッターには、botにしてもそうでないにしても、哲学者の言葉が溢れていた。カントやニーチェや。

多分、書き込む方も、受け取る方も、哲学者の言葉を借りなければ、あの大惨事の中、魂の救済は求められなかったのだろう。

ボクも言葉を探していた。
行きついた言葉は、被災者の、家族を無くし、家を無くした人達の素朴な言葉であったのだが。生ける哲学のようでもあったのだが。

やがてそれらは消え、今や、原発を巡る“汚い”言葉の応酬。そして福島に向けられるいわれの無い、誹謗中傷。
そこには哲学は微塵も無い。

そしてオリンピック選手に対しても「匿名」の中で、無責任な、勝手な、訳知り顔の言葉が投げかけられている。

政治の場では、哲学はおろか、倫理すら存在しない。単なる感情移入だけで戦争を美化する空気。

ま、それはまた。

哲学青年が、氷上でどんな形でその哲学を具現化してくれるのか。それを待つ。

とにかくアスリートに教えられる毎日のような・・・。

2014年2月12日水曜日

17歳の少女に教えらえたこと

オリンピックもたけなわ。スキー女子ジャンプの高梨沙羅選手。17歳。
競技の結果は4位。本人も関係者も観客も、日本でテレビをみていた人も、みな悔しいだろう。残念だろう。
彼女の存在は、一人のアスリートとしてだけではなく、あることをボクに教えてくれた。尊敬していると言ってもいい。

ほとんど全部のアスリートたちは、試合に臨むとき、オリンピックだけでは無く、さまざまな場面でこう言う。「試合を、競技を楽しんできます」と。

スポーツ選手が言う「楽しんでくる」という言葉にかねがね違和感があった。コーチや関係者も「楽しんで来い」といい、「自分の滑りをすればいい、自分の野球をすればいい、自分のプレーをすればいい」という。
結果がついてこなかった時、「自分らしさが出せなかった。自分のプレーが出来なかった」といいう。

「楽しむ」。そのことについての答えを教えてくれたのが高梨選手だ。
こう言っていた。
「私のジャンプを見ていて、見てくれていた人が、応援してくれている人が楽しいと思ってくれたら、それが私の言う“楽しみ”です」。

他者に楽しみを与えることが己の楽しみ。

ちょっと前だったけれど、その言葉を聞いたとき、ボクの中にあった「言葉のもやもや感」が消えた。

大人が言えない事、もしかしたら大人とは違う“言葉の価値観”を持っている子なんだと。教えられた、それは尊敬にも近い。
他のスポーツ選手たちも思っていることは同じなのかもしれない。しかし、それを彼女のように明確な考えとして表明できていないのでは・・・とも。

試合後のインタビュー。その答えも見事だった。一語、一語の重みがあり、無駄な言葉は無く、語っていた。

言葉を生業としているアナウンサーの“狼狽ぶり”と対照的に。

少なくともボクは彼女の滑りを楽しんで観た。

10代の若者たちに、実は、大人は教えられているのではないだろうか。災後、特にその感が強い。
大人たちは「うろたえて」いる。

三陸地方の防潮堤門題にしても、若者たちが出し合った意見のほうが正論だ。彼らはきちんと考えている。それは彼らには利害関係が無いからだ。

大人たちは「子供たちのために」という。子供たちのために現実路線を選択しようとする。
子供たちは違う。やがてくる「未来」「将来」を自分たちのものとしてとらえているから。

高校生たちの間では、今、「戦争」が語られ始めている。「戦争を知りたい」という。どこかで、肌で、「戦争の気配」を感じ取っているからかもしれない。

そして彼らは言う。「我々若い者たちだけで、つまり横の関係だけで話しても、何も学べない」と。「縦の関係、大人から話を聞きたい」という。

若者たちに戦争を語り得る大人がどれくらいいるのだろう。「格好いもの」と彼らは捉えていない。

♪戦争を知りたいこどもたち♪。そんな歌でも誰かつくらないか。

今、この国を動かしていると、大いなる勘違いをしている大人たちよ。子供たちに、もう、その座を明け渡してもいいのではないかな。

沙羅ちゃんの言葉がボクを後押ししてくれているような。

メダル、メダルと毎日絶叫しているテレビ。メダル予想をして、それが報道だと勘違いしていた人たちよ。
光輝くメダルよりも、もっと輝かしいものを受け取ったような気がして。
爺の感傷だけかもしれないが。

2014年2月11日火曜日

・・・そして2年11か月

時計の針が 前に進むと「時間」になります。                 後ろに進むと「思い出」になります。


寺山修二の詩の一節。この詩をどう解釈するか。人それぞれだ。時間と思い出をどうとらえるかも。

あの日以来、2011年3月11日以来、時計は前に進んだのか、後ろに進んだのか・・・。

ボクの脳内時計は、止まったままのようだ。針は前にも後ろにも進んでいない。
止まったまま。

思考は停止していないが、出口を見いだせないままの2年11か月。その“時間”を早いと感じるのか、もうと感じるのか、まだと受け取るのか。


あと一月後には丸三年を迎える。時間軸で捉えれば大きな節目。日本の文化の中では「三」という数字はいろいろな意味を持つ。

三年という区切りの中で、各メディアは、新聞、テレビは、節目の企画を考えている。それは「お決まり」のようなものであっても。

どんな企画が練られ、何が伝えられるのだろう。

もしかしたら「ソチ」の興奮が覚めた頃から、来月に向けての関連企画が出てくるのだろう。
3・11前後までは、メディアはそれ一色になるのかもしれない。

NHKは「花は咲く」を連日、フルバージョンで流しても、こと原発問題になると、腰が引けて当たり障りの無いものが放送されるのかもしれない。
そうでないことを願う。NHKの物量でしか出来ないこともあるのだから。

