2015年12月30日水曜日

日常でなくなった日乗

「亭主謹白」とでもまいりましょうか。

この「からから亭」なるもの、“開店”したのは
毎日“開店”していました。
ネット上での“居酒屋談義”のようなことをしたかったので。

寄る年波を理由に、週休2日としたこともあります。
開店したのはたしか2005年の11月頃でした。

そして2011年の3月11日も何か書いていました。
パソコンが使えなくなり、しばらく間があきましたが、書けるように載せられるようになってからは毎日書き続けてきました。

そのために行動には制約が伴いましたが、毎日、何かを書かねばいられなかったのです。

大方、書いたものは、「福島」に関することや「福島」を引き合いにしたこと。政治のことも社会システムの在り様も、フクシマと関連付けていました。

会社員生活に終止符を打った時、東京に戻るか福島で余生を送るかの二者択一がありました。
様々な事情もあり福島を選択しました。

結果。あの3・11を「身近」に捉えられたこと、避難所の人たちと連日交流できたこと。そして、中途半端な当事者となり、見聞きしたこと、考えたことを書き連ねることが出来たと思っています。
「仮設住宅が無くなるまでは毎日書き続ける」。自分で自分に課した“覚悟”でした。

今年7月17日。脳梗塞なるものを発症。入院生活を余儀なくされました。書くことが出来なくなりました。悔しいほど不本意でした。

退院できてからも後遺症などがざまざまあり、毎日に復活させることは不可能となりました。

まさに日乗という日記が日常のものとならなくなってしまったのです。

後遺症の余波はまだまだ続きそうです。病院とも、リハビリ含め長いお付き合いとなりそうです。

日乗が日常で無くなったこと。
今年の慙愧に絶えないおおきな出来事でした。

入院と相前後して、この国は大きく変わったと思っています。
入院直前の塾でも、次回は民主主義の話をあらためてしようと言ったばかりでした。

半年近く、「民主主義」についてさまざま考えてきました。

来年は体調とも相談しながら、一年かけてじっくり民主主義を根幹に据えたことを、それに関連することをあらためて考え、話し合っていきたいと思っています。

ということで、今年のとぎれとぎれだった“営業”を今年は終わりとさせていただきます。

お立ち寄りいただいた方々に満腔の感謝を申し上げます。

来年もぼちぼちの、それこそ日乗ならぬ週乗となるかもしれませんが、気が向いた時に覗いていただければ幸いです。

良いお年を・・・月並みな言葉は使いませんが。

来年も多分、尖がった老人となることは想像に難くありませんが。
ありがとうございました。

2015年12月26日土曜日

「・・・終わり」について

間もなく今年も終わる。なにやら暦に縛られたような日常がどうにも不可思議だ。

今年、何が終わったのか。結局は何も終わっていないのではないかと。

戦後70年と”節目“が刻まれたが、結果、「戦後は終わっていない」、と思う。
かつて佐藤栄作は「沖縄が返還しないと我が国の戦後は終わらない」と言い続けてきた。

日本に駐留する米軍基地が70%以上も置かれたままの沖縄。
沖縄の戦後は終わっていない。

「終わり」ということは、それまでに在ったことを“無かったこと”にすることとも言える。

天皇陛下は82歳の誕生日にこう語っている。

//今年は先の大戦が終結して70年という節目の年に当たります。この戦争においては、軍人以外の人々も含め、誠に多くの人命が失われました。平和であったならば、社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失ったわけであり、このことを考えると、非常に心が痛みます//。
 //この1年を振り返ると、様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います。年々、戦争を知らない世代が増加していきますが、先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います//

天皇陛下の中でも戦争は終わっていなのだ。戦後も終わていないのだ、と受け止める。彼が沖縄を慰霊に訪れると言うこと。それは「終わらざる戦争」、将来も続くであろう「戦後なるもの」への自分自身への確認でもあるのかもしれないと。

無理やり戦後は終わったとしたい国。戦後は終わっていないとする多くの沖縄県民。その相克は続くのだろう。

日本の戦後民主主義は終わったのか。戦後民主主義は勝ち取ったものではない。いわば与えられた民主主義なのだ。
それだからか。血肉となってそれは存在していないのかもしれない。

戦後70年と言う時期に、安保法制なるものが出来上がり、少なくとも戦争への道に加担する指針が“復活”した。

今、戦後民主主義を学び、考え、理解しようとしているのは、あのシールズという若者たちが個として立ち上がった、一つのうねりのような行動かもしれない。
民主主義を言ってきた政治家や政党が、それに加わっていくという構図。
崩れかけている民主主義を、立憲主義を取り戻そうとする“70年後の若者”が登場したのが70年の“節目”だったということ。

そして福島・・・。原発。人は「福島」から何を学んだのかと思う。何も学んでいないのだ。
目先のことしか考えられなくなっているのだろうか。

この国の「司法」も、ある意味「終わった」のかもしれない。三権分立という思想は無くなったとしか思えない。

「原発」の何が終わったのか。防護壁により高濃度の汚染水が貯まる一方だという。裏をかえせば、それは、やはり海に流れ出ていたと言うことにならないのか。

汚染水問題は振り出しに「戻った」。事故当時の政権が、何を根拠としたかは定かではないが、当時の約束は40年だった。
今、あと35年と言えるのだろうか。言えまい。40年はそのままなのだ。

「生」と「死」を人生の始まりと終わりと見るなら、終わりが見えてきた、そして多少なりとも戦争を知っている人間は、何を為していけばいいのか。

年の瀬にあたり、勝手に考える終わりと始まりのこと。

2015年12月20日日曜日

「終わり」と「始まり」と

終わりと始まり。池澤夏樹が新聞に連載しているコラムの通しタイトルだ。
あの3・11以降から始まった、このコラムの、この表現がすごく気に入っている。

そうなんだ。何事にも終わりがあり何事にも始まりがある。
聖書の伝道の書を紐解く気持ちだ。

このブログ、3・11以降、毎日書いてきた。正直骨の折れる“仕事”だった。
7月17日。脳梗塞を発症して以来、それは頓挫した。

ようやく何かを書けるようになって、それまでの「連続」は「不連続」となってしまった。

今年も間もなく終わる。そして新しい年が始まる。

巷では一年のまとめだとか総括だとか振り返りだとか、なにかとかまびすしい。

今年を締めくくる漢字一文字が「安」だったと、あちこちで話題にする。
メディアがそのお先棒を担ぐ。

ばかばかしい限りだ。漢字検定協会とやらが決め、清水寺の管主が大書する。
無意味な“風物詩”。

しかも字が「安」だ。いかようにもとれるだろうが・・・。

安という字は「不安」という言葉でしかとらえられない。
我々は今、まさに「不安」な時代に生きているからだ。

「不安」が生む数々の問題と向き合い、考えながら生きている。

福島では何が終わり、何が始まるのか。それをまとめて語れる人はいないだろう。不連続の連続が繰り返されているのだから。

たとえば「帰還問題」。楢葉町では国が帰還許可を出した。それに伴う補助制度も打ち出した。国にすれば「終わり」ということになるのだろう。
しかし、わずか数十%にしか過ぎない人しか帰らないという。帰ることを決めた人はこれからが「始まり」だという。それもマイナスからのスタートの。

中間貯蔵施設の問題も大方の住民の合意が計られたと言う。施設建設が進むと言うことは国にしては、その件は終わりということなのだろう。

なにがしかの金が交付される。
“被害”を和らげるためのカネが人々の不和を呼び、それは生き辛さにもつながる。

カネによる線引き・・・。

汚染水対策で遮水壁が完成した。1F構内の汚染水問題は「終わり」ということなのだろう。しかし、高濃度の汚染水が遮水壁内に溜まっているという。
あらたに考えなくてはならない問題の「始まり」だ。

指定廃棄物の問題は何らの進展も無い。終わりも始まりもない。

福島にとっては、5年間、“安心”と“安全”とは何かが問い続けられて来た。

仮設住宅に暮らしていた人たちも、試行錯誤を繰り返しながら、そこを出る人も多い。

その人たちにとっては何かが終わったと言うよりも、新しい生活を不安を抱きながら”生きること“を始めなくてはならないのだ。

来年は「あれから5年」だ。メディアはさまざまな特集を、節目として組むだろう。それがどんな視点から伝えられるか。

終わりと始まりということを、もろもろ考えている・・・。

2015年12月11日金曜日

4年9ヶ月・・・

あの日から4年9か月の「11日」だ。
福島の海岸では県警や応援の警察官が、雨の中、不明者の手掛かりを探す11の“行事”にたずさわっていた。毎月繰り替えされる同じ光景。
不明者という死者への生者としての一つの使命として・・・。

福島の光景は変わったところもあれば変わらないところもある。
大方、フレコンバッグの光景はまだそのままだし。

昨日は昨日でまた1F構内で奇異な現象があった。

廃棄物処理建屋近くの地下坑道にたまっている汚染水の濃度が1年前に比べて約4千倍上昇していたというのだ。どこかの高濃度汚染水がなんらかの理由で流れ込んだということだ。

つまり高濃度の汚染水や放射性物質がなお厳然とそこには存在しているということだ。

そのことを問われた官房長官は「原因は調査中であり、外部への流出や汚染の心配はない。東電や経産省が適切に対応している」と答えていた。

「心配はない」。この言葉を聞くたびに4年9か月前を思い出してしまうのだ。
「いまのところ心配はありません」「念のために」「健康に影響はありません」。

あの時の官房長官のテレビの前での発言。それを信じて“選択”を間違えた県民も多かった。

国というものへの不信感が増幅されたのが原発事故そのものであり、事故への対応だった。

4年9か月、仮設で暮らし続けている人もいる。そうでない人もいる。仮設から出た人が言っていた。

「仮設が懐かしい」と。

それは人間同士の繋がりということだろう。連帯意識、同じ環境、境遇が生んだものだろう。

仮設・・・。自らの体験で言えば、それは戦後の「復興長屋」のようなものだった。

懐かしくは思い起こさないが、記憶だけははっきりしている。
焼け跡に建てられた復興長屋。一歩表に出れば、闇市、疲れ切った復員兵、電車に乗れば出会う傷痍軍人。

何よりも子供ながらに貧しさを感じたこと。毎日のようなスイトン。メリケン粉だけのだ。

常に餓えていた。

子供ながらに闇市を徘徊していた。10歳違うが、野坂昭如が「闇市派」と自称した感覚はよくわかる。

野坂も脳梗塞だった。口述だと聞くが、無くなる数時間前に出版社に彼の原稿が届けられていたという。
そこにはこんなことが書かれていたという。

“日本の都会で暮らす人々の間で自然や農業への関心が薄れていると、食への危機感を表明。テロが脅威となっている世界情勢にも言及し、空爆では解決できない「負の連鎖」を断ち切ることが必要だ”というような趣旨が。

そして、末尾の一文は「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」と警告を発しているという。

また、別の地方紙にはこうも書いているという。
「いつも食い物のことを考えていた。腹が減ったというのが生の実感だった。今も、えらそうなことを言う人を見ると思わず、こいつが腹が減ったらどうなるかと考える」と。

彼が脳梗塞を発症した主因は知らない。ただ、感じるところでは、それは大島渚もそうだったように、時々「激高」する、それから来る高血圧かもしれない。

4年前のきょう、どうにか手にしたテレビで襲いかかる津波の映像に、ただただ戦慄していた記憶。病床にあった野坂はどんな思いを抱いていたのだろうか。

2015年12月10日木曜日

日常に横たわる死

なぜか昔から、葬儀の場に赴いた時、それは死者との別れの儀式ではあっても、
それは生者の儀式のように思えてならなかった。
葬儀の間中、「死」について考える時間を与えてもらったと受け止めていた。
何回、「死」について考えて来ただろう。

メメント・モリとしての告別の儀。

このところ相次いで知人の訃報に接している。
12月に入ると送られてくる“喪中葉書”。多くは友人の親、つまり90歳代や100歳を越えた人のものではあるが。

過日は同年の人の訃報が家族から送られて来た。家族葬だったという。
昨日、友人の兄が亡くなったということも聞かされた。同年の方だ。尊敬に値する仕事、生きざまを見せてくれたような方だ。

たまたま最近、毎月の連載コラムに「死について」書いたばかりだった。死者と生者のこと。死なれて・死なせてということ。

毎日、どこかでは、見知らぬ人が死んでいく。テロのより、あるいはテロにまつわることで、子供も含め多くの人の命が失われている。

死者と生者の間に“存在”するものは何か。

誰しも、必ず死を迎える。それだけは「絶対」なことだ。

そして今日、野坂昭如が亡くなっていたということが報じられた。
彼の書いた本はそこそこ読んだ。
テレビでの“過激”な発言もずいぶん聞いた。
田中角栄に対抗して新潟から選挙に出た時は、理解を越えた行動に思えた。

3・11後、その翌年だったか。彼が戦争について語った時がある。
戦前派でもない、戦中派でもない、まして戦後派でもない。焼け跡派だと自分を位置付けていた。

闇市の中で育ったと位置付けていた。戦争によってすべてのものが失われたとも。
そして、「少しは戦争を知っている身としては、あんなバカげたことは繰り返してはならない」と語っていた。
テレビでは「空気を読まないとこの国では生きていけない」と喝破し、「だから、空気を読まない、そうしないと自由に生きていけない」。そんな趣旨のことを言っていた。

戦後70年が終わりを告げようとしているこの時期。戦争を知っている人たちが、だんだんといなくなっていく・・・。

死とは何か。そんなことをしばし考えることになるだろう。
そして、岐路に立つ日本を語れる人も少なくなっていく。それをどう考えればいいのか。

漠然と時々思う。死者は生者のためにあるのではないかと。死とは生への橋渡しではないのかとも。

またこのブログ、投稿にいささか間があいた。それを懸念してくれている人がいた。
たぶん、連日の記載は無理だろうが、自分の消息を伝えるためにも、生きているという「証」のためにも、たぶん、死ぬまで続けなければならない作業なのだろう。

そんなこんなの冬枯れの日。

2015年12月2日水曜日

不易流行としての「言葉」

不易流行なんてカビに生えたような言葉を持ち出すのも、今のご時世、かなり気が引けることではあるが・・・。

言葉は本来は「不易」であるべきだ。何百年経ってもその言葉の持つ意味は変わってはならないはずだ。
しかし、人はその時代時代で“新しい”言葉を編み出す。それが流行り言葉となる。

日本人は四文字熟語が好きだ。まさに不易の如く。その類まれなる才は、流行としてカタカナ四文字に世間の事象を収れんさせる。

それはどうしても“嫌”な感じのものが多数だけど。
セクハラ・パワハラ・オワハラ・マタハラ・・・。
古くはコンビニ・エンスト・パソコン・エキナカ・デパチカ・・・。

枚挙にいとまがない。

先日書いた流行語大賞。語という字が付く以上、それは人が語った言葉であり、人のある種の啓蒙に資した文字であるべきだ。

流行した事象を言うのではないと思うけど。

年間大賞とやらに「トリプルスリー」と「爆買い」が選ばれた。
なんともばかばかしい限りだが。ばかばかしいと言いながらそのことを書いているのだから、ま、世話は無いってことになるのだろうが。

たまたまそれを達成した野球選手が二人いたという出来事だ。言葉としての流行語ではない。

爆買い。だいたいこんな言葉を誰が言い出したのか。爆睡とか爆食いとかも含めて。
中国人の“観光客”が、急に金持ちになった中国人が、大量のカネを持ってきて日本製品を買って帰ると言う行為。

爆買いによる利益が日本経済に資するとこあったということか。

単なる事象でしょ。

大賞でなくてもトップテンになったのは「事象」がほとんど。

言葉とは何か、と感がえるとウンザリしてくる。
語とは何かということを考えても然りだ。

とにかく日本語が変なのだ。とあらためて感じる次第。そのおかしな日本語に飛び乗り、しかも常用化するマスコミってなんだい。
言葉を語り、言葉で書き伝える使命を持っているにもかかわらず・・・。

およそ今の日本を語る上では何の役にも立たないと思う流行語大賞なるもの。世相の反映とも言えないし。


今年は「戦後70年」。そのことで多くの事が語られ、多くの人がそれを考えたであろうに。そして、沖縄や福島に押し付けられている「不条理」。いや、国中に蔓延っている「不条理」。

民主主義社会にあって、そのことを多くの人が語り、感じているであろうに。
不条理は「不易」かもしれない。戦後70年は「流行」だ。今のことだ。今年のことだ。

そんな言葉の方が、話題性どうたらこうたら言うより、まともな日本人の中にあっては流行語大賞に相応しいと思うのだけど。

2015年11月30日月曜日

「活」に「喝」

あすから12月。世間は“慌ただしい”歳末へと向かうのだろう。
今や恒例になった“行事”もある。
やれ「流行語大賞」とか「今年一年の漢字」とか。

別のどうでもいいことのことなんだけど。

どうでもいいことを書く。
「活」という最近もっぱら多用されている字のことだ。

いつの頃からか、言葉に対して真摯でなければならない新聞であっても流行り言葉のように「わけのわからない」言葉を乱発する。

就活。就職活動のこと。それが何で短絡化された用語になるんだろう。
終活。人生の終わり方を指す言葉のようだ。
朝活。朝早く仕事をして、職場に行って一日を“有意義”に過ごすと言う言葉のようだ。
夕活。夕方の時間を“有意義”に使うという意味のようだ。

どうも残業を減らすという視点から編み出された言葉であり、時間の使い方であるようだ。

部活。昔はクラブ活動って言われていたけど。そして、婚活。結婚活動のことらしい。結婚するたに活という字が使われる違和感。結婚って“活動”して得られるものだろうか・・・。

「活」とは辞書には、いきること、勢いよく動くこととある。

不活動、不活発の日々を送って入る者にとっては、なにやら“疎外感”をもたらしてくれるような。

一年の終わりの時期。今年は何があり、それが何を意味し、どう捉え、どう考えるべきなのか。脳内を活性化させ、想いを巡らせてみてはいかがかと。

この国をどうしようとしているのかわからない「安倍政治」。安保法制を強行可決したあと、その尻拭いをするわけでもなく、言い出したお言葉は「一億総活躍社会」。
生産人口である成人はとにかく働けってことか。
お国が言っているのはそういうことではあるまい。一億の国民が「皆、働けるようにする」ってことなのだろうとは思うけど。働けばどうにかまともな生活が送れるような社会にする、しようってことだとは思うけど。

まさか「働かざるものは食うべからず」てなことではないと思うけど・・・。

どうもこの思いつきのような「活躍」って言葉に引っ掛かるのだ。しかも「総」がついていることに。

なんか、国家があって国民があるのか、国民がいて国家があるということなのか、“民主主義”の根底、その理念にかかわることのような気がしてくる。

戦国時代に活躍した黒田如水の言葉とも言われる「水五訓」。

一.自ら活動して他を動かしむるは水なり
二.常に己の進路を求めて止まざるは水なり
三.障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり
四.自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり
五.洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり
雪と変じ霰(あられ)と化し凝(ぎょう)しては玲瓏(れいろう)
たる鏡となりたえるも其(その)性を失はざるは水なり

言葉が生きている。訓えが活きている。

だから、というわけではないが、京都のお寺の坊さんが立派な袈裟衣をまとって大書する漢字一文字は「活」とするのがよろしかろう。
それは前向きの意味では決して無く、日本語の衰退を嘆き、活き方がまったく不透明な現世への警告の意味で。

「喝」を入れるという意味でも。

2015年11月27日金曜日

牛のはなし

毎日牛のステーキを食べているから元気なんだと言う高齢者もいる。
ステーキ、素敵なご馳走だ。
牛のステーキにはとんとご無沙汰だけど。特別な日でもないと手が出せない。

ステーキ屋さんは「和牛」を売りにしている。
その和牛の子牛の数が減り、せりの価格が上昇しているという。7割以上もだとか。牛肉の小売価格も2割ほど高くなっている。

牛を育てる農家が高齢化などで減ったからだ。

TPP交渉でも重大案件だった牛肉の価格。
国はなんだかよくわからないけど「攻めの農業」とかなんとか言って和牛の輸出を強化する方針だというが・・・。

酪農家の高齢化。米農家に補助金をばらまき、生産者の負担を軽減しようと言ってはいるが、米も牛も同じ。
成り手が減っている、高齢化で、ということへの措置は取りようがないだろう。

和牛は希少価値の高嶺の花にますますなって行くのか。
オーストラリアンビーフやアメリカンビーフがスーパーに並ぶことになるのか。

福島の浪江町と南相馬に「希望の牧場」というのがある。
原発事故で放射能汚染された牛、牛の飼料の牧草。
牧場の主は事故後、行政から指示された牛の殺処分を拒否した。

出荷するわけではもちろんない。我が子のように育てた牛を殺すのに忍びないということだ。
300頭ほどの牛が生きるために毎日餌を食む。

どうしても牧草が足りない。災後は全国からの支援も寄せられてはいたが。

隣県宮城の白石市にも汚染された牧草がある。白石市はその牧草を希望の牧場に搬出することにした。
多分、牛は喜んだに違いないと思うけれど。

それに農水省から「待った」がかかった。「汚染物の持ち込みは復興の足かせになる」というのがその理由。

搬出に違法性は無い。白石市は国の要請を拒否した。
浪江の町長も搬入に異論を示している。

本格的冬がくる。餌がなければ牛は餓死するかもしれない。
搬入は続けられていると聞くが。

遠藤周作の著作に「お馬鹿さん」というのがある。その中で著者は牛の眼だったか馬の眼だったか、記憶は定かではないが「イエスキリストの眼に似ている」と書いていた覚えがある。

福島牛・・・。飯舘ミートバンク。福島の和牛は人気が高かった。避難地域の酪農の実態はつまびらかにしないけど。

牛と社会構造・・・。食う、生きるということにつながっているはなし。

2015年11月25日水曜日

“断捨離”としての原発

断捨離という言葉がいつの頃から言われ始めたのか。
流行語にもなった。
誰が言い始めたのかは不明だが。どうも”原点“は仏法にあるらしい。

断捨離とは一つの生活の術だ。「もったいない」という概念の対極語ではないようだ。

不要なモノなどの数を減らし、生活や人生に調和をもたらそうとする、そんな考えだとか。

それは個人の生活の在り様を言ったものだが、広く、社会全般についても言えることかもしれない。

原発がそのいい例だ。
核燃料サイクルの一環として、夢の高速増殖炉として開発された「もんじゅ」。
結局は使い物にならなかった。

核のゴミを減らす科学技術の一つの到達点であったにもかかわらず。

その“稼働”には、あの原子力規制委員会ですら匙を投げた。
運営主体を変えろと。

もんじゅ、一日の維持費が5千万円、年間200億円。

全くのムダ金が注ぎ込まれていたということだ。

維持費を垂れ流す核のゴミを運搬する船だって係留されたままだ。
コスト、コストを言うのなら、これほど採算に合わないものは無い。

これは一例だ。

コストに見合う利益を果たして原発が生んでいるのか。

福島に投じられている廃炉に向けての作業費。様々な機械が投入されている。
そして、何よりも汚染対策、住民対策。

何兆円ものカネが投じられる。

間尺にあって無いはずだ。だから、「原発」断捨離の勧めといいたい。
原発と言うのは、それで“潤う”人がいようとも、結局「無駄な物」なのだと。

人生の調和を限りなく崩していくものだと。

何を今さらと言われるかもしれないが、人間はあまりにも余計なもの、いろんなものを求め過ぎたのだ。

拡散された放射性物質。それに汚染された「指定廃棄物」。
それは決して福島だけのものではなく、宮城・茨城・栃木・群馬・千葉をも巻き込んでいる。

捨て場の無くなった指定廃棄物。16万トン以上だ。いずれも仮置き場に一時保管されたまま。
その処分方法は・・・。その仮置き場を巡って、住民は“分断”されていく。

そう、その“分断”こそが、4年半以上を経過した、あの事故の最大の災禍なのかもしれない。

指定廃棄物は当該県が処理すると国は決めた。それに応じる自治体はない。
福島では富岡町に「処理場」を作ることになりそうな気配だ。
補助金まで県は用意するとか。

もし、富岡が応じれば、他見の「ゴミ」も福島でお願いしますってことになりかねない。

臭いものは大本を断て。処理出来ないゴミを出すものはその施設を捨てろ。
原発に依存する生活様式から離れろ。
再稼働を求められる地域の人はそれを断れよ。“便利”に慣れ過ぎた生活、それがエネルギーに依存している。そんな欲望は捨てようよ。


