2017年9月9日土曜日

「街の本屋さんです」

コンビニに寄った。車を停めたところから張り紙が見える。

「セブンイレブンは街の本屋さんです」。

セブンイレブンのネットを通して本を購入するということらしい。
セブンイレブンが“本屋さん”・・・。

毎朝開く新聞には本の広告ページがある。
新刊も再版も含めて大量の本が出版されている。
触手が動くものもそうでもないものも。

どんな本が出版されているのか。「情報」としての「広告」。
それが「購買」にどれほどつながっていくのか。

それにしても「馴染み」の人がよくもまあ、こんなに次々と書けるものだと感心する。
本を書くことにはかなりのエネルギーが必要だと思うから。

時々本屋に行く。やはり本は「手に取ってご覧ください」だと思っているから。

詩人の長田弘が言っている。
「わたしは本屋に本を探しにいくのではない。なんとなく本の顔を見に行く」と。

街から本屋が減っていると聞く。大きな書店はともかく、地方都市から小さな“街の本屋さん”が消滅しているという。
「書店ゼロ自治体」が2割を超えるという。

人口減に加えて、雑誌を扱うコンビニの増加、活字離れなども影響しているそうだ。「文化の灯が消えた感じ」だと当該市の役所の人は言う。

「周辺に大きな本屋ができたり、ネットで買ったりする人が増えて20年前くらいから客が減ってきた」と書店を経営してきた人は嘆く。

小中学生が学校帰りに立ち寄れる本屋さんは必要なのだとも思うけれど。

昔し話しで申し訳ないが、子供の頃は「貸本屋さん」に入り浸っていた。
「一泊はいくら、二泊はいくら」。借りたら早く読み上げないと小遣いが足りない。
せかされるような思いで本と親しんできた。

高校生になると区営の図書館に通った。大学に入ると神田の古本屋を巡っていた。

本を読むにはエネルギーがいる。

若いころにはそのエネルギーがあった。今は無理だ。一冊を読むのにかなりの時間を必要とする。

おかしな性分だ。本に囲まれていないと落ち着かないのだ。
本は背表紙を眺めているだけで、何かを書こうとしている時の「ヒント」ともなりうる。

にも関わらず書棚から「消滅」していった本。家の建て替えや引っ越しの度に本が無くなっていく。

在ると思っていた本が無くなっている。その錯覚。
五味川純平の「人間の条件」を読み返そうと探した。やはり無かった・・・。

本屋で気に入った本を買う。その本を持って近くの喫茶店に入る。珈琲を飲みながら煙草を片手に読みに入る。
楽しみの一つだった。贅沢な時間だった。

本屋は減った。喫茶店はカフェと呼ばれ新しい店が出来ている。煙草は「公共の場所」では吸えなくなっている。“街の本屋さん”では煙草が売られている。

東京オリンピック、パラリンピックを控えて東京都は禁煙条例を制定するそうだ。

昔の小説家は大方、煙草をくわえて書いていたようだ。記念写真にはよくその姿がある。1964年の東京オリンピックの記録映画を製作した市川崑監督は煙草を片時も手放さなかった。フィルムによく火が移らなかったと思うくらい。

国会議事堂内にはあらゆる場所に灰皿が置かれていた。スタンド型の。委員会室もそうだった。

自民党の総務会では「灰皿」が飛び交っていた・・・。

目下は喫煙者ではありません。お医者さんにきつく言われてます。
禁煙外来で“治療中”だったのが2011年。3月11日は薬の治療が佳境に入った時でした。
ストレスからの煙草復活。されど去年の肺がん手術。

きょうのような秋晴れの快晴。白い雲の下で白煙を吐くのが快感だった時代もあった。もちろん本を手に持って。

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