2018年5月22日火曜日

その存在の耐えられない「嘘」

永田町や霞が関、日本の中枢。
そこで虚言や妄言、有ってはならないことが相次いだ。
首相は「膿を出し切る」と大見得をきった。

膿を出すための「手術」が行われた気配はどこにもない。
丁寧な説明ももちろん無い。

「口先だけ」の所業が相次いでいる。それに国民は馴らされてくる。

膿は出せない。なぜなら膿の元凶は言った本人だからだ。

加計問題で愛媛県が安倍と加計の「密会」があった記録を出した。
きのう、それを記者団から聞かれた安倍は無言で去った。

歴史は夜作られる、そんな大仰なことを言うまでもないが、昨夜安倍周辺は「対策会議」に大童だったのだろう。
今朝になって「会ったことはない」と言い切った。
愛媛県文書を「無視」することで乗り切れると判断したからだろう。

会った、会わない。記録が無い。あまりにも子供騙しが過ぎる。
愛媛県が偽の文書を作る必然性はどこにも無い。

官邸の面会記録は「破棄される」と公言してきた。記録が無いのだから確認のしようが無い。全く都合のいい理屈だ。

「愛媛県文書」というれっきとした記録がある。

面談は15分。多忙な日程でもその合間を縫えば可能だ。その夜は公邸。
彼が公邸泊の時はなにかその理由があるからだ。
公邸への出入りは番記者の目にも止まりにくい。正面では無く南門と言う溜池側からの出入り口もある。
かって今の公邸のその門もしばしば利用されたことがある。

公邸での来客は秘書官の言うがままに報道される。

ベタ記事ではあるが「首相動静」は立派な記録である。
新聞は今回の「ぬかり」を糧として首相動静の報道の在り方を官邸サイドと内閣記者会でこれまでのような馴れ合いのやり方を再考するチャンスだ。

報道機関の恥でもあるのだから。

「モリカケ問題よりももっと重要な法案がある。いつまでもモリカケにかまっていられない」と自民幹部や安倍寄りのテレビのコメンテーターは言う。

違う。

一国の宰相が「嘘」を言っているという事はこの国にとってのその存在を問われる重大事なのだ。

もう一つ書く。
麻生が「セクハラ罪」と言うのは無いと記者を脅すように言った。閣議もそれを追認した。

ならば、少なくとも野党は、国会は立法府であり、国権の最高機関である以上、すぐさま「セクハラ罪」を明記した法律を議員立法で作るべきだ。
女性閣僚がどう反応するかが見ものだ。

野党は本腰で加計問題をさらに追及しなさい。立法府としての責務として。
ジャーナリズムよ、覚醒しなさい。我々はあなた方の報道によってしか事実や真実を知ることが出来ないのだから。

昔し、一緒に取材活動に当たっていた毎日の岸井君が逝った。彼があの病気であることは聞いていたが無念だ。もう一回、昔よばれていたあだ名で呼んでほしい。
岸井君とて政権やジャーナリズムに対する思いは同じだと思う。

安倍はあまりにも甘い蜜を味わい過ぎた・・・。去るのが唯一の汚名を着ない道だと思うが。

2018年5月13日日曜日

官邸の“黒い霧”

かつて政界には「黒い霧解散」と呼ばれる“政変”があった。
政治家が関与した疑獄事件、汚職事件が多発し、その「霧」を吹き払おうとした解散。
極端な話し、政界はしばしば黒い霧に覆われてきた。

「黒い霧」とは松本清張が書いた政界の不祥事を称した言葉だ。名付け親は松本清張だ。

いま、また首相官邸に「黒い霧」が渦巻いている。

加計問題を巡る通産省出向の柳瀬唯夫秘書官の行動、言動の件。
過日の国会での参考人招致で、かって首相秘書官の経験がある江田憲司が自分の経験をもとに質問していたが、いささか隔靴掻痒、ポイントがずれていたような思いがした。

あの参考人質疑やその後の愛媛県知事の会見を聞いておもったいくつかの疑問。
なぜあの加計関係者や愛媛県職員、今治市職員が面談することになったのか。
その経緯が判然としない。

