2015年7月16日木曜日

「忘れる」のだろうか、「忘れない」。

安保法制、不正常な形で衆院を通過した。参院がどうなるか、法案の帰趨がどうなるかは今は語るのをやめておこう。

昨日の委員会。採決強行。官房長官はじめ政府与党の一部は、採決を強行しようと、「国民はすぐに忘れる」と言った。

そう、彼らの政治経験からすればそういうことは言えるのだろう。

人間には「忘れてはならないこと」がある。忘れるという事がいかに罪深い事か、それは「風化」という言葉に置き換えられた3・11の被災地、特に福島の人達は知っているはずだ。

55年前のあの国会前の光景や、あの時の政治の有り様、醜さを僕は忘れていない。
70年以上前からの、全く鮮明な記憶として残っている戦争の幼児体験。戦後の体験。それも全く忘れてはいない。

55年前の国会前の安保反対闘争。そのデモはほとんどが“組織化”されたものだった。労組や学生運動も。
今の国会をとりまくデモ。ほとんが“素人”が集まっている。

18歳の高校生もいた。高齢者もいた。始めた参加するという人もいる。
その場に立った人たちは、決して忘れない。忘れるのは傍観者だけだ。

政治に無関心と言われてきた若者が反対を叫ぶ。若者は、もちろん全部ではないが、「考える」ということをした人は目覚めた、覚醒したのだと思う。

「国民の理解は深まっていないと思う」。安倍はそう言った。“理解”の意味合い、取り方が違うのだ。
彼らは”理解“したのだ。彼らが理解したのは、あの日本語とはとても言えない、常に逃げの答弁に終始している安倍政治の体質を理解したのだ。

集会の輪の中で、持ってきたIT機器で安保法制そのものを読み込んでいる若者もいた。

国会の中で「戦争」という言葉が使われるたびに、それは安倍が連呼している言葉だが、「戦争は嫌だ」という感覚が国民の中に増えていくのだ。

60年安保闘争。それはすべからく暴力的だった。デモにしても本会議の強行採決にしても、警官隊を院内に入れたことも含めて。

今は様相は全く違う。デモの側から「自制」が呼び掛けられ、ある意味整然とした抗議行動だ。今夜の国会周辺の天候がどうなっているか。
雨の中でも抗議の声は上がるだろう。

雨に打たれながら国会の前に行って声を上げた。そのことを忘れる人はいない。
「忘れる」のは常に政治の側だ。

一旦は引くかもしれない。しかし、参院審議が進むにつれて、その勢いは増すだろう。

政権の姿勢は、国民を舐めている。舐められてたまるか。これまで鬱屈してきた感情が、安保法制と重なって“爆発”するはず。

全くの余談、横道を書く。
国会というのはどこか“茶番”の世界だ。強行採決にしても事前に与野党のすり合わせは出来ている。

昨日の採決強行。そこにはかってあったような、それとても打ち合わせ済みではあったのだが、委員長を羽交い絞めにしたり、席から引きずりおろそうという“暴力的風景”はなかった。委員長を守ろうとする与党の議員はいなかった。
プラカードを掲げるだけの、詰め寄る野党議員はいたが、「醜い国会」の姿をさらすのは止めようという前提での“打ち合わせ”があったからだと“推測”する。

採決を待たず安倍は“逃げる”ように委員会室を去った。浜田委員長は仁王立になって「成立しました」と二回言った。「可決されました」のはずなのに。
そんな採決は無効だ。言い間違いの採決なんて。

福島県の南相馬市議会は安保法制廃案の決議を採択した。賛成した自民党の市議は言う。
「原発事故の収拾で身体を張ってくれた自衛隊員を危険な立場に追いやることは出来ない」と。

若者は覚醒した。眠りから醒めようとしている。安穏とした日々に懐疑の念をいだいている。
次に覚醒しなくてはならないのは誰か。

自民党の議員達だ。本音を言えよと呼びかける。往時の自民党を知悉している者の一人として。

2015年7月15日水曜日

速さの違う時計

出来るだけ冷静になって書こうとしている。
安保当別委でのバカバカしい採決強行の様子を見て、街に出てみた。なぜか、いつもとは違って街が静かなのだ。人も車も往来が少ない気配。
暑さのせいだろうかとも思いながら、自転車に乗ってあの黒ずくめの衣装を纏った教会のシスターが走り過ぎて行くのを木陰のベンチに座りながら視線は後を追っていた。物理的に難しいことは承知ながら東京・永田町に向かいたい気持ちをも鎮めていた・・・。

何度も「経験」している国会の強行採決。今回だけはその意味が全く違う。
全く持って民意とは逆行する国会内の愚行・・・。

除染作業員の暑そうな姿を見ながら原発を想う。

福島原発の廃炉作業。その工程は常に遅れに遅れの作業なのであり。不具合の連続なのであり。
40年先の廃炉だ。まだ先は長いとたかをくくっているような。
国は原発に関わるおおよそのことにあまり関心をはらっていないようだ。

今の職分を2年もこなせば、大過無く過ごせば次のポストが待っているって思っている官僚。
大臣の任期なんて所詮しれたもの、事を荒立てないでやり過ごすのが賢明って考えているだろう政治家。

遅れ、遅れの時計が回っているのが「1F」、「福島」。

“いかがわしい”新国立競技場建設問題。間に合わないという言葉が「必殺業」か。時計を早回ししている一部の人達。

そして何よりも国会。

なぜに急ぐのか“戦争法案”の採決。見苦しい光景だった。
仁王立ちで何か叫ぶ委員長。安倍の野党攻撃の餌にされないように、「暴力をもって採決を阻止しようとした」なんて言いがかりをつけられないようにするためか、国会では異様な議員がプラカードを掲げて抗議するの図。
委員長には手を出さない。しかし、速記録、議事録には書かれているだろう。「騒音多く聴取不明」という文字。

後からその「空白」は自公の議員の手によって書き加えられるのだろう。

速く、早くが合言葉のような政権。明日の本会議に向けて野党はどんな手を打ってくるのだろうか。不信任案の連発でもやるのだろうか。先議案件として。
本会議に出るのかどうするのか・・・。

議事堂の外では「反対」を叫ぶ民衆の声がある。
昨日、石破がいみじくも言った「国民の理解は深まっていない」という、どこか“正直”な発言。
今日の委員会でも安倍もそれを認めているにも関わらず。採決は委員会の問題と逃げを打つ卑怯な言辞。

丁寧な説明で理解を求めると言い続けて来たはずなのに。

バカに馬鹿にされているのだろうか、我々は。

あげくあの菅官房長官は「2,3日経てば、冷却期間を置けば、国民は忘れる」というようなことも言った。

馬鹿にされているんだよ。謙虚さも丁寧さも無いも無い、何も考えていない政権に。国会内の民主主義と国会外の民主主義とは全く相いれない。
多数決民主主義を民主主義といえるのかどうか。

