2017年8月15日火曜日

八月の「もやもや感」

きょうは72年前、天皇の終戦の詔書が読み上げられ、戦争が終わった日とされている。

敗戦を認めた日とも言える。

詔書が出されたにも関わらず、例えば樺太ではその詔書が伝達されず、軍からは「樺太死守せよ」という命令が出されていた。

進攻してきた“ロシア”軍に、南樺太にいた日本人は、殺された人も、自決した人も何万人といる。

浅田次郎のノンフィクション的小説「終わらざる夏」にそのことは詳しい。

不可侵条約を一方的に破棄した“ロシア”は、樺太はじめ北方領土、北海道の一部を占領することを目論み「終戦」を無視して攻め込んできたのだ。

沖縄と同じだ。

本土防衛の「捨石」だったのだ。

今年も戦没者追悼式典があった。55回目の。参列者は遺族中心に6千人余り。
参列者は年々高齢化している。
戦没者の孫の時代にあたる戦後生まれの参列者が4分の一を占めるようになったと言う。
戦争の記憶を次の世代へ継承するため、2年前から18歳未満の青少年遺族が献花に参加している。

72年と言う歳月のこと。

天皇陛下はお言葉の中で「反省」という言葉を使われた。
天皇自身の、昭和天皇の名の下に行われた戦争。
それを「反省」とう言葉で総括されている。

安倍首相は反省という言葉は使わなかった。アジア諸国についても言及しなかった。今年も・・・。

いつも思っていることがある。

沖縄では「屈辱の日」に県民大集会がある。

本土で、戦没者を追悼する国民誰しもが参加できる「追悼の集まりの場」はないのか。ということ。
もちろん「現実的」な問題提起ではないとわかってはいても、千鳥が淵や靖国だけが個々に参列する追悼の場というのは追悼の国民的意味から言ってなにやら「物足りなさ」を覚えて来た。

かつて佐藤栄作は「沖縄の返還なくして日本の戦後は終わらない」と言った。
返還はされたが、そこは未だ返還前と同じ状態だ。

戦後は終わっていない。この国にとって「戦後の終わり」といえる状況は無いのかもしれない。

福島の復興なくして日本の再生無し。安倍は何回もそれを口にした。
福島は復興されたのか。日本は再生されたのか。

まやかしだった。

安倍は平和と言う言葉を数回つかっていた。

日本はその憲法に於いて「恒久平和」を誓っているはずだ。
恒久平和を目指すには今の日本の外交・防衛政策はあまりにも“乖離”している。

それよりもなによりも国として戦争の総括がされていない。自国民が多数死んだ、殺されたということへの「責任」は明確にされていない。

原発事故とて然りだ。

詩人で歌手である沢知恵さんという人がいる。
3・11後、東北を慰問し、福島をも訪れている人だ。

彼女はきょう、あらためて自作の歌を上げている。
「われ問う」という歌だ。この日へのメッセージとしてだろう。

“8月15日に、われ問う”。

大好きなおじいちゃん どうしてこの国は戦争したの?
おじいちゃんほどの人が どうして戦争を止められなかったの?
大好きなおじいちゃん ほんとうのこと教えてよ
どうすれば同じあやまちを くりかえさなくて済むの
ここまでなら大丈夫と だまって見ているうちに
気づいたら 何ひとつ自由にものを言えなくなっていた・・・

沖縄の風化。原爆の風化。そして戦争そのものの風化。
日本人の14%が8月15日を知らないと調査に答えていると言う。

何故か。

教育の場で戦争を伝え難くなった。伝えなくなった。
家族の形態が変わった。
3世代同居という家族の形は無くなった。
単体の家族が東京に集中している。
親から子へ、子から孫へ「教える」「伝える」環境では無くなった。

戦争体験の無い世代は、自分たちで学んで行かねばならないのだ。
教ええくれるのを待っているだけではいけない。
自分の意志で、それを「取りに行かねば」ならないのだ。

戦争を伝えるという事の方法は時代と共に変化してくる。
経験者は減少の一途たどる。

しかし、戦争を伝える記録は残されている。いや、まだ見つかるかもしれない。
書かれたものも多くある。

原爆を敗戦を、その事実を、その実相を、自分たちの物として学び、受け入れ、考える。
そのことに対して多くの人たちがある意味“無関心”であり、過去のことと思ってしまっている。