首相秘書官が、多忙なはずの秘書官が、日程をたくさん入れるのが好きな首相の秘書官が「記憶にない」面談が実現したのか。

首相からの指示があったのか。
かねて面識があった加計学園の関係者だったからか。
おおかた、秘書官といえども官邸の要職あるものがなんらかの“介在”が無ければ「陳情」を受けることは無い。
議員であっても野党なら入門を阻止される時代。

政治部の記者になった時、テレビの用語では首相と言うのは使ってはいけない。
総理大臣とすべきだ。各大臣にしても相という言葉はつかってはいけないと教わった。
何故なら、読みいくいし、発音もしにくい。間違って聞き取られることがある。というような理由だった。
首相案件でなく総理案件というのが自分たちの「正しい用語」だと言う“柳瀬理論”の根拠もここら辺にあるのだろう。

しかし、永田町居住者以外では多くが「首相」だ。文字化するときは尚更だ。新聞では首相と表記されている。

名刺が出てきた。ということは名刺交換が行われたという事の証左だ。
それを「相手方の名刺をもらってないか、探したけれど見つからなかった」というのは秘書官室の事務怠慢だ。

官邸に入るには「表門」と慣例でよばれる警備小屋兼受付の様な「関所」がある。
「表門さん、どこそこの誰それさんたちが見えますが面会はOKです」と事務方の連絡がいくはずだ。いきなり来ても入れるはずはない。
受付では名前などを書かされる。警備上の都合もある。
面会記録がないということは有り得ない。

首相と秘書官は一心同体である。常日頃、連日事務報告事務連絡は欠かせない業務だ。親分に報告していないという事は有り得ない。
面談の時にはお茶が出されるはずだ。事務職員は知っているはずだ。

「官邸の中にいると世間の事に疎くなるので、なるべく外部の人と会うようにしている」。
おいおい、あんたは宮中に居るのじゃないぜ。

首相の傍にいつもいるのだから同席していれば”外部“の様子は逐一わかるはずだ。
彼の言い分は「総理も世間の事に疎い」と言っているに等しい。

内閣記者会の記者は毎晩のように秘書官宅にも夜回りに行く。世間と接触できているはずだ。

首相秘書官は田中内閣までは政務秘書官、大方は首相にずっと仕えてきた秘書。
事務秘書官は大蔵省、外務省、警察庁からの出向だった。
田中内閣の時に田中通産大臣の有能な秘書官だった小長啓一氏が首相秘書官になった。彼を角さんが見込んだからだ。
彼は日本列島改造論も書き、田中首相の国会演説原稿も書いていた。

田中内閣の名残か。通産出身の秘書官が定位置を占めた。
今や官邸は通産、ではない経産省か、そこ出身者が枢要な地位を占めている。

今の建て替えられた官邸にはもちろん入ったことがない。
今は公邸といわれる昔の官邸の模様を想起しながら「おかしな点」を列挙してみた。
白亜のような官邸にはどうも黒い霧が立ち込めているような思いに捉われて。

官邸に発生している霧が日本中を覆わないようにと念じながら・・・。

2018年5月3日木曜日

71歳の誕生日を迎えたキミへ

きょうはキミの71歳の誕生日だ。昭和22年、1947年にキミは正式に生まれた。

71年間、ボクはキミと付き合ってきた。
高校3年時、大学受験勉強の合間に、毎日キミを読んでいた。キミが語りかけてくる言葉を一語一語噛みしめるように。

キミの前文にある「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において名誉ある地位を占めたいと思ふ」。この部分をある種の感動を以って接していた。

