2015年4月23日木曜日

「福島」をどう見たかということ

「福島の事故を踏まえ、深刻な事故が万が一にも起きない厳格さを要求し、新基準を緩やかに過ぎ、合理性を欠く」と指摘して再稼働禁止の仮処分を決定したのは福井地裁。

「新基準は福島の事故に見られるように、放射性物質が放出されることを前提としているとして、基準を満たせば、重大事故が起きる危険を社会通念上無視できる程度に小さくできる」と判断したのが鹿児島地裁。

そして、人々が声明を守り、生活を維持するための人格権を前面に出し、経済活動としての原発稼働はそれより劣位にあると位置付けたのが福井地裁。

これまでの専門家の意向を支持し、つまり規制委の考えを至当とし、科学の領域に司法は立ち入れないとするかっての最高裁判断の前例に添った判断を示したのが鹿児島地裁。

実際に起きた福島の事故を「見て」判断した福井地裁。科学の限界をその事故は証明しているにも関わらず、規制委の予知・予測をもって安全と判断した、事故があっても無視できる程度に小さいとした鹿児島地裁。

鹿児島地裁の処分棄却という決定を支持するということは、無視できる程度の危険だということなら、避難計画の策定なんて必要なくなる。

まして・・・。福島の事故の原因ははっきり究明されていない。地震なのか津波なのか、原発の構造そのものなのか、人為的な要素があったのかなかったのか、万人が認める特定は出来ていないのだ。

火山の噴火という要素にしても、それは福島の体験知にはないことなのだ。


原子力規制委員会。それが何なのかよくわからなくなってきた。学者。専門家を集めた我が国最高の原子力規制の権威のはずだけど。

委員長の田中俊一氏は福島県の出身者だ。小中高と福島県内の学校に通い、東北大に進んだ人だ。福島県出身だからと言って特にどうだというわけではないけれど。

彼は今のポストでは無かったが、2008年に裏磐梯にあるダリの作品を数多く収蔵している諸橋近代美術館を訪れている。そこでダリの作品「ビキニと三つのスフィンクス」という「原爆」をテーマにした作品と出会っている。
きのこ雲に模した三本の樹木。それは、広島、長崎、ビキニの核実験、原爆。そこに“隠し絵”のようにしてある、アインシュタイン・フロイト・ダリの「脳」。

田中委員長はその絵を見て「文明のあり方について考えるところ大であった」と書いている。
「ダリは明らかに、原爆、水爆、原子力というものに対して、人間の非力さと恐ろしさ、その警鐘を発しているはずなのだ。いずれにせよ、アインシュタインの核兵器廃絶への思い、フロイトの人間の愚かさに対する冷徹な評価、人間同士の争いを嫌ったダリという全く異なる分野の3人の巨人の思い、広島、長崎に懲りずにビキニでの核実験を繰り返していることに対する憤りが、この絵に集約されているようである。」

原子力委員会のメールマガジン に載っている。2008年8月1日付けで。

鹿児島地裁の決定があった日、この原子力規制委は、福島の事故で政府によるデータ公表の遅れが問題視された緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)は活用しない、使わないことを正式に決めた。そして、影響予測は、「30キロ圏の放射線監視装置(モニタリングポスト)の実測値を基に対応を判断するという。

福島県も大いに疑問視している。新潟県知事は「全く理解できない」と猛反発している。

福島県内のモニタリングポストは誤操作、誤設置によって「異常計測値」を各所で出し、大きな問題になったばかりだ。業者の怠慢か、県の怠慢かはともかく、「信頼に足り得るもの」ではない。

2011年のあの頃、爆発や異常が続出した頃、それこそ毎日、テレビの天気予報の風向きばかり気にしていた。もし、強烈な東風が吹けば60キロ離れた郡山も“避難”だって有り得ると。
それは行政の中でも、一部で「論議」されていたことでもあった。全くの情報過疎、SPEEDIの存在すら知らない中で。出された指針は「不要、不急の外出は控える」という対策だけだったということ。

原発訴訟をあずかる裁判所は、「福島」の4年間を見るべきなんだと。

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