もんじゅとは文殊菩薩から、ふげんとは普賢菩薩から名づけられたもの。なんとも罰当たりのような。

断捨離とは現代の「文殊の知恵」かもしれない。

2015年11月20日金曜日

国境とは・・・県境とは・・・。

今日も多分、ISを殲滅するための、いや、それだけではないかもしれない。
シリアや中東への空爆が行われているのだろう。
多量な物量作戦にものをいわせて。有志連合なるものの名誉にかけて。

そしてテロリストの掃討戦が展開されているだろう。

パリでは無辜の死者に向けての祈りが捧げられている。テロを機に人々はあらためて団結と連帯を誓う。

ベイルートの難民キャンプへの空爆も然りだった。国境なき医師団への空爆も然りだった。

戦いの犠牲になるのはそれを防ぐ手立てを全く持ち合わせていない市民・・・。
イラクへの空爆もそうだった。9・11後のタリバン殲滅もそうだった。
もちろんパリでも然り。

犠牲になるのは普通の市民・・・。

嫌な表現だが、きょうもまた彼の地では多くの死者が出ているだろう。
「パリ」の扱いは大きい。その他の地での“死”の扱いは小さい。

数字だけで語られる死。

「わからないこと」の理由の一つだ。

フランスは国境を封鎖した。これ以上のテロを防ぐために。テロリストは国境外からやって来るとは限らない。「自国民」の中から生まれている。

国境とは何か、を考える。
シリアを中心にひかれた国境線。存立する多くの国。その国境線は第一次世界大戦の中で生まれた、イギリス・フランス・ロシアが勝手にひいた国境線だ。

サイクス・ピコ協定。秘密協定が今のテロの要因を作っている一つだ。
オスマントルコ帝国を破ったイギリスやフランス、ロシア。
第一次世界大戦の時。イスラムの民は三分割された。分割統治された。そして国が作られた。国境が作られた。

その線引きはそこに住む“住民”の意志とは無関係だった。戦勝国が、それぞれの”利権“を計算して、いわば「机上」で引いた線。

民族は分断された・・・。その“歴史”が今に続いている。

多発するテロを憂いながら、中東の地の歴史が頭をよぎる。

そして思う。

実存が本質に勝るのか、本質が実存に勝るのか。

フランスの哲学者サルトルは21世紀のこの出来事をどう読み解くのだろうか。

県境とはなにか・・・。原発事故は福島で起きたことだ。誰しもがその事故の被害を「福島」という言葉で括る。

福島県は明治政府によって、明治の官僚の「机上の線引き」によって、その歴史とは無関係に出来上った県だ。

放射能は地図にある県境は無関係に降り注いだ。
宮城県丸森の筆甫地区。飯舘村の北側に隣接する部落。

県境とされるのは一本の道路。丸森の人たちの生活圏は南相馬だった。数歩歩いての福島県。

原発事故被害の「対象」から外されている。線量は飯舘と同じだ。
「福島」という限り、国の支援や“復興”対象には筆甫は入っていない。

県と町が意を用いている程度だ。いわば“忘れられた地”なのだ。置き去られた地なのだ。

沖縄も琉球処分によって日本に編入された地だ。琉球民族の意志とは全く無関係に。

イスラムにしても沖縄にしても。「歴史」に「もし」は無い。しかし、その「もし」を考えて見ることも必要なのかもしれない。

パリを想い、沖縄を想い、フクシマを想う。なんら“結論”を持ち得ないままに。

2015年11月16日月曜日

悲しみと怒りとしての“沈黙”

11月13日。パリで起きたテロ。たまたまテレビでそれを知り、テレビはその特番にでもなるかと思いきや通常のニュース扱いに過ぎず、その事実と現象だけが伝えられ、真相を窺い知る解説や識者の意見や見方などはほとんど無かった。

日本人に“犠牲者”が被害者がいないとわかるとその傾向は続いていた。
ISによる日本人二人の殺害時の、あのワイドショー的な(興味本位という意味で)情報の“氾濫”も無く、9・11時の時のような異様な雰囲気すらもなかった気がする。

テロが起きる前日、アメリカの空爆でISの“殺人犯”だとされるイギリス国籍を持つ「ジョー」が空爆で狙撃されたというニュースに接していた。

報復はあるなと感じていた。そしてあの事件。

テロと書いたがまさに戦争なのだ。

この事件を、戦争の発端をどう読み解けばいいのか全く分からなかった。多数の犠牲者を出したことへの悲しみと怒り。それを語れない、書けないと言うことの沈黙に支配されたここ数日。

未だ持って自分の中での思考の整理が出来ないのだ。

咄嗟の思考と想像力に中では、戦争への予感、ある意味での世界の終わり的な感覚に身体中が貫かれていたのだが。

報復の連鎖、憎しみの連鎖という言葉が新聞紙面には踊る。それとても。そうではあるのだが、どこか「ありきたり」の言葉のように思えてならなかったし。

どこか3・11の時に覚えた感覚とも似ているのかもしれない。犠牲者の視点でものを語るのか、国の視点で俯瞰してものを語るのか。

なぜこれは戦争だと書いたか。それは戦争は必ず無垢の市民を人々を犠牲にするということだ。武器を持った人同士の戦いでは決してないということだ。

だから3・11の時の思ったように、そこにあることを、そこから派生することをしっかり見なければならないということ。
テロとの戦いということは何かということを考え続け、あらゆることに想像力を働かせること。テロとの戦い、いや、テロそのものの中での本当の犠牲者は国民、市民、弱者であるということ。
なぜテロが起きるのかということも当然含めて。

沈黙は無関心に通じ、沈黙は差別にも通じる。原発事故と沖縄の現状からいつも思っていることだ。
しかし、視点を変えれば、このパリでの出来事はしばしの沈黙をも許されることではないかと思っている。

シャルリ・エブドのテロは言論の自由への挑戦と言う位置づけが出来た。今回の事件は・・・。

ISはじめ、今の中東・イスラム問題に対して声を上げねばならないと思う。西側先進国なるところの一員である限り、我々だって「当事者」の一員であるのかもしれないのだから。
しかし、どこに向かって、誰に対して声を上げればいいのか。その“わからなさ”が“沈黙”を選択させたのかもしれない。

トリコロールを掲げ、事件は愛国者を生む。戦争に向かってトリコロールが打ち振られるかもしれない。

フランスはある意味「多民族国家」だとも思う。フランスに住むイスラムは迫害の恐怖におびえているだろう。
非常事態宣言、国境封鎖は、いまだ絶えないシリアの難民の問題ともからんでくる。

テロは日本に及んでくる可能性だって当然ある。防ぐ手立てがあるのか。
わからない。だから「語れない」。

ベイルートで難民キャンプが襲撃された。数百人の死者が出た。日本ではあまり報道されない。ISに対する空爆は再開され、激しさを増してもいるとか。

3・11の時、世界各国からは「pray for japan」の声が届けられた。
今は「pray for paris」なのだが。

対イスラム問題。それを一概に「宗教戦争」とは位置づけ難いが、仮にそう思うとしたら、遠藤周作の代表作「沈黙」に“思考”の出発点をも置いてみる。

2015年11月8日日曜日

♪沖縄を返せ♪ということ

歌と言うものは時に数奇な“運命”をもっているのかもしれない。

辺野古で連日のように繰り返されている「強者」と「弱者」の衝突。
屈強な警視庁機動隊の若者が老人をごぼう抜きに半ば暴力的に扱っている光景。

地べたに座り腕をしっかりと組みあう沖縄の人たちから歌が聞こえてくる。

♪固き土をやぶりて 民族の怒りに燃ゆる島 沖縄よ
我らと我らの祖先が 血と汗をもて 守り育てた 沖縄よ
我らは叫ぶ 沖縄よ 我らのものだ 沖縄は
沖縄を返せ 沖縄を返せ♪

かなり古い歌だ。
そして、沖縄で何か事があると歌われる歌だ。

沖縄にはその歴史を語るとき、必ず「琉球処分」という”歴史“が語られる。
琉球処分はなにも一回だけのことではない。

今、沖縄にあること。それはもう何度目かの「琉球処分」だ。
民主党政権時、鳩山は「沖縄」を間違えた。
菅直人は国会の答弁で「今、琉球処分という本を読んで勉強しているところです」と言い逃れをしていた。その本は大城立裕の本を指していたような覚えがあるが。
その本を読んだのか、読後感含め、彼の口から琉球について聞いたことはない。


この歌は時には、その最後、沖縄“を”返せの部分を沖縄“に”返せと歌われる時もあった。

“を”と“に”の二文字の語るものは・・・。

日本の中にあって、日本でないような地としての沖縄。

この歌は多くの場合、反米、反安保の「運動」で歌われていた。それらの“闘争”は何かを切っ掛けに終焉することが多々あった。

そして歌も消えた。今、またその歌が蘇っている。だから“数奇な運命”と呼ばせてもらう。

今の沖縄の辺野古を巡る問題。これまでのイデオロギーとしての反基地、反米、反安保とはその在り様を異にしているとおもう。

根底にある“哲学”。それは人間の尊厳だ。翁長知事がしばしば言っているように。
だから、沖縄を返せではなく沖縄に返せという表現だって成り立つ。
尊厳を取り戻すという根底、人間本来の姿。

人間の、人間としての尊厳は、広島・長崎でも奪われてきた。そして福島もそうだ。

人間の尊厳を奪う。それは“差別”ということに通じる。
琉球処分、東北処分。差別として捉えることだって無理ではない。

原子力発電という文明の進歩、科学技術の進歩。それがもたらした恩恵。そしてそれが奪ったもの。福島の自然は戻らない。

安全保障の名のもとに押し付けられた米軍基地。それがさらに沖縄の自然を破壊する。


福島県民の歌というのがある。県民でも知らない人は多いが。
しゃくなげ匂う山なみに
呼びかけよう若い理想をかざして
あしたの夢がはてなく伸びる
明るいふるさと福島をつくろう
みどりひかる この空いつまでも
ああ 福島県

あゝ福島県という歌詞のあとに続けたいフレーズがある。

「福島を返せ、福島を返せ」と。

二番の終わりにには“フクシマ”を無くせ、とも付け加えてみたい心境だ。

フクシマで奪われたもの。人間の尊厳だけでは無い。田畑、森林、水、魚・・・。生きとし生けるものの尊厳が奪われている。

奇しくも今日の新聞の投稿欄にあった句。拝借する。

“ヒロシマとナガサキは核フクシマは原子力ならオキナワはなに”
枚方市の方の作だ。

短歌とて歌なのであり。

2015年11月5日木曜日

“糸”で“縄”を買った

沖縄を考える時、1960年代から70年代はじめの「政治の姿」が思い起こされる。

1960年代、日本の対米輸出は好調であり、貿易収支は常に黒字基調だった。
その象徴だったのが繊維。
1ドルブラウスなんて言葉もあった。とにかく安い日本の製品がアメリカ市場を混乱させ、大きな政治、外交課題となっていた。

時の大統領ニクソンの悲願は、どうにかして日本製品の輸入を規制できるか。それは政治生命にもかかわる課題だった。

池田勇人の病気退陣のよって成立した佐藤内閣。佐藤栄作の掲げる政治課題は沖縄返還、祖国復帰だった。
悲願と言ってもいい政権公約だった。
「沖縄の復帰なくして日本の戦後は終わらない」。繰り返し佐藤栄作が言っていたのをよく承知している。

本格的な返還交渉が始まる前、沖縄に行ったことがある。アメリカの施政権下にある沖縄を見た。
沖縄に行くには「パスポート」が必要だった。初めて手にしたパスポートは沖縄行きのものだった。「外国」に行くためのものではなかった。

那覇空港にはPXがあった。アメリカの煙草や酒が免税店で売られていた。税関があった。

で、沖縄返還と繊維交渉。

佐藤栄作は大平や宮沢では埒が明かなかった通産大臣に田中角栄を起用した。
田中は“荒業”をもってして繊維問題を解決した。

国内の繊維業界に当時のカネにして2000億円以上を払い、業界を「補償」し、繊維機器を国が買い入れ、壊すと言う角栄ならではの手法。

アメリカのサンクレメンテで行われた佐藤・ニクソン会談で沖縄返還が決まった。

「6・15」という日にちをTBSが抜いた。

東京から「同行記者」が数多く行った。その一人だった。政局記者の関心は、「角福戦争」にあった。佐藤が後継を指名するのではないかという予測の中で。

会談の主要議題は「沖縄」であったにもかかわらず、政治記者の関心は沖縄では無く政局にあったということ。

繊維交渉の妥結、決着が沖縄返還の実現に結びついていた。
だから言われたのだ。

「糸を売って縄を買った」とか「糸で縄を買った」とかと。

核抜き本土並み。それが佐藤の毎回言う「丁寧な説明」だった。沖縄返還が彼をノーベル平和賞受賞者にもした。

だけど今にしてもあらためて思う。
「核抜き本土並み」というのがいかにいい加減なものであったかと言うことを。

“密約”は暴かれることとなった。密約は今では公然たる事実となっている。

「他策ナキヲ信ゼムト欲ス」。密使、若泉敬が書き残した著作だ。彼を自死においやった遠因には沖縄があったのかもしれない。

佐藤の沖縄返還問題には陰で実兄の岸信介の尽力もあった。

沖縄返還と相前後するかのようにニクソンは「電撃的」に中国を訪問した。お膳立てをしたのは策士のキッシンジャー。
キッシンジャーは中国に対して「日米安保条約は日本に核を持たせないための条約だ」と説明したとも言う。

なんで“古証文”のような話を思い出しながら書いたか。どこか今のアメリカを中心にした、たとえば日米同盟の強化という話しに通底しているように思えるから。

戦後は終わらない発言は、福島の復興なくしては日本の再生は無いと見栄を切った大叔父とその系譜にある総理大臣に重なるから。

今の沖縄の現状を佐藤栄作はどう見ているのだろう。彼の家にあるであろうノーベル平和賞のメダルはどう思っているのだろう。

安倍の祖父は安保改定を批准させるために国会内に機動隊を投入し、野党議員をごぼう抜きに排除した。孫の晋三は辺野古に警視庁の機動隊を投入している。

なにをかいわんやの感・・・。

2015年10月30日金曜日

「公約」は「膏薬」ではないということ

「膏薬は貼りかえるほどよく効く」。そんなセリフが日本にはある。

安倍が安保法案の異常事態など無かったことのように、そう、選挙の時には改憲を封印し、アベノミクスなる経済政策を前面に打ち出して“勝利”したように、今度はアベノミクス第二弾。

一億総活躍社会のキャッチフレーズのもとに、GDP600兆円。出生率1.8とか。介護離職ゼロとか。またもや「子供だまし」みたいなことを言ってシラケさせてくれた。

子供だましとはその言を揶揄した表現。今の子供は、そう中学生から高校生まで、そして大学生に至るまで、「だまし」を見破っている。

子供だましじゃない。単細胞の“安倍信者”である大人だましとでも言った方がいいのか。

安倍の言う「一億」という表現に感じる違和感。真意は不明だが、総国民とも受け取れる。

しかし、日本の人口や如何に。1億3千万人のはずだ。正確には2千万人後半だろうが。安倍が「活躍」を期待する、担当大臣まで置いての鳴り物入りの浅知恵。そこからは3,000万人が“除外”されているのだ。
活躍を期待しない人が人口の4割いるということだ。

それが誰を指すのかどの層をイメージしているのか。

幼児かい? 後期高齢者かい?

活躍を期待されるのは「生産可能人口」であり、その他の人は・・・ってことじゃないのかという“総”という字の解釈。1億というスローガンは70年前だったんだぜ。

公約としてのアベノミクス第一弾。それがどれだけ効果をあげ、成功したのかどうか。経済活性化につながっていたのかどうか。そんな検証はされともいない。

「なんとなく終わり」で「なんとなく第二弾」の公約ってことか。貼りかえた二枚目の膏薬。ただし安倍の貼る膏薬は効き目が薄いと“専門医”は嘆いておるわい。

目先を変えるっていう政治手法が彼の得意技らしい。目くらましって言ったほうがいいのか。

どうも初めの公約はボロが出始めていたようだ。そのボロ隠しの“膏薬”として貼り付けた次の“公約”って気がしてならない。

アベノミクス、新アベノミクス。除外された3,000万人はもとより、国民の半数以上が、そんなに経済成長をのぞんでいるのだろうか。

「3・11」で問われた豊かさとは何かという疑問。なにかわからないままに求めていたような一億総中流という空気。
原発にしても安保法制にしても、「そのうちなんとかなるだろう」ってあまり考えようともしない空気。

沖縄には訳のわからないカネをばらまき、そう、口封じの膏薬を貼ってごまかそうとしている。
なっだかんだと口封じの膏薬貼りという安倍政治。

膏薬を貼るってことは“対症”策。“治療”策ではないはずなんだけど。

「一億総白痴化」という言葉があった。大宅壮一の指摘だ。経済成長をひたすら追い求めていた“三種の神器”の時代。

それは「テレビ」に向けられた、テレビが各家庭に浸透し始めた頃のものだったが、あの頃と比べて、「テレビ」はどう変わったのだろうか。

笑えるくらい何も変わっていない。デジタルという技術が画面だけを綺麗に取り繕っただけのような。

膏薬も公約も貼りつけたり、その場を取り繕ったり、貼りかえてよしとしているだけのシロモノか。

「良薬口に苦し」。そんな言葉もあったっけ。今、口に苦い「クスリ」は決して良薬ではない。

甘さに騙された偽薬のご用心っていうところか。

2015年10月28日水曜日

「アグリカルチャー」

郡山に収穫の時期に合わせて行われるイベント、「あぐり市」と言うのがある。
日曜日、駅前の商店街が歩行者専用になるのに合わせて。もう15年も続けられている農産品の“直売”。この日曜日50回を数えた。

郡山農学校、郡山農業青年会議所、青虫くらぶなどと言った農家や農に関心がある人達が主催している“イベント”。

特に、農学校は「農業」に関心がある人達が集まり、農家の畑を借り、実習も兼ねて作物を作り、自らタネを植え、栽培し、収穫し、出来上がったものを直販している。

「農夫・農婦」たちは皆手弁当。もちろん手当も無い。

彼らを一番困らせ、悩ませたもの。それはあの原発事故だった。放射能が拡散され、汚染が広がった時。
彼らは独自で勉強会を立ち上げ、必死に農を守ろうとした。

ひまわりが効果的だとされればひまわりを。ゼオライトが効果的だといわれればゼオライトを。

試行錯誤を繰り返してきた。

当時まだ高価だった測定器をいち早く買い求め、検査機器も整えた。

50回目の市では郡山産の米の試食会も行われた。農作物を使った巨大な壁画を作った。モチーフは「北風と太陽」。数日間かけて作り上げ最後の夜は徹夜だったという。

農業を英語では、agricultureと言う。アグリカルチャー。カルチャーとは文化って意味だ。あぐりは勿論農業のこと。
農業っていうには「文化」だということ。

だから「あぐり市」は「農業文化の場」でもあるのだ。

農産物を見ていると、それを食べると、あらためて「身土不二」という言葉を想起する。

「身土不二」、それは農業文化と食文化の“哲学”なのだとも。

安全保障という言葉がこの国を覆っている。語られるのは軍事力による安全保障のことばかりだ。
人間、食わなければ生きていけない。「食う」ということは何にも勝る安全保障なのだ。

TPP問題。それは食の安全保障の根幹にかかわることだ。食の自給率、それも根幹にかかわることだ。
その根幹が大きく揺らいでいるということ。

食品添加物や着色剤、産地偽装。それらだけが食の安全の問題では無い。

あきらかに農産物の生産量は減っている。酪農も含めて。

TPPによって、それの全貌はいまだもって明らかではないが、大筋言えることは関税の廃止に、低減によって安価な食品が身の回りに溢れるということだ。

消費者は、とりあえず価格によって購買を決める。家計のたしにと。

生産者はどうだ。今、農家の現状は「米を作れば作るほど赤字」だということだ。大規模な農家に集約しても解決策にはならない。

我が家の周りからも農地がどんどん宅地化されている。

稲穂が実っている時、それをたとえば車窓から見る人は「豊かな田園風景」として農村を鑑賞対象として誇るだろう。

こと福島に限って言えば、放射能に次いでのTPPということになるような気がする。

何があっても多少の畑があれば自前で食っていける。それは農の「個別的自衛権」だ。

煙草、酒、缶詰・・・なんでも“舶来品”を有難がっていた時代は終わっているはず。

米だって国産米が美味いに決まっている。肉だって国産が美味いに決まっている。

農業は延々と続いてきた日本ならではの「食文化」なのだ。裏の畑でとってきた野菜が食卓にのる。それが農村の「おもてなし」なのだ。農家はそのおもてなしを最上の喜びとしてきたのだ。

東北の片隅に住むことになって四半世紀以上。そこで学んだことの一つだ。
身土不二を体感したことも含めて。

そういえば農民文学とか農村詩人などという文化も無くなってきたような気がして。

2015年10月24日土曜日

“偽装社会”と呼んでみたい

何から何まで”偽装“されているような気になってくる。

横浜のマンションの杭打ちのデータ偽装。この事件からもすべてが透けて見えるようだ。

この国は国家が“偽装”している。何を偽装しているのか。民主国家という思想の偽装だ。
絶望を希望に“偽装”する政治だ。

安保法案を成立させた先の国会。「丁寧な説明をしていく」と首相は殊勝にも言った。そのあとこの問題を巡って丁寧な説明なんてどこでも聞いたことが無い。
説明どころか、それは「終わったこと」とされ、世の関心は見事に他事に移って行った。

丁寧な説明。もともと出来ることではなかったのだ。説明しようにも、その能力すら、言語力すら持っていなかったのだから。
官僚や秘書官が書く原稿を時には棒読みし、時にはプロンプターの画面をなぞる。どこにも自分の言葉は無い。
しかし、自分の言葉のように取り繕う。

答弁、発言の”偽装“だ。民主政治も民主主義の標榜も”偽装“されている。

マンションの工事偽装の話に戻る。
杭打ちのデータが偽装されていた。「犯人」は現場代理人という職種の人に収れんされようとしている。

やった奴は工期などを勘案し、「上」の意向を忖度してやったことだろうと当事者も認めている。言われたとおりにしないと身の保全が危うい。言ってみれば心の偽装だ。

忖度。政治の世界でもそうだ。与党の議員は首相の意向を忖度する。官僚もだ。
なにより「人事権」でやられてしまうのだから。
忖度、慮り。

マスコミの世界にだってその“思考”は広がっている。

「偽装をチェックする仕組みが必要だ」と識者はいう。いまさら何をって。そんなもん当然あって然るべきだったはずのこと。

仕組みや制度の話ではない。仕組みや制度には必ずと言ってよいほど「抜け道」があるのだ。

要は「人の倫理観」の問題なのだ。しかし、今の世の中、今の社会の在り方は倫理がカネにその座を奪われたのだ。大企業が儲ける仕組みの「カネ」。それに倫理観が負けている。そんな世の中なのだ。

工期と厳守する。それが何にも勝る最優先事項なのだ。工期が守らなければ企業の儲けも信用も失墜するという「目先」優先。

だからー。原子力発電所にだってどこかに“偽装”があったのかもしれない。これからもあるかもしれない。そんな疑念をいつも持っている。

有名企業、大企業だから「安心」。違うんだよ。自動車の世界でもそれは経験しているじゃないか。

5年後の東京オリンピックを思う。工期はひっ迫するはず。間に合わなければ国際問題だ。
何が何でも完成させるだろうスタジアム。もし、そこで”偽装“が行われていたら・・・。

