2014年5月31日土曜日

「原子力規制委員会」ってものの存在

「吉田調書」という文書が存在する。原発事故後、政府の事故調査委員会が、長時間にわたって、当時の1Fの所長、吉田昌郎氏から聞き取った、彼が把握している「事実」である。聞き取りをしたのは事故調に出向いていた検事。
事故調の畑村委員長をして「貴重な歴史的資料」と呼ばさしめたものだ。

調書の存在を否定するものはいない。しかし、政府は「公開」にためらっている。それを抜いた朝日新聞の記事はまだ完結していない。
紙面やデジタルで掲載したあと、一冊の本にまとめ、「歴史的資料」として後世に残すべきであり、誰しもが手軽に読めるものにする“使命”だってあるはずだ。

原発の再稼働を許可するかどうか、それは原子力規制員会の判断にゆだねられている。とされる。
その委員会の田中委員長は、「吉田調書」を見ていないという。いや、読む気もなさそうな気配だ。実際はいち早く読んでいると思うが。読んでいないと言わざるを得ない事情があるのだろう。

再稼働を認定するかどうか。それは地震学者も含めた、各層の専門家の判断にゆだねられている。
科学者の判断は、おおむね、知識と経験、机上の研究によって成り立っている。

吉田調書があぶりだしているのは、過去の知見や経験、なによりも「人の動き、判断」。それがいかに「あてにならないか」を白日のもとにさらしたともいえる。

再稼働の判断材料として、たとえば「避難計画」の問題にしても、多くの示唆に富んだものなのだ。

なぜそれを“無視”するのだろう。

規制委員会は、文字通り「規制」にかかわるところだ。3・11前の安全員会にとってかわって出来た組織のはず。それは安全員会と同じように単なる隠れ蓑なのか。

あげく、委員を交代させる。それは官邸の意向によるものだ。委員会の中の“異論”を排除しようとするものだ。

田中俊一委員長は福島県の出身者だ。小中高と福島県内の学校に通い、東北大に進んだ人だ。
1Fの事故。それは彼にとって決して「他人事」ではないはずだが・・・。

3・11の前、彼は裏磐梯にある諸橋近代美術館を訪れている。そこにあったダリの絵に感銘を受けたとどこかに書いていた。
そのダリの絵。「ビキニと三つのスフィンクス」という「核」をテーマにした作品。アインシュタインの「脳」も描かれている。

田中委員長はその絵を見て「文明のあり方について考えるところ大であった」というようなことも書いている。ダリは明らかに、原爆、水爆、原子力というものに対して、人間の非力さと恐ろしさ、その警鐘を発しているはずなのだが。

田中委員長の「脳」の中に刻まれていたはずのダリはどこへ行ったんだろう。
なんで、委員の交代を黙って受け入れるのだろう。

原子力規制員会と吉田調書の間には、「原発」というものに対しての埋め難い溝がある。
吉田調書は現場の生の声だ。再稼働論議の中で、もっとも生かされるべきは「生の声」だと思うのだが。

この構図自体が「スフィンクスの謎」のような気さえしてくる・・・。

2014年5月30日金曜日

「拉致」と「福島」

北朝鮮による拉致被害者、いや、それのみならず、戦後北朝鮮に残された日本人、特定失踪者の調査を包括的、全面的に実施することが合意された。

突然公表されてこのニュース。昨夜は多くの日本人がさまざまな思いでこのニュースに接しただろう。

僕もブルーリボンを持っている。最初は安全ピンでとめるまさに「リボン」。やがてバッジが出来た。襟に刺す。それを新潟の被害者団体の関係事務所に買いに行った。それを着用していた。

民主党政権になった。3・11があった。多分、菅もそうだったかどうか。少なくとも野田はいつもブルーリボンバッジを付けていた。

「飾りじゃないのよバッジは」。そんな事をここで書いた覚えがある。

とにかく拉致被害者救出に向けて動きが出た。それだけは事実だ。

再スタートであり、解決したわけではない。

なぜ、安部政権下で動き始めたのか。安部だから北朝鮮は動いたのだ。

かなりの“伏線”があったのだろう。集団的自衛権をめぐる騒ぎにも北は関与してこなかった。北の韓国に対する挑発行為にも安部政権は“控え目”な反応だった。
最初はアメリカに向けて打ち上げられたミサイルの迎撃が集団的自衛権の“論点”だった。昨今は韓国からの“救出”が論点にされた。


安部は「情」の政治家だと思う。「情」、情緒、感情、人情、情念・・・。一番訴えやすいこと。それを自衛権の話にまで事例として持ち込んでくる。

安部を“攻略”するには「情」を絡めるのが得策だ。そう北が判断したのだろう。そして、安部は拉致問題に一番精通した政治家ではあるし。

ほんと再調査をしてもらいたい。いた、あの国のことだ。すでにして、「全容」は把握しているはず。誰が何処にいるか、生きているか死んでいるか。国としてやった犯罪行為。知らないわけがない。

再調査開始と制裁解除。そのタイミング。人の命を手玉にとっての経済“援助”獲得。

解除のタイミング。難しい判断だろう。解除した後、「全員死亡」とでも調査結果として言われたらどうするのか。そんな偽計だってやりかねない。

はたして、あの、全く実態のわからない、ブッシュをして言わしめた「ならず者国家」をどこまで信用できるのかだ。
しかし、端緒をつかめれば、それで行かないわけにはいかない。

安部の「判断力」に期待するほかない。これとても「綱渡り“外交”」といえるのだから。

制裁解除。北がもっとも欲しがっていたこと。
こんな話を聞いたことがある。福島の事でだ。

「避難してきている人たちは、することが無いから、賠償金でパチンコばかりやっている。そのパチンコ屋は北朝鮮資本、在日朝鮮人がやっている。儲かるのは北ばかりだ」。

送金手段が無かった。制裁解除の中身によっては送金が可能になる。送金のノルマはかなり厳しい。そう北出身のパチンコ屋経営者から聞いたことがある。

今度の合意。キーワードは「人道的見地」だ。

人道的見地、人道主義から見て、今の福島はどう見えるのか。拉致被害者救出は大きな政治課題だった。福島の再生なくして日本の再生無し。選挙の時、そう「情」に訴えた人がいた。

拉致被害者の人達、望郷の念はいかばかりかと思う。近いが見ることが出来ない母国、故郷。なんとか生きていて戻ってきてほしいと思う。そのための僕のブルーリボン。

近くて見える故郷。でも帰れない故郷。それとても政治の力に頼る以外に無い。

海の向こうからの望郷。目と鼻の先にある望郷。引き裂かれて故郷。それはいずれも自分の意志ではない。どっかの「強制」によるものだ。

どこかで僕の中の「情」が重なり合う。

2014年5月29日木曜日

日本人よどこへ行く~2020年の日本~

2020年、今から6年後。この国はどんな姿になっているのだろうか。

原発は数機が再稼働している。電力不足なんてことは言の葉にも上らなくなった。
エネルギーはふんだんに日常生活の中にいきわたっているだろう。


事故があった福島原発。廃炉に向けての作業が、地味な作業が続けられている。
作業員不足が懸念されているが、「誰かがどうにかするさ」って風潮が支配している。

中間貯蔵施設が出来上がり、異様な光景を見せている。

汚染水問題は時々取沙汰される。もうそのことに皆慣れっこになっている。そういうもんだと。

「原発観光地化」、ダークツーリズムが具体化し、多少の“恐怖”を感じながらも、興味本位の人が双葉郡にやってくる。
そこは観光地として整備される。

住むところを失った難民の群れは、各地に散った。仮設住宅はなくなり、そのあった場所には痕跡すら残らない。

子どもたちの健康の問題も、たまにしか話題にならない。そう、子どもたちは皆大きくなって行くのだから。

日本人は「忘れやすい」国民性がある。風化をさせてはならないとするいくばくかの人たちは、そのために人生を賭けている。

三陸の海岸はコンクリートで囲まれ、海の見えない海の町が出来上がっている。

安部政権は長期政権として存在している。その長きことが“偉業”としてもてはやされている。

何回か選挙があった。1強多弱体制は変わっていない。

集団的安全保障体制が出来上がり、世界のどこかに日本の自衛隊が行っている。
戦火の中に置かれている。
与党と言う名の中で、最後の砦とされていた公明党も、もはや「平和の党」ではなくなった。その存在意義さえ薄れた。選挙のたびに自民党の補完勢力となっている。

多くの国民は、東京オリンピックに狂喜乱舞している。テレビも新聞も、連日のオリンピック。

戦争を知る世代は急激に減った。「戦後からの脱却」は果たされた。自民党の議員も顔ぶれがかなり変わった。
保守本流はいなくなった。健全野党なんてものも無くなった。新保守主義が台頭している。自民党の歴史を語れる人もいなくなった。

少子高齢化社会だけは言われ続ける。しかし、その現状を打破できる人たちは統治機構の中にはいない。

「大過無く勤め上げる」。そんな風潮だけは続いている。

人口は、就労人口は明らかに減少の兆しを見せ始めている。目端の効く経営者は海外にそれを求める。企業の海外進出が加速している。国内経済は衰退し、貿易収支で、どうにか国が保たれている。

国債と言う名の国の借金は増え続けている。納税人口は減っていく一方だし。

穏やかな五月の風の中での白昼夢ですよ。この話は。

今もそうだが、誰も、十年先を見越した問題をあまり考えない。目先の、明日のことしか考えない。思わない。

そして文化の主流は「アイドル」が占めていく・・・。

6年後、自身がどうなっているか。さっぱりわからない。考えておかねばならないことは多々あるのに。

だめだ、また白昼夢の世界に入り込んでしまいそうだ。なぜ、夢ってこうも悲観的なことばかりなんだろう・・・。

2014年5月28日水曜日

日本人よどこへ行く~“差別”ということ~

「差別」。おそらく人類にとって永遠に解決できない問題なのかもしれない。

「3・11」後。折に触れて差別の事を書いてきた。福島と水俣。福島と広島。福島と沖縄・・・。

日本人の中に根強くあった「差別意識」なるものが、原発事故によってあらためて露呈されたということ。

「被ばく」という得体の知れないものに対しての、恐怖心からなのか。いや、それだけではない。長い歴史的な民族意識の中にあった差別意識。

そう、東北を中央が蝦夷、熊襲の国と呼んだあの時代からも。
そして明治政府になってからも「言語」をめぐる差別・・・。蔑視・・・。

ネットを含めたメディアからの仄聞によるものではない。3・11後、「福島ナンバー」の車に乗っているということだけで、入館を断られた塾生。それは同じ福島県の会津坂下での出来事だった。
東京の表参道で、わざわざ車を割り込ませ、罵倒された子連れの主婦。よく知っている人。

2011年、何度か東京に講演に呼ばれた。受け狙いと、反応を見るためにわざと冒頭で言った。「放射能を運んできました」と。
笑い飛ばす人もいた。複雑な反応を示す人もいた。その反応を確かめながら、風評含め、放射線被害に苦悩する福島県の人たちの話をした。

あの年の今頃か。全村避難で飼っていた牛を手放す酪農家の姿。嫌がる牛をトラックに乗せ別れを告げる姿。
処分される牛は、それがわかっている、だからその時には涙を流すと、食肉業者の人から聞いた。

母方の実家は兵庫県だ。食肉や皮製品を扱う人達は、今でいう被差別部落の出身だとよく聞かされていた。同和という言葉に変えられたが、昔は「よつ」と呼ばれていた。
なぜ被差別部落が生まれたのか。出自がそんなに大事なのか。被差別部落への「差別」、それは、今、よく言われる「ヘイトスピーチ」なるものへとつながってきているような気がする。

人は毎日、動物や魚や農作物や。命としてあったものを食べて生きている。かつて生きていた、命があったもの以外に食べ物は無い。

グルメ番組が盛んだ。「これにこれを加えてこうやっていただきます」。そんな言葉づかいにみんな慣れている。いただきます。それは命に対する感謝の言葉のはずだ。あなたの命をいただきます。それで我々は生きているのですという感謝。

「食事の前にはいただきます」と言いなさい。「手を合わせなさい」。食べ物を粗末にしてはいけません。そう言われてきた。日本人が長年にわたって持ってきたはずの“自然”“動物”“魚”・・・それらに対する感謝の言い伝え。
だから「戴きます」という字になってくるのだ。
でも、食品はスーパーの陳列棚に初めっから並べられているものと思っている人もいるはず。

消費者は、その食品が生まれる過程での「屠殺」という現実を忘れている。その作業にあたる人たちのことも念頭に無い。米作りの苦労も、今の人たちは知らない。その屠殺という仕事にあたる人たちが差別の対象をされてきた。

原発の構図が、これに重なるのだ。

原発や基地の問題にどこか似ている気がする。原発が生み出した電気や、沖縄の”犠牲“によってなりたっているかりそめの平和。その恩恵に預かりながら、その現場の人たちの苦しみや悲しみに思いを馳せることは無いという社会構造。
見るべきものを見ないようにして、ただひたすら、自分たちの安穏な生活、美味しい食卓を何も考えずに享受している人達。そして、放射能だけを云々する人達。