それが八月におぼえる「もやもや感」なのだ。
4歳の少年の記憶が断片的であることへの「もやもや感」でもあるのだ。

2017年8月10日木曜日

封印した“記憶”を解く決意

長崎の原爆忌の平和宣言で田上市長はこんなことを語ってくれた。

「人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。
世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。

 被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。
 福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験した街として、福島の被災者に寄り添い、応援します。
 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

人間が人間に対して人間の言葉で、自分の言葉で語る。

広島の市長も自分の言葉で語っていた。自分は体験していないものの、学んだ結果として。

「このような地獄は決して過去のものではありません。核兵器が存在し、その使用を仄めかす為政者がいる限り、いつ何時、遭遇するかもしれないものであり、惨たらしいめに会うのはあなたかもしれません。
それゆえ、皆さんにはぜひとも被爆者の声を聞いてもらいたいと思います」と。
「被爆者の体験に根差した良心への問いかけと為政者に対する誠実な対応への要請をわれわれのものとし、世界の人々に広げ、次の世代に受け渡していこうではありませんか」。

長崎市長は「福島」にも言及した。寄り添うと述べた。
被爆者代表としてあいさつした深堀好敏は88歳。

「私は1979年、原爆で生き残った有志6人で原爆写真の収集を始め、これまでに様々な人たちが撮影した4千枚を超える写真を収集検証してきました。原子雲の下で起きた真実を伝える写真の力を信じ、これからも被爆の実相を伝え、世界の恒久平和と核廃絶のために微力をつくすことを亡くなられた御霊の前に誓います」と力強く語った。
彼は表舞台では発言しないタイプの人だったが、今年は自ら公募に応じて語った。

広島でもそうだ。今まで被爆者であることを隠し、凄惨な記憶を、思い出したくない光景として“封印”してきた高齢の体験者が語り始めた。

勝手に想像させてもらう。
自分たちが封印を解き、語ることが、亡き家族や友人への「手向け」になると思い至るようになったからではないか。
人間はいつしか命果てる時が来る。72年前に果てた人、生き延びてやがて果てるかもしれない人。

後代にその「事実」があったことを伝え、託しておかねば、「生命を全うした」と自分に納得できないからではないかと。

72年前の記憶。それはその場で体験したものだ。記憶を無くしてはいない。

72年後の日本。倉本聡の「「歸國」というドラマではないが、政治家や高級官僚はつい数年前に体験したことの記憶をなくしていると強弁する。快適な環境の中で見聞きしたことを。

「記憶にありません」「記憶がございません」。

歴史を抹殺しにかかっている。

それは「絶対悪」の平成版なのかもしれない。


2017年8月6日日曜日

「我が家の犬はゲンキと云う名だった」。8月6日に思う事。

きょう、8月6日を前に、昨夜は中沢啓二の遺書をめくっていた。
「はだしのゲン わたしの遺書」と言う本。

著者の母親は広島で被爆後、しばらくして亡くなった。

“荼毘に付された骨はあまりにも軽く、喉仏がどれなのかわからなかった。
「放射能は骨をくいつくし、スカスカのもろいものにする。
原爆と言う奴はおふくろの、大事な大事なおふくろの骨の髄まで奪っていった“

“福島の原発事故は「やっぱり来たか」という感じで受け止めた。原発と原爆は違うと言ってこの地震の多い国で原発を増設してきた政府、それを黙って受け入れて来た日本人に憤りを感じて来た。

みんな「カネ」なのだ。

放射能の恐ろしさを知った広島・長崎の教訓が今回やっと認識されてきたのではないでしょうか“

中沢さん、違うよ。認識なんかされてないよ。そう本の中の活字に向かってそう言ってみた。

“福島の風評被害のニュースを聞いて、ぼくは広島・長崎の被爆者差別を思い出した。被爆者は避けられたのです。
唯一の被爆国なのに、放射能のことが正しく理解されていない。
なんと情けない事か“。