民放はくだらないお笑い番組やバラエティーを流し続けるのだろうか。プライムタイムでは。

風化という言葉もあまり聞かれなくなった。風化を食い止めるためには、ジャーナリズムが伝え続けなければならない。記録も含めて。

風化というのは忘れるということだ。忘れると言うことは辛い記憶から逃れようとすることにもつながる。

ネット友達の「しげさん」が、数日前、自分が忘れないようにするためにと、津波の被災地を、3・11後から撮られた画像、写真のリンクを貼っていた。

何回も見た写真もあった。海を茫然と見つめるミニスカートの少女。海に向かって深々と頭を垂れる僧侶。赤ん坊を助け出し、笑顔で抱く自衛隊員の姿。瓦礫の中をさまようように歩いているそこに生活していた人達の姿・・・。

見ていなかった映像があった。写真があった。「死者」だ。死んだ牛の姿だ。
とりあえず被せられた毛布。毛布で覆われた死者。毛布からはみ出ているような手や足。
どれも、“整えられて”いない。泥にまみれたまま。

パソコンの前で、正座し、手を合わせながらその画像を見た。

以前にも書いた。被災直後から現地入りしたメディアは多くの死者を見ているはず。棺だけではなく、盛った土に仮置きされた死者だけでは無く。

その映像はどこも流さなかった。掲載しなかった。

津波が襲う光景も、しばらくしてからは、それを見る事が精神的な苦痛を覚えるかもしれないから、見るには留意してくださいというような、「言い訳」が必ずスーパーで付けられていた。

被災地を撮ったカメラマンとそのことで話し合ったことがある。カメラマンはそれが使われないことへの異論を述べていた。映画監督もそうだった。

あの残酷な光景。子供に見せればトラウマになると言われる。そうかもしれない。しかし、それを肉眼で見た子供たちも被災地にはいる。それを子供ながらに見たことによって、その体験があったから、考える力を持った子供たちもいる。

4歳の子供は、戦禍のさなかにいた。焼夷弾で家が焼かれ、街が焼かれ、親や祖母と逃げまどっていた。逃げる途中、多くの焼死体を見た。防火用水槽から引き上げられて遺体。道路脇にむしろをかぶせられただけの遺体。

それを見た子供はトラウマにはかかっていない。あるとすれば「戦争」というものに対してのトラウマだ。

残酷な遺体の記憶、九死に一生を得た顔面大火傷の祖母。それが「戦争」を知りたい、知らなくてはならないというその子供の原点になっている。その子供とはボクだ。

“成熟”したメディアは、残酷な映像の露出を“自己規制”する。報道倫理を持ち出して。
それが「3・11」の実相を伝えているのかという疑問。
残酷さにとってかわるような美しい物語を探し出し伝える。

議論の分かれることだろう話しだが・・・。

「三年を迎える」番組。どうしても避けて通れないあの津波に襲われる光景の映像。またも「見る時は注意」の”言い訳“が映像に添えられるのだろう。

ドラマの中では何人もの死者が“登場”する。それに異議を唱える人はいない。
実相の中にあった死者は忌避する。

答えは見つからない疑問であり、問いかけなのだが。

3・11とメディア。その「もう一つの視点」だとも思うのだが。


「見るという行為は、人間を部分的存在にしてしまう。                もし、世界の全体を見ようとしたら目をとじなければ駄目だ」

寺山修司の詩の後段にはこう記されている。目を閉じていたら、あの大惨事の全体は見えないと思うのだが。

2014年2月10日月曜日

とりあえずの「安心、安全」意識

舛添要一が新しい都知事になった。投票率46%余りの“民意”で。
投票率が低いのは舛添えのせいではない。都民の民主主義に対する民度。
郡山市長選だってそんなような数字だった。

この事だけを言えば、選挙という一つの手段をもって民主主義を語ることは、もはや、意味をなさないということかもしれない。

全ての候補者に魅力が無かったわけでもない。雪と言う悪天候の影響だって、それは「ためにする」言い訳。

無党派層という人たちで投票した人も舛添支持が多かった。だから、投票率が高かったからと言って他候補が有利だったとは言えない。

なぜ結果として都民は舛添を支持したか。舛添に票を入れたか。根底にあるのは「現状肯定主義」ではないだろうか。

争点では無いといわれながらも原発は争点だった。その原発について升添はこんなことを言っている。積極的再稼働とは言わない。
原発をゼロにすれば経済に支障が出る。今急にゼロにするわけにはいかない。少しずつ原発依存を減らしていけばいい。こんな感覚。

多くの都民の感覚と一致しているのではないだろうか。

福島であれだけの事故があり、多くの人が悲惨な生活を強いられている。それは“特別”な出来事で、これからは無いだろう。そんな自己暗示による安心感。
原発をゼロにする、積極的に脱原発をはかる。海のものとも山のものともつかない自然エネルギー。「とりあえず自分たちが生きているうちは、今の生活を“後退”させたり、不便な生活を強いられるのは嫌だ。とりあえずは今のままがいい」。そんな意識が働いていたのだろう。
これは都民だけではない。国民の中にある「空気」なのだ。厳然と存在する「空気」。

