2014年12月31日水曜日

「・・・そして鐘は鳴る」

あと数時間で除夜の鐘が鳴らされる。日本中の寺のあちこちで。その鐘は108つの煩悩を断ち切るということだそうだが。

「静謐とした鐘の音に心耳を澄ます」ということだろうか。

流行りである「今年の漢字」。それは「税」だった。違う。「怒」だ。
二文字が許されるなら「憤怒」だ。
去年から一昨年から今年も、憤怒の川は渡れていない。

「税」と言う字を“抵抗感”も無く大書した清水寺の管主に違和感を覚える。

もっとも、この年末の土壇場に来て、税制改正大綱が決められ、それはどう見ても「金持ち優遇税制」に思えてならないということ。歳の瀬までの“話題”ではあったことではあるが・・・。

人間の中にある怒という感情。それを“哲学的”にとらえようとどうしようと無くしてはならない感情であり本質だ。

それを忘れてしまっているかのような多くの日本人がいるということ。
「怒り」を忘れたら、そこには何が残るのかということ。
多くの福島県民は、多くの被災者は、静かなる怒りの胸の中に秘めているはずだ。
決して「怒り」を忘れた民では無いはず。

年末年始、日本人にとってはやはり「特別な日」なのだ。
歳末助け合い運動なんていうのがあった。

歳を越すのに生活に困っている人たちを思う運動だ。
帰省ラッシュがあり、多くの家では、それぞれが正月を愛でるための、祝うための、それぞれの「ご馳走」で歓待し、祝い合う準備に追われている家庭もあろう。

東京の渋谷では、いわゆる路上生活者が、“拠点”にしている公園を追い出され、それこそ路頭に迷うという光景。今に始まったことでは無いが。
“公園”の中、そこは彼らにとっての「帰る場所」なのだが。そこを追われるということ。
炊き出しが路上で行われているという。

柳美里の「JR上野駅公園口」という本が頭に去来する。

富める者は富める者なりの年末。貧しきものは、貧しき者なりの年末・・・。


あの日以降、4回目の大晦日だ。

鳴らされる鐘の音は鎮魂の音である。そう聴く。
そして弔鐘とも聴く。

「誰(た)がために鐘は鳴るやと。そは、我がために鳴るなり」。

あの日失われた多くの命、その後無くなった震災関連死の人、そして、今なお海の中に眠っているであろう人たちへの。
多発した自然災害の被害者への。

家の近くに寺がある。宝光寺という。窓を開ければそこでつかれる鐘の音が耳朶に届く。しばし、寒気に耐えてその音に耳を傾けるつもりだ。

過ぎ行く一年を振り返るという。振りかえって特筆すべきものは何もない。

卑近な話し、県内の住宅の、双葉郡を除いた35市町村の除染進捗率は60%にも満たない。道路、山林に至ってはその数字は極めて低い。

振り返るとすれば、この4年間の全てだ。

雨が雪に変わりそうな気配。雨はすべてを流してはくれない。雪はすべてを溶かしてはくれない。

仮設住宅に門松が立てられ、しめ縄も飾られているという。

誰にでも、万遍なく、公平な大晦日であり、新年であって欲しいと思うのだが・・・。

2014年12月30日火曜日

テレビに何を見るか・・・

年末年始、日常の「光景」としてあるテレビはその姿を大きく変える。
いわゆるゴールデンタイム。夜。
何時間もぶち抜きの「特番」「特番」。そのほとんどがいわゆるバラエティー番組だ。今“売れ筋”のタレントを使っての。

新聞のラ・テ欄を見る。見たい番組は皆無に等しい。年末、年始は、テレビは家庭の“主役”だ。でも、そこには見たいものが無いということ。

ニュース番組は、当然の如くにその座をバラエティーに、しかもそのほとんどが事前収録されたものに奪われる。

かつてテレビが「急成長」を遂げていた時、大宅壮一が発した言葉。
「一億総白痴化」。
至言だったのかもしれない。

だから、あの世代のテレビ人は考えた。テレビの在り様を語りあった。テレビはいかに在るべきかを。

常日頃言ってきた言葉がある。
「テレビが出来ることをテレビがやる。テレビにしか出来ないことをテレビがやる」。

もちろん以前からも大なり小なりあったことではあるが、2014年のある日、テレビは、大きな力による「恫喝」に屈した。
雪崩を打つようにテレビは、テレビ報道はつまらなくなった。

テレビは世相との合わせ鏡だ。番組だけではない。民放のCMとて然りだ。

「歌は世に連れ、世は歌に連れ」。昔歌謡番組の司会者が常用していた名セリフだ。「歌」を「テレビ」に置き換えて読み解けば分かりやすいかもしれない。

テレビの側は自らが伝えたいことを伝えているのか、伝えようとしているのか。
テレビは視聴者が見たいと思っているものを作っているのか。
能動的なのか受動的なのかという「テレビの在り方」。

視聴率というものがある。今は日本テレビ系列が「三冠王」をとっている。
視聴率とは何か。その「商品価値」だ。広告主に高く買ってもらえるかどうかの「尺度」に過ぎない。
でも、テレビは視聴率に一喜一憂する。内容が重要なのではない。何人の人が見たか見なかったかということ。広告効果があるか無いかということ。

そして、CMと言うのは、視聴者の購買意欲を掻き立てるものだけではなく、一つの文化として、その時代を「表相」するものだった。
短いCMが、その時代をうまく表現していた。

広告評論家でありコラムニストであった天野祐吉さんと言う人がいた。「CM天気図」という欄だったか。彼が毎週論じるテレビ論。軽妙洒脱な語り口。
彼の指摘は、テレビ人にとって「クスリ」でもあったのだが。
彼が亡くなってから、また、テレビは余計つまらないものになって行ったような気がする。

テレビドラマも全くつまらないものになった。映画ならまだ観る側に選択権がある。テレビはその日放送されるものしか放送しない。
テレビの存在は大きい。その影響力も大きい。
テレビ人が、それをどれくらい「自覚」しているのか。その自覚は時によっては“傲慢さ”になって登場する。

ある意味、テレビは危機的状況に置かれているのかもしれない。ネットとの関係は除外視しても。

バラエティー番組で、「お茶の間」に乾いた笑いを提供しているだけがテレビではない。
映像という手段、同時性という手段、居ながらにして接することが出来るテレビ。

何時間もテレビの前に座っていられる人は少ない。特にこの年末年始と言う時期。

テレビがやるべきことはあるはずだ。福島の事は福島の中のテレビがやっていればいいということではない。
阪神淡路大震災のその後も、沖縄の事も、8月だけのことではない広島、長崎のことも。そして、今、目の前に横たわっている「福島のこと」。

テレビがある種の執拗さをもって伝えなければ、それらは「忘却の彼方」に行ってしまうということ。

ひと時の乾いた笑いよりも、将来に向けた考える材料を提供するのもテレビの使命なのだと。

ラ・テ欄を斜め読みしながら“暗澹”たる気分にさいなまれる年の瀬・・・。

テレビで何の番組を見ますか、ではない。あなたはテレビに、そうテレビに何を見ますかということ。

2014年12月29日月曜日

首相の“名言”


かつて、竹下登が首相に就任した時、こんなセリフを吐いて煙に巻いていた。

「歌手1年、総理2年の使い捨て」。

ズンドコ節を借りて「10年経ったら竹下さん」などの名セリフも。そう、雌伏10年どころではなかったが。

竹下内閣は1年ちょっとで終わりを告げた。

小泉純一郎は吠えた。「自民党をぶっ壊す」と。
結局、なにも壊れなかった。
“巨大自民党”が「誕生」しただけ。

岸信介の“名言”はなんと言っても「声なき声を聞け」。安保改定の時だったが。
その孫の安倍晋三は昨夜、横浜であったサザンオールスターズのコンサートをご夫妻で鑑賞。ご満悦のご様子だったとか。

何を思ったかステージ上で桑田圭祐は歌詞にアドリブでこういったという。
♪解散なんですと無茶を言う♪。

会場は大喝采。これを声なき声と聞いたか、声ある声と聞いたか。安倍はのけぞっていたというが。


田中角栄にはいろんな語録がある。その一つ。

「戦争を知っている奴が世の中の中心である限り、日本は安全だ。戦争を知らない奴が出てきて日本の中核になった時、怖いなあ。しかし、勉強して貰えばいいやなあ」

石破茂は角栄派にいたはずだ。

「新聞は嘘ばかり書いている。記事の中で嘘が無いのはラ・テ欄と死亡記事、それに、株価だけだ」。

新聞が角栄批判を書きまくっていた頃、彼は言った。
「批判するのが君らの商売。書きたいように書けばいい。その批判を無くするような政治をするのがワシ等の商売だ」と。

そして総理大臣の辞任声明。
「わが国の前途に思いをめぐらすとき、私は一夜、沛然として大地を打つ豪雨に、心耳を澄ます思いでございます」

「沛然」とは雨が激しく降る様子を指す。

きょうのそぼふる雨が、その雨を見ながら、角さんの言葉のいくつかを思い出している。

心耳と言う言葉。安岡正篤氏が、添削にあたり、「心」という字を入れたという。
安岡正篤氏とて、田中を「惜しい奴だ」と思ったからだろう。

目下、安倍語録は「この道しかない」だ。

その道が善政なのか悪政なのか、わからないが。

政治学者二人の対談をどこかで読んだ。こんな指摘があった。安倍について。

・・・私が第1次安倍政権のときにしたインタビューでも、「自分は小泉さんのようにはしゃべれない」と話していた。被害妄想、コンプレックスがあるんでしょうね・・・。
・・・小泉さんはテレビ向けの政治家だったけど、安倍さんはツイッターやフェイスブックで訴えるインターネットの人と感じます。
感情的になればなるほど、盛り上がる。感情を表に出して好きなことを言って、賛否両論が入り乱れて“炎上”しても気にしない。キレ芸。その割には支持率が下がることもない・・・。

そういえばテレビで「キレて」いたな選挙中。

そういえば安倍のフェイスブック、明恵夫人のフェイスブック。両方フォローさせていただいている。

安倍のフェイスブックには確かに多くの「いいね!」が押されている。数千人が、いや時には万か。
かつてはコメント欄に批判する意見が書き込まれていた。いつの間にか、そんなコメントは見られなくなった。
推測するに、“管理”は秘書か事務所の人間がやっているのだろう。批判的意見は見せないようにしているのかもしれない。

だめだよ。“裸の王様”になっちゃうぜ。

選挙後あった夫人の投稿。
「主人と二人、半沢直樹をみています」。あの俳優の写真つきだ。あの“倍返し”という名セリフの。

誰に、どこに「倍返し」をしたいんだろうな・・・。なんて思ったという蛇足。
夫人のフェイスブックでは批判的コメントも削除されている気配はきょうもなかったけど。

雨が雪に変わりそうな気配だ。

2014年12月28日日曜日

「誰も納得していない」と住民は言った

福島県の南相馬市にあった「特定避難勧奨地点」がきょうをもって解除された。
142地点、152世帯が対象だ。
これで県内にあった特定避難勧奨地点はすべて無くなったことになる。

こう書くと、いかにも「復興」なるものが「復旧」なることが進んでいるように受け取られるかもしれない。

解除を決めたのは政府の原子力災害対策本部だ。この夏に実施されてモニタリング調査で、年間の積算線量が20ミリシーベルトを下回ることが確実になったというのがその理由。

年間10ミリ、一日0,23μ㏜。この数字が、除染を含め、“被害”の基準だったが、これも20ミリに引き上げられた。

帰還に向けた住民説明会は数度行われてきた。そのたびに住民からは「まだ線量が高い。なぜ解除するのか」という疑問が多く出されてきた。
最後の説明会でも反対一色のような空気だったにも関わらず、国は解除を決めた。

国の真意がわからない。

ほとんどの住民は帰還しないという。「住民の理解が得られないままの解除」ということ。そこに住むのは、その住民だった人のはずなのに。
そこに住むべき人たちは「納得」していないということなのだ。

避難指示は解除された。でも誰も帰らない。

いわゆる「ホットスポット」なるところを巡る福島の中の「小さな実相」。

納得と言う言葉の意味を考える。そこにある「線量」の実態を問題とするのか、国の方針、説明を指すのかも含めて。

「丁寧な説明をしていく」。もう耳にタコが出来るほど聞き飽きた言葉。その説明がなされたのだろうか。今回だけのことでは無い。たとえば中間貯蔵施設をめぐる動きだってそうだ。

都路地区への帰還の時のそうだった。

南相馬市だって、国と住民の間にたって有効な施策はとれない。市は健康調査などの検査体制を充実させると言うが、それは「納得させる」手段足り得ない。

特定避難勧奨区域に指定されていたところは、たとえば川内村の一部や伊達市にもあった。解除されている。でも、帰る人はほとんどいない。

「帰れるけど帰らない」。

そこには“賠償金”の問題もあるかもしれない。

国を一方的に責めてもラチがあく話でも無い。

4年という歳月が生んでしまった事象なのかもしれないが。

歳の瀬になって、揺れ動く南相馬の7つの行政区の人たち。

どんな思いで新年を迎えようとしているのだろうか。仮住まいで年越しのささやかな準備をして気を紛らわしているのだろうか。

国にすれば「年内決着」ということなのだろうか。

2014年のうちに特定避難勧奨区域が無くなった。
誰がそれを誇らしげに言うのだろうか。

152世帯の苦悩する人たちが存在するということ。

住民合意を言い、丁寧な説明と言う言葉に内在する“民主主義”。そんな観点からこの事象を見るのは大仰なのだろうか・・・。

2014年12月27日土曜日

「全てはテレビが頼りだった・・・」。

政府事故調の議事録、調書。おととい公開されたものの中には福島県知事や双葉郡の関係町村、その長や自治体職員の証言も入っている。

ある意味驚いた。

「避難も含め、テレビの情報がすべてだった」とされていること。

県知事は「テレビにしがみついて、冷却のための電源車が一刻も早く到着してくれないかと(願っていた)」。

避難自治体の職員は、どこからも何の連絡も届かない中、テレビの情報を元に判断を迫られていた。
避難指示が出されたことも「テレビで初めて知った」と言う。

オフサイトセンターにいた県職員も言う。「経済産業省から事前に連絡があった事項は、12日の午前6時に1Fから10キロメートルの避難指示の時のみだった。あとは報道で知った」と。