世論調査で不支持が上回る政権。世論は安倍政権に「ノー」を突き付けている。
でも、国会の中では議会制民主主義の名の下に多数決が物を言う。

明らかに安倍政権は、この国の民主主義を壊しているのだ。この国は民主主義国家ではなくなってしまった。

冷静にそう思う。

折しもイランは「核不拡散」の転換した。米、英、独、仏、中、ロとの協議で。
安倍の言う、集団的自衛権行使の対象だった「ホルムズ海峡」問題は、杞憂になったのだ。

「国際情勢が変化しているから」が安保法制の理屈付けだった。その理屈付けの根拠は無くなった。
国際情勢は変化した。だから、あの愚考はもう成り立たないのだ。

まだ、まだ議論の余地は多々ある。なんで採決を急ぐや。アメリカとの約束か。

たぶん、今のこの国の民主主義の在り方を、諸外国は笑っているだろう。民主後進国と位置付けるだろう。

どうもこの国は「早さの違う時計」を持ってしまっているようだ。

同じ速で動く時計は、どこの時計屋さんが直してくれるのか。
強行採決の口実を「審議時間」で区切ると言う政権。彼らの「時の感覚」は民衆からあまりにも乖離している。

2015年7月14日火曜日

「法の支配」と「力の支配」

誰がどう考えようと、民主主義を標榜する国家は「法の支配」のもとで成り立っている。

何を今更、何を今頃・・と言われるかもしれないが。

そして「法」の最高法規は「憲法」である。これは改憲論議とは別だ。
たとえ「改憲」が実現しても、「法の支配」という思想は変わらない。

法の支配を否定するという事は、憲法を否定するという事は、この国のアイデンティティーを無くすということに等しい。

憲法学者が“戦争法案”をいくら「違憲」」だと言っても、それに聞く耳を持たず、あまつさえ憲法学者の存在すら否定するという今の政権のやり方。

なんでも「政権が決める」という発想は、「力の支配」以外何ものでもない。

そう、なんで今更、、、なのだが。

安保法制をめぐる国会審議。その特別委員会の審議のやり方は予算委員会に似ている。
総括質問があり、一般質問があり、一言で言えば首相が出席しているかどうかの違いなんだけど。そして公聴会、締めくくりの総括質疑、採決という段取り。
予算委員会と一つ違う点がある。分科会審議という手順が無いということ。

11の法案を一括りにした安保法制。一本一本の法律について、11の分科会があっても然るべきなのに。なんで野党はそれを強行に言わなかったのだろう。

もはや門外漢の立場ではあるが、かっての“住人”としては合点の行かないところだ。

審議時間が110時間になった。審議は尽くされた。そろそろ採決。相撲の制限時間ではあるまいし、80時間と言うのを誰が決めたんだ。野党もそれになんで異を唱えなかったのだ。

論点は整理されたという。そう論点が整理されたというのはそこから審議がはじまるということだ。

この国の存在そのものが問われる法案。時間で縛る性質のものでは断じて無い。
あくまでも「内容」なのだ。

安倍は「丁寧な説明」をしてきたという。どこが丁寧なのだ。はぐらかし、逃げ、意味不明の答弁や、泥棒や不良に例えた的外れの語録。
あのネットテレビの長広舌に納得した人はいない。むしろ「疑問、疑念」が深まるばかりだ。

でも、「力の支配」を目指す安倍は、言われるように採決を強行するだろう。
言ってみれば“ど素人”ばかりの議員。親方の意向に背けない議員たち。
中にあって、衆院議長の大島は手練れだ。

どんな形で本会議採決に持ち込もうとするのか。まさか清瀬一郎の二の舞はしないとも思うけれど。

きょう、永田町界隈ではあらゆる“策略”が練られているはず。

毎日、朝日、日テレ、NHK。世論調査の結果が報じられた。いずれも安倍内閣支持は不支持を下回った。

世論がどうであろうと、国会の中で働くのは多数決の原理。

果たして二者択一ともいえる多数決原理、多数決民主主義が、本当の民意を反映した民主主義といえるのだろうか。

24日までには参院に送付される。参院の野党がどう戦えるのか。

いろんな意味で、この国の民主主義が今ほど試されている時期は無い。国会を始め、全国で起きている反対行動。

そんな光景を見るのは55年ぶりのことだ。

原発再稼働反対のあの運動を凌駕している。老いも若きも、国民はバカではないということだ。

それにしてもNHK。世論調査の結果を伝えたのは昨夜の7時のニュースの終わり頃だった。
自民党の役員会など、採決に向けた動きはトップで伝え、審議時間110時間と字幕でも掲げておいて。
どう考えても関連するニュースなのに。世論調査の結果は。

一週間前、東京であった昔仲間の会合。最後まで一緒にいたのはNHKにいた記者だ。彼は別れ際に言った。
「もうロクなもんはおらん」と。

2015年7月13日月曜日

「KY式略語」の今・・・

いつの頃からか。コンビニ敬語という言葉が登場し、マニュアル敬語という”気持ち“を伴わない言葉が溢れ、その多くは日本語の”誤用“であったにもかかわらず、ある意味一般化されて行った。

テレビのバラエティー番組に登場するタレントと称する人達が、しきりに独特の“業界用語”をばらまき、若者はそれを「格好いい」と受け止めて真似していた。

そう言われていたのか、僕が勝手に命名したのかは覚えていないが、「KY式略語」なるものが「当たり前」のように使われていた。

それらを好んで使っていたのが、その頃の中学生や高校生、大学生、そして若者に媚びる大人・・・。

日本語の読めない総理大臣が登場してから、「おたく文化」なるものに迎合した総理大臣が登場してから、この国の「言葉」は完全に劣化していっていた。

KYとは「空気読めない」の略だとされた。その場の空気、つまり雰囲気を「阻害」するような言動、行動は仲間うちから排除の対象とされ、「空気の読めない子」は仲間外れにされていた。
これが「KY世代」の実相を的確に表現しているかどうかは疑問だが、とにかくそんな風に解していた。

もうすこし突き詰めて言えば、世の中の事には無関心。世の中の空気を読もうとしない。その日だけが楽しければいいという世代と言えないこともない。

KYから始まって、そのカテゴリーの用語。例えばJK。女子高生だというのだ。
JKと言えば、ジョン・F・ケネディと思う世代の僕。

PKはパンツ食い込む。サッカーのペナルティーキックだと思っていたが。
ITはアイス食べたい。CBは超微妙・・・。

そう、KYは「漢字読めない」の事だとも思っていた爺。

これらの「言葉」をおおよそ全否定していたが、どうもそれらの世代の子たちの深淵は覗いていなかったような。反省だ。

戦争法案反対、安倍政権打倒を訴える若者たちが確実に増えている。集会でマイクを握り、恐れることなく自分たちの主張を訴え始めた。

かつての全共闘は、全員がマスク姿。顔は隠していた。今の若者はそれをしない。露出することでの「不利益」はあるかもしれないが、「今言わないでいつ言うのだ」という強い意志。

シールズという若者を中心にした集会でこんなことを言っていた女の子がいた。
「私たちはKY世代です。KYの中で育ちました。もちろん政治にも関心はありませんでした。でも、今は違います。“空気を読まない”“読めない”ではなく“空気を読んだ”のです。ここに来て空気を知ったのです。とにかく民主主義を否定する政府のやり方には納得がいかないのです」。

その子の言葉を聞いてハッとした。
いつの時代でも、若者は「考えている」のだと。「考え始めた」のだと。
KYは「空気を読もう」という呼びかけ語になったのだと。

おこがましい言い方だけど「見直したぜ。君たちを」だ。
新たなKY世代が生まれたのだとも。

警備に囲まれた塀の中にいる大人たち。塀の中の懲りない面々。世論、世論と口にはするが、表の空気を全く読まない。読もうともしない。騒音と片付けている。

KYは今や、安倍政権に付けられた言葉なのかもしれないと。
世論調査でも安倍内閣の支持率は低下している。不支持が上回っている。
その空気も読まいのだろう。

支持率の低下。なんか55年前の岸の時代にそっくりだ。

空気、流れ、風・・・。見えないものを見る眼とでも言えようか。「研究」する価値は大きいのだと思う。

2015年7月12日日曜日

「パンパン」という言葉があった時代

70年前、戦争が終わって東京が焼け野原だった時代。ポツンポツンとバラックの建物が立ち始めていた時代。
どこからか隠退蔵物資というものが出てきて闇市が立っていた時代。
闇成金なんて言葉もあった時代。実際に闇市で大儲けした人がいた時代。
子どもがロクな食い物も無く、遊びはベーゴマかメンコだった時代。

