2017年5月7日日曜日

「一般人」という"肩書"

週明けのあすから、国会は「共謀罪」を巡って騒然とした空気に包まれるだろう。
共謀罪って狂暴罪?

「改憲発言」も「共謀罪」も“モリトモ隠し”なのか。辞職を公言したのだから。

その共謀罪、法案にテロがどうとかの名称を付けてはいるが“換骨奪胎”をはかっているものであり、戦前の治安維持法の“再現”だ。

あやふやな法相の答弁。
「一般人は含まれない、対象では無い」というものの、「テロリストです」という看板を掲げていない限り、極端な話し「国会議員と検察・警察関係者以外はすべてこの法律の対象者たりうるのだ。

法相に業を煮やした政府は官僚を参考人として答弁させる決定を強行して決めた。阻止しようと委員長の肩に手をやった野党議員に「テロ」だと叫んだ。
所詮、この程度の認識の議員が審議に当たっていると言う事実。
この程度の議員によって我々が、日常が“支配される”と言うこと。

だったらさあ、国会の委員会で、与党が共謀して、綿密に手順を打ち合わせて半ば暴力的に法案の強行採決をする。これって立派な狂暴罪じゃありませんかね。言論の府における「テロ」ではないのですかね。

この国は2020年の東京オリンピックを軸にあらゆることが決められていく。
安倍は公言した。「オリンピックでテロを無くす為に」と。
もちろん共謀罪のこと。

かたやオリンピックまでに「フクシマ」は無いものとする。“復興”と言う言葉も消える。

“この国にはなんでもある だが希望だけがない。”



「希望の国のエクソダス」に書かれていた一行。17年前に小説家は今を予測していた。

“安倍の安倍による安倍のための政治”。

我々はそこから逃れる術を持ち合わせていない。

持ち合わせていないわけではない。それを為そうとしていないのだ。



週明けから10年間借りていた街中の事務所を移転させる。通うのがきついから。
その整理に取り掛かる。難儀なことだが致しかたない。

小物を片付けていてふと気づいた。

名刺の肩書を「一般人」としてみようと。

世の中、「肩書社会」である。肩書が物を言う。長年の経験からして思う事。
役員の名刺を持っていた時と、“無職”になってからの個人事務所の名前だけ書いた名刺とでは”扱い“が大きく違う。

人と交わる環境にある限り、「名刺」というのは単なる儀礼としてだけでも必要な場合がある。交換と言う慣習。

だから、この際、今の政権へのささやかな抵抗として、また、テロリストではないという弁明のために、全くの冗談としての作業として、“一般人”と肩書を付けた名刺を作ってみようかと思った次第。

その“意味”を受け取った相手が理解してくれるかどうかは別物。
洒落ですよ、洒落。

でも、いくら一般人を名乗って見たとて、その法律の災禍が襲ってこないわけではない。

国会議員と警察官だけが適用されないと言われるこの法律。
警察官に果たして「識見」はあるのか。

定年後の警察幹部がどこに天下ったのか。マスコミは全国規模でその調査報道をしてみればいい。

1961年か62年か。「警職法改正案」というのが国会で審議されていた。
警察官独自の判断で「一般人」の日常生活に立ち入ってくるという法律。

反対を叫ぶデモの群れの中に一介の高校生もいた。
自由を何項目にもわたって保障した憲法下にあって、自由が大いに束縛されると思った高校生。

連日のデモもあってか警職法改正案は廃案になった。
あの時向き合った機動隊員の”怖さ“を今も覚えている。

しかし、なんでこんな国になってしまったのか。“時間”だけ共有してきた自分にもわからない。

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