2017年8月2日水曜日

「「出来ない理由」と「出来る理由」。

3・11で経験した、あらためて思い知った官僚の体質。それは中央官庁にとどまらず、地方自治体もだ。

被災者の明日の生活が懸かっているもろもろの問題。補償、住居、生業・・・。
大津波で瞬時に家や家財、田畑、漁場を失った人達。

彼らに対応する行政はいやゆる「お役所」そのものだった。
既存の法律を盾に、多くの要望は退けられていた。

仮説住宅にしてもそうだった。国の方針はプレハブだった。規格も含めて法律通りの対応だった。
木造の一戸建て仮設は認められなかった。

「法律ではこうなっているから。」法の壁は巨大だった。

他の法律を精査すると“可能なこと”も多々あった。

どの法律を適用するか、法律をどう解釈するかによって対応は全く違っていた。
多くが「出来ない理由」を書いた法律をとった。
「出来る法律」を探す努力をしなかった。

土地の問題、高台移転。

「超法規的措置」という言葉が頭の中を渦巻いていた。福田赳夫が用いた言葉だ。

原発事故の対応でも、東電への対応でもそうだった。未経験の災害や人災に対しての行政の対応は「出来ない法律」を理由にすることだった。
それらの法律は明治の時代に作られたような古色蒼然としたものもある。
法律の中に整合性が取られていないものもある。

かつて田中角栄がこんなことを言った記憶がある。「なるほど」と受け止めた記憶は消えない。

「君たちももっと法律を勉強しろよ。法律には“裏”があるし、抜け落ちている部分も多々ある。それを埋めるのが政治家の仕事なんだ」。要旨そんな話。
だからか、彼は数々の議員立法を提出し、成立させてきた。

本四架橋の問題が大きな政治課題だったころ、メディアもあげて、どのルートが、三つのどれが採用されるのかに関心を持っていた。
まるで人事のごとく連日報道されていた。

ある朝、角栄は突然に言った。三つのルートとも同時着工だ。出来るのだ。
一緒にやればどこにも「恨み」は残らないと。彼は「出来る理由を出来る法解釈を、出来る政治的決断」をしたのだ。

明日、内閣改造人事があるという。すでにその人事は表に出ており既成事実化している。
各紙同じ記事。各社が集まる懇談の場で側近が喋っているのだろう。

安倍人事はこれまでもそうだった。なぜに事前に垂れ流すのか。その真意や目論見、意図が不明だ。

安倍の叔父の佐藤栄作は「人事の佐藤」と言われた。巧みな人事を行った。
彼の人事に対する方針はただ一つ。
「漏れたら変える」。

自分の後継問題が言われている頃、その後継と目される福田赳夫と田中角栄を双方閣内に取り込んだ。いってみれば競わせた。これとても人事の妙だ。

安倍の人事には全くと言っていいほど興味が無い。
骨格を変えないと言うのだから。

改造で支持率を上げるのが狙いだとすれば、それは無理だろう。
覆水盆に返らずだ。

森友から加計。政界はその話題に集中していた。伝える側もそれに腐心している。
介在した官僚たちは「出来る理由」と「出来ない理由のどちら側に立っていたのか。法の抜け道を伝授していたという事ではないのか。
安倍が撒いた種でどれだけ国政が遅滞したか。

気がつけば、後期高齢者の医療費は値上がりになっていた・・・。

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