進駐軍が、その兵士たちが、アメリカ兵が街を闊歩していた。その米兵の腕にぶら下がるようにして日本人の若い女性が、派手な洋服に身を包み、煙草をくわえ、真っ赤な口紅をつけ、パーマネントをかけた髪型。

そのカップルの脇を身をすくめるように歩いている復員服姿の元兵士など。

進駐軍の兵士に「春をひさぐ」女性たちを、なぜか大人たちはパンパンと呼んでいた。彼女たちの巣窟はたとえば銀座の一角とか新宿の一角にあった。
そこは日本人はオフリミットのような場所であり、しかし、経営しているのは日本人だった。

我が家の近くにもそういう女性が住んでいた家があった。夕方、派手な格好で出かけていっていた。
その家の向かいには「オンリーさん」と呼ばれた囲われた子持ちの女性が住んでいた。

その家の女の子は米兵が帰るまでは家には入れなかった。帰るまで、出来るだけ一緒に遊んでいてあげるようにしていた。無口な子だった。

戦後風俗史の垣間見た一端だ。

子どもの頃の遊び場だった明治神宮にも米兵と日本人女性のカップルが林に中に消えていく光景を何度も目撃した。

満州から引き揚げる時に、逃げる時に強姦を恐れて髪を切って男になっていた女性。
戦後、米兵と行を共にするようになっていた女性。

大方は好んでその道に入ったのではなかろう。カネを稼ぐ手段がそれしか無かったということなのだと思っている。

母親が時々派手な服装をして口紅を塗っている時があった。それは父親との「隠れデート」をするためだった。場所は新宿の寄席。
祖母はその恰好を見ていう。「なんや、そのパンパンみたいな恰好は」と怒った。

なぜあの女性たちが「パンパン」と呼ばれていたのか。その字解、語源、謂われはわからない。

「戦争に負けるということはこういうことなんだ」と子供ながらに思っていた。
淋病とか梅毒とかいう言葉も世間に満ち溢れていたような。
進駐軍の言うがまま、したいがまま。まさに米国への隷従という姿の一つがそれだった。
神奈川県の逗子海岸は汀ホテル(米軍が接収していた)の前のビーチにはロープが張られ、その中は米兵やその家族しか入ってはいけなかった。一番泳ぎ易い場所だった。

もちろん沖縄に比べるべきも無いが、東京やその界隈にも米兵の思うがままといった光景があったということ。

そして、いつの頃か。パンパンは消え、それは死語となった。
銀座、有楽町にあった闇市やパンパン宿の光景。その写真を先日見ることが出来た。その写真が“記憶”を呼び覚まさせてくれた。

そして今・・・。

日本と言う国が、まさに終戦直後のように、対米追従、米国隷属の国になろうとしている。同盟という言葉を金科玉条のようにして、言いなりになろうとしている。
なぜアメリカと一緒に戦争をしなければならないのか。それが国民を守り、国民の幸福を守るということなのか。
アメリカがするかもしれない戦争は日本の為の戦争では無い。アメリカを、アメリカ人の「世界の警察官意識」を維持するための戦争だ。
ホルムズ海峡問題だって、もちろん日本のエネルギー事情、経済活動に影響を及ぼす問題だろう。しかし、そこを「守る」とうことはアメリカにとっても利益であるはずだ。
日本経済が維持されなければアメリカ経済にだって影響が及ぶのだから。

アメリカの戦争をなぜ日本が「支援」しなければならないのか。その問いかけは的を射ているのだ。

戦後の光景と今の光景が全く重なると言うことではないにしても、「戦争」というキーワードの中では合わせ鏡のような気がしてきて・・・。

2015年7月11日土曜日

「有識者会議」とは、あるいは「有識者」とは。

今日は4年4か月の「11日」。その“国難”は隅に追いやられてように、この国の中枢ではわけのわからないことが進んでいる。

原発の各種事故調査委員会が設けられた時もそうだった。事故調や第三者委員会なるものが次々と生まれた。
そして、そこから出された“結論”は、大方、政権には「利用価値」が無いとして無視されているような感ありだ。

いつの頃からか。第三者委員会とか、有識者会議とかが言われるようになったのは。

学校の「いじめ問題」でもそうだ。学校も教育委員会も何かが起きると機能しない。第三者委員会なるものの手に“結論”や“審判”を委ねる。
下世話な物の言い方をすれば「他人に下駄を預ける」ってこと。つまり当事者が当事者能力を失い、解決の手段や原因を部外の人の手に委ねるという事。

都合が悪い憲法審査会での学者の意見は無視する。


最近目に余るのが2020年の東京オリンピックをめぐる混乱。
競技場建設をめぐる有識者会議って何なんだということ。

だいたい、有識者という言葉すらなにやら「うろん」ですらある。
少なくとも、政府が設ける、それが民主的な方法であるとする会議。そのメンバーは大方が政府の息のかかった人達だ。

隠れ蓑であり、統治能力を欠いたが故の他人任せの言い訳手段だ。

とりあえずは2520億円、その後の費用はまさに“青天井”のような。何を意味しているのかさっぱりわからない「キール型アーチ」からは青い空は望めるのだろうが。

こんなばかばかしい話って無いんだと思う。オリンピックというスポーツの祭典、スポーツ界の最大イベント。それを”利用“した政治的意図。

昨日の国会の安倍の答弁。「ザハド案は民主党政権時に出来たもの」。自分には罪は無いと言わんばかり。口裏合わせに麻生や菅が利用され。いた、かれらこそそう思っている輩なんだろう。

何でも悪いことは民主党政権時とする安倍の幼児性。すぐに自分の政権が出来たのだ。いくらでも直せたはずだ。それを是認して持っていった招致委員会。
あの時、演説する安倍の後ろのスクリーンにはあの奇怪なスタジアムの容姿があったはず。

あげく有識者員会なるもの。真相は不明なれどあの時の責任者の安藤忠雄は雲隠れ。森喜朗が取り仕切る。

よって、2019年のラグビーワールドカップに間に合わせるのが国際公約だと。
いやいや、元清話会がかばい合うおかしな論理の競技場建設。

責任逃れのよううな事ばかり言うのが当たりまえのような精神性。

オリンピック終了後は各種のスポーツ大会やコンサートなどのイベントに使用されるという。その収益で、屋根をつくり、“完成品”にするのだという。

福島にJビレッジというサッカー施設があった。もちろんカネの出元は東電だったが。
そこのコートの芝は立派なものだった。毎日、“グリーンキーパー”が手入れをして丹念に養生していた。
そこに革靴で立ち入ることは厳禁だった。運動靴に履き替えても歩き方に細心の注意を求められた。

その芝生は一夜にして、トラックやバスの駐車場に様変わりした。丹念に育てられた芝生は“車輪の下”となった。
Jビレッジ復活の動きがあるが、芝をサッカーコート、練習場に復元するには多額の費用や労力、年月が必要とされるだろう。