「原発」を知っていて電気を使っているのか。「食べ物」を作り出している人たちの、時には“苦悩”さえ伴った作業を知って日々の胃の腑を満たしているのか。

知ると知らないということには決定的な「違い」があると。

こんな話は、もう3年も前に塾生には話をした。覚醒して欲しかったから。

こんなことを今更ながらに書いている。再稼働が、また別の地域で、あらたな差別を生むこと必定なのだから。

一番問題なのは「差別」している人が「差別している」ということに気づいていないということ。
2011年ではない。2014年なのだけども・・・。

「命をもらっている」「誰かの犠牲でこの国は成り立っている」。だれか子供たちに、そんな事を教えてはくれぬか・・・。

2014年5月27日火曜日

日本人よどこへ行く~さまざまな自由~

「海を見る自由」という言葉について以前、書いたかもしれない。重複承知であらためて書く。

その言葉は2011年3月15日。東日本大震災の影響で卒業式を取りやめた埼玉県にある立教新座高校の校長が卒業生に託したメッセージだ。

数行抜粋する

//大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。
現実を直視する自由だと言い換えてもいい//

大学に行き学ぶ。その学ぶということの意味を問いかけたメッセージだ。

そのメッセージの最後には聖書の言葉が書き添えられている。

「真理はあなたたちを自由にする」ヨハネによる福音書8:32と。

この「真理はあなたを自由にする」。これは、国会図書館に掲げてある言葉だ。学問の追及によって真理を知り、それによって私たちが自由にされるという願いを込められていると聞く。もちろん聖書の“真意”とはいささか違ってはいるが。

塾で「民主主義とは何か」ということを話し合った。「自由」という“キーワード”が何人かから出された。
そして一人が聞いた。「自由の反対ってなんでしょうか」と。即座に答えられなかった・・・。

日本国憲法第21条。「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と明記されている。

この自由とは次項に“検閲”という文字がある通り、国に、国家に、権力者に、為政者に対して、批判的言論を唱えても、その自由は保障されているという“狭義”に捉えたい。


何でも言っていい、書いていい、それも自由だということではないと思う。
少なくとも、憲法が保障している基本的人権、生存権を阻害することを許すものではないと思う。

しかし、これをもって、一部の日本人は「言論の自由」を声高に言い、それを権利だと主張する。いわば、皮肉まじりに言えば「表現の自由」の国民的解釈変更とでも言っておこうか。
何を言っても自由だ、書くのも言うのも自由だと言い募る。

なぜこんなことを書くのか。あれから3年以上が経っても、「福島」に対するデマ・嘘・虚偽の風評が後を絶たない。

「福島には人は住めない」「福島の食べ物は食べられない」。この種の言辞。

それをばらまいているのが学者であり、識者という人達。その「肩書」に惑わされ、信じ込み、そう信じ込み、言い募る人達。

まさしく「福島県人」に対する基本的人権の侵害であり、生存権の否定であり、民主主義の理念に背く行為であるのに。

自由のはき違い。

民主主義を言う人が、民主主義の理念を否定している。その矛盾に気づいていない。

海を見る自由。立ち止まって考える自由。国会図書館にある真理と言う言葉。

この「自由」。学生だけのものにするにはもったいない。日本人が考えるべきだと。福島県人も含めて。

福島県産のコメや野菜、農作物。どこよりも「安全」だ。厳格な検査を経て出荷されているのだから。

検査、検査と言っていた人。そんな人に限って検査結果は信じられないともいう。ND,不検出ではだめなんだそうな。まったくのゼロベクレルでないと。

ばかばかしさと通り越している。全くのゼロベクレルの食品なんて世界中どこを探してもないのだから。

蛇足。横綱白鳳に福島県産のコメが優勝の副賞として贈られた。それを「ニュース」であるかの如く地元紙が書く。そんなに話題になることなのか。

福島県産のコメを贈る。そんなに「特別なこと」なのだろうか。

「自由の反対はなんですか」と聞いた塾生にはこう答えようと思っている。
「社会」と「空気」だと。たぶん、その子はまた悩む。悩んだ結果、考える人に成長していくはず。



2014年5月26日月曜日

日本人よどこへ行く~袋小路~

これは日本だけのことではない。世界というか地球規模で、さまざまなことが「袋小路」に入り、出口が見つけられなくなっている。解決の手段を誰も持たないという状況なのではないかと。

ウクライナ、タイ、シリア、もはや当事者たちは解決の道筋を描けないのでは。
南スーダン、まさに地獄の様相だとも。飢えて病んで死んでいく子供たちを救う手立ては、根本的手立ては無い。

「個」の世界で、自分の周りを日常を見るか、「全体」の視点で見るか。


例えば核の廃棄物。もう人類は「お手上げ状態」になっているはず。それがわかっていながらも原発は動き、廃棄物が多量に出ている。

日本にだって再処理を依頼した外国から、最後の廃棄物は戻されてくる。

今の、当面のエネルギーを確保し、経済成長を確保したとしても、遠くない将来、核に廃棄物でにっちもさっちもいかなくなる。

だから六ヶ所村再処理工場っていう話になるのか。再処理が出来たとして、核燃料サイクルが出来たとしたも、そこには「核のゴミ」は“永久保存”されることになる。それの“健全性”を神頼みで信じる以外に道は無く・・・。

「3・11」。福島の原発事故。それが再認識させてくれた「廃棄物」の問題だけど。

宮城県の三つの町が「指定廃棄物」の仮置き場を拒否している。それは宮城県内で出たもの。福島から風が運んだ結果であろうが。
「厄介なものは身近に置きたくない」。それを簡単に地域エゴイズムと言ってしまうのにはいささかためらいもある。

2011年の今頃だったろうか。郡山市の薫小学校の線量が高かった。校庭の表土を剥ぎ、それを市内のゴミ焼却場で処分しようとした。
焼却場付近の“住民”が持ち込み反対を言った。結果、剥がれた表土は校庭の脇に「保管」された。ブルーシートで覆われたままで。
「子どもを殺す気か」。運動家が写真を撮ってネットに上げた。
同じ市民であっても、汚いものはいらないってことの実際にあった一例。

中間貯蔵施設が出来ないと、県内にある仮置き場の「汚染物質」はそのままだ。
あちこちに置かれた黒いフレコンバッグの光景。

大熊、双葉に中間貯蔵施設は出来上がるだろう。今、住民説明会が行われている最中だ。

30年間。国は最終処分場を県外にと“約束”している。そんな場所が県外の、この日本列島の中にあるのか。それこそ国有地に無人島でもあれば別だが。

中間貯蔵、すなわち最終処分場。それがわかっているから地元の反対が絶えない。県内の他地域では、そのことを責める。
出口が見えないんだよ。このままいけば袋小路なのだ。

仮置き場でもさまざま軋轢があった。すすんで土地を提供した人もいた。稀有な人だ。多くは反対だと言っていた。

誰しも、身近に汚いものは置きたくない。そうするためには“綺麗ごと”をいうしかない。

グリーン・パラドックスという言葉があるそうだ。
ある国は原発を無くそうとして自然エネルギー、再生可能エネルギーに舵を切った。電気代は高くなった。その国の企業、工場は、とてもじゃないがその電気代では生産の採算がとれない。隣に工場を移転する。電気代が安いから。原発で電気を作っているから。原発は増設される。

そこからは多量の核のゴミが出される。核のゴミは、自国で処理するのが国際的な取り決めだ。自国では処理できない。保管できない。国際的な処分場計画というのが持ち上がる。

厳重に密閉して海底に埋めるという話も出てくる。海はどうなるのか・・・。だれもわからない。

「人類の英知が、それを解決してくれるのを期待する以外にない」と科学者とて言う。

核は原発は、行先は袋小路。出口の見えない袋小路。

袋小路からどうやって抜け出るか。来た道を引き返す以外にないはず。

再稼働騒ぎに揺れているこの国。「ゴミ」を処理できない近未来のことはあまり論じられない。まだ、迷い道の途上にあるということなのだろうか。

そして透けて見える人間の「エゴイズム」。

2014年5月25日日曜日

日本人よどこへ行く~滑稽な国~

言動がおどけていて、おもしろくおかしいこと。またばかばかしくておかしいと。滑稽という字を岩波国語辞典でひくとこう書かれている。

なぜか多くの人が「思考停止」に陥ったままのような気がする。

民主主義国家にいながら、民主主義を否定するかのような政治の中の動き。民主主義の諸制度を“強要”されながら、その制度すらも機能していないような。


国民主権であるはずなのに、首相にだけ主権が存在しているような。
立憲主義が基本であるはずなのに、解釈でどうにでもしようと図っていること。

平和主義をうたっているのに戦争が出来るような国にしようとしか見えないことども。

さすがに国土の一部が放射能に汚染されたからだろうか。「美しい国」というフレーズは聞かれなくなったが、国家百年の大計よりも個人の観念が優先されているような。

怒りよりも“滑稽”にすら見えてくる。

憲法9条にノーベル平和賞を。そんな運動を東京のはずれに住む一主婦が思い立った。輪が広がり、ノーベル委員会が受け付けた。
国会議員の60人がそれの賛同したとか。

滑稽だ。そんなこと立法府の一員である国会議員が思いつくべきことでしょ。

くだらない漫画に触発されてか。福島には人が住めない。住んではいけない。学者さんが人道主義者のようにまたぞろ言い始めた。強制避難、強制移住させろとも。
「強制」なんて、そんな強権的な国家主義みたいなことを学者さんが、それも政権を支持していない人たちがいい始める。

どこへ行けばいいのだ。それは国が決めることと平然といい放つ。常識で考えようよ。100万人以上の人たちが、福島県民がこぞって移住できるようなところが存在するのか。土地、住宅、就労、学校・・・。非現実的なことを学者とか識者という人が“正義”を旗印に言い放つ。

滑稽なんだよ。“汚染”された地域で、どう生きるかの手立てを考えることが一番大事な事のはずなのに。

マグニチュード8クラスの地震が30年以内に確立70%であると予測が出されている。
誰しも、残り30%の側に身を置いている。30%の側に自分たちはいると信じている。いや、30%の安心感によりかかる。30%であることを祈る。30年というタイムリミットを勘定の中に入れる・・・。30年先は考えない。

静岡県の浜岡原発が事故を起こせば96万人の避難が必要になるといわれている。言われているだけ。避難計画なんて存在しない。机上にはあったとしても実情とは乖離している。はなはだしく。

無理なんだよ。96万人が、それも原発事故災害は台風災害とは違う。何十年も戻れないのだ。そんな避難地域がどこにあるのだ。無い。
計画が有りや無しやが再稼働容認の条件だという。実行不可能の紙に書いただけのようなものが条件だなんて、「フクシマ」の何を学んだというのだ。

その再稼働を事実上決める規制委員会の田中委員長は「吉田調書」なるものは知らない、読んだこともないという。科学的知見に基づいて判断するという。
科学的知見が、いかに役立たないか。吉田調書で明らかだ。助けもこないことも事実として証明されている。
国会議員もその調書を読んでいないという。

あまりにも滑稽過ぎないかい。

天皇家の憲法観をまったく意にも介さず“改憲”をよしとする人たちっていったいどこの国の人だと言いたくなる。許された範囲の中で「平和憲法」を守るといわれている陛下の意向は無視でいいのか。
A級戦犯にされた東条英機だって、昭和天皇の「戦争回避」の意向を、御製に託して述べられた意向を涙して聞いて、それに動こうとした。時すでに遅しだったが。思考停止だった戦意横溢の国情には勝てなかった。

なんだか滑稽なのだ。

滑稽という言葉から「道化」という言葉を連想する。道化師、ピエロ。
ピエロは顔で笑わせ心で泣いている。
なぜか、この国に住む人たちは“道化”に操られ、知らず知らずのうちに「道化師」を演じさせられているような気もしてくる。

まさしく、ぼく自身がそうであるとも自認しているように。

きょはちょっと過激だったかな。

2014年5月24日土曜日

日本人よどこへ行く~村の再生~

ぐうたらになったこの身をなんとかすべく、好天もあり犬と散歩に出かけた。ほんと久しぶりだ。

よく行っていた公園。その一つは芝の無い、土だけの公園になっていた。目の前は小学校。川岸を歩いて次の公園に。この時点で脚力限界。気遣ってか、犬の方が歩速を緩めてくれる。その公園にはそれでも草が生えており、新たな遊具もあり、子どもたちが嬉々としてブランコ、滑り台を飽きもせずに繰り返し。木陰のベンチ。緑の自然・・・。

ベンチに座って長時間(笑)の休憩。帰途、大きな寺の境内が除染作業中。10人以上はいたかな、作業員の人たち。静謐であるべきだった寺の境内に機械音が・・・。

体力、はなはだしく劣化を実感した次第。

原稿書きなど必要に迫られてのパソコン作業はあるものの、やはり「離れ」ないといけないのかも。完全に足がなまっている。

朝日新聞に連載されている「プロメテウスの罠」。共感できる時もあり、おかしな時もあり。3年前か。「私は取材されていません」というのを書いた時もあった。大熊の知り合いの名前があったが、本人は知らない、取材されていないって言ったから。

きょうの記事。飯舘村の菅野栄子さんが登場していた。そこに書かれていた彼女の言葉を拾う。
「放射能に侵されても、山河の姿は変わりません。村の自然は人々が戻るのを待ちわびています」。
「人は自然を求めて生きるものです。たとえ私たちの子孫が帰れなくても、いつの日か、日本の誰かが飯舘に行って家をつくり、家庭を作り、集落を作れば、その時飯舘は再生する。そのことを望んで、私は一生を終えたい」。