地元テレビの映像は「爆発」の模様を、そのまま伝えている。官邸で記者会見している官房長官は、テレビで流されたようですが、もっか調査中です。

1Fと東電本社はテレビ会議でつながっている。その模様は官邸含め、国は知っていたはず。

現地にはそのほとんどが伝えられていない。
テレビ報道をもとに、それぞれが判断して決めたに等しい避難行。

あの時覚えた怒りが込み上げてくる。

スピーディーの公開とてなく。

たしかに通信状況は、完全では無かった。それでもだ。
国は、東電は「伝える」という努力を怠っていた。極論すれば避難民は念頭に無かったということだって言える。

あえて言えば「無用の混乱は避けたい」という言い訳。

テレビとは何か。あらためて考える材料が提供されたと思う。テレビだけが唯一の情報源だったということ。

ならば、それ以降もテレビは正しい情報源としてあり続けていたか。
ある時から50キロ圏以内の取材自粛指令までが出された有様だったはず。

避難情報、それをどう伝えるか。再稼働が言われている原発で、それの完備が審査基準にされているのだろうか。

「情報が無い。情報が無い」。被災自治体も被災住民も、避難住民も、皆それを言っていた、問題視していたというあの時の状況。

政府の対応、東電の対応。解せないことがまだまだあるのだ。

片や、テレビ人は、これらの「証言」をいかに聞くかだ。唯一頼りにされていたメディア。
胸を張って「その使命を果たした」といえるのだろうか。

テレビはいかに在るべきか。頼りにされていたことが明らかにされた今、あらためてその「使命」を再確認してほしいのだ。頼りにされている以上、それに応える義務があるということを。

事故当時のことから離れる。昨夜NHKスペシャルは「甲状腺がん」がテーマだった。
事前収録の番組だから致し方ないのかもしれないが、その前日、県の被ばく甲状腺検査で新たに5人が疑いありとされている。
県は被ばくの影響は考えにくいと言っている。医師も「まだ2巡目の途中だから結論は出せない。慎重に評価すべきだ」と言っている。

なんであれ、患者がいることは事実なのだ。それの原因のあらゆる“可能性”を疑ってもいいのではないか。それを前提にしてものを考えてもいいのではないか。

番組で言われていたのは、「何を信じていいのかわからない」「もう考えることをやめました」という母親の声。
なんだか“隔靴掻痒”の感を否めない番組だったかなとの感想・・・。

「証言」にある「テレビが頼りだった」。その言をテレビは“記憶”してほしい。
あきらかに恫喝や依頼による影響ありと見られるテレビ。それは本来のテレビの姿では無いと思うのだが。いつも「頼られるテレビ」であって欲しいのだ。

2014年12月26日金曜日

「空腹」ということ

昨夜の7時から今日の午後1時過ぎまで、全く何も食べていませんでした。
最近は年齢のせいか、あまり空腹感というのが無く、食もほそくなってはいるのですが。

病院での「検査」の為です。今朝、病院に行き、採血、結果待ちがあって、CTとMRIの検査。

CTはいわゆる蓄膿というか副鼻腔炎のため。MRIは、今夏、転倒したことによる血腫の有無を調べるためのもの。造影剤入れるための絶食命令だったのです。

MRIの機械に入って居る時が空腹の絶頂期でした。あのうるさい検査音の中に身を置きながら、空腹のことを考えていました。

食べられない子どもたちがいることを。僕はあと少々の時間が経てば食えます。先は見えている。あの食べられない子どもたちは、空腹に耐えながら何を考えているのだろうかとか。世界中でも、日本の何処かでも。

戦後の「餓えた子ども達」の一人でした。家の中に何も食べ物が無かった時もあります。子どものころの写真はやせ細っています。
母親がなんとか手当てしてくれて、メリケン粉だけを湯の中に、醤油味の汁の中に入れた「すいとん」は“満喫”しました。今の食べられません。

給食だけは、時には給食費を持っていけないという肩みの狭い思いは何度もしたものの、脱脂粉乳とコッペパンは今でも嫌です。

何時の間にか「飽食」の中に身を置いていたようです。

どうってこともない空腹の時間。なぜか3・11を思い出していました。
あの日の夜、何を食べたか、食べたのか食べなかったのか、あまり覚えていないのです。調理などはおぼつかない状況でした。余震が続く中、いつでも外に出られるように普通の服を着たまま、とにかく散乱した家具やガラスの破片を脇に寄せて、横になれる場所だけ作り、身を横たえていました。

きょうもあの日と同じように、小雪が舞い、寒さが募っていました。

壊れなかったテレビを持って来て、その小さな画面で、夜通し伝えられる被災地の様子を見ていました。寒さに震えながら、屋上や山の上に逃れた人。あの時の、それからもしばらく続づいた寒さと飢えとの闘い。
心中、いかばかりだったかと・・・。

避難所には餓えた人の眼がありました。支援物資が届き始めた時でも、そのギラギラした、刺すような眼は消えていませんでした。

「生きるためには食べなければならない」。簡単な言葉ですが、“真理”です。
そして、食べるのものを作るところが“奪われた”。

さっきようやくコンビニのおにぎりを二つ食べました。
空腹は体力を失います。

あの時、二日も三日も食べるものが無い生活をしていた人が、何万人もいたということ。空腹は思考力の低下をも招きます。
よく耐えられたなと・・・。

数時間後には「食べられる」という“希望”。いつになったら「食べられるのか」という“絶望感”。くらべものになることでもありませんが・・・。

食べる物も無い“悲惨”な満州からの引き揚げ。戦地での、とにかく食べられると思うものは何でも食べたという兵隊さんの体験。

数十分のMRIの中で脳裏に浮かんだこと。全くもって愚にもつかないことですが。

朝飯抜きの人間ドッグも何回も経験してきました。

でも、3・11後、「食べる」ということの“価値観”が自分の中で大きく変容したような気がします。

たしか、3・11後、翌日、食べ物を届けてくれた知人がいました。その後も“補給”を依頼したら、早速何がしかの食べ物を届けてくれた友人もいました。
どうやって手に入れたのかはわかりませんが・・・。
何処にも何も売っていない数日があったことは事実でありました。

戦後と災後と。空腹に、言い様も無い恐怖感すらあるのです。

はてさて検査結果がどうでるのか・・・。こんな気がかり、つまり“日常”に染まってしまっているということでしょうか。

そういえば、災後、腹を空かせた野良猫が我が家にやってきていました。今ではすっかりベランダに居ついているようです。けっこう太りました。寒さをしのげるように「蓄えて」いるのでしょう。
犬と窓越しには”挨拶”を交わしているようですが。仲がよければ家にいれるんだけど・・・。せめて「餌」で我慢してくれよな。ちょっとした罪悪感ありで。

2014年12月25日木曜日

「決められない自分の人生」


きょうもまた見ることが出来た。NHKの「被災地からの声」。
本宮の仮設住宅が“舞台”だった。浪江から移ってきた人たちの声。

11人家族だった人が3人暮らしになっている。
語る言葉も持たない人も。
本宮で友達が出来た人も。

浪江のほとんどの場所は帰還出来ない地域だ。解除準備区域や居住制限区域もあるが、宿泊は出来ない。家を見に、片付けに日帰りで数回行くしかない。

家は大方が荒れ放題だ。人影の無い町だ。

「帰る」という命題。仮設に居る人たちは「帰りたい」という。でも、本心では諦めている。一時立ち入りで見た光景を思えば諦めが支配する。

でも、戸惑っている。頭の中ではわかっている。帰れないということを。でも、心の奥襞の部分では、やはり「帰りたい」という願望がある。

新しい生活を始めた人もいる。その人たちも将来の生活がどうなるかは不安で一杯だ。

仮設がいつまであるのか。帰れないならどこへ行く。自分の生き方を自分では決められない人達がいるということ。

この番組を「お涙頂戴」と言った人もいる。東北だけの放送をさして「傷のなめ合いだ」と言った人もいる。

そこに居る人たちは「奪われた日常」をどうにかして取り戻したいと思っている。仮設暮らしが「日常」だと思っている人はいない。日常視化されてはいるが。

そして、奪われた日常の中で、どうにか支え合って生きている人達が居る。そのことは“忘れられて”いる。
そういう人達が居ると言う“現実”を付きつけてくれるだけでもこの番組には意味を見出すのだが。

南相馬の原町区に住んでいた若松丈太郎という老詩人がいる。
「3・11」後、詩人が書いた「神隠しにあった街」という一文に接した。
それはチェルノブイリの後、現地を訪れて書いたものだが、そう15年以上も前に書かれた彼の地の描写が、そのまま、3・11後の福島に当てはまっているということ。

災後、彼は詩を書かなくなった。書けなくなった。ようやく、新たな詩集を書いた。「我が大地よ、ああ」という詩集。
装丁に書かれている言葉。「原発爆発しっちまって」。

「ひとのあかし」という詩が載せられている。

“ある時以降、耕作地があるのに作物を栽培できない。家畜がいるのに飼育できない。魚がいるのに漁が出来ない。ということになったら、人は人であるとは言えないのではないか”

双葉郡8町村から避難してきている人には、賠償金というカネの話がついてまわっている。それを巡っての反目しあう人間関係も生まれた。

“奪われた日常”。その不条理、理不尽。それはカネ目では償えないものなのだ。

仮設の集会所では、支援や慰問が行われている。多くが「励まし」だ。

考える。

それは行われているかもしれないが、この詩人の詩を朗読するってことはあったのだろうか。それを読むことは避難者の心の傷に塩を塗りこむってことになるのだろうか。

悲しみや苦しみ。それはどん底までいかないと“再起”にはつながらない。
哀しい時に悲しい詩を読みふけり、自分をどん底に追い込んできた人生をやってきた覚えがある。

自分の人生を自分で決められない。当ても無く待つだけという現実。
他人事だけど、哀しい。

2014年12月24日水曜日

“偏屈”おやじのクリスマス

今日はクリスマスイブ。世界中の“国民的行事”としてのクリスマス。
そして第三次安倍内閣が発足する。
田中内閣が発足したのが7月7日。「七夕内閣」と呼ばれた。

クリスマスイブの組閣。「クリスマス内閣」と呼ばれるのか。
安倍はサンタクロース足り得るのか。
国民がこぞっていただいた“クリスマスプレゼント”。
もうしばらくはこの人達を付き合っていかなければならないのだろう・・・。

それはどうでもいいことのようでもあるのだが。

メリークリスマス、メリークリスマス。そしてメリークリスマス。

もう10年も前に歌われていた歌が、今のクリスマスの光景にも似合うかもしれない。

メリークリスマス 二人のためのワインと、それから君への贈り物を抱えて駅を出る
メリークリスマス 外は雪模様 気づけば、ふと見知らぬ誰かが僕にそっと声をかけて来る
メリークリスマス 振り向けば小さな箱を差し出す助け合いの子供達に僕はポケットを探る
メリークリスマス 携帯電話で君の弾む声にもうすぐ帰るよと告げた時のこと
メリークリスマス ふいに誰かの悲鳴が聞こえた、正面のスクリーン激しい爆撃を繰り返すニュース
メリークリスマス 僕には何にも関係ないことだと言い聞かせながら無言でひたすら歩いた

メリークリスマス 僕達のための平和と 世の中の平和とが少しずつずれ始めている
メリークリスマス 誰もが正義を口にするけど 二束三文の正義 十把一絡げの幸せ つまり嘘
メリークリスマス 僕はぬくぬくと君への 愛だけで本当は十分なんだけど
メリークリスマス 本当は気づいている今のこの時も、誰かがどこかで静かに命を奪われている
メリークリスマス 独裁者が倒されたというのに 民衆が傷つけ合う平和とは一体何だろう
メリークリスマス 人々はもう気づいている 裸の王様に大人達は本当の事が言えない

メリークリスマス いつの間にか大人達と子供達とは 平和な戦場で殺しあうようになってしまった
メリークリスマス 尤も僕らはやがて自分の子供を、戦場に送る契約をしたのだから同じこと
メリークリスマス 子供達の瞳は大人の胸の底を 探りながらじわりじわりと壊れていく
メリークリスマス 本当に君を愛している 永遠に君が幸せであれと叫ぶ
メリークリスマス その隣で自分の幸せばかりを 求め続けている卑劣な僕がいる
メリークリスマス 世界中を幸せにと願う君と いえいっそ世界中が不幸ならと願う僕がいる