新国立競技場だって、サッカーに使用されるという。その芝の上に観客を入れてコンサートをやるってことなのだろうか。音楽に合わせて身を躍らせる観客。芝は踏み荒らされるのだろうに。門外漢の想像かもしれないが。

一旦出来た流れは変えない。将来の事は考えない。みんなで流れに乗りましょうや。
間に合わないというは土建屋の主張。それを鵜呑みにしての断言。

無謀な話を通していく有識者会議ってなんだい。有識者って言う人はどういう範疇の人なんだい。
アスリートと言われる人たちもどこか居心地悪いのでは・・・。

立ち止まって考える。それをやめてしまった人々の群れ。

2015年7月10日金曜日

「見切り発車」のあれこれ

どうやら今の政界では「見切り発車」という言葉が飛び交っているらしい。
見切り発車。なんとも古色蒼然とした表現のようにも思えるが。

高度経済成長期、朝の通勤、通学ラッシュ時は主要な駅では「見切り発車」の連続だった。
なんとか時刻表通りに電車を運行したいとする側は、とにかく乗客を車両に押し込み、押し込み、押し込みしてやっとドアを閉める。
駅には大勢の乗客が残されてはいるものの、駅のアナウンスは「次に電車をお待ちください」と繰り返し、乗った車両のドアに顔をくっつけたまま。身動きすら出来ない車内。

わざとではないだろうが運転手が時々ちょっと強めにブレーキを掛ける。乗客は倒れそうになる。そしていさかか出来る隙間。次の駅でまた乗ってくる・・・。
降りるのも乗るのもまさに体力勝負だった時代があった。

路線バスも定時運行を心がけていたということか。停留所目指して走ってくる人がいるにも関わらず、見えるにも関わらず、ドアが閉まり発車・・・。まさに見切り発車だったっけ。走り去るバスの後姿を呆然と見送る時のあの悲しさ。

今はそんな混雑の光景はほとんど無い。駅のアナウンスが繰り返すのは「駆け込み乗車はお止め下さい」。

見切り発車に駆け込み乗車。庶民の中にあった光景が国会の中で、政治の舞台で幅を効かせている。その言葉を見聞きすると不謹慎だが「笑える」のだ。

丁寧な説明なんて出来ないまま、それはしようと思っても所詮無理なこと。
自民党のネットテレビで泥棒の話しに喩えたり、不良少年に喩えたりと、まさになんの例えにもならない類例を列挙している「ラッシュ」を知らないお坊ちゃまたち。

見切り発車で安保法制の、駆け込み提出の法制を強行採決で成立させようとする。
川内原発の再稼働もいわば見切り発車。
沖縄問題、辺野古移転も、それがアメリカの本音かどうかはわからないまま、まるで媚を売るような「作業の見切り発車」。

原発事故避難者たちの「帰還問題」も言ってみれば見切り。
そして国立競技場の問題も、異論噴出であるにも関わらず「間に合わない」と見切り発車。国立競技場という電車に乗る人の意志とは無関係に。

「見切り発車の安倍内閣」と名付けようか。

見切り発車には取り残される人が出るは必定なるにもそれへの忖度は無し。

安倍の「見切り」は「非情」へと通じる。

語呂合わせだが・・・。

見切り発車はするけれど身切り発車はしない。選挙制度改革。参院の10増10減。総数は変わらないってこと。

身を切る改革なんて言っていたはずの議員さんたちなのに。議員報酬だって元に戻すし。

見切りを身切りに置き換えれば、また「嗤える」。

身を切る、削るような生活をしている人達は大勢いるというのに。議席を失う恐怖感だけで論じられる選挙制度改革。

だからね、選挙制度は参院はすべて全国区、比例区にすればいい。衆院の真似をすることは無い。選挙制度改革だって、言ってみれば「見切り発車」の類だ。

政治家は国民を見切ることはたやすい。国民は政治を見切っていいのか。

ああ、また螺旋の森に迷いこんでしまうぜ。メビウスの輪だぜ。

2015年7月9日木曜日

「立ち止まる、そして考える」ということ

福島県が生んだ詩人、長田弘の作品に「立ちどまる」と題されて詩がある。

立ちどまる。
足をとめると、
聴こえてくる声がある。
空の色のような声がある。

木のことば、水のことば、
雲のことばが聴こえますか?
石のことば、雨のことば、
草のことばを話せますか?

立ちどまらなければ
ゆけない場所がある。
何もないところにしか
見つけられないものがある。

この詩を軸にして今の世相を考えてみると、あらゆることが包含されているような気がしてならない。

「3・11」。あれは日本人に対して「立ち止まること」を求めたものだったのかとも思う。原子力発電所の爆発を伴ったあの大災害。
それが東京という日本の中心部を襲ったものでは無く、いささか巻き込みながら、東北というところに災禍をもたらした。

それは東北と呼ばれる地域が、かつてその歴史が示しているように、「立ち止まれるところ」として“選ばれた”ところなのかもしれないと思ったから。
執拗に言うが、あの時日本人の多くは、それが一瞬だったとしても「立ち止まって考える」ということの必要性を感じたはずだ。

しかし、そうでは無かった。

一瞬は立ち止まったものの、越し方行く末を考えはしたものの、“虚飾の繁栄”の界からぬけ出すことは出来ず、一過性の「出来事」と認知されてきてしまったようだ。

山本七平が「空気の研究」の中で喝破しているように、「日本人とは」の中で見抜いているように、いったん出来上がってしまった空気には抗がらわない。空気の中に沈殿する。空気を良きものとして、安んじてその中に身を置く。

そんな「分析」が全く持って的を射ているように思えるのが、逆の意味で悲しい。

「3・11」という災禍があったにも関わらず、“最高権力者”と自称する人は、それを埒外の問題にし、それを忘れることをすすめ、原発事故など無かった国の如く振る舞い、東京オリンピック招致に狂奔していた。それに多くの人が追随していた。招致の目玉は奇想とも思える巨大なスタジアム。

今の日本はあの宰相が君臨しているかぎり、その狂気の沙汰から逃れることは出来ない。
その巨費を必要とするスタジアムは「国際公約」とされ、その「公約」は金科玉条の如くに喧伝され、まったくもって「おためごかし」のような有識者会議なんていうものの議を経て、とりあえず2520億円もの、まったく調達の裏付けも無い巨費で建設することが決まってしまった。


決してオリンピックを忌避するものではない。しかし、それの開催国になるかどうかは、まさに国力、国情によるものだ。
ギリシャの経済危機。それの予兆はアテネオリンピックの開催にあったと思う。
メインスタジアムの建設費はたしか360億円くらいだったものの、その巨費をねん出するために、結果、今の財政破たんという状況を生み出したのだとも。

日本がギリシャの二の舞にならないという保証はどこにも無い。

そんな「未来予想図」を漠然とは予測していたかどうか。デザイナーは自らのデザインに拘り、建築家は自分の持つ「美学」の酔い痴れ、カネの事は誰かほかの人が考えるだろうと自己主張だけを続けた。

長田弘の詩を読んで欲しい。詩の中にある光景から想像してほしい。

もう時間切れだと関係者は言う。この3年間、「立ち止まる時」はあったはずだ。
「考える時間」もあったはずだ。
誰もそれをしなかった。自我にだけ酔いしれていた・・・。