“ぼくは男の子の孫に「元」という名前をつけました。ハダシノゲンで書いた僕のメッセージが、これからも伝わって欲しいとねがっているからです。

「元」は「元気」の元、「元素の元」です。

「はだしのゲン」は「麦」が大きなテーマのひとつなんです。
ゲンの父親が語る「ふまれても ふまれても 逞しい芽を出すような麦になれ。

ゲンは麦に象徴されるように、踏まれて、寒い風雪に耐え、たくましく、まっすぐに伸びて豊かな穂を実らせます。

僕たちには、きっと負けない「麦の精神」があるのです。

「はだしのゲン」はわたしの遺書です。


昨夜、歌番組から氷川きよしの歌う「一本の鉛筆」が流れていた。歌手は涙ぐみながら、唇をかみしめながら歌っていた。

今朝、8時15分。毎年の如く黙祷を捧げた。

毎年めぐってくる8月6日、9日の事

70%の国民が8月6日は何の日だと問われてもわからないという時代になった。そんな報道があった。

72年・・・「知っている人」と「知らない人」が区分けされて語られる。

「知らない」のではない。「知ろうとしない」ということだ。
原爆も戦争も、体験していなくても学ぶことはいくらでも出来る。

広島の小中学校がこれまでは「登校日」だった今日を登校日とすることをやめたという。

学ぶ機会を「お上」が奪っているように感じる。制度上の問題点を都合よく当てはめて。

この国はどこか間違っているのだ。

平和祈念式典で平和宣言を読み上げた松井一実市長は7月に国連で採択された核兵器禁止条約に言及し、「各国政府は『核兵器のない世界』に向けた取り組みをさらに前進させなければならない」と訴え、その橋渡し役となるよう政府に求めた。
続いてあいさつに立った安倍首相は核兵器禁止条約について一言も触れなかった。

先頃の国連でも日本は核保有国と歩調を合わせるように、総会を欠席した。

唯一の被爆国であるからには、核兵器禁止条約に率先して賛同すべきなのに、欠席戦術、不参加を決め込む。

北朝鮮がどうたらとかを理由に挙げていたが結びつけるには難がある。

明らかにアメリカの顔色を窺っているとした思えない行動。
世界の「笑い者」にされているのをどう考えるのか。

近代史の中での日本の“汚点”だ。

相変わらず「核の傘論」に執着している。もはやそれは「破れ傘」のような拠り所なのに。

「日本が核武装することは憲法に抵触しない」。そんな解釈改憲が今の政権下ではまかり通っている。
核武装を真面目に主張する政治家や論壇がある。

核兵器禁止条約にむけて、その先鞭の道をとることが積極的平和外交と言えるのだと思うが。

核兵器は、核戦争は何ももたらさない。廃墟を生むだけだ。
核兵器を持つことは一部の軍需産業に膨大な富を与えること以外の何ものでもない。

中沢啓二さんは2012年に亡くなった。
我が家の「ゲン」もそれから間もなく旅立った・・・。

2017年8月5日土曜日

やはり「永田町」は藪の中

安倍は新しい内閣の看板政策として「人づくり内閣」という言葉を繰り出した。
ひねり出してきた。
そして、この内閣を「仕事人内閣」とも称した。

「人づくり」ということの意味が、内容がさっぱりわからない。「人づくり」ということが、素養を高める、優秀な人材を作るということであるならば、それはまず政治家や一部の“悪質官僚”に対して言えることではないか。

内閣をあげてお粗末な政治家の再教育を行う。「人づくり内閣」とはそういう意味だと、“好意的”に理解する。

「仕事人内閣」だという。仕事をして結果を出す内閣だと言う。
当たり前でしょ。仕事をするのは。

じゃ、前内閣の閣僚だった人は「仕事の出来ない人」だったということになる。
たしかにろくに仕事も出来ない無能な人が多々いたのは事実だが、それらを任命したのは安倍さん、あなたでしょ。

河野太郎や野田聖子という安倍政治に異論を唱えてきた人を登用した。
「俺は懐が深いんだ」というところを見せたかったのかどうか。
閣内に取り込む。一つの人事の手段だ。
かつて、総裁選を争った佐藤栄作が河野一郎を取り込んだように。