メリークリスマス 僕は胸に抱えた小さな 君への贈り物について深く考えている
メリークリスマス 僕は君の子供を戦場へ送るために この贈り物を抱えているのだろうか
メリークリスマス 本当に君を愛している 永遠に君が幸せであれと叫ぶ
メリークリスマス 本当に君を愛している 永遠に永遠に君が幸せであれと叫ぶ

メリークリスマス 凍てつく涙を拭いながら メリークリスマス 生きてくれ生きてくれと叫ぶ 雪の中で雪の中で雪の中で 
メリークリスマス 白い白い白い雪の中で

さだまさしの「遥かなるクリスマス」という曲の歌詞の引用だ。

そうだな、メリークリスマス。日本中の子どもたちに素晴らしプレゼントが届けられたらいいなと思う。
世界のどこかにある餓えた子どもたちに、なにがしかのプレゼントがあることを祈る。
そして、被災地の子供たちに、笑顔と希望をもたらすプレゼントが届いたらと思う。それは「物」というプレゼントだけでは決してなく。

メリークリスマス。その言葉がいつまでも続くように、福島の親たちは“覚悟”したクリスマスを迎えているのかもしれない。

今夜は教会に行く。クリスチャンでは無いが。イブにはそこが一番相応しい場所なんだと思うから。

2014年12月23日火曜日

今日は天皇誕生日なのだ

日用品が欠落したので、雪の中、近所のスーパーに行く。
駐車場は雪かきがされ、買い物客は当然のようにそこに車を停める。

自分の家の周りの雪かきはままならない。スーパーでは、それが仕事とはいえ、
従業員は早出して客のために備えている。

雪の後始末は誰かがしてくれている・・・。

きょうは天皇誕生日だ。昔は「旗日」と言い、門の前に日の丸を掲揚する家が多かった。戦後の光景だ。日にちは違うが。

今、日の丸を掲揚する家はほとんど無くなった。

皇居では一般参賀があり、日の丸の小旗が振られる。天皇に祝意を表するために。

日常、最近のことだが、日の丸の小旗はたとえば東京の新大久保界隈とか、大阪とかで振られている。いわゆる「ヘイトスピーチ」をがなり立てる、“在特会”の人たちの示威の道具として。排外主義の象徴として。嘆かわしい限りだ。


平成天皇ご夫妻。両陛下に敬意を抱く者である。天皇陛下は81歳になられた。
昭和の時代、戦後を振り返って田中角栄はこう言っていた。
「天皇陛下がいて助かった」と。昭和天皇の存在が、戦後、動乱を招くこともなく、復興にこの国が進んでいけたことを指してだ。

「3・11」後、平成天皇が両陛下がおられたおかげで、被災地は“救われた”おもいになっていた。避難所を回られるあの両陛下の真摯な姿。おおよそ万人の共感を呼んだことだろう。

明治天皇も、昭和天皇も、平成天皇も「平和主義者」だったと思っている。
昭和天皇の開戦時の詔勅も「平和を希求する」思いが大きくにじんでいる。

終戦間際、昭和天皇は東条英機を呼んで、戦争終結に向けての“意向”を語られた。その時引き合いに出されたのが、明治天皇の御製。

「よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ」

東条は天皇の真意を知ったという。

昭和天皇が出席されていた戦没者追悼式。それへの出席が体調でかなわなかった時か。詠まれた一首がある。

「やすらけき 世を祈りしも いまだならず くやしくもあるか きざしみゆれど」

シンボルフスカの詩の冒頭。戦争が終わったら誰かが後始末をしなければならない。

平成天皇は、まさに、言葉は悪いかもしれないが、その後始末をされているように思える。

国内の沖縄から広島、長崎などの慰霊の旅。
国外でもサイパン、パラオ。

サイパンの“万歳クリフ”で深々と頭を垂れられた両陛下のお姿。涙した。

まさに「慰霊」の旅。

そして両陛下が持っておられる憲法観、戦争観、靖国観。
昨日の会見でも天皇陛下は言われていた。
「先の戦争では300万を超す多くの人が亡くなりました。
その人々の死を無にすることがないよう、常によりよい日本をつくる努力を続けることが、残された私どもに課された義務であり、のちに来る時代への責任であると思います」。

明らかに戦争をしてはいけないと言われているのだ。

天皇の意向を無視するかのような安倍政治と断ずる。それは右翼の幹部でさえ言っていることなのだ。

先の大戦時もそうだったように、天皇と時の権力との間には、やはり溝がある。そして、近くは明治維新がそうであったように、権力は常に天皇を「政治利用」しようと図る。

政府も軍もマスコミも、そして大方の国民が「戦争」を支持していた時代。昭和天皇の胸中やいかばかりであったろうか。

平成天皇が、許された範囲の中で、率直な思いを語りつがれることを願っている。
両陛下の行動、お言葉に触れた時、心の中に安堵をもたらしてくれるのだ。

2014年12月22日月曜日

「転ばぬ先の杖」という諺


昔から伝わる諺、洋の東西を問わず、そこには真理が内在している。
けだし名言というのもある。
人生の英知も、数々の教訓が含まれているのもある。


「転ばぬ先の杖」、言わずとしれた“万が一に備えて十分な準備をしておくこと”だ。

「3・11」以降、福島県民を、母親たちを悩ませている問題は、原発の爆発事故により“放出”された放射性物質、ヨウ素の問題。

県は18歳以下の子供たち36万人を対象に「甲状腺検査」を行った。ガンと診断された子や疑いがあるとされた子供の数は73人。
子供の甲状腺がんは通常では100万人に2人と言われているから、検査した数が過去と比べて多いとはいえ、やはり心配の種だ。

それが原発事故に由来するかどうなということになると、行政や医師の多くからは、「今までの知見からいうと因果関係は、放射線の影響は考えにくい」とされている。
突き詰めていくと「わからない」という領域になる。

検査体制は十分ではない。問診ですまされる場合もある。きちんとしたエコー検査を全員が受けているとは言い難い。
一つにはその検査を出来る医療機関が少ないということもある。

今、発症しなくても将来、発症する可能性だってある。それが問題だということ。
昨日のNHKスペシャルの番組。放射線が、それもヨウ素を大量に含んだ放射性物質が大量に拡散され、それが広範囲に及んでいたことが実証研究で明らかになった。ことは福島だけでは済まないともいえる。

とにかく、これだけ医学が進んだ現代にあって、未だ「わからない」という結論で済まされることへの違和感。
分らないということは可能性があるともいうことだ。

ならば転ばぬ先の杖ということにはならないか。

それが何であろうとも、この事に関しての親の悩みは尽きないのだ。

目に見える復興なるものはいささかでも進んでいるように見える。道路の開通、建物の復旧・・・。
眼に見えない復興。それを「復興」という言葉でくくるのは全くもって違っていると思うものの、それは大方為されていない。

子供支援なんとかという法律も出来た。その支援の中に、「可能性があるこども」への方策はなされているのか。
要は「医療体制の充実」ということに尽きるとも思えるのだが。

諺ではないが、慣れ親しんできた「いろはかるた」。そこにも“真理”がちりばめられている。
犬も歩けば棒にあたる。論より証拠などなど。

かるたの言葉だって、今の“悩み”を言い表しているかもしれないし。

備えあれば憂い無し。それは諺の分類か。
原発再稼働予定の地域では、自治体がすでに「安定ヨウ素剤」の備蓄は配布方法まで検討に入っていると言うし。

いろはかるたからの飛躍。薩摩に伝わる人生訓を盛り込んだ日新公「いろは歌」。
島津忠良が作った“数え歌”。今でも伝承される。

「いにしえの道を聞きても唱えても我が行いにせずは甲斐なし」ではじまるもの。
「もろもろの国や所の政道は、人にまつよく教え習わせ」というくだりもある。
国民によく知らせ、理解してもらってこそ効果が期待でいるというような意だとか。

名君いずこに有りやの心境にて。

こんなことばかり、苦言、小言ばかり言っている、書いていると、どこかから言われるかもしれない。

「年寄りの冷や水」って。カルタにはあるのです。

2014年12月21日日曜日

“過去”と“今”はつながっているはずだが

何も大仰な事や、哲学、歴史の話を書くのではないが。

自民とはかつて派閥の集合体であった。政党とはおおむねそうだ。
派閥は“悪”と言われ、何度も派閥解消が叫ばれ、あるいは離散したり、あるいは名称を変えた。

池田派、佐藤派、河野派、藤山派と言われた時代はその区分けはついていた。今、自民党の派閥がどういう系譜であるかが、さっぱりわからなくなった。

安倍晋三は福田派の系譜である。福田派は元は岸派。いわゆる、かつてハト派とかタカ派とか多彩な自民党の中での区分けを引けば「タカ派」の延長と思う。

その派閥は何時の間にか「町村派」となっていた。派閥の長が無くなったり、政界引退をすれば代替わりをする。その結果としての町村派。

安倍は三権の長である。行政府の長である。立法府の長は衆参の、特に衆院議長だ。そして司法の長は最高裁長官。

国権の最高機関は国会。だから議長はもっとも権威ある府の長だ。

間もなく選挙後の特別国会が召集される。そこであるのは「院の構成」。当選してきた議員の議席の指定と正副議長の選出。

その衆院議長に町村派の長、町村信孝が選出されるという。正副議長は党派を離脱するということにはなっているが、要は同じ派閥の人間が行政と立法の長になるということ。

二つの「権力」を昔の福田派、清和会(これも昔の名称だが)の人が占めるということになる。

前議長の伊吹はどうも安倍にとっては「煙たい」存在だったようだ。憲法の問題や、安保政策について、その他もろもろの政治路線に異があったようだ。

同じ「村」の人が気心の知れた人が議長になる。安倍にとっては心強いことこの上なかろう。

意見の違う人を排斥するのが安倍の得意技の一つだから。

爆走は続くということか。

派閥、それは自民党史でもある。昔のことを言っても仕方がないと思われるが、昔は今につながっている。党内抗争の元も、この派閥に由来する。

昔は昔、過去は過去、今は今とよく言われる。でも、少なくとも自民党の中で、派閥の系譜は根強いものがあるはず。

新聞の小さな記事で知らされてこの議長人事。そこに垣間見えたものに驚愕すらしたのだ。

議長は、時には「祭り上げ人事」「一丁あがり人事」とも言われた。うるさ型を祭り上げて置くのにはちょうどいいポストだということで。
でも、議長がベルを押さなければ本会議は開けない。
議長とは国会の中で枢要な地位なのだ。

余談のようだが代表選を控えて民主党内の“派閥”のことを、それはグループと呼ばれているらしいが、自民党さながらの“派閥”の話が書かれている。なんか「ちゃんちゃらおかしいぜ」って思い・・・。

与野党対決時の最後のおさめどころも「議長調定」なっていうのがあったくらいだし。

政治に関して、時々「過去」を持ち出す時がある。過去の政治を語っていても仕方がないと言われる。今は安倍政治なのだからと。

でも、時には過去を手繰らないといけないこともある。
今はまさに「過去」が消されようとしている政治だから。

過去として「戦争」を葬り去り、今の“戦争”を語れと言うことか。過去にあった戦争は、消してはならないし、語り継がれなければならないことなのだが。

過去は今につながっているということだ。過去が無くして今があるわけではないし、過去を忘れないことが未来にもえいきょうするということのはずだが。

すでにして、戦争はおろか、原発事故の事も過去にされようとしている。そこから見える未来とは・・・。

「過去が咲いている今、未来の蕾で一杯の今」。そんな言葉を貰ったことがある。大事にしている言葉だ。

郡山の老舗の饅頭屋さんに行ってそれを思い出したから・・・。

2014年12月20日土曜日

「投票率とは消費者性向だ」と思ってみた

決して“オチョクッテ”いるのではなく、いささか皮相的な例えだが。
選挙の話し、低投票率の話しだ。

有権者は消費者だということ。政治を「消費している」という意味だけではなく。

消費者というよりは「買い物」に喩えた方がいいのかもしれない。

物を買うという行為や意志は「楽しみ」を伴うものだ。
政治は、選挙は「楽しい」ものではなかった。

投票所に行くという行為は買い物に行くという行為だと置き換えてみよう。

買い物に行く気にならない、欲しい物が無い。そういう人ははじめから”デパート“に行かない。つまり「投票所」に行かない。
あのデパートに行ったって、特に良いものがあるわけではないし。ということだ。

何かが欲しくて買い物に行った人がいる。並べられた商品はどれも大して気に入らない。でも、大勢の人が、宣伝していた。良いと言っていた、そんな商品には手を出してしまう。
せっかく来たのだから何か買わないとという消極的な商品選び。

あげく、店員さんから強く勧められる。「これは、今、一番人気の品物ですよ。皆さん買っていかれますよ」。

そうか、皆が買うのだから・・・。そう、それを広義のポピュリズムと言うのかも。

だから、投票率が低かったのは、買いたい、欲しい商品、つまり「入れたい政治家」がいなかったということと大差ない。

そして「売る側」は「消費者心理」や「消費者性向」を見抜いていた。評判が悪いかもしれないものはバックヤードに隠し、美味しそうなものだけを前に並べた。そんな見立て。

有権者を消費者に置き換えて皮肉ってみた。

ならば生産者ならどうする。その答えを中学生の意見に見たような気がする。

新聞にあった埼玉県の中学性14歳の投稿だ。

・・・香港で学生たちが民主的な選挙を求めて必死になっている姿が日本の大人たちの目にははいらないのだろうか。選挙に行けるのは当たり前で、特に大切なことではないのだろうか。
この惨状(低投票率)から脱出するには、小中学校のころから、しっかりとした選挙に関する教育を行うべきではないのか。
僕自身も小学校時代にまともな選挙教育を受けた記憶は無い。若い人たちの選挙に対する関心の異常な薄さに大人たちは危機感を抱かないのだろうか。
あらためて問いたい。「なぜ選挙にいかないのですか」と・・・。