それにしても・・・。
沖縄の名護市長選で辺野古移転反対を言った現市長が当選した。国策に反する選択。その結果に対して、官房長官も自民党の幹事長も「一地方自治体の選挙の結果についてはいちいちコメントしない」と切って捨てていた。

東京だって「一地方自治体」。人口の多さとかなんとかは関係ない。舛添勝利に湧き、積極的にコメントしていた。歓迎、歓迎と。
その“差別”に対して、誰もそのおかしさを指摘しない。舛添は「自民党の歴史的使命や、役割は終わった」と大見得を切って離党した。

昨日の知事選後、真っ先に自民党本部を訪れ、応援への謝意を表し、協力を依頼した。この変わり身の鋭さ。

「今さえよければ、自分さえよければ」。そんな空気が支配している。そんな“民意”が今度の選挙の結果。

もう一つ。民意として出来上がった民主党政権。政権交代。その結果の無様さを皆が覚えている。民意は常に豹変する。
そして今ある民意。「強いもの」への寄りかかり。

表面上、演説にしても、風貌にしても、舛添は強い指導者にうつった。宇都宮、細川は、その訴えの内容よりも、受ける印象。弱々しいという印象。
慎太郎も猪瀬も強い男のイメージ。

なぜ安倍政権が50%の支持率を得ているのか。彼の傲慢さ、強引さが「強い男」に見えるからだろう。
今すぐ原発再稼働、新設はしないだろう。そんな淡い期待。今すぐ戦争はしないだろう。いくらなんだって戦争はしないだろう。そんな平和に慣らされて来た人たちの感覚。積極的平和主義なるものに幻惑されている人達。

「男はね、強いばかりじゃ生きていけない。優しくないと生きていけない」。そんな“価値観”があったバブルの前。その価値観から優しさは排除されてような。

舛添勝利という「味方」を得て、安倍の強権政治はあらゆるところで如何なく発揮されるだろう。
でも、アベノミクスというもので景気は上向いた、成長が見えてきた。「今がよければいいじゃないの」。そんな“価値観”の人がますます安倍を支えるはず。
そして、いくらかの不満は抱きながらも自民党内は安倍になびく。党内から公然と反旗が翻される気配はない。公明党も蜜の味を嘗め尽くす。蜜を求めて、維新、みんなは安倍に擦り寄る。

「安心・安全」への全否定。2年余り前はそんな空気に満ちていたんだけどな・・・。
やはり「とりあえずビール」ってことか。ちょっとした苦みも甘さに変えての。

2014年2月9日日曜日

「傲慢」さと「謙虚」さと。

きょうも雪がやんだ時間から雪掻き。御近所も。車はやっと出せる状態に。今夜は多分凍る。明日が怖い・・・。

雪掻きをしながら誰も雪を恨まない。自然の為せる業に謙虚であろうとしている。

豪雪地帯はなんとか人為的工夫で豪雪被害を防ごうとしている。

かつて田中角栄が言ったように「三国峠」をダイナマイトでぶっ飛ばせば新潟の豪雪は緩和出来ると言った具合に。

でも雪を恨んだりはしない。

雪はやがて水となり、水と同化して河川に注ぎ、河川の水は海にそそぐ。その自然の循環で人々は生きて来たから。
雪の恵みだって知っているから。

雪掻きをしながらそんなことを思っていた。そして自然への畏敬も。

自然に対する謙虚さ。あらためて学んだのが「3・11」。

人々の暮らしを破壊した大津波。それを時の東京都知事は「天罰だ」と言ってのけた。原発事故させその延長線上に置き、“天罰”が自然とともに生きて来た農民の暮らしを“破壊”したことも他人事としていた。

彼はあまりにも傲慢だった。

その都知事戦。投票率は極めて悪いと伝えられている。それは雪のせいだけなのか。

朝、ちらっと見たテレビ。コメンテーター、政治ジャーナリストなる輩が雪に言及。不要な外出は控えましょうと。外出は出来るだけ控えましょうと。

投票所に行く人、行こうとしている人の気をそぐような全く無意味なコメント。そう感じる。選挙は不要な外出なのかとも言いたくなる。

そして、多分、今夜、投票率の低さを彼らは「正義」として嘆く筈。

これとて“傲慢”だ。


日本は侍の国ではない。常に農民の国だった。
だが、今は違う。
近代文明を日本は崇拝し、世界は私たち人間のために存在すると信じた。
そして原子力を選び、今は扱いきれていない。


映画「無人地帯」にあったナレーション。


日本は侍の国だと信じ、国会議員の3分1を「たった3分1」と言ってのけた安倍。
集団的自衛権をめぐる論議で「もう何回も、何回も、何回も答えたでしょ」と質問を切ってすて、笑みを浮かべ、国会の委員会室を笑いに包んで得意満面の表情だった安倍。
NHK会長の発言、経営委員の発言を「私は聞いていないのだから答えようが無い」とにべも無くあしらった安倍。