テレビの社会に入り、政治担当になると渡される議員手帳。そこには憲法が記載されている。
折に触れて読みふけっていた。

71歳になって、またぞろ「改憲論議」にキミはさらされている。
しかし、その論議は戦争放棄をうたった9条の扱いに収斂された感があり、どこか本質論とずれている。

キミが公布された昭和21年11月3日。総理大臣は吉田茂、国務大臣に幣原喜重郎の名がある。吉田茂の前任者。
キミを誕生させたのは事実上は幣原喜重郎という人だ。

幣原喜重郎「外交50年史」という“公文書”が、国立公文書館に保管されているはずだ。
彼の日記がそこに残されているはずだ。
「私は図らずも内閣を組織することを命ぜられ、総理の職に就いた時、すぐ余の頭に浮かんだのは、あの電車の中の光景であった。これはなんとかして、あの野に叫ぶ国民の意志を実現すべく努めないといかんと堅く決心したのであった。
それで、憲法の中に未来永劫、あのような戦争をしないようにし、政治のやり方を変えることにした。つまり、戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹するようにしなければならんということだ。

少しばかりの軍隊を持つことはほとんど意味がないのである。外国と戦争をすれば必ず負けるに決まっている。

中途半端な軍備をもつよりもむしろ積極的に軍備を全廃し、戦争を放棄してしまうのが一番確実な方法だと思ったのである。」

抜粋すればこんな文章だ。幣原はキミの誕生のタネを植えたのだ。

キミが生まれて50年後くらいの人たちは、憲法論議をあえて避けている。
仲間の中でそれを言い出せばその場がしらけてしまうからだという。

新聞の世論調査は「安倍政権下での改憲について」と聞く。
どの、だれの政権下にあってもキミはキミなのだ。

今日の新聞は一日では読み切れないくらいの量でキミのことを書いている。
でも、一挙にこの日に合わせて書いても理解は深まらない。
常時、この憲法と言う民主主義の「基本法」について誰もが議論しやすいような記事を書き続けなければいけないのだ。

若者が日常の話題に供せるような書き方で。それが、マスコミと言うものがキミの誕生日に心することではないのだろうか。

AKB48の内山奈月と言う子はどうしているのだろう。今も活動しているのだろうか。
彼女が憲法学者の南野森教授と書いた「憲法主義」と言う本は若者への啓蒙に足る本だと思うけれど。

ボクは終生キミに付き合うつもりだ。
お祝いにもならない誕生日のメッセージ。

2018年4月30日月曜日

4月の終わり、5月の始まり。

しばらく入院をしていました。
病院生活はどうも体や精神を衰えさせるようで、退院しても気力・体力整いません。
気が付けば4月はもう終わる。一年の三分の一が過ぎる。
時間さえも世の風潮に呼応したかのようにスピードを速めている。

ベッドの中から世情のいろいろを眺めていました。
国会は停滞したまま。
高級官僚による「セクハラ」事件。
そして南北朝鮮の首脳会談。

次々と展開するさまざまな事柄に一つ一つをじっくり考えさせてくれる時間が与えられてもらえないようです。

財務次官のテレビ朝日女性記者に対する「セクハラ」問題。
立場によってどこに焦点を当てて考えるか。
さまざまな問題をはらんでいます。

かつて世を騒がせた毎日新聞の西山記者による機密文書漏えい事件を思い出しました。
外務省の女性事務官を通して沖縄返還にかかわる機密文書を入手して「特ダネ」記事を書いた西山氏。その秘密文書を社会党の、たしか楢崎代議士にわたして国会で追及させた事件。

女性事務官は国家公務員法違反で逮捕された。西山記者も教唆の罪で東京地検特捜部に逮捕された。
「過情を通じて」という司法の表現が話題になった。

西山氏を毎日新聞の政治部は必死に応援した。「報道の自由」ということで。
西山氏が出頭する際、毎日新聞の政治部は総出で彼を見送った。


少なくとも毎日新聞政治部は「ジャーナリズムの在り方」の問題として、その問題と向き合った。
テレビ朝日の女性記者の場合、セクハラ言辞を録音し、社に報道するよう迫ったが、報道することをやめさせた。彼女がセクハラを受けながらも財務省の不祥事に関する「ネタ」はとれなかったようだ。
社は彼女を守り、ジャーナリズムの観点から報道すべきことをしなかった。
なぜ彼女がその録音テープを新潮社に持ち込んだのか。
それはわからない。