菅野さんは酪農家だった。自然とともに生きてきた。自然と共に生きてきた人の「時間軸」は違う。とてもじゃないが「長~い時間軸」で物を考えている。自然が教えたことなのだろう。

多くの、いやほとんどの日本人は短い時間軸でしか、今、物を考えていない。いつの日かの再生。そんな悠久の感性なんて持っていない。目先のことばかりだ。
3年以上の“無為の日々”が、彼女に“有為な思考”をもたらしたのだろう。

「放射能で避難しなきゃ、こんなことしゃべんなかったけどな、あはは」と話は結ばれている。

まったく逆説的なもの言いだが、原発事故が土に生きる、農村で生きる人たちに多くの考えるという機会を与えた。
「放射能への思いは、人それぞれで違う。だから、自分で情報を集めて自分で判断して生き方を決める。それしかないって私は思っている」。菅野さんの弁だ。


それをどう解釈するか。それも人によって違うだろう。無責任な他人の言によって右往左往している人たち。短絡的な言説に惑わされてしまっている人たち。いまだ自己を確立出来ていない人たち。その人たちへの“警鐘”ともとれないことは無い。

そうなんだよな。長い時間軸の中で、自然とともに生きる村の再生を願う。百姓って只者じゃなないんだよな。鍛えられ方が違うんだよな。

「いくらもがいても、泣いても、原発から出てしまった放射能には勝てません。悔しさで胸が張り裂けそうな毎日だけど」。

あきらめではない。現実を見据えているのだ。その上で「再生」を願っているのだ。


どれ、靴でも磨こうとしよう。何足かの靴を。ピカピカに丁寧に磨こう。おしゃれの為ではない。足元を確かなものにするために。足元を見つめ直すために。足元が暗ければ、汚れていたんでは、世の中を見る目も狂うからと思い・・・。

2014年5月23日金曜日

日本人よどこへ行く~“真実”~

「真実一路」という小説があった。山本有三の小説。多感な中学生はそれを読みふけった。

冒頭だったか。北原白秋の「巡礼」という詩が使われていた。

真実諦めただ一人 真実一路の旅をゆく。
真実一路の旅なれど、真実、鈴ふり思い出す。

言葉に惹かれた。しかし、それをどう理解すればいいのか。「師」が欲しかった。夏目漱石の「こころ」ではないが、「先生」が欲しかった。

俺が今生きているのは真実だ。しかし、その生きているという真実をどう捉えればいいのか。いや、生きているという真実の意味は・・・。

どうも真実と言う言葉を少年は“哲学”として考えようとしていたみたいだ。
なんの答えも見いだせないまま、「真実」という言葉にはこだわり続けてきたみたいだ。

「真実は一つだ」。そんな言葉もよく使われていた。

ちなみに辞書を引く。広辞苑。真実―うそいつわりでない、本当のこと。まこと。とある。
[仏]仮でないこと。究極のもの。絶対の真理。とある。


「3・11」後、福島を「真実」と言う言葉が埋め尽くした。「福島の真実」「フクシマの真実」。本でも漫画でもブログでも。

「フクシマの真実」(正確なブログ名は忘れた)という、どこの誰が書いているのかわからないブログ。真実なんて書かれていない。多言の引用、勝手な解釈、そして「嘘」。
不思議なことに、そういういわば“過激”なものがネットで伝播する。

前双葉町長が鼻血を出した。とまらなかった。と言う。言い続けている。それは彼にとって実際にあった“真実”なのかもしれない。しかし、それはたった一人の個人の“真実”だ。決して福島の真実ではない。

鼻血を出した子供に出会ったことはない。そういう「話」をした親にも会ったことがない。夜中に鼻がむずかゆく、指で掻いていて朝になったら指に鼻血がついていた。そんなドジな40数歳がいた。持病の花粉症。
これは僕が知っている中での鼻血に関する福島の真実。

福島県内には200万人近い人が住んでいる。面積は広大だ。そこで人々は普通に暮らしている。真面目に生活している人も、おバカな振る舞いをしている人も。
それも僕が知っている福島の真実。

何故、人は、多くの日本人は「真実」「真実」と言うのだろう。
それは体感していることなのか。この国に真実が無いということの裏返しとして。あまりに隠されていることが多いからなのか。

「真実欠乏症」とでも言おうか。

「いちえふ」という漫画がある。竜田一人という人が書いた1Fで働いた経験のある人。このペンネーム、「たつた・かずと」と読むらしいのだけど、「たったひとり」と読めたりもする。

その人は言う。1F構内で働いていたけど、1Fの事だけでも真実なんてわからないと。自分が見聞きしたこと以外はわからないと。まして「福島」と言われてもその真実なんてわからないと。

「あ、行って私が知った福島の真実は、食べ物が美味いってことですかね」。

真実・真理・事実・・・。“三段論法”で重なってくる、つながってくる言葉。

昔、有ったな。新聞週間の標語。「真実を知って知らせて明るい社会」っていうのが。

竜田一人さんも言っていた。東電が用意したバスに乗って構内を一回りして説明受けて、入れないところはたくさんあったのに「1Fの真実を見た」なんて記事を見るとおかしいんじゃないって思うと。

「真実一路の旅」は、気が付いたらもうとっくに終わっていた。というか、旅にすら出ていなかったこのヘタレ野郎。
日本人はどこに行く・・・真実を探し求める、探究し続けるのだろうか。

「吉田調書」と言うのが存在し、それを新聞記者に渡した“内部”の人間がいる。それは「真実」だ。

2014年5月22日木曜日

日本人よどこへ行く~国富~

関西電力の大飯原発3,4号機運転差し止め判決。早速関電は控訴した。予想通りと言うか当然というか。

福井地裁の判決。画期的判決だったともいえる。それは単なる「法解釈」「法の名のもとに」という“慣行”を打ち破った考えが判決理由の中で縷々語られているから。

「原発の運転停止で多額の赤字が出ても、豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これが取り戻せないことが国富の喪失だ」。

福島の事実をもとに言及したものと理解する。福島に関する言及は随所にあったが・・・。

国土を守るということは、「土」を守るということだ。数日前か、そんなことを書いた。軍事力で、戦争で守るのではなくと。

国富という言葉。アダム・スミスの「国富論」を想起した。学生時代、経済学の入門書として与えられた本。読んだ。いや、正確に言うと字面を追っていた。ということかもしれない。単位を取るための。

覚えているのはその中にあった「見えざる手」という章、言葉。

“人は自分自身の安全と利益だけを求めようとする。この利益は、例えば「莫大な利益を生み出し得る品物を生産する」といった形で事業を運営することにより、得られるものである。そして人がこのような行動を意図するのは、他の多くの事例同様、人が全く意図していなかった目的を達成させようとする見えざる手によって導かれた結果なのである”。

もしかしたら、原子力発電というのも、この見えざる手によって導かれたものかもしれないということ。

樋口英明。この裁判長の名前は手帳に書いて残しておきたいと思う。

裁判長は地震学や原子力工学をはじめとする、原発にかかわる専門家では無い。それが「福島の事故のような事態を招く危険性がある」と断じた。安全技術と設備は脆弱なものと認めざるを得ないと断じた。
想定される地震の規模にも言及した。その危険性にも言及した。

想定外のことも想定内に入れた判断と言えようか。

原発稼働によるコスト論、経済性、それよりも優先すべきは生存にかかわる人格権とも主張した。いわば憲法論だ。

「生存を基礎とする人格権は憲法上の権利であり、法分野において最高の価値を持つ」。最高裁が避け続けている「生存」をめぐる憲法判断。そこに地裁の裁判長が踏み込んだ。

だから「画期的判決」だと思う。国民的目線、いや、市民目線と言ったほうがいいか。法理論の展開だけでなく、その目線が多岐に渡っていたことも、言葉は適格ではないかもしれないが、面白い。

アダム・スミスを引くまでもなく、「国富」とは何か。それが、今、我々に問われていることだから。

高裁の判決にもよるだろうが、最高裁まで持ち込まれる可能性はある。多分、最高裁では一審判決破棄という結論が出されるだろう。

民主主義の概念に三権分立というのがある。建前になってしまっている。
改憲論議は立法府で行うべきこと。行政府の長である内閣が解釈で決めることではない。

立法府の長、衆参の議長人事は、時の政権の人事の一環として決められる。
議長は「一丁上がり」のポストとされてきた。
最高裁長官も総理大臣が決める。
4権とされるマスコミ。少なくともNHKの会長は総理大臣が決めた。

それがこの国の民主主義。

折しも、裁判員裁判官制度が出来て5年。この裁判長は裁判員制度の“利点”当初の“理念”が頭の中にあったのではないだろうか。だから一般人、市民目線で「原発」を捉え、判断したのではないだろうかとも。

「無かったこと」にされるかもしれないが、この裁判の、判決の意味は大きい。この国の有り様にまで言及した司法判断として。

そして更に一言。この裁判長は「フクシマ」の事がわかっているということ。

2014年5月21日水曜日

日本人よどこへ行く~「不信」~

「成熟した国家」とされてきた日本。それがすべて否定されてしまった。
やはり「3・11」は、日本という国家の恥部を露呈させ、その未成熟さを再確認させたものではないか。そんなことをあらためて思う。

4年前と4年後の今と。結局何も変わっていない。国の“体質”ともいえることが。

4年前の郡山と「向き合う」作業にまたも取り組む羽目になっている。4年前の郡山が、頭の中で再現されている。その意味で僕の頭の中の時計は止まったままであり、いや、またも逆戻りなのだ。

それはまさに「イイコト」なのだが。

朝日新聞が「吉田調書」なるものを抜いた。政府事故調で述べた3・11後の1Fにあった事実。

爆発時、1Fの作業員が2Fに「逃げた」という。門田陸将が書いた「死の淵を見た男」では“避難したい奴は行け、止めない”と書かれていたが。60数名が、伊沢当直長はじめ、大方地元の人間は残ったと書かれていたが。
記事によれば東電の幹部社員も2Fに去ったという。

3号機が危険だという時、ドライベントをしようということになった。保安院は「情報統制」を敷いた。
偶然が重なりドライベントはなされなかったが、もし行われていたら、避難者の実相は今のようなものでは済まなかったはず。

「情報統制」。嫌な言葉があの時使われていた。

ただでさえ、スピーディー問題をはじめ、政府。東電の情報隠しが問題にされた。そんなことは意にも介されていなかったのだ。

朝日が言いたいのは「こんな政府の中で、電力会社の体質の中で、再稼働なんて許されるべきでことではない」ということなのだろう。

原発に関する不信は、ピークに達している。ドライベントに関する情報は福島県にも箝口令が敷かれたともいう。

原子力規制委員会の田中委員長は「吉田調書」は知らない、見たことない。見ざる、言わず、聞かざるだ。

そんなところが再稼働審査をしているということ。

不信は不信を増幅させる。
不信は、何事も解決の道には導かない。

ALPSが全面的に停止になった。汚染水処理はどういう行方をたどるのか。
高濃度汚染の水だけがタンクの中に溜る。
そこから漏れ出す可能性の方が安全保管よりも確実に高い。

コントロールなんかされていない。不信は増す。

その不信感の真っただ中で、地下水の海への放出が始まった。放出基準は下回っていうというが、もう、それに対する信頼も信用性も無い。
それしか汚染水の量を減ら手立てが無いとしてもだ。

福井県の大飯原発3,4号機の再稼働差し止め判決が原告住民の訴えを認めて、関電に差しめを命じた。
司法の独自性、健全性がかろうじて保たれた。

巷に蔓延した「フクシマ」に対する不信感は、あのマンガ騒動で、またもぶり返された。この4年間とは何だたのか・・・。

我々は無為の日々を送ってきたということか。

朝日の「抜き」は、かろうじて一部のマスコミがまだ情報統制下に無いことを伝えたような気がする。

朝日の記事が、朝日に対する不信を持つ人には、心地よいものではなかろう。
でも、一日、立ち止まって見た結果、どうも誤報ではないようだ。

国に対しての「不信」が増す。不信の坩堝の中で、我々はどう生きるのか。

小さなコミュニティーの中でもそこにいる人たちで不信がはびこり始めている。

信じることが難しくなった、出来なくなった。

この国はこれからどこへ行くのだろうかと。

ほとほと疲れている。でも、その疲れたからだに鞭打たねばならないということ。

2014年5月20日火曜日

やっと来た、除染のための線量測定

市役所主催の除染説明会があってから3か月以上も経って。
除染作業をする前の線量測定の人が来た。
二人。言ってみれば“重装備”。
「これから暑くなっても長袖とヘルメットは着用なんですよ」。作業を邪魔しないようにしての会話。

とにかく、我が家の周りの町内ではやっと来たんです。除染の具体的動きが。

100メートル離れた同じ町内会では、もう除染は終わっている。
「除染は字単位でやってます」。存在するんだな字という字が市役所には。

除染が終わった家。
「なんか枯山水って光景だな」と旦那はぼやいていた。

「うちは八百屋に買いに行ったことがなかったんだよ。敷地で大体の野菜は作っていたから。あれ以来、野菜は買いにいくものになった。あはは、家計圧迫だ。それも補償してもらいたいくらいだね」とも。