河野一郎の孫の河野太郎を外務大臣に起用した。彼は自民党内にあって「ごまめの歯ぎしり」と称して、反原発、原発政策にかなり専門的知識をもって疑義を呈してきた人物だ。

組閣後の記者会見で、核燃料サイクルのことを問われた。
「所掌外のことについては発言を差し控えます」ときたもんだ。

持論を封印したようだ。

「大臣」とは「国務大臣」というのが最初の肩書だ。国務大臣として担当が決められる。彼の場合、いわば「外務省担当」といことだ。
国務大臣である以上、国政のすべてのことについて、例えば閣議の席でも意見を述べる権能を所持している。いや、そうするべきだ。

所掌外と言って逃げたところに彼の、彼自身の「人づくり」の限界を見た。

「コメントを差し控えます」「答弁を差し控えます」。
今や政界、官界の常用語だ。それで大方がまかり通ってしまう。

おかしい、けしからん。無責任きわまりない“言葉”だ。

それが許されているという“藪”。

そんな答えが返って来たとき、質問した記者はなぜ二の矢を放たないのか。
「何でコメントできないのか、コメントしないという事の意味は何か」と。

コメントを控えると言う言葉。控えると言う曖昧語。
総理大臣様が“改心”して申し述べた「丁寧な説明」の真逆の“言”だと思うのだが。

改造に合わせたように民進党の細野豪志が離党した。離党者続出の民進党。
結局「烏合の衆」で出来上がっていた集団ということか。
いくら声を張り上げても政権の受け皿にはさらさらなり得ない。

安倍政権は“安泰”なのだ。

野田聖子は「言いたいことは言う、総裁選挙には出る」といった。有言実行を待つとするか。

しかし、民進党よどこへ行く。昔、面倒を見た吉良の仁吉は居ないぜ。

で、取りあえずなんだかんだと。藪の中は怖くて覗けないので。

2017年8月2日水曜日

「「出来ない理由」と「出来る理由」。

3・11で経験した、あらためて思い知った官僚の体質。それは中央官庁にとどまらず、地方自治体もだ。

被災者の明日の生活が懸かっているもろもろの問題。補償、住居、生業・・・。
大津波で瞬時に家や家財、田畑、漁場を失った人達。

彼らに対応する行政はいやゆる「お役所」そのものだった。
既存の法律を盾に、多くの要望は退けられていた。

仮説住宅にしてもそうだった。国の方針はプレハブだった。規格も含めて法律通りの対応だった。
木造の一戸建て仮設は認められなかった。

「法律ではこうなっているから。」法の壁は巨大だった。

他の法律を精査すると“可能なこと”も多々あった。

どの法律を適用するか、法律をどう解釈するかによって対応は全く違っていた。
多くが「出来ない理由」を書いた法律をとった。
「出来る法律」を探す努力をしなかった。

土地の問題、高台移転。

「超法規的措置」という言葉が頭の中を渦巻いていた。福田赳夫が用いた言葉だ。

原発事故の対応でも、東電への対応でもそうだった。未経験の災害や人災に対しての行政の対応は「出来ない法律」を理由にすることだった。
それらの法律は明治の時代に作られたような古色蒼然としたものもある。
法律の中に整合性が取られていないものもある。

かつて田中角栄がこんなことを言った記憶がある。「なるほど」と受け止めた記憶は消えない。

「君たちももっと法律を勉強しろよ。法律には“裏”があるし、抜け落ちている部分も多々ある。それを埋めるのが政治家の仕事なんだ」。要旨そんな話。
だからか、彼は数々の議員立法を提出し、成立させてきた。

本四架橋の問題が大きな政治課題だったころ、メディアもあげて、どのルートが、三つのどれが採用されるのかに関心を持っていた。
まるで人事のごとく連日報道されていた。

ある朝、角栄は突然に言った。三つのルートとも同時着工だ。出来るのだ。
一緒にやればどこにも「恨み」は残らないと。彼は「出来る理由を出来る法解釈を、出来る政治的決断」をしたのだ。

