2014年12月26日金曜日

「空腹」ということ

昨夜の7時から今日の午後1時過ぎまで、全く何も食べていませんでした。
最近は年齢のせいか、あまり空腹感というのが無く、食もほそくなってはいるのですが。

病院での「検査」の為です。今朝、病院に行き、採血、結果待ちがあって、CTとMRIの検査。

CTはいわゆる蓄膿というか副鼻腔炎のため。MRIは、今夏、転倒したことによる血腫の有無を調べるためのもの。造影剤入れるための絶食命令だったのです。

MRIの機械に入って居る時が空腹の絶頂期でした。あのうるさい検査音の中に身を置きながら、空腹のことを考えていました。

食べられない子どもたちがいることを。僕はあと少々の時間が経てば食えます。先は見えている。あの食べられない子どもたちは、空腹に耐えながら何を考えているのだろうかとか。世界中でも、日本の何処かでも。

戦後の「餓えた子ども達」の一人でした。家の中に何も食べ物が無かった時もあります。子どものころの写真はやせ細っています。
母親がなんとか手当てしてくれて、メリケン粉だけを湯の中に、醤油味の汁の中に入れた「すいとん」は“満喫”しました。今の食べられません。

給食だけは、時には給食費を持っていけないという肩みの狭い思いは何度もしたものの、脱脂粉乳とコッペパンは今でも嫌です。

何時の間にか「飽食」の中に身を置いていたようです。

どうってこともない空腹の時間。なぜか3・11を思い出していました。
あの日の夜、何を食べたか、食べたのか食べなかったのか、あまり覚えていないのです。調理などはおぼつかない状況でした。余震が続く中、いつでも外に出られるように普通の服を着たまま、とにかく散乱した家具やガラスの破片を脇に寄せて、横になれる場所だけ作り、身を横たえていました。

きょうもあの日と同じように、小雪が舞い、寒さが募っていました。

壊れなかったテレビを持って来て、その小さな画面で、夜通し伝えられる被災地の様子を見ていました。寒さに震えながら、屋上や山の上に逃れた人。あの時の、それからもしばらく続づいた寒さと飢えとの闘い。
心中、いかばかりだったかと・・・。

避難所には餓えた人の眼がありました。支援物資が届き始めた時でも、そのギラギラした、刺すような眼は消えていませんでした。

「生きるためには食べなければならない」。簡単な言葉ですが、“真理”です。
そして、食べるのものを作るところが“奪われた”。

さっきようやくコンビニのおにぎりを二つ食べました。
空腹は体力を失います。

あの時、二日も三日も食べるものが無い生活をしていた人が、何万人もいたということ。空腹は思考力の低下をも招きます。
よく耐えられたなと・・・。

数時間後には「食べられる」という“希望”。いつになったら「食べられるのか」という“絶望感”。くらべものになることでもありませんが・・・。

食べる物も無い“悲惨”な満州からの引き揚げ。戦地での、とにかく食べられると思うものは何でも食べたという兵隊さんの体験。

数十分のMRIの中で脳裏に浮かんだこと。全くもって愚にもつかないことですが。

朝飯抜きの人間ドッグも何回も経験してきました。

でも、3・11後、「食べる」ということの“価値観”が自分の中で大きく変容したような気がします。

たしか、3・11後、翌日、食べ物を届けてくれた知人がいました。その後も“補給”を依頼したら、早速何がしかの食べ物を届けてくれた友人もいました。
どうやって手に入れたのかはわかりませんが・・・。
何処にも何も売っていない数日があったことは事実でありました。

戦後と災後と。空腹に、言い様も無い恐怖感すらあるのです。

はてさて検査結果がどうでるのか・・・。こんな気がかり、つまり“日常”に染まってしまっているということでしょうか。

そういえば、災後、腹を空かせた野良猫が我が家にやってきていました。今ではすっかりベランダに居ついているようです。けっこう太りました。寒さをしのげるように「蓄えて」いるのでしょう。
犬と窓越しには”挨拶”を交わしているようですが。仲がよければ家にいれるんだけど・・・。せめて「餌」で我慢してくれよな。ちょっとした罪悪感ありで。

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