しかし、そのことを含めて、どこかに「闇」を感じさせた出来事。

このセクハラを含め、日本のジャーナリズムは大きな曲がり角を迎えていると。

南北朝鮮の首脳会談。半島ではなにやら動きが急だ。
かつて何度も北朝鮮には「裏切られた」としても、たとえ、また「騙されたって」いいじゃないか。

騙す国より騙される国のほうがいい。

金正恩の本音はわからない。
しかし、半島情勢が融和に向かうことは歓迎すべきことなのだ。
どこかに「民族自決」はあるべきなのだし。

ピョンチャンオリンピックを契機に南北は関係改善、融和にむけて急速に動き出した。
米朝会談によって事態は“確定”してくるだろう。
およそ「常人」とは思えぬ言動を吐き、信頼に値しないような二人が話し合ってどういう結果が導き出されるか。

「北」について、ジャーナリズムは、特にテレビのワイドショーでは北に対する「固定観念」に基づく言説が飛び交っている。
時には本質とは無関係な、ニセ者説までが真面目に語られている。

テレビジャーナリズムの“限界”を見る思いだ。

日本にとっての重要課題、「拉致」について話は俎上に上ったと伝えられる。詳細は知らされていないようだ。
拉致を真剣に考えてるのなら、安倍は即刻韓国に飛び、詳細を聞くべきだ。金正恩の意向も。

それが拉致被害者家族への「礼儀」でもある。

安倍は、ゴールデンウイークを外遊の名の下に満喫している。
イスラエル和平に、中東和平になんら貢献できる策も持たずに。
後世に残る名演説でもしたらどうか。
言葉を持たない彼には無理だ。

とりあえず思いつくままにの空白を埋める思いを書き連ねて。

徐々に復調を目指します。

来年の今日は「平成」について感慨を込めて書いているでしょう。
来年の明日からは新元号となっていることについても。

“草むらに白き十字の花咲きて罪なく人の死にし春逝く”
美智子平成皇后が春にあたって詠まれた歌。

2018年4月17日火曜日

「不幸な国を生きる者」として

国連の「世界幸福度報告書2018」によれば、日本のそれは54位だという。去年は51位。幸福度なるものが年々下がってきているらしい。
第1位はフィンランドだ。
幸福度とは「一人あたりのGDP・社会支援・健康余命・社会の自由度と寛大さ・汚職の頻度」などについて分析したものだ。
アメリカも14位から18位に順位を下げた。豊かになっているにもかかわらず、幸福度は低下している。
一人あたりの所得は顕著に増加したが、社会支援ネットワークの脆弱化、政府と企業における汚職の増加、公共機関に対する信頼低下が幸福度を押し下げていると言う。

さすが“日米同盟”と。

何が幸せか。人によってその「観」は違う。
「なにげない日常、なにげない当たり前がどんなに幸せかを3・11で教えてもらった」という人は多い。
小さな幸せは意図しない小さなところにあるということか。

“観”と言うことについて、数学者で教育者だった遠山啓と言う人がこう書いている。
「僕の観というのは一人一人が自分で苦労して築きあげていくものなのだ。
一人一人がそれまでに自分の体験したこと、身に付けた技術、学んだ知識を総動員して、人間とは、世界とは、生命とはなにか、あるいは、人間は特にこの自分はどうやっていきていったらいいか考える。そうして得られた人生観・世界観・社会観などをボクは観と言っている。
これまで、観を持つ人間は政治家や学者などごく少数のエリートと呼ばれる種類の人たちだけでいいと言う人もいた。
それは間違いだと思う。
日本人すべてが、皆、自分自身で創り出した人生観・世界観・社会観・政治観、などの観を持つようになってほしいのだ」。

つまり、遠山啓のいっていることは、世の中の“常識”や“風潮”に流されるのではなく自分自身の“観”に基づいて自分自身を生きるということなのだと思う。

この国はいま、不幸な国だと思う。
自分の“観”を持っている人は少ない。持つことを否定されてもいるようだ。

政治家や官僚。その多くが“観”を持っていない。上に上げた観以外に彼らには“倫理観”が求められる。
それらは、忖度・隠ぺい・偽装・保身という全くの非倫理性に支配される人たちになってしまった。
政治は劣化の一途をたどる。官僚は使命感すら持ち得ない。官僚機構は崩壊している。
そんな支配階級にこの国は弄ばれてもいるようだ。