今は妄想にしか過ぎないけれど。

改ざん、偽装。それは盗人と同じように、そのタネは尽きまじということか。
「真砂」は花崗岩が“風化”して出来た砂だ。

“風化”も人為に於いては尽きないものなのだろう。

ハロウインという祭りがやってくる。仮装を偽装とは言わないけれど、それは楽しい由緒ある祭りらしい。
とうことは”偽装“というのは「許された」ことなのかもしれないと。

2015年10月22日木曜日

だから、やはり「フクシマ」と書く

1Fの作業員だった人が原発事故による被ばくで白血病になったと認定された。
最初のことだ。

何十年かかるかわからない廃炉作業。15ミリシーベルト以上の線量を浴びた人の数はもっともっといるはずだ。
当該機関がその気になれば認定患者はどんどん増えてくるのだろう。

これらの人にどれだけの補償がされるのだろうか。
そもそも「認定」が遅すぎる。

1Fの作業はこれからが高線量とのたたかいだ。従事する作業員の成り手は減ってくるかもしれない。いや、減るだろう。
特に熟練の人、もっとも必要な人は減る。

作業に当たる人は福島県人だけでは無い。日本全国からの手が必要なのだ。

小児の甲状腺がん患者も増えている。
それは福島県だけのことだろうか。
隣県では検査などまともに行われていない。

各地でいまだもって高線量地域があることも判明している。

事故による避難者。楢葉が全町帰還といっても、帰った人は300人余りだ。
“普通の暮らし”を失った人がどれほど多いことか。

自主避難した人は福島県人だけではない。関東圏、首都圏にだって避難した人は少なからずいる。

被ばく者の「認定」。どこか水俣と重なる。水俣の認定の耐えがたい遅れ。因果関係云々が主因だ。
原発事故だってそういうことになる。

原発事故は「福島」という言葉の中に封じ込められているような気がする。
「福島」、それは明治政府が決めた単なる行政区画だ。行政区画だけをもって事を運ぶ行政。

原発事故はその被災は福島の問題ではない。日本という国の問題だ。なぜかそれを「福島」という言葉で片付けてしまうような空気。

「福島県産」という“表記”ですませてしまう空気。

どうもこの国はどこかに「封じ込めて」しまうことをよしとする民族性があるのかもしれない。

米軍基地を沖縄に封じ込めて平然としているのもその顕著な例だ。

やはり原発事故は行政区画である福島県で語るものではない。
「フクシマ」として全国民が共有する問題であるべきなのだ。

原発の再稼働の動きが激しい。川内で事故があれば、いや、もはや「想定内」としてあり得ることなのだが、150ミリ以上被ばくすれば白血病を発症することが現実として判明した。

作業員の確保はどうするのか。当然発生する「避難」の問題をどうするのか。
福島原発の廃炉に多額の、予想不可能なような費用が投入されている。もう一回あり得る事故が起きればこの国の経済は破綻するだ。

その政策を推し進める人たちの思考回路の中には、作業員の健康・生命や避難した人たちの悲惨な人生なんて“存在”していないのだろう。

すべて「使い捨て」でいいということなのだろう。

だってこの国は経済成長至上主義の道を選択したのだから。

今さら何をだが今さらでも考えなくてはならない問題。

800人余りが海外に資産3兆円を保持している。それがセレブレイトされた、成功者としてもてはやされるということ。

原発問題は、あらゆる社会問題と連関しているという認識が欠如しているということ。

結語が書けない。「フクシマ」というのは日本のことなのだということぐらいしか。

2015年10月20日火曜日

美智子皇后のうた

きょうは美智子皇后の81歳の誕生日だ。

誕生日にあたり寄せられた言葉に、今年はいつもより以上にこころ動かされる。

半日がかりの病院から帰り、しばし「美智子皇后さまのうた」という本を紐解いていた。
3・11後、皇后の詠まれた歌に慰められ、励まされ、そしてなによりも「教え」られた。

去年の御歌
「帰りくるを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず」

きょうのお言葉の中にもあった。

「この世に悲しみを負って生きている人がどれほど多く、その人たちにとり、死者は別れた後も長く共に生きる人々であることをあらためて考えさせられた」と。

この方の視点は常に”弱いもの“にあるということ。

今、この国にある“空気”を皇后はどう感じておられるのだろう。
平成7年の全国植樹祭を詠まれた歌。

「初夏の光の中に苗木植うるこの子供らに戦(いくさ)あらすな」。

この思いは今とても同じなのだろう。

戦(いくさ)あらすな。美しい日本語だ。

戦後70年、次世代やその次の世代の人たちが、「真剣に戦争や平和につき考えようと努めていることを心強く思っています」と記されている。

天皇・皇后夫妻は、それぞれの幼少期からずっと「平和」について「戦争」について考えに考えぬいてきたのだろう。
そして、それらへの“思い”には揺るぎが無かったと受け止めている。

2011年、いち早く避難所を訪問し、避難している人たちに言葉を掛けられたこと。同じ目線で話しあっていたあの姿。

4年前にも書いたけど、両陛下の「存在」がなければ、あの姿がなければ、その後の被災地の在り様も変わっていたかもしれないとあらためて思う。

「天皇陛下がいて助かった」。終戦時を語る時に、田中角栄がたびたび口にしていた“懐古”の弁だ。
天皇陛下がいなかったら、もしかしたら、日本人同士が憎みあい、争っていたかもしれない。そうであったなら高度経済成長期を迎えることが出来た日本もなかったというあの時期を生き抜いた角栄の体験にもとづく的確な歴史判断だったのだろうとも。

広島、長崎、沖縄、サイパン、パラオ・・・。

その地にあった戦争の悲劇。
沖縄を想い詠まれた歌。

「雨はげしくそそぐ摩文仁の岡の辺(へ)に傷つきしものあまりにも多く」。

“戦争”“平和”。それを思い考え続けられてきた両陛下。

安倍自民とは対極にあるような気がしている。

皇室の言動を官邸は“こころよく”は思っていないと聞いた。

彼我を同等に論じるのは全くもって無意味だと思いつつ。

今の皇室があってこそ、この自分でさえも、まだ「助かった」と思っているのだから。

2015年10月18日日曜日

SENTIMENTAL TRASH

土曜日の夜。郡山のライブハウスでロックのコンサートがあった。

ロックは門外漢だが。
Ken Yokoyamaというバンドがある。
若者に人気があるし、かなりメジャーなバンドのようだ。

そのバンドが再結成されたのがあの「3・11」のちょっと前。そこに加わったドラマーの子が古くからの知り合い。

「ケンイチさんのことは母のお腹の中にいる時から知っています」などとほざく子だ。

彼らのバンドが最初に郡山にきたのが2011年の、あの年の今頃だった。被災地ツアーで。
街は、まだ暗く沈んでいるような頃だった。彼から連絡が来てライブ会場のヒプショットというところに行った。

ライブが始まって1曲目の演奏が終わった時、リーダーのken yokoyamaは大きな声で叫んでいた。

“原発のばかやろう。原発よ、長い間ごくろうさん。もうおさらばしようぜ!”。

埋め尽くした観衆から大きな拍手と声が上がったのをよく覚えている。
それは彼のメッセージに賛意を示したものか、ライブの盛り上がりでのことかどうかはわからないが。

4年後、またそのバンドが来た。

旧知の太鼓叩きから前日突然の連絡。会いたいと。

開演前の数時間をともにし、昔話含め、音楽のことなど話し合った。

家に来て犬とじゃれ合い、メシを食い・・・。

スマホを取り出し、「一緒に写真を」ときたけれど、写真は苦手。スマホの“主役”は犬に任せ・・・(笑)

お土産に持ってきてくれたのが先月新発売となったニューアルバム、♪sentimental trash♪のロゴが書き込まれたTシャツ。

機会があればそのTシャツを着て老人ロッカーになってやろうか。

ニューアルバムの中の収録曲の一つに♪0ne last time♪というのがある。その中で唄われている言葉。

//夢見る頃はとっくに過ぎたけど
それでも生きていくのさ
まだ役目が何か残っているんじゃないかと
さがしながら
俺はそれをもまた夢とよぼう//

病んでいるおじさんにもハッと思わせるものがあったぜ。感じること多々だったぜ。

なんか、まだ「お役目」が残っているのだろうか。自分にも。

センチメンタル トラッシュ。味のあるアルバム名だ。意訳すれば、中原中也じゃないか。汚れちまった悲しみじゃないかと。

「3・11」をきっかけにして、それまで無縁だったロックという音楽のジャンルがどこか、いろんな意味で身近になっているのもあったし。

「今は、親子でライブに来てくれる人増えています。高校生の子どもとその親と。フアン層が広がっているような気がします」。

彼の言葉をきっかけに「音楽とは何か」「ロックの可能性は」なんて話もしてみた。

時間はすぐ経つ。彼を会場の楽屋口まで送っていった。

また会おうぜ。連絡くれよな。車の窓を開けて手を振る。

閉めるのを忘れ、開けたままだった窓から風を感じた。

「10月は少し冷たく」感じられた。

2015年10月11日日曜日

4年7か月。~一杯の味噌汁~。

あれから、4年7か月が経った「11日」だ。
かすかな、微小な、一縷の望みを託してはいるのだろう。「行方不明者」の海上からの捜索が行われていた。
鎮魂の証ともいえるかもしれない。

関連死も含めて2万人以上が亡くなった東日本大震災、原発事故。

やはり思う。「3・11」は何かを変える機会だったということを。

安保法制に反対する若者たちの行動の端緒は、当時は高校生だった若者たちに、もろもろ考えるきっかけを与えたものであるということを。
主体性を持って、一人一人が声をあげる、行動する。そんな若者が「出現」するとは当時夢想だにしなかったが・・・。

昨日、不自由な体をおして結婚披露宴に行った。10年前までいたテレビ局の部下だった者の結婚式。
「3・11」時にも記者活動をしていたというやつの結婚式。47歳の“春”だ。
新婦は、宮城県出身。被災した家族だと聞いた。

式場のホテルの椅子に座っているのは苦痛だった。座布団を置いてもらうと言うわがまま。

きのうは10日。常総市の大水害から一か月だった。まだ400人が避難所に身を置いているという。たまたま見たテレビの映像。身体が不自由だと思われる高齢者がパイプ椅子に座り、“限りない不安”を口にしていた。

椅子に座ったままでいるということも、決して楽ではないということ。

いまさらみっともないことだけど、自分が不自由になってこそ不自由であることの現実がわかる。頭脳と体のアンバランスに、言い表せない複雑にかけめぐる感情・・・。

それでも、どうにかまだ”普通“にすれば出来ないことが少ないともいうある種の幸運。

急に秋めいてきたこのひと月余り。夕餉、最初に口にする一杯の味噌汁、豚汁。口に入れた時に思わず出る「声」。「う~、美味い」。

不思議な事なのだが、寒い時に口にする暖かもの、熱いものがこんなにも有りがたかったのかということ。
味噌汁を飲みながら、浮かぶ光景がある。ほぼ毎日のように。

あの時の避難所の光景だ。段ボールハウスの光景だ。酸素マスクをつけた人もいた。身体の不自由な人もいた。
避難所が開設されて数日後、郡山の若者たちの手による豚汁の炊き出しがあった。長蛇の列が出来ていた。人々は餓えていたのだ。命をつなぐだけのパンや冷えたおにぎりだけではなく、温かいものに。

発砲スチロールの椀を手にして、それを味わう人たちには笑顔があった。生気が戻っていた。起きられない人の分を貰おうとその列に加わっていた。顔見知りの青年が豚汁をすくいながら、なんで・・・というような不思議な顔で声を掛けてきた。事情はすぐにわかってもらえたが。

温かいラーメンの炊き出しも好評だった。

汁がある食事、温まる風呂。それを日常というかどうかはともかく、それがいかに有りがたい事だったのかということ。

そんな些細なことを今も思い起こしている。一杯の味噌汁、一杯の豚汁。それを味わうことが出来ると言う小さな幸せを。

3・11の時の避難所、一か月たった常総の避難所・・・。味噌汁さえ飲めなかった戦後の一時期の幼年時・・・。

あってはならない原発事故による避難所。そのことの意味。

今夜も出されるであろう味噌汁。同じ思いが浮かぶのだろう。きっと。

この秋の寒さは、4年7か月前の3月の寒さにも似ているようであり。

2015年10月8日木曜日

末は博士か大臣か

昔、とく世間で言われていたよな。出来の良い子どもに祖父や祖母が期待を込めて、近所の人も、親もこぞって。「末は博士か大臣か」って。

「末は博士か大臣か」。褒め言葉だった。そして、その目標である大臣や博士は、それなりの見識、知識、博覧強記であり、人格者であるという位置付けがされていた。

今年のノーベル賞、すでに二人の”博士“が受賞した。テレビで見る限り、二人とも人格者であった。立派な研究者だった。
地方の大学出身。特に大村先生などは「カネ」とは無縁の人に思えた。

もしかしたら、学問の世界では、いち早く「地方の時代」が来ているのかもしれない。

教え子や関係する大学の生徒は、ゆかりのある地の子どもたちは眼を輝かせて、「研究者」の道を目指すと話していた。

博士の博士たるゆえんだ。

博士の話題が世を賑わしている時、まことにくだらない、空虚な、意味不明な“大臣製造”の出来事があった。

安倍のお仲間、お友達の9人は留任。自民党の4役はそのまま再任。全く持って毒にも薬にもならない輩。
交代したのは10人か。これまた毒にも薬にもならないお方たち。

新聞はこんな改造ですら大々的に扱う。紙面を割く価値があるニュースなんだろうか。旧態依然の新聞の政治報道だ。記事に使われている用語も、内容も。

もし書きたいなら、石破の根性無し、河野太郎の変節を書けばいい。岐阜の聖子お姉さんが立派な人にみえてくる。

まさに大臣病患者の集団と化した自民党。

もう、政局を巡ってNHKは見ないことにした。あまりにもひどすぎる安倍の宣伝・広報機関。

言うこと値はずだ。

自民党にはもう人はいなくなった。人材はいない。いないから安倍は人材豊富などと言う。マスコミにも大方人がいない。

目先の御身お大切を目論んでばかり。悲しいかな。

末は大臣・・・。もうそんな期待をする親はいないだろう。晋ちゃんのママ以外は。その“末”の「意味」、「価値」が違っているのが現在。終わりを意味する末なのかも。

沖縄担当、まさに翁長への挑戦人事だ。
拉致は・・・。兼任の3番目。
もう“利用”する必要はないということなのだろう。外しなさいよ。これみよがしに襟につけているブルーリボンを。襟のリボンが泣いている。

復興大臣、環境大臣。福島はじめ被災地には関係する立場。ど素人の”抜擢“。もう「3・11」は視界に無いということだろう。

おらが地元の大臣さま・・・あの達、地元のために何をしたんだろう。してきたんだろう。風の便りにも聞こえてこなかった。

猟官運動に精を出してはいたらしいが。

風の便りと言えば、オバマのノーベル平和賞の返還要求があるとかないとか。
オバマは“白状”したよ。アフガニスタンの病院爆撃はアメリカのやったことだって。謝罪もしたという。

「ゴメンで済むなら警察いらない」。よく庶民の間ではいわれた言いぐさ。

ゴメンで済ます世界の警察アメリカってことか。

そのアメリカに媚をうる安倍やあわれ。

「一億総活躍社会」を作るそうな。担当大臣まで置くそうな。ならば一億分の一として、この政権に物申し、オサラバするために活躍してみようかな。

2015年10月6日火曜日

命を救うために医者がいる


「人の命を救うために、人を死なせないのが医師の使命だ。だから人を殺すかもしれない“戦争法案”に反対する」。
正確な文脈ではないかもしれないが、安保法制、集団的自衛権の行使に反対した医者たちの言葉だ。

「風に立つライオン」。歌手のさだまさしが作った曲だ。書いた本だ。主人公は国境なき医師団に参加した日本人医師がモデルだ。

アフガニスタンで国境なき医師団の病院が米軍によって“誤爆”され、医師や看護師、患者の20人以上が亡くなり、40人近くが負傷したという。

“誤爆”ってなんなんだろうか。最新兵器で”誤爆“なんてありうるのか。ピンポイントで爆撃できるレーダーやGPSを装置しているはずなのに。
目標物が何であるかも当然わかっているはずなのに。

“誤爆”といういわば過失として済まされることじゃないのでは。
現地のその診療所は閉鎖された。
その結果、近くに医療機関は無くなった。
病気の子どもたちも、大人もかかる医療機関が無い。

医者が標的にされるという戦争。NGO組織だって“攻撃”の対象ともなり得る戦争。

今日もまた、「平和な国日本」で暮らしながら、病院に行ってきた。リハビリ含めて。待合室には多くの人がいた。
診察を待ちながらアフガニスタンで仕事をしていた医師たちのことを想った。

人の命を救おうとして献身的努力をしている人が殺されるということ。

アメリカは誤爆と言い、原因を調査中だとしている。攻撃した部隊に問い合わせればすぐわかるはずなのに。

もしかしたら「調査中」がずっと続くのかもしれない。

この攻撃がアメリカでない勢力がやったらどうなっていたのだろう。人道にもとる行為だとしてアメリカはその勢力に激しい“反撃”を加えていたかもしれない。
アメリカと同盟関係にある国だって参戦したかもしれない。
人道にもとる行為に対しては厳しく対峙するのが民主主義国の“使命”だからだ。

アメリカを非難する国際世論はあまりにも小さい。アメリカ国内でも少ないようだ。

“誤爆”だからということなのか。

“誤爆”という言い訳の中に、なんだかはかりしれない「奇妙さ」を感じてしまう。

沢山の子どもの命を救った。病気を治すことが出来た。そんな微生物研究者がノーベル賞を受賞した。命を救うと言うことはノーベル賞に匹敵する人類への貢献なのだ。

なのに、命を救おうと、病気を治そうとしていた医師や看護師や病院スタッフは恐怖とともに殺された・・・。

おしなべて、強国の、大国の論理が世界に覇を制しているようで・・・。

福島の原発事故による避難者の帰還問題。はかどらない理由の一つは医療施設だと多くの人が言う。

2015年10月4日日曜日

「変わった」こと「変わらない」こと。


民主党が“栄華”を誇っていた頃、小沢一郎が代表選の出馬した際、ヴィスコンティの映画「山猫」の一節をとって、「何かを変えるためには自分が変わらねばならない」「変らずに生きてゆくためには、自分が変らねばならない」と言った。

でも、小沢は変わらなかった。永田町に埋没した政治感覚から変わることは出来なかった。

やがて民主党は凋落し、安倍自民が復活し、何も変わらない永田町政治、永田町論理に根差した政治が続いている。およそ“民主主義”なるものを理解していないような人たちの手によって。

未だ持って政党の離合集散がそこに生息する人たちの関心の的。政治の在り様、大本から変わって欲しいと願うとこ大なのだけど。
数合わせの政治・・・。

東日本大震災があった。原発がとてつもない事故を起こした。あの頃、この国の人は「変わらねばならない」と思ったはずだ。
しかし、変われなかった。惰性と言う名の螺旋に身を委ね、そこで思考停止することを選んだ。

でも、変わった人達もいる。安保法制をめぐる抗議行動。そこに主体的に参加する若者はこういう。

「震災以降、主体性を持って自分の考えを言うことが大事だと思うようになった」と。

津波、原発事故、困難な復興。特に10代であの「3・11」を体験した若者のは大きな影響を与えたのだろう。

「震災は日本にとって不幸なことだったが、僕達はその経験を生かしていかなくてはならない。そのためには主体性を持って、自分の意志を示さねばならないのだ。それぞれが主体性を持ちながら、異なる意見を持つ人とも柔軟に話し合い、行動を起こすことが必要だと考えたのだ」とも。

政治的イデオロギーや既成の団体からは真逆の立場で若者は声を挙げていたのだ。安保法案や安倍政権が目標に掲げられてはいるが、それ以前の、もっと本質的な問いかけがそこにはあるように思えるのだけど。

若者像は「3・11」を境にして、変わったのだと思う。そして、その若者が兄の世代、親の世代、祖父母の世代をも牽引していったような気がする。
若者世代は、すべてではないにしても変わったのだと思う。

学び、考えることを実践しているのだとも思う。

政治の世界では、安倍政権打倒、自民党の一強体制を打破するために対抗勢力の“共闘”を“統一”を共産党が呼び掛けた。選挙協力を。

今までの共産党とは変わらねばならない。そう言いながら。
他の「野党」は及び腰だ。

「変わる」という一種の哲学をすら語った民主党。まるで小沢アレルギーが、共産党アレルギーがあるかの如く、旧態依然としているとしか映らない。

政界だって、もう一回「ガラガラポン」とかき混ぜてみたらいかが。その後の配牌がどうなろとも。
今のままの貼り絵作業では埒があくまいと。

何回、今日は「変」という字を書いただろう・・・。
そして、病発症以来、体調、体質はたしかに変わっている。手足はいささか復調の兆しあるものの、脳内と視力、視覚が変わってしまった。この「変化」、どう受け止めればいいものやら・・・。

2015年10月1日木曜日

ウクレレ漫談のネタにもならない

昔、一時期、牧伸二の「ウクレレ漫談」というのは大流行していた。
♪ああ、やんなんちゃった、あああああああア驚いた♪っていう合の手の乗せての世相風刺。

世の中の不条理、おかしさ、間尺に合わない事、ばかばかしさをウクレレのメロディーの乗せて笑い飛ばしていた。大衆はそれに笑いと拍手をもって賛同の笑いを送っていたっけ。

敬虔なキリスト教信者で牧師の人が、ホームレスを家に連れてきて食事をふるまう”奉仕“を続けている。それを知っている息子は学び、知って、政治的思想とは無関係に安倍政治を否定する。

それを「殺す」と脅す人がいる。そんな脅しに屈するわけもないのに。世間はその親子を“否定”する。

ローマ法王が訪米した。政治家との昼食会を断り、ニューヨークのホームレスと彼らと同じような昼食を共にした。法王は大歓迎された。ニューヨーク市民は惜しみない拍手を法王に送った。

法王は国連総会で演説をした。満席だった。日本の総理も演説した。どうってことない言葉の羅列だけのようだった演説。席はまばらだった。2割もの人が聴いていたのかどうか。聞いた人がいようがいまいが、彼はプロンプターを見ながらの演説に超満足のご様子だ。

♪ああ、やんなっちゃった・・・♪だね。

シリアの難民支援にカネを出すと言った。難民を受け入れるとは決して言わなかった。人道問題を人口問題にすり替えての発言すらしていた。シリアの難民はたぶん10数人だと言う。受け入れたのは。

人口問題にすり替えるどころか、それを女性の活躍とか高齢者の活躍と言う問題にすり替えていた。

若い「生産人口」は温存しておこうってことか。役にたたない高齢者よ戦場に行け、活躍しろってことか。

生めよ増やせよ。あったな、そんなスローガンが。

お側用人の官房長官は、著名な芸能人の結婚問題に絡めて、これを機会に女性が子供を多く生んでくれればいいとのたまわった。
4年前、福島では子供を産むことをためらった若い母親が何人もいた。

最近、癌で亡くなった芸能人、癌の手術をした芸能人。福島を気にかけて、訪れてくれていた人だ。
「福島に行ったから癌になった」と平気で興味本位で大嘘を飛ばすネットの輩がいる。

一億総活躍社会だと大見得をきっている。GDPを600兆円増やすと言う。
日銀短観ですら、大企業に恩恵、中小にはしわ寄せと言っているのに。

東京オリンピック、森喜朗の大チョンボ。競技の追加。野球やソフトボールなど。皆、安倍の息のかかった政治家たちが顔をのぞかせる。
政治家の為のオリンピックってことなのか。

予選は福島で開催しようと言う。風評被害の払拭になるからと。県知事も同じことを言う。
いい加減にしろよ。風評って何かを真剣に考えろよ。
予選会やったって悪意でまかれる風評なんて無くならないさ。