傲慢だ。傲慢な政治を是とするやり方。

3分の2の国会議員。それは、選挙と言う民主主義における「一つの民意の手段」で出来上がった数。そこには「捨てられた民意」が半数を占めていたと言うのに。

安倍の顔は最近、とみに傲慢さを増してきていると見える。NHKの会長の顔も素振りも傲慢だった。

あえて一部と言う。一部の傲慢な人間が、その地位に就いて、その権力をなんとしても行使しようという民主主義。欺瞞の民意の拡大解釈。

大阪市長とて同じレベル。

いつの間にか、日本は傲慢な国なった。
いた、傲慢さを許す社会になった。国民がそう望んだからとしか言いようがない。

彼らの傲慢さに辟易としながらも、それを感じ始めながらも、それに対しては謙虚さが求められるというこの国のありよう。

侍の国になってしまったんだな。侍とは本来の意味では無く、まったく違った意味での。
侍とは・・・。

武器を持っていれば使いたがる階層。その武器とは戦争兵機だけとは限らない。


雪中夢のような話だが・・・。

2014年2月8日土曜日

雪、雪、雪。地震、地震、地震。

午前2時18分、午前8時31分、午前9時55分、午前11時34分。
福島、福島、宮城、福島。

きょうあった地震。震度4から1まで。最近また地震が多いような気がする。

真夜中の地震は特に嫌だ。犬も心配そうに寝ているそばに駆け寄ってきた。

雪の具合はどうかな。天気予報を思いだして寒いけど窓を開けてみる。やはり降り始めていた。
11時34分の地震後、雪は激しさを増してきたようだ。

今は時折視界数メートルという感じの吹雪。北風に乗った横なぐり。

この地方ではね、雪は上から降ってくるのでは無く、下から、地面から降ってくるからね。磐梯熱海温泉の先の中山峠。そこの様子を指して教えてくれた人がいた。今は道路事情も良くなり、トンネルで抜けられるけれど。

この季節、特に東北。雪は当たり前なんだけど。この冬一番の降雪量となるだろう。

車を“救出”。玄関先だけでも。雪かたし(方言)に疲れた。体が・・・。ついていかない。ベランダの積雪見ると、ゆうに20センチは越えている。

風情と決め込んでいるわけにはいかないし・・・。出かけるのも難儀だし。

会津の大内宿では雪まつり。冬の大内宿は雪が無いとそれになれない。
萱ぶき屋根には雪が積もっている。雪まつりを楽しむ人で、都会から来た人で大いに賑わっている。
活気ある声が交錯している。

郡山では車も人影もまばら。地方都市は眠ってしまっているような。

雪と地震。関係あるのかな。気分的にも地震はもうまっぴらなんだ。

「3・11」時、空中の雪雲に放射能が“まぎれこんで”、雪とともに放射能をばらまいていってくれたし。

ケンノン、けんのん、くわばら、くわばら。祖母がよく使っていたセリフ。

風も強まるとか。

1F.4号機脇に据え付けられている無人カメラ。全くの視界不良。何かが揺れているようだけど、吹雪に覆われて何も見えない。

風と雪の中、現場の作業は・・・。少なくとも「汚染水漏れ」の監視作業は行われているはず。それにしても過酷だ。その環境は。
地震での影響は無かったということだけど。

「仮設」に電話してみる。「寒い」との答え。お粗末なプレハブ作り。気密性はゼロに近いはず。

首都の機能もマヒに近い様子。特に鉄道や車、空の便。
あちこちでの大学入試。雪による影響は受験生には当然あるはず。

この前は共通一次にぶつかっていた。

この冬の時期、共通一次も大学入試も、時期を変更できないのかな。入試の成績、雪のせいにするわけにはいかないが。誰にも平等に降っている雪なんだけど。

ソチの冬季五輪が始まった。雪が無いと雪上競技は出来ない。必須の条件なのだけど。ソチのスキー競技場にも雪は降っているのだろうか。

そして明日は東京都知事選。最終日。候補者たちの運動も、かなり影響を受けているのだろう。

運動最終日の模様、あまり伝わってこない。ツイッターでは書かれているのだろうが・・・。そこに目を転じるのも面倒。

明日も降るという。気温はおそらく列島各所で氷点下。明日は凍るはず。投票率は多分低いだろう。それは当然当落に関係してくる。

雪が東京都の有り様を決める。受験生の人生も決める。そうだよな、なんだかんだ、やはり自然に左右されているんじゃないか。人の世は。

隣家の屋根の雪が、粉雪が風とともに舞い、この部屋の窓に吹き付けてくる。

地震に始まり、雪で暮れる。なんかおかしな日だ。今日は。

2014年2月7日金曜日

佐村河内 守のこと

福島県本宮市には「本宮方式」と呼ばれる市民による映画製作の気風があった。
昭和の時代、何本かの映画が作られている。「こころの山脈」という映画だった。

その次の次の世代か。平成になって本宮方式によって映画が作られた。
「秋桜」。
主体は本宮の青年会議所の面々。

その映画製作には直接関与していないが、その映画が出来るまでの過程をドキュメンタリー番組としてプロデュースしたことがある。

その映画、「秋桜」の主題曲は佐村河内守作曲のオリジナルだ。
いや、今になっては「そう言われていた」と訂正しなくてはならないのかもしれないが。

当時は、佐村河内という人が、どういう人で、なんで“その人の曲”が主題曲になったのか、わからない。
でも、そのCDを、テープから変換したものだが、持っている。

これが縁だったのだろうか。本宮市は市歌の作曲を先頃依頼した。それは先月、出来上がった。それはもちろん「HIROSHIMA」の影響によるものだろうが。

でも、市はそれを使わないことにしたという。

本宮市民は複雑な心境だろう。

3・11後、佐村河内は津波に襲われて石巻に入った。そこで一人の少女と出会い、彼女の経験したことを聞いて、自分がその地で感じたやるせないさを「ポアノのためのレクイエム」という曲に仕上げた。という。
その曲が完成し、石巻で演奏会が開かれ、多くの市民がそれに感動していた。

