2018年4月7日土曜日

“神聖喜劇”

大相撲の地方巡業、舞鶴場所。挨拶に立った市長が突然発作を起こして土俵上に倒れた。後頭部も強打したようで痙攣をおこしている。
傍にいた若い呼び出しの様な行司はただうろたえている。関係者らしい背広姿の男性数人が倒れている市長の周りを囲んでいるがなにも手をくだせない。
うろうろして呆然としている。

観客席から女性が数人男性をかき分け市長の傍に行き、心臓マッサージをほどこす。渾身の力をこめての救命措置。

「私は看護師です」と名乗り処置を続ける。
観客の一人が女性が神聖な、女人禁制の土俵にあがっていると声を上げる。
呼び出し行司が「女の人は土俵から下りて下さい」と数回アナウンスする。
降りようとする女性看護師もいたが同僚はそれを止める。

私人として相撲観戦に来ていた女性が目の前で起きた「事故」をみて咄嗟に公人としての看護師になった瞬間だ。

「命を救う」という倫理観に基づいた行動。咄嗟の判断、行動。
彼女らの行動には一点の非もない。
その彼女たちに「土俵から下りろ」と呼びかけた相撲協会関係者。
呼びかけた行司だとされている人物は「土俵は神聖、女人禁制」をいう“伝統”が吹きこまれ、染みついていたのだろう。

テレビ報道でその様子を見ていてなぜか「神聖喜劇」という大西巨人が書いた大作の題名が浮かんだ。

人一人の命を救うために禁を冒してでも救命行為という神聖な行為を選択した看護師。
神聖な土俵には女性を上げてはならないと言うなんら根拠の無い権威づけの“伝統”なるものを口にした行司とされる人のアナウンス。

「仮定の質問には答えられない」とするのが今の政界での常識のようだが、あえて「仮定」を言う。
もし、彼女たちの救命行為が無く、市長が死んでいたらどうするのか。
救急車を呼んだというが、救急車が到着するまでには早くても数分はかかろう。

たとえば脳梗塞、たとえば心筋梗塞、たとえば脳卒中、たとえば大動脈瘤破裂。
市長はくも膜下出血だった。
適格な措置により一命をとりとめた。後遺症も軽くてすむかもしれない。

市長が担架で搬送され女性たちが土俵を下りたあと。その土俵には大量の塩が撒かれたという。
女性があがった土俵は“穢れ”だというのだろうか。

昨日主治医とこの話をした。医師は言う。
看護師たちはかなり訓練された練達の看護師だ。
相撲協会のアナウンスを聞いた時怒りで涙があふれた。医師として使ってはいけない言葉だろうが「ぶん殴ってやりたい」と思ったとも。

「神聖喜劇」、それは旧軍隊に中にはびこる伝統とか慣習とか、それを下にした不条理に主人公が驚異的知識と頭脳で論破していく物語だ。

相撲界にはあまりにも不条理な思考やしきたりがある。その不条理を看護師である女性がからだを張って打ち破ったのだ。

昔から「女性相撲」というのがある。力士としてならば土俵に上がれる。

相撲協会の中にはさまざま「不条理」が存在している。ジャーナリズムは今回のことをもっともっと追求するべきだ。
協会の評議委員長である池坊保子に記者会見を申し入れ、事の顛末と女性としてどう思うかをしかと質してみるべきだ。

看護師を称賛する声は多い。表彰も言われたが彼女たちは断ったそうだ。
「当たり前のことをしただけですから」。

今の不条理に覆われた世の中、人が人としての人命救助という当然の行為。
それは何にも増して崇高な行為だ。
当たり前のことが当たり前とされない、出来ない。そんな根拠の無いしきたりとか伝統とやらはくそくらえだ。

長く風習として有った「葬儀でのお清めの塩」。もう会葬御礼の封筒に入れて渡すところはほとんどなくなったはずだ。
死者は清めの対象になる”穢れ“ではないことにやっと気づいたからだろう。

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