2014年12月11日木曜日

離れたからこそ見えることがある

私事である。
東京時代、長い間、政治記者をやっていた。ほとんどが自民党か官邸担当。
”癒着“のごとくドップリ浸かっていた。

あの頃の、昭和の時代の自民党の表も裏も、“当事者”ではないにしても、それなりにかなり知っている。

当時のテレビは、今ほど「言論機関」として認知はされていなかった。テレビニュースをみる人も少なかったかもしれない。

書く原稿は、時々は自分でしゃべることもあったが、おおよそ自分が身を置いている環境、自民党から、政権から見た政治原稿だった。目線は政治家目線と言っていいのだろう。

その頃も政治家はとにかくテレビに出たがっていた。

選挙報道にも何回携わったことか。選挙になると各地の重点区といわれる選挙区を回り、“情勢調査”なることもやってきた。

当落。大方当たっていた。選対事務長の話しも聞いたが、だいたい、事務所の中に一歩足を踏み入れると、“感”で、その当落が分かった。

公正公平な報道。その時からも“不文律”のようにあった。

自民党から脅かしや警告があれば、たぶんそれを奇禍として“従って”いただろう。とも思う。

それはともかく、政治記者を離れて、福島に来てから、政治の事が、かえってわかるようになった。

そんなこともあってか。今の自民党政治を常のように批判している。

福島という一ローカル局に来て、東京のテレビを見たとき、東京では決してわからないテレビジャーナリズムの在り方が見えるようになった。
テレビジャーナリズムというのがあるかどうかは別にして、ジャーナリズムよりローカリズムという感覚が芽生えてきた。
ローカルから見るキー局の在り方や内容はおかしい。ずいぶん抵抗した。
逆に「営業」ということがいつも頭の片隅にあった。

テレビを離れて10年。見えることが多々ある。だからテレビを批判する。ジャーナリズムそのものに疑念を表する。

東京を離れて25年。離れたからこそ見える東京がある。故郷としての東京。
もちろん郷愁は限りなくある。
そして、東京にいた時には見えなかった東京。
自分の過去を否定するような思いで、東京の“悪口”を書く。

東京と福島。その二つの地域への「思い」で思考が空回りしているときもある。

離れてみてわかること、見えてくることがある。逆に離れていては見えないこともある。それを再認識したのが「3・11」だ。原発事故だ。身近にある廃墟としての原発。未だ居も心も定まらない人達のこと・・・。

原発事故は多くの「県外避難者」を生んだ。その数4万人余りと言う。

家族が離れ離れになる。離れてみて見えてきたこともあろう。何が見えたか。
それは各様だが。
県外から見た福島像というのもあるはずだ。

進学、就職で家を離れる若者も数多くいる。離れて暮らしてみて、家族をどう思うか。故郷をどう見るか。居た時には見えなかったものが見えてくるはず。

見えないものを見る目。何も神を指して言っているのではなく、生きている間に経験することから導き出されてくるものがあるはず。

それを意識として明確にできるかどうかということ。

少なくとも、今は、政治に対して、選挙に対して、永田町目線で無く、“市民目線”になった自分がいるということ。

自分の中で埋もれ火のように芽生えてくる永田町感覚を、それが読み取る鍵だとしても、敢えてそれを“排除”する。
地方目線、市民目線で、それらを捉えなにやらの駄弁を弄しているということ。それを甘受しているということ。いや、それの方が「まとも」なのだと思いながら・・・。

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