2018年9月29日土曜日

2018年の「秋思譜」

時代にそぐわないようですが、なぜか「西暦」が苦手なんです。
気が付けば21世紀も18年が経ったという事。
20世紀と21世紀では何が変わったのかということ。

1999年12月31日から2000年1月1日。日付を跨いだが月日はなんだらだらと過ぎているような気がする。つまりだらだらと過ごして来たという事。
だらだらとした下り坂だったのか、だらだらとした上り坂だったのか。
いやそんな風に時代を捉えれば実もふたもない。
でこぼこ道だったのだ。

20世紀と言えば「戦争の時代」「戦争の世紀」であり、その後は「科学技術の世紀」などいろんな顔を持っていた。
そんな中、「大量生産」「大量流通」「大量消費」という大きな歯車の中に人々は組み込まれてきた。
そして今や「大衆消費社会」。そのエンジンを蒸かして来たのはテレビでありネットだ。
それは決して「豊かさ」が具現化されたものでは無い。

西日本を豪雨が襲った。被災者は多数でた。家屋は流された。住めないような惨状の家、傾いたままの家。
それは「3・11」のその後の福島県の避難者にも通じる。

常識では住居とは言えないようになった家。それでも「あんたには家があるじゃないか」と支援や補償の”査定対象“にされる。
PTSDとなった人たちは「病気」なのに「病気」とされない。それらは時として「国」よりも「地方自治体」の方が冷酷だ。

生活保護受給者ももちろん被災した。知り合いのところに一時身を寄せた。
「扶助者がいる」ということで、しかも”支援金“が届いたということで生活保護を打ち切られる。生活保護の受給判断はその地方自治体だ。

「豊かになった」と首相が豪語すればするほど「貧者」は増えていくのだ。

21世紀になるとき、「2000年問題」というのがコンピューター時代の最大の危機的懸念だった。
それは例えばSEの努力でなんとかクリア出来た。
「2,000年問題」を一番危惧したのは病院だった。医師たちは寝ずにその瞬間を見守ったという。

「国会と言うところは男を女に変える以外は何でもできる」。そう息巻いた政治家がいた。事実日切れの法案の採決で与野党が合意の上で参院本会議場の時計を止めた。
本会議場の大時計が夜の11時半頃から針の進み方が異様に遅くなった。24時の数分前には止まった。2時間の時差を国権の最高機関は恥じ入ることなくやってのけた。

東京オリンピック対策で、暑さ対策で「サマータイム」を実施すると元首相の組織委員長が言い出した。
そのバカさ加減に驚き、あきれていたが、どうやら止めになりそうな気配。

またぞろ持ち出してくる気配とてあり。

酷暑のオリンピックのためにこの国のシステムをコンピューターで動かされている日常を異常な時間形態に支配させようというのか。

かつてゼンマイ仕掛けの時計を手作業で動かしていた時代とは違う。

ばかばかっしいことを言いだしてくるあの人達。
そんな時代に住んでいる。

台風が接近の予想。列島縦断だとか。コンピューターによるJSTの予報を見るしかない。

明日は沖縄の知事選。選挙がどうなるか、台風の影響がどうなるのか。
オリンピックよりも気になる。その結果が。

2018年9月26日水曜日

美しき秋の、耐えられない「虚しさ」

当からから亭、ほぼ一月さぼっていました。
その言い訳。
先月末から体調不良にありました。
朝起きたら、左足に激痛が走り、歩行困難。坐骨神経痛ということでした。
それの合併症ではないものの痔が・・・。排便後の激痛。これまた歩行困難。
やっとこさの病院通い。後は寝転んでいるだけ。
言い訳は以上。



世間ではいろんなことがありました。いろんなことが起きています。
一喜一憂ならぬ「憂い」の多かりしこと。

自然災害が多発した。
そこにはなにがしかの人災もある。
いや、北海道のブラックアウトは人災だ。

それに乗じるかのように泊原発が稼働していればブラックアウトは防げたという暴論が跋扈する。

もはや日本は災害列島だ。いや、地球規模で天災が起きる。

災害が起きれば避難者が出る。
この国の社会構造は災害を想像してこなかった。

災害弱者。以前から「防災省」の設置の必要性を語って来た。
国土交通省や復興省など“思想”を持たない役所はいらない。

地震予知を学会はやめた。予知は不可能なのだ。だからこそ、政治のレベルで災害に向き合うしかない。不幸な被災者をなるべく少なくするのが政治だ。
防災省には有能な官僚や専門家や有識者を網羅する。あらゆる人災を無くし、災害後の対処にあたるために。