この中学生は、将来、その権利を行使できるような人を“生産”するための「教育」を訴えている。

消費者としての有権者、その対極にある生産者としての政治家。その乖離たるや・・・。政治が何を生み出しているのか、買うのに耐えうるものはありや。

「3・11」後の福島に浴びせかけられた風評被害なるもの。福島の物は食べられないという“評価”。

生産者と消費者との真剣な話し合いでしか解決できないと言われはしたが・・・。

政治家と有権者との間で、真剣な話し合いはなされたのだろうか。為されていない。

「お客さまは神様です」とばかりに、この時だけ、数日間は拝まれ、頭を下げられただけ。迷いながらもお客さま気分に浸らされただけ。

数多くの「選挙後遺症」。デパートに流れるクリスマスソングがかき消しているようで・・・。

2014年12月19日金曜日

「終わり」を始めよう

知り合いの中学生に聞いた。
「マララさんて知っているか」と。「知らない、どこの人、何のスポーツの選手」と問い返された。
ノーベル平和賞を受賞した17歳の女の子だよ。“子どもが、学校に行けないことはいけないことだと言っている人だよ”と言ってはみたものの「ふ~ん」というような表情だった。

そう、この国では子供が学校に行くのが当たり前なのだ。それを誰も問題視していない。誰もが“教育”を受けている。格差が有ろうと無かろうと、その権利は保障されている。

パキスタン17歳の少女、マララ・ユサフザイさんは受賞記念演説でこんなことを言っている。

「私たちは教育を渇望していました。なぜなら、私たちの未来はまさに教室の中にあったのですから。ともに座り、学び、読みました。大きな夢を抱きながら教室に座っていました。
テロリストたちは学ばなかったのですか。コーランでアラーが言っている“一人の人間を殺すことは全人類を殺すことと同じである”ということを。
なぜ、強いと言われる国々は、戦争を生み出す力がとてもあるのに、平和をもたらすことにかけては弱いのでしょうか。なぜ、銃を与えることはとても簡単なのに、本を与えることはとても難しいのでしょうか。
なぜ、戦車を作ることはとても簡単なのに、学校を建てることはとても難しいのでしょうか」。

彼女の渾身の訴えもむなしく、パキスタンでは学校が反政府武装勢力に襲撃され、140人もの子供たちが犠牲になった。犯行グループはマララさんを襲ったものと同一組織だという。

そして、ナイジェリアでは多くの女性や子供が誘拐され、何十人もが殺害されているという。

彼女の演説の締めくくりでこう言っている。

「戦争で子供の命が失われることも、子供が学校に通えないことも、これで終わりにしましょう。この“終わり”を始めましょう」。

彼女が訴えたのは闘う目標にしたのは、こどもが普通に教育を受けられる「権利」だ。

福島の子どもたちの教育を受ける「権利」はどうなっているか。双葉郡の小中学校のこと。

学校は“再開”された。しかし、元の校舎での開校は川内村と広野町だけ。他の地域では避難先を含め、工場跡地を使ったプレハブ校舎、廃校を利用したものなのだ。しかも“再開”されてと言っても、そこに戻ってきた生徒は少ない。
避難先の学校に転入した子も多い。
あきらかに学習環境は変わった。それを補完するために教職員や地域の人たちがいろいろな試みをしてはいるが。

まともな教育を受ける環境は、彼らには与えられていない。

そして教育の場で何が教えられているかということだ。詰め込み式の「知識」の押し付けか、カリキュラムに沿った「与えるだけ」の教育か。
塾に行くことを半ば学校が押し付けてはいないか・・・。

アメリカのある中学校では、ダンスの発表会の席で、会を主導している14歳の少女が壇上に上がりこう言ったという。それは予定外の行動だったという。

「パキスタンで犠牲になった子供たちのために黙とうを捧げましょう」と。
14歳の少女が、他国では、生きる権利、学ぶ権利を奪われた子供たちがいることを知っている。

それはアメリカという“野蛮”な国で、しばしば学校襲撃事件や銃乱射事件が身近で起きているからかもしれないが。

日本の中学や高校で「マララさん」が教えられているのか。そのことについての生徒同士での話し合いがされているのか。

教師たちはどう思っているのか。それを知り得る立場にはないが、知りたいと思う。

大人の争いの中で常に犠牲になっているのは「子ども達だ」という事。そんな事例が世界にはあまた存在しているとうこと。

終わりを始めよう。彼女の言葉は重い。

2014年12月18日木曜日

「まだまだだけど・・・」~被災地からの声~

時間の許す限り見ているテレビ番組がある。ずっと続けて欲しい番組がある。

あの時以降、時間帯は変わっても放送時間は少なくなっても続いている番組、
NHKの「被災地からの声」。同じ被災者である仙台放送局の津田喜章アナウンサーが担当している番組。

これだけはNHKのたった一つと言ってもいいくらいの“良心”なのだ。

過日は飯舘村を取り上げていた。酪農家二人を。放牧したままの牛の世話に帰ってくる二人。遠く離れた仮設住宅からだ。

放射線量の関係で、帰れるのは年に15回と決められている。しかも昼間だけ。
そこで放牧されている牛、それは「使い物」にならない牛だ。食用にも牛乳にもならない、ならせることの出来ない牛だ。

月に一回、餌をやりにくる。様子を見に来る。牛は嬉しそうに寄ってくる。

なんで「商売」にもならない牛の世話をするのか。
「家族だから、家族同然だから」と答える。

「さ、行くべ、帰るべ」。仮設に向かう二人。「ああ、違った。帰るのはここの家だ。仮設は“戻る”だ」。

たしかこの時津田キャスターは言っていた。
「こういうことが。こういう人がいるとは正直言って知りませんでした」。

そこに映し出されていたのは「なんとかミクス」とは“無縁”の世界だった。

今日は岩手県の大槌町からだった。漁師の街。漁師も三分の一程度に減った。
「いろんな支援をもらった。これからは支援から交流へとなって欲しい」。
町役場の職員が言う。ボランティアで瓦礫処理などを手伝ってもらった人達に、もう一回交流を目的にきてもらいたいと。もう一度来てもらって今の街の様子を見てもらって触れ合いたいと。

「でも、復興なんてまだまだだけどな・・・」と。

「今までは地元の人を相手に商売してきた。人が少なくなった今、客層を内陸部や県外に販路を求めなければ商売はなりたたない。それは地元の人を捨てることにもなるかもしれないが」。たしか、海産物を扱っている店の店主だった。「ほんとは避けたかったんだが・・・」と。

とにかく人口減少は深刻なのだ。高齢者ばかりが目立つ町。

75歳の仮設に暮らす人は言う。
「小さくてもいいから自分の家が欲しい」と。

災害公営住宅の建設も遅れている。それへの期待感は複雑だ。

「どうせ知らない人がいるところに行かねばならないのなら、近くに病院とかあるもっと便利なところがむしろいいのかな」と。

「津波以来、多くの人に支援してもらった。今でも時々支援の人がくる。でもこれ以上、甘えてばかりいるわけにはいかないし」。仮設の玄関で話していた高齢者。「「自分で出来ることを何かしないと、そう思って仮設の周りの草むしりをやっているさ」とも。

この国の中にある「一つの姿」だ。この国の今の断片だ。

この人たちのところにも雪は“平等”に降ったのだろうか・・・。

番組のタイトルバックにながれる映像は、あの時の避難所の姿だ。急ごしらえの寝場所だけ確保した。そしてそこで無心に遊んでいる子供。そしてカメラに、笑顔を見せる赤ん坊の姿だ。

この番組、終わらせて欲しくない。タイトルバクの映像とともに。

「津田クン、まだまだだぞ~」と声をかけてみる

2014年12月17日水曜日

ビッグパレットは“楽園”だった・・・

朝日新聞の長期連載、「プロメテウスの罠」。今書かれているのは富岡町の“おたがいさまセンター”をベースにした「おたがいさま」。

避難民であふれたビッグパレットの事が書かれている。記事を読んでいると、あの時の光景や自分の心象、そこから考えたことが、つい先日のことのように蘇ってくる。

ビッグパレット。そこは僕の「3・11」の一つの原点なのだ。

川内村と富岡町。すし詰めになった避難者。段ボールで仕切られた“住居”。

きょうの見出しは「みんな笑いたかった」。

ビッグパレットに“開局”されたFM放送局。パーソナリティの軽妙な語り口に、その場の聴取者が反応する。そのやりとりにそこに居た人が笑い、笑いの渦が広がっていったという。

開局を思い立った一人がこう述懐していた。

「ああ、みんな笑いたかったのだ。まわりに気をつかいながら声を潜めて我慢していたけれど、笑ってもいい、そのきっかけが欲しかったんだ」と。

FM局が立ち上がったのは震災から2か月も経ってから。日参していた、3月、4月のビッグパレットには「笑顔」は無かった。

虚脱感に包まれた人、いつも怒っているような人、黙々と一日をやり過ごしている人・・・。

事務室は二つの町と村の役場になっていた。ビッグパレットの職員のいる場もなかった。やがて”広場“に仮設の役場が出来はしたが・・・。

そう、当時のあそこには「笑顔」は無かったのだ。笑い声も無かったのだ。

友人のフルート奏者と一緒に慰問の演奏に行った。かろうじて立っていられる場所に立って。

演奏者はリクエストを求めた。そのリストを配って歩き、曲名をたずねるのが僕の仕事。

富岡からの人のリクエスト。サザンの「つなみ」だった。奏者と顔を見合わせ、どうしようか迷った。
「彼女(リクエストした中年の女性)には、それなりの想いがあるのだろう。好きな曲なんだろう。他の人は不快になるかもしれないがやろう」。

演奏が終わるとその人は泣いていた。その涙の訳はもちろん聞かない。そして、ちょっと微笑んだ。ありがとうございましたと言って断ボールの中に帰っていった・・・。

ビッグパレットにあった「ツナミの涙」だ。

5月。テレビではもう通常のお笑い番組が復活していた。スタジオには“乾いた笑”が充満しているような。
そのテレビを観ているひともたぶん笑っていたのだろう。

作られた笑い。

ミニFM局が媒介した「笑い」。笑ってもいいと思ったということ。

なぜ笑いたいのか。笑えば肩の力が抜ける。肩の力が抜ければ頭も動く、体も動く。笑いって人間にとってすごく大事なことなんだよな・・・。

戦後、一家で笑ったのは、ラジオから流れてくる落語の下げだった。笑いは希望へのステップだったのかも。

そしていつの間にか、避難所としてのビッグパレットはそこに居る人たちにとって、逆説的なもの言いのようだが「楽園」になって行ったのだ。
同じ境遇の傷ついた人たちが一緒にいる。どこかで助けあっている。笑いを“提供”した爺ちゃんもいる・・・。

ある時、避難している人を近所の温泉に誘った。行かないという。やはり「自衛隊さんのお風呂がいい」という。
仲間と一緒に入れるからだろうか。それとも自分だけが良い思いをしたくないということなのだろうか。

湯上りのその人の顔からは笑顔が見えていた。「ああ、さっぱりした」という言葉に元気さがあった。

あの当時のビッグパレットの話しだ。今は、元のイベントスペースに完全に戻っているあの場所。

2014年12月16日火曜日

「選挙に行っても何も変わらない」というキミ達へ

選挙の前も後も、投票所に行かなかった人達の声を多く耳にした。目にした。
「選挙なんて関係ない」「どうしたらいいかわからない」「投票したって何も変わらない」「誰に、どの党に入れたって同じでしょ」・・・。12月14日が投票日である事すら、選挙があることすら知らない人がいた。

その人たちを決して責めているわけではない。責めるつもりで書いているのではない。

棄権と言う、自らの権利を棄てたということをあげつらうわけでもない。

政治が面白ければ、政治が楽しければ、政治参加をするだろう。投票と言うじぶんの意志が反映されるような制度だったら行くのだろう。

政治に魅力が無くなった。その非は主として政治の側にある。
ひきつける努力をしてこなかった政治の側に。

それを承知の上で、行かなかったキミ達へ、あなた方に言う。問う。

「変わらないから行かない。それは変わることを望んでいるからではないのか」と。

昨夜テレビでこんな光景を目にした。投票日、昼は友達とランチの約束をしている。夕方からは友達とのパーティーがある。だから選挙には行かないという人だ。

友達に都合でランチは無くなった。時間が出来たのでカフェに行く。カフェでその子は勉強を始めた。大学の勉強だ。

勉強するとはどういうことだ。良い成績を取って、いい会社に就職したいということか。なんにせよ、キミは今、成長するために、つまり自分を変えるために勉強しているのではないか。
自らの力で自らを変える努力をしているとうことではないのか。

もし、キミのよく行くカフェの値段が上がるかもしれない。友達との楽しいランチの値段も上がるかもしれない。行く回数が減る。キミは怒るだろう。
値段が上がるのは政治のせいなのだ。