♪あああああああア驚いた♪

もうウクレレの弾き方も忘れてしまったけれど。

宮武骸骨ありせば、彼が編集、出版していた「滑稽新聞」になんと書いただろうかとふと思う。

2015年9月26日土曜日

民主主義の原点は“フクシマ”にあったということ

民主主義という考え方、その理念。その嚆矢が明治時代の自由民権運動にあったと捉えるならば、その運動を提唱したのは板垣退助であったが、それに賛同、共鳴した若者たちの多くに、戊辰戦争で敗れた会津藩を擁する福島県人が、その主要な地位を占めていたとういうこと。

今も国会前を含め、「民主主義」を言う人たちが集っているのを見聞きする時、「3・11」を思い、その後の展開を思い、民主主義というものが、それまで考えてもみなかった人たちに“覚醒”させるもととなったのは、あの原発事故であり、その後の反原発運動であり、特定秘密保護法の事であり、今回の集団的自衛権、“違憲立法”、議会制民主主義の破壊。

連日の如く、それこそ燎原の火の如く広がった、「安倍政権打倒」の声と繋がっていると思えて仕方がない。

浪江の苅宿仲衛、三春の河野広中、会津の山口千代作・・・。県令三島によって弾圧された喜多方事件・・・。福島自由新聞の編集顧問を務めた高知の植木枝盛。「国というものは単位が小さければ小さいほど民主主義が徹底できる」との思考、中央集権の排除。彼らの“思想”でもあった。

苅宿仲衛の墓は3・11で倒壊した。浪江には放射能が降った。墓がどうなったのか・・・。

久しぶりで原発事故後最大の避難所だったビッグパレットに不自由な体を運んだ。
そこは何度でも言うが、人間の尊厳が全く存在しない場となっていた記憶。

基本的人権など全く存在していないような場所。そこで人々は耐えた。

多くの流浪の民がいる中で、国は原発再稼働の方針を決めた。
民主党政権だった。

官邸前、国会前は連日のようにデモがあった。
でも、その抗議集会やデモは政党色の強いものだった。社民党や共産党が前面に出た。主導していた。
そこから派生した集会やデモが郡山でもあった。政党や労組主催の。なんとも「チンケ」なものだった。

しかしだ。あの時国会前で声を挙げた人たち。
「3・11」の不条理さを経験した若者たち。
突然住んでいたところを奪われてしまった人達がいると言う不条理。
「原発」というものへの根源的矛盾。

どこかでそれに向き合うべきことを、皮膚感覚で悟っていた人たち。「福島」を心に刻んだ人たちの視点は国と言うものへの“監視”に向いた。

「3・11」を経験した人たちは、事故そのもだけでは無く、その後の国と言うものの対応を知るにつけ、政権が交代してからも、より強力に押し付けられる「不条理」に抵抗することを選択したのだ。

国会前のデモ。それは国会と言う国の在り方への抗議だったのだと思う。
集会に野党の党首が加わった。彼らは市民の声に飛び乗っただけなのだ。

市民の声を政争の具としようとした魂胆だって見て取れる。
政治の動きは、また、それをしたり顔で伝えるメディアもだが、市民の感情と同一化されていない。

国会議員がいう民主主義は、まだまだ未成熟だ。

だから原点としての自由民権運動を言い、福島を言うのだ。比較的身近にそれを“体験”したものとして。

偉そうなことを言うわけではないが、フクシマを知ると言うことは民主主義を知ると言うことにつながるのだとも。

安倍政権は完全に「福島」から逃げた。口先だけで票にしようとした。安保法制だって同じ構図だ。

自由民権運動は数ある弾圧の中で潰えた。平成の自由民権運動、民主主義を取り戻す運動は決して潰えてはならないとも思う。

2015年9月23日水曜日

「日本人は忘れっぽい民族だ」という“ウソ”

なんだか知らないけど秋の連休もそろそろ終わり。連休前にあったあの国会の混乱。安保法制なるものをめぐる様々な動き。

一部の新聞や識者と言われる人達は書く。言う。
「日本人の国民性は“忘れやすい”」と。

テレビの中からあの安保法制のこと、議会制民主主義の崩壊、憲法無視、違憲立法、民主主義への立法府の離反・・・。それれのことが徐々に消えていると。

どこか原発事故後の福島のこと、津波被害の東北のこと。それらを「風化」という言葉で括って訳知り顔に語っていた人たちの在り様と似ている。

たとえば、たしかにボランティアの人たちの数は減った。当然だ。自分たちの生活だってあるのだから。でも、あの時東北に寄せられたボランティア精神はこの国の市井の民には根付いた。この前の豪雨被害がそれを物語っている。

忘れるということと風化ということは違うかもしれない。どこかでは同じだ。
決して忘れない人たちはいるということだ。

テレビのワイドショーやニュースなどの安保法制や安倍政治を論じる時間が少なくなったということを指して忘れっぽい民族だと言っているのだろう。
誰も忘れてなんかいないよ。まともなメディアの人間なら。
伝えなければならない出来事が新たなことが出てきたからそれにシフトしただけだ。

したり顔に「忘れっぽい人間性」などと言うのは、まさに安倍政権の意向に沿った“マインドコントロール”に等しいのだ。

「連休を挟めば国民は忘れる」。そう大見得を切った政権の人たちと軌を一にしようという策略だ。

忘れて欲しい人、忘れさせようとする勢力が「忘れっぽい民族だ」などと言ってのけているだけだ。

テレビや新聞の”内容“だけを”傾向“だけを論拠に、国民性を決めつけないでくれよ。

人は、本心、傷つけられたこと。自分が考え抜いて、真剣に考えて、身をそぐように考えたことを忘れるわけが無い。

もし「忘れる」人たちがいるとすれば、それは上っ面を舐めた適当な人だけだ。

心に刻まれたことを忘れるわけは無いのだ。

目立った行動をしたり言動を取ることだけがあの「安保法制問題」を言っていることではない。

心底、安倍政治に疑問を感じ、反対した人は、忘れるはずはないのだ。
広島がヒロシマを忘れないように。長崎がナガサキを忘れないように。沖縄がオキナワを忘れないように。

国会が終わっても、安倍政権に対する反発は止むことはないだろう。安倍政治の異を唱える人が減るわけも無いのであり。

70年前を忘れ、それが無かったようにして政治のままごとみたいなことを平気でしているのは当事者である「安倍一族」だけなのだ。
「忘れっぽい性格」は政治家だけなのだ。

醜悪な政治の記憶と連休の楽しい思い出とを混同してくれるなよ。

しかし、「忘れさせたいメディア」が現に存在し、日本人の国民性を知ったかぶりで植え付けようとしていることの哀しさよ。

少なくとも、あの時、黙っていられなくて国会前に集めった人達は何もわすれてはいない。日常の生活に戻っても、いや、戻るのが当たり前なのであり、それは「忘れる」ということでは決して無いということ。

2015年9月21日月曜日

勝ってはいない、まして負けてなんかは。

“安保法案”が参院の委員会で強行可決された夜、50代の友人の一人からメッセージが送られてきた。ある会社の役員。代々自民党員だった家系。


「私は自民党員をやめようと思います。私ごときがやめてどうということはないでしょうが、私は許せない。次の選挙で自民党は大敗すべきだ。でも、代わりに政権を任せられるところもない。
日本は美しくなくてはならないのですよ。でも、今回は醜い。今夜、若者10人くらいと飲み会がありました。後半、安保について語ろうと話しました。そんなとこでしゃべったってどうにもならないけど、大事だと思ったんです」。

しばらくの時間、パソコンを介して彼と“会話”した。

もう真夜中になっていた。「遅くまでスミマセン。誰かに話したくて」と彼は書いてきた。

世論調査はともかく身近にあった一つのこと。

安倍政権、安倍支持層には「勝った、勝った」という声がある。何に勝ったのか。国会の中での野党の反対に勝ったということなのだろう。

果たして、安倍自民や公明党は、金魚のウンコみたいにすり寄った政党は「勝った」のだろうか。

全く勝ってはいない。

政治が民意と離反したという現実。
1人の自民党員を失ったという現実。

それは安倍自民の“敗北”を意味している証左だと思う。

安保法が成立したあと、安倍は別荘に行き、ゴルフに興じた。マスコミは英気を養うだとか、改造人事の想を練るとか、相変わらずの古臭い言葉でしたそれを伝えない。

ゴルフに興じる彼の姿は、その心中は、現実からの逃避としか映らない。法案成立を受けて、それはもともとありえないことではあったものの、翌日からでも、「国民に対しての丁寧な説明」をするのが、普通の総理大臣だ。かりそめにも“民主主義”を口にするなら。

集団的自衛権の行使。それは戦争になったら必ず勝つと言う”妄想“のもとに成り立っている。戦争は負けることとてある。
「抑止力」があれば戦争は起きないのか。そんな保障はどこにも無い。

ベトナム戦争。アメリカは負けるはずの無い戦争で負けた。いかなる兵器も、いかなる勢力も、農民兵や民衆の蜂起には勝てなかったのだ。

あの国会の論戦、質疑は、何だったのだろうかとも思う。

国会の中では多数が勝に決まっている。阻止できるなんて言っていたのもまやかしだ。

国会前で連日繰り広げられていた抗議行動。若者が声を挙げ、親の世代もそれに加わり、いや、そのまた親の世代まで。
成立を阻止できなかったことは断じて負けでは無い。キミたちは負けなかったのだ。

香港の傘革命、アメリカであったウオール街占拠、ちょっと前のアラブの春運動。いや、ベルリンの壁崩壊まで遡ろうか。
民衆は、その時の結果はともかく、負けてはいなかったということ。
それらが無ければ、今度の国会前行動のような路上民主主義は無かったということ。


「一国の国民は普通、自分たちの平均的レベルを超える総理大臣を持つことは出来ないし、また、一国の政治が、総理大臣の器量を超えることは無い」。
古いノートにあった、イギリスの哲学者ジョン・スチュワート・ミルの言葉だ。
ミルはさらに言う。
「国家の価値は、結局、これを組織する人民の価値である」とも。

自民党員をやめると言ってきた友人に19世紀に放たれたイギリス人の学者のこの言葉を贈る。

2015年9月17日木曜日

「面倒くさい」のが民主主義なのだ。

きのうからきょうにかけて国会は混乱している。まことにみっともない光景だ。
国会の強行採決。何度もその場にいた。冷めて言ってしまえば見慣れた光景と言えることなのだが。

「国会は男を女に変える以外は何でも出来る」。昔、乱闘国会などの呼び名があったころのある有名な政治家の言葉だ。

かつては強行採決にあたっては与野党の間で、”筋書“が書かれていた。時には自党をだますくらいの高等戦術もあった。政治家同士のやりとりではなく手練れな、先例や慣例を熟知している国対職員の手によってシナリオが作られていた。

今、それがあるのかどうかわからない。仮にこの「安保法案」、憲法違反の法案が“シナリオで進められているとしたら、雨の中、大げさに言えば、命がけで抗議行動にはせ参じている「普通の国民」にあまりにも申し訳に事なのだが。

ここ数日、抗議行動の様子を見ながら、国会の様子を見ながら、あらためて民主主義ということを考えてきた。

国会の在り様も含め、民主主義とは制度も含めて何なのかということだ。

多くの国民は、民主主義の中に身を置いていると思っていた。或る時、それの間違いに気づいた。
憲法のことだって多くの人が、「あるべきもの」とした感覚の中に埋没させていて、殊更それを考えることもしなかった。

安倍の所業や言動によって、国民は、それぞれが己の怠惰に気づき。覚醒させられたのだ。無知な国民、衆愚の道から脱皮することを選んだのだ。

議会制民主主義、それは民主主義と言うことの単なる一つの制度だ。多数決の原理なるものにしても、選挙制度の問題にしてもだ。

国会での多数、与党と称される人たち。それは選挙制度のマジックの中で誕生したものであり、国民の意志を代表、代弁したものではないのだ。
民主主義を遂行するということは面倒くさいことだ。まやかしの国会であろうとも審議に時間をかけ、熟議の場を設けるという面倒さが要求されるのだ。

面倒くさいプロセスをたどるから、だからこそ民主主義には“価値”があるのだ。全体主義的、独裁主義的思考の持ち主である“最高権力者”の意のままにならないのが民主主義なのだ。

面倒くさいことを考え、自分の考えに立脚して行動する、立脚する。それが時間のかかる面倒な民主主義の中での民意なのだ。

公聴会で「個」を訴えていた23歳の学生。彼なりに考えつくし、学んだ上での結論だ。

民主主義によって選ばれた、代議制の中で誕生した議員は、彼が国会の場で言った「個」ということに耳を傾けなければならない。政党政治は何なのかと言うこと。党議拘束に縛られると言うこと。権力者に“盲従”すること。それが恥ずかしいことなのか正義なのかを考える機会を若者が教えてくれたと受け止めるべきなのだ。

どうもあの最高権力者は面倒くさいことが大嫌いなお方のようだ。
自席からの野次や国会の中での立ち居振る舞いからみてもそれはすぐわかる。
国家があれほど嫌いな国会議員を見たことがない。軽視とか蔑視とかでもない。
議論をすることが嫌いな人なのだ。出来ない人なのだ。
誰かが書いた紙を読み上げなくては答弁一つできない人なのだ。

聞いていると、安保法制の中身を一番知らない、理解出来ていない人の筆頭が”提案者“であるという、笑えるくらいの哀しくおかしな現状。そして余りにも知識に乏しい。

先日、「蓋然性」という基本の概念を問われて答弁席で立ち往生して、薄ら笑いを浮かべていたあの人の姿。指導者でもなんでもない男の姿だったのだ。

国民の多くは、「面倒くささ」がわかっている。だから日常を振り捨ててでも、その場にはせ参じる。

数日前の新聞記事にあった。「我々が最も恐れるのは人々の熱狂だ」。自民党の幹部の言だと言う。そう漏らした幹部だとて、熱狂に目をそらせて、「安易な道、付和雷同、何も考えない、親方日の丸」の道を選択するであろうと言うこと。

2015年9月12日土曜日

“安全保障”とは・・・

きょう未明の東京の震度5弱の地震。そして10日以来の茨城、栃木、宮城、福島の豪雨災害。
異常気象がここ数年、とみに話題となっているのだが。

かつて政治の最大課題は、為政者がいちばんこころしたのは「治山治水」だったはず。しゃれにもならないが、数十年前、自民党本部は全国砂防会館の中にあった。

鬼怒川の堤防決壊による大水害。

堤防が決壊して濁流が街を襲う。住民は屋根に上がり、あるいは建物の上部で、あるいは電柱につかまりながら助けを求める。
自衛隊や海上保安庁、警察、消防のヘリやボートが住民を救助していく。

2日間、かなりの時間をテレビに費やした。テレビが映し出す光景は、あの4年半前の東北の光景そのものだったのだ。

家が建物が流されていく。夜通し、徹夜で救助を待つ。その他多くの光景。そして、突如失われた日常。あるべきものがそこから忽然として姿をけしてしまうということ。

あの「3・11」の光景が、連日テレビで見ていた光景の“再現映像”だ。

自衛官たちは、その使命感に支えられて必死の救助をする。ヘリから助け出す作業。相当の訓練を積んだものでなくては出来ない作業。

助けられた人は一様に言う。「やっと安心できました」と。

災害と安全、安全だというハードの問題。安心と言うソフトの問題。

国民生活を守り、国民の幸福な生活を守る。安保法制論議で枕言葉のように言われていること。
国会での安全保障とは軍事のことだ。戦争の事だ。他国からの攻撃ならまだしも、集団的自衛権の名のもとに“他国の戦争”にも首を突っ込む。

日々の安全保障。まさに「安全」という言葉の、概念の捉え方。政治家と市井にの民との間には、その認識に齟齬がある。

自然災害が一瞬にして国民生活の安全を崩壊する。
そのことを政治はどうとらえようとしているのか。

命は助かった。その後の生活は・・・。安心が不安に変わる。
自然災害によって国民生活が脅かされている。安全が確保されない。そこにどんな安全の保障があるのか。

田畑が濁流に呑み込まれた。そこで生産されるはずだった、実りの秋を迎えて、収穫の喜びがあるはずだった。幸福な日常は奪われた。

甚大な被害を受けた穀倉地帯。それは食の安全保障の問題でもあるのだ。
住宅復旧、農地の復元。まさに不可能に近いのだ。
政治の壁や、地方自治体をとりまく環境は“国際情勢の変化”よりもっと身近な問題だ。極論すれば生存権が肯定されるか否定されるかの問題だ。

国会では安保論議に花が咲いていた。自然災害は“他人事”であったかのごとく。

食の安全保障。天明の大飢饉をも脳裏に浮かぶ。

今、飢えに泣き、明日からの生活に泣く人がいる。

復旧。莫大な金額が必要だろう。東京オリンピックなどという華やかな祭典の問題どころではないはずだ。

民主党政権が崩壊したのは、大震災への対応を“間違えた”ためだ。原発事故をめぐり混乱だけを生んだためだ。
自然災害が内閣の命運を決めることもある。
栄華を誇る安倍王国だとて、明日からの対応いかんでは“決壊”することだってありうるのだ。

しかし、この国においては、重ねて言う。それらの大参事があろうとも、あったことは知ってはいても被害者や関係者以外は「他人事」なのだ。あわよくば被災者さえも選挙の具とする魂胆さえみえかくれする。

国会議員にあの自衛隊員ほどの覚悟や使命感は全くない。今、その地位にいる彼らが権力を多少なりとも持っているのが、この国の哀しい現実と思えてならないのだけど。

自然災害からの安全保障、食の安全保障。水というものへの認識。考えなおさねばならないことはたたあるはずと思量するのだが。

2015年9月9日水曜日

「18歳」に思うこと。

毎月書いているコラムの7月号に「18歳」を考えるということを書いた。
発端は選挙権。選挙権が18歳に引き下げられることになると言うことから始まって、成人とはなんだというような感想だった。

長年、我々の感覚の中には20歳と言う年齢が成人と未成年という区分けの中にあり、いわば大人と子供の“線引き”としてあったのが20歳。

先日、自民党の部会の中で、飲酒・喫煙年齢を18歳に引き下げようと言う議論があった。結論は持ち越しだったようだが。
それが、選挙年齢に付随しての事だとすればやはり違和感がある。

選挙権の事は政治論議であり、飲酒喫煙は健康論議なのだから。ベースが異なっているのだから。

その自民党の議論を受けて、18歳の青年が言っていた。
「要するに年齢を引き下げて、タバコ税や酒税を若者からも取ろうというころでしょ」と。
それを聞いた自民党の部会長が思わず言った。
「そんな発想は我々には無かった」と。

そうなのかもしれない。議員さんにはなかったのだろう。しかし官僚の中には税源としてあったことなのかもしれない。それを18歳の若者は見抜いていたということだ。
鋭いな、若者は。

戦争法案反対を叫び、憲法を守れと訴え、安倍内閣打倒を言う若者。官邸前や渋谷や全国各地に広がった「シールズ」主催のデモ。
その一角を「18歳」が担っている。
彼らに突き動かされるように、その親の世代や、祖父母の世代までもがその行動に参加している。

与党にとってすれば、ある意味“見下していた”はずの世代が、政治に無関心だと思っていたはずの18歳が、そこまで動き、事の要諦を把握し、声を挙げるとういうことは、それこそ「我々にはなかった発想」だったのかもしれない。

安倍政治の“愚行”を18歳が暴くとは想定外のことだったのだろう。
安倍政治の”愚行“は18歳を目覚めさせた。その18歳が眠れる大人を覚醒させた。そんな思いがしてならない。

たぶん、“凡庸”な国会議員よりも、その議員たちが“具”としようと考えた18歳の方がはるかに優れていたということになりはしないか。

帰還問題でゆれる福島。全町帰還を決めた、それが、数はともかく、実施されている楢葉町。そこでも「18歳」はある意味主人公なのだ。

彼らは「伝える」ということの意味を知っている。

冒頭のコラムにこう書いた。
「少なくとも18歳に“選挙”という大人の権利を与えると言うことだ。権利は与えられるものだけでいいのか。それは20歳以下の若者が熱望して獲得した権利ではない。大人の政治家がそれぞれの“思惑”があって決めたことなのだ。

「与えられた権利」と「勝ち取った権利」。喫煙・飲酒を権利だというつもりはないが、どこか民主主義の在り様とも似ているような気持ちがして。

2015年9月4日金曜日

どっかで「たが」がゆるんでる

「たが」。漢字で書くと箍。
たがが外れる。たがが緩む。ひらたくえいえば「たるんでいる」とでもいうことか。桶の枠組みを固定していた輪の状態だ。
締め付けて形を維持していたものがなくなり、それまでの秩序が失われることと辞書にはある。緊張が解けて派目を外すという意味も書かれている。

今、政治もその哲学や理念、ありかたについてまったくタガが外れ緩み、この国を支えてきた立憲主義という概念から枠が外れ、憲法という”締め付け“を無い物とし、戦後かろうじて維持されてきた”秩序“が失われつつあるのだ。

政治の場でもその関係性は然りだ。
東京オリンピックのロゴマークの迷走。意味不明のような競技場の建設問題。

責任と言うことを言うなら、それははっきりしているのに、それをどこかになすりつけようとばかりしている。

あの「招致決定」のIOCの発表があった時から言っている。
「東京オリンピックは返上すべきだ」と。
それが、日本人としての日本人らしい潔さだと。
オリンピックに血道を挙げ、多額の金を投じることに何の意味があるのかと。
オリンピックの前にやらねばならないことがあるというのに。

やらねばならないこと。その一つの大きなものが原発事故の後始末だ。あらゆる意味での後始末だ。

後始末は多岐にわたっている。もはや、何を語ればいいのかもわからないくらいだ。

4年後の、2巡目の甲状腺検査では新たに25人もの”患者“が出た。医者の見解もまちまちだ。そのことに政治は介入すべきではないにもかかわらず、なんか意図的なものも感じる。それは見解の言葉遣いの問題ではないはず。

サブドレーンの汚染水をろ過、浄化して海洋放出の準備が進んでいる。そんな中、1F構内では、またも冷却装置の故障。

どこかで作業の中にタガが外れているのではないのか。緩んでいるのではとも。

そして、またロボットが投入される。それに頼るしかないのだが、いつもその結果は心もとない。

中間貯蔵施設。試験輸送は始まった。しかし、その施設は全く持って完成してはいない。フレコンバッグは無くならないのだ。

今日と言えばいいのか明日と言えばいのか。楢葉町では全町の避難指示が解除される。
それを待ち受ける町民や周辺住民の「複雑な人間模様」。

指定廃棄物の処理場を巡って、地元と国との間の齟齬はより激しくなっている。
今さら、今頃いうのもなんだけど、中間貯蔵施設を国の責任でどこかに作るなんて嘘八百だ。

なんだろう・・・。上手い喩えは無いが“虚飾”にまみれたオリンピックを一つのメルクマールにして、“フクシマ”が動いている、動かされているの感ありなのだ。

この国の中で、さまざまな分野でタガが緩んでいる。外れている。
それを締め直す人はいない。

なんとなく思うことの少々を列挙。

そして、タガが外れてしまったような我が身、我が頭脳・・・。

いろんな意味で「リハビリ」という言葉が重い意味を持っているようで。

2015年8月31日月曜日

八月の終わりに・・・

秋霖と呼ぶのが相応しいのか。雨また雨の気候。8月はまだ夏のはずなのに。
気象変動とでもいうのか。異常気象ということか。
寒いという言葉が至極当然のように口をついて出る。

何かが「変わる」前触れなのかなとも。

多少の私事。
今年は、8月と言う季節を“まともに”味わっていない。
7月17日の入院。8月の退院。リハビリの日々。考えることも、それを文字化することも難儀な日々。
挙句に尻に粉瘤という瘤のような物が出来、それの摘出手術。痛みゆえに椅子に座ることもままならず。
肉体も神経も、その不具合さにつき合わされ・・・。なのであります。
友人の一人は「こぶとり爺さん」と言ってはくれましたが。