今さら「負の遺産」なんて言ってもはじまらない。

平たい言葉で言えば「先立つもの」が無いのに、その当ても無いのに、国威高揚だけはやってしまおうってな魂胆か。

「東京オリンピック問題」を取り仕切れる指導者は不在だ。まとめ役のいない公共事業の談合の如き様相だ。

「あの時立ち止まって、よく考えていれば・・・」。そう気づいた時はすでに“後の祭り”。

そして戦争法案の進み方も全く同じ空気のように映ってくる・・・。

2015年7月8日水曜日

「田中角栄」に会ってきた。

元政治記者の、いわば“愚痴”めいた「へでなし話」(方言)です。

1972年7月7日。田中角栄内閣が誕生した。それまで、それぞれに長い、短いの時間差はあるものの、「田中番」と称されていた新聞記者とテレビ記者。
ほとんどが朝から晩まで金魚のウンコみたいに後を追っかけていた奴ら。

「七夕会」という名称で、毎年一回は会合を持とうということになった。最初は記者だけだったが、田中退陣、死去のあと、当時の秘書官だった人達、官僚だけれどもだいたいが退官、それぞれの“識見”や“経験”、“人脈”を生かして何やらをやっている人にも声を掛けた。

昨日の集まりは総勢13人。角さんの孫もいる。昼間の集まり。だって大方が80歳越えなんだし・・・。

この集まりでは亭主は最年少に近い方なんです。

最近発刊されたと言う田中角栄写真集を持ってきた人がいた。しばし、その写真を見ながらの昔話だったが、やはり腐っても鯛か、話題は政治の話に及ぶ。

安倍政治に始まって、ギリシャ問題、ホルムズ海峡問題、中国問題、韓国問題、国立競技場の問題などが話題に供されて・・・。そして野党の不甲斐なさにも話題は及び、もちろん今の自民党への嘆き節も。場を移しても話題は尽きず。渋谷駅までの傘をさしての道すがらの会話も名残惜しげであり。

ギリシャ人は働かない民族だという人もいる。いや、実際はよく働いているという人もいる。
安倍政治の手法にはやはり「不安」と「懐疑の念」を抱く人もいる。

現役の政治記者の資質を問う言葉もある。

「我々の時代は首相会見で、ずいぶん辛辣な質問を繰り返したもんだよな」。どうも今はケツの毛を抜かれたみたいだよななどとも。

田中派の系譜はどうなったとの話も。砂防会館にあった事務所に早坂茂三の下に修行として居たのは鳩山邦夫と中村伸しゃん、いや喜四郎だけだったとか。
いや、向かいの部屋には石破茂はいたよとか。

EUの動きも勉強になったし、石油の話も勉強になったし。

どこか皆、それぞれのルートを持っている。いろんなことを知っている人もいるから面白いし参考になる。
4時間余り。話は尽きないがとりあえずは来年の再会を約して。



「毎日ブログ読んでますよ」と元秘書官に言われた。え、なんで・・・。
「辛辣だけど楽しみです」とも言われ。

話の輪に入り、時には全くの聴き手に回り、もろもろ考えていた。

少なくとも安倍政治に関して言えば、自民党の様変わりぶり。派閥解消から選挙区制度の問題。田中政治と安倍政治の違いでは一致する。
誰かが言っていたな。「角さんだったら国立競技場の問題をどうさばいただろうか」って。
だれも答えを持たなかったが。奇想天外な案が出されたかもしれないよってことで終わったが。

「福島」は「原発」は俎上に上らなかった。3・11後の集まりではそれが主流だったのだけど。

南平台に住む奴がいる。彼に聞いた。岸信介邸の後はどうなっているのかと。
大きなマンションが二棟建っているという。そこには安倍晋太郎が部屋を二つ持っていたはずだと。

そうなんだ。あの安保反対のデモをかけた岸邸は無いのだと・・・。

近くにあった三木武夫の家もマンションになっているはずだと教えてくれた。
なんともはや、会場の高層ホテルから見下ろせる渋谷の光景もすっかり変わったんだという思い・・・。

毎年のような角さんの思いで話はあまり交わされなかった。今、話し合わねばならないことが多すぎるって事なんだろうと妙に得心する。

東京の光景の様変わりはもちろん、そこで繰り広げられていることの数々も様変わりしたんだなと。

それにしても東京の街、しばし歩いて疲れるのです。階段が多すぎる。乗り替えも階段。道路を渡るのも階段。

手すりにつかまって階段を上りながらふと思う。
今、日本人はどんな階段を、どこを目指して上ろうとしているのだろうかと。行き交う人たちが何を考えているのだろうかとも。

2015年7月7日火曜日

♪何度でも、何度でも・・・

少なくとも、「戦争法案」をめぐって「解釈改憲」をめぐって“安倍政治反対”を叫ぶ人達の声が安倍のもとに届いているのだろうか。

彼の中ではそれは単なる「騒音」としかとられていないのだろう。
「声なき声」どころか「聞こえない声」「聴く耳持たない声」なのだろう。

でも、多くの人たちが声を上げはじめている。上げ続けている。
その声は、田舎町の片隅に住む僕の元へも陰に陽に届いてくる。

通称「ドリカム」という歌のグループは何年も歌い続けている曲がある。
“何度でも”という歌。もちろんそれは「恋」の歌ではあるのだが、そこにある歌詞が、呼びかけが、都心はもとより、全国各地に広がる街頭行動、市民集会、国会前デモ、渋谷での抗議行動に集まった人達への“応援歌”のように聞こえるのだ。


♪こみ上げてくる涙を 何回拭いたら
伝えたい言葉は 届くだろう?

誰かや何かに怒っても 出口はないなら

何度でも何度でも何度でも 立ち上がり呼ぶよ きみの名前 声が涸れるまで
悔しくて苦しくて がんばってもどうしようもない時も きみを思い出すよ

10000回だめで へとへとになっても
10001回目は 何か 変わるかもしれない

何度でも何度でも何度でも 立ち上がり呼ぶよ きみの名前 声が涸れるまで
落ち込んでやる気ももう底ついて がんばれない時も きみを思い出すよ

10000回だめで かっこ悪くても
10001回目は 何か 変わるかもしれない

前を向いてしがみついて胸掻きむしってあきらめないで叫べ!

この先も躓いて傷ついて傷つけて終わりのないやり場のない怒りさえ
もどかしく抱きながら
どうしてわからないんだ?伝わらないんだ? 喘ぎ嘆きながら
自分と戦ってみるよ

10000回だめで 望みなくなっても
10001回目は 来る

きみを叫ぶ声 力にしていくよ 何度も
明日がその10001回目かもしれない…♪


1万回はダメでも1万1回目には「届くかもしれない」。そう信じて声を上げることが今を生きていると言うことなのだと。「きみ」を「あべ」に置き換えれば明瞭だ。

歌手のさだまさしが20年くらい前に書いた曲がある。
「風に立つライオン」。
ケニアで現地の人たちの医療に携わる知人でもある医師をモデルにした歌だ。恋人から別の人と結婚すると告げられての返信。

その中の一節。

♪三年の間あちらこちらを廻り
その感動を君と分けたいと思ったことが沢山ありました

ビクトリア湖の朝焼け 100万羽のフラミンゴが
一斉に翔び発つ時 暗くなる空や
キリマンジャロの白い雪 草原の象のシルエット
何より僕の患者たちの 瞳の美しさ

この偉大な自然の中で病と向かい合えば
神様について ヒトについて 考えるものですね
やはり僕たちの国は残念だけれど何か
大切な処で道を間違えたようですね

診療所に集まる人々は病気だけれど
少なくとも心は僕より健康なのですよ
僕はやはり来てよかったと思っています
辛くないと言えば嘘になるけど しあわせです

あなたや日本を捨てた訳ではなく
僕は「現在(いま)」を生きることに思い上がりたくないのです

空を切り裂いて落下する滝のように
僕はよどみない生命(いのち)を生きたい
キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空
僕は風に向かって立つライオンでありたい♪