明日、内閣改造人事があるという。すでにその人事は表に出ており既成事実化している。
各紙同じ記事。各社が集まる懇談の場で側近が喋っているのだろう。

安倍人事はこれまでもそうだった。なぜに事前に垂れ流すのか。その真意や目論見、意図が不明だ。

安倍の叔父の佐藤栄作は「人事の佐藤」と言われた。巧みな人事を行った。
彼の人事に対する方針はただ一つ。
「漏れたら変える」。

自分の後継問題が言われている頃、その後継と目される福田赳夫と田中角栄を双方閣内に取り込んだ。いってみれば競わせた。これとても人事の妙だ。

安倍の人事には全くと言っていいほど興味が無い。
骨格を変えないと言うのだから。

改造で支持率を上げるのが狙いだとすれば、それは無理だろう。
覆水盆に返らずだ。

森友から加計。政界はその話題に集中していた。伝える側もそれに腐心している。
介在した官僚たちは「出来る理由」と「出来ない理由のどちら側に立っていたのか。法の抜け道を伝授していたという事ではないのか。
安倍が撒いた種でどれだけ国政が遅滞したか。

気がつけば、後期高齢者の医療費は値上がりになっていた・・・。

2017年7月27日木曜日

「玄人」と「素人」と

玄人とは「専門家」と置き換えてみる。
素人とは一般大衆、国民と置き換えてみる。

専門家は誰に対して、誰を対象に、誰のために仕事をしているのか。

相手は素人だ。一般大衆だ。

その仕事は、為すべきことは素人にわかりやすいものではなくてはならないはず。

それこそ素朴な“問題提起”。

政治家は政治の玄人のはずだ。それでメシを食っているのだし。
しかし、玄人の故か、彼らの言動・行動は素人にはわかりにくい。

丁寧に説明する。そう言った人の言がすでにして国民には分かりにくい。
理解不能な部分が多い。

彼らに“ノブレスオブリージュ”(高貴なるものの責任)を求めても致し方ない事だが、政治の世界では、玄人のやっていることは裏ワザ、寝業、何かの意図が常に垣間見える。高貴さはどこにもない。

二階と言う自民党の幹事長が暴言を吐く。素人は暴言と受け止めても玄人のなかでは受け取り方が違うようだ。

「自民党はいろいろ言われているが耳を貸す必要は無い。正々堂々と自信を持っていけばいい。」
「だいたい、いい加減な事を書くメディアの人がいる。こっちは料金を払って読んでいるんだから、書く方は責任をもってやってほしい」

これが玄人の味方だ。裏にはなにかの意図がある。
それを読み解くのは“玄人”の政治記者のお仕事なのだが。

素人として、一般人として、多くの義務を課せられている国民として言おう。
「バカ言ってるんじゃない。ジコチュウもいい加減にしろよ。あんたらの給料は我々の払った税金でまかなわれているんだ。まっとうな政治をしろよ」と単純明快に。

玄人の特性として、攻めには強いが守りには弱いという傾向がある。
かつて民社党は自民党を攻めにせめて政権を勝ち取った。

政権に着くと守りの弱さが露呈した。鳩山、菅、野田。次々と党首が変わり、選挙でみじめな敗北をきした。
そういう意味では安倍は守りに強かったといえるかもしれない。皮肉なことに。

民主党の陰の立役者だった小沢一郎も守りには弱かった。それは彼が自民党にいた時を振り返ってみてもだ。

民進党の蓮舫が代表を辞任した。攻めには強い彼女も、党内問題含め、いや、党内からの攻めには、守りには弱かったのだ。

素人の世界では攻めになんとかとか守りになんとかという特性は無い。

守るべきは自分たちの生活なのだから。

メディア、特にテレビは何かがあると必ず「専門家」という玄人を登場させる。
専門家とはそのことについての知見はあろうが世間一般にすいては視野が狭い。

だから時々素人はその狭い視野の見識に戸惑う。

原発事故がその典型かもしれない。例えば1μ㏜を巡って専門家の見解は、安全か安全でないかを巡って二分されていた。
「避難」を左右したのは素人がつぶやいたネットの言辞だった。