身体がどうであろうと、精神がどうであろうと、これだけは書いておきたかったこと。
8月の終わりに行われた国会前のデモのこと。

国会議事堂前は知悉した場所であり、記憶から抜けない場所だ。
「日米安全保障条約」なる“得体のしれない”ものを巡っての。そして、長年の職場でもあったことをからめて。

60年安保。そこにあった光景は全くカラフルではなく、モノクロの、白と黒との乱闘の場であった。中には僕のような全くのノンポリであり、ただ、そこに行かねばならないという思い込みで参加していた学生もいたにはいたが、デモの参加者は、多くが組織労働者であり、組織化された学生だった。
警棒が振り下ろされ、ジェラルミンの盾が小さな要塞のようであり、放水が繰り返され、道路を占拠したデモ隊がジグザグデモを繰り返す、異様な光景の場所であり、煌々と照らされた国会議事堂の中も異様、異常だった。

そのデモから数年後、その界隈は仕事場になっていた。国会周辺の風景や地形は知悉している。
その道路が人で覆い尽くされるということのおおよその数の想像まで。
12万人の人があの場にいたという。映像を通して見える光景はあまりにもカラフルだ。
労働歌や学連の歌しか聞こえなかったのが、思い思いの歌声や、ドラム、ラップのリズムに代わっている。ファッション雑誌から抜け出してきたような女性が多数いる。

数人の若者が声を上げ始め、ネットをツールにした呼びかけに呼応した人たちが集まる。それぞれの意志で。まったく組織化や動員されてはいない人たち。

約55年前とは比べようもないデモのありかた。そして”武装“していない警察官のソフト警備。

安保反対、安倍打倒、戦争法案反対と声があがる。若者に呼応して立ち上がり、声を挙げ、行動を共にした大人たち。学者や文化人、知識人・・・。

彼らが叫ぶ”安倍“は、アベシンゾウという「個体」ではない。安倍に象徴される今の政治への転換なのだ。だから場所は国会なのであり、安倍の居住区ではないのだ。

彼らはこの国の政治の在り方を変えたいのだ。

「閉塞感」なるものが政治に起因していることを敏感に察知し、それへの抗議の意思を示しているのだ。

「民主主義社会なのだから、選挙を通じて変えよう」。そんな議会制民主主義と言う名の“まやかし”を変えようとしているのだ。これまでの通り一遍の”民主主義“への疑義を表明しているのだ。

それに政治家は気が付いていない。旧態依然の“価値観”でしかデモを謗れない。彼らは決して政治への無関心層ではない。
今の選挙制度の欺瞞を見破っているのだ。
代理性民主主義の”弊害“を感じ取っているのだ。
国会議員には任せておけないという意識に「覚醒」したのだ。

そんな思いにとらわれる。

だから、3・11後に登場したニーバーの祈りの言葉が蘇ってくるのだ。

神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

2015年8月にはこの言葉が一番相応しいのかもしれない。

2015年8月27日木曜日

「責任」ということの続き

時々引用させてもらう胸を打つ言葉がある。
立教新座高校校長だった渡辺憲司氏の言葉だ。
去年の卒業式で語られた言葉。「福島の海を見よ」。

//波の音を聞きなさい。吹く風を身に受けなさい。 息を胸いっぱいに吸いなさい。 自然を体感するのです。若き体をいっぱいに開いて感じるのです。 新聞やテレビで分かった気になってはいけない。 今からでも遅くない。否、今だからこそ。震災から 3 年たった福島の海を見つめなさい。 すぐ近くで悲劇がおこり悲劇が続いているのです。 誰もいない海を見なければならないのです。 君は、大人に踏み出したのだ。 君が子供を持った時、君の子供はきっと聞くだろう。 「お父さん。震災の時何してた」と。 君が外国へ行った時、君は聞かれるだろう。 「日本の海はどうだ・・。福島の海はどうだ・・。」 「あの頃どうしていた」と聞かれるのは、君達の青春史に刻まれた宿命なのだ。 君は「忙しかったんだよ」と答えるのか。 忙しいと忘れるは、同源の語である。心を亡くすることだ。 「僕は福島を忘れていたよ」と答えるのだろうか。 福島に対して忙しいと言える者はこの日本にはいない。 福島に対して忘れたと言える人はこの日本にはいない//。

あの「3・11」。それに向き合う日本人としての「責任」を論じた言葉だと思っている。
そして、福島を語った言葉は、今のこの国の姿にも通底している。福島を今の日本、政治に置き換えてもなんらの違和感もない。

戦後70年、こんなことを書いていた人もいた。
//私たちは体験を成り代わって伝えることは出来ないけど、思いや意志は伝えられる。見てしまった者、聞いてしまった者としての責任がある。それを一生背負っていくつもりだ。自分が感じたことを伝えるしかない。//


「安保法制」に反対する官邸前の集会に参加した人は言った。
「今、この法案に反対しなければ一生後悔するだろう。自分の人生を後悔したくないからここに来て声を上げる。あの時、そこにいなかったと後悔したくない」と。

新座高校校長と同じ感覚がある。

理念としての民主主義がそこには厳然として存在しているとも思う。

市井の人たちが思う「責任論」だ。


「未来に対する責任を喜んで背負いたい」。そう述べたデモに参加した19歳の若者もいた。

この人たちの言葉に胸を打たれる。これこそが民主主義なんだなあと。

安倍はもちろん、安倍に連なる国会議員には、こんな考えを持つ素養すらない。

支離滅裂な言辞を弄し、議会を議会とも思わず、立法府を愚弄し、それこそ「出席」してればなんとかなるさのような、法案の成立は目に見えているのだから、答弁の内容がどうであろうと「自分のやりたいことをやる」ってだけの“最高権力者”。

その実相を否としての論陣を張ることに戸惑うメディアの一部。

見た、聞いた、知った。それによってそれを知った人には責任が生じてくる。
責任とは何か。人間が人間であるための根源的な哲学ではないか。
決して形式や形ではない。

政治の場で民主主義が崩壊していくなかで、市井の言葉に民主主義を見たと言うなんとも皮肉に満ちたこの国。

少なくとも国会をバカにしている総理大臣。もはや、彼の存在は「哀れ」という一語に尽きるのかも。誰にとっての「哀れ」か。
敢えて主語は記さない。

2015年8月25日火曜日

「責任」という言葉の軽さと虚しさ

どうもこの国の政治家やマスコミは「責任」という“言葉”が大変お好きらしい。

巨大与党は責任政党。
何か事があると“説明責任”。

だからさ、「責任」ってなんだい。それを多用する人が、実はその意味も本質も知っていないということ。単なる言語としてだけしか扱っていないということ。

なんかというと政治責任。

責任と言う重大なことを軽々な感覚や、偽善的に乱用していることへの、その言葉の使われ方の「軽さ」と「軽薄さ」。

実態を伴わない、意味をなさない言葉が乱れ飛んでいることの哀しさ。
それがこの国の姿の一つの象徴だということ。

責任政党とはどういう政党を指すのか。嘘、偽り、ペテンを平然として吐く政党が責任政党なのか。
言うことをそのたびごとにコロコロ変え、平然としてシラを切る奴らが責任ある政治家か。

政治責任って何なんだい。

説明責任。そんな言葉をだれが使い始めたのか。そんな責任とはどんな責任だ。
説明責任と言えば、それだけで納得してしまう議員の資質とはなんだ。
“説明責任が求められます”、なんて平然と言ってのけるテレビって何だ。


じゃ聞くぜ。報道責任ってのはあるのかないのかって。
報道責任。誤報が云々ということではない。報道すべきことを報道せず、報道しなくてもいいことを大仰に言い募る。そんな彼らの“姿勢。

敢えて報道しない勇気。それが必要なんだと言ってきた。そう今でも思っている。権力を利するような、悪趣味な好奇心を満足させるようなことのことだ。

少なくとも、あの戦争中、「報道責任」は果たされていなかった。知っていても伝えなかった。己が身の保身のために。権力に抗することの利害得失を優先させて。
それがこの国を「誤らせた」、間違った方向に導いていった。権力はその蜜の味を伝統的に知っているから、あの特定秘密保護法なんてものを作らせる。

原発事故、いや原発そのものについても然りだ。何を伝え、何を伝えなかったのか。3・11でもそうだ。何を伝えたのか、何を伝えなかったのか。そのことについての「説明責任」も全く果たされず、その責任追及も及び腰な人たち。

戦争責任は追及されず、それはまったくもって曖昧なまま「戦後70年」という言葉だけが横溢している。
戦争責任をはっきりさせない限り日本の戦後は終わらないのだ。
それは軍部か、政治家か、財閥か、はたまた国民か、戦争と言う空気か。空気ならば、それを醸成したのは誰なのか。

その説明責任を国会の場でとことん追及してもらいたい。

全くのバカなチンピラ議員の素行や言動。それの説明責任を果たせと言うお偉方。バカを当選させた責任というのは存在しないのか。いざとなったら個人の問題にすりかえる狡猾な政党の責任者。行政府の長だから議員の身分には言及しないという議員バッジをつけた最高権力者の立場の使い分け。

これまでこの国の在り様に関することで、為政者や権力者の中に「責任」をとった人っているのかな。

今、われわれが真剣に考えなければならない言葉。それは「責任」という言葉。その真の意味合い、それの受け取り方。責任と言うある種普遍的でもあり、宗教的でもあり、哲学的でもあり、人間が人間である限り、負い続けねばならないことを。

2015年8月23日日曜日

「職業原発除染作業員」はニュースなのか

大阪市内であった中学生男女の殺人事件、その事件について何かの薀蓄を語るものではない。

相変わらずというか、無定見な報道の在り様に怒りすら覚えると言うこと。

事件が発覚してから、それこそテレビのワイドショーは、いつもながらの”野次馬論議“。タレント評論家が言いたい放題。まったくいつも事件が起きた時とかわらない。

子どもが殺されているんだぜ。好奇心を駆り立てる話じゃないんだぜ。

なんで、死体の描写を事細かに伝えなくてはいけないのか。テレビも新聞も。たぶん週刊誌は、もっと猟奇的に書くのだろうが。

「殺されていた」でいいではないのか。何万人の人の好奇心を満足させるより、家族や友人の心情に気を配れよ。

3・11で多くの死者を見聞きし、時にはそれを写真で知り、「死」を伝えることの難しさを学んだはずなのに。
70年前の原爆や戦争での多くの死。その残酷さを認識してかしなくてか。

事件の残忍さを事細かに言うのは裁判だけでいいのではないか。殺され方の仔細を報じることに何らかの意義があるのだろうか。と思っていた。

犯人が逮捕された。45歳の男。同様な連れ去り事件を数回起こしている前科あり。逮捕のきっかけは防犯カメラの映像の解析だけではなかろう。「マエ」を調べての洗っての割り出しなんだろう。

そして何とも言えず嫌な気にさせられたのが、犯人の職業。警察によればというクレジットつきで。

「福島の原発除染作業員」。除染会社の契約社員だとどこもが報道する。
除染作業員という“職種”が生まれたのはわずか4年前からだ。しかもこの犯人はそれに従事したのは1年かそこいらのようだ。

45歳の男。20年以上にわたって他の職業にだって従事していたのではないか。
なぜ、最近の、福島から一時帰宅をしたばかりの職業だけが報じられるのだ。

報じる方に「悪意」はなかろう。福島に対しての。しかしネタとして飛びつきやすい職業だったのではないか。
除染作業と殺人との間になんらの関係も無いはずなのに。

「除染作業員」という言葉に、今後は更にある種の“偏見”のようなものが生まれるかもしれない。その作業は福島にとって欠かせないものであるにもかかわらずだ。

その職業を報道することに、事件の解明に資する何かが存在するとでもいうのだろうか。

事件にかかわる情報が欲しいばかりに、その職業もネタとされ、本筋を違った方向にも誘導しかねない。
作業にあたっている人にとっては迷惑な報道ですらあるのではないかとも。
それはどこか東電の責任論との通じるような事にも思えて。

事件の本質とは違う意味で、どこか「安易な報道」という感が免れない。

2015年8月19日水曜日

「リハビリ」なる日々

8月15日を挟んで、ずっと「戦争」のことを考えていた。
「なぜ戦争が起きたのか」「なぜ戦争があったのか」「なぜ戦争をやめることができなかったのか」

なぜ、なぜ、なぜの疑問は、結局は疑問のままだった。
おかしな喩えだが、この国は70年が経っても「戦後のリハビリ」が終わっていないようだ。

70年が経過した。連日のように戦争体験者の話を見聞きした。そして思った。
「語り部たちは確実に老いて行っている」ということ。そして、「語る言葉」を失いかけているようにも思えるということ。

今年も彼らから多くの事を学んだ。その中でも重要なことの一つが「自分で考える」と言うことが、いつの時代にあってもいかに大切かということだ。

戦争をどう語るか。難しい問題だとあらためて思う。歴史としてだけ語ることと。人間が人間としてあるべきという立場から考えるということと。

どちらにしても、あの戦争時、大方の国民が、戦争遂行を声高に言う国の方針をほとんど無条件に受け入れ、国の言うことを信用し、それに“服従”してきた最大の要因は、国民が自分で考えるということを放棄してきたのではないかということ。

軍部のいうこと、それに追従する報道を、いわば押し付けられたことどもをほとんど何も考えずに鵜呑みにしていたということが最大の問題だったのではないかと。

自分の頭で考えないと、考えなくなると「間違い」に気付かない。何が間違っているかさえわからない。

国全体が進んでいる方向に身をおくことの尾心地の良さ。

それは70年以上も前も、今も変わっていないということ。
少なくとも“安倍信者”なる人達は、“何も考えていない人”の典型かとも思う。

中4日をあけたブログ。中4日、安倍はゴルフに興じ、茶坊主どもがお相手をしていた。何も考えていないテレビ屋もその仲間だった。
その昔は、仕事仲間であり飲み仲間であった、今は“権力亡者”と変身してしまったような男・・・。

安倍の「リハビリ」だったのだろう。“部下”たちは仕事を余儀なくさせられているというのに。

先憂後楽。権力者への戒めの箴言であったはずだが。

私事。
なぜに4日も空けたか。肉体のリハビリによるものだ。

病院でリハビリの日はやはり相当な疲労がある。家でやるリハビリもだ。
悔しい病になったものだと慨嘆しても致し方なく。
その疲労は2日後まで尾を引く。
身体の疲労は思考の疲労にもつながるような。
8月1半ばが締め切りだった原稿2本。何よりも思うに任せぬ手と指。

考えて、考えて、考えすぎるまで考えて・・・。考えたものを文字にすることが出来ないという困惑。それも疲労にわをかける。

ま、リハビリなるものをも“仕事”と心得て・・・。

2015年8月15日土曜日

70年目の8月15日に

70年前の8月15日。きょうと同じように快晴だった。時々入道雲が浮かんでいたような気もする。

正午から「大事な放送がある」と大人たちが言っていた。疎開先の兵庫県飾磨の農家の離れ。
正午にむけてどこからか大人たちが集まって来た。なぜ焼け出された身なのに、その6畳一間の離れにラジオがあったのかはわからない。

放送の内容は理解できなかった。起立してその放送を聞いた大人はしばしの沈黙のあと静かにいった。
「やっと終わった」と。

空襲警報、燈火管制、防空頭巾。それらから逃れられると言う解放感は覚えたのだと思う。4歳余りの少年はなぜか海に向かってかけっていっていた。周りには蝉の声だけがあった。

1945年の8月15日の「記憶」。郡山のタウン誌に与えられているページにあらためて書いている。

ここでもそうだが、腕が指が自由に動かない。キーボードを満足打てない。やたら「誤植」ばかり。デリートの繰り返し。ストレスときたら半端ない。
書かなくてもだれからも非難されないだろうが自らがそれを拒否するのだ。

もう10年になるこのブログ。「3・11」以前は、日常の些末なことを書いていた。時々は世相に対する小言のようなものを書いていた。遊び半分の気持ちで。
「3・11」以降、このブログは変えざるを得なかった。毎日書いた。少なくとも“仮設住宅”が無くなるまでは書き続けようと決めていた。ひと月ほど前、突如脳梗塞なるものに侵される前までは。

もう毎日綴るのはちょっと不可能に近い。友人も休養を勧めてくれる。感謝する。でも数時間かけて書き続けなければならないという想いの方がまさる。

折に触れ、安倍政治が続く限りは何やら言わねばならない。「フクシマ」が同じような様相である限りは、やはり言わねばならないこともある。
「老いの一徹」ではない。この国に生を受け、そこで生きている以上“当然”のことなのだと思う。

言わねばならない。声を上げねばならないと。

昨日の安倍談話。それを語るつもりはない。あまりにもくだらないことだと思うから。
一言だけ言う。未来を彼が俎上に乗せたから。

「あの戦争になんら関わりのない私たちの子や孫、その先の世代の子供たちに謝罪を続ける宿命を負わせてはならない」と言った。ならば、その宿命をおわせないために何をするのか。安倍自身が謝罪を続けることに他ならない。相手が「許す」というまで。自明の理だ。

彼の談話は「日本語」ではなかった。彼の口から出された言葉ではあったが主語も主体も客体もなかった。安倍が謝罪するとは言っていなかった。

ここまで書いて戦没者追悼式を待つ。天皇陛下の言葉を。

「歴史を顧み、先の大戦に対する深い反省ともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願う」と述べられた。

昭和天皇の真意はともかく、昭和天皇の詔勅、お言葉で始まった先の戦争。昭和天皇の聖断、詔勅で終わった戦争。

平成天皇が「反省」という言葉を使われたのは初めてだ。天皇家として「反省」という言葉を使い続けられるのか。安倍のいう「謝罪」とどう結びつくのか。

6月23日。8月6日。8月9日。8月15日。天皇にとって忘れられない戦後の4つの日。

その地に何度も足を運ばれた。遠く南方洋上や島にも慰霊の誠を捧げられた。でも、反省は続けるのだということか。

武道館にも蝉の声があったのだろうか。鎮魂の蝉しぐれが。

2015年8月14日金曜日

「戦後70年」とは・・・。

今夜、戦後70年ということで安倍が「談話」を出す。
何を読み上げ、何を語るか。それにほとんど“興味”は無い。

文字が躍っているだけの、言葉が羅列されただけの空虚なものにしか思えないから。
侵略、お詫び、反省・・・。それは彼の本意ではないだろうから。

70年と言う「節目」。なんで見え透いたようなことをするのか。
歴史に名を残したいという自己満足だけなのだろう。
多くの日本国民がそれを望んだことなのだろうか。そうも思えないし。
戦後50年の「村山談話」を否定するものだろうか。そうでもなさそうだ。
60年の小泉談話を否定するのか。そうでもなさそうだ。

少なくとも中国、韓国はそれを注視しているという。荒さがしに走るかもしれない。なんで火中の栗を拾おうとするのか。

浅はかな功名心としか思えない。

談話が“国是”となるわけでもない。“国家理念”となるわけでもない。

談話に盛られた言葉はきわめて“政治的”なものであり、安倍の本心を訴えるものでもなさそうだ。

戦後70年にあたってこの国の総理大臣が何を考え、何をしようとしているのか。
多分、それは意味の無い言葉の単なる羅列ということになるのだろう。

自分で考えて、自分の言葉で語るべきことを、有識者会議なんていう隠れ蓑を作っての無駄な行為。

「出したい」と言う欲望はあっても誰かの手を借り、意見を借りねば出来ないと言う、この無能さとも思う。
他言を、他見を借りてまで出すものではない。

戦後を総括する、戦争を「政治の場」で総括するという作業は、戦後50年にあたっての村山談話でケリがついていると思う。

自、社、さきがけによる村山政権。その政権は比較大1党である自民党が握っていたのだ。
50年と言う節目は自民党の節目だったのだ。

この時をして、民意に鉄槌を下された自民党は大きく変わるべきだったのだ。
村山談話が読み上げられた本会議を1年生議員の安倍は欠席した。
その談話は意に沿わないということで。

20年後の”怨念はらし“ということか。ばかばかしいのだ。

15年前、テレビドラマとして発表された倉本聡の「歸國」という作品。
そのドラマを70年後の今に重ねてみる。

真夜中に東京駅に滑り込んできた軍用列車。降り立つ“英霊”達。その英霊たちが、そのために命を亡くした祖国の実態。英霊はそれを束の間見る。
そこにあった祖国は彼らが命を懸けて守ろうとした国の姿ではなかった。

今、英霊たちがもし帰国できたなら、彼らは無念の涙を流し、憤然として南方に地に去っていったかもしれない。
戦場の露と消えた彼らは、みな思っていたはずだ。

「二度と戦争はしてはならない」と。

戦後70年、安倍政治は、それに与する人たちは九死に一生を得た兵士たちの願いも無視している。英霊の遺志にも背いている。

今夜も官邸前では「戦争反対」を訴える人たちが声を上げるのだろう。
老いも若きも。

語り継がれた戦争も、語り継がれなかった戦争も、ちょっと前までは戦争を知らなかった若者も声をあげる。

英霊たちの”怨念“が、迎え火とともに彼ら、彼女らに乗り移ったような気もして。

2015年8月13日木曜日

「責任」という“空語”

お盆の入り。生憎の雨模様。仏壇の祖母と母の遺影に手を合せる。花と線香を手向けて。いささかの御供え物も。70年前には絶対に口に入れることが叶わなかった甘いものも添えて。
去年のお盆より、仏壇の前にいる時間は長かった。写真をずっと見入っていた。戦争を生き抜いてきた二人の女性と語り合うように・・・。

もはや安倍政治について語ることには何等の意味を持ち合わせないと言う感が増す。
これほど“最低”な、総理大臣と言うポストについた政治家は見たことが無い。

この政権が続く限り、この国は内部崩壊を起こすだろうとの危惧が増す。

こんな男がなぜ総理大臣に成れたのか。総理大臣にしてしまったのか。戦後史の謎であり、戦後70年を経たこの国の大きな“罪科”ですらある。

この政治家には日本人としての日本語力が全く欠如している。言葉の価値、その大きさに全く無神経だ。言葉を冒涜している。

なぜならば、公然と平然と“嘘をつく」ということであり、それにいっぺんの逡巡や後ろめたさも持たない。

「最高責任者としての総理大臣なのだ。俺が言っていることはすべて正しい。俺のいうここだけ聞いていればいい」。
そんな独善的思考にこりかたまり、一切抜け出ようとしない性格。多言に耳を傾けない。自分の「お仲間」以外は。

第一次政権時、福島原発に関して重大事故は断じて起こらない」と国会で断言した。事故は起きた。自分の前言は失脚させている。
免罪符のように時の政権、民主党にいいがかりめいたことをわめくだけ。

知性も品性も品格も無い政治家なのだ。

安保法制。抑止力を語る。安全保障を語る。全て「武力」が前提の。勝つ“戦争”のことしか念頭に無い。後方支援と言う。武器弾薬を米軍の兵站を輸送するという。

先の大戦。狙われたのは輸送船だ。兵糧攻めが昔からの兵法だ。飢餓による死者が敗戦を決定づけた。

武力だけが戦争ではないののだ。

安全保障。食の安全保障。福祉の安全保障。そしてもっかの問題。原発の安全保障。

電力会社が責任を負うと言ってはばからない政権。安全とは言っていないと煙に巻く規制委員会委員長。
学者の良心で「原発再稼働は駄目だ」といってもいいのに。安保法制や憲法で学者が政権に異論を突き付ける。なぜ大方の原子力学者ははっきりものをいわないのだ。

元首相がこぞって安倍政治に異を唱える。それは歯牙にもかけない。
非核3原則はどうでもいいことなんだろう。けしからんと言われてあわてて文言だけを入れる。その言葉を彼は決して尊重しているわけではない。

ようするに単なるわがままお坊ちゃま。国の将来なんて関係ないのだろう。
明日、談話を出すと言う。中身よりも70年で談話を出した首相として名を残したいだけなんだろう。