ライオンというのは、悩みや挫折しそうな辛い事がたくさんあるような逆境の中でも「くじけるもんか」という意味だとさだまさし自身が語っているという。

たしかにこの国は道を間違えたのだ。さらに道を間違えようとしている。

だから今、街頭に立って声を上げる人たちに、限りなく「ライオン」であって欲しいと思う。
そして、そのライオンと浪江の“希望の牧場”の「ベコ・トラ」に掲げられた牛の像が重なる。

2015年7月6日月曜日

「なでしこジャパン」で想ったこと

女子サッカーワールドカップ。なでしこジャパンは準優勝に終わった。
試合が終わったあとの彼女たちは「グッドルーザー」だった。悪びれない敗者だった。

4年前、まだ「3・11」の余韻が日本中を覆っている時、彼女たちはやはり大きな力を被災地にくれた。予選を通して「頑張ろう東北」の横断幕を掲げてグラウンドを歩く姿は美しかった。

悪びれない敗者に惜しみない声援を拍手を送っていた人達がいる。
原発事故で仮設住まいを余儀なくされている楢葉町の人達。多くが高齢者だ。
集会所でテレビを見ながら声援を送っていた。

なでしこのメンバーの中には地元にあった「マリーゼ」の選手たちがいる。
マリーゼとは海のマリーンと風のブリーズを組み合わせた「造語」だ。

Jビレッジを拠点にしたチームだった。東電の社員だった。彼女たちは。マリーゼのメンバーが原発事故後。すべてがどうしたかはわからない。一部のメンバーはサッカーを続けた。そして、代表になった人たちもいる。
被災地岩手出身の選手もいる。

地元の人たちは口々に言っていた。「褒めてあげたい。ありがとう。まだ生きる希望が生まれた」などと。

躍動する若いスポーツ選手の姿はやはり“偉大”なのだ。
若さとは偉大なものなのだ。

3・11の影響で卒業式が出来なかった学校はいくつもある。その一つの立教新座高校。校長は式辞に代えてメッセージを卒業生に贈った。
「海を見る自由」と題して。

その中の一部を借りる。

「 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか」。そんな問いかけから始まって、校長はこう言う。

「誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
 言葉を変えるならば、“立ち止まる自由”を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい」と。

「大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。
今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない」と訴える。

これらの言葉は災後、若者たちに向けられたはなむけの言葉だった。若者の“
覚悟“を問うものだった。

あれから4年後、今、若者たちは「立ち上げっている」ように思える。
自分たちが持っている自由。社会から制約されない自由を、若者の“特権”を行使しはじめている。

安保法制、戦争法案に反対するデモで彼らは彼女たちは声を上げ始めた。同じ世代の声は同じ世代の者に伝わる。共感を生む。
政治に向かって声を上げ始めた若者たち。まだ“知識”は“口調”は稚拙かもしれない。

若者の姿、声に、時には“大人”も共鳴する。負けてはいられないと声を上げ始める人だって出てくるだろう。
参政権は18歳に引き下げられた。18歳は物を言う、声を上げる自由を持っている。彼らの「自由」はまだ制約されていない。彼らは「委縮」もしていない。

彼らは白い帆を上げるかわりにプラカードを上げる時だと自覚し始めたのだ。

若き日の自分と重ね合わせながら、そんな事を想ってみた・・・。

2015年7月5日日曜日

「戦争と平和」

なにも文豪トルストイの大作のことを指しているのではない。大昔のロシア戦争を言うのでもない。まして、ナターシャの恋物語を指すのでもなく。

今、連日語られる言葉としての「戦争」と「平和」。

平和とは何か。戦争とは何か、という問題。言葉を考える上での問題。

平和が平和を連れてくる。戦争が戦争を連れてくる。戦争によってもたらされる平和なんて無い。
かたや平和を希求する人たちがいる。かたや戦争を志向する人たちがいる。
対極にある戦争と平和と言う言葉。

平和と言うのは戦争が無い状態のことだけをいうのだろうか。人々の心の中に、言葉の中に“戦争”が無くならなければ、国の最高権力者に戦争思考が無くならない限り、そんな人が権力者として居ないということが大事なんではないだろうか。

しかし、戦争が無ければ「平和」と言えるのだろうか。
憲法には「平和を希求し」という文言がある。それを以って「平和憲法」と呼ぶ。だけど、この世の中は「おしなべて平和」なんだろうか。
少なくとも平和と言う言葉を平穏な日々、平穏な生活と理解するなら、この国は戦争をしなくても平和国家では無いともいえる。

社会問題としての貧富の格差や高齢者の問題。貧困が生み出すさまざまな病弊。
派遣労働者の問題や年金問題。

小学校5年生の時、この国は講和条約が締結され、「平和国家」としての道を歩み始めた。多くの人が平和を歓迎していた。だから冬休みの宿題として出された書初めに「平和日本」と書いて提出した。
それを見た担任の先生が言った。
「平和じゃないから平和って言葉があるのよね。本当に平和だったら平和って言葉は無くてもいい。そんな日本にするためにキミたちも勉強しないとね」。そんな趣旨の言葉だった。

胸に突き刺さるものがあった。わずか12歳の子供にとっても。それ以来、平和と言う言葉を使う時に常に考えるものがあった。
そして、平和の対極にある戦争と言うものについて考えるようになった。戦争に関する本を読んだ。中学になっても高校になっても、それ以降も。

そして、この年になった今、あらためて「平和」という言葉を考え、それを言わなくてはならない時代になってきているということ。
「平和」という言葉に振り回される一生になるのではないかということ。

60年も時代が遡ることが出来れば、考えるきっかけを作ってくれたあの梅田育子先生と話し合ってみたいと思っている。すでにして、もうとっくに亡くなられているのだが。当時すでに50歳を越えたお年だったと記憶している。

戦争。それも国と国が、敵と味方が戦うことだけではないと思う。日本人が好戦的な国民であるとは決して思わないけれど、実際に武力を伴った一般的概念の戦争は起きていない、その気配すらなかった時代から、「戦争」という言葉は半ば日常的に使われていた。

貿易戦争、企業戦争、就職戦争、世代間戦争・・・。そして原子力戦争。

「戦争」という言葉も「平和」と同じように、決して無くならない言葉だったのだ。

果たして日本人は平和を享受してきたのだろうか。経済戦争は常に存在し、たびたび人々の生活を脅かしてきた。
“平和ボケ”という言葉が蔓延し、平和と言う言葉が「何も考えない人」につけられた代名詞みたいに安易に使われていたし。

戦争と平和。安倍はもはや確信的戦争志向だ。
しかもそれは勝つという妄想の戦争だ。アメリカと共に戦争をすれば勝つと言う。勝つ戦争は国を守るということか。アメリカはすでにベトナムでは負けている国だ。

戦争は平和をもたらさない。誰かが戦争を止めねばならに。
戦争で何を守るのか。戦争で国は守れない。


トルストイの戦争と平和。あの分厚い本に込められていたものは何だろう。
一つは、「自分探しを続ける若者たちの成長の物語」だということ。そして「生きがいとは何か、幸せとは何か」という問いかけ。

