2018年2月11日日曜日

なみだふるはな

石牟礼道子さんが亡くなった。90歳。パーキンソン病の悪化によりという。
“水俣病”はまた一つ消えていく。

「3・11」の後、福島に対するデマがふりまかれ、原発事故の被災者になった多くの人たちの苦悶の日々を見聞きする中で、文学に逃避していた僕は思い立ったように石牟礼道子の「苦海浄土」を久しぶりに手にしていた。
なぜその本を選んだのか。水俣と福島には重なり合うものがあると思ったからだ。
当時、このブログにもそのことを書いた。

福島と水俣、福島と沖縄、福島と広島、長崎。日本人の一部の奴らが好む「差別」がそこには共通項としてあったからだ。

「苦海浄土」はジャーナリズムとしての完全な文学だ。

チッソが垂れ流した産業廃棄物としての有機水銀中毒事件。これほど水俣の漁師に関る人達を痛め苦しめ、絶望に追いやった事件は無い。
かつて足尾銅山事件と言うのもあった。鉱山から流れ出る有毒な廃棄物の川への垂れ流し。
それと闘った田中正造のこと。
そして、原発の爆発事故という絶望的事件。放射能に怯えて暮らす人々。そして抗議の自死者。

絶望の極限に陥れられた不知火海。そこから抜け出すには浄土に行くしかない。
豊穣の海を破壊し、絶望の海へと変えたものは。

患者一人一人の声に耳を傾け、それを綴り、文学として表現したもの、遠藤周作をして最高の文学と評させた作品。

藤原新也と言う写真家であり作家である人がいる。彼は多分この石牟礼作品を読んでだろう。「日本浄土」という作品を世に出している。
彼が昔練り上げた写真と巧緻な文章による「東京漂流」。
写真は人々の生きざまをレンズを通して表現したまさに写真ジャーナリズムだった。

「3・11」の年、藤原は2か月にわたって福島に身を置き、レンズを通して「福島」を伝えた。

そして石牟礼との対談を一冊の本にした。
「なみだふるはな」

“時を経ていま共震する二つの土地。その闇のかなたにひらく一輪の花の力を念じつつ・・”と藤原は言う。

「1950年代を発端とするミナマタ。そして2011年のフクシマ。
このふたつの東西の土地は60年の時を経ていま、共震している。
非人道的な企業管理と運営の果ての破局。
その結果、長年にわたって危機にさらされている普通の人々の生活と命。
まるで互いが申し合わせるかのように情報を隠蔽し、
さらに国民を危機に陥れようとする政府と企業。
そして、罪なき動物たちの犠牲。
やがて母なる海の汚染」

藤原が序にかえてものした“二つの歴史にかかる橋”という一文の一部。

あとがきにある石牟礼さんの“野苺の記憶”という一文の一部。
「東京漂流と名付けられた本について長いこと考え込んおりましたが、漂流と言う言葉が今世紀を予見していることを具体的に知ることが出来ました。

ある方がこんなことをおっしゃいました。
「東京まで行ってみたがなあ、日本ちゅう国は見つからんじゃった。探しきらんじゃった。
どこにゆけばよかろうか。
水俣は日本の外になっとるにちがいなか。日本から見れば、水俣は行方不明になっとるにちがいなか。
家族全部水俣病になって、もう3代目、いやいやもう4代目になっとる。
ひょっとすればわざと、失くしてなくしとられんかもしれんと邪気をまわしたりして、こりゃ独立して、もう一つこの世ば作れちゅうことじゃなかろかなあ」
今は亡くなった、患者さんの言葉です。

我々は「恥の文化」を忘れている。あらためて痛切にそう思わされた。
3・11後、琉球独立・福島独立と書いた自分がいた。

文学者であり詩人であり、人の道を生きた石牟礼道子さんに弔意を捧げる。

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