総裁選の数少ない機会の討論で安倍はそれを一蹴した。
自衛隊や警察、消防を動かすのは総理たる自分だと。そこになぜか厚労省が入っていた。解せないことなのだが。

安倍が3選。当然の帰結。言ってみれば5年以上、3選のために“工作”をしてきたのだから。
マスコミはこぞって石破善戦と書いた。数字が彼らの予測を上回っていただけのことだ。
善戦もなにもない。自民党には「一輪咲いても花は花」というまことしやかな“価値観”がある。
安倍はないがなんでもあと3年総理大臣でいたいのだ。

安倍は有能な為政者、政治家では無い。むしろ無能に等しい。彼がある時から抱いた願望は決して「改憲」では無い。彼は憲法そのものを“理解”していない。

彼の願望は2020の東京オリンピックの開会式の場にいたい。それだけだ。
東京招致が決まったIOCの会場で「アンダーコントロール」という虚言を吐いた。
福島を聖火リレーのスタートとしたり、野球やソフトボールの試合をもってくる。県民感情を「コントロール」するかのような子供だましのようなやり方。

傍ら、1F構内に溜った汚染水を海洋投棄が具体化している。
あの東日本大震災の爪痕を出来る限り無くそう、隠そうと図る。海外への眼くらまし戦法。

安倍3選が決まってから、なにやら“怪しい動きが”たちどころに始まっている。
文科省の次官らの辞職。それはもっと前にすべき始末であったものの、引き延ばしてきた。大臣の責任が言われるのを恐れ、自分の任命責任を問われるのが嫌だっただけのこと。

伊方原発再稼働承認の高裁判決。阿蘇の噴火も予想されない、地震だって予想出来ない。「社会通念上容認される」という司法の判断。
司法が天災を容認するという愚。

問題の東京オリンピック。ボランティアを多数必要とする。JOCの組織委員長の森喜朗の年俸は2千400万だ。運営に寄与する人達はボランティアの名の下に無償だ。交通費1,000円を支給すことになったそうだが。
オリンピックという祭典に企業や学生にボランティア供出を求める。
「一億総動員、お国のために」。そんな“歴史”が残滓として蘇る。

西日本の大水害、広島の水害、いや3・11時もそうだった。多くのボランティアが働いてくれた。いや、今もそうだろう。
2歳の迷子をたった30分で発見した78歳のボランティア。
「私の手で見つけて私の手で貴女にわたす」そう約束したから警察にもその子を頑なに渡さなかった人。
彼は年金生活者だ。困っている人を助ける。それだけがボランティアを志した動機だという。
困って居る人たちを助ける。そこには「正義」がある。
「東京オリンピック問題」に正義は存在しない。
殆どの官庁が身障者雇用数の水増しをしている。
そんな国にパラリンピックを主催する資格は無い。

かたわらにあるブルーリボンバッジを眺めながら、安倍の”ペテン“を思う。


うん、椅子の上の尻が痛みを増してきた。横になります。

2018年8月28日火曜日

八月の終わりに

地球は“異常気象”に覆われた。
日本でも熱中症という言葉が連日メディアから伝えられている。
豪雨に見舞われ、災害大国の様相を見せている。
どことなく秋の気配が感じられる昨今、連日思う事の大なる日々。

アジア大会が行われている。
アナウンサーは「日の丸を背負って」と絶叫し、「国家の威信をかけて」と「定型文」を読むかのごとく“国威発揚”を煽る。
挙句、いつものごとく「国民的」を連発。
この「国民的」という言葉をどう理解しているのか、どう考えたのか。
ありきたりの言葉のつなぎ合わせのテレビ。

水泳で6冠に輝いた池江璃花子選手を好ましく思った。
競技の前に彼女はプールに軽く一礼する。プールから上った後も一礼する。
フィギアスケートの羽入選手もそうだった。リンクへの一礼を欠かさなかった。

