2019年8月11日日曜日

広島・長崎、そして福島

唯一の被爆国である我が国。
八月六日のヒロシマ。今年はいつもの年よりも酷暑だったろう。
広島市長は核禁条約への署名を求める。国を代表した安倍は真正面から答えない。
相変わらずの光景。

広島の原爆資料館が改装されたという。
展示物を大幅に変えた。
被爆地周辺から掘り起こされた被曝死した人たちの遺品が展示されている。
ボロボロになった瞬間に来ていた服の切れ端。唯一残った子供のつけていたズボンのベルト。ひねまがったバックル。

今年11月にはローマ法王が来日する。
「焼き場に立つ少年」という写真がある。死んだ妹か弟の亡骸をおんぶ紐で背負い、唇をかみしめながら、焼き場が空く順番を待っている少年。
その写真をローマ法王はSNS配信し、信者に拡散を呼びかけた。

長崎―。爆心地の大浦天主堂にあった十字架がアメリカから返還された。
長崎の悲劇のシンボルとして。
長崎市長も核禁条約への批准書署名を訴えた。
安倍はここでも言及を避けた。

発効50年を迎える核不拡散条約(NPT)に触れ、「核兵器をなくすことを約束し、その義務を負ったこの条約の意味を、すべての核保有国はもう一度思い出すべき。それは「唯一の戦争被爆国の責任」と訴えた。

この日南米のボリビアが批准書に署名した。「ヒロシマ」に合わせて。
批准書採択にはまだ20か国以上の批准が足りない。

アメリカはもちろんNPTに参加しようとしない。
日本はアメリカの核の傘の下にある。アメリカの意向に従うしかないというのが本音。
被爆者たちの声よりもアメリカの意向に追随する政治。

被爆経験者はどんどん老いて行く。
直に体験を語る人がいなくなっても、若い人たちの間にはそれを「語り継ごう」とする気運が芽生えている。

「放射能が移る」というという“デマ”で彼らは忌避され阻害され排除されて来た。

長崎市長は言っったー。
 原爆は「人の手」によってつくられ、「人の上」に落とされました。だからこそ「人の意志」によって、無くすことができます。そして、その意志が生まれる場所は、間違いなく、私たち一人ひとりの心の中です。と。
そして
 「長崎は、核の被害を体験したまちとして、原発事故から8年が経過した今も放射能汚染の影響で苦しんでいる福島の皆さんを変わらず応援していきます
。」と。

僕の周りでも原発事故後、放射能が移るという“デマ”に洗脳され、いわれなき差別を体験した人が数多くいた。
僕自身も言われた。
「あんた放射能が恐くて東京に逃げていたんだって」と。誰が言っているのかと誰何すると、「皆言っている」と。
その人達との接触を絶った。あのころ毎日避難所に通っていたとは言わなかった。無意味だから。

いわれなきデマに悩まされたという一点では広島・長崎・福島は通底する。しかし、福島県人は原爆の被災地のような阿修羅の状態にはいなかった。

ここ数日、元ちとせが歌う「死んだ女の子」という曲を繰り返し聴いている。
彼女が最初にその歌をプロデューサーから渡された時、歌詞を自分の物と出来ず、歌は封印されていた。
彼女が原爆資料館に立ち寄った時、そこをみて考えた時、咄嗟に言ったという。
「あの曲歌います」と。

♪あの時も七つ、今でも七つ。
死んだ子は決して大きくはならないの
平和な世界にどうかしてちょうだい。
炎が子どもを焼かないように♪

・・・

そして間もなく15日。日本の一番暑くて長い日。

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