約1時間の測定。車は出したり入れたり。
「1メートルの線量は0,1μ以下ですが、芝生のとこは高いですね。0,7μ以上ですね」。

植え込み除いてほったらかしだった庭。どうせ穿り返されるんだからと。

芝生の脇ではトマトやフキノトウ、みょうがを植えていた。ほんのちょこっとだけど。去年も今年も食べましたよ。それを。なんたって身土不二を良かれとしている身。

“そこの住人に合ったものが出来てくる”。自然界の“掟”を聞いていたし。

旬の味は美味かった。美味しんぼだった。旬の野菜はエネルギーをくれる。

除染業者さんがいつくるのか。厄介だぜ。どうやってもらうか。どこまで掘ってもらうか。芝生の脇には「思い出の樹」も、旅立った犬の思い出の樹も何本もあるし。

それにしても終わらない「美味しんぼ騒動」。特にテレビは大騒ぎの格好のネタ。
報じることに何の意義やある。大手新聞社も参戦。
理屈っぽく書き始める。
そんなに「価値」があるのかい。あのマンガは。マスコミが付加価値つけている。雑誌完売とか。やはり儲かっている。美味しい商売だ。

漫画喫茶が流行り、ラーメン屋さんにまで漫画が積まれており、長文の小説は読まず、漫画で事足れりとなり。短文の絵解きの世界が歓迎され、やがて140文字が席巻し、長文は読まれなくなった。

思考が短絡になった今の時代。

2011年から2012年。双葉郡8町村の首長会議がしばしば行われていた。
そこで鼻血にお話が出たことはない。
川内村の遠藤村長も「聞いたことも見たこともない」とはっきり否定した回答を寄せている。

取材と言うのは「裏を取る」行為だ。誰かが言ったからといって、それを鵜呑みにして書いているのは取材とは言わない。単なる伝言板だ。

井戸川さん、ちょっと勘違いしてしまったんじゃないかな。受けを狙って。
反原発団体に悲劇の首長として祭り上げられ、国会議員選挙にまで担がれて。

もう引くに引けない。ピエロを演じるしかないような気がする。気の毒だ。


「こんな騒ぎになって、住めないなんてばかり言われて、秋田に行っている妹たちは帰ってこないわ」と近所の蕎麦屋のお姉ちゃんが嘆く。

風評被害。福島県人はそれを言うべきではないとあの年に書いた。言えば、嘆けば、「被害者いじめ」は加速する。過激になる。正義の名のもとにそれに愉悦を感じる人は多いのだから。

漫画誌に載った弁解と識者なる人の弁。なんであの人が識者なのって人も散見。
それを識者とすること自体、あの雑誌の価値がわかる。お里が知れるっていうこと。

この件、川内村の遠藤村長の文が「納得できる結論」だ。肝心な部分をあえて書いておく。

“「非難する・避難しない」。「戻る・戻らない」の対立構図を作らないこと。目に見えない放射線は、仲が良かった隣近所を仲違いさせ、親子・夫婦関係までギクシャクさせる。コミュニティーまで崩壊させる。被災者同士がそれぞれ批判しあう姿に心が痛む。県外に避難した住民が、「福島は危ないから避難しろ」という。戻った住民が、「故郷を捨てるのか」と問う。
善意の押し付けや過激な干渉は出来る限り避けてほしい。そこで生活している多くの住民がいること、避難を余儀なくされている村民がいることを忘れないでほしい。
健康被害についてはあくまでも科学的・医学的検証に基づいて語ってほしい。原発事故直後、政府や県、東電からの情報が信頼出来ない中で、「危ない、危険、逃げろ、健康被害」という刺激的な情報の方に飛びついた。復興は信頼関係の上で成り立つもの。
原発事故はお金の問題も絡んで人の心をズタズタにした。だから疲れてしまう。戻ってきても毎日が不安だ、という人は避難したほうがいいと思う。避難したけれども、親子や家族がバラバラ、両親が体調を崩して心配、という人は戻ってきたほうがいいと思う。避難している人、戻ってきている人、避難所を往ったり来たりしている人も、それぞれの判断を尊重して支援していくつもりだ“

2014年5月19日月曜日

昔からあったコミュニティー「隣組」

少人数の集まりで町おこしやコミュニティーの話になった。

「3・11」がきっかけで、住んでいる地域の“連帯」を考えるようになったと40歳が言った。
あまり馴染みが無かった隣近所の同世代に話しかけ、時折なんていうことはないが集まることにした。庭で半日バーベキューをしてどうってことない話をしたという。
祖父の代、親の代が住んでいた古民家を持っている50歳がいた。かなりの敷地もある。その古民家を再生してそのさびれゆく地域の“再生”拠点にしようなどと話し合った。

コミュニティーとは何か。もともと在ったのか、震災後同じ場所にいる人たちの繋がりの場としていわれるようになったのか。そのカタカナ語の是非はともかくとして。

60歳が言った。向う三軒両隣っていうじゃないか。俺が生まれた部落では、そこの人間関係や付き合い方は難しかったけど、たしかに何かあると助け合ってもいたようだった。と。

ふと思い出した。「隣組」という歌。昭和15年に作られた歌。連日のようにラジオから流れていた。戦後の至っても。不思議なことに歌詞を覚えているもんだ。

♪とんとんとんからりと 隣組 格子を開ければ 顔なじみ
廻して頂戴 回覧板 知らせられたり 知らせたり 
とんとん とんからりと 隣組

あれこれ面倒 味噌醤油 ご飯の炊き方 垣根越し
教えられたり 教えたり
とんとん とんからりと 隣組

地震やかみなり 火事どろぼう 互に役立つ 用心棒
助けられたり 助けたり
とんとん とんからりと 隣組

何軒あろうと 一所帯 こころは一つの屋根の月 纏められたり 纏めたり
とんとんとんからりんと隣組♪

隣組組織、それは戦時下の銃後の守りとして考え出された、一口で言えば「相互監視体制」。防空体制の維持やある時は思想統制も担ったものだった。

そんな「意図」は歌詞からは微塵も感じられない。助け合い、相互扶助の良さ、ほのぼのとした隣近所付き合いが前面に出されているから。

40歳はスマホで検索し、面白い歌ですねと聞いていた。すぐに歌を歌詞を覚えた。

70歳は思った。あらためてコミュニティーなるものを。

隣組は15軒くらいが単位だった。コミュニティーにはもちろん定義が無い。

そこでは常に「意思決定」を迫られる。住民合意というやつだ。
コミュニティーとしての民意。

20軒あったとしよう。すべての合意ってはかられるのか。19対1だったとしよう。1はコミュニティーの中でどういう位置づけになるのか。
“排除”されるのか。

昔の、戦時下の隣組は国家の強制のもとで出来たもの。
福島のコミュニティーは、いや、福島に限らず、それは自然発生的に、古い歴史とともに生まれてきたもの。

コミュニティー論。いま、福島で試されている。住民合意の在り方が。
今、福島で試されている。民意と民主主義が。


酒席をネタにするのは悪癖なのかな。

理屈はやめておく。隣組って歌は、やはりある種の郷愁を誘う。それでいいじゃないかとも。

2014年5月18日日曜日

「戦争」と「平和」

戦争と平和。誰しもが若いころ読んだであろうトルストイの名作。昨今の世情見ながら、この本の題名が浮かんできた。

なぜ人は殺し合うのか。なぜ人は愛し合うのか・・・。

平和という言葉は戦争の対義語としてあるのか。

平和のための戦争ってあるのか。でも、それは大義名分になっており、それに酔いしれている人も多い。

積極的平和主義ってなんだ。平和憲法って何だ。

平和って何だ。

平和という言葉がもてあそばれている。戦争がなければ平和なのか。

皐月の青空を見上げる。植えられた田んぼの稲を見る。雲を見あげる。風は心地よい。「平和だな~」とつぶやく。穏やかな空気。それだって平和。

集団的自衛権の行使容認にあたって、安部はしきりに国民の生存権を言う。戦争が無くても生存権は確実に脅かされている。

たぶん、ぼくが考えている「平和」と安部の考えている「平和」の間には、もしかしたら埋めがたい溝があるのかもしれない。

戦争で平和は確保できない。

集団的自衛権の行使となれば、戦争に巻き込まれる、いや、積極的に参加せざるを得ない状況が待っている。
戦場に行くのは自衛隊員だ。

この問題について自衛隊員はどう思っているのだろうか。

今の自衛隊は実質上は軍隊と変わりはない。しかし、70年前の軍隊とは違う。
個々の意志は多少は尊重されているはず。

もちろん防衛省はそれを認めはしないだろうが、集団的自衛権について、「当事者」となる自衛隊員はどう思っているのか。そんな意識調査はできないものか。

そんなことすら思う。

国を守るということはどういうことか。国土という。土という字が入っている。
土を守ること。それが国を守ることと思うは論理の飛躍か。

福島に来た安部は、またもや、やはりパフォーマンス。満面の笑みでトラクターに乗り、土と触れ合ったかのようなポーズを演出する。それを取り巻きの福島県選出の議員が見守っている。

県民の多くも、いや一部か。それを歓迎している。

土を失った人たちに接したのはわずか5分。対話でもなんでもない。改憲、集団的自衛権の解釈変更。それについて「国民的議論を」という。自分からは議論の場に身を置こうとしない。

一連の改憲問題。戦後レジュームからの脱却と安部は言った。たしかにそれは彼の信念なのだろう。
戦後レジュームの中からは「平和ボケ」なんて言葉も生まれた。平和ボケとは何も考えないということにつながる。権力者によりかかっていることの安心感。

安部の人事の妙。同じ思想、意見の人たちで周りを固めた。その人たちはほくそえんでいる。安部をして自分たちの「思い」を達成さえようと。安部の周りには議論は存在しない。
異論はことごとく排斥していく。

国民はすべからく「考える人」になるべきだ。考える素材を提供するのがメディアの役割だ。メディアを通してしか伝わらないことがほとんどだ。

だからメディアこそが「考える媒体」に「キュレーター」にならなくてはならないのに。

メディアも安部の「戦略」に巻き込まれてしまった。戦略に長けたラスプーチンがこのところ官邸に足しげく通っていた。

安部は格好の、「考える材料」を提供してくれたと思おう。日本人が「考える人」になるための。

福島にとっての「平和」って何なんだろう。だれも答えを持っていない・・・。

2014年5月17日土曜日

「自衛」ということ

昨日、安部を“情念の政治」と書いた。
人間の情念に訴える手法を時折使う。

それは一昨日の記者会見場。大きなパネル。集団的自衛権行使の具体例として。
「紛争国から逃れようとしているお父さんやお母さん、おじいさんやおばあさん、子ども達。彼らが乗る米国の船を今私たちは守ることができない」。そんなことでいいのですか皆さん!。といった具合に。

おじいさんやおばあさん、こども。それをこの集団的自衛権論争の中に持ち込んでくる。もちろん「あり得る想定」ではあるが、憲法の議論の中で持ち出されるおじいさん、おばあさん、こども。

賢(あざ)とさとも取れる。おじいさん、おばあさん、子ども達。狭隘な考えかもしれないが、いま、福島で悲鳴を上げているのはその人たちなのだ。

その人たちを助ける具体的行動がとられているのかということ。

憲法が定めている生存権や、健康で文化的最低限の生活が保障されていないということ。

安部会見のニュースが流れている時、ベトナムでは“暴動”が起きていた。
トルコでは炭鉱事故で多くの犠牲者が出ていた。トルコの首相は窮地に立たされていた。

トルコにまつわる話がオーバーラップしてきた。エルトールル号事件のことだ。
明治の時代。トルコの軍艦が和歌山の串本沖で台風で座礁した。串本の住民は、自らをいとわず乗組員を助けた。明治天皇も無事に帰還させるようにとの配慮を見せた。

助けられたことをトルコでは「歴史教科書」の中に記述している。恩を忘れるなと。イラン・イラク戦争時、フセインは24時間以内にバクダット空港の上空を通過するすべての航空機を打ち墜とすとした。

空港に集結した在留邦人を助けたのは、日本に運んだのはトルコ航空機だった。自国民は陸路でも帰れるとして。

もし、同じような事態が起きたら、そこには集団的自衛権が発動されて、武装した自衛隊機が救出に向かうのかどうかということ。イランとイラクの戦争。アメリカ艦船は攻撃対象になっていない・・・。

そんなことを思ってしまった。

今朝のテレビで大阪のおばちゃんがおもろいことを言っていた。「集団的自衛権って言葉が嫌やねん。集団自決を思い出す」と。なんと、石破が答えていた。「たしかに言葉が悪いかもしれない。正当防衛と言い換えた方がいいかもしれせんね」と。

大阪のおばちゃん、やるやないか、鋭いぜ。なまじの国会議員よりも。

邦人救出の米艦船のを守るために自衛隊が出動する。彼らにも親もいれば子もいる。戦争に巻き込まれるかもしれない。家族はどう思うのだろう。

原発事故後、自衛隊の活動は最悪の危機を救ったともいえる。出動する隊員の家族は皆、不安だったという・・・。

そうか、集団的自衛権とは正当防衛ということなのか。正当防衛論、それは個別的自衛権で「担保」されているとも思うのだけど。

そして、福島県民は「軍事」とは全く無関係な中で「自衛」に腐心している。自分を守る、家族を守る、いや突き詰めていけば国を守るという“原発戦争”の中の自衛・・・。自らの生活を守るという自衛・・・。