陸上競技でもそうだ。ゴールのあとコースに一礼する選手を見かける。
「自分を試してくれた場所」への敬意の表れとみる。

表彰式、君が代が演奏され、日の丸が揚る。君が代を歌う姿には口先がかすかに動いているだけだ。

高校野球で背中を反らせながら校歌を高らかにうたう金足農業の選手の姿は見事だった。
「校歌」という自分たちの歌を持っていた。

「国歌としての君が代」「国旗としての日の丸」。難しい問題が存在している。
そもそも日本には国歌や国旗は存在していなかった。
明治政府になって国家を作るように芸大に依頼があった。
苦吟した芸大の教師は、万葉集の中の詠み人知らずにあった「君が代は」という句を“引用”した。君とは恋人を詠んだものであり、幾久しくキミとの恋が続きますように。そんな恋歌だとして君と大君とを掛けた様に歌詞が出来上がった。「君が代」とは天皇を指したのではないと。そういう「説」がある。
国旗も存在していなかった。維新軍が使ったのは錦旗だった。天皇の象徴として。

国歌国旗法が成立したのが平成11年。小渕内閣時。議会は満場一致で可決してはいない。
すべての国民の賛意でできたものではないという「曖昧さ」。
国民の血肉となるかのような位置づけでは無いという“運命”。

それがこの国の歴史だ。そこには70年以上前の戦争が大きく翳を落としている。
来年、元号が変わる。天皇も変わる。それを一つの契機としてすべての国民が支持し口に出来る国歌は出来ないものだろうか。

自分たちの歌、自分たちの旗を持たない国民はある意味不幸だ。

権力者たちはその立場の違いこそあれ、連日のようにその“不始末・不祥事”で「誠に申し訳ありません」と頭を下げまくっている。
その度にそれらの“権力”への不信感が増長されている。

「頭を下げればいいてもんじゃないぜ」。頭は下がるが顔の中身は笑っている。

身障者の雇用水増し。国家ぐるみの地方自治体も含めた「詐欺行為」。雇用枠を法律で決めながら守らない統治機構。
流行の「同調」か「予定調和」か。

こんな国が2年後にパラリンピックを開催するという。
嗤える。

2歳の幼児が自宅近くで行方不明になった。警察官が捜索に多くに捜査員を投入した。彼らの“捜索”はあの「棒」で林の中を叩くこと。
それは“遺体捜索”の手法だ。
78歳の7万円の年金生活者がボランティアとしてその場に向かった。
30分後にその子を見つけた。大きな声で名前を呼んだら反応があったという。
子供の引き渡しを求める警察官に言う。
「私の手で探し出し、私の手であなたに手渡す」。母親と約束した。口約束でもそれは契約だ。警察にいくら強要されても国家権力がそれを阻止しようとしても俺は自分が言った約束を果たす。
見事なボランティア精神だ。

オスプレイが横田基地に配備されるという。沖縄だけでは飽き足らず東京周辺も「危険にさらす」。
日米地位協定について国の誰しもが「異議」を唱えない。

緩み切ったこの国の姿。

2018年の8月はさまざま“異形”な月だったような。

2018年8月15日水曜日

平成最後の追悼の日に。

8月15日が近づくとNHKテレビは「つまらんニュース」を流す局とは思えないぐらいNHKスペシャルなど良好な番組を作り流す。
それらは僕の戦争の記憶、戦後の記憶体験と同化してくれる。

姫路大空襲で逃げ回ったこと。とうもろこし畑に身を埋めてB29の機銃攻撃から身を守ったこと。
常に枕元に置いてあった防空頭巾のこと。
空襲で家を焼かれ明石と飾磨の農家の離れに住み、ラジオから流れる玉音放送を大人に交じって聞いたこと。
常に飢えに苦しんでいたこと。

4歳の少年の記憶は時に散漫で、事象と時期がマッチしないが、東京の
世田谷の親戚の家にいた。
「空襲警報!空襲警報!」消防団の人のメガフォンからの声が聞こえる。
「灯火管制!灯火管制!」部屋の電燈を消し一部屋に集まり墨で黒くぬった紙で裸電球を覆い、飛行機の爆音を聞いていた。
やがて「灯火管制解除」の声で灯りが戻り、ほっと一息を付いていた4歳の「坊や」。

一家は東京に移った。三河島の戦災長屋で1年くらいすごした。“お化け煙突”がいつも目の前にあった。
初台に移り住むことが出来た。5歳の少年。毎日が空腹との戦いだった。
メリケン粉をこねた団子を醤油だけの鍋にちぎって入れ食べた。来る日も来る日も。姫路の親戚から揖保の糸という素麺が木箱に入って大量に送られて来た。
廊下の奥に素麺が置かれていた。来る日も来る日も素麺。