幸福度が上昇するわけがない。

民の声に彼らは耳を貸さない。支配と言う愉悦を楽しんでもいるようだ。
民主主義と言う言葉は名ばかりにされてる。

さまざまな国民にとって不幸な出来事も、それをどこかに迂回させて何かが企まれているようなきがしてならない。

たとえば熊本地震の被災者。未だに仮設に暮らす人が1万6千人もいるという。
自宅を建てるにも業者がいないからだという。
業者はどこに行ったか。東京オリンピックのために高賃金で働いている。

「いかに生き、いかに学ぶか」。遠山啓の本のタイトルだ。

だから考える。
駄目な政治、おかしな行政。それらがまかり通っているということは、それだけ我々に学ぶ材料を提供してくれているのだ。と。

2018年4月12日木曜日

おかしゃん、花ば・・・

桜の季節である。
川の土手も公園の樹々も、あるいは地蔵堂の一本の樹も、桜いろに染まっている。
あちこちで桜の話しに花が咲く。宴が話題になる。
テレビもあちこちの桜の光景を伝えてくれる。

「3・11」以来、桜と言う毎年季節を彩り、人々の目を楽しませ、こころを躍らせる美しい花に対して、“複雑”な思いを抱いてしまうようになった。
全町避難を強いられた富岡。
何回か訪れたあの見事な夜の森の桜並木。
今年は帰還が許可された地域で、戻った人を含め、観光客の目を楽しませてくれている。

夜の森公園の桜並木は、南相馬小高区出身の実業家であり、教育者であり、衆議院議員も務めた半谷清寿と言う人が、あの地域の入植・開墾に当たり、明治34(1901)年に、理想の村づくりを求めて、不毛の原野に300本苗木を植樹したものだ。
半谷の著作「将来之東北」を実践するかのように。

原発事故後の今頃、桜の季節が訪れようとしていた時期。避難所のビッグパレットのダンボールで囲われた居所の中に、その夜の森公園の桜を写した写真を持参してきた人がいた。
頭を下げに来た東電の社長に「この桜を観てください」と静かに言い、「桜がどうなってしまうかそれだけが気掛かりです」と語りかけていた。

その光景が未だに脳裏を離れない。
2011年の春、桜を観ることに苦悩した。

今日の新聞にある人の死亡記事があった。
水俣病資料館の語り部、前田恵美子さんの訃報。彼女も3歳の時に水俣病を発症している。2013年、天皇・皇后両陛下が水俣を訪問された際、自作の「ピンクの花が好き」という歌を披露したという。

水俣病を書き続けてきた石牟礼道子の作品の中にこんな話が記されている。
きよ子という胎児性水俣病患者の母親が語った話だ。
「死ぬ前の頃でしょうか、桜の散る頃、ある日、眼を離した隙にきよ子は括りつけられていた紐をほどいて廊下に行き、縁側から庭に転げ落ちていました。
“おかしゃん、おかしゃん”という声を聞いて駆け寄ってみると、曲がらぬ手のひらに桜の花びらを握りしめていました。“おかしゃん、はなば”と喋れない口から絞り出すように声を出して。
きよ子は命をかける思いで桜の花びらを手にしたかったのでしょう」と。
そして母親はこう訴える。
「桜の時期に、花びらば一枚、きよ子の代わりに、拾うてやってはくださいませんでしょうか。花の供養に」

悲しく、惨く、そして美しい話だ。

明日は病院に行く日。途中の笹原川の桜は見事に咲き誇っている。
今日の風で花びらが散っていたら、その花びらを数葉拾うつもりだ。
そしてそれを小さなガラスの器に水をはってうかべてみる。
そしてーー。
「桜よ、あなたはいったい何者なのだ」と問いかけてみる。
この7年間がそうであったように。

2018年4月7日土曜日

“神聖喜劇”