彼のおかしさをいちいち言っていてもきりがない。とにかく彼は言辞において責任を感じない男なのだ。


明日の彼の談話、翌日の陛下のお言葉。もし二つの言葉の中に齟齬や異があれば、この国は何を指針に進んでいけばいいのか・・・。

平成27年。長州が朝敵になるやもしれずだ。

2015年8月10日月曜日

原発再稼働が意味すること

いささか泣き言めいたことを言えば、世情が「休むこと」を許してくれないということか。しばし、考えることに猶予すら与えてくれないということか。
考えるという”ストレス“から解放してもらえないということか。身体が不自由であることに反比例して、頭に働くことを求められてくるということか。

それは目先の事でもあり、近い将来のことでもあり・・・。

明日、やはり原発が再稼働される。鹿児島県の川内原発。まさに予定通りのことであるかのように。
「3・11」が結局何も変わることを求めなかったかのように。

川内原発の再稼働。それは福島の事故を無かったこととして、福島を“無視”するということではないのかと。

感情論として排斥されるかもしれないが、普通の人ならそう思うのが当然なのだ。

いくら安全基準が満たされた、地元の一部には再稼働、経済効果を求めるという動きがあったとしても、してはならないことのはず。
事故は必ず起きる。そう想像するのが政治の理念のはず。避難計画なんて策定もされず、それは地元自治体の問題だとして再稼働議論の俎上にすらあげられず、しかも一自治体では策定、実施が不可能だということがわかっているにも関わらず実施に移されるということ。

連日の酷暑。冷房の適切な使用が呼び掛けられる。電力量の不足や危機は全く聞かない。電力供給量はひっ迫しているわけでもない。
それなのになぜ、再稼働なのか。単純な話なのだけれど。

もし事故があったら、政治の側は言うだろう。電力会社の責任だ。規制委員会の見解に沿ったまでだと。

政治はいつの間にか”卑怯者“の集団になったような気がする。

全てのことに於いて政治が責任を取ったことは無い。引責辞任と言う言葉はあるが、それはまやかしの責任論だ。
責任はすべからく他者に転嫁される。それをもってして卑怯者と呼ぶ。

安保法制論議。国を守るということが”大義“のごとく言われる。国とはなんだと言うことだ。国民を守るということとどう相関させるのだ。

軍事力で、抑止力とやらで戦争は防げるとまやかしの言辞が弄され、それを信奉する人もいる。

国を守る。国民を守るということは何だ。

原発事故がもう一回起きれば、この国は壊滅するのだ。直接、間接の被災者が生まれることは必定なのだ。

憲法をも最高権力者を自認する人はその解釈も変えた。危険は無いとも戦争に巻き込まれることもないとその人はいった。なぜなら私は総理大臣なのだから、私が言うことに間違いは無いと。

何でも出来る人なら、電力会社がなんと言い張ろうと、官僚がなんと取り繕うとも再稼働を止めればいい。いや、止められるのは政治だけなのだ。
原発再稼働にともなうすべての「不都合」は政治に帰するものなのだ。

70年目の原爆の日と、原発再稼働の日が重なるこの8月・・・。

忌まわしい8月と季節を呼びたくは全くないのだけど。

2015年8月9日日曜日

広島・長崎と官邸との隔たり

広島についで長崎での原爆の日。犠牲者を弔い、核兵器の廃絶を全世界に訴える日。
長崎の田上市長は、今年もそれを訴え、政府がすすめている安全保障法制に限りない疑念を表明した。

広島も長崎も市長による平和宣言。長崎市長は福島にも言及した。
「東日本大震災から4年が過ぎても、原発事故の影響で苦しんでいる福島の皆さんを、長崎はこれからも応援し続けます」と。

福島はどうする。
少なくとも脱原発宣言があってもいいのじゃないかと。

近日中には川内原発が再稼働されるという。原発事故を体験していながら、なぜか隔靴掻痒の福島県と思えてしまうような。世界に向けての発信ってあっていいのじゃないかと。

なんか、70年目の8月に背くような動きの数々。

核兵器。法理論上はそれの運搬もあり得ると言う政府。しかし、総理大臣はそれをさせないと何の根拠も無く言ってのける権力者。

広島・長崎と官邸には大いなる隔たりがあると思えるのだ。

広島・長崎で語られる戦争。それは個々の人間の悲惨な物語だ。残酷な歴史だ。
出発点は「個」なのだ。
政治が語る戦争。そこには“死”もなければ、国民の犠牲もない。単に武力の行使と言う文字面だけの話だ。

戦争と言うものの「認識」が根本的に違っている。

田上市長は、また当然のことを訴えた。

現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯な審議を行うことを求めます」。
穏当な意向表明だ。

それを聞く安倍の瞼は、自分に対して不都合なことを言われた時のいつもの姿。視線が定まらず、瞬きを繰り返し、挙句目を閉じてしまう。
眼をつぶるという行為は拒否の意思表示なのだ。広島でもそうだったように。

国会での「安倍語」を連発しての意味がよくわからない答弁のかずかず。そもそも、いわゆる、まさに・・・。

決まり文句の「だって総理大臣なんだもん」的言辞。

ここ数日、またも見ているような「真夏の世の夢」かとも。正確には夜の夢なんですがね。

2015年8月7日金曜日

「戦争を知らない子ども達」のこと

1970年代の初め頃、ベトナム戦争の頃、フォークソングで“戦争をしらないこどもたち”と言う歌が大ヒットしていた。

♪戦争を知らずに僕らは生まれた。平和の歌を口ずさみながら。僕らの名前を憶えてほしい、戦争を知らない子どもたちさ・・・♪。

おおよそそんな歌詞。反戦歌と言われていたが、どうもこの歌の歌詞が理解できなかった。

戦争を知らない子ども達。その位置づけがわからないのだ。知らないことがいいのか、悪いのか。

「戦争法案」をめぐる反対運動から僕は多くのことを学んだような気がする。
「若者」のことだ。

官邸前に集う“シールズ”の若者たち。17,8歳から20歳過ぎの「普通の学生」。
彼らは彼らなりに「戦争」というものを知って、それに反対の意思表示をしている。

シールズの若者も、高校生のデモ参加者たちも、戦争を知ろうとしてきた。戦争を自分たちで学んだ。
彼らは自らを「戦争を知らないこどもたち」とは呼ばない。彼らは「戦争を知らない大人たち」を非難しているように見受けられる。

「知らない」のは自分たちの親の世代だ。親たちの世代は、たとえば地方議会の議員などがSNSを使って彼らを脅す。就職出来ないぞと。彼らは返す。そんな会社には就職しないと。

親たちの世代。受け身であった世代。たとえば「失われた20年」に身をおいて、「誰も戦争のことを教えてくれなかった」という価値観を持っている世代。

戦争は、黙っていても、誰かが懇切丁寧に教えてくれるものではない。何事もそうだ。学ぶということは「自らが取りに行く作業」なのだ。

それは原発問題とも似通っている。

知らないということを他人のせいにするなよ。自分でつかめ、取りにいけ。ってね。

戦争を知る世代は減っているという。訳知り顔をしたメディアがいう。NHKの調査だと言う。アンケート、正解は1945年8月6日、9日、15日だとか。

なんか「戦争を知らない若者」って、それこそ“レッテル貼り”じゃないのかか。意図的に若者を貶めるかのような。

今の若者、結構「知っている」んだ。知っているから、知ったから声をあげているんじゃないのかな。

確かに、皆、年をとってくるのだから、年寄から戦争のことを聞く、聞かされる機会は少なくなってくる。だから、本でもいい、記録でもいい。自分たちが自ら学んで、自分たちで知る努力をするんだよ。

自らが望んで取りにいったものは忘れない。口をあけて待っていたところに放りこまれた知識は忘れるんだ。

きのう、広島の原爆忌に合わせるように全国高校野球が始まった。100年目の高校野球。奇しくも出場校になった初回の参加校、京都の鳥羽高校の梅谷主将。


“100年間、高校野球は日本の歴史とともに歩んできました。この100年、日本は激動と困難を乗り越えて本日の平和を成し遂げました。
次の100年を担う者として、8月6日の意味を深く胸に刻み、甲子園で躍動することを誓います”。

8月6日の意味をつかもうとしている高校3年生。8月6日を知ることは戦争を知ることになるんだ。

若者に希望をつなぐ酷暑の8月。

2015年8月6日木曜日

8月に考える民主主義

今日は8月6日。日本人が忘れてはならない日の一つだ。広島に原爆が投下された日。そして9日の長崎、敗戦の詔書が読み上げられた8月15日。

8月15日を境に、日本は戦後の時代に入った。そして、民主主義という考えに基づく新たな体制、社会システムを手に入れた。

日本人に、どれほど民主主義という思想が定着しているのだろうか。その恩恵を誰が、どれほど受けているのだろうか。その価値をどれほどの人が認識しているのだろうか。
そして、戦後70年の今、それが軽々しく”否定される“のだろうか。

戦後日本の民主主義は、我々が、時には血を流してでもかちとった民主主義だったのだろうか。与えられた民主主義ではなかったのか。
かつて自由民権運動で、かちとった民主主義と、戦後の民主主義と言う感覚。

政治の側が、権力の側が、歴然と民主主義を否定し、崩壊させようとしている。
それになびく人もいる。

「民主主義とは何か」。もう一回、新たなテーマとして、我々は考えなおさねばならない時じゃないのかと。

少なくとも原爆投下は最初は伏せられた。隠されようとしていた。多くの犠牲者が出ていたにも関わらず。国策は・・・。
隠ぺい。それは民主主義の理念にあってはならないこと。しかし、原発事故後、国はさまざまな形で、事故そのものは否定できないまでも、それにまつわることを、国民に知らせるべきことをさまざま隠ぺいした。

隠す、隠ぺい。今も当然のことのように行われている。それがこの国の姿。

無意味な言葉の羅列が、その意味をなさない言葉の中に、真実を隠している。。目くらましをくらわしてくれている。

8月6日のヒロシマ。核廃絶を訴える日。過ちは繰り返さないと誓う日。


70年前の暑い8月の夏のこと。様相を様変わりさせた70年後の夏の今。日本人は変わったのか、変わってないのか・・・。変わっていないような。変わることを“拒否する”人たちがいるような。

原爆忌。去年の方が遺族代表の言葉含め、政権への抵抗があった。なぜか70年の節目の割には隔靴掻痒の感ある今年。
市長の挨拶も、どこか“遠い日の花火”のような。

安倍の挨拶。無意味じゃないの。核廃絶を言うなら、国会の安保法制論議で、核兵器も弾薬として輸送できるって見解はありゃなんじゃい。

非核三原則なんて言う人も少なくなった。核武装を真剣に言う人もありなので。
そうなんだな。広島も長崎も、彼らにとっては遠い日の花火なのかもしれない・・・。

あらためて、民主主義を考えることになった今年の夏。暑さとは別の「冷めた感情」ありなので。

2015年8月4日火曜日

病院で考えた民主主義

当からから亭、突如閉店状態のままでの数週間となってしまいました。簡単に言えば、亭主は突然病気に罹ってしまいました。

7月16日の夜、座っていたのでよくわからないまま、立った時に足に違和感を感じ。翌朝、足がもつれて歩けない、手がうまく利かないということで、医師に連絡、すぐ病院。検査していわれたのが「脳梗塞」でした。

即刻入院、治療と相成ったわけでありまして。

2週間余り、世間とか全く隔離されたような環境の中にいたのであります。
でも梗塞が出来た血管は幸いにも細いところだったようで、入院、治療は2週間余りで済みました。

後はリハビリ如何にかかっているということですが、歩くのも難儀しており、階段の昇降も手すりにつかまって。挙句パソコンのキーボードが上手く打てないのです。キーボードは押し間違え多発。小指は利かずの人差し指だけのような指さばき。

1行入力に10分かかる有様なのでありまして。という現状報告。

「放置されたままのからから亭」には不審感を持たれた方もかなり有りのご様子で、一応は復帰の、お知らせまでと思いの挨拶なのであります。

残念ながら、3・11以降続けてきた毎日の“営業”はままならない状況です。禁煙の“後遺症”の故か、集中力は欠如しています。気ままな投稿とさせていただきます。そして字数もなるべく少なく・・・。

7月16日の投稿は国会の採決強行のことでした。「なに採決のことなどすぐ忘れるさと」いう政権の驕り高ぶりのことでした。
だから、翌17日にはその続きを書きたかったし、18には国会前の、官邸前のデモを書きたかったのです。忘れていない人たちのことを、憲法学者や若者たちのことを書きたかったのです。

書けない環境になって、病院の中で、焦燥感に捉われていました。いつ書けるようになるかはわからないけれど、考えをまとめておこうとはしましたが・・・。

17日に18日に書きたかったのは民主主義のことでした。病院で民主主義を考えました。

この国には民主主義ってあったのだろうかと言うことでした。あると思っていた民主主義。それは“幻覚”であったことを知らせてくれたのは政治でした。

安倍政治はことごとく民主主義を否定しているということ。彼らの口にする民主主義と考えている民主主義とは違っているということ。
単なる一つの制度・手段にしか過ぎない議会制民主主義、多数決の原理だけをつまみ食いして己が“欲望”を満たそうとしているということ。

だから民主主義というものを、我々は探しに、見つけにいかなければならないということ。そんなことを国会前のデモの中の人々の叫びの中にその萌芽を感じたと言うこと。そんなことでした。

ああ、ここまで書くのは大変でした。きょうはこのくらいでやめておきます。
また書きます。

当店に相変わらずのご贔屓を賜りますようにお願いして。

2015年7月16日木曜日

「忘れる」のだろうか、「忘れない」。

安保法制、不正常な形で衆院を通過した。参院がどうなるか、法案の帰趨がどうなるかは今は語るのをやめておこう。

昨日の委員会。採決強行。官房長官はじめ政府与党の一部は、採決を強行しようと、「国民はすぐに忘れる」と言った。

そう、彼らの政治経験からすればそういうことは言えるのだろう。

人間には「忘れてはならないこと」がある。忘れるという事がいかに罪深い事か、それは「風化」という言葉に置き換えられた3・11の被災地、特に福島の人達は知っているはずだ。

55年前のあの国会前の光景や、あの時の政治の有り様、醜さを僕は忘れていない。
70年以上前からの、全く鮮明な記憶として残っている戦争の幼児体験。戦後の体験。それも全く忘れてはいない。

55年前の国会前の安保反対闘争。そのデモはほとんどが“組織化”されたものだった。労組や学生運動も。
今の国会をとりまくデモ。ほとんが“素人”が集まっている。

18歳の高校生もいた。高齢者もいた。始めた参加するという人もいる。
その場に立った人たちは、決して忘れない。忘れるのは傍観者だけだ。

政治に無関心と言われてきた若者が反対を叫ぶ。若者は、もちろん全部ではないが、「考える」ということをした人は目覚めた、覚醒したのだと思う。

「国民の理解は深まっていないと思う」。安倍はそう言った。“理解”の意味合い、取り方が違うのだ。
彼らは”理解“したのだ。彼らが理解したのは、あの日本語とはとても言えない、常に逃げの答弁に終始している安倍政治の体質を理解したのだ。

集会の輪の中で、持ってきたIT機器で安保法制そのものを読み込んでいる若者もいた。

国会の中で「戦争」という言葉が使われるたびに、それは安倍が連呼している言葉だが、「戦争は嫌だ」という感覚が国民の中に増えていくのだ。

60年安保闘争。それはすべからく暴力的だった。デモにしても本会議の強行採決にしても、警官隊を院内に入れたことも含めて。

今は様相は全く違う。デモの側から「自制」が呼び掛けられ、ある意味整然とした抗議行動だ。今夜の国会周辺の天候がどうなっているか。
雨の中でも抗議の声は上がるだろう。

雨に打たれながら国会の前に行って声を上げた。そのことを忘れる人はいない。
「忘れる」のは常に政治の側だ。

一旦は引くかもしれない。しかし、参院審議が進むにつれて、その勢いは増すだろう。

政権の姿勢は、国民を舐めている。舐められてたまるか。これまで鬱屈してきた感情が、安保法制と重なって“爆発”するはず。

全くの余談、横道を書く。
国会というのはどこか“茶番”の世界だ。強行採決にしても事前に与野党のすり合わせは出来ている。

昨日の採決強行。そこにはかってあったような、それとても打ち合わせ済みではあったのだが、委員長を羽交い絞めにしたり、席から引きずりおろそうという“暴力的風景”はなかった。委員長を守ろうとする与党の議員はいなかった。
プラカードを掲げるだけの、詰め寄る野党議員はいたが、「醜い国会」の姿をさらすのは止めようという前提での“打ち合わせ”があったからだと“推測”する。

採決を待たず安倍は“逃げる”ように委員会室を去った。浜田委員長は仁王立になって「成立しました」と二回言った。「可決されました」のはずなのに。
そんな採決は無効だ。言い間違いの採決なんて。

福島県の南相馬市議会は安保法制廃案の決議を採択した。賛成した自民党の市議は言う。
「原発事故の収拾で身体を張ってくれた自衛隊員を危険な立場に追いやることは出来ない」と。

若者は覚醒した。眠りから醒めようとしている。安穏とした日々に懐疑の念をいだいている。
次に覚醒しなくてはならないのは誰か。

自民党の議員達だ。本音を言えよと呼びかける。往時の自民党を知悉している者の一人として。

2015年7月15日水曜日

速さの違う時計

出来るだけ冷静になって書こうとしている。
安保当別委でのバカバカしい採決強行の様子を見て、街に出てみた。なぜか、いつもとは違って街が静かなのだ。人も車も往来が少ない気配。
暑さのせいだろうかとも思いながら、自転車に乗ってあの黒ずくめの衣装を纏った教会のシスターが走り過ぎて行くのを木陰のベンチに座りながら視線は後を追っていた。物理的に難しいことは承知ながら東京・永田町に向かいたい気持ちをも鎮めていた・・・。

何度も「経験」している国会の強行採決。今回だけはその意味が全く違う。
全く持って民意とは逆行する国会内の愚行・・・。

除染作業員の暑そうな姿を見ながら原発を想う。

福島原発の廃炉作業。その工程は常に遅れに遅れの作業なのであり。不具合の連続なのであり。
40年先の廃炉だ。まだ先は長いとたかをくくっているような。
国は原発に関わるおおよそのことにあまり関心をはらっていないようだ。

今の職分を2年もこなせば、大過無く過ごせば次のポストが待っているって思っている官僚。
大臣の任期なんて所詮しれたもの、事を荒立てないでやり過ごすのが賢明って考えているだろう政治家。

遅れ、遅れの時計が回っているのが「1F」、「福島」。

“いかがわしい”新国立競技場建設問題。間に合わないという言葉が「必殺業」か。時計を早回ししている一部の人達。

そして何よりも国会。

なぜに急ぐのか“戦争法案”の採決。見苦しい光景だった。
仁王立ちで何か叫ぶ委員長。安倍の野党攻撃の餌にされないように、「暴力をもって採決を阻止しようとした」なんて言いがかりをつけられないようにするためか、国会では異様な議員がプラカードを掲げて抗議するの図。
委員長には手を出さない。しかし、速記録、議事録には書かれているだろう。「騒音多く聴取不明」という文字。

後からその「空白」は自公の議員の手によって書き加えられるのだろう。

速く、早くが合言葉のような政権。明日の本会議に向けて野党はどんな手を打ってくるのだろうか。不信任案の連発でもやるのだろうか。先議案件として。
本会議に出るのかどうするのか・・・。

議事堂の外では「反対」を叫ぶ民衆の声がある。
昨日、石破がいみじくも言った「国民の理解は深まっていない」という、どこか“正直”な発言。
今日の委員会でも安倍もそれを認めているにも関わらず。採決は委員会の問題と逃げを打つ卑怯な言辞。

丁寧な説明で理解を求めると言い続けて来たはずなのに。

バカに馬鹿にされているのだろうか、我々は。

あげくあの菅官房長官は「2,3日経てば、冷却期間を置けば、国民は忘れる」というようなことも言った。

馬鹿にされているんだよ。謙虚さも丁寧さも無いも無い、何も考えていない政権に。国会内の民主主義と国会外の民主主義とは全く相いれない。
多数決民主主義を民主主義といえるのかどうか。

世論調査で不支持が上回る政権。世論は安倍政権に「ノー」を突き付けている。
でも、国会の中では議会制民主主義の名の下に多数決が物を言う。

明らかに安倍政権は、この国の民主主義を壊しているのだ。この国は民主主義国家ではなくなってしまった。

冷静にそう思う。

折しもイランは「核不拡散」の転換した。米、英、独、仏、中、ロとの協議で。
安倍の言う、集団的自衛権行使の対象だった「ホルムズ海峡」問題は、杞憂になったのだ。

「国際情勢が変化しているから」が安保法制の理屈付けだった。その理屈付けの根拠は無くなった。
国際情勢は変化した。だから、あの愚考はもう成り立たないのだ。

まだ、まだ議論の余地は多々ある。なんで採決を急ぐや。アメリカとの約束か。

たぶん、今のこの国の民主主義の在り方を、諸外国は笑っているだろう。民主後進国と位置付けるだろう。

どうもこの国は「早さの違う時計」を持ってしまっているようだ。

同じ速で動く時計は、どこの時計屋さんが直してくれるのか。
強行採決の口実を「審議時間」で区切ると言う政権。彼らの「時の感覚」は民衆からあまりにも乖離している。

2015年7月14日火曜日

「法の支配」と「力の支配」

誰がどう考えようと、民主主義を標榜する国家は「法の支配」のもとで成り立っている。

何を今更、何を今頃・・と言われるかもしれないが。

そして「法」の最高法規は「憲法」である。これは改憲論議とは別だ。
たとえ「改憲」が実現しても、「法の支配」という思想は変わらない。

法の支配を否定するという事は、憲法を否定するという事は、この国のアイデンティティーを無くすということに等しい。

憲法学者が“戦争法案”をいくら「違憲」」だと言っても、それに聞く耳を持たず、あまつさえ憲法学者の存在すら否定するという今の政権のやり方。

なんでも「政権が決める」という発想は、「力の支配」以外何ものでもない。

そう、なんで今更、、、なのだが。

安保法制をめぐる国会審議。その特別委員会の審議のやり方は予算委員会に似ている。
総括質問があり、一般質問があり、一言で言えば首相が出席しているかどうかの違いなんだけど。そして公聴会、締めくくりの総括質疑、採決という段取り。
予算委員会と一つ違う点がある。分科会審議という手順が無いということ。

11の法案を一括りにした安保法制。一本一本の法律について、11の分科会があっても然るべきなのに。なんで野党はそれを強行に言わなかったのだろう。

もはや門外漢の立場ではあるが、かっての“住人”としては合点の行かないところだ。

審議時間が110時間になった。審議は尽くされた。そろそろ採決。相撲の制限時間ではあるまいし、80時間と言うのを誰が決めたんだ。野党もそれになんで異を唱えなかったのだ。

論点は整理されたという。そう論点が整理されたというのはそこから審議がはじまるということだ。

この国の存在そのものが問われる法案。時間で縛る性質のものでは断じて無い。
あくまでも「内容」なのだ。

安倍は「丁寧な説明」をしてきたという。どこが丁寧なのだ。はぐらかし、逃げ、意味不明の答弁や、泥棒や不良に例えた的外れの語録。
あのネットテレビの長広舌に納得した人はいない。むしろ「疑問、疑念」が深まるばかりだ。

でも、「力の支配」を目指す安倍は、言われるように採決を強行するだろう。
言ってみれば“ど素人”ばかりの議員。親方の意向に背けない議員たち。
中にあって、衆院議長の大島は手練れだ。