政治は決して日常の生活と無関係ではないのだ。

例えばキミは服を買いにいったとしよう。誰かが勧めた服をそのまま買うか。自分の好みに合わないものは買わないだろう。選択するだろう。

与えられた環境の中で、キミは常に満足しているのか。その中で生きることに。
そうではないだろう。

もし、道で、杖をついて横断に困って居る人を見かける。優しいキミは、介助を申し出るだろう。それとも他の誰かにそれを託するのか。

もし、キミの家の近所にご飯を食べていない子どもがいたとする。そこ子が飢えを訴えて来た時、優しいキミはその子にパンを分けてやるだろう。
ご馳走さまと言って帰るこどもを笑顔で見送るだろう。

その時、キミは考えるはずだ。なんで歩くのも困難な人が歩いているのか。
なんで、子供が餓えているのかを。

政治に直結した問題なのだ。

変えるためには自分がかわらなければならない。この言葉をよくかみしめて欲しい。

キミ達が政治を見捨てても、政治はキミたちを見放さない。あらゆることで“関与”してくる。それは税金であり、賃金であってもだ。

人間は楽しいのが一番いい。しかし、今だけの楽しさに目をくらませてはいけない。今の楽しさはキミの長い人生の間に永遠に続くものではないのだ。

誰しもやがて年老いる。

楽しさだけに埋没していたのでは、そんな楽しさが得られなくなった時、キミは後悔するはずだ。
あの時、もうちょっと政治に関心を持っていればと。

私たちが投票に行かなくても、誰かがどうにかしてくれる。私の一票なんて。そう思うことも分からなくはない。

しかし、それを「受け身の楽観主義」と呼ぶ。

さっき書いた洋服の話しだってそうだ。常に受け身でいられるか。受動的でいられるか。自分で選択すると言う能動的行為をやっていりではないか。自分をより美しく見せるための。

台湾でも、香港でも、自分たちの権利を守ろう、環境を変えようと立ち上がっていた若者がいた。
日本にもかってはそういう若者もいた。
その結果がどうだったかは問題では無い。結果がどうであれ、その道を選ぶかどうかの問題だ。

これらは老人の繰り言かもしれない。でも、今、ボクの身近に選挙権を持った若者がいたら、たぶん、こんなことを延々と語っていたのかもしれない。

そして言う。教育とは受け身で知識を身に付けるということではない。考える力を養うことなのだと。

2014年12月15日月曜日

「民主主義」とは・・・「民意」とは・・・

選挙。一言でくくれば「そして何も変わらなかった」ということでもあろうか。

取りあえずは、安倍自民党とそれの伴侶もどき公明の自公政権の中で、“徘徊”していかなければならないということだろうか。

52,7%の投票率。それが何を意味するか。考えなくてはならないことも多い。

民主主義という体制の中にあっては、民意を示すものは、おおむね「選挙」だけしか無いのだから。

戦後民主主義。それは「与えられた民主主義」ではないか。「勝ち取った民主主義」では無いのではないかということ。

与えられたものは、無駄に消費する。権利を行使することも厭わない。
勝ち取ったものであれば、それを大事にするはずだ。生かそうとするはずだ。

そんな感想を、今度の選挙の中の「沖縄」見た。小選挙区で反自民が勝ったからと言うだけではないが、沖縄の人は、自らの力で、本土よりかなり遅れて、民主主義を勝ち取ってきたという歴史がある。
米軍基地というものを身近に持って、どうやって“民意”を反映するかの方途を知っていた人達のようにも思える。

解散時、「バンザイ」をしなかった小泉進次郎。それは「国民の意識とのかい離があるからだ」というようなことを言っていた。
当選後、彼は言った。「熱狂無き圧勝だった」と。

彼は党首に勝るとも劣らぬ日程で自民党候補の応援につとめた。かれはわかっていたのだ。国民が醒めていることを。選挙の“熱狂”の中に引きずり込みたかったのだ。人気者をしてもそれは不可能だった。

入れたい人がいない。期待できる人がいない。そんな選挙民の声がメディアを通じて伝えられていた。

選挙というのは民主主義の一つの手段だ。多数決原理にしても。それ以外に方法はないからだ。ならば、そこで、いかに多くの民意をくみ上げるかの方途を講じるか、熱狂の渦の中に巻き込むか。

それは選挙民の側の問題では無い。政治家の、政治の側に課せられた使命なのだが。

投票率の低さ、それは意図してか意図せざるかはともかく、「与えられた民主主義」に甘えた人たちの“必然の帰結」だ。

多くの死に票。それは無視されるだけ。

何回も言ってきた。選挙制度に問題があると。もし中選挙区制度だったら、自民党支持の人にとっても、こっちは意に沿わないが、こっちはまだいい。そんな選択肢だって与えられていたはずだ。

そして比例での復活と言う愚策。選挙区で否とされたのならそれは否なのに。
同じ議席を得られると言うこと。
民意の反映よりも政治家の既得権を擁護するための制度のような。

アベノミクスなるものは、もはや安倍にとっては過去2年の実績として、認知されようがしまいが、次の「この道」に向かうのだろう。

それは悲願である「改憲」だ。

その環境は整った。発議出来る。国民投票の要件も改正した。
ならば国民投票で、半数の支持が得られるのか。
53%弱の投票率、その数字が物語ることも大きい。53%の中に改憲を支持する人がどれくらいいるかということ・・・。

選挙は終わった。ある意味でも「安堵感」「開放感」がある。選挙に捉われることがなくなったということでだ。

それにしても、選挙の中で語られてこなかった「福島」。復興を加速させるなんて通り一片の言葉でやり過ごされてきた「福島」。
厳然たる事実として、そこにある「福島」。
それに一番留意していたのが自民党議員である小泉進次郎だけだったということ。

敢えて言う。選挙で勝ったのはどこか。議席で言えば共産党。民意であれば沖縄だったということ。

2014年12月14日日曜日

上杉鷹山、小林虎三郎・・・そして。

1961年、アメリカの第35代大統領に就任したJ・F・ケネディ。彼に日本人記者から質問があった。
「尊敬する日本の政治家は誰か」と。ケネディーは即座に答えた。

「上杉鷹山だ」と。

米沢藩主だった鷹山。関ヶ原の戦いの余波を受けて、禄高を大きく減らされていた。藩は極端な財政破たん状態に陥っていた。

藩政改革に取り組んだ鷹山は、年貢の石高を極力抑え、家臣の贅をいましめ、絹の着物を木綿に変えさせた。

みずから、農作業に手を付け、数々の殖産事業をおこした。

いわば「身を切る改革」ということだろうか。領民から慕われた。下級武士も鷹山に従った。

「合衆国があなた方に何を為すかを問うな。あなた方が合衆国に何を為せるかを問え」。

ケネシーの有名な就任演説の精神は、この鷹山から影響を受けたものだという話もある。


小林虎三郎。「米百俵」の歴史を作った人。戊辰戦争後、長岡藩は石高を減らされ、武士も領民も餓えに餓えていた。

見るに見かねた親藩、三根藩が米百俵を贈った。藩士はこれで当面の飢えはしのげると思っていた。

虎三郎は米は分けないという。売って金に換え、学校を作るという。藩士からは刀を突きつけられる抗議を受ける。聞かない。
「米百俵で何日食いつなげるか。あっと言う間に無くなってしまう。学校を作って教育に充てれば、何十年後には、千俵、万俵になってかえってくる」と。

2002年、総理大臣になった小泉純一郎は所信表明演説でこの故事を引用した。

「今の痛みに耐えて明日を良くしようという米百俵の精神こそ、改革を進めようとする今の我々にとっとも必要ではないだろうか」と。

余談になるが、この米百俵のこと、長岡藩史には今も残されている。その碑もある。
三根山藩の藩史にはその記述は無い。敢えて書かなかったのだろう。米を贈ったということを。

「掛けた情けは水に流し、受けた情けは石に刻め」。そういう精神なおだろう。


改革のために何を為すべきか。国にとって一番重要なのは教育だということ。

ノーベル平和賞を受賞したマララさんは「戦車より教育」と訴えた。

日本は格差社会だ。格差の是正は教育にあると言われる。

OECDはこう分析した。「格差拡大は各国の経済成長を損なっている」と。
これを受けたイギリスの有力紙は一面トップでこう断じた。
「OECDはきょう、トリクルダウンという考え方を捨て去った」と。

貧困をもとにした教育格差は広がっている。ありていに言えば金持ちの子しか大学に行けないという実態。

我々は“先人たちの訓へ”をいくつも持っているにかかわらずだ。

そんなこんなを思いながら投票所に向かう。

2014年12月13日土曜日

「党首力」ということ

「党首奮戦す」「党首を追って」・・・。選挙のたびごとに登場する新聞・テレビの“企画”。内容は毎回違っているようだが、代わり映えのしない“企画”だ。
ひな形決まっているような。

「4年経ってもなにも変わっていないことを実感します。変わったものと言えば空き地が増えたくらいか・・・」。
知り合いからの新年会の案内状にあったひとこと。

選挙の実態も、選挙の在り方も、選挙報道も、ある意味「日本の分岐点」であったと思っている「あの日」が「その後」があっても、それは旧態依然であるということ。

それはともかく、選挙運動も今日かぎり。明日の朝刊には「最後のお願い」という見出しが書かれるだろう。

そして意味不明の「清き一票」。なんで「清き一票」と呼ぶのだ。「汚い一票」ってあるのか。

まだ、たぶん、票が金で買われていた時代の名残の標語なのだろう。

何も進歩していない・・・。清くても清くなくても一票は一票。

そして“正義”としての合言葉。投票に行こう。行くのは当たり前のことなのに、それが、叫び続けられているという「不毛」。

なぜ選挙に行かない人がいるのか。それは選挙が政治が「つまらない」からだ。
選挙民だけにこういうときだけ権利の行使を呼びかけるという”愚“。
選挙という手段を伴った民主主義は日本にはいまだ定着していないということか。

投票に行くことが、どちらの勢力を「利する」と言うことは別問題じゃないのか。

政治が国民の側に「降りてきて」いれば、みな選挙に喜んでいく。行かないのはそこに「多いなる乖離」を感じるからだ。

でも、あらためて言う。いささか表現を変えて。
「選挙に無関心であっても、選挙は、その結果は、あなた方にとって無関係出はない」と。

今夜、各党の党首は、遊説の締めくくりとして、おおよそが東京に集結する。
クリスマス気分の都心の繁華街に絶叫が谺する。

選挙はある意味「党首力」が物を言う。それは小泉劇評型で実証されていたこと。

安倍の選挙応援日程、大変な日程だ。東奔西走だ。新聞の首相動静を見ればその日程は克明に記されている。さぞ体にこたえるだろう。移動だけでも。でも、安倍は楽しそうだ。楽しければ辛さは半減する。
新聞の首相動静と見ればわかる。楽しければ疲れもふっとぶ。

野党の党首のとて過酷な日程であることには変わりはないのだが。それは楽しんでいるようには見えてこない。苦しそうにさえ見えてくる。
形勢が悪いからだ。

首相動静は特定秘密保護法の対象にすべきなどとのたまわった自民党の“大物女性議員さん”もいたが、その法律は今日から施行される。いつの間にか閣議で決まっていた。

そういえば、昔、応援遊説を断られた首相もいたなんて“故事”もあるが。

少なくとも「党首力」では安倍が勝っていた。常に勝ち誇っているようだった。

野党、とりわけ海江田。なぜ民主党は彼を党首に選挙をしなければならなかったか。替えておかなかったか。
常在戦場なんて言葉は与野党問わずあるはずなんだけど。

彼からは「党首力」は感じられない。完全に埋没した一部野党にもそれはある。

大勝するであろう自民、それがこれからどうしてくいるか。明日以降また考えよう。ボクから見れば、よりおかしな国、危険な国になって行くような危惧はあるのだけど。

そして、選挙後は、野党再編だな。野合ではなく、自民・公明に対抗出来る野党勢力を作くるための。

野党が存在感を示さない限り、政治は健全なこのとはならないのだ。

社会党がかつて健在だったころの日本の政治はまだ「まし」だったのだ。
自民は常に野党、社会党を意識して政治を行っていたから。

これからある会合に行く。講師は95歳。話しぶりはいささかこころもとない。
しかし、皆、その会員は心待ちにしてそこへ行く。

その人に会いたいと思っているから。一つの「人間力」だとも思う。
選挙とは関係ないことだけど・・・。

2014年12月12日金曜日

「原点は“福島第一”にある」ということ

この選挙、「争点」に原発問題がなることを期待していた。淡い期待を抱いていた。やはり見事に肩透かしをくった。
なんら争点どころか、話題にすらあがらなかった。

再稼働云々の前に「福島」の問題があるはずだ。「福島」が突き付けた問題は、国の有り方を考える問題のはずだから。

安倍の土俵に乗るべきではないと言った。しかし、野党は見事に乗った。勝てるはずの無い土俵。

安倍は横綱相撲を取り、野党は幕下以下のような相撲。

3年9か月前、日本中は「原発」の恐ろしさを感じ、怯え、ふりかかる火の粉を払うのに必死だった。

やがて、「福島」のことは「福島だけ」のこととされた。

「福島」は福島県から立候補している人達の間でも正面切っての的にされない。

一応触れてみる。といった程度。

原発問題は「福島」を通り越して、再稼働論議に収れんされて行った。

どこの議席がどうだ、情勢がどうだとマスコミやネットが湧く中で、こっそり決められていたことがある。選挙で無ければ大問題にされているようなことが。

規制委が原発作業員の被ばく限度を引き上げた。年間100m㏜から200へと。

被ばくの健康への影響、いまだその実相はわからない。200に上げて大丈夫なのかどうかも。

なぜ引き上げたか。作業員、特に熟練作業員が限度越えで“戦線離脱”を余儀なくさせられているからだ。
作業員確保のためには、そこに留める算段をしなくてはいけないからだ。