石巻市民の感情も複雑だろう。

これらの曲も全部、新垣という人が作曲してということなのか。想像の範囲では「たぶんそうだろう」。

新垣という人は「告白」するにあたって、ソチオリンピックのフィギアスケート、高橋大輔が佐村河内の曲を使うことになっているから、事前に真相を伝えたかった。大輔の動揺を防ぐためにも。そんな“理由”を述べていた。

被災地の人達、多少なりとも佐村河内とかかわりをもった人たちの「動揺」はどうなるのか。出会った少女の気持ちは汲まれているのか・・・。

ゴーストラーター。世間には山ほどいる。芸能人の半世紀から始まって。政治家の自伝ものも。ぼくも手伝った覚えがある。でも、誰のことかとは絶対言わない。言ってどうなるものでもないし。

シェイクスピアだって、どれまでが彼の自作で、どれが贋作か。長年言われてきたものの、誰も解明出来ない“謎”。
日本画だって浮世絵だって「贋作」話は枚挙にいとまがない。贋作の方が上手く出来ているという評価さえあるくらい。

佐村河内と新垣とは、結局、いったいどういう関係だったのか。

交響曲第一番「HIROSHIMA」、そのCDを持っている。何回も聴いた。素晴らしい曲だった。泣けたし、感動した。
多少は、ほんのちょっとは佐村河内が耳が聞えず、被爆者で。そんな背景がその曲を聴かせるきっかけになっていたかもしれない。

でも、ボクにとっては誰の曲かということよりもその曲がよかったからだ。だからこれからも聴く。

「騙された」と多くの人が怒っている。けしからんといい、皆”正義“に走る。
“騙されていたっていいじゃないか”。それがボクの心境。

この2年余り騙され続けてきたんだし。

仮面を剥ぐ、悪者を見つける。悪者探しの風潮、空気に覆われている日本。

ふと思い出した。「一杯のかけ蕎麦」事件。あの時、皆、あの話に泣いたではないか。作者の”実態“がばれて、あの物語も消えた。いや、消したということなのかもしれない。

ボクはその本を今でもちゃんと持っている。読んで泣いた、あの気持ちを無くさないためにも。

そもそも音楽とは。そんな綺麗ごとを並べている人達もなんと多いことか。佐村河内の話で、マスコミけしからんとういう論調も出てきている。特にNHKスペシャルが。悪者作って誰かを責めて溜飲下げて・・・。

別の意味で「息苦しく」もあり。

2014年2月6日木曜日

割烹着は“正装”だった・・・。

大震災、原発事故。多くの被災者、避難者。その環境にあった、その環境が整えられるか、整えられない中でも、「炊き出し」が随所で行われていた。

飯舘村でも南相馬から避難してきた人に割烹着姿の人たちが、手にやけどをするような数のお結びを握って配っていた。

なぜ時々飯舘村を引き合いに出すのか。そこにこだわるのか。あの「美しい村」は原発から何らの恩恵を得ずにいたにもかかわらず、多量の放射能汚染という不条理の象徴のような場所であったから。

“被災地”にある割烹着の風景。温かみとほっとした思いに包まれる。

STAP細胞を開発した小保方さんの研究室での割烹着姿が話題に供されていた。
研究者といえば白衣が定番とされているからだろうか。
割烹着姿での研究。制服としての割烹着。日本女子大で始まったことだという。

あまりその姿に昨今お目にかかる機会がないせいか。新鮮に映るのだろう。本人は別に奇をてらっているわけじゃないはずだ。

割烹着、母親の姿も重なる。

大昔、東京の日本橋あたりで始まった割烹料理店。そこの制服だったとも聞いた。

戦時中、出征兵士を見送る母や妻。女性は皆割烹着姿だった。それは「正装」だった。
あの頃、「国防は台所から」。そんなスローガンが定着していた。正装だった。国防婦人会なるものが組織されていた時代。

もちろん国防婦人会は解散してが、割烹着は健在だ。
その機能性は、日本人特有の感性による極めて機能性に富んだものだったから。

銀座のカフェでも割烹着を真似したような衣装がウエイトレスの制服だったしな。

戦後も、皇居の清掃奉仕に行った人達。婦人は皆、割烹着姿だったような。

農作業の時の野良着。野暮な格好ではない。極めて機能性に富んだ着衣だった。
様々な工夫が凝らしてあるし。

野良着と割烹着がある光景。日本の原風景にも思えるし。

今、飲み屋の主流は居酒屋。料理屋を割烹という人は、名付ける店は少ない。

割烹料理屋は高級なお店。普通の勤め人や労働者の行くのは大衆割烹。

たまたま昨夜「割烹」と書かれた看板を見かけたもので。その字を読めなかった人もいたけど。

だからなんだって言われるような、たまには暇ネタでも。

2014年2月5日水曜日

官僚と民主主義と

日本は民主主義の国です。では、民主主義とは何かと聞かれた時、どういう風に答えますか・・・。

民主主義の「手段」の一つが議会制民主主義。つまり選挙。それは多数決原理であり、少数意見の尊重とされている。
国でも地方でも議会議員は選挙で選ぶ。それをして民意の反映という。だから国会は国権の最高機関だという。
だから民意が変われば政権も替わる。つまり選挙で、総理大臣といえども、最高権力者といえども替えることが出来る。
制度や理屈の上ではそうなる。

