2014年12月20日土曜日

「投票率とは消費者性向だ」と思ってみた

決して“オチョクッテ”いるのではなく、いささか皮相的な例えだが。
選挙の話し、低投票率の話しだ。

有権者は消費者だということ。政治を「消費している」という意味だけではなく。

消費者というよりは「買い物」に喩えた方がいいのかもしれない。

物を買うという行為や意志は「楽しみ」を伴うものだ。
政治は、選挙は「楽しい」ものではなかった。

投票所に行くという行為は買い物に行くという行為だと置き換えてみよう。

買い物に行く気にならない、欲しい物が無い。そういう人ははじめから”デパート“に行かない。つまり「投票所」に行かない。
あのデパートに行ったって、特に良いものがあるわけではないし。ということだ。

何かが欲しくて買い物に行った人がいる。並べられた商品はどれも大して気に入らない。でも、大勢の人が、宣伝していた。良いと言っていた、そんな商品には手を出してしまう。
せっかく来たのだから何か買わないとという消極的な商品選び。

あげく、店員さんから強く勧められる。「これは、今、一番人気の品物ですよ。皆さん買っていかれますよ」。

そうか、皆が買うのだから・・・。そう、それを広義のポピュリズムと言うのかも。

だから、投票率が低かったのは、買いたい、欲しい商品、つまり「入れたい政治家」がいなかったということと大差ない。

そして「売る側」は「消費者心理」や「消費者性向」を見抜いていた。評判が悪いかもしれないものはバックヤードに隠し、美味しそうなものだけを前に並べた。そんな見立て。

有権者を消費者に置き換えて皮肉ってみた。

ならば生産者ならどうする。その答えを中学生の意見に見たような気がする。

新聞にあった埼玉県の中学性14歳の投稿だ。

・・・香港で学生たちが民主的な選挙を求めて必死になっている姿が日本の大人たちの目にははいらないのだろうか。選挙に行けるのは当たり前で、特に大切なことではないのだろうか。
この惨状(低投票率)から脱出するには、小中学校のころから、しっかりとした選挙に関する教育を行うべきではないのか。
僕自身も小学校時代にまともな選挙教育を受けた記憶は無い。若い人たちの選挙に対する関心の異常な薄さに大人たちは危機感を抱かないのだろうか。
あらためて問いたい。「なぜ選挙にいかないのですか」と・・・。

この中学生は、将来、その権利を行使できるような人を“生産”するための「教育」を訴えている。

消費者としての有権者、その対極にある生産者としての政治家。その乖離たるや・・・。政治が何を生み出しているのか、買うのに耐えうるものはありや。

「3・11」後の福島に浴びせかけられた風評被害なるもの。福島の物は食べられないという“評価”。

生産者と消費者との真剣な話し合いでしか解決できないと言われはしたが・・・。

政治家と有権者との間で、真剣な話し合いはなされたのだろうか。為されていない。

「お客さまは神様です」とばかりに、この時だけ、数日間は拝まれ、頭を下げられただけ。迷いながらもお客さま気分に浸らされただけ。

数多くの「選挙後遺症」。デパートに流れるクリスマスソングがかき消しているようで・・・。

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