遅々として進まなく見える”廃炉“に向けての作業。荒れ果てたままの”無人地帯“。
常磐道の開通時期を早めたと誇示するだけの首相。

再稼働目前の鹿児島川内原発。そこに応援に入った首相は、原発のことはほとんど素通りだということ。

「原発事故」は汚染や廃棄物や、健康被害だけで語り得るものではない。

国の根幹、「人心」に関わる問題なのだ。

風評を生み、差別を生み、忌避を生む。人間の「賤しい部分」が露呈される問題なのだ。

もはや「福島の問題」は、一部の地域の問題とされてしまったのだろう。

もし、もしの話しはしたくないが、再稼働があって、いや、再稼働が無くても、福島以外の原発が事故を起こしたらどうなるのか。この国が。

ちょっと想像力を働かせればわかること。

オール沖縄というスローガンが沖縄での選挙戦では使われている。自民が(除名されたから元自民か)共産の候補を支援し、共産も自民候補の支援をする。
思想は違うが沖縄を思う心では一致すると。
70年以上にわたる沖縄県民の苦悩が、知事選でも国政でも「オール沖縄」という根源的な部分で合致する。

「オール福島」だってあっていいはず。党派を超えての「県民意識」があっていいはずだと思うが。少なくとも彼ら候補者は、福島の実態を知っているはずなのに。
選挙戦で応援に引っ張りだこの小泉進次郎だけか。福島に言及しているのは。

国の衰退にも関わる原発問題。その原点は「福島」にある。

あの時の“当事者”のせいだけにしていても始まらないのだ。当事者の一人である海江田にしても福島を語らない、語り得ないということ。

数合わせ要因としてだけ必要とされることを受容する福島県5選挙区の候補者。

選挙の二日前にこんなことほざいたとて、いかなるものでもなかろうが・・・。

2014年12月11日木曜日

離れたからこそ見えることがある

私事である。
東京時代、長い間、政治記者をやっていた。ほとんどが自民党か官邸担当。
”癒着“のごとくドップリ浸かっていた。

あの頃の、昭和の時代の自民党の表も裏も、“当事者”ではないにしても、それなりにかなり知っている。

当時のテレビは、今ほど「言論機関」として認知はされていなかった。テレビニュースをみる人も少なかったかもしれない。

書く原稿は、時々は自分でしゃべることもあったが、おおよそ自分が身を置いている環境、自民党から、政権から見た政治原稿だった。目線は政治家目線と言っていいのだろう。

その頃も政治家はとにかくテレビに出たがっていた。

選挙報道にも何回携わったことか。選挙になると各地の重点区といわれる選挙区を回り、“情勢調査”なることもやってきた。

当落。大方当たっていた。選対事務長の話しも聞いたが、だいたい、事務所の中に一歩足を踏み入れると、“感”で、その当落が分かった。

公正公平な報道。その時からも“不文律”のようにあった。

自民党から脅かしや警告があれば、たぶんそれを奇禍として“従って”いただろう。とも思う。

それはともかく、政治記者を離れて、福島に来てから、政治の事が、かえってわかるようになった。

そんなこともあってか。今の自民党政治を常のように批判している。

福島という一ローカル局に来て、東京のテレビを見たとき、東京では決してわからないテレビジャーナリズムの在り方が見えるようになった。
テレビジャーナリズムというのがあるかどうかは別にして、ジャーナリズムよりローカリズムという感覚が芽生えてきた。
ローカルから見るキー局の在り方や内容はおかしい。ずいぶん抵抗した。
逆に「営業」ということがいつも頭の片隅にあった。

テレビを離れて10年。見えることが多々ある。だからテレビを批判する。ジャーナリズムそのものに疑念を表する。

東京を離れて25年。離れたからこそ見える東京がある。故郷としての東京。
もちろん郷愁は限りなくある。
そして、東京にいた時には見えなかった東京。
自分の過去を否定するような思いで、東京の“悪口”を書く。

東京と福島。その二つの地域への「思い」で思考が空回りしているときもある。

離れてみてわかること、見えてくることがある。逆に離れていては見えないこともある。それを再認識したのが「3・11」だ。原発事故だ。身近にある廃墟としての原発。未だ居も心も定まらない人達のこと・・・。

原発事故は多くの「県外避難者」を生んだ。その数4万人余りと言う。

家族が離れ離れになる。離れてみて見えてきたこともあろう。何が見えたか。
それは各様だが。
県外から見た福島像というのもあるはずだ。

進学、就職で家を離れる若者も数多くいる。離れて暮らしてみて、家族をどう思うか。故郷をどう見るか。居た時には見えなかったものが見えてくるはず。

見えないものを見る目。何も神を指して言っているのではなく、生きている間に経験することから導き出されてくるものがあるはず。

それを意識として明確にできるかどうかということ。

少なくとも、今は、政治に対して、選挙に対して、永田町目線で無く、“市民目線”になった自分がいるということ。

自分の中で埋もれ火のように芽生えてくる永田町感覚を、それが読み取る鍵だとしても、敢えてそれを“排除”する。
地方目線、市民目線で、それらを捉えなにやらの駄弁を弄しているということ。それを甘受しているということ。いや、それの方が「まとも」なのだと思いながら・・・。

2014年12月10日水曜日

「産んだらどうなるのか」。麻生発言から見える世相

特定秘密保護法が今日から施行される。
何が秘密なのかは秘密と言う法律。少なくとも公務員を縛るなら、現行の法制で十分だと思うけど。

報道だって、一発の「恫喝」で委縮しているわけだし。

選挙報道らしい報道が無くなったテレビ。最近はもっぱらゴマスリにも見える。
媒体としてのテレビへの依存度、視覚、聴覚に訴えてくるメディア。
そこで連日垂れ流されている番組。

視聴者から、国民から、「考える力」を奪っているような。

選挙の真っ最中なのに、話題はもっぱらノーベル賞。それも衣装がどうだ、晩さん会がどうだと。視点がおかしい。

なんか息苦しい世相となったもんだと。

麻生太郎がまた「暴言」を吐いた。
「アベノミクスで効果を出していないのは、よほど運が悪いか、経営者に能力が無いからだ」。
そして・・・。少子高齢化に伴う社会保障費増について・・・。
「高齢者が悪いようなイメージをつくっている人がいるが、子供を産まないのが問題なんだ」と。


斜に構え、マフィアもどきの格好をして、やくざまがいのべらんめえ口調。

本物のヤクザ屋さんの親分も言って来た。「とっちゃん、ありや無いぜ」と。

産まないのが悪いとしよう。ならば産んだらどうなる。
誰だって子供は産みたいんだよ。そのために涙ぐましい努力さえしている人もいる。

そして親は必死になって子どもを育てているんだ。

友人が息子さんを亡くした。37歳の息子さん。手塩にかけて育て、結婚式に招かれた彼。

親の悲嘆を思うと、筆舌には尽くせない。

「産む」、「生」と言う字に重なる。生ということにこだわる。

「生」とは政治の基本なのだ、

”生ましめんかな“。栗原貞子という被爆詩人の書いた詩。実話だ。
原爆投下後、防空壕の中で一人の妊婦が産気づいた。大けがをしていた産婆さんは、身を引きずるようにして、その赤ん坊をとりあげた。産声を聞いてその産婆さんは息を引き取った・・・。

子を産む、生むとはそういうことなのだ。

日本のこどもの6人に一人は「貧困」なのだ。満足にものも食えないのだ。
平均所得半分の収入しか得られない働く母親。おかずの無いおにぎりが精いっぱいのご馳走だという。
昼飯は食べていないとも言う。

「おにぎりパーティだよ」と言って親子が励ましあっていると言う。

週一回のボランティアによる「満足な食事」の提供、それがその子たちの栄養を支えている。

産んでも育てられない社会システムなんだよ。政治の貧困が、劣化が招いた。

ボクは餓えの苦しみを知っている。食べ物が無いと言うことがどんなに辛いのかを知っている。

3・11後の避難所の光景も知っている。まず問題になるのは、一番欲しいのは食べものだということを。

生きるために人は物を食べている。

いくら釈明会見をしようと、その言は「放たれた矢」なのだ。看過できないことなのだ。

麻生の“暴言”には馴らされてしまっているのか。この発言問題をメディアは大きく取り上げない。釈明会見を小さく扱って「お・わ・り」。

これも恫喝の為せる業か。

なぜ麻生があんな事を言ったのか。政治をやぶにらみ的に見れば、財政政策では安倍と麻生には考えの違いがある。財務省のドンは、いきなり増税派だ。安倍は1年8か月延期した。

遠回しな安部への牽制球かもしれないが。

産まないかではない。産ませられないかが問題なんだぜ。

たらふく贅沢している政治家には、食えない子どもがいることなど念頭にないのかもしれない。

余計なおせっかいだったかな。おぼっちゃま方。

2014年12月9日火曜日

「矢は弦を放れた途端・・・」。

「矢は弓弦から飛び去るやいなや、もはや、射手のものではない」

ハイネの“告白”にある一行。もちろん「矢」とは「言葉」のことだ。

政治家の言葉は軽い。あまりにも軽い。
麻生太郎への、いまさらながらの苦言。

前言を恥じることなくひっくり返すし、出来もしないことを出来るように言う。
アベノミクス。

三本の矢だという。矢はすでに放たれた。的に当たったか。かすめたか。
大方は的外れだ。

外れた矢はどこに向かう。そ、その弓道場で見学している人のところか、場外にいる人か。

場外にいるあなたにですよ。矢が飛んでくるのは。
その矢を落とすこともままならないあなたへですよ。
的外れの矢にあたったらどうなりますか。

ちょっと想像してみてはいかがですか。

とにかく、放たれた矢は射手の思惑からは外れてしまっているようだ。でも、それを「当たった」と言い張っているように見える。

株高・円安。それが何を招いているのか。デフレは克服できているのか。

歓迎する向きもある。そうでない人も多い。

一部の人が、企業が富み、その他の人は貧しく、しわ寄せを受ける。

日本の縮図だ。

一部の大手企業の社員はある程度恩恵に浴した。でも・・・。

お金はそれなりに使っているが、得たものは少ない。
物を買っては見たが、楽しみは少なくなるばかりだ。
家は大きくなったが、家族の形は小さくなった。

便利なものが次々に生みだされる。でも、自分の時間は少なくなった。

寿命は延びた。でも、真の意味で生きてはいない。

コンピューターは進歩する。生み出したのはコピーだけかも。

月まで、火星まで行けるようになったのに、隣人とは、人とはトラブルが絶えない。

コンビニではなんでも売っている。でもそこの食べ物は消化が悪い。

利益、利益が優先され、人間関係は希薄になる。

体だけは大きくなっても、人格は極めて小さい人が多い。

原発は新しいエネルギーを生み出したが、失われたものも多い。

それに誰も気づいていないということ。

そんな時代なんだな。今は。

誰がどんな言葉の矢を放つのか。射手のものでは無くなった言葉をどう捉えるのか。

選挙カーは矢のように走り去っていく。
センセイはただひたすら走る、走る。握手、握手。作り笑顔。
そこには「言葉」がほとんど介在していない。

ハンドマイクから飛び出す「言葉」は無味乾燥としている。

政党を選ぶか、政治家個人を選ぶか。
自民党支持だけど安倍は嫌だ、怖いと思うか。

親からあの戦争時のことをしっかり聞いている人は、やはり安倍は怖いと言う。
言って来た。

#とりあえず自民以外で。これもどこかにある流行りを追う風潮にも見えるし。

自民党議員の、支持者のすべてが安倍支持ということなのか。

少なくとも、かつての自民党と今の自民党はすっかり変わった。
往時を知る者にはその感が大だ。

党内には自浄作用があった。胸ぐらをつかみ、灰皿が飛び交う。みっともない光景だが、それも自民党の多様性だった。

師走の風は、矢の向かう方向を間違わせているのかもしれないし・・・。

2014年12月8日月曜日

地震の後に戦争が来た

1941年12月8日。あの戦争が始まった。真珠湾奇襲攻撃とともに。
ラジオが流したニュース速報。緊急速報。
「大本営発表、帝国陸海軍は米英と戦闘状態に入れり」。

開戦の詔勅はこれと相前後して発せられた。12月8日付だ。宣戦布告。

昭和天皇はその詔勅の中で一言、「これは我が本意に非ず」と述べられている。

もちろん、その前から「事変」としての戦争は中国、満州の地であったが。

とにかく戦争が始まった日。74年前。

そん前日、12月7日、南海地震が起きている。マグニチュード7,9だったか。
その年の7月には長野を中心に大きな地震も起きていた。
1941年は列島で地震が多発していた年・・・。

昨夜テレビで安倍の安全保障ブレーンである国際大学の学長北岡伸一氏がこんなことを言っていた。

“特定機密保護法が施行されようと、集団的自衛権が発動されようとも、日本は戦争をしません。戦争をするカネが無いのだから”