国会は立法府である。しかし、議員立法などはほとんどなく、(小沢はそれを禁止したし)、行政府、内閣が出してきた法案を審議するだけだ。

民主主義は憲法を始め、法律によって支えられている。とも言える。
法律に定められたことを順守するのが国民の義務だと。

民主主義ってなんだろう・・・。考え直す時期にきているのかもしれない。

昨日の国会。また安倍が吠えた。改憲をめぐって。96条の改正をめぐって。
彼の一語は、民主主義の“否定”だと思う。

「国会議員のたった三分の一の勢力で、国民の6,7割が望んでいたとしても、拒否してしまうのが果たしていいのか」。

たった三分の一。たった。独裁ってこういう発想なんだろうな。
3分の一の国会議員。それは3分の一の国民の選択。

彼の事を語るのは本当に疲れる。

自民党には「党内民主主義」という発想が伝統としてある。

自民党の中の最高意思決定機関は総務会という組織だ。
そこでは滅多に強行採決をしない。

熟議を重ねたり、説得したり、議論を重ねたり、時には「根回し」をしたり、恫喝をしてみたり。いろいろあるけど、最後は会長一任とか、満場一致とか、合意の道を探る。
党内民主主義はあるのに、国会では無い。


法律を作るのは誰か。作ってきたのは誰か。官僚だ。官僚は自らが都合のいいように法律を作り、法律を解釈する。

国家という統治機構は官僚によって成り立っている。その官僚機構を作り上げ、”成熟“した統治機構にしたのは、明治維新だ。明治維新が日本に官僚という「特権階級」を輩出した。

民主主義と民意。民意は、選挙と言う手段で政治家を選べることが出来る。しかし、民意は官僚には及ばない。
官僚をクビにしたり、任免することは出来ない。

官僚に「民意」を反映させる方法は無い。
日本の民主主義とはオカシナものだと思えてくる。

だから官僚は思いのままの国家観をもとに、保身のために、つまり省益、自分の利益、出世。そのためにさまざま細工を企てる。

政治家の顔色を伺いながら、内心は「バカ」にしながら、政治家をうまく利用する。政治家は官僚無くしては何も出来ない。
自民党の中の政務調査会。それは官僚機構を党内に持ち込んだもの。

その中にあっては、民主主義の“基本”である民意は都合よく「もてあそばれる」だけ。

一つの好例が、津波の被害にあった地域への防潮堤問題。それを一例にした、巨大公共工事プロジェクトクトの数々。

防潮堤は住民からの要望だといい、住民は異を唱える。県や町は、そのはざまで戸惑う。
住民合意という“民主主義”はそこには無い。押しつけがまかり通る。

巨大防潮堤工事で、得をするのは誰か。

とにかく「復旧」を錦の御旗にカネがつぎ込まれる。それが本当に必要なことなのかどうかは二の次。

もちろん一口で語りきれることではないが。

かつて堺屋太一が良く言っていたこと。”神話“として。
日米安保があるからアメリカは日本を守ってくれる。
官僚は優秀だから、政治家が総理大臣がどんな能力であろうとも日本は安泰だ。

その“思想”はいまだに日本の大きな「空気」として存在している。

それを民主主義として疑わなかった自由民権運動家たち。その一人、浪江の苅宿仲衛。彼の墓は地震で倒壊し、それは今もそのまま倒れていると聞く。

2014年2月4日火曜日

2014年の雪、そして2011年の雪

からから亭日乗。文豪永井荷風の日記「断腸亭日乗」から“拝借”したものだ。
日乗とは日記のこと。

荷風の日記、断腸亭日乗は、大正から昭和30年代までの、世相とそれに対する批判、批評、論考を綴ったもの。

明治に生まれ、大正、昭和と三代にわたって生き、もちろん“戦争”も体験し、世俗も味わってきた。

墨東奇譚、子供ながらに読みふけっていたっけ。

日記風に書く。

2014年2月4日。暦の上では立春も過ぎたというのに、冬が遅れてやって来た。
今年の冬は寒くはあったが、雪が無かった。いや、豪雪地帯には大量に降ったが、郡山の雪は無きに等しいようなものだった。
朝から雪である。雪が舞っている。このまま降り続けば、夜には積雪になるだろう。

昨日の気温は16度。今日は0度。この気温差を肌で感じ受け入れている。

去年のいつ頃からだろうか。体は変調をきたしている。怠い、無気力、寒冷性蕁麻疹・・・。
勝手に決め込んでいる。気候の変化に体がついていけなくなっているからだと。

病院に行って検査をしても、多少の数値の変動はあっても特に疾病は見つからない。いや、無い。
念のため、きょうはCT検査、その後MRIということになった。

潰瘍痕や梗塞痕は見つかるだろうが、よくある話だし。

降り続く雪を見ていると、その中に身を置くと浮かんでくる光景。

2011年3月11日の雪。あの日、津波に襲われて地域には季節外れの雪が舞っていた。津波と雪の中を、人々は生き延びた。尋常では無い寒さに耐えながら。
翌日もそう。雪の中をヘリコプターが舞い降り、また舞い上がって行く。命がけの日々。

