2014年3月20日木曜日

もう一つの「棄民」

あえて過激に書く。福島について。

13万人の避難者。仮設で暮らす人たち。3年経って露骨さが見えてきたのが「棄民思想」であり「棄民政策」だ。

それは政権と言うよりも、国家によると言ったほうが正しい。

避難区域の解除、帰還促進。帰還に応じるか応じないか。二者択一の選択。
帰還すれば賠償金打ち切り。あとは自分たちで考えろということか。

明日が見えないまま、仮設で暮らす人たち。帰還の前提として“刷り込まれた”除染。出来もしない除染をちらつかせて、なお「帰りたい」という人たちを惑わすやりかた。

雨漏りもし始めた。仮設から抜け出す方途は・・・。

その人達と真摯に向き合う姿勢はどこにも無い。まるで自分たちでどうにかしろと言わんばかりの。事実上の「棄民」でしょ。その人達に向けた言葉としては残酷だと思うけど。

事実、彼らは気付き、言い始めた。「俺たちは棄民なんだよな」と。
国家権力に無意識にある空気。「それは、もはや、どうしようもない、どうでもいいこと」。

満蒙開拓団、いや夢あふれる満州。敗戦と同時に、多くの日本人は、その地にいた人達は、国家から見捨てられた。敗戦から国家を立ち直らせるためには、かまっていられなかったのだ。そこに手を差し伸べることも思い及ばなかった。

「棄民国家」なのだと思う。棄民を作る以外に国家は成り立たない。

ALPSは停止している。高濃度の汚染水は行き場を失っているかの如く。現場はお手上げだ。
それでもコントロールという言葉は生きている。永田町の議論の中で、それが俎上にのぼっているのか。関心の対象では無くなっているのかもしれない。

東京オリンピックと「フクシマ」と。オリンピックを招致したいがゆえに、「フクシマ」については嘘を言った。

東京にはホームレスと呼ばれる人たちがいる。2千人は越えている。全国では1万5千人を越える。それでも少なくなったほうだと国は言う。自立支援法が役立っていると胸を張る。

東京では、ホームレスを根絶やしにする施策が、半ば“暴力的”にさえ行われている。

東京で、なんとなく顔見知りになったホームレスがいた。犬が縁で。彼の話だ。ある日、野良犬が迷い込んできた。ブルーシートの中に入れた。犬は居つくようになった。ネコが登場した。ネコも仲間入りした。
動物のエサを獲るためにホームレスは空き缶集めにあるく。そこで得たなにがしかの金。それで動物のエサを買ってきて与える。

行政の人が来る。執拗に立ち退きを迫る。押し問答。「こんな生活していて意味があるのか。死ね」という罵声を浴びせられる。「なりたくてなったわけではない」と答える・・・。

顔見知りになったホームレスは、どこから拾ってきたのか。いつも本を読んでいた・・・。前職は聞かない、彼の人生行路は知らない。

ホームレスに立ち退きを迫る。その根底にあるのは「排除の論理」だ。汚いものは無くす。綺麗な東京を見せる。そこにも東京オリンピックの“翳”を見る。

ホームレス。都会の中の「棄民」だ。汚いものは身近から排除する。「都民」の“悪意無き意思”が働いている。

政治家菅直人は“戦友”だった男が、選挙で借金を負い、ホームレスになったのを知らんふりした。

「知らんふり」をしないと権力の頂点にはたどり着けないのかもしれない。

「フクシマ」を知らんふりしないと、国家は成り立っていかないのかもしれない。

春の雨は、時には意地悪な、嫌味なことをも書かせる。

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