2015年7月4日土曜日

「百田発言」の根底にある怖さ

あの元放送作家で、安倍の仲良しでもある百田なにやら。今問題視されている発言よりも、それを読んだ時、それがもし「福島」に向けられたら・・・というある種の恐怖感を覚えた。

下世話な心証だが、どうもあの男は「カネ」にこだわる人みたいだ。
その一つが「沖縄」を巡る発言。

「普天間飛行場はもともと田んぼの中にあり、周りは何もなかった。基地の周りに行けば商売になると、みんな何十年もかかって基地の周りに住みだした」。

基地の周辺の住民がカネ目当てで移り住んできたというのだ。
事実とは違う。普天間飛行場内に戦前、役場や小学校のほか、五つの集落が存在していた。沖縄戦で住民は土地を強制的に接収され、人口増加に伴い、基地の周辺に住まざるを得なくなった経緯がある。

そしてこんなこともあの“勉強会”では言っているようだ。
 「基地の地主さんは年収何千万円なんですよ、みんな」。「ですからその基地の地主さんが、六本木ヒルズとかに住んでいる。大金持ちなんですよ」とも。

 普天間飛行場の周辺住民約2千人が起こした騒音補償にも触れ、「うるさいのは分かるが、そこを選んで住んだのは誰だと言いたい」と、自己責任だとの見解を示したという。

さらに、「基地の地主は大金持ち。基地が出て行くとお金がなくなるから困る。沖縄は本当に被害者なのか」とも言っていたという。

“広告停止”も「カネ」のことだ。発言の根底にある「カネ」を基準にして物事を考えると言う発想のイヤシさ・・・。

今、いや、以前からもそうだが、福島が抱えるジレンマ、悩み、苦悩、軋轢の一つが「カネ」だ。避難者に対する一人10万円の慰謝料、賠償金の問題。

県外からの非難はある。県内でも、その「10万円」を巡っての軋轢や感情の亀裂は深刻化している。

あの男の沖縄を巡る言葉から、僕の中に、一つの「妄想的発言」が浮かぶ。

「大体ね、福島県なんてさんざん原発のカネで潤ってきたところなんですよ。
そりゃ避難しなくてはいけなくなったことは気の毒だ。でも、あの避難区域に好んで住んでいた。これは自己責任でしょ。
無料の仮設住宅に住んでいて、今、その人たちが避難先で乗っている車は何だと思います。外車ですよ。外車。
大金を避難するときに持ってきた人だっている。それを入れていたカバンは皆、ブランド商品なんですよ」。
「国家というレベルで物を考えてください。賠償や除染にかかる費用は、東電が支払うことになっている。でも東電にはそんな資金は無いから国が支援している。国は金融機関から借金をして、それをまかなっている。今わかっているだけでも総額7兆円以上ですよ。金融機関には国が利子を払わなくてはいけない。その利子はどこから出るのか。国民の税金ですよ。
賠償が終わるかはわからない。それが無くなるという可能性は“永遠にゼロ”なんですよ」。
「福島県というところはいま、住宅着工件数が非常に高い。そのカネは大方賠償金ですよ。観光地や旅館なども全国から集まる作業員でいつも満室だという。儲かっているんですよ」。くらいのことまで・・・。

安倍さんのお仲間だという、価値観を共有しているという知性溢れたお方。まさか、この老いぼれが抱く妄想のようなことをおっしゃるはずはないと思うけれど・・・。何らかのきっかけで、矛先が福島に向いたら、そんなことまで言いかねないという「恐怖感」。

それに賛同する福島県人だっていないとも限らないし・・・。

アホンダラと言ってみたって始まらない。お上品に言おうか。ケッタイな方やな、と“はんなり”言ってみても始まらないだろうけど。

やはり僕は“疲れて”いるんだ。妄想の虜にさいなまれているんだろうな。

2015年7月3日金曜日

「沈黙は容認と同じだ」ということ

昨夜はこのところ“恒例”となった国会前の安保法制、安倍政権打倒を訴える国会前の抗議集会の日だった。

東京に知り合いの看護師さんがいる。60歳くらいだ。四谷のイグナチオ教会に通う熱心なカトリック信者だ。
一月ほど前か。茶話会のような集まりで司祭の一人に誘われてという。
「抗議デモに行こう」と。

彼女はデモなどとは全く無縁のところにいた。政治の流れはなんとなく知ってはいたが。でも、なんとなく「不安」なものを感じていた。
場違いのところに行くことに恐怖すら覚えたが、よく考えて、信仰を含めて考えて、行くことを決意した。

昨夜は4,5回目の参加だった。夜7時頃、我が家に電話があった。携帯から。彼女の携帯電話からは会場の音が伝わってくる。大声で話さないと“会話”は出来ない。
「とにかく今夜も来ている」ということを半ば興奮状態の中で、高揚感を持っている中で伝えたかったらしい。最初にデモに行った時から彼女の中に芽生えるものがあったらしい。

とにかく毎週参加しようと決めた。

その電話の脇を通りながら受話器に向かって怒鳴った。「あなたは偉い」と。

デモの会場でいろんな人と知り合いになったという。高齢者もいれば若いお母さんもいる。地方から駆け付けた人もいる。若い女の子もいる。
そこに居る人たちは「活動家」や「市民運動家」ではなく、みんな普通の人たちだった。
その場で言葉を交わした人から、散会後「お疲れさん会」に誘われた。彼女は酒は飲めないが、いろな人の話を聞いてみたいと思い、そう、それは患者さんお話をちゃんと聞くのが使命だと思っていたからだろうか、それは推測に過ぎないけれど、話を聞いてみたいと思って居酒屋に行った。

二時間、戦争の話しや憲法の話し、問題の安保法制の話しの輪に身を置いた。
居酒屋談義は街場の政治談議の場だったという。ごくごく普通の人たちの。

そして彼女は彼女なりに「声を上げなくてはならない」と感じたと言う。
「沈黙は容認に等しい」と思ったという。

60年安保闘争とは全く違う様相の場になっている。今回のデモは。
自発的に参加する一般市民や若者が多いということ。
全国各地で半ば自然発生的に起きている今時の若者が声を上げ始めたデモや集会。過激な行動の無い抗議の意思表示の数々。

それが何を物語っているのか。

木曜集会から一夜明けたきょうの国会。なぜか安倍は殊勝な答弁に終始しているようにも見えた。

野党がいくら反対しても国会の中では強行採決によって法案は可決されるだろう。阻止する手段は無いのだ。
デモが何万人に膨らもうとも安倍はそれに耳を貸すつもりは皆無だ。
「60日ルール」が適用され、成立するはずだ。

それを阻むことが出来るのは誰か。他ならない自民党内部なのだ。自民党が一枚岩となって安倍のもとに結集しているわけではないと思うのだが。

総裁選の経緯を振り返ってみればそれは一目瞭然のはずだ。全国の党員を交えた“予備選”では安倍は石破に負けている。国会議員だけの“本選挙”で僅かの差で勝ったに過ぎない。

きのう石破が自分のグループの会合で言ったこと。
「なんとなく自民党は感じが悪いんだよねという国民の意識が高まって来た時、危機を迎える」。

そう、こんな反応が党内から出ることを安倍は一番恐れていることなのだ。それは安保法制そのものに対してでは無く、「応援団」の集まりで調子に乗って報道批判や誹謗をやってのけた奴らのことを言ってはいるのだろうが。
その雰囲気を捉えての石破の「言外」の意志表示、安倍への“警告”だったとも思われるから。
村上誠一郎を除いて多くの自民党議員は沈黙のなかにいる。御身安泰をだけ願って。国よりも自分という価値観。