どんな形で本会議採決に持ち込もうとするのか。まさか清瀬一郎の二の舞はしないとも思うけれど。

きょう、永田町界隈ではあらゆる“策略”が練られているはず。

毎日、朝日、日テレ、NHK。世論調査の結果が報じられた。いずれも安倍内閣支持は不支持を下回った。

世論がどうであろうと、国会の中で働くのは多数決の原理。

果たして二者択一ともいえる多数決原理、多数決民主主義が、本当の民意を反映した民主主義といえるのだろうか。

24日までには参院に送付される。参院の野党がどう戦えるのか。

いろんな意味で、この国の民主主義が今ほど試されている時期は無い。国会を始め、全国で起きている反対行動。

そんな光景を見るのは55年ぶりのことだ。

原発再稼働反対のあの運動を凌駕している。老いも若きも、国民はバカではないということだ。

それにしてもNHK。世論調査の結果を伝えたのは昨夜の7時のニュースの終わり頃だった。
自民党の役員会など、採決に向けた動きはトップで伝え、審議時間110時間と字幕でも掲げておいて。
どう考えても関連するニュースなのに。世論調査の結果は。

一週間前、東京であった昔仲間の会合。最後まで一緒にいたのはNHKにいた記者だ。彼は別れ際に言った。
「もうロクなもんはおらん」と。

2015年7月13日月曜日

「KY式略語」の今・・・

いつの頃からか。コンビニ敬語という言葉が登場し、マニュアル敬語という”気持ち“を伴わない言葉が溢れ、その多くは日本語の”誤用“であったにもかかわらず、ある意味一般化されて行った。

テレビのバラエティー番組に登場するタレントと称する人達が、しきりに独特の“業界用語”をばらまき、若者はそれを「格好いい」と受け止めて真似していた。

そう言われていたのか、僕が勝手に命名したのかは覚えていないが、「KY式略語」なるものが「当たり前」のように使われていた。

それらを好んで使っていたのが、その頃の中学生や高校生、大学生、そして若者に媚びる大人・・・。

日本語の読めない総理大臣が登場してから、「おたく文化」なるものに迎合した総理大臣が登場してから、この国の「言葉」は完全に劣化していっていた。

KYとは「空気読めない」の略だとされた。その場の空気、つまり雰囲気を「阻害」するような言動、行動は仲間うちから排除の対象とされ、「空気の読めない子」は仲間外れにされていた。
これが「KY世代」の実相を的確に表現しているかどうかは疑問だが、とにかくそんな風に解していた。

もうすこし突き詰めて言えば、世の中の事には無関心。世の中の空気を読もうとしない。その日だけが楽しければいいという世代と言えないこともない。

KYから始まって、そのカテゴリーの用語。例えばJK。女子高生だというのだ。
JKと言えば、ジョン・F・ケネディと思う世代の僕。

PKはパンツ食い込む。サッカーのペナルティーキックだと思っていたが。
ITはアイス食べたい。CBは超微妙・・・。

そう、KYは「漢字読めない」の事だとも思っていた爺。

これらの「言葉」をおおよそ全否定していたが、どうもそれらの世代の子たちの深淵は覗いていなかったような。反省だ。

戦争法案反対、安倍政権打倒を訴える若者たちが確実に増えている。集会でマイクを握り、恐れることなく自分たちの主張を訴え始めた。

かつての全共闘は、全員がマスク姿。顔は隠していた。今の若者はそれをしない。露出することでの「不利益」はあるかもしれないが、「今言わないでいつ言うのだ」という強い意志。

シールズという若者を中心にした集会でこんなことを言っていた女の子がいた。
「私たちはKY世代です。KYの中で育ちました。もちろん政治にも関心はありませんでした。でも、今は違います。“空気を読まない”“読めない”ではなく“空気を読んだ”のです。ここに来て空気を知ったのです。とにかく民主主義を否定する政府のやり方には納得がいかないのです」。

その子の言葉を聞いてハッとした。
いつの時代でも、若者は「考えている」のだと。「考え始めた」のだと。
KYは「空気を読もう」という呼びかけ語になったのだと。

おこがましい言い方だけど「見直したぜ。君たちを」だ。
新たなKY世代が生まれたのだとも。

警備に囲まれた塀の中にいる大人たち。塀の中の懲りない面々。世論、世論と口にはするが、表の空気を全く読まない。読もうともしない。騒音と片付けている。

KYは今や、安倍政権に付けられた言葉なのかもしれないと。
世論調査でも安倍内閣の支持率は低下している。不支持が上回っている。
その空気も読まいのだろう。

支持率の低下。なんか55年前の岸の時代にそっくりだ。

空気、流れ、風・・・。見えないものを見る眼とでも言えようか。「研究」する価値は大きいのだと思う。

2015年7月12日日曜日

「パンパン」という言葉があった時代

70年前、戦争が終わって東京が焼け野原だった時代。ポツンポツンとバラックの建物が立ち始めていた時代。
どこからか隠退蔵物資というものが出てきて闇市が立っていた時代。
闇成金なんて言葉もあった時代。実際に闇市で大儲けした人がいた時代。
子どもがロクな食い物も無く、遊びはベーゴマかメンコだった時代。

進駐軍が、その兵士たちが、アメリカ兵が街を闊歩していた。その米兵の腕にぶら下がるようにして日本人の若い女性が、派手な洋服に身を包み、煙草をくわえ、真っ赤な口紅をつけ、パーマネントをかけた髪型。

そのカップルの脇を身をすくめるように歩いている復員服姿の元兵士など。

進駐軍の兵士に「春をひさぐ」女性たちを、なぜか大人たちはパンパンと呼んでいた。彼女たちの巣窟はたとえば銀座の一角とか新宿の一角にあった。
そこは日本人はオフリミットのような場所であり、しかし、経営しているのは日本人だった。

我が家の近くにもそういう女性が住んでいた家があった。夕方、派手な格好で出かけていっていた。
その家の向かいには「オンリーさん」と呼ばれた囲われた子持ちの女性が住んでいた。

その家の女の子は米兵が帰るまでは家には入れなかった。帰るまで、出来るだけ一緒に遊んでいてあげるようにしていた。無口な子だった。

戦後風俗史の垣間見た一端だ。

子どもの頃の遊び場だった明治神宮にも米兵と日本人女性のカップルが林に中に消えていく光景を何度も目撃した。

満州から引き揚げる時に、逃げる時に強姦を恐れて髪を切って男になっていた女性。
戦後、米兵と行を共にするようになっていた女性。

大方は好んでその道に入ったのではなかろう。カネを稼ぐ手段がそれしか無かったということなのだと思っている。

母親が時々派手な服装をして口紅を塗っている時があった。それは父親との「隠れデート」をするためだった。場所は新宿の寄席。
祖母はその恰好を見ていう。「なんや、そのパンパンみたいな恰好は」と怒った。

なぜあの女性たちが「パンパン」と呼ばれていたのか。その字解、語源、謂われはわからない。

「戦争に負けるということはこういうことなんだ」と子供ながらに思っていた。
淋病とか梅毒とかいう言葉も世間に満ち溢れていたような。
進駐軍の言うがまま、したいがまま。まさに米国への隷従という姿の一つがそれだった。
神奈川県の逗子海岸は汀ホテル(米軍が接収していた)の前のビーチにはロープが張られ、その中は米兵やその家族しか入ってはいけなかった。一番泳ぎ易い場所だった。

もちろん沖縄に比べるべきも無いが、東京やその界隈にも米兵の思うがままといった光景があったということ。

そして、いつの頃か。パンパンは消え、それは死語となった。
銀座、有楽町にあった闇市やパンパン宿の光景。その写真を先日見ることが出来た。その写真が“記憶”を呼び覚まさせてくれた。

そして今・・・。

日本と言う国が、まさに終戦直後のように、対米追従、米国隷属の国になろうとしている。同盟という言葉を金科玉条のようにして、言いなりになろうとしている。
なぜアメリカと一緒に戦争をしなければならないのか。それが国民を守り、国民の幸福を守るということなのか。
アメリカがするかもしれない戦争は日本の為の戦争では無い。アメリカを、アメリカ人の「世界の警察官意識」を維持するための戦争だ。
ホルムズ海峡問題だって、もちろん日本のエネルギー事情、経済活動に影響を及ぼす問題だろう。しかし、そこを「守る」とうことはアメリカにとっても利益であるはずだ。
日本経済が維持されなければアメリカ経済にだって影響が及ぶのだから。

アメリカの戦争をなぜ日本が「支援」しなければならないのか。その問いかけは的を射ているのだ。

戦後の光景と今の光景が全く重なると言うことではないにしても、「戦争」というキーワードの中では合わせ鏡のような気がしてきて・・・。

2015年7月11日土曜日

「有識者会議」とは、あるいは「有識者」とは。

今日は4年4か月の「11日」。その“国難”は隅に追いやられてように、この国の中枢ではわけのわからないことが進んでいる。

原発の各種事故調査委員会が設けられた時もそうだった。事故調や第三者委員会なるものが次々と生まれた。
そして、そこから出された“結論”は、大方、政権には「利用価値」が無いとして無視されているような感ありだ。

いつの頃からか。第三者委員会とか、有識者会議とかが言われるようになったのは。

学校の「いじめ問題」でもそうだ。学校も教育委員会も何かが起きると機能しない。第三者委員会なるものの手に“結論”や“審判”を委ねる。
下世話な物の言い方をすれば「他人に下駄を預ける」ってこと。つまり当事者が当事者能力を失い、解決の手段や原因を部外の人の手に委ねるという事。

都合が悪い憲法審査会での学者の意見は無視する。


最近目に余るのが2020年の東京オリンピックをめぐる混乱。
競技場建設をめぐる有識者会議って何なんだということ。

だいたい、有識者という言葉すらなにやら「うろん」ですらある。
少なくとも、政府が設ける、それが民主的な方法であるとする会議。そのメンバーは大方が政府の息のかかった人達だ。

隠れ蓑であり、統治能力を欠いたが故の他人任せの言い訳手段だ。

とりあえずは2520億円、その後の費用はまさに“青天井”のような。何を意味しているのかさっぱりわからない「キール型アーチ」からは青い空は望めるのだろうが。

こんなばかばかしい話って無いんだと思う。オリンピックというスポーツの祭典、スポーツ界の最大イベント。それを”利用“した政治的意図。

昨日の国会の安倍の答弁。「ザハド案は民主党政権時に出来たもの」。自分には罪は無いと言わんばかり。口裏合わせに麻生や菅が利用され。いた、かれらこそそう思っている輩なんだろう。

何でも悪いことは民主党政権時とする安倍の幼児性。すぐに自分の政権が出来たのだ。いくらでも直せたはずだ。それを是認して持っていった招致委員会。
あの時、演説する安倍の後ろのスクリーンにはあの奇怪なスタジアムの容姿があったはず。

あげく有識者員会なるもの。真相は不明なれどあの時の責任者の安藤忠雄は雲隠れ。森喜朗が取り仕切る。

よって、2019年のラグビーワールドカップに間に合わせるのが国際公約だと。
いやいや、元清話会がかばい合うおかしな論理の競技場建設。

責任逃れのよううな事ばかり言うのが当たりまえのような精神性。

オリンピック終了後は各種のスポーツ大会やコンサートなどのイベントに使用されるという。その収益で、屋根をつくり、“完成品”にするのだという。

福島にJビレッジというサッカー施設があった。もちろんカネの出元は東電だったが。
そこのコートの芝は立派なものだった。毎日、“グリーンキーパー”が手入れをして丹念に養生していた。
そこに革靴で立ち入ることは厳禁だった。運動靴に履き替えても歩き方に細心の注意を求められた。

その芝生は一夜にして、トラックやバスの駐車場に様変わりした。丹念に育てられた芝生は“車輪の下”となった。
Jビレッジ復活の動きがあるが、芝をサッカーコート、練習場に復元するには多額の費用や労力、年月が必要とされるだろう。

新国立競技場だって、サッカーに使用されるという。その芝の上に観客を入れてコンサートをやるってことなのだろうか。音楽に合わせて身を躍らせる観客。芝は踏み荒らされるのだろうに。門外漢の想像かもしれないが。

一旦出来た流れは変えない。将来の事は考えない。みんなで流れに乗りましょうや。
間に合わないというは土建屋の主張。それを鵜呑みにしての断言。

無謀な話を通していく有識者会議ってなんだい。有識者って言う人はどういう範疇の人なんだい。
アスリートと言われる人たちもどこか居心地悪いのでは・・・。

立ち止まって考える。それをやめてしまった人々の群れ。

2015年7月10日金曜日

「見切り発車」のあれこれ

どうやら今の政界では「見切り発車」という言葉が飛び交っているらしい。
見切り発車。なんとも古色蒼然とした表現のようにも思えるが。

高度経済成長期、朝の通勤、通学ラッシュ時は主要な駅では「見切り発車」の連続だった。
なんとか時刻表通りに電車を運行したいとする側は、とにかく乗客を車両に押し込み、押し込み、押し込みしてやっとドアを閉める。
駅には大勢の乗客が残されてはいるものの、駅のアナウンスは「次に電車をお待ちください」と繰り返し、乗った車両のドアに顔をくっつけたまま。身動きすら出来ない車内。

わざとではないだろうが運転手が時々ちょっと強めにブレーキを掛ける。乗客は倒れそうになる。そしていさかか出来る隙間。次の駅でまた乗ってくる・・・。
降りるのも乗るのもまさに体力勝負だった時代があった。

路線バスも定時運行を心がけていたということか。停留所目指して走ってくる人がいるにも関わらず、見えるにも関わらず、ドアが閉まり発車・・・。まさに見切り発車だったっけ。走り去るバスの後姿を呆然と見送る時のあの悲しさ。

今はそんな混雑の光景はほとんど無い。駅のアナウンスが繰り返すのは「駆け込み乗車はお止め下さい」。

見切り発車に駆け込み乗車。庶民の中にあった光景が国会の中で、政治の舞台で幅を効かせている。その言葉を見聞きすると不謹慎だが「笑える」のだ。

丁寧な説明なんて出来ないまま、それはしようと思っても所詮無理なこと。
自民党のネットテレビで泥棒の話しに喩えたり、不良少年に喩えたりと、まさになんの例えにもならない類例を列挙している「ラッシュ」を知らないお坊ちゃまたち。

見切り発車で安保法制の、駆け込み提出の法制を強行採決で成立させようとする。
川内原発の再稼働もいわば見切り発車。
沖縄問題、辺野古移転も、それがアメリカの本音かどうかはわからないまま、まるで媚を売るような「作業の見切り発車」。

原発事故避難者たちの「帰還問題」も言ってみれば見切り。
そして国立競技場の問題も、異論噴出であるにも関わらず「間に合わない」と見切り発車。国立競技場という電車に乗る人の意志とは無関係に。

「見切り発車の安倍内閣」と名付けようか。

見切り発車には取り残される人が出るは必定なるにもそれへの忖度は無し。

安倍の「見切り」は「非情」へと通じる。

語呂合わせだが・・・。

見切り発車はするけれど身切り発車はしない。選挙制度改革。参院の10増10減。総数は変わらないってこと。

身を切る改革なんて言っていたはずの議員さんたちなのに。議員報酬だって元に戻すし。

見切りを身切りに置き換えれば、また「嗤える」。

身を切る、削るような生活をしている人達は大勢いるというのに。議席を失う恐怖感だけで論じられる選挙制度改革。

だからね、選挙制度は参院はすべて全国区、比例区にすればいい。衆院の真似をすることは無い。選挙制度改革だって、言ってみれば「見切り発車」の類だ。

政治家は国民を見切ることはたやすい。国民は政治を見切っていいのか。

ああ、また螺旋の森に迷いこんでしまうぜ。メビウスの輪だぜ。

2015年7月9日木曜日

「立ち止まる、そして考える」ということ

福島県が生んだ詩人、長田弘の作品に「立ちどまる」と題されて詩がある。

立ちどまる。
足をとめると、
聴こえてくる声がある。
空の色のような声がある。

木のことば、水のことば、
雲のことばが聴こえますか?
石のことば、雨のことば、
草のことばを話せますか?

立ちどまらなければ
ゆけない場所がある。
何もないところにしか
見つけられないものがある。

この詩を軸にして今の世相を考えてみると、あらゆることが包含されているような気がしてならない。

「3・11」。あれは日本人に対して「立ち止まること」を求めたものだったのかとも思う。原子力発電所の爆発を伴ったあの大災害。
それが東京という日本の中心部を襲ったものでは無く、いささか巻き込みながら、東北というところに災禍をもたらした。

それは東北と呼ばれる地域が、かつてその歴史が示しているように、「立ち止まれるところ」として“選ばれた”ところなのかもしれないと思ったから。
執拗に言うが、あの時日本人の多くは、それが一瞬だったとしても「立ち止まって考える」ということの必要性を感じたはずだ。

しかし、そうでは無かった。

一瞬は立ち止まったものの、越し方行く末を考えはしたものの、“虚飾の繁栄”の界からぬけ出すことは出来ず、一過性の「出来事」と認知されてきてしまったようだ。

山本七平が「空気の研究」の中で喝破しているように、「日本人とは」の中で見抜いているように、いったん出来上がってしまった空気には抗がらわない。空気の中に沈殿する。空気を良きものとして、安んじてその中に身を置く。

そんな「分析」が全く持って的を射ているように思えるのが、逆の意味で悲しい。

「3・11」という災禍があったにも関わらず、“最高権力者”と自称する人は、それを埒外の問題にし、それを忘れることをすすめ、原発事故など無かった国の如く振る舞い、東京オリンピック招致に狂奔していた。それに多くの人が追随していた。招致の目玉は奇想とも思える巨大なスタジアム。

今の日本はあの宰相が君臨しているかぎり、その狂気の沙汰から逃れることは出来ない。
その巨費を必要とするスタジアムは「国際公約」とされ、その「公約」は金科玉条の如くに喧伝され、まったくもって「おためごかし」のような有識者会議なんていうものの議を経て、とりあえず2520億円もの、まったく調達の裏付けも無い巨費で建設することが決まってしまった。


決してオリンピックを忌避するものではない。しかし、それの開催国になるかどうかは、まさに国力、国情によるものだ。
ギリシャの経済危機。それの予兆はアテネオリンピックの開催にあったと思う。
メインスタジアムの建設費はたしか360億円くらいだったものの、その巨費をねん出するために、結果、今の財政破たんという状況を生み出したのだとも。

日本がギリシャの二の舞にならないという保証はどこにも無い。

そんな「未来予想図」を漠然とは予測していたかどうか。デザイナーは自らのデザインに拘り、建築家は自分の持つ「美学」の酔い痴れ、カネの事は誰かほかの人が考えるだろうと自己主張だけを続けた。

長田弘の詩を読んで欲しい。詩の中にある光景から想像してほしい。

もう時間切れだと関係者は言う。この3年間、「立ち止まる時」はあったはずだ。
「考える時間」もあったはずだ。
誰もそれをしなかった。自我にだけ酔いしれていた・・・。

今さら「負の遺産」なんて言ってもはじまらない。

平たい言葉で言えば「先立つもの」が無いのに、その当ても無いのに、国威高揚だけはやってしまおうってな魂胆か。

「東京オリンピック問題」を取り仕切れる指導者は不在だ。まとめ役のいない公共事業の談合の如き様相だ。

「あの時立ち止まって、よく考えていれば・・・」。そう気づいた時はすでに“後の祭り”。

そして戦争法案の進み方も全く同じ空気のように映ってくる・・・。

2015年7月8日水曜日

「田中角栄」に会ってきた。

元政治記者の、いわば“愚痴”めいた「へでなし話」(方言)です。

1972年7月7日。田中角栄内閣が誕生した。それまで、それぞれに長い、短いの時間差はあるものの、「田中番」と称されていた新聞記者とテレビ記者。
ほとんどが朝から晩まで金魚のウンコみたいに後を追っかけていた奴ら。

「七夕会」という名称で、毎年一回は会合を持とうということになった。最初は記者だけだったが、田中退陣、死去のあと、当時の秘書官だった人達、官僚だけれどもだいたいが退官、それぞれの“識見”や“経験”、“人脈”を生かして何やらをやっている人にも声を掛けた。

昨日の集まりは総勢13人。角さんの孫もいる。昼間の集まり。だって大方が80歳越えなんだし・・・。

この集まりでは亭主は最年少に近い方なんです。

最近発刊されたと言う田中角栄写真集を持ってきた人がいた。しばし、その写真を見ながらの昔話だったが、やはり腐っても鯛か、話題は政治の話に及ぶ。

安倍政治に始まって、ギリシャ問題、ホルムズ海峡問題、中国問題、韓国問題、国立競技場の問題などが話題に供されて・・・。そして野党の不甲斐なさにも話題は及び、もちろん今の自民党への嘆き節も。場を移しても話題は尽きず。渋谷駅までの傘をさしての道すがらの会話も名残惜しげであり。

ギリシャ人は働かない民族だという人もいる。いや、実際はよく働いているという人もいる。
安倍政治の手法にはやはり「不安」と「懐疑の念」を抱く人もいる。

現役の政治記者の資質を問う言葉もある。

「我々の時代は首相会見で、ずいぶん辛辣な質問を繰り返したもんだよな」。どうも今はケツの毛を抜かれたみたいだよななどとも。

田中派の系譜はどうなったとの話も。砂防会館にあった事務所に早坂茂三の下に修行として居たのは鳩山邦夫と中村伸しゃん、いや喜四郎だけだったとか。
いや、向かいの部屋には石破茂はいたよとか。

EUの動きも勉強になったし、石油の話も勉強になったし。

どこか皆、それぞれのルートを持っている。いろんなことを知っている人もいるから面白いし参考になる。
4時間余り。話は尽きないがとりあえずは来年の再会を約して。



「毎日ブログ読んでますよ」と元秘書官に言われた。え、なんで・・・。
「辛辣だけど楽しみです」とも言われ。

話の輪に入り、時には全くの聴き手に回り、もろもろ考えていた。

少なくとも安倍政治に関して言えば、自民党の様変わりぶり。派閥解消から選挙区制度の問題。田中政治と安倍政治の違いでは一致する。
誰かが言っていたな。「角さんだったら国立競技場の問題をどうさばいただろうか」って。
だれも答えを持たなかったが。奇想天外な案が出されたかもしれないよってことで終わったが。

「福島」は「原発」は俎上に上らなかった。3・11後の集まりではそれが主流だったのだけど。

南平台に住む奴がいる。彼に聞いた。岸信介邸の後はどうなっているのかと。
大きなマンションが二棟建っているという。そこには安倍晋太郎が部屋を二つ持っていたはずだと。

そうなんだ。あの安保反対のデモをかけた岸邸は無いのだと・・・。

近くにあった三木武夫の家もマンションになっているはずだと教えてくれた。
なんともはや、会場の高層ホテルから見下ろせる渋谷の光景もすっかり変わったんだという思い・・・。

毎年のような角さんの思いで話はあまり交わされなかった。今、話し合わねばならないことが多すぎるって事なんだろうと妙に得心する。

東京の光景の様変わりはもちろん、そこで繰り広げられていることの数々も様変わりしたんだなと。

それにしても東京の街、しばし歩いて疲れるのです。階段が多すぎる。乗り替えも階段。道路を渡るのも階段。

手すりにつかまって階段を上りながらふと思う。
今、日本人はどんな階段を、どこを目指して上ろうとしているのだろうかと。行き交う人たちが何を考えているのだろうかとも。

2015年7月7日火曜日

♪何度でも、何度でも・・・

少なくとも、「戦争法案」をめぐって「解釈改憲」をめぐって“安倍政治反対”を叫ぶ人達の声が安倍のもとに届いているのだろうか。

彼の中ではそれは単なる「騒音」としかとられていないのだろう。
「声なき声」どころか「聞こえない声」「聴く耳持たない声」なのだろう。

でも、多くの人たちが声を上げはじめている。上げ続けている。
その声は、田舎町の片隅に住む僕の元へも陰に陽に届いてくる。

通称「ドリカム」という歌のグループは何年も歌い続けている曲がある。
“何度でも”という歌。もちろんそれは「恋」の歌ではあるのだが、そこにある歌詞が、呼びかけが、都心はもとより、全国各地に広がる街頭行動、市民集会、国会前デモ、渋谷での抗議行動に集まった人達への“応援歌”のように聞こえるのだ。


♪こみ上げてくる涙を 何回拭いたら
伝えたい言葉は 届くだろう?