原発についてはまったく素人のはずの安倍が「アンダーコントロール」などとほざいた。
本当の素人はデブリを確信していた。

あれから6年以上経って、ロボットの画像を見て、なにやら渋々のようにデブリを認める専門家、玄人。

素人の国民は玄人である官僚をクビには出来ない。
素人の国民は「選挙」という大きな権利を持っている。総理大臣をすらクビに出来る。

政治家が「職業としての政治家」「職業としての専門家、玄人」であるならば、素人をもっと畏怖すべきだ。
それが民主主義というものだとあらためて思うのだけど。

2017年7月26日水曜日

「サイコパス」と「健忘症罹患」の政権

今、我々はこんな情けない首相や閣僚、卑怯な官僚たちによって「支配」されている。
そこにはまともな政治や統治機構は存在していない。

都合の悪いことは忘れる。忘れたと言い張る。情報を隠すことによって政権を守ろうとする官僚や政治家が大事にされる。

民主主義の“根幹”がすべてないがしろにされる。


悲しく、悔しい。

政治を知らない人が、知ったふりをして政治をやっている。
公僕たる者の役目をわきまえず保身のみに官僚は走っている。

国民に嘘を言い募り、たった一人の腹心の友を庇うと言うこと。

平気で嘘をつく。自分が嘘をついているという認識が無い。そんな人を「サイコパス」と呼ぶそうだ。

「これまでの発言を反省し、真摯に答弁し、丁寧に説明する」。そんな殊勝な首相に大変身したのかと思った。間違っていた。丁寧なのは単に我慢を重ねた口調だけであり、話の中身は全く丁寧では無く、空虚な、虚偽に満ちたものだった。

「信無くば立たず」と言った。その言葉を知っているかどうかはともかく、
その言葉を愚弄しているような、その言葉が意味を為していないような“政治家御用達”の座右の銘。
それを実践しているとは誰も信じてはいない。

「李下に冠をたださず」と言った。為政者の“怪しまれるような行為はしてはならない”という教えを自らに垂訓した。

笑った。共謀罪をめぐる議論の中であった光景。花見に酒とゴザをもっているのはよく、地図と望遠鏡を持っているのは怪しいものとして“監視・捜査”の対象になるという話し。

妙に重なっている。

「総理、今、立派なお言葉を伺いました。それの対句はなんというのでしょう」。とでも質問してみればいい。正解がでるかどうか。
「瓜田に履を納れず」です、という答弁は期待し難い。

「いま総理の口から李(すもも)というお言葉が出ましたが、総理が卒業された成蹊大学の名の由来は何と言うところから引用されているのでしょうか」とでも聞いてみればいい。

多分、「学校の授業の様な事を国会で質されるのは心外です。どういうおつもりで聞かれているのかわかりません」
そんな怒声が聞こえてくるような。

「僭越ながら、学校は違いますが、成蹊の意味は、桃李もの言わずしてその下自ずから蹊(こみち)を成す、徳の高い人の下には、その人が黙っていても教えを乞いに人が集まってくる、そう聞いています。
この際、母校の建学の理念に学ばれてはいかがですか」。なんて聞いてみればいい。



「記憶にない」を連発する。それは“健忘症”という神経疾患に罹患しているのだ。記録に無い物は記憶にない。もう聞き飽きた「その場しのぎの言い逃れ言語」。
加計問題を知ったのはいつかと問われ、過去の言辞や記録があるにもかかわらず「今年の1月20日だ」と言い募る。嘘だ。

重ねて言う。
丁寧に説明すると“豪語”した安倍。言葉は丁寧さを装っていたが、答弁の内容は全く丁寧では無い。殊勝なことを言いながら、穏やかな“喋り方”に徹していたようだが、かえってその中身の虚偽と欺瞞が暴露された形だ。

都合の悪いことは忘れる。文書は捨てる。文書を捨てるという事は歴史を消すという事だ。
情報を隠すことで政権を守ろうとする。そんな在り方が「政治を信用できない」という国民の不信を増幅させる。

政府を信じる国民がだんだんいなくなる。そんな「不幸な国」あって「幸福論」を唱えるの愚。

まっとうな政治を求めることは無い物ねだりなのだろうか。