カネがあったら戦争をするのか。74年前の戦争時、日本にカネはあったのか。
カネが無いから資源を確保するなどのために戦争を始めたのではないのか。

カネがある国は戦争をする必要なないのだ。

開戦時、日本のGDPはアメリカの4分の1でしかなかった。
総力戦に持ち込めばその帰結はわかりきっている。
なのになぜ、あんな長期戦になったのだ。したのだ。

勝算ってあったのだろうか。

なんとも解せない学者の理論と。

1941年の地震のことはあまり伝えられていない。今のようにメディアは進歩していなかった。口伝えのようなものだった。
NHKラジオは戦況報道一色だった。

被災者たちはどうしていたのだろう。まさに孤立無援だったのかもしれない。

今は、天災があればすぐ自衛隊が救援に駆けつけてくれる。当時の軍隊は・・・。

真珠湾奇襲成功のニュースに湧く日本を覆っていた「空気」。国民は、地震の被災者に目が行く暇も無かったのかもしれない。

「3.11」があった。でも国内では戦争は起きていない。世界を見れば、戦争では無いにしても、それに等しい国際紛争や国内騒乱はあったが。

ウクライナ、パレスチナ・・・。

火山は蠢動している。大小入り混じった地震も頻発している。

戦争は来るのかな・・・。

いや、3・11後、確実に来た戦争がある。

「原発戦争」だ。人類は原発に負けたのだ。

その後始末。そこは“戦場”と呼ぶにふさわしい。極寒の中、作業員たちが“廃炉”という見果てぬ夢を追い求めるが如く「戦って」いるという現実。

選挙戦。そこは候補者にしてみれば戦場だ。そこで飛び交っている“用語”はまさに戦争用語なのだ。

それらはいずれも歴史の句読点となる。

「戦争」を考えるには、きょうの冬の日はあまりにも穏やかなのだ。僕の身の回りの天候だけど。どこかでは大雪と戦っている人達がいるかもしれないのに。

1941年、僕はすでにしてこの世に生を得ていた。親に庇護されていた。子どもながらに、敗戦に至るまでの体験は覚えている・・・。
そして「3・11」も身近に体験した・・・。

2014年12月7日日曜日

「希望」・・・そして静夜詩、いや思。

牀前月光を看る
疑うらくは是れ地上の霜かと
頭を挙げて山月を望み
頭を低れて故郷を思う

朝びっくり。まさに地上の霜が・・・。冬、実感なのであります。
遠望する山の稜線は美しくありました。

昨夜、部屋の灯りを消して、ペレットストーブの炎を眺めていました。
炎は想念をもかきたてて・・・。光は、炎は希望の灯りだともいうけれど・・・。

昨日、何かと忙しくはあるのだけど気分転換に本を整理してみた。災後に買った本。
よくもまあ、こんなにと言うくらい。よく買えたもんだとも。50冊を優に越えている・・・。そんな中に、ツナミの涙含めて、あの時、あのころを記録した本も多数あった。

あの時、いや、それ以降も「本」に何を求めていたのだろうか。何かを、求めていた。

たとえば放射能の知識を得るため、たとえば、自分の“空白”を埋めるため、東北の歴史、原発の歴史を知るため、この国の姿を掘り下げるため・・・。もろもろだ。

あの頃、この国は、自分自身は勿論だが、「絶望」に支配されていた。今も続いていることではあるのだが。

「希望」と題する本が数冊あった。希望の国・希望の地図・希望の王国・・・。

絶望と希望。その対極にある二つの心理を、どう消化していくのか。
そんな心情が本を求めさせたのかもしれない。
作家が紡ぎ出す「言葉」の数々にすがりたかったのかもしれない。

希望とは何か。たとえば一冊にはこうある。

「そもそも、希望とは与えられるものなのか。自分の外で光輝いているものなのか。さらに言えば、希望とは未来にあるものなのか。
そうではない。希望はいまの自分の中にある」と。

別の本にもこうあった。
「人々の切なる声は、震災と言う試練だけではなく、大きな試練を前にした私たちに本当に必要なのは、自ら見出す“希望”であることを教えてくれた」。

だけど・・・未だに「希望」ということがわからない。
そして、作家たちも、その多くが被災地に対して「希望」という言葉を使わなくなった。

なぜなのだろう・・。そんな“哲学的”問いかけ。絶望と希望の狭間にある「現実」。

未だに「復興」ということに理解が出来ない。誰でもが口にすることだけど。

元に戻すことが復興なのか。もうすべては元に戻らないはずだし。

カネをいくら積んでも「心の復興」には行き着かない。

復興とは、想像力に基づいた新たな創造なのかもしれないし。
被災地からそれが生み出されれば復興ということになるかもしれないが。

まだ、財布の中に一枚の切符を持っている。釜石発復興未来行き。諦めない限り有効の切符を。三鉄は開通した。でも、まだ「復興駅」には行き着いていないと思うから。

きょうもまた「明日行き」の切符を思いの中で買うだろう。明日に向かう電車に乗るかもしれない。明日になって何かが変わっているとは思えないが。

すでにして、変わることを誓った人々が、国が、それを“放棄”したようにも思えてならない。
変わることを放棄した。それは思考の停止だ。
受け身の楽観主義だ。

それを排したい。そして、死を想え。メメントモリ。

真夜中の静寂はそれを思うに恰好な時間でした。

無残ともいえる写真集をも見ました。

あの光景は忘れ去られているように思える今。
そして蘇るあの日の夜の寒さ。

忘れるという字は、心を亡くすと書きます。こころよ、どこにも行くな。ここにとどまっていてくれ。そして俺をもっと、もっと悩ましてくれ。

寒いであろう街に暫時出かけます。あの頃と今の街の光景はたしかに変わったけれど。確実なのは「空き地」が増えたこと・・・。

2014年12月6日土曜日

冬の日

きょうは晴天の分だけ、余計に表は寒く感じる。風が冷たい。まさに冬晴れ。
狭いと言っても日本は広い。
全国を寒波が襲っているという。大雪のところも。立ち往生の車、閉じ込め10時間もとか。

寒さの中の選挙。候補者も運動員も、動員された聴衆も大変だ。ごくろうさんの一言しかないが。

なぜか大好きな三好達治の詩が浮かんできた。「冬の日」。
失意の中にあった当時の会社の役員が長野の善光寺別院のようなところに寄寓していたとき、この詩を手紙で送った。メールも無い時代だったし。

『ああ智慧(ちゑ)は かかる静かな冬の日に
それはふと思ひがけない時に来る
人影の絶えた境に
山林に
たとへばかかる精舎の庭に
前触れもなくそれが汝の前に来て
かかる時 ささやく言葉に信をおけ
「静かな眼 平和な心 その外に何の宝が世にあらう」』

菅原文汰のことを考えている。特別のフアンでもなかったが。
「まさに死せんとするやその言やよし」ということかもしれないが。

沖縄で短時間行った選挙の応援演説。

「政治の役割はふたつあります。
一つは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。
もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと」

餓えてる子供がいる。貧困と呼ばれる子供が10人に一人はいる。その現実。
そして、さまざまな意味で戦争の匂いがする。なんか感じる。

それでも日本人は戦争を選んだ。そう、その論考が現実味をおびて来ているの感ありだ。

特定秘密保護法が施行される・・・。

ある日突然「平和」を奪われた多くの人たちがいる。奪われたではない、失ったが正しい表現か。
そこに言う「平和」とは、特別大仰なことではない。
冬は寒いと感じ、夏は暑いと感じる。その四季を「恵み」として受け取りながら、何気ない日々の普通の暮らしをしていたということだ。

「戦後」と「災後」に通じるものがある。

そこに違いを見つけるとすれば、「戦」は人間が起こすものであり、「災」は自然の事象ということか。


石巻出身の菅原文太は、災後、被災地を訪れた。見た、聞いた、知った。肌で体験したものがある。彼はこう思ったという。俳優をやめようと。
映画を作り、映画に出ている場合じゃないと。そして農業者の道を選ぶ。

それは映画を否定したものではない。彼自身の生き方の問題だが。

そして言う。
「東日本大震災では、戦後の日本が築いてきたものが一瞬にして見る影もなくなった。被災地の状況が問いかけてくる。幸福ってなんだったのかと。
 原発もこれまで一般には考える必要のないこととされてきたじゃないか。安全神話が覆い、自分もまさか福島のようなことが起こるとは思っていなかった。だから科学技術って何だったのだと考えてみてもいいのじゃないか。

 産業革命が起き科学技術が人間に恩恵をもたらし始めて250年くらいになる。そして、現代に至り、人間が宇宙を制覇したとまではいかないにしても、そんな科学技術は万能だという意識が我々を覆っている。
 しかし、科学を中心とした発展の末に、日本人が昔からよりどころにしていた精神の土台を自ら破壊してきたことと無関係ではない。
 日本人は、自然に対する畏敬の念を抱いて生きてきた。一木一草に神が宿っていると考えた。それをいつの間にか放棄してしまって、人間としてのよりどころがなくなってしまったんじゃないだろうか」。

まさに、災後、僕が折に触れて書いてきたこと、話してきたことと合致する。

大晦日、全国の「トラック野郎」が1万台、東京湾岸に集結し、鎮魂のクラクションを鳴らすという・・・。その場に居たい衝動に駆られる・・・。

2014年12月5日金曜日

「選挙報道」をめぐって


一昨日、大手新聞各社が一斉に衆院戦の“序盤”の情勢調査を載せた。
まるで申し合わせたように。
朝、毎、読、日経。

表現に多少の違いはあれ、予測は「自民300」。

たしかに驚きであり、衝撃だ。それは与野党問わずだ。

公明合わせれば、また三分の二が確保出来る数字だ。

「マスコミの世論操作」だという人達もいる。確かに、安倍批判を手控え、“萎縮”した感があるメディア。でも、これは、意識的な“操作”ではない。

選挙前の世論調査。それもたしかに調査方法には“疑念”がぬぐえなくもないが、安倍内閣の支持率は40%台だった。不支持が上回っていた調査もある。

だから「予想獲得議席」と問われた時に、安倍も「自公で過半数」と言っていた。

蓋を開けてみたら300。早速「緩み」警戒の指令を出して。

支持率40%台が獲得議席70%という怪。

自民支持がイコール安倍支持なのか。そうではないと思うけど。

党首力という言葉がある。党首討論を見ると、不甲斐ない野党の党首がとも見える。その通りなのだが。

この数字をどう選挙民が受け止めるかだ。
流れに身を任せようとするのか、安倍政治を阻止しようと振り子が動くのか。

かつて言われていたこと。選挙区ごと。「有利」と書かないでくれ、陣営のタガが緩み、どうせ勝つんだからと他に票が流れると言う“定説”。

あと10日、野党がどう巻き替えせるか・・・。

選挙民の意識とは別に、選挙には“戦術”が“戦略”がついてまわる。
不意打ちを食らったのは野党だけではない。自民にとっても不意打ちだったのだ。

問題は野党が「バラバラ」ということ。統一出来なかったということ。
受け皿足り得なかったということ。

頼りない、だらしない野党を責めるべきだ。

「300」という数字を念頭に置いた選挙戦となって行く。だいたい、自民自身も減ると思っていたし、マスコミもそう思っていた。でもそれは違っていたという「調査結果」。
300という数字が、どんな影響を与えていくか。

寄らば大樹の陰、ということになるのか。とんでもないってことになるのか。

安倍政治には数々の疑問点があるにも関わらずだ。

きょうの東京外為市場は円安が進む。ついに120円だ。円安になったらどうする。
それは目先の選挙には無関係のことなのかもしれない。

多分、この「300」という数字は“既成事実化”されるだろう。

そして・・・。14日の午後8時。テレビ各社は画面いっぱいに出す。自公で安定過半数、3分の二確保と。具体的な議席数まで出す。

いわゆる「出口調査」を基礎とした、大方はあたっている数字を。

それを「おかしい」と批判する人もいる。たしかに理屈から言えばおかしい。どこも開票されていないのだから。

夜を徹して開票速報を見ている時代ではなくなった。テレビに合わせての「バンザイ」がすぐに映し出される。奇妙な光景なのだが。

それはともかく、序盤の議席予測、情勢調査の報道をどう読み取り、どう自分の投票行動に結びつけて行くのか。

言えることはただ一つ。確実に投票率は下がるだろうということ。

いまさら公明党は結党の本旨にさかのぼって「野党」で有るべきだ。なんて言っても始まらないし。

自公圧勝が福島にとっていいことなのか、そうではないことなのか。それを考えていかねばならないし・・・。

とにかく、今はそういう国の姿だということ。あらゆる意味で。

2014年12月4日木曜日

人を育てるということ。選挙番外編

新聞数紙が書いている。議席予測を。自民300越えとか迫るとか。
なんとも言い難しの感。

政治が劣化している。多くのひとがそう言う。異論はない。
マスコミも劣化したと人は言う。たしかにそうだ。

誰が劣化させたかが問題だ。国民の劣化がそうさせたのだ。
「劣化」の伝染・・・。いや連鎖。

こんなことを考えてみる・・・。
例えば音楽家。耳の肥えた聴衆がいることが、その音楽家を育てる。いくら上手な先生に付いても、技術を学んでも、感動を聴衆に与えなければその音楽家は成功したことにはならない。