原発問題も然りだ。活動家だけの反原発では国民的なレベルには至らない。沈黙は容認に等しい。それは「福島」にも与ええられている言葉なんだと。
沖縄にしてもそうであるように。

2015年7月2日木曜日

「言論の自由」に思うこと

憲法21条第1項の規程。
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」

憲法は「立憲主義」という思想に基づいて出来ている。
立憲主義とは何か。憲法とは国民が国家権力を縛るものだという考えだ。
憲法を守るのは国家権力の側なのである。

こんな中学校の教科書にあるようなことを今更言い出すのも、それを「知らない人」があまりにも多いと思うからだ。

「知憲のすすめ」ということを言ってきた。「すすめ」とはあまねく日本人が尊敬し崇拝する、お札の顔にもされた福沢諭吉の著作「学問のすすめ」を真似てみたからだ。

この数日間、「言論の自由・報道の自由」について、およそ愚かな議論が交わされている。あまりにも無知な議論が。もう辟易とするくらいに。

そして「言論の自由」という“権利”をはき違えて自己撞着に陥っている人もいる。

言論の自由とはある意味「高邁な思想であり哲学だ」と思っている。
何を言おうと勝手だ。ということでは断じてない。

単に「言葉の暴力」を言論とは言わない。

言論とはそれがいかなる政治思想や立場にあろうと、その言論の是非や理非曲直を、それを聞いた第三者に判断を委ねるということだ。

カタカナ語は使いたくないが「リスペクト」という倫理観が伴ってあることだ。

「私は私の言いたいことを、考えを言う。あなたも自分の意見を言う。それをどう受け止めるかはそれを聞いた、読んだ人達の判断にお任せする」ということだ。

言論の自由と言う“権利”が天賦のものではなく、人々がそれを必要だと思って出来上がったものだ。

それは現行憲法にだけ書かれたものでは無い。組み込まれたものでも無い。
明治憲法、大日本帝国憲法にもその記述はあった。

「第二十九條 日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス」と。ここにある「法律の許す限り」という字句が、どの法律を指すのかは難しいが。例えば治安維持法を指すのかどうかも含めて。
帝国憲法であっても憲法は最高法規であったことには変わりがないはずだけど。

聞く人の判断にゆだねる。それは裁判官裁判を例にして考えれば一目瞭然だ。
裁判官は法廷内で、その自由が保障された原告、被告の側の言い分を聞いて罪科を判断する。
陪審員が、どちらかの意見が気に食わないと言って、その発言を封殺する権利は無い。

あの元放送作家の、バラエティー番組作家の言い分はあまりにも無知だ。放送作家は番組の視聴率を上げるためにだけ、視聴者という人達に「受ける」ために、ある事無い事の話を作り上げる。視聴者の判断、それは見るか見ないかに任される。逆に言えば「見られる番組」を作るためには「何でも有り」ということにもなる。
根拠の無い、架空の作り話に「言論」という言葉はあてはまらない。

まして、彼は言論を封殺するべきだと考えている。聞く耳持たずどころか・・・。

国家議員に、国家権力の側に言論の自由があるのかどうか。国会議員とて国民だ。でも、権力の側の人間になった時、それは「制約」を受ける。

国会議員に保障されている言論の自由。
それは憲法51条にある「免責特権」だ。

「議院で行った演説・討論・表決について、院外で責任を問われない」という条項。

院外で党本部の会合で言ったことはこの条項とどう整合性が保たれるのか。院内の廊下での記者会見で言ったことは免責特権の範疇にあるのかないのか。

総理大臣にも「言論の自由がある」と官房長官が公言した。総理大臣という立場で、資格での発言。それは51条も含めて「言論の自由」という概念の中で許されることかどうか、それこそ法制局長官にお伺いしたいところだ。

当たり前だと思っていた言論の自由。それが今更大問題になり、論争の争点になっているということ。
結局は「憲法の何を知ってきたのか」というその人の資質の問題ですらある。

日本人は何を学んできたのか。NHK特集ででもやってくれないかな。どう「料理」するかはともかくとして。

2015年7月1日水曜日

「窮屈」な世の中

あれはいつの頃からだったのだろう。“テロ”や“爆発物”の世間が敏感だったのは。

新幹線の駅ではゴミ箱がことごとく撤去されていた。
新幹線に乗ると車内アナウンスがあった。
「不審物を見かけたら車掌にお知らせ下さい」と。

車掌が何処に乗っているのかわからないけど、たぶんグリーン車の近くに車掌室というのがあった気もするけど。

座席に車掌の呼び出しボタンが設置してあるわけでもなかったけど。

「鉄道警察隊が車内を巡回します。ご迷惑をおかけしますがご了承ください」。そんなアナウンスもあった。
確かに屈強な二人一組の警察隊が車内を見回っていた。
仮にデッキに“不審物”があれば、誰の物かと誰何されていた。

今のように全自動改札で無いころは、車掌が必ず「検札」に車内を回っていた。
そんな光景が懐かしい。今も検札ではないが、座席の「確認」に車掌が回っている光景はあるが・・・。

とにかく、世の中不審物に敏感だった。
公共施設からもゴミ箱は撤去されたり、使用禁止の蓋がしてあったような。

“不審物”に敏感だったある時期・・・。
なんとなく「窮屈な感じ」のする世の中だった。

瀬川賢一と言う“不審物”は大手を振って歩いていたけれど。

マスコミが権力の側から、その報道を巡って「懲らしめ」の対象にされている。
気にくわないということで非難の対象とされる。
広告主にまで、圧力に加担しろと呼びかける。

なんとも「窮屈」な時代だ。それはかってもあったことだが。

自民党の二階総務会長は言う。「言いたい放題を言って歩いたらいいというもんじゃない」と。
百田や大西ら。これらは「言葉の不審者」だ。そしてその不審な言動は「確信犯」であるということ。
“不審”を見つけてもお咎め無しだ。厳重注意ってお咎めの中には入らない。

確信犯であるが故、注意しようと何しようと、中には「とりあえず釈明、お詫び」ってとってつけた言葉で逃げを打つが、それらの暴言はその人たちの思想、信条を反映して言葉として発せられたもの。
本質は変わるわけもなく・・・。
十分気を付けなさいって党幹部が言ったって、裏から“指令”が出ている。歓迎されている。

マスコミにとっても窮屈な時代なのか。まして、彼らの言動を支持する国民だっているんだし。選挙区の人たちだっているんだし。
東京16区の有権者が目覚めたって、「落ちた猿」はきっとわめきつづけるのだろうし。

「梅雨空に九条守れの女性デモ」って俳句を投稿したら公民館側はそれを忌避した。
「基地の空鳥は自由に沖縄忌」という句を詠んだら、イデオロギーの強いものはいかがなものかと世話役から批判された人もいるという。

普通の人が詠む俳句だって、自己表現だって「窮屈な思い」をさせられている。

窮屈な世の中。70数年前に十分に堪能させてもらっている。自由にモノが言えない。自由に好きな本も読めない。
「灯火管制」の一言で、家の中の電燈を消さねばならなかった時代。服装にまで気を遣っていたあの「窮屈」な時代、世の中。
隣組は告げ口の窓口だったという「唇寒し」の時代。

どこか似てきているような。

もはや「不審な老人」と化した瀬川クンが徘徊していますよ。時々「窮屈な思い」もさせられながらも。“バカ”を相手にするのもバカバカしいけど。

はい、1F構内での不審者チェックはまことに厳しくありますよ。