廊下の奥に戦争が立っていた。5歳の少年には素麺の木箱が“戦争”だった。
多分買い出しに出かけたのだろうか。母と上野の地下道を歩いた。
地下道には戦災孤児の浮浪児がいた。飢えた眼光が恐くて母親の着物の裾を掴んで行き過ぎた。
浮浪児狩り、狩り込み。そんな言葉を大人たちから聞かされた。

一角に集められ進駐軍か保健所か。頭から足まで噴霧器のようなものでDDTを撒かれた。
白い子供の幽霊の如く。

6歳の頃か。母は着物数着を大きな風呂敷に包み(なぜそれがあったのかはわからない。家は焼かれているはずなのに。親戚宅に預けていたものなのか)
「お米を買ってくる」と朝早く家を出た。
上野から東北本線に乗ったようだ。福島だと言っていた。
農家で着物を買いたたかれ、2升ほどの米と替え、汽車に乗った。
大宮で「臨検」にあった。ヤミ米としてコメは没収された。
夜、家にたどり着いた母は「何もなくなった」と玄関に突っ伏して泣いていた。

没収したコメは警察官が後で皆で食べると大人から聞かされた。
反権力の少年が出来上がる端緒だったような。

小学校の給食。コッペパンに脱脂粉乳。今も牛乳は飲めない。
給食費が払えず給食袋を隠すという愚挙もやった。

遊び場は近くの防空壕跡がある野原だった。何も無かった。

喪失と再起。それを子供心に理解するのは大変だった。
闇市を覗きにいった。人であふれていた。
そしていつの間にか僕は「つまらない大人」になり、後期高齢者になった。


平成最後の全国戦没者追悼式。「反省」を口にされる天皇陛下の心中を慮った。
北の丸公園には蝉が鳴いているだろう。
ふと思う。追悼の対象者は310万人の日本人だ。
しかし亡くなった人命はこの限りでは無いのだ。
日本軍の犠牲になった東南アジアの人も居る。
満州へのロシア侵攻で、落とさざるを得なかった人命がある。

戦争による多数の死者。死者の数だけ、親に捨てられた子供の数だけ”物語“がある。戦災孤児は親が死んだために生まれた悲劇だ。

正午の黙祷。開けた窓からは防災無線がいつもと同じ「郡山市民の歌」を流している。
平和の享受って何だろう。飽食の時代、食品ロスという時代は何なのだろう。
追悼者が希求していた国の姿なのだろうか。

今、毎日の食べ物には困窮していない。しかしあの頃の「飢餓感」は形を変えて僕の中にある。

「私の叔父さんは知覧から特攻で飛び立っていったの。その後の消息はわからないって」。家内がひとりごつ。

お盆の送り火。戦没者への手向けか。

2018年8月12日日曜日

テレビは死んだ。

8月8日、沖縄の翁長知事が亡くなった。9日の新聞のトップはその訃報を伝えるものだった。
9日の朝のテレビ。モーニングショー。朝8時からのそれを垣間見た限りでは約1時間にわたってスタジオで取り上げられ、出演者が口角泡を飛ばさんばかりに言い合っていたのは日本ボクシング連盟の山根会長の“不祥事”の事だった。

相撲協会の不祥事、日大アメフット部の、いや、日大に跋扈するあの“暴力団的”体質。
たしかにワイドショー的には事欠かない話題だと思う。

常に「正論」を吐いているワイドショー。9日のネタは翁長一色であるはずだ。
しかし、東京のテレビは翁長氏のことには全くのように触れない。

「テレビは死んだ」と机を叩いて怒った。

辺野古移設をめぐってかつて菅官房長官と対面した翁長氏は移設を言う菅に対して、こう言っていた。
「私は本土に行くときはパスポートが無ければ行けなかったのですよ。同じ国なのに」。
これに菅がどう反応したのかはテレビはもちろん新聞も伝えてくれてない。
無視したのか、なにかの言葉を口にしたのか。

僕が初めて持ったパオポートも沖縄に佐藤栄作に同行取材をするためだった。
入管のごときものがあり、米兵がチェックし、その脇には免税店のPXがあった。
施政権と言う名の下に“分断されていた”日本。

翁長氏が大きな集会に顔を見せ、「沖縄」について語ったのは病気がかなり進行している姿での6月23日の沖縄戦没者追悼式だった。
 「私たちは、この悲惨な体験から戦争の愚かさ、命の尊さという教訓を学び、平和を希求する「沖縄のこころ」を大事に今日に生きています」と語り始めた。

