2018年4月17日火曜日

「不幸な国を生きる者」として

国連の「世界幸福度報告書2018」によれば、日本のそれは54位だという。去年は51位。幸福度なるものが年々下がってきているらしい。
第1位はフィンランドだ。
幸福度とは「一人あたりのGDP・社会支援・健康余命・社会の自由度と寛大さ・汚職の頻度」などについて分析したものだ。
アメリカも14位から18位に順位を下げた。豊かになっているにもかかわらず、幸福度は低下している。
一人あたりの所得は顕著に増加したが、社会支援ネットワークの脆弱化、政府と企業における汚職の増加、公共機関に対する信頼低下が幸福度を押し下げていると言う。

さすが“日米同盟”と。

何が幸せか。人によってその「観」は違う。
「なにげない日常、なにげない当たり前がどんなに幸せかを3・11で教えてもらった」という人は多い。
小さな幸せは意図しない小さなところにあるということか。

“観”と言うことについて、数学者で教育者だった遠山啓と言う人がこう書いている。
「僕の観というのは一人一人が自分で苦労して築きあげていくものなのだ。
一人一人がそれまでに自分の体験したこと、身に付けた技術、学んだ知識を総動員して、人間とは、世界とは、生命とはなにか、あるいは、人間は特にこの自分はどうやっていきていったらいいか考える。そうして得られた人生観・世界観・社会観などをボクは観と言っている。
これまで、観を持つ人間は政治家や学者などごく少数のエリートと呼ばれる種類の人たちだけでいいと言う人もいた。
それは間違いだと思う。
日本人すべてが、皆、自分自身で創り出した人生観・世界観・社会観・政治観、などの観を持つようになってほしいのだ」。

つまり、遠山啓のいっていることは、世の中の“常識”や“風潮”に流されるのではなく自分自身の“観”に基づいて自分自身を生きるということなのだと思う。

この国はいま、不幸な国だと思う。
自分の“観”を持っている人は少ない。持つことを否定されてもいるようだ。

政治家や官僚。その多くが“観”を持っていない。上に上げた観以外に彼らには“倫理観”が求められる。
それらは、忖度・隠ぺい・偽装・保身という全くの非倫理性に支配される人たちになってしまった。
政治は劣化の一途をたどる。官僚は使命感すら持ち得ない。官僚機構は崩壊している。
そんな支配階級にこの国は弄ばれてもいるようだ。

幸福度が上昇するわけがない。

民の声に彼らは耳を貸さない。支配と言う愉悦を楽しんでもいるようだ。
民主主義と言う言葉は名ばかりにされてる。

さまざまな国民にとって不幸な出来事も、それをどこかに迂回させて何かが企まれているようなきがしてならない。

たとえば熊本地震の被災者。未だに仮設に暮らす人が1万6千人もいるという。
自宅を建てるにも業者がいないからだという。
業者はどこに行ったか。東京オリンピックのために高賃金で働いている。

「いかに生き、いかに学ぶか」。遠山啓の本のタイトルだ。

だから考える。
駄目な政治、おかしな行政。それらがまかり通っているということは、それだけ我々に学ぶ材料を提供してくれているのだ。と。

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