誰かや何かに怒っても 出口はないなら

何度でも何度でも何度でも 立ち上がり呼ぶよ きみの名前 声が涸れるまで
悔しくて苦しくて がんばってもどうしようもない時も きみを思い出すよ

10000回だめで へとへとになっても
10001回目は 何か 変わるかもしれない

何度でも何度でも何度でも 立ち上がり呼ぶよ きみの名前 声が涸れるまで
落ち込んでやる気ももう底ついて がんばれない時も きみを思い出すよ

10000回だめで かっこ悪くても
10001回目は 何か 変わるかもしれない

前を向いてしがみついて胸掻きむしってあきらめないで叫べ!

この先も躓いて傷ついて傷つけて終わりのないやり場のない怒りさえ
もどかしく抱きながら
どうしてわからないんだ?伝わらないんだ? 喘ぎ嘆きながら
自分と戦ってみるよ

10000回だめで 望みなくなっても
10001回目は 来る

きみを叫ぶ声 力にしていくよ 何度も
明日がその10001回目かもしれない…♪


1万回はダメでも1万1回目には「届くかもしれない」。そう信じて声を上げることが今を生きていると言うことなのだと。「きみ」を「あべ」に置き換えれば明瞭だ。

歌手のさだまさしが20年くらい前に書いた曲がある。
「風に立つライオン」。
ケニアで現地の人たちの医療に携わる知人でもある医師をモデルにした歌だ。恋人から別の人と結婚すると告げられての返信。

その中の一節。

♪三年の間あちらこちらを廻り
その感動を君と分けたいと思ったことが沢山ありました

ビクトリア湖の朝焼け 100万羽のフラミンゴが
一斉に翔び発つ時 暗くなる空や
キリマンジャロの白い雪 草原の象のシルエット
何より僕の患者たちの 瞳の美しさ

この偉大な自然の中で病と向かい合えば
神様について ヒトについて 考えるものですね
やはり僕たちの国は残念だけれど何か
大切な処で道を間違えたようですね

診療所に集まる人々は病気だけれど
少なくとも心は僕より健康なのですよ
僕はやはり来てよかったと思っています
辛くないと言えば嘘になるけど しあわせです

あなたや日本を捨てた訳ではなく
僕は「現在(いま)」を生きることに思い上がりたくないのです

空を切り裂いて落下する滝のように
僕はよどみない生命(いのち)を生きたい
キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空
僕は風に向かって立つライオンでありたい♪

ライオンというのは、悩みや挫折しそうな辛い事がたくさんあるような逆境の中でも「くじけるもんか」という意味だとさだまさし自身が語っているという。

たしかにこの国は道を間違えたのだ。さらに道を間違えようとしている。

だから今、街頭に立って声を上げる人たちに、限りなく「ライオン」であって欲しいと思う。
そして、そのライオンと浪江の“希望の牧場”の「ベコ・トラ」に掲げられた牛の像が重なる。

2015年7月6日月曜日

「なでしこジャパン」で想ったこと

女子サッカーワールドカップ。なでしこジャパンは準優勝に終わった。
試合が終わったあとの彼女たちは「グッドルーザー」だった。悪びれない敗者だった。

4年前、まだ「3・11」の余韻が日本中を覆っている時、彼女たちはやはり大きな力を被災地にくれた。予選を通して「頑張ろう東北」の横断幕を掲げてグラウンドを歩く姿は美しかった。

悪びれない敗者に惜しみない声援を拍手を送っていた人達がいる。
原発事故で仮設住まいを余儀なくされている楢葉町の人達。多くが高齢者だ。
集会所でテレビを見ながら声援を送っていた。

なでしこのメンバーの中には地元にあった「マリーゼ」の選手たちがいる。
マリーゼとは海のマリーンと風のブリーズを組み合わせた「造語」だ。

Jビレッジを拠点にしたチームだった。東電の社員だった。彼女たちは。マリーゼのメンバーが原発事故後。すべてがどうしたかはわからない。一部のメンバーはサッカーを続けた。そして、代表になった人たちもいる。
被災地岩手出身の選手もいる。

地元の人たちは口々に言っていた。「褒めてあげたい。ありがとう。まだ生きる希望が生まれた」などと。

躍動する若いスポーツ選手の姿はやはり“偉大”なのだ。
若さとは偉大なものなのだ。

3・11の影響で卒業式が出来なかった学校はいくつもある。その一つの立教新座高校。校長は式辞に代えてメッセージを卒業生に贈った。
「海を見る自由」と題して。

その中の一部を借りる。

「 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか」。そんな問いかけから始まって、校長はこう言う。

「誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
 言葉を変えるならば、“立ち止まる自由”を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい」と。

「大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。
今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない」と訴える。

これらの言葉は災後、若者たちに向けられたはなむけの言葉だった。若者の“
覚悟“を問うものだった。

あれから4年後、今、若者たちは「立ち上げっている」ように思える。
自分たちが持っている自由。社会から制約されない自由を、若者の“特権”を行使しはじめている。

安保法制、戦争法案に反対するデモで彼らは彼女たちは声を上げ始めた。同じ世代の声は同じ世代の者に伝わる。共感を生む。
政治に向かって声を上げ始めた若者たち。まだ“知識”は“口調”は稚拙かもしれない。

若者の姿、声に、時には“大人”も共鳴する。負けてはいられないと声を上げ始める人だって出てくるだろう。
参政権は18歳に引き下げられた。18歳は物を言う、声を上げる自由を持っている。彼らの「自由」はまだ制約されていない。彼らは「委縮」もしていない。

彼らは白い帆を上げるかわりにプラカードを上げる時だと自覚し始めたのだ。

若き日の自分と重ね合わせながら、そんな事を想ってみた・・・。

2015年7月5日日曜日

「戦争と平和」

なにも文豪トルストイの大作のことを指しているのではない。大昔のロシア戦争を言うのでもない。まして、ナターシャの恋物語を指すのでもなく。

今、連日語られる言葉としての「戦争」と「平和」。

平和とは何か。戦争とは何か、という問題。言葉を考える上での問題。

平和が平和を連れてくる。戦争が戦争を連れてくる。戦争によってもたらされる平和なんて無い。
かたや平和を希求する人たちがいる。かたや戦争を志向する人たちがいる。
対極にある戦争と平和と言う言葉。

平和と言うのは戦争が無い状態のことだけをいうのだろうか。人々の心の中に、言葉の中に“戦争”が無くならなければ、国の最高権力者に戦争思考が無くならない限り、そんな人が権力者として居ないということが大事なんではないだろうか。

しかし、戦争が無ければ「平和」と言えるのだろうか。
憲法には「平和を希求し」という文言がある。それを以って「平和憲法」と呼ぶ。だけど、この世の中は「おしなべて平和」なんだろうか。
少なくとも平和と言う言葉を平穏な日々、平穏な生活と理解するなら、この国は戦争をしなくても平和国家では無いともいえる。

社会問題としての貧富の格差や高齢者の問題。貧困が生み出すさまざまな病弊。
派遣労働者の問題や年金問題。

小学校5年生の時、この国は講和条約が締結され、「平和国家」としての道を歩み始めた。多くの人が平和を歓迎していた。だから冬休みの宿題として出された書初めに「平和日本」と書いて提出した。
それを見た担任の先生が言った。
「平和じゃないから平和って言葉があるのよね。本当に平和だったら平和って言葉は無くてもいい。そんな日本にするためにキミたちも勉強しないとね」。そんな趣旨の言葉だった。

胸に突き刺さるものがあった。わずか12歳の子供にとっても。それ以来、平和と言う言葉を使う時に常に考えるものがあった。
そして、平和の対極にある戦争と言うものについて考えるようになった。戦争に関する本を読んだ。中学になっても高校になっても、それ以降も。

そして、この年になった今、あらためて「平和」という言葉を考え、それを言わなくてはならない時代になってきているということ。
「平和」という言葉に振り回される一生になるのではないかということ。

60年も時代が遡ることが出来れば、考えるきっかけを作ってくれたあの梅田育子先生と話し合ってみたいと思っている。すでにして、もうとっくに亡くなられているのだが。当時すでに50歳を越えたお年だったと記憶している。

戦争。それも国と国が、敵と味方が戦うことだけではないと思う。日本人が好戦的な国民であるとは決して思わないけれど、実際に武力を伴った一般的概念の戦争は起きていない、その気配すらなかった時代から、「戦争」という言葉は半ば日常的に使われていた。

貿易戦争、企業戦争、就職戦争、世代間戦争・・・。そして原子力戦争。

「戦争」という言葉も「平和」と同じように、決して無くならない言葉だったのだ。

果たして日本人は平和を享受してきたのだろうか。経済戦争は常に存在し、たびたび人々の生活を脅かしてきた。
“平和ボケ”という言葉が蔓延し、平和と言う言葉が「何も考えない人」につけられた代名詞みたいに安易に使われていたし。

戦争と平和。安倍はもはや確信的戦争志向だ。
しかもそれは勝つという妄想の戦争だ。アメリカと共に戦争をすれば勝つと言う。勝つ戦争は国を守るということか。アメリカはすでにベトナムでは負けている国だ。

戦争は平和をもたらさない。誰かが戦争を止めねばならに。
戦争で何を守るのか。戦争で国は守れない。


トルストイの戦争と平和。あの分厚い本に込められていたものは何だろう。
一つは、「自分探しを続ける若者たちの成長の物語」だということ。そして「生きがいとは何か、幸せとは何か」という問いかけ。

2015年7月4日土曜日

「百田発言」の根底にある怖さ

あの元放送作家で、安倍の仲良しでもある百田なにやら。今問題視されている発言よりも、それを読んだ時、それがもし「福島」に向けられたら・・・というある種の恐怖感を覚えた。

下世話な心証だが、どうもあの男は「カネ」にこだわる人みたいだ。
その一つが「沖縄」を巡る発言。

「普天間飛行場はもともと田んぼの中にあり、周りは何もなかった。基地の周りに行けば商売になると、みんな何十年もかかって基地の周りに住みだした」。

基地の周辺の住民がカネ目当てで移り住んできたというのだ。
事実とは違う。普天間飛行場内に戦前、役場や小学校のほか、五つの集落が存在していた。沖縄戦で住民は土地を強制的に接収され、人口増加に伴い、基地の周辺に住まざるを得なくなった経緯がある。

そしてこんなこともあの“勉強会”では言っているようだ。
 「基地の地主さんは年収何千万円なんですよ、みんな」。「ですからその基地の地主さんが、六本木ヒルズとかに住んでいる。大金持ちなんですよ」とも。

 普天間飛行場の周辺住民約2千人が起こした騒音補償にも触れ、「うるさいのは分かるが、そこを選んで住んだのは誰だと言いたい」と、自己責任だとの見解を示したという。

さらに、「基地の地主は大金持ち。基地が出て行くとお金がなくなるから困る。沖縄は本当に被害者なのか」とも言っていたという。

“広告停止”も「カネ」のことだ。発言の根底にある「カネ」を基準にして物事を考えると言う発想のイヤシさ・・・。

今、いや、以前からもそうだが、福島が抱えるジレンマ、悩み、苦悩、軋轢の一つが「カネ」だ。避難者に対する一人10万円の慰謝料、賠償金の問題。

県外からの非難はある。県内でも、その「10万円」を巡っての軋轢や感情の亀裂は深刻化している。

あの男の沖縄を巡る言葉から、僕の中に、一つの「妄想的発言」が浮かぶ。

「大体ね、福島県なんてさんざん原発のカネで潤ってきたところなんですよ。
そりゃ避難しなくてはいけなくなったことは気の毒だ。でも、あの避難区域に好んで住んでいた。これは自己責任でしょ。
無料の仮設住宅に住んでいて、今、その人たちが避難先で乗っている車は何だと思います。外車ですよ。外車。
大金を避難するときに持ってきた人だっている。それを入れていたカバンは皆、ブランド商品なんですよ」。
「国家というレベルで物を考えてください。賠償や除染にかかる費用は、東電が支払うことになっている。でも東電にはそんな資金は無いから国が支援している。国は金融機関から借金をして、それをまかなっている。今わかっているだけでも総額7兆円以上ですよ。金融機関には国が利子を払わなくてはいけない。その利子はどこから出るのか。国民の税金ですよ。
賠償が終わるかはわからない。それが無くなるという可能性は“永遠にゼロ”なんですよ」。
「福島県というところはいま、住宅着工件数が非常に高い。そのカネは大方賠償金ですよ。観光地や旅館なども全国から集まる作業員でいつも満室だという。儲かっているんですよ」。くらいのことまで・・・。

安倍さんのお仲間だという、価値観を共有しているという知性溢れたお方。まさか、この老いぼれが抱く妄想のようなことをおっしゃるはずはないと思うけれど・・・。何らかのきっかけで、矛先が福島に向いたら、そんなことまで言いかねないという「恐怖感」。

それに賛同する福島県人だっていないとも限らないし・・・。

アホンダラと言ってみたって始まらない。お上品に言おうか。ケッタイな方やな、と“はんなり”言ってみても始まらないだろうけど。

やはり僕は“疲れて”いるんだ。妄想の虜にさいなまれているんだろうな。

2015年7月3日金曜日

「沈黙は容認と同じだ」ということ

昨夜はこのところ“恒例”となった国会前の安保法制、安倍政権打倒を訴える国会前の抗議集会の日だった。

東京に知り合いの看護師さんがいる。60歳くらいだ。四谷のイグナチオ教会に通う熱心なカトリック信者だ。
一月ほど前か。茶話会のような集まりで司祭の一人に誘われてという。
「抗議デモに行こう」と。

彼女はデモなどとは全く無縁のところにいた。政治の流れはなんとなく知ってはいたが。でも、なんとなく「不安」なものを感じていた。
場違いのところに行くことに恐怖すら覚えたが、よく考えて、信仰を含めて考えて、行くことを決意した。

昨夜は4,5回目の参加だった。夜7時頃、我が家に電話があった。携帯から。彼女の携帯電話からは会場の音が伝わってくる。大声で話さないと“会話”は出来ない。
「とにかく今夜も来ている」ということを半ば興奮状態の中で、高揚感を持っている中で伝えたかったらしい。最初にデモに行った時から彼女の中に芽生えるものがあったらしい。

とにかく毎週参加しようと決めた。

その電話の脇を通りながら受話器に向かって怒鳴った。「あなたは偉い」と。

デモの会場でいろんな人と知り合いになったという。高齢者もいれば若いお母さんもいる。地方から駆け付けた人もいる。若い女の子もいる。
そこに居る人たちは「活動家」や「市民運動家」ではなく、みんな普通の人たちだった。
その場で言葉を交わした人から、散会後「お疲れさん会」に誘われた。彼女は酒は飲めないが、いろな人の話を聞いてみたいと思い、そう、それは患者さんお話をちゃんと聞くのが使命だと思っていたからだろうか、それは推測に過ぎないけれど、話を聞いてみたいと思って居酒屋に行った。

二時間、戦争の話しや憲法の話し、問題の安保法制の話しの輪に身を置いた。
居酒屋談義は街場の政治談議の場だったという。ごくごく普通の人たちの。

そして彼女は彼女なりに「声を上げなくてはならない」と感じたと言う。
「沈黙は容認に等しい」と思ったという。

60年安保闘争とは全く違う様相の場になっている。今回のデモは。
自発的に参加する一般市民や若者が多いということ。
全国各地で半ば自然発生的に起きている今時の若者が声を上げ始めたデモや集会。過激な行動の無い抗議の意思表示の数々。

それが何を物語っているのか。

木曜集会から一夜明けたきょうの国会。なぜか安倍は殊勝な答弁に終始しているようにも見えた。

野党がいくら反対しても国会の中では強行採決によって法案は可決されるだろう。阻止する手段は無いのだ。
デモが何万人に膨らもうとも安倍はそれに耳を貸すつもりは皆無だ。
「60日ルール」が適用され、成立するはずだ。

それを阻むことが出来るのは誰か。他ならない自民党内部なのだ。自民党が一枚岩となって安倍のもとに結集しているわけではないと思うのだが。

総裁選の経緯を振り返ってみればそれは一目瞭然のはずだ。全国の党員を交えた“予備選”では安倍は石破に負けている。国会議員だけの“本選挙”で僅かの差で勝ったに過ぎない。

きのう石破が自分のグループの会合で言ったこと。
「なんとなく自民党は感じが悪いんだよねという国民の意識が高まって来た時、危機を迎える」。

そう、こんな反応が党内から出ることを安倍は一番恐れていることなのだ。それは安保法制そのものに対してでは無く、「応援団」の集まりで調子に乗って報道批判や誹謗をやってのけた奴らのことを言ってはいるのだろうが。
その雰囲気を捉えての石破の「言外」の意志表示、安倍への“警告”だったとも思われるから。
村上誠一郎を除いて多くの自民党議員は沈黙のなかにいる。御身安泰をだけ願って。国よりも自分という価値観。

原発問題も然りだ。活動家だけの反原発では国民的なレベルには至らない。沈黙は容認に等しい。それは「福島」にも与ええられている言葉なんだと。
沖縄にしてもそうであるように。

2015年7月2日木曜日

「言論の自由」に思うこと

憲法21条第1項の規程。
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」

憲法は「立憲主義」という思想に基づいて出来ている。
立憲主義とは何か。憲法とは国民が国家権力を縛るものだという考えだ。
憲法を守るのは国家権力の側なのである。

こんな中学校の教科書にあるようなことを今更言い出すのも、それを「知らない人」があまりにも多いと思うからだ。

「知憲のすすめ」ということを言ってきた。「すすめ」とはあまねく日本人が尊敬し崇拝する、お札の顔にもされた福沢諭吉の著作「学問のすすめ」を真似てみたからだ。

この数日間、「言論の自由・報道の自由」について、およそ愚かな議論が交わされている。あまりにも無知な議論が。もう辟易とするくらいに。

そして「言論の自由」という“権利”をはき違えて自己撞着に陥っている人もいる。

言論の自由とはある意味「高邁な思想であり哲学だ」と思っている。
何を言おうと勝手だ。ということでは断じてない。

単に「言葉の暴力」を言論とは言わない。

言論とはそれがいかなる政治思想や立場にあろうと、その言論の是非や理非曲直を、それを聞いた第三者に判断を委ねるということだ。

カタカナ語は使いたくないが「リスペクト」という倫理観が伴ってあることだ。

「私は私の言いたいことを、考えを言う。あなたも自分の意見を言う。それをどう受け止めるかはそれを聞いた、読んだ人達の判断にお任せする」ということだ。

言論の自由と言う“権利”が天賦のものではなく、人々がそれを必要だと思って出来上がったものだ。

それは現行憲法にだけ書かれたものでは無い。組み込まれたものでも無い。
明治憲法、大日本帝国憲法にもその記述はあった。

「第二十九條 日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス」と。ここにある「法律の許す限り」という字句が、どの法律を指すのかは難しいが。例えば治安維持法を指すのかどうかも含めて。
帝国憲法であっても憲法は最高法規であったことには変わりがないはずだけど。

聞く人の判断にゆだねる。それは裁判官裁判を例にして考えれば一目瞭然だ。
裁判官は法廷内で、その自由が保障された原告、被告の側の言い分を聞いて罪科を判断する。
陪審員が、どちらかの意見が気に食わないと言って、その発言を封殺する権利は無い。

あの元放送作家の、バラエティー番組作家の言い分はあまりにも無知だ。放送作家は番組の視聴率を上げるためにだけ、視聴者という人達に「受ける」ために、ある事無い事の話を作り上げる。視聴者の判断、それは見るか見ないかに任される。逆に言えば「見られる番組」を作るためには「何でも有り」ということにもなる。
根拠の無い、架空の作り話に「言論」という言葉はあてはまらない。

まして、彼は言論を封殺するべきだと考えている。聞く耳持たずどころか・・・。

国家議員に、国家権力の側に言論の自由があるのかどうか。国会議員とて国民だ。でも、権力の側の人間になった時、それは「制約」を受ける。

国会議員に保障されている言論の自由。
それは憲法51条にある「免責特権」だ。

「議院で行った演説・討論・表決について、院外で責任を問われない」という条項。

院外で党本部の会合で言ったことはこの条項とどう整合性が保たれるのか。院内の廊下での記者会見で言ったことは免責特権の範疇にあるのかないのか。

総理大臣にも「言論の自由がある」と官房長官が公言した。総理大臣という立場で、資格での発言。それは51条も含めて「言論の自由」という概念の中で許されることかどうか、それこそ法制局長官にお伺いしたいところだ。

当たり前だと思っていた言論の自由。それが今更大問題になり、論争の争点になっているということ。
結局は「憲法の何を知ってきたのか」というその人の資質の問題ですらある。

日本人は何を学んできたのか。NHK特集ででもやってくれないかな。どう「料理」するかはともかくとして。

2015年7月1日水曜日

「窮屈」な世の中

あれはいつの頃からだったのだろう。“テロ”や“爆発物”の世間が敏感だったのは。

新幹線の駅ではゴミ箱がことごとく撤去されていた。
新幹線に乗ると車内アナウンスがあった。
「不審物を見かけたら車掌にお知らせ下さい」と。

車掌が何処に乗っているのかわからないけど、たぶんグリーン車の近くに車掌室というのがあった気もするけど。

座席に車掌の呼び出しボタンが設置してあるわけでもなかったけど。

「鉄道警察隊が車内を巡回します。ご迷惑をおかけしますがご了承ください」。そんなアナウンスもあった。
確かに屈強な二人一組の警察隊が車内を見回っていた。
仮にデッキに“不審物”があれば、誰の物かと誰何されていた。

今のように全自動改札で無いころは、車掌が必ず「検札」に車内を回っていた。
そんな光景が懐かしい。今も検札ではないが、座席の「確認」に車掌が回っている光景はあるが・・・。

とにかく、世の中不審物に敏感だった。
公共施設からもゴミ箱は撤去されたり、使用禁止の蓋がしてあったような。

“不審物”に敏感だったある時期・・・。
なんとなく「窮屈な感じ」のする世の中だった。

瀬川賢一と言う“不審物”は大手を振って歩いていたけれど。

マスコミが権力の側から、その報道を巡って「懲らしめ」の対象にされている。
気にくわないということで非難の対象とされる。
広告主にまで、圧力に加担しろと呼びかける。

なんとも「窮屈」な時代だ。それはかってもあったことだが。

自民党の二階総務会長は言う。「言いたい放題を言って歩いたらいいというもんじゃない」と。
百田や大西ら。これらは「言葉の不審者」だ。そしてその不審な言動は「確信犯」であるということ。
“不審”を見つけてもお咎め無しだ。厳重注意ってお咎めの中には入らない。

確信犯であるが故、注意しようと何しようと、中には「とりあえず釈明、お詫び」ってとってつけた言葉で逃げを打つが、それらの暴言はその人たちの思想、信条を反映して言葉として発せられたもの。
本質は変わるわけもなく・・・。
十分気を付けなさいって党幹部が言ったって、裏から“指令”が出ている。歓迎されている。

マスコミにとっても窮屈な時代なのか。まして、彼らの言動を支持する国民だっているんだし。選挙区の人たちだっているんだし。
東京16区の有権者が目覚めたって、「落ちた猿」はきっとわめきつづけるのだろうし。

「梅雨空に九条守れの女性デモ」って俳句を投稿したら公民館側はそれを忌避した。
「基地の空鳥は自由に沖縄忌」という句を詠んだら、イデオロギーの強いものはいかがなものかと世話役から批判された人もいるという。

普通の人が詠む俳句だって、自己表現だって「窮屈な思い」をさせられている。

窮屈な世の中。70数年前に十分に堪能させてもらっている。自由にモノが言えない。自由に好きな本も読めない。
「灯火管制」の一言で、家の中の電燈を消さねばならなかった時代。服装にまで気を遣っていたあの「窮屈」な時代、世の中。
隣組は告げ口の窓口だったという「唇寒し」の時代。

どこか似てきているような。

もはや「不審な老人」と化した瀬川クンが徘徊していますよ。時々「窮屈な思い」もさせられながらも。“バカ”を相手にするのもバカバカしいけど。

はい、1F構内での不審者チェックはまことに厳しくありますよ。