福島では原発の異変。雪の舞う中を、寝間着にガウン姿のような、病院に入っている患者が搬送されていく。搬送を指揮し、手伝うのは普通の格好をした看護師や医師。

あの日以来、雪は風情ではなくなった。
0度の中に何時間も何十時間も身を置くことの辛さ。それに耐えねばならなかった人達。

雪はあの光景を連れてきてくれてしまうのだ。

窓外は真っ白だ。雪は不思議なことに音を消す。東京にも雪は降っているのだろうか。知事選の音はビル街に木霊しているのだろうか。

火山の爆発、噴火。気温の変動。時たまの地震。あきらかに地球規模の異常気象。いや、異常とは人が言っていること、感じていることであって、宇宙からすれば以上でもなんでもないのかも。

あの日の吹雪の光景を見てから、雪のことはあまり書けなくなった。

寒波もやがては去るだろう。四季の国、日本には、やがて春が来る。そう、「3・11」の後はすぐ、桜の便りだった。

春を恨まないとも書き、咲く花に畏敬の念すら覚えたが、あれ以来、春や桜についても書けなくなった。4月、5月。ひたすら大好きだった夜ノ森公園の桜並木の記憶だけ引きずり出していた。

避難所で語りあった夜ノ森の桜のこと。

気温16度の差。一日にしての。自然は気紛れなんではないと思う。気温差だけではない。新型のインフルエンザが大流行し、PM2,5なる微粒子も飛来してくる。

街にはマスク姿が大勢目につくし・・・。

1812年。チャイコフスキーの大序曲「1812年」。ロシアに侵攻したナポレオン軍は大雪で完全に敗退した。ロシア軍の勝利を告げる高らかに打ち鳴らされる鐘の音。
数日後にはロシアのソチで高らかにファンファーレが鳴る。

断腸の念、断腸の思いの数々。多すぎる。

体調の異変で言えば、目が見えにくくなっている。液晶画面からは離脱しないと。腱鞘炎も起きている。箸を持つ手にも痛みが走る。とはいえ、口述筆記は頼めないし。

ため息つきながら、もろもろぼやいている雪の日の午後・・・。

2014年2月3日月曜日

「鎮魂の響き」

先月、郡山のユラックス熱海という施設の大ホールでコンサートがあった。
Soul Japan  鎮魂の響き。和楽の第一人者による演奏会。

企画して実行した人は佐藤三郎さんという。多分75歳。逸話の持ち主だ。
若いころ、友人とアメリカ本土やハワイに行き、そこでたまたま出会ったのが「ウッドストック」。刺激を受けた彼はそれを日本でもやろうと決意した。

どういう経緯や伝手をたどったのかは知らない。昭和が終わる前に、郡山の陸上競技場で「ワン・ステップ・フェスティバル」という野外ロックコンサートを実現させた。名立たるミュージシャンが、それこそ小野ヨーコを筆頭に。

その時、郡山は、音楽で炸裂していたという。

仲間も含め私財をなげうってのイベントだった。

その後、彼は「おにぎりおじさん」に“変身”する。
自作の「おにぎりの歌」、親子の愛情、家族の絆、自然への感謝。ギター片手にどこにでも出掛け、「おにぎりの歌」を歌い続けていた。2,000回の及んだという。

その彼が、またもやってくれた。
去年の3月11日。東京の紀尾井町ホールに超一流の日本音楽の演奏家が集まり、東日本大震災で亡くなられた人の魂を鎮め、慰めるコンサートがあった。それに彼は行っていた。そして、それを郡山で再演したいと思った。そして実行してしまった。

鎮魂の響き 祈りのうた。

人間国宝の尺八奏者から、見たことも無い30弦の琴、琉球筝まで。演奏者は14人。それを企画・構成したのは福島生まれの小島美子さんという日本音楽の学者。

魂なんてものを持ちあわせているつもりはないが、もし、それが、あるとするならば、鷲づかみにされたような演奏であり、歌い続けられていた祈りのうたの詩に打たれたということか。

歌を書いたのは岡野弘彦。折口信夫と親交があり、天皇家の和歌進講役も務める人。一昨年3月11日に発刊された歌集「美しく愛しき日本」にある歌だという。

この詩を、歌詞を、和楽者たちのことを書きたかった。でも、なぜか書けずにいた。重かったからだろうか。

今日は今のところ春を思わせるような気候。思い切って詩の一部を、ひたぶる書き写してみる・・・。

豊穣の海より来たり わが幸のなべてを奪ひ 去りゆきし魔(もの)
わたつみの沖より迫る凶(まが)つ神
雄叫びあげて 陸(くが)を責めくる 子も親もいづくにゆきたる
海原の水逆まきて 家並を呑む 身にせまる津波告ぐる声
乱れざるまま をとめかへらず

山は裂け 海や死にする 人や死にする
死すれこそ 人は祈りて ひたぶるに往く

墳りひたすら耐えてゐる夜半(よは)も 命絶えゆく牛馬の声
亡き人をなげく夜毎に 橋の花香(はなが)くるしく われを責めくる
夕かげに ほのかに笑みて去りゆけり この世にあらぬ妻のたましひ


この演奏会は録音、録画禁止。CDももちろん売られて無かった。
あの音色は、歌声は、記憶の中にしかない。

記録として残されていない一つのコンサートのこと。


2014年2月2日日曜日

「個人的見解」で納得することの愚

またも出ましたよ。この曖昧で意味の無い言葉。「個人的見解」「個人の意見」。
NHK会長の発言問題。

個人的見解、個人的意見だ。そう言い訳すれば済まされるということ。

およそ、記者会見など“公式”な場で、その取材対象となる人は、その職にあるから見解を求められるのであって、そこに「個人的」という曖昧な、意味の無い言い訳が存在出来る余地は無い。