2014年5月16日金曜日

高らかに語れ、方言で。

月一のコラムをさっき入稿した。
今月は「方言」のことを書いた。
福島からの自主避難者。県外への。「言葉の壁」にぶち当たっているという。
特に「福島弁、福島訛り」は“差別”の対象にされるという懸念からか、多くの人が「自分たちの言葉」を封印していると聞いた。

故郷訛り、故郷の言葉。それはその人達のアイデンティティーにかかわること。それを封印するということは、こころを閉ざすことにもなる。
場所にもよるが、ただでさえ帰る場所を失った人、今いるところで味わう“喪失感”。

まさにいろいろな意味で「言葉を失う」。
明治政府が、中央集権の手立てとして強要した「東京弁」への言語の統一。
それに抗して守られてきた方言。それは立派な日本の文化なのだ。

県外への自主避難者がかかえている問題の一つ。
住宅の無償提供が来年3月で打ち切られるということだ。

県内に住むか、他の都市に自主避難するかどうか。
それは、その人たちそれぞれの判断。

避難とは住む場所を失うということか。

災害復興住宅。遅々として進まぬ建設。

居場所のある人が居場所を失う人にたいして、もっともらしいことを言うのは「思い上がり」だ。

福島には人は住めない。現下のこ汚い“話題”の中で、当事者の一人が高言している。

どこに行けばいいのだ。どうすればいいのだ。

もうとっくに「国」は見放している。

住めないかもしれにところに如何にして住むか。物理的な方法としての“除染”だけではない。

現実、仮設の入居者や借り上げ住宅に住む人たちへの扱いは日を追うごとに厳しくなっている。

もともと福島県は「一つ」ではない。ひとくくりで語るということ。同じ県民であっても、考えは皆違う。違っていて当然なのだ。人間の社会は。

でも、そこでなんで敢えてお互いが軋轢を生むようなことをやるのだろう。

原発問題。事故。日本という国全体の問題。

何時からなのだろう。昔からそうだったのだろうか。人の痛みがわからない人達の群れ。

書かないといったがやはり一言付言。

安部の昨日の会見のこと。憲法のこと。集団的自衛権のこと。
訳知り顔に言われる「国民的議論が必要だ」ということ。

国民的議論なんて成り立たないのがこの国の実相なのだ。

世論調査なるものに必ず登場する「よくわからない」「なんとも言えない」。
すでにして議論を放棄している人たちだ。

安部の感覚は「情念の政治」「自己愛」の“思想”だ。
議論を呼びかけながら会見は30分。

その夜は時事通信、朝日新聞、毎日新聞の政治担当幹部と会食している。酒を酌み交わしている。そこで議論は交わされていたのか。

川内村の村長が最近言っている。あのくそ漫画に関連して。その雑誌社の問いに答えて。当事者としての言。

「避難する・避難しない」「戻る・戻らない」の対立を作るな。眼に見えない放射線は、仲が良かった隣近所を仲違いさせ、親子・夫婦関係までギクシャクさせる。コミュニティーまで崩壊させる。被災者同士がそれぞれ批判しあう姿に心が痛む」と。

“差別”“いがみ合い”。そんな言葉のくくりの中で、日本人の精神性は、むしろ後退しているようだ。だから“科学技術の進歩”に負けてしまったのだとも。

安部会見の詳報を読み、各様の意見を読み、ものすごい疲労感に襲われている今日・・・。

2014年5月15日木曜日

民主主義とは何か・・・

日本は民主主義国家である。言わずもがなのこと。民主主義の中で暮らしている。毎日、どこかで「民主主義」という言葉が使われている。

じゃ、この民主主義っていったい何なんだ。
理念としての民主主義、制度としての民主主義。

一昨日の塾で、そのことを問いかけてみた。こんなことをやってみた。
「民主主義ということについて考えておいて欲しい」と先月前ふりしておいた。

白紙を渡して、それぞれが思う、考える、イメージする、あるいは願望でもいい。民主主義という言葉について短い言葉で自分の考えを書いてくれと。

悩みながら考えながら書いていた。

その紙、14枚を集めた。それをシャッフルして、また配った。自分の考えと、今、目の前になる、誰かが書いた考え。その対比や違う意見、同感出来る意見・・・。
それらについて、自分の意見を披歴しながら、考えを述べてくれと。

もちろん無記名。誰が何を言ったか、書いたかわからない。わからないからいいのだ。
つまり、誰が書いたかわからない意見。それに意見を述べる。自分の考えをぶつける。それも民主主義かもと思い。

何をしたかったのか。その14枚の紙から、言葉から、それらを一つ一つのピースとして、「民主主義」というパズルを作ってみたかったから。

再び手元に回収した紙。そこに書かれた言葉や意見を、「単語」にしてホワイトボードに書きだしてみた。

自由・平等・合意・納得。自由と背中合わせの責任。自由な思想・自由な発言。
個人が個人として尊重される。一人一人が考える、考えを形成する。

決定権・グレー・非独裁・自ら作るもの・参画。

多数決では無い・国民全体の意見・民の責任。

悩み抜いた揚句発した言葉の数々。

これらを元に民主主義というジグソーパズルを完成させることは、結局、難しかった。

これらの言葉を一つ一つのピースとして、それだけで形を作ってみる。そのパズルの上に民主主義という言葉を置く。下矢印で、そのパズルを指す。
パズルの下に「多様な意見、見解」と書く。そうすることが理に適っているような。

立憲主義という言葉は出なかった。だからということではないが、アメリカ合衆国政府が掲げる、民主主義国家として世界に君臨するその国の民主主義の理念を紹介した。

議会制民主主義という言葉も出なかった。多数決とか、99対1という言葉もあったから、それに替えて解釈した。

合意という言葉があった。これがまさしく、今、この東北、被災地で試されている民主主義。そう「住民合意」という建前。

日本における民主主義という理念、制度の嚆矢。それは明治元年、天皇の名で公布された「五箇条のご誓文」にあると紹介した。

広く会議を興し、万機公論に決すべし。というやつ。

民主主義とは立憲主義によって成り立っているものである。主権在民だ。多数決の原理。それは少数意見の尊重ともご誓文からは読み取れる。
多数決の原理とは、民主主義の理念を具現化する手段なのだとしても。

きょう、民主主義の根幹に触れるかもしれない「解釈」が、安部の「私見」が出されることになっているらしい。

それについて論ずる気は無い。

ただ一言。集団的自衛権行使をなさしめるために、メディアも巻き込んだ、時には不毛な、時には信念さえも感じられない議論にうつつを抜かしている人たちよ。その前に論議し、手を打つべきことが多々あるんじゃないですか。

そう「福島」をどうしてくれるのだ。何を差し置いても喫緊の課題でしょ。
そう叫びたい。
敵は海の向こうからばかり来るものではない。地中が動くかもしれない、火山が爆発するかもしれない。どっちの確立がどうこうということではなく。

住民合意という枠に縛られた中、民主主義と民意。そのテーマはまだまだ考えなくてはいけないな。掘り下げてみないといけないな。

2014年5月14日水曜日

「福島」は食い物にされている。しかも“美味しい”ネタとして

昨夜は「塾」だった。民主主義とは何か、がテーマ。いろんな意見を交わした。
民主主義との関連で、「自由」という言葉が出た。
話のはずみで「美味しんぼ」のことになった。瞬時。
「あれは表現の自由にも、言論の自由にも該当しません。自由のはき違いです」。
切って捨てるように塾生の一人が言った。やがて母親になるであろう若い女性が。

きょう、いつもの病院。月に一度の。COPD患者としての定期的顔見せ。
担当の病院長。呼吸器内科の権威。

なにかのはずみで“美味しんぼ”のことになり。
「鼻血を出した患者って来ましたか?」。
「来るわけないでしょ」。

何ミリシーベルトを浴びて急性被ばくしないかぎりそんな症状は出ない。などと数字を挙げた医学的話が始まり・・・。仮に放射線由来の低線量被ばくで鼻の粘膜が傷つくことがあったとしても、あったとしてもですよ。それはすぐ治ります。大の大人が毎日鼻血ダラダラ。有り得ませんとも。

その医者、東京の虎の門病院でも週に2回担当している。先週は講演を頼まれたという。やはりこのことが話題にされたとか。それなりの人、公職にある人、世間に名の知れた人たちの集まりだったが。

「やはり東京の人たちが福島をみている感覚は完全にずれてますよ。風評に乗っているし、知識がなさすぎる」と。眼は怒りを含んでいた。


漫画「美味しんぼ」の話は先月の30日に書いた。その後、話は大きくなり、なにやら格好の話題になり、いわゆるマスコミ、新聞・テレビでも取り上げられ、ネットではまだまだ尾を引いている。

「あんなばかばかしい話、放っていけばいい」。と思っていたのだが。なにやら各界、各層でも話題になり、“くだらない被ばく話“が再燃し、福島県も反論、政府も参戦。「なんでこうなるんだ」っての感。

漫画の中では「福島県には鼻血を出している大人や子どもが沢山いる。福島県には人が住んではいけない」と書かれている。

福島県の広さってご存知なのだろうか。

郡山に住む亭主の周りでは、鼻血を出した子供は見たことが無い。そんな話も聞いたことはない。
被ばくによって鼻血が出るっていうのは4年前に「有り得る症状」として伝えられていたが。

漫画であろうとなんであろうと、今や「福島」は完全にネタにされている。しかも、業界でいう「美味しいネタ」に。

識者と称される人たち、双葉町のドキュメンタリー映画を作った監督までも。漫画の作者や井戸川元町長だけではないんだ。
「ふくしま」に対して手を打たない県や国を批判し、あらためて問題提起をしたもので、評価に値すると。

視点がずれているんだな。

狙いがどうであろうと、それは東京人が見た感覚。福島県人、少なくとも双葉町民はかっこうの餌にされているんだなと。

ネットを見ていて驚いた。2011年の6月ごろの東京新聞。ま、ご丁寧に切り抜きとっておかれているもんだと思うけど。
「郡山でも鼻血の子供が」という記事。親の名前がかいてあるが実在の人かどうか。

そして2012年の中日新聞。同じ記事が載っている。寸分たがわぬ記事。

なんか「郡山の線量めぐる上杉隆報道」を思わせるような。

漫画家は2年間福島で、原発現場で取材した結果だという。取材ってどういう取材なのだろう。

「フタバから遠く離れて」。騎西高校での避難生活描いた映画。長期間わたって取材した映画。そこでは鼻血の血の字も言葉も出てこない。町民からも町長からも。

あげくもっと驚いたこと。大阪での瓦礫焼却処理で鼻血の話。何百人だって。
大阪で処理されたのは福島の瓦礫では無い。宮城の瓦礫。
だから言う。ばかばかしいにも程があるって。

マスコミの取材って、おおむね事前の「意図」がある。意図に沿わないものは対象から外される。意図に沿った“発言”だけが公にされる。事実だとして。

福島の人間にどういう影響を与えようが、傷つけようが、それは無関係なこと。
おどろどろしく福島を語ることが本意。それが彼らの“正義感”。

話題になれば有名になれる。テレビへの出演も増える。雑誌は売り上げが伸びる。

所詮、そんな功名心とか欲望とか営利とか。それの対象にされてしまっている福島。

無視するのが一番賢明なんだけどな。

漫画騒ぎに便乗するような新聞、テレビ。それらの報道は皆、「大局的見地」からの優等生的報道。朝日新聞のきょうの社説に至ってはまさに噴飯もの。ああでもないこうでもない、要するに福島に寄り添わなければ。そんな社説の定番。

漫画の「意図」に飛び乗った県内の大学準教授。皆、名を上げたいのかな。

無知、無定見、無信条の輩が福島を語るという、今、この国に蔓延しているような“文化”。

やはりーーというべきか。飯坂の旅館、団体客予約キャンセルの報道。その団体側も漫画に乗せられた。メディアリテラシーの欠如だ。


あのマンガの巧妙な罠。鼻血も全身倦怠も、原発事故由来とは言っていないこと。直接的には。「読者の読み方次第ですよ」って手口。

不安感のある人たちは、すぐ、自分の頭の中で、被ばくと結び付けてしまうということ。

福島を餌に“欲望”を満足させることはやめてよ。

漫画家も出版社も、井戸川も、あまりにも欠如している「想像力」。描けば、喋れば、どんな影響が出るか。意に介していない。自己完結の世界だな。

五月晴れの中、ここ郡山では老若男女。普通の暮らしをしていますよ。きょうも。

何時までも福島は2011年3月以降のまま語られるんだな・・・。風評か・・・。

心ある福島県人よ。風に向かって立つライオンであれ!

