2014年3月12日水曜日

「塩むすび」の記

昨日の夜、「おむすび」を食べた。「おにぎり」を食べた。塩むすび。ラップにまかれたおむすび。具は梅干しがちょっとだけ。
美味しかった。本当においしかった。

昨日は塾の日だった。20人弱の塾生、若者たちと語りあった。
「3・11」から学んだこと。というテーマで。

有意義な集まりだった。途中からは酒も交えて3時間半。
「僕は東京にあこがれ続けていました。東京の大学を出て、一流といわれる企業に入り、東京で暮らす積りでした。生まれ故郷の郡山に帰ってくることになり、そこで3・11を体験しました。3年間、いろいろ考えました。今、持っている結論の一つは“東北は搾取されてきた”ということです。東京への憧れは全く消えました」。
たしか、彼は、子供さんを奥さんの実家である山形に避難させているはず。

震災直後、開成山野球場が避難所になっていると聞き、そこに単身向かった奴もいる。何が何だかわからない中、ボランティア登録をして荷物運びをやった。一緒にやっていたのが市内の高校生グループ。その高校生たちに刺激をもらった、そして今も彼らと交流をしている。子供たちの役に立つことをしようと。

「言葉の力に支えられました。天皇皇后両陛下の言葉に、日本人のこころを感じました。死者のことを考えてきました、今も向き合っています」。

3・11当時、市の保健所が職場だった子もいる。原発事故から避難してきた人達の対応がその子の仕事になった。放射能被ばく。なんとなく“恐怖感”がよぎった。でも、それが公務員としての仕事なのだ。そう覚悟を決めた時、恐怖心は全くなくなっていた。“覚悟”ということを知った。

そんな意見が次々出され、やがてそれは対話に発展していった。熱い会話が交わされていた。

「食事です」。そう言われて出されたのは「塩むすび」だった。

これには伏線がある。
先月の大雪。福島の松川というところに仮設住宅がある。飯舘村の人が暮らしている。雪掻きに励んだ。4時間。ほとんどが老人。ふと見た側の4号国道のバイパス。車が全く動いていない。急きょ、炊き出しに。富山の人から送られた一斗の米を一升炊きの釜で炊き、味噌と海苔を持ち寄って大量のおにぎりを作り、やっとの思いで車のところに行き、配って歩いた。
飯舘の人は、放射能が降ってきているのも知らず、相馬方面から避難してきた人達に炊きだしのおにぎりを作っていた時もある。

そんな話をこのブログに書いた。それを読んでいた塾生の一人が提案してきた。
「今度の塾の日はおにぎりにしましょう」と。

塾の会場は駅前の料理屋。そこの御主人はいわば被災者。原町の人。原ノ町駅前で料理店を営んでいた。震災、原発で営業が出来なくなり、郡山で再出発を図っている人。

「おにぎりを作ってくれるかい」と頼んだ。怪訝そうな声が電話口の向こうにあった。「あのさ、今度は3・11なんだよ。あの日・・・・」。皆までいう必要は無かった。「わかりました。こころを込めて結ばさせてもらいます」。

食事のいきさつを提案者の子が話した。塾生は全員、「おいしい」を連発し、一粒残らず食べた。食べながら、4年前の今夜、何を食べていたのかという記憶の紐を手繰るように、また語り合っていた。

だから、なんだ。ということでも無い。そんな3年経った日の夜の話。

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