そして式典では浦添中学3年生の相良倫子という3年生が「生きる」という自作の詩を語った。自分の言葉でまさに戦没者の霊に訴えるように。

「七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜(むこ)の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。
 
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。」

彼女の声に、言葉に、表情に心が震えた。

もしかしたら、彼女の詩は翁長氏に向けての手向けの言葉、誓いになったのかもしれない。今となるとそんな気がする。

安倍は誰かが書いた紙から目をはなさずただ読み上げていた。

今朝、TBSのサンデーモーニングという番組を観た。
沖縄について、翁長氏について語られていた。


翁長氏はイデオロギーでは無いアイデンティティーだと国に対する心中を語っていたという事。
「沖縄のこころ」を訴えて来たという事。

安保条約がある以上、基地の問題からは逃れられない。だとすれば国土の0.6%に70%の基地がある。その現状を打破しなければ。

内閣官房参与の岡本行夫も含めての“静かな環境”の中で静かに、しかし当然すぎる結論だった。

TBSはかつて「オウム真理教事件」の時、坂本弁護士を取材したテープをオウムに見せた局だ。
取材テープは絶対見せないという放送倫理を破って。テープを見せたことが坂本弁護士一家殺害の要因の一つにもなっている。

ニュース23で筑紫哲也は「きょうでTBSは死にました」と言った。
少しだけ“生き返る」ような努力をしているようにも思えた。

テレビよ死なないでくれよ。僕の半生はそこにあったのだから。


2018年8月5日日曜日

「酷暑」というカタストロフ。

地球温暖化であり、気象変動なのだろう。この真夏日とやらは何日続いているのだ。
日本だけじゃない。地球上全てで起きている高温。
山火事を引き起こし、生態系を変え、人間の生存すら脅かしている。

なぜ人類は炎帝さまのお怒りに触れたのだろう。

豪雨災害があった。その地を酷暑が襲う。まさにカタストロフだ。

テレビは連日「熱中症」の話題だ。
「冷房を使って水分を採って」「不要不急の外出は控えて」外出禁止令発令。

東日本大震災、原発事故。あの年は「冷房を控えて」だった。毎日出されていたのは「消費電力量」。あと10%で電気が無くなるという話しばかり。

電力量は増えてのか。供給量は安心なのか。
健康維持のため、熱中症にかからないため、冷房を使うことが推奨される。
たしかに、冷房が無ければ暮らしてはいけない。
「3・11」を身近に経験したものにとっては「電気を使う」ということに、ためらいを覚えることを学んだ。

屋外の駐車場に停めてある車はスターターを使っているのか。エンジンが悲鳴をあげそうに掛っている。
あの時ガソリンは「血の一滴」だったのに。

車の性能が良くなった、省エネ車になったからということか。
でも、エンジンがかかっている車の脇は熱風だ。

冷房を使えと勧めることは電力量は足りているという事の証左だ。
原発はいらないじゃないか。

異常気象は科学文明の進歩とどう折り合いをつけるかという問題を提起してくれているようだ。

「3・11」前の時代は「冷房病」というのが問題視されていた。
事務所の女性はタオルケットを膝に掛けていた。

僕はもともと冷房が苦手な体質。しかし高齢化とともに寒さにも暑さにも対応力が鈍ってくる。
熱中症ももちろん怖いが、冷房による体調の変化も怖い。

酷暑の中高校野球が始まった。選手もスタンドの観戦者も辛い。

この酷暑は今年で終わりではないだろう。来年も再来年も続くのだろうか。

「東京オリンピック」。選手も観客も暑さとの戦い。「いちばん快適な気候の時期」と嘘が言われていた。
アメリカの3大ネットワークテレビ、膨大な放映権料を払うテレビ。
大リーグと重ならないようにと日本で一番時期にスポーツの大会。
ばかげてはいませんか。
マラソンコースでは打ち水作戦だと真顔でいう人がいる。
打ち水が「涼」を感じせたのはもっと気温が低い、30度以下の時の風情だ。

連日、事あるごとにオリンピック、オリンピックと煽り立てるテレビの気が知れない。

夏休み、子供の遊ぶ声が響いていた。その声は聞こえてこない。
日が暮れる頃ようやく涼風が漂ってくる。早く窓を開けたいよ。冷房からは逃れたい。暑さと冷気の中で体調は崩れていくばかりなり。