いや、もっと敷衍すれば、個人というその人自身の「本音」ということのはず。
職責があって、建前上の事を言っているのは本音ではなく、「借り物の言葉」だということ。

かつて流行った靖国参拝での「私人としての参拝」「公人としての参拝」なるものもそう。それを質問するのが仕事だと思っているなんてバカにも程があるってもんじゃないの。

「個人的見解」なるものがまかり通る社会っておかしいぜ。それが許されるから、この社会はますます“無責任”な社会になってくる。なって行く。

会社の会議で、社長が「個人的には」って前振りして、経営に関して何かを言ったら社員はどう受け止めるのかな。
会社の方針というから納得するんじゃないかな。


日本人は、「言葉」に対して、寛容だ。

言葉に言い訳を付けることが許される。「あの~、よくわからないんですが・・・」なんて話す前に自己弁護、擁護しながら、滔々と語る人もよく見かける。

わからないことの質問では無く、言質を取られ、責められたくないという防御。

それは原発問題にかかわる、公的な立場にいる人の発言にもよくあること。
「個人的見解とことわった上でこう述べた」なんて記事にも良く出会う。

それを聞かされて、読まされた人はどう受けとめればいいのか。

日本語文化の中にある「言葉の曖昧さ」「曖昧な言語」。それが日本人の良き精神性とされてきた。たしかに和歌の世界などの古典には、それがある。
遠回しに意志を伝えることを奥ゆかしさとみるとするような。

個人的見解でも、個人的意見でも、その人の口から出た言葉は、その人自身の考えなのだ。

使い分けを許してはいけないのだ。

そして、片や、「イエス、ノーをはっきりさせろ」なんて迫ることもある。

その職にあって、その立場にあって「個人的」という言い訳は許されない。

NHK会長の発言は波紋を広げている。NHKの報道姿勢を危惧する見方が多い。

それは何も今に始まったことではない。NHKのニュースとは、昔から「政府応報」だった。

一方、NHKの番組には優れたものもある。「3・11」後、NHKで大震災、原発事故を取りあげた番組は評価に値するものがある。

それらに会長の意向が反映されるかどうか。
自主規制が働くかどうか。

口にタコが出来るくらい言っているが、NHK仙台の「被災者の声」、津田アナウンサーが一斉の“干渉”を排除して、(僕にはそう見える)伝える限りはボクはNHKのその番組だけは見る。

かって東京の渋谷にはこんな光景が垣間見えた。放送センターから出て来たNHKの職員が、帰りに一杯の場に行く時、バッジを外して入るという光景。

会長の意向を忖度して番組作りに励んでも、渋谷の道で、NHKのバッジを付けた職員に誰も殴りかかりはしないよ。だけど外す職員がいたら、それは自分に恥じていることなんだろうって思うだけ。

とにかく、その職にある以上、それが何であれ、個人的見解、個人としての意見なんていう言い訳は通用しない、あってはならないということだけ。それを許してはいけないということだけ。

2014年2月1日土曜日

除染説明会に行ってきた

我が家の地区、市役所の区分によれば「6-1工区」と呼ぶらしい。

3月から9月にかけて宅地、一般住宅の除染が始まることになった。
昨夜はその説明会。会場はあのビッグパレット。

巨大な建物が夜陰の中にある。その一室に灯り。そこが会場。およそ200人はいただろうか。

市の対策室長の手順説明。約1時間。そのあと質疑。除染業者やモニタリング会社の人も顔をそろえて。

玄関先のコンクリートは高圧除染。“汚染水”は回収。庭木の常緑樹は剪定。庭は表土を3センチから5センチ剥いで、フレコンバッグに入れて地中に。地中が嫌なら保管物に入れて野積み。

剥がした表土の後は芝生なら高麗芝で埋め戻し。それでなければ山砂。

あちこちの様子は見てきているので「どうぞ」って感じなんだけど。

質疑に移るとこれは大変。フレコンの寿命はいつまで持つのか。俺は知っている。そんなに長くはもたないはず。

屋根は洗浄しないというが、我が家は屋根に苔が生えている。それはどうする。

そんなこんなのやり取りの中で怒声が湧き、市民目線がどうだこうだと。

なるべく丁寧に説明し、答えているはずの職員。たしかに、曖昧さはあるものの、“標的”のようにやられているのを見ていると、なんだか気の毒にも。

いきなり飛び込んだ、というか、そんな日常が無かったせいか、その会場の雰囲気は、異次元にも思え。

芝桜はどうなる、植木はどうなる・・・。

「0、 23μシーベルトを目指して」と役所は言う。それ以上のとことはそんなに無い筈なのに・・・。

地中に埋めた“汚染土壌”、双葉郡に建設予定に中間貯蔵施設が出来るまで、見通してしては5年。それぞれの家で保管。仮置き場が無いから・・・。役所の説明。

そうだよな。郡山で出た“汚染ゴミ”も双葉郡に持っていかれるのかい。
なんかおかしいような。

複雑な思い・・・。

1時間半余り。すっかり気分は滅入ってしまい・・・。どうも「人混み」の中にいたせいか。
風邪気味。まさかインフルエンザではあるまいか・・。

除染よりもまずは“除菌”かも。

しかし、あらためて思う。「住民説明会」なるものの難しさを。

どこでもあるのだろう。こんな光景。