大相撲の地方巡業、舞鶴場所。挨拶に立った市長が突然発作を起こして土俵上に倒れた。後頭部も強打したようで痙攣をおこしている。
傍にいた若い呼び出しの様な行司はただうろたえている。関係者らしい背広姿の男性数人が倒れている市長の周りを囲んでいるがなにも手をくだせない。
うろうろして呆然としている。

観客席から女性が数人男性をかき分け市長の傍に行き、心臓マッサージをほどこす。渾身の力をこめての救命措置。

「私は看護師です」と名乗り処置を続ける。
観客の一人が女性が神聖な、女人禁制の土俵にあがっていると声を上げる。
呼び出し行司が「女の人は土俵から下りて下さい」と数回アナウンスする。
降りようとする女性看護師もいたが同僚はそれを止める。

私人として相撲観戦に来ていた女性が目の前で起きた「事故」をみて咄嗟に公人としての看護師になった瞬間だ。

「命を救う」という倫理観に基づいた行動。咄嗟の判断、行動。
彼女らの行動には一点の非もない。
その彼女たちに「土俵から下りろ」と呼びかけた相撲協会関係者。
呼びかけた行司だとされている人物は「土俵は神聖、女人禁制」をいう“伝統”が吹きこまれ、染みついていたのだろう。

テレビ報道でその様子を見ていてなぜか「神聖喜劇」という大西巨人が書いた大作の題名が浮かんだ。

人一人の命を救うために禁を冒してでも救命行為という神聖な行為を選択した看護師。
神聖な土俵には女性を上げてはならないと言うなんら根拠の無い権威づけの“伝統”なるものを口にした行司とされる人のアナウンス。

「仮定の質問には答えられない」とするのが今の政界での常識のようだが、あえて「仮定」を言う。
もし、彼女たちの救命行為が無く、市長が死んでいたらどうするのか。
救急車を呼んだというが、救急車が到着するまでには早くても数分はかかろう。

たとえば脳梗塞、たとえば心筋梗塞、たとえば脳卒中、たとえば大動脈瘤破裂。
市長はくも膜下出血だった。
適格な措置により一命をとりとめた。後遺症も軽くてすむかもしれない。

市長が担架で搬送され女性たちが土俵を下りたあと。その土俵には大量の塩が撒かれたという。
女性があがった土俵は“穢れ”だというのだろうか。

昨日主治医とこの話をした。医師は言う。
看護師たちはかなり訓練された練達の看護師だ。
相撲協会のアナウンスを聞いた時怒りで涙があふれた。医師として使ってはいけない言葉だろうが「ぶん殴ってやりたい」と思ったとも。

「神聖喜劇」、それは旧軍隊に中にはびこる伝統とか慣習とか、それを下にした不条理に主人公が驚異的知識と頭脳で論破していく物語だ。

相撲界にはあまりにも不条理な思考やしきたりがある。その不条理を看護師である女性がからだを張って打ち破ったのだ。

昔から「女性相撲」というのがある。力士としてならば土俵に上がれる。

相撲協会の中にはさまざま「不条理」が存在している。ジャーナリズムは今回のことをもっともっと追求するべきだ。
協会の評議委員長である池坊保子に記者会見を申し入れ、事の顛末と女性としてどう思うかをしかと質してみるべきだ。

看護師を称賛する声は多い。表彰も言われたが彼女たちは断ったそうだ。
「当たり前のことをしただけですから」。

今の不条理に覆われた世の中、人が人としての人命救助という当然の行為。
それは何にも増して崇高な行為だ。
当たり前のことが当たり前とされない、出来ない。そんな根拠の無いしきたりとか伝統とやらはくそくらえだ。

長く風習として有った「葬儀でのお清めの塩」。もう会葬御礼の封筒に入れて渡すところはほとんどなくなったはずだ。
死者は清めの対象になる”穢れ“ではないことにやっと気づいたからだろう。

その存在の耐えられない「嘘」

永田町や霞が関、日本の中枢。 そこで虚言や妄言、有ってはならないことが相次いだ。 首相は「膿を出し切る」と大見得をきった。 膿を出すための「手術」が行われた気配はどこにもない。 丁寧な説明ももちろん無い。 「口先だけ」の所業が相次いでいる。それに国民は馴らされてくる...