2014年5月13日火曜日

かつて「地方の時代」と言われていた・・・

それはいつの頃から言われ始めていたのだろう。地方の時代って。いつの頃を指すのだろう。地方の時代って。

日本列島改造論が火をつけたのか、第何次まであったのだろうか「全国総合開発」。産業の再配置、国土交通網の整備、さまざまな公共事業。

それを後押ししたのがエネルギーとしての原発。

ふるさと創生基金なんてばかばかしいカネの、1億円のばらまきがあり、その頃からか、人間の感覚がおかしくなってきた。

地方の時代は、行政的には地方分権という形で具現化されるともされた。

で、地方分権は成ったのか。成っていない。交付金や補助金は国が握ったまま。多少の「権限移譲」があったに過ぎず。

地方自治という言葉は残っているが・・・。

「3・11」で実感した。地方と中央とのこと。名ばかりの地方自治。国におんぶにだっこのような県。

だから、地方自治は極めて限定的な形の中で語られるようになった。コミュニティーであり、コンパクトシティーであり、スモールシティーであり・・・。

国が前面に出るといった原発事故対策。前面に出ていない。
何かというと「住民合意」を迫る。その作業に追われる市町村。県とてなんら力を発揮できない。いや、その能力はもともと持っていない。持たされていない。

名ばかりの地方の時代。

安部政権が目指しているのは戦前回帰ではない。明治政府への回帰なのだ。あの中央集権的国家なのだ。

明治政府が国を一つにしようと採った政策。一つは教育。
師範学校を作り、帝国大学を作り、学校建築を統一化し、制服を作り。そして、全国共通の言語にするとして、方言を排斥し、標準語なるものをラジオを使って普及させようとした。

そしてなによりも教科書を国定教科書とし、全国一律の教育を施した。

方言は生き残った。地方で独自の教育が行われていたところもあった。

全国の市には教育委員会というのがある。教育委員長は、その中から選ばれていた。教科書問題ともからんでくる話だ。

教育委員長は委員の互選ではなく、首長の任命とする。教育長と一体化させて。そんな“教育改革”が進んでいる。首長は、地元の人間は少ない。去年を見ていても総務省出身者が国から“押し付けられて”くる。

国全体でみれば人口減。地方から見れば人口流出。一極集中するであろう人口。

被災3県とされる東北3県の事だけではない。流出は多く、流入は少ない。

“消滅する市町村”。そんなことが言われるのもむべなるかな。

産業再配置。地方に置かれた生産拠点も、グローバル化ということで海外に持って行かれる。それの方が企業にとっては生き残りをかけた戦略なのだから。

多くの物の生産地であった地方。原発を、電気を作る発電所をばらまかれた地方。
中央は、消費者としてそれらをあくなく吸い込んでいく。

福島は壊れた。第二の福島が生まれないという保証はどこにも無い。でも、中央は「無い可能性」に賭ける。

中央対地方。その関係の見直しを迫ったのが「3・11」なのだ。
地方は、中央に物や人を収奪されるところであってはならない。

地方分権の名のもと、国は耕作放棄地、荒れた農地を無くすことを国是とした。地方に権限を譲った。農業委員会なるものに、農業委員なる人に「その対策」を。

後継者のいない農家もある。片手間の農家もいる。国の助成金、「担い手育成事業資金」が飴になる。10ヘクタール以下の農家のは95%の助成金、農家は5%負担。農地を維持しているように「作る」。農業委員の“指導”で。その目的は宅地化したいから。宅地に転売すれば、農業収入の少なくとも10倍以上はカネが入る。
かくて農地が消えていく・・・。

岡目八目のような地方の時代、地方分権、権限移譲の一つの“実態”。

どうも我が家の南側の農地がそうだ。ここ数年、田植えはしていない。でも、時々“整地”はされている。

隣の田んぼ。二面に水が入った。カエルが帰る。水鳥のようなきれいな鳥が今朝も嬉しそうに土の中の餌をつばんでいた。

この風景を失いたく無い。

2014年5月12日月曜日

「高齢者」って何歳からということ

若者の、成人の年齢のことについて書いた。老人の事も書かねばバランスが悪いかも。

世間一般で言われる、というよりも国が言う高齢者は65歳以上ということだ。

65歳以上は高齢者。この「ひとくくり」に違和感がある。いや、異を唱える。

経てきた年月。生年月日から割り出される年齢。それと“実年齢”のは大きな差があるということ。

孫がいれば「おじちゃん」と呼ばれるのも致し方あるまい。でも孫のいない人も年齢でおじいちゃんとよばれるのかな。

60歳が定年。それが一時の“基準”だった。今は、段階的に引き上げ65歳としている。

運転免許更新も70歳が一つの区切り。次は75歳が大きな区切り。個人差ってはなはだしくあると思うが。

人口減。就労人口も減少する。経済活動は縮小する。

働ける者は働け。っていうことだと思うが、働き口は無い。
魚屋のおちゃんは80歳だ。酒屋の社長も80歳だ。現役だ。

年金支給開始年齢を70歳に引き上げる検討がなされるとかどうとか。

年金の必要が無いお金持ちの高齢者もいる。高所得者の年金は凍結すればいい。

働きたいのに働く場所が無い。年金に頼らざるを得ない人にだけ支給するってのもいい。

「年金の使い道が無いのです。一緒に食事に行きましょう」。数年前言われた。会社の会長をやっていて、豪邸に住み、年金は余らしている人。もちろんご馳走になったけど。

なんでも「年齢」で区切るってことにある抵抗感。

「年寄りは引っ込んでいろ」。よく言われた言葉。

現役でいる限りは、その人の時間は会社から、職場から“管理”されている。
退職すれば自由人。自由になって自分で時間や生活を管理することのむずかしさ。

引っ込んでいれば必定、やることが無ければ必定、衰えが加速する。かえって病気にもなりやすい。

「悠々自適の老後」。そんな価値観が許されるのだろうか。強いられることへの違和感。

じいちゃんの後を継いで漁師になると言っていた津波被災地の17歳の若者がいた。じいちゃんから学べねばならないことが多いからって。

公務員を定年になった「爺い部隊」が、大熊町再生のために働いている。その人たちの経験と知識はおおいに役立っている。

原発事故後、退職した“高齢”の元作業員が、「原発決死隊」と名乗って1F
の作業に名乗りを上げた。でも、それは実現しなかったみたいだ。

そして確実に原発事故収束のための作業員は手練れはいなく、素人が多くなっている。

高齢化社会とだけ言われる。社会が高齢者をいかに守るべきかばかりが議論される。それも不毛な論議が。

高齢化社会だからこそ、いかに高齢者を活用するか。それの議論はほとんど無い。

社会の片隅に追いやられるような「お年寄り」と呼ばれる人たちの群れ。

「格差」は若年層だけのことではない。高齢者の中にこそそれは存在する。

社会の基準として「高齢者」というのを何歳とするのか。自分の意志だけではどうにもならない区分け。

亭主は立派に高齢者のど真ん中。でも本人にその意識ゼロ。たぶん永遠にゼロかもしれない。筋力や視力は確かに衰えを実感しているのだが。

年寄りよ、街に出よう。カネは無くとも。年寄りよ、間違っても巣鴨でテレビのインタビューなんかに応じるなよ。

年寄りは若者に学ぶ。若者も年寄りに学ぶ。その連鎖でいいじゃないか。

もろもろ思う。この国は決して年寄りに優しい国じゃないって。だから「丸い年寄り」にはならない。いつまでも「尖ったままの年寄り」でいるつもり。

昨夜、70歳の友人が一献酌み交わしながら言った。「年をとったら怒りやすくなったよ」って。「あんたが好きだよ」と返しておいた。

2014年5月11日日曜日

ジグソーパズルは壊れたままなのであり

朝、窓のカーテンを開けると隣の田んぼに水が入り始めていた。早速、どこからか野鳥が飛んできた。一羽、二羽、三羽・・・と。カエルの声が聞こえるはず。
でも、いつもの季節より水張りが遅い。水を張っても、代掻きをする人、苗を植える人手が少ないとも聞く。

除染の仕事に回っている人が多いからと町内会長の説明。

知り合いの旧家に届け物に行った。やや雑然とした庭や周りの光景。
「植木屋さんに頼んでいるんだけど、除染が終わるまでは手が付けられない」っていわれたとか。

その家の周りは竹の子や山菜、山椒、ワラビがあるはず。

ホームセンターに寄った。母の日。カーネーションを買う人たち。
花やハーブ系の植物が山のように並べられている。

顔見知りの仮設の人とぱったりの出会い。
「いい季節だ、せめて花でも育てないとな。土をいじってないとおかしくなっから」。

それぞれがパーツ、パーツの光景。そのパーツがうまく重ならないのだ。

前にも書いたかもしれない。ジグソーパズルとしての福島と。壊れたジグソー。そのピースピースを拾い集め、埋めていく作業の福島と。

ピース、ピースは見つかった。でも、そのピース自体が形が変わってしまっていた。もううまくはめ込めない。
そんな今の福島。

人間関係がおかしくなっているのだ。形が変わってしまったのだ。

カネは人間のこころをむしばむ。3年前にも書いた。原発誘致、建設でカネがばらまかれた。シャブを打たれた。
シャブをうたれたからだは、時が経つと、シャブが切れてくると、またあらたなシャブをほしがる。2Fはその第二弾のシャブだった。

そして、7,8号機までに手を伸ばそうとした・・・。あの双葉町だって。

そして事故。補償、賠償でもまたシャブ。中間貯蔵施設建設でも、またシャブ。

シャブを巡って県民同氏がいがみ合う。風評被害という見えるようで見えないものを敵視する。
振り返ってみれば、味方の中に敵がいたということ。

カネが人のこころをむしばんでいく。いがみ合いの原因を作る。

かつて在ったピースは、そうではなくなった。

放射能汚染からだけではない。人間関係の“汚染”から逃げ出したくて「自主避難」する人だっているのかもしれない。
自主避難をしていた人たちが、なかなか戻ってこない。“こころの汚染”と立ち向かうことの苦しさがわかるからだ。

すでに廃校が生まれている。人口減。廃炉を待たずに廃村、廃町が生まれるかもしれない。

だから思う。元あったジグソーパズルは作れないと。形を変えたピースで新たなジグソーパズルを完成させなくてはならないのではと。

田んぼにやってきた野鳥が餌をくわえて飛んで行った。
除染されていない我が家の庭。その脇にいつの間にか生えていた蕗。煮物にして食卓にあがった。

ほろ苦く、かぐわしく、まさに季節の味覚だった。命の恵みをもらったような感傷にすらひたる。

食に供されない食物の数々。放置されたままに山野。野の食べ物も、そのピースの一部なのか。

非日常が日常になってしまった現実。5月の眩さの中での妄語。

2014年5月10日土曜日

成人とは何歳か・・・はっきりさせる時

国民投票法改正案が衆院で可決された。今の国会で成立する。施行は4年後から。
投票権を持つ年齢は18歳以上。

憲法改正の手続きを定めた国民投票・・・。半数で改正が出来る。

異論は無い。年齢引き下げには。

でもね、それなら、普通の選挙の選挙権も18歳にするべきだ。いわゆる「成人」という国民的定義も18歳とすべきだ。

この“整合性”の無いところが嫌なのだ。だから改憲を急ぐための手段ととられる。ま、実際そうなのだけども。

成人。つまり大人ってことだ。すべての物事に判断力があるから大人っていう理屈だ。

18歳と20歳。その2年の差ってなんだ。

20歳までは酒も飲んではいけない。煙草を吸ってもいけない。法律はそう規定する。

でも、今はそう呼ぶのかどうかしらないが、ポルノ映画は18歳未満お断り。たしかパチンコ屋もそうだったような。

法律も社会通念も共通にした方がいい。

20歳以下の犯罪の対応もそうだ。まず、未成年ということでマスコミは決められた慣習通りに名前を伏せる。それがどんな凶悪事件であっても。
扱う裁判所も家裁と地裁とに別れる。留置施設も違う。

今や、18歳というのは立派な大人だ。大人と子供とどう違う。大人顔負けの子どもがいる。子どものままの大人もいる。
親離れしない子ども。子離れしない親。

大卒は22歳。入社式に親が同伴する。

体力だって18歳になればいっちょまえだ。いや、それどころではない。スポーツ選手で活躍しているのは15才であり、17歳であり、18歳。

中学生の時、バーベルを持とうとしたら先生から怒られた。「子どもは筋肉がまだ発育途中。筋トレなんかやったら、発育を阻害することになる」と。
今は15歳以下だってやっているはず。

「3・11」後、メディアを通していろんな若者のことを知った。被災地の子供たち、未成年者。「立派」な子がいたということ。自立した子がいたということ。大人の支えになった子がいたということ。

ボランティア活動に積極的に参加したのは高校生や大学生だったということ。

そして彼らから我々は学び、彼らも学んだということ。

東日本大震災は、多くの「強い若者」「考える若者」を輩出したということ。

改憲の手段としての18歳。姑息に見える。

全ての投票権、その権利の行使、社会生活への参加。「成人」なるものの枠を18歳にするべき。

あらゆることで個々人には「差」がある。しかし、どこかで「ライン」を引くとすれば社会規範全体で統一すべきなのではないか。

ばかばかしい話かもしれないが、スマホの扱い方、使い方は18歳未満の子どもの方が勝っている。使い方の判断力は20歳以上の若者の方が間違っていることもある。

画一的基準っていうのは好きではないが、改憲のための手段としての年齢引き下げに見えてしまうのは僻目か。
だったら首相公選制でも採用したらいかが。国民投票で。
見せかけの“代議制政治”には、いまや、うんざりなんだ。

2014年5月9日金曜日

原発をめぐる「死」と「生」

原発事故関連死、原発事故が故に亡くなった人が、ついに震災直接死者を超えたという。

自死。最初に知ったのは須賀川のキャベツ農家のことだった。ついで知ったのは相馬市の酪農家。“原発さえなければ”という遺言を牧舎の壁に書いて・・・。
102歳の人は「長く生き過ぎた」と書いてみずから命を絶った。50代の主婦も一時帰宅して住み慣れた家の庭で灯油を・・・。



