2017年4月23日日曜日

僕は限りなく“学芸員”を求める

災後、キュレーターと言う言葉が時々使われていた。
僕はそれを勝手に学芸員と訳した。

原発事故、それをめぐる様々な専門家の論。それを理解出来た人はどれくらいいたのだろうか。自分の中で解釈・理解出来ず、まして咀嚼すら出来ない。
わかりやすく教えてくれる“キュレーター”が必要だったのだ。

例えばの話しだが、福島の諸橋近代美術館に、サルバドール・ダリの「ビキニの3つのスフインクス」という油絵が展示されている。1947年の作品。

ビキニ環礁でのアメリカによる水爆実験に驚き、困惑し、怒りを感じたダリが描いたものだ。

アインシュタインの脳とフロイトの脳。間に佇み、遠くから眺めているようなダリの脳。その脳はきのこ雲のモチーフだ。そして脳を支える三本の木。それは広島、長崎、ビキニの原爆。

ダリはある日、フロイトに尋ねたという。「この世から戦争は無くならないのか」と。フロイトは冷徹に答える。「それは不可能である」と。
アインシュタインは原爆製造の元を作った人ともいわれる。やがてアインシュタインは核廃絶運動に取り組む。

アインシュタインの核廃絶への思い、フロイトの人間観察、人間同士の争いを極端に嫌ったダリ。
核に対するダリの墳怒がこの絵に込められている。

キノコ雲のような形をした脳の中に、だまし絵のように、フロイトとアインシュタインが描かれている。

これらの事はその美術館の学芸員さんの解説でわかったことだ。その解説を聞きながら僕は思考した。

//絵の中で、彼らは、ダリも加えた3人は会話を続けているのだろう。多くの疑問や懐疑をぶつけあっているのだろう。
科学とは、人間とは、文明とは・・・。

だからタイトルに「スフインクス」という言葉が使われ、スフィンクスの謎にまつわる史実を引き合いに出し、作品を見る人に「謎かけ」をしているのではないか//と。

学芸員がいてこそ芸術への理解を、興味を深めることが出来る。思考や思索を高めることが出来る。
それは海外の作品に対してだけでは無い。茶の文化、茶にまつわる道具や書。
例えば狩野派の絵画・・・。

それを理解するには学芸員を必要とする。

別の視点から考えてみよう。今の政治を読み解くのにも“学芸員”は必要なのだ。政治家の言だけ聞いていたのでは今の政治の本質は理解できない。
海外の事でもそうだ。米ソ、米中、北朝鮮・・・。シリアのこと。

「学芸員はがんだ」とうそぶいた大臣がいる。山本幸三という地方創生担当大臣だ。
「一番のがんは文化学芸員と言われる人たちだ。観光マインドが全くない。一掃しなければ駄目だ」。

学芸員を総じて言ったわけではないのだろうが、度し難いバカだ。
今、地方創生の為にそこの住民たちは必至の知恵を絞っている。国の無為無策に悩まされる地方の人たち。彼らはキュレーターを必要としている。

今の時代、もっとも必要とされているのはキュレーターではないのか。
この世の中をどう理解していけばいいのかを知るために。
その役割はメディアが担っているのだ。メディアは限りなくキュレーターであり、学芸員で無ければならないのだ。

たしかに、その役割を果たしている記者もいる。しかし大方はキュレーターであることを放棄している。

僕は今、限りなく“学芸員”を求めている。

あの大臣の発言のもう一つの大罪。「がん」といいう言葉に悪意がみちているということ。

不必要なことの喩えに「がん」という言葉を持ち出されて癌を患っている患者はどう思ったのだろうか。

尊厳を傷つけている。

1億総活躍社会、それは役に立つ人、立たない人の“格差”社会を目論んでいるような。

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