2018年6月5日火曜日

「国民」とは誰そ

日本国憲法には「日本国民は正当に選挙された・・・」で前文が始まるように各所に国民と言う言葉が登場している。

かって、帝国憲法には「国民」という言葉は無く「臣民」だった。
しかし子供たちは「少国民」と呼ばれ、兵士になることを名誉だとする教育が施されていた。

いささか屁理屈ぽいかもしれないが、国民とは何なのだろうか。
国民と日本人は違うのか、同じなのか。

1990年代に「国民的美少女コンテスト」というのがあった。芸能プロのオスカープロが始めたものだ。
たしか初代は藤谷美紀という子だった。女優の道に進んだ。このコンテスト出身者は大方女優になっている。たしか米倉涼子もそのはず。

「国民的美少女」、その「的」が当時からひっかかっていた。
的と言う字の意味はなんなのか。
国民的歌手と言うのが排出された。国民的俳優もいた。
国民的スポーツという言葉も存在している。

「的」には「~のような」という意味があると思う。文字の解釈の問題だけれど、あまりにも仰々しい。

なぜこんなことを今更のようにいうかというと「国民栄誉賞」の話につなげたかったからだ。

国民栄誉賞は福田赳夫内閣時に制定された。その前は佐藤内閣時代は内閣総理大臣表彰だった。

内閣総理大臣表彰はわかりやすい。総理が”勝手“に決めて表彰すればいいのだから。
国民栄誉賞となると、その「国民」と言う言葉の主体と客体が曖昧だ。

国民がこぞって表彰すると言うのなら内閣総理大臣が賞状を授与するのはおかしい。
国民の代表は総理大臣では無い。国権の最高機関である国会だ。
国民の代表である議員で構成される「院」が表彰するならわかるけど。


羽生結弦が国民栄誉賞を受賞することが決まった。
羽生は受賞を名誉なこととして受け入れ「この賞が被災地にとって明るい光となることを祈ってます」とコメントした。

「被災地にとって明るい光」か~。素直に喜べる人と、そうでない人もいるはず。
かって国民栄誉賞を辞退したスポーツ選手もいる。イチローがそうだ。
「まだ現役で発展途上の選手なので、もし賞をいただけるのなら現役を引退した時にいただきたい」。固辞の理由だ。
羽生はまだ現役だ。発展途上だ。

羽生は国際的にも著名な選手だ。
羽生の名を借りての自分のための“政治利用”。
ザギトワに贈られた秋田犬の贈呈式には押しかけ参加。抱いて見せるパフォーマンス。

映画監督の是枝裕和がパルムドールを受賞した。快挙だ。
しかし、是枝にはメッセージの一つも送ってない。無視だ。
「万引家族」という映画が、暗に安倍政治を批判しているからと聞く。

なんと度量の狭い男なんだろう。

この国の官庁は国民の為にある。あの公文書改竄の、しかも組織ぐるみのような“犯罪行為”。安倍を守るための組織。あの一連の不祥事には「国民」は不在だ。彼らの目は内向きでしかない。

政治の世界では連日のように「国民」という言葉が発せられている。
安倍の云う国民とはだれか。野党の云う国民とは誰か。
国民は戸惑う。

安倍は「膿を出す」と言った。膿を出す“治療行為”は全くなされていない。
膿は溜る一方だ。外科手術を必要としているのに。
溜る一方の膿はもはや澱となって沈殿している。

意味不明な言語を連発し、不誠実な態度を取り続け、徹底的という言葉だけの形容詞で逃げ切る。
国民の多くはもはや諦めに近い思いでいるのかもしれない。
少なくとも安倍が言う国民には入りたくない。

自分で育てた膿は自分で切除すべきだがそれは仕方さえわからない。
国民は「総外科医」になるべきかとも。

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