上手なコーチが技術を教えても立派なスポーツ選手が育つとは限らない。
選手を上手くさせるのは、選手にその楽しさを教えることが先だともいう。

敵味方に分かれていても、サッカー選手が意識するのは観客だ。フアンだ。

フィギアスケートは、お客さんの反応がその選手の力量を決める。

技術よりも「楽しさ」。それが選手にあるかどうか。お客を楽しませることが出来るかどうか、それが一流の必須条件。」

「お客が役者や演奏家、選手を育てる」ということ。

かつて経営の神様と言われた松下幸之助。彼が常に口にしていたのが「お客様が」だったと聞いた。

だから・・・。

政治家を育てるということ。誰が政治家を育てるのか。どうやって政治家は育つのか。
政治家を育てるのは選挙民だ。利益誘導だけを政治家に求めている限り、その政治家は利益還元しか考えない。
永田町という狭い範囲でしか日常を過ごしていない人。そこからは国全体が見えない。

例えば松下政経塾というのがある。政治家への一つの登竜門だ。しかし、そこで政治のテクニックだけを学んでも、まともな政治家にはならない。
誰とは言わないが、思い当たる節もある。

政治の劣化とは何か。視野狭窄に陥っていることもその一つだ。
そして、その座にいることに連綿としているその価値観だ。

「自民党の中に人がいなくなった」。党の幹部すらそう公言する。
なぜ政治家は育たないのか。

選挙制度に問題があるのだ。そう、今の小選挙区比例代表制。
小選挙区は一つの選挙区で一人しか当選しない。そこには「勝てる」と思われる候補しか立てない。あげく比例代表、重複立候補。落ちても当選という馬鹿げた仕組み。

小選挙区制。それにより政権交代をより可能なものにする二大政党の実現。
旗を振ったのは小沢一郎だった。今、かれはどういう境遇に置かれているのか。

中選挙区制に戻そうよ。定数3人のところに一つの政党が3人立ててもいい。
そこには切磋琢磨が生まれるし。仮に5人立ったとしよう。落ちた2人は選挙を経験する。
その経験が、次の選挙に役立つ。やがて日の目を見たときには、すこしはましな政治家になっているはず。

有権者の選択の幅も広がる。自民党支持でも、そこに立っている候補者には入れたくないという人も多い。棄権はしたくない。なくなくそこの一人の自民候補に入れる。
嫌な人は選挙に行かない。棄権する。選択肢を広げた方が投票率は上がるのだ。


定数と合わせて、選挙制度を大本から変えるべきなのだ。ダメな奴は落とせるのだ。

同期の人間でこれはと思うやつを二人競わせる。同じ社内で、組織で。指定席は作らない。それが企業の発展への人材育成策でもある。

多くの若者が選挙に無関心だと言う。僕はそう思っていない。関心はあるが入れたい人がいないのだ。若者代表が入り込む隙が無いのだ。
小泉進次郎などは稀有な例なのだ。

若者が入り込める余地をつくること。それが政治家を育てるということにもつながると思っているのだが。

そうなのだ。後から来る者の為に、道を空けて置かねばならない。のだとも。

2014年12月3日水曜日

「争点は有権者が決めることだ」と識者は言う・・・

大義なき解散と言われ、争点無き選挙だと言われた。
最初はアベノミクスなる経済政策、消費税の増税延期、それが争点だといい、
「この道しかない」と政権側は言った。

安倍の土俵で相撲を取るということ。ーーそんな事を書いてみた。

メディアもこぞって「争点無き選挙」と書いていた。そんな“風潮”を潔しとしなかったのかどうか。

争点は有権者が決めるもの。そんな社説や論調が現れ始めた。

一見、合点がいくようで、合点がいかない問い掛け。

あまりにも、的確な表現かどうかはともかく、「哲学的」とさえ思える投げかけに思えたから。

メディアとしての格好いい綺麗ごとのような、相も変わらぬ「放り投げ」と読めてしまったから。

福島の有権者は、何を争点としてほしいと思っているか。簡単に「復興」の二文字で片付けられてしまうことへの大いなる違和感があったはず。

12万人の仮設や借り上げ住宅で慣れない暮らしをする人達。4万人ともいう県外避難者。

それらにどういう眼を向け、対策を言うのか。それが「福島」の争点。
1Fの処理、汚染水。原発事故の後始末。
除染・・・。

彼らにとっての喫緊の課題は俎上に上らない。

有権者に争点を丸投げしていたメディアも、その愚に気づいたのか。メディアの側から争点を書き始めた。

もちろん、アベノミクス、経済政策もあるが、「経済・安保・原発、幅広い争点」と書きはじめた。
しかし、その原発とは「再稼働」の話しであり、福島のことでは無い。

昨日の安倍の相馬入り。滞在わずか1時間足らず。せっかく福島に足を運んだのだ。見て回る、話を聞いてまわるところも多々あったろうに。

案の定、聴衆からの反応は冷めたものだったと聞く。

遊説日程は自民党の事務局が決める物ではあるが・・・。

大義なき解散は、選挙で勝つための各党の戦術に移っている。候補者調整含め、仁義なき戦いが展開されているようにも映る。

大義にしても仁義にしても、そこにある「義」とは何ぞや。

新聞もテレビもこぞって各党党首の討論会をやっている。討論会では無いな。あれは。主張、意見の開陳の場でしかないな。

1局みればもう見なくてもいい。同じことの繰り返しなのだから。

なんだかんだと言いながら、野党もすっかり安倍の土俵に乗っているし。
アベノミクスは失敗だったと言い募るけど、そんなこと先刻承知の介(笑)。

沖縄は全くと言っていいほど“争点”のもされない。争点どころか言及すら無い。

選挙の「興奮」もあまり感じられない。

所詮は「数」を争うだけの選挙なのだろう。

「3・11」後、日本という国は「変わる」ことを誓ったはずだ。でも、結局、何も変わっていない。
選挙の在り方も。

とにかくわかっていること。それは2年余りのちには消費税は10%になるということ。

その時になって、嘆いてみてもすべては後の祭りなんだけどな。

「一国の国民は普通、自分たちの平均的レベルを超える国会議員を持つことは出来ない。また一国の政治が総理大臣の器量を超えることは無い。
国家の価値は、結局、これを組織する人民の価値である」。

英国の哲学者、ジョン・スチュワート・ミルの至言だ。

だから争点は有権者が決めると名が返されたのかもしれないが・・・。

2014年12月2日火曜日

「福島」から選挙を語るは愚なりや

昨日東京新聞が書いていた。
福島第一原発から出る汚染水のことを。
「東京電力福島第一原発至近の海で、本紙は放射能汚染の状況を調べ、専用港の出入り口などで海水に溶けた状態の放射性セシウムを検出した。事故発生当初よりは格段に低い濃度だが、外洋への汚染が続く状況がはっきりした。一方、東電は精度の低い海水測定をしていながら、「検出せず」を強調する。事故当事者としての責任を果たしているのかどうか疑問がある」と。

汚染水は外洋に漏れているのだ。完全にブロックだ、アンダーコントロールなどと言った張本人はどう思っているのだろうか。

12万人、寒い仮設の冬が始まる。そこに戯れ歌のようなものも張ってあるという。
「毎日パチンコ屋に通えるのも東電さんのおかげです、東電さんよありがとう」のような。

除染が続く毎日。黒い袋がますます増えている。
1F構内では寒い中、作業が続く。浜通りにではもともとの住民と避難者との間で、軋轢がより深刻になっている。

国道6号が通行可能になった。常磐道がほぼつながった。そこを自転車で走らせる。そんな「明るいニュース」をメディアはこぞって伝える。

間違いではない。でも、その脇を見てくれ。
人はいない。草ぼうぼうの廃屋同然の家・・・。

あの時のままの光景が、そこにはあるということを。

全てが政治のせいではない。が、政治に結びついて行く問題だ。

今日からの選挙戦。アベノミクスが連呼され、かたや再稼働反対や集団的自衛権の問題が言われる。

福島も津波被害も、もう過去のことのように争点にはされない。

きょう安倍は相馬に入った。常磐道を来年3月に全線開通させると言う。
海江田も来ると言う。

福島は「ダシ」にされていると思う。

郡山市議が選挙応援で支持者回り。あまり関心が無いようだとの感想を言う。候補者のリーフレット渡すも反応は「いまひとつ」と。

アベノミクスの影響が及んでいるのかどうか。それらへの言及はその道の人に委ねよう。一言だけ言えば「及んで無い」と思うけど。

「選挙に行ったって意味が無い」「何も変わらない」。無関心な人が多いことは事実だ。

だから言う。「無駄なことは無い。今の政権は、それが福島と同じように、国民が諦めることを狙っている。無力感を味あわせようとしているのだ。みすみすその手に乗ることは無い」と。思う壺にははまるなと。

今はどうだか知らないが、昔、総理官邸には「日本丸」という帆船が飾ってあった。毎日のようにその船の前を通っていた。

福島の海を考えながら、海に浮かぶ船を想う。
言い古されて言葉のようだが。「日本丸よどこに行く」。

選挙の争点になるかどうかはわからないが、目くらましのような「経済」に埋没してしまうのかどうかも分からないが、安倍政治の行く先、目指す先を思う。

言いたいことも言えない、おかしいこともおかしいと言えない。普通に生きることもできそうにもない。そんな社会が待っていると。

物言う俳優が一人逝った。菅原文太。高倉健とは違った意味で、痛惜の念に堪えない。物言う人がどんどん亡くなっていくのだ。
彼の夫人はこう言っていた。
「落花は枝に還らざるとも」・・・と。

会津藩士、秋月悌次郎を書いた小説の題名だ。

菅原文太の“遺言”は、死して参政権を行使しているようにも思えてくる。

中島みゆきの歌は彼の死に相応しいものかもしれない。

♪宙船(そらふね)♪

・・・その船を漕いで行け、おまえの手で漕いで行け、おまえが消えてよろこぶ者に、お前のオールを任せるな・・・

「君たちが、あなた方が、政治を見捨ても、政治は、決してあなた方を見放さない。縛り付ける」。2年前の選挙時に書いたコラムの一行だ。

それしかない自らの権利を、自らが無視することなかれと。公示の日に。

2014年12月1日月曜日

・・・そして12月

1年の終わりの月、12月。
この12月っていうのは嫌いだ。世俗を大方離れた身と雖も、なにか慌ただしいし、寒いし・・・。
案の定風邪気味だ。

何事も始まりがあれば終わりがある。

今年の一月、「あっと言う間に12月だぜ」と言っていたような気がする。
そのあっと言う間が経って。

明日は総選挙の公示。あっと言う間に投票日。そして・・・。

一年の終わりの時、なぜか寂寞感が伴ってくる感じもする。

始まりと終わりと。

確か、田中角栄から聞いた言葉のように記憶している。いや、彼がだれか先達から言われていた言葉を敷衍したのかもわからないが。

「俺はね、総理大臣になって、組閣を終え、執務室で一人になった時から、いつ引退するかを考えていたんだ。いや、それはまず考えることだと思ったのだ。その期間に何をするか、有限の期間の中で」。

彼の退陣は、己の予想を超えて、あまりにも早かったが・・・。

第一次安倍内閣。突然の退陣は、まさに断腸の思いだっただろう。察するに余りある。
捲土重来を期していたかどうかはしらないが、転がり込んで来た第二次安倍内閣。「敵失」による最高権力者の地位。

6年間総理の座にとどまる。自分自身にも言い聞かせ、墓前にも誓ったのかもしれない。
そして6年後、意のままになる者を後継指名し、院政を敷く。そんな人生の、政治家としての設計図。

そのためには阻害要因は切って捨てる。国民、民意などと言うものは、単に“野望”を達成するための「民主主義に名を借りた手段」にしか過ぎない。

明日から本格化するであろう「遊説」。あれはまさに強行日程だ。並の体力や精神力では務まらないくらいの。

安倍は国民に言うだろう。己の成果を。しかし、国民の声には見ざる、聞かざるを貫く。

田中角栄は、恐ろしいほど、地元の人の就職の面倒を見た。あちこちに口をきた。もちろんマスコミにも。
田中の口利きで、いわゆるコネで入った人たちは、その会社の中で「誠心会」というのを作る。いや、入ると言ったらいいのか。

橋本登美三郎は自身が朝日、NHKだったこともあってか、「西湖会」というのを“作らせ”ていた。NHKの海老沢勝二はその会長だった。


マスコミと有力政治家との関係。口利きがまかり通る。その融通無碍な関係。いわば“業界的”には当たり前だったのだ。

安倍の、安倍事務所の口利きによる、いや、その父の晋太郎まで遡ってみても。その口利き、一致する“利害関係”、その実例は数例見てきた。

民放幹部と電通との子弟の就職をめぐる相互補完関係もある。

新聞社でもテレビ局でも、新社長が就任すれば、必ず総理大臣のところに挨拶に出向く。地方では、知事や市長が地元紙に挨拶に出向く。

だからどうだって言っているわけではないが・・・。

「恫喝」もどきをする前に、すでに「自主規制」は行きわたっているはずだけど。脅したつもりが、逆に国民の側から顰蹙を買う。なんか、やはり“劣化”なのだろう。

そういえば、かつて「虚礼廃止」なんて申しわせが与野党でなされた時があった。そんな言葉って今もいきているのだろうか。

明日から、選挙事務所の中は、それが意味を為すのか為さないのか、虚礼ではないが、各種の推薦状が壁一面に並べられ、「祈る必勝」の色紙で覆い尽くされる。事務所を覗いてみてください。こんちはと入ってみてください。

お茶は出ますよ、コーヒーは出ませんが。笑顔で迎えられますよ。この時だけは(笑)。

「安倍政権は倒されるためにだけ存在する」。作家の辺見庸が述べた言葉。この“アイロニー”をどう読み取るかに腐心してみたりして。

歴史に残る日となるのか。2014年12月14日は。