つまり、この人は、結局、政治を私物化しているということでなないだろうか。そんな気がしてならないのだ。
昨日の沖縄、安倍にとっては真に居心地の悪い数時間ではなかったのだろうか。
戦没者追悼式。翁長の平和宣言には歓迎の拍手が沸いていた。
安倍の来賓祝辞。翁長にすでに先制攻撃をされている受け身の立場での挨拶。
内容は空虚であり、場違いなものであったと思う。
野次が飛ばされていた。これはよくない。例え会場にいた人にとって、翁長県政になってからの軋轢はあるとしても、とにかく話は聞くべきなのだ。野次でかき消すのはかえって禍根をのこすことにもなりかねない。
きっと安倍は“屈辱感”すら覚えて帰京。居心地の悪さと屈辱感は、これからの沖縄政策にとって大いに影響するだろう。
県民の気持ちをくみ取ってはこなかったはずだ。翁長との会談も、戦跡の視察もなかったとんぼ帰り。
「公務があるため」と御側用人は言っていたけど、新聞にある首相動静の中にはそれは見当たらない。
ならば初めから行かなかった方がよかったのかもしれないとも。それはそれで非難されることではあっても。
国会は在り得ないような、まさに国会法を無視した“違法”のような大幅会期延長。
安保法制の国会審議中に出すことになった「談話」。
その談話は閣議決定された首相談話ではなく、閣議にはからない首相の談話とすると言われる。
戦後レジュームからの脱却を言う「最高の舞台」だったはずの8月15日を挟んでの首相としての「悲願」。
おそらく国会審議に、もう一つの悲願の解釈改憲、安保法制案件を通すために、そのために選んだ「方法論」。
村山にしても小泉にしてもその談話は閣議決定している。政府としての公式見解。
公明党の動きを視野に入れてか、国際社会を意識してか、「私的談話」で収めようとする術策。
誰が描いた戦術か、悪知恵かはわからないが、まさにまずは国会ありきの「足して二で割る」方式じゃないの。
談話を出したいという安倍の顔も立て、公明党などの協力を得て法案成立を図ろうとする”苦肉の策“。
安倍首相談話と安倍首相“の”談話とでは雲泥の差だ。
たった「の」という助詞一つで、そのことの重さ大きさが変わるということ。
なんでもいい。「談話」を出して自己陶酔に浸るという事か。
「とかく学者は字句に拘る」って言った党幹部がいたけど、安保法制の立役者がいたけど、この一つの字句も意味は大きいのだぜ。
かって石原慎太郎が言っていた。憲法前文について。それは日本語では無いとして、「せめて、“諸国民の公正と信義に信頼して”の「に」を「を」に変えろと言っていたこと。それを変えてその文脈をどう読み取るのかはさっぱりわからなかったが。
安倍の政治手法。それは機を見るに敏とういうか、ご都合主義とういうか。
常に自分がその中心にいて、事を思い通りに運びたいということか。
私的な談話に何が盛り込まれるのかはわからない。彼が自ら書くのか、誰かが代筆するのかも。
それに国際社会がどういう反応を示すのか。内容次第の部分はあるが、私的な「つぶやき」である以上、なんらの効力も持たないことになるはず。
だから、かって観たことがある映画。感動の名作。その題名を彼に贈る。その映画のタイトル。「存在の耐えられない軽さ」。
「アンダーコントロール」も私的見解だったということかな。
2015年6月24日水曜日
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