明日は原爆忌。平和公園の中は暑さにむせ返るだろう。そこでどんな言葉が聞けるのか。

原爆忌 死者の想いは炎帝のごと。

2018年7月26日木曜日

そして「オウム」はアンダーグラウンドの闇に

オウム事件で死刑を宣告されていた被告、過日の麻原以下7人に続いて残る死刑囚6人への刑が執行された。
「オウム」を語れる当事者は皆無になった。
地下鉄サリン事件はまさに地下鉄と言うアンダーグラウンドの中で起きた〝狂気“だった。
その事件の「何故」を知りたかった。
バブルがはじけ、カネに依存し、それまで持って来た「価値観のようなもの」を、生きる目標を失った“優秀な若者”がオウム真理教という“宗教集団”に加入した。彼らはそこに意味を見出したと思ったから。

社会に対して異様なコンプレックスを持ち、おそらく日本と言う国の根幹を揺るがせたいとした麻原彰晃なる人物に「自己」を喪失させ、「自己」を捨てることが自己への救済であると盲信した。

そんな“分析”しかできない。

ある意味「生きる」という事を考え続けた哲学者が「宗教」でしか自己内対話の結論が出せないとした事例と酷似すらしている。

全員の死刑。それはオウムとは何かという問題に対して答えが出せない状況を作ってしまった。

知りたかったことは結局なにも知ることは出来なかった。
「オウム」を知っている世代にとっては、あのカタストロフィーのような事件がなぜ起きたのか。
「オウム」という事件があったという事実だけでなく、なぜ「オウム」が起きたのかを知りたかった。
全てが闇の中に、アンダーグラウンドの中に消えてしまったのだ。

麻原ら7人が処刑された前夜、法相は首相の酒宴に望んでいた。大水害が予想される中、翌日の処刑を知りながら。
たとえ、救いがたい大罪人であっても人が処刑されるのを知りながら酒宴で笑顔を振りまく。その神経が全く理解できない。

25日の夜、彼女が何をしていたのかはしらない。処刑後記者会見に臨んだ彼女の目には「恐怖の光」が宿っていたような気がした。

親鸞の「悪人正機説」を持ち出すのは場違いかもしれないが、
松本サリン事件で捜査当局のリークにより“犯人”おされ、奥さんが犠牲にもなっている河野義行さんが言っている。
「オウム事件の真相そのものが明らかになっていないのに、なぜこんなに急いで執行しなければならなかったのか。国はその経緯を説明すべきだ」と語っている。

「オウム」の被害者は、殺された人たちの家族は、自分達が蒙った被害、悲劇を未消化な、納得できない澱のようなものを抱えているのではあるまいか。

国はその経緯や意図を語るまい。
平成と言う時代に起きた事件を平成のうちに片付けたい。来年は天皇退位、新天皇即位という慶事があるからだけを理由にするのかも。

死刑を執行しないで置けば、マインドコントロールをかけたとされる麻原だけで済ませておけば、あの死刑囚たちも何かを、真相に近づける何かを語ったかもしれない。

1995年は阪神淡路大震災と言うカタストロフがあった年。
2018年の7月は大豪雨災害と酷暑に見舞われた年。
天災が進行中に死刑執行と言う形でカタストロフの再現が図られた年。

朝8時、テレビは一斉に死刑執行を伝えた。朝のうちか昨夜「リーク」がされていたのだろう。3カ所の処刑場からアナウンサーが淡々とレポートしていた。
拘置所内に立ち会いとして検察官が入る車を映しながら。

死刑の同時進行ドキュメントだと思った。

オウムの闇を暴ける人はいないだろう。当事者の上祐以外は。
メディアやジャーナリズムが歴史に残る残虐な事件の真相に迫る術はもうないのかもしれない。

また一つ歴史が消された。そんな思いがする。

「オウム」とは何か、何だったのか。僕一人の思考では行き詰まりしかない。
誰かと語り合いたいとしきりに悩んでいるのだが、話に乗ってくれる仲間はいるようでいない。


「思考停止」の現代の為せる業か。

次なる“オウム”が起きることも有り得る。

2018年の「秋思譜」

時代にそぐわないようですが、なぜか「西暦」が苦手なんです。 気が付けば21世紀も18年が経ったという事。 20世紀と21世紀では何が変わったのかということ。 1999年12月31日から2000年1月1日。日付を跨いだが月日はなんだらだらと過ぎているような気がする。つまりだ...