とにかく。原発事故は多くの死をもたらしたのだ。

それらの「死」とは何だったのだ。

原発再稼働。それは生きている人たちの生活を”豊かにする“ためのことだ。
でも、その豊かさって本当に必要なものなのだろうか。

いまさらながらの、そして永遠の疑問。

すべてに於いて生きる者が優先されるということ。たしかにそうだ。
よりよく生きるためのこの世の中は存在するのだから。

そうするとあの原発関連死の人たちは“無駄死に”っていうことか。

弱かったから死んだのか。生きるっていうことは弱いものを見捨てることなのか。

原発事故現場。そこでも仕事中に亡くなった人がいる。遠因は過酷な労働環境だ。

被ばく線量との“闘い”の中で、結局は人海戦術しかとりえない収拾作業。


「国が前面に出る」と言った。全面なのか前面なのか。「ゼンメン」の字がわからない。

「いちえふ」を抱えている限り、福島は「フクシマ」であり続ける。

人口減がまた統計数字として出された。40年代には「消滅」する市町村もあるという。

福島県だった人口減は甚だしいはず。141万人の人口県になるという。すでにして事実上”消滅“した町村もある。

廃炉まで40年かかるとされる。廃炉作業にかかわる作業員は、この人口減の中で確保出来るのか。

ブラック企業だけではない。ホワイトアウトした原発の中で過労死は必ず起きる。

20数年後を見越した政治。それは、再稼働論議、再稼働価値観とは真逆にあるはず。
減った人口を電力が補うとでもいうのか。

「燕さえ 帰る巣のある仮の宿」

双葉町の老人が詠んだ句だ。仮の宿で、仮設で、また亡くなった人があったときのう聞いた・・・。

雨のせいも、気圧のせいもあろう。なぜか今日、ものすごく頭が痛いのだ。締め付けられるように。

2014年5月8日木曜日

「過去の人」だからこそ

小泉・細川コンビが動き出した。一般社団法人「自然エネルギー推進会議」というのを立ち上げた。そこそこのメンツの賛同者もいる。

名称こそ「自然エネルギー推進会議」だが、実態は脱原発だ。記者会見した二人はそのことを滔々と述べている。
小泉節には説得力がある。

もう政界を引退した人なんだから。過去の人なんだから。再稼働を目指す自民党を中心とした人たちの反応。一言で切って捨てている。
これがこの国の実情。

過去の人・・・。改憲論者は集会に大勲位中曽根を引っ張り出す。引退どころか足元もおぼつかない超高齢者。中曽根は過去の人ではないということなのだろう。

自分の事を書く。
長らく東京で政治記者をやってきた。原稿を書き、カメラの前でしゃべった。その時は、その時やらねばならないこと、伝えるべきだと思ったこと、デスクから言われたこと。それを取材して電波に乗せていた。それで満足していた。
テレビの前に、そのニュースを見ている人がいる。その人たちがどう思うかということはほとんど眼中になかった。
冗談のようだけど、まさに「送りっ放し」。

ニュース番組を立ち上げる時、企画書には必ず「視聴者目線で」と書いた。でも、それは実相を掴んで書いたものではなかった。
視聴者が知りたいニュースを提供していたのではない。こっちが勝手に「これがニュースだ」と、いわば押し付けて来たようなもの。
そのまま突っ走っていた。

福島に来て、やがて営業担当になった。いつも見ていたのは広告代理店とスポンサー。視聴率は気になった。その数字が営業の売り上げと密接に絡んでいるから。
そこでは見ていなかった。スポンサーの向こう側。つまり、その商品を買う消費者のことは頭のなかにあまり介在していなかった。

なぜか悶々と考えていた時がある。テレビ会社にいる人間として。

どこかで視聴者と消費者を分けて考えていた。しかし、それは全くの違いであって視聴者、イコール消費者だということ。

ある日、テレビ局を辞める羽目になり、一介の駄文書きになった。元テレビ、そんな“肩書”も使ったことはない。プロフィール欄には入れているが、それは「そんなに怪しいものではありませんよ」という微細なアイデンティティーだけのこと。

テレビからは「過去の人」になった。なってみて驚いた。テレビがよく見えるんだな。そこに長年居たからこそ見えてくるものがあり、多少の節制を保ちながらも、言えることが言えるんだな。そんなこと。

政治の世界でも然り。現役の頃は、自分が見たものが聞いたことがすべてだと過信していた。見えないものを見る目なんて持っていなかった。当の政治家だってそうだ。

「過去の人」になると、見えないものを見ようとしてくる。

まさに小泉・細川がそうじゃないのだろうか。

小泉構造改革を批判してきた。郵政民営化のばかばかしさも指弾してきた。
細川も小泉もそうだ。

現職の時は見えるものしか見ていなかったんだから。

過去を知る者は現在も見える。現在を見れば未来も展望できる。

「国民的運動」の旗振り役になると言う。振ってくれ旗を。

願わくば、彼らの陣営が「同床異夢」の集まりでないことを、小異をのみ言い立てる人が攪乱しないことを。

テレビをみていてびっくりした。郡山のなんだかわけのわからぬ「おばちゃん」が“当事者”然としてうろちょろしていた光景。引っ掻き回す人になってほしくないのだが。

ちょこっとだけ、この「細川・小泉連合」に期待してみようとも思う。自然エネルギーの展望は見えないし、この運動が海のものとも山のものともわからないが。雲散霧消無きことを祈る。

再稼働には一点の「利」もないはずだから。

2014年5月7日水曜日

かくてゴールデンウイークが終わり・・・

「国民的行事」としてのゴールデンウイークが終わった。

テレビのニュースは行楽地の光景、道路情報、天気予報・・・。新聞は憲法記念日を挟んでの憲法特集。

もちろん全てをつまびらかにしているわけではないが、福島は消えていたようなの感。

汚染水漏れも、作業員の働きぶりも、どこかでは行われていたであろう除染作業の様子も、5月の風がかき消してしまっていたような感。

全てが「連休明けに」で終止符の感。

連休を利用しての里帰り。福島への一時帰宅。三陸の海岸に翻る鯉のぼり。
話題が無いではなかったが・・・。

連休明け。福島では何が始まるのか。中間貯蔵施設の建設を巡る話し合いか。
遅々として進まない除染のことか。

ニュースの主流は韓国の客船事故。山の事故。なにやらわからぬ爆発事件。

外遊中の安部の動向も扱い小さいし。

ゴールデンウイークは家族連れでどこかに行かなくてはいけない。今に始まったことではないが、誰しもが右へ倣えのような風潮。毎年のことだけど。
皆が行くからどこかへ行こう。そんな空気感。

消費税引き上げの影響は・・・。おしなべて“響少ない”する安部への好意的報道ぶり。

安部の”戦略”ではないだろうが、世間の耳目を憲法や集団的自衛権問題、TPPの向けさせ、「フクシマ」は敢えて”消した”のではないか。それにうまくマスコミがはまったっていたのではないか。そんなうがった感。

「アンダーコントロール」は“嘘”だった。でも外遊先ではそのことは話題にすらならない。
「福島の再生無くして日本の再生は無い」。選挙演説の第一弾で、福島でそう明言した安部。

今は日本の再生はアベノミクス、経済成長。

韓国で起きた悲惨な海難事故が尾を引いている。現場の様子は、大統領の言動は伝えられるが、在日韓国人の声は報道されない。
彼らが“母国韓国”をどう思っているか知りたい気になる。

なんか「他人事」ではないような気がする。事故原因が過積載。それは経済成長の落とし穴。安全が二の次にされるという。
助けられたかもしれない若い命を助けられなかった。支援を求めなかった。もし、日本に援助を求めれば、なにがしかの助けにはなったと思うのだが。

冷酷な政治の現実がそれをすら阻んだのか。

韓国政府のうろたえぶりは原発事故直後の日本とも相似する。支援を断ったことも含めて。
菅政権は失脚した。朴政権は・・・。
「我が国は三等国家になった」。そうかの国の新聞は書いている。もしかしたら、韓国のマスコミの方が「自由度」は高いのかもしれない。ま、そう単純な話ではないだろうが。

犠牲者の悲しみの枠外で、金塊がどうだの、船会社と権力の癒着だけが報じられる。
繰り返し流される犠牲になった高校生の携帯の映像。どこか他国をもてあそんでいるの感あり。

ウクライナでは毎日のように自国民同士が殺しあっている。他国の介入に意味ありや否やの感。

「ベラルーシの対日輸出の第二位は線量測定装置だという」。歌人の歌をノートに書き留めた。
原発事故後、初めて見た線量計。農家の友人が買ったもの。ロシア製。値段はたしか60万円だったと聞いた。

なんやかんやの今日の亭主の一人語り。そういう亭主もご多聞にもれず連休ボケかもしれないの感。

2014年5月6日火曜日

「青春」とは・・・。二つの詩を借りて。

昨日、子どもと書いた。若者と書いた。そして思った「青春」ということ。

サミエル・ウルマンという詩人が書いた「青春」と題された詩。たぶん、松下幸之助が好んだことから有名になった詩だと記憶している。
その詩に出会ったのは40歳代。なるほど・・・って思ったものだ。


青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く「驚異への愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く、疑惑と共に老いる
人は自信と共に若く、恐怖と共に老いる
希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる


「3・11」後も、なぜかこの詩の引用が散見された。特に冒頭の「人生にある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」というくだりが。

今、あらためて読み返してみると、ウルマンが何歳の時に書いた詩かはわからないが、“青春の時代”にあった時の“老いたる時”への「心構え」を言ったようにも思えてくる。

実際に、この詩にある七十歳を越えてみると、とてもじゃないが「青春」ではいられないって実感が湧く。疑惑、恐怖、失望・・・。そうその通り老いているとも。

3・11前、「孤独」という言葉は、どこか都会を象徴する、そこを投影した言葉だと思っていた。

今、現実に突き付けられているのは、仮設での孤独死、孤独を生きる老人達。過疎、限界集落・・・。孤独は全国的な、潜在していたものが顕在化した実相なのだと気付く。

孤独・・・。それは詩ではないが、高校の卒業式での、3・11直後、式が出来ないからメッセージとして卒業生に送られた言葉がある。
それはやはり詩だと思う。

部分を抜粋して引用する。

「青春とは孤独を直視することなのだ。直視する自由を得ることなのだ。
大学に行くということの豊潤さを、自由に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。
流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

いかなる困難に出会おうとも、自己を直視する以外に道は無い。いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

海を見つめ、大海に出でよ。嵐にたけり狂った海に出でよ。真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。思い出に沈殿するな。未来に向かえ」。

“海を見る自由”と題された立教新座高校の渡辺憲司校長の言葉。

「青春とは孤独を直視することなのだ」。

今、この言葉が老人の僕にも響く。

詩人八木重吉は「秋の瞳」と題する項の序でこう書いている。
「私は、友がいないと耐えられぬのです・・・」と。

僕には友がいる。友はいるが時には孤独にさいなまれる。そして孤独の誘惑に、孤独でありたいと、孤独と対峙したいと思うもう一人の自分がいる・・・。

言葉は普遍的だ。しかし、何歳の時にその言葉と出会うかによって受け取り方も違う。それは“言葉の不自由さ”なのかもと。

そして思う。僕はやはり“青春”の中にはいないと。

2014年5月5日月曜日

「子どもの日」に想うこと

今日5月5日は「子どもの日」だ。
「こども」と書くか「子ども」と書くか「子供」と書くか。実は難しい。
新聞表記に従って「子ども」と書いてみる。

子どもの日。端午の節句と昔は言った。なんで端午の節句というのか。
それは置いておこう。

♪柱の傷は一昨年の5月5日の背比べ・・・♪
♪屋根より高い鯉幟・・・♪
♪甍の波と雲の波・・・♪

子どもの日にちなんだ童謡は数々あった。

それもさておき・・・。

子どもって何歳から何歳までをいうのだろう。

乳幼児や幼児は子供に入るのか、未成人は子供なのか。小学生までか、中学生までか。

昔、通っていた銭湯。小人、中人、大人って料金の区分けがあった。たしか中学からは、12歳以上は中人だったような。小人の間は母親と女風呂に入っていた。中学生になってから一人で男湯に入ったような記憶・・・。

どうも国が示す根拠は15歳未満ということらしい。

その15歳未満の子どもの数が33年間にわたって減少している。
日本の人口構成は、言われてきた“ピラミッド型”が破壊され、腹でっかちの“いびつな建造物”のような形になっている。

それはつまり、人口が大幅に減少していくということ。

そしてこういう統計は必ず都道府県単位で語られる。子どもの割合の高い順、低い順・・・。
それにあまり意味合いを感じない。
感じるのは福島県の子どもの数の推移だけ。
「6千人減だが、一昨年の1万1千人減より小幅だった。少しずつ除染が進み、子どもを連れた避難者が戻りつつある」と県も言う。

子どもの数が減っていく国。人口が減っていく国。労働人口が減っていく国。でも、今、この国の“指導者”達が打ち出す施策は、人口が変わらないか、むしろ増えるという前提で考えられているとしか思えない。

どうやって子どもの数を増やすか。官民挙げての最重要課題だと思えるのだが。

もしかしたら「子ども」の位置づけも変わってきたのかもしれない。15歳の女子ゴルファー、15歳だった頃の浅田真央。ソチ五輪で活躍した15歳のボーダー。
大人を負かす子ども。いや、もはや子どもでは無いのだろう。

郡山物語という本が出版されている。「3・11」後、子どもたちをどうやって守っていくのか。それに携わった人達の手記だ。その中で、柳田邦男は書いている。
「子供の心を育てるということは、まさに未来を膨らみのあるものにしていく事だ」と。

安部晋三は子どもの頃、祖父の家で「安保反対」と叫びながら走り回っていたという。祖父の岸信介は苦笑いしながらそれを見ていたという。
僕の弟の小学生の孫は、新聞を読むらしい。そして突然言ったという。
「集団的自衛権反対だ」と。祖父は感嘆しながら孫の話を聞いていたという。

何歳までを子どもと呼ぶのか。やはり15歳未満なのだろう。一般的には。だから15歳以上の“子ども”を指して「若者」と呼びたい。

歌人、一ノ関忠人の一句を若者に、いや、すべての子ども達にも贈る。
「若者よ、この辛き世を生き延びよ 怒れ、泣け、そしてしんそこ笑へ」。

2014年5月4日日曜日

「みどりの日」に想うこと

昭和天皇の誕生日が4月29日。亡くなられてからその日は「みどりの日」とされた。それが昭和の日とされ、きょう5月4日に「みどりの日」が移行。
昭和天皇の誕生日にちなんだ日だ。昭和天皇が植物への造詣が深かったことからその名が付けられた。

時の政権によって”誕生日、誕生記念日“がころころかわるってのもいかがなものかとも。

それはともかく・・・。

昭和16年の日米開戦時、昭和天皇は9月の御前会議で陸軍大臣東条英機に和歌を伝えた。
明治天皇の御製である。

「四方の海 みなはらからとおもふ世に など波風のたちさわぐらむ」

戦争回避の意向を東条は汲み取った。昭和天皇の意向を忖度し、東条は一時は“回避”に動いた。
しかし、結局、戦争回避にはならなかった。

日本には「和の文化」というのがある。東北学(自己流)を始めたきっかけも、
東北人は「和の民」だという見方からはじまった。歴史の一面から見て。
出雲の国譲りという逸話から始まって・・・。

物事ははっきり言うと角が立つ。角を立てずに和を保つための心がけとして考えられたのが和歌。
和歌に本心を託して、一皮くるんだようにして意を伝える。それは古今や新古今にもある“恋歌”でもそうだった。

解釈によって真意が伝わるだろう。そんな慮りがあったのだ。

しかし、解釈は人によって異なる。東条のように素直に感じ取った人もいれば、違った解釈をした人もいる。

「戦争をするなということではなく、起こした波風はなるべき早くおさめろ」という“四方の海”の解釈。

解釈開戦。それを昭和天皇がどう受け止められていたのかはわからない。
終戦時の聖断では和歌は使われなかった。

しかし、皇室には脈々とした和の文化が生きている。
歌会始という宮中行事が厳然と存在しているのはその証左なのだろう。

一昨年の歌会始め。平成天皇は「3・11」を詠まれている。

「津波来し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる」

そこには果てしなき鎮魂の意が込められているとみるのだが・・・。

和歌は一つのたった31文字で書かれた文学だと思う。

「あの道もあの角もなし閖上一丁目あの窓もなしあの庭もなし」。以前にも引用した。3・11を巡る名も無き歌人たちの“万葉集”。

皐月の今日、みどりの日の名に相応しいように、多くの花が、まさに万葉を開いている・・・。

そして憲法論議は、まさに「四方の海波騒ぐ」の趣であり・・・。

2014年5月3日土曜日

「戦争放棄」した国も攻撃されるのか

今日は憲法記念日。裕仁と大書され御名御璽のあるその憲法に敬意を払う。

護憲、改憲を巡り国論は盛んだ。単純な話し、占領軍、アメリカに押し付けられたとする憲法を否定し、自主憲法制定を言う人が、アメリカと同盟関係を強化し、集団的自衛権を言う。
「押し付けた側」のアメリカはどう思っているのだろうか。日本の憲法に対して。もちろん他国の干渉を受けたり、意向を伺う話ではないが。

こんなことを思ってみた。現行憲法の第九条。それは戦争放棄をうたったものである。こうある。

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


戦争放棄を憲法でうたった、平和憲法を遵守する国家を、いわば“素手”のものを他国が攻撃してくるのだろうか。
戦意の無い国を攻撃すれば、国際社会はその国をやっつけるだろう。

しかし、現実には「自衛隊」という軍隊がある。それは武力かどうか。他国を攻撃するための。まさに名の通り自衛なんじゃないか。

九条がある限り他国は攻撃できない。そう考えるのは甘いのだろうか。九条がこの国を守っていると考えるのは論理の飛躍なんだろうか。

埋まらない溝なのかもしれない。

明治時代、各地で自由民権運動というのがあった。福島県はその拠点の一つだった。各地で燃え盛った自由民権運動。その一つに五日市憲法というのがある。

美智子皇后が去年の誕生日に述べられた言葉がある。

「5月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり例年に増して盛んな議論が交わされました」と述べ、あきる野市を訪れた時に見た五日市憲法をしきりと思い出していましたと続けている。

19世紀末の日本で、市井の人の間に、すでに育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかとも。

改憲にすすむさまをやんわり批判されたものと受け止める。

「国民の自由権の保証、法の下での平等、教育権と義務教育、地方自治」。今の憲法につながる理念が204条にもわたってかかれている。五日市憲法の草案には。

皇室の中にある憲法観。改憲論の中にある憲法観。そこに齟齬は無いのか・・・。

開戦時に昭和天皇が御前会議でわざわざ引用された明治天皇の御製。終戦時の詔勅に込められた真意。

「義命の存するところ」と安岡正篤氏が進言し、「時運のおもむくところ」と替えられた経緯。


憲法と福島県を考える。13条の生命、自由、幸福を追求する国民の権利を。
25条。すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

改憲論議とこれらの権利は乖離したまま。

「利害関係の対立する他者と話し合いで妥協点を見出していくプロセス。それを民主主義と言う」。

まだまだ議論の、それこそ熟議の余地はあるとも。


都内の一主婦が思いつき、ノーベル平和賞に憲法9条をと申請した。日本国民が受賞者だとして。
ノーベル委員会は推薦を受理した。なかなかの発想。
佐藤栄作元首相だって平和賞を受賞していることだし。こんな静かな運動っていいなとも思う。

2014年5月2日金曜日

「いちえふ」にクールビズは無い

また今年も、嫌な言葉、が厭な言葉の季節になった。

「クールビズ」っていう言葉だ。

男がだらしのない格好になる季節だ。

事の、その言の本意かどうかはともかく、「衣食足りて礼節を知る」という論語の一節が想起される。足るというのは満たされているとことではない。整えるという意味だと解釈している。

このクールビズ。10年前から始まった“悪しき慣習”。

環境大臣が公募して、それを定着させた。いわゆる“省エネ”が目的だとして。

6月から9月の末まで。そう、その頃は「衣替えの時期」と言っていたのだが。

スーツ姿の男がネクタイをはずすだけ。だらしのない襟元。断固反対をしてきた。貫いてきた。
それ以前には省エネルックなんていうのもあったが。

「3・11」を機に、それは5月から10月の間とされ、「節電のため」がうたい文句。

電気は他ではじゃぶじゃぶ使っているのに。上着を着なくてもいいらしい。

気温は日々変化する。まだ東北の一部や北海道は寒い。朝晩は暖房も必要だ。

でも「お上」の“指令”。猫も杓子もクールビズ。

ネクタイをしないスーツ姿。“クリームを入れないネスカフェ”よりまだひどい。

みっともないんだよ。

デパートの洋服売り場ではこぞって「クールビズ、クールビズ」。
最近はシャツもそれなりにオシャレなものも登場し、当初のような間が抜けた格好ではなくなったようだが。

私は「古い人間」なのかもしれません。背広は、スーツは男の“戦闘服”だと心得ている人間です。

学生時代は一年中、学生服、制服で過ごしてまいりました。下着で調節、冬はコートは着ましたが。詰襟の学生服。

不良は襟のホックをはずしていました。襟元がだらしないと叱られたものです。家でも学校でも。

どうも今のファッションはネクタイをしていてもきちんと締めない。襟のボタンをはずし、ゆるく締めている。

ファッションって誰が決めるんだろう・・・。

無職になった今でも、ネクタイは着用しています。それは礼儀だと思うから。

服装で、人間の心がけも変わる。

だらしのない格好からはだらしのない発想しか生まれない。医者が常に白衣を着用しているのは仕事に対する矜持だとも思う。

和服で襟元を抜いてみたり胸元をはだけるのは素浪人の格好とされた。

軽装が省エネにはつながらない。どこもここも冷房は効いているし。

だいたいこの”制度“が出来たときは室温は28度に設定、そのかわり・・・っていうことだったはず。

5月で28度の日ってそんなにあるのかい。

まさかと思って辞書を引いてみた。あったんです。クールビズってのが記載されている。
「cool+business」って。「勤め人が職場で身に着ける夏の軽装を指す言葉。基本的にノーネクタイで背広の上着は状況に応じて着たり着なかったり。地球温暖化防止に沿った省エネルギー運動の一つ」って。

辞書にも登用されてる言葉。

「舟を編む」ってこういうことなのかい。

「いちえふ」「1F」。福島原発の事故現場。これから作業は過酷な季節に入る。

あの重装備。タイベックススーツ、ゴーグル、マスク。足元も襟元もガムテープ状のものでぐるぐる巻き。
クールビズとは無縁の世界。

何も原発作業員と同じ格好をしろと言っているのではありません。

それは彼らの、今の“戦闘服”。

就職活動をする学生は皆黒のスーツ。それをリクルートなんとかと言い、黒の中に個性が埋没され・・・。

私の時代は詰襟の学生服が就職活動のフォーマルなものだったのですが。


♪・・・曲がったネクタイ直させてね。あなたの背広や身の回りを・・・♪

こんな歌はもう誰もうたわないんだろうね。今日でお別れ。

ネクタイって個性を表現する男の“武器”ですらあったと思っているのだが・・・。

2014年5月1日木曜日

五月の一日に・・・

もう5月なのだ。早い。一年の三分の一が終わったのだ。

爽やかな五月。郡山の道路や街のあちこちに、今日という日を待ちわびたかのようにハナミズキが一斉に花を開いた。

もしかしたら一年で一番いい季節かもしれない。やがて田植えが始まる。水をたたえた田んぼにはカエルの声が響き渡たる。

昔、よく通っていた東京電力福島第一、第二発電所。正面入り口からホールのあったところまで一面花で埋め尽くされていた。見事に手入れされて。これとて“記憶の中の光景”か。

季節の便りがうれしい便りも運んできてくれる。

毎日新聞のカメラマンが4月26日の夕刊を送ってきてくれた。福島では読めない夕刊。

2面の全面を使って彼の写真と記事が載っている。

Eye 見つめ続ける大震災。
福島の日常潜む侵入者 点在するモニタリングポスト。

見出しだ。

写真はそのモニタリングポストがある県内の光景を切り取っていく。
福島市、郡山市、川俣町、川内村、雪の北塩原村、桑折町と。

桃畑の脇のそれ、陽だまりのベンチで憩うお年寄りの脇のそれ、マラソンびとが行き過ぎる農産物直売所の脇にあるそれ、通学路にあるそれ、運動会のグラウンドにあるそれ・・・。

彼は記事の中で書く。
「校庭や公園、駅前広場といった何気ない景色にデジタル数字のパネルを伴った機械が紛れ込む。その存在を不思議がったり表示を気に掛けたりする人々の姿はほとんど見ない。今では福島の日常風景に定着してしまった感がある」。


4月、桜を見に近所の公園に犬を連れて行った。そこのパネルの数字は0,338μ。誰も気にしていなかった。数字が“孤独”を放っていた。
記事は続く。

「震災や原発事故を境にして、私たちの現実世界には数々の大きな変化が生じた。大切な人を亡くしたり、大切なものを失ったり、大切な場所から離れたり。
可視と不可視、日常と非日常、震災前と震災後―。ソーラーパネルと電光掲示板を備えた白いカプセルや銀色の箱に遭遇するたび、福島の現実を駆け巡るいくつもの境界線が、そこで交差しているように思えてならない」。

彼と初めて会ったのは去年。数週間の福島取材を終えて東京に帰る前日だった。
夜、酒を酌み交わし、いろんなことを話した。彼は静かに聞いていた。

東京に帰った後、彼はこんなことを書いてきた。
「高層ビルの立ち並ぶ東京駅に降り立った時、安堵感とともに、“うしろめたさ”を感じた」と。

そして今回も手紙が添えられていた。
「東京から福島に通い続ける“よそ者”の視点ではあるが、読者に何かを感じ取ってもらえればと願っている。これからも私に出来る形で福島に接し続けていきたい」と。

新聞を切り抜き、記事と写真をファイルに入れた。
彼はまたきっと福島に来るだろう。その時はまた一晩飲んで語りたい。

5月1日はメーデーだ。かつては労働者の祭典と言った。労働組合の最大組織「連合」は、すでに先月25日、安部を来賓に招いて“祭典”を終えている。
権力に限り無くすり寄る「連合」という労組組織。

きょうは全労連、全労協が代々木公園で、日比谷公園で集会を開いているという。

原発作業員を守れない労働者の組織・・・。無くなった境界線、親密に交差する労使・・・。

郡山でも集会が開かれているのか。遠くからシュプレヒコールのようなものが聞こえてくる。5月の風が運んでくる・・・。