2018年8月15日水曜日

平成最後の追悼の日に。

8月15日が近づくとNHKテレビは「つまらんニュース」を流す局とは思えないぐらいNHKスペシャルなど良好な番組を作り流す。
それらは僕の戦争の記憶、戦後の記憶体験と同化してくれる。

姫路大空襲で逃げ回ったこと。とうもろこし畑に身を埋めてB29の機銃攻撃から身を守ったこと。
常に枕元に置いてあった防空頭巾のこと。
空襲で家を焼かれ明石と飾磨の農家の離れに住み、ラジオから流れる玉音放送を大人に交じって聞いたこと。
常に飢えに苦しんでいたこと。

4歳の少年の記憶は時に散漫で、事象と時期がマッチしないが、東京の
世田谷の親戚の家にいた。
「空襲警報!空襲警報!」消防団の人のメガフォンからの声が聞こえる。
「灯火管制!灯火管制!」部屋の電燈を消し一部屋に集まり墨で黒くぬった紙で裸電球を覆い、飛行機の爆音を聞いていた。
やがて「灯火管制解除」の声で灯りが戻り、ほっと一息を付いていた4歳の「坊や」。

一家は東京に移った。三河島の戦災長屋で1年くらいすごした。“お化け煙突”がいつも目の前にあった。
初台に移り住むことが出来た。5歳の少年。毎日が空腹との戦いだった。
メリケン粉をこねた団子を醤油だけの鍋にちぎって入れ食べた。来る日も来る日も。姫路の親戚から揖保の糸という素麺が木箱に入って大量に送られて来た。
廊下の奥に素麺が置かれていた。来る日も来る日も素麺。

廊下の奥に戦争が立っていた。5歳の少年には素麺の木箱が“戦争”だった。
多分買い出しに出かけたのだろうか。母と上野の地下道を歩いた。
地下道には戦災孤児の浮浪児がいた。飢えた眼光が恐くて母親の着物の裾を掴んで行き過ぎた。
浮浪児狩り、狩り込み。そんな言葉を大人たちから聞かされた。

一角に集められ進駐軍か保健所か。頭から足まで噴霧器のようなものでDDTを撒かれた。
白い子供の幽霊の如く。

6歳の頃か。母は着物数着を大きな風呂敷に包み(なぜそれがあったのかはわからない。家は焼かれているはずなのに。親戚宅に預けていたものなのか)
「お米を買ってくる」と朝早く家を出た。
上野から東北本線に乗ったようだ。福島だと言っていた。
農家で着物を買いたたかれ、2升ほどの米と替え、汽車に乗った。
大宮で「臨検」にあった。ヤミ米としてコメは没収された。
夜、家にたどり着いた母は「何もなくなった」と玄関に突っ伏して泣いていた。

没収したコメは警察官が後で皆で食べると大人から聞かされた。
反権力の少年が出来上がる端緒だったような。

小学校の給食。コッペパンに脱脂粉乳。今も牛乳は飲めない。
給食費が払えず給食袋を隠すという愚挙もやった。

遊び場は近くの防空壕跡がある野原だった。何も無かった。

喪失と再起。それを子供心に理解するのは大変だった。
闇市を覗きにいった。人であふれていた。
そしていつの間にか僕は「つまらない大人」になり、後期高齢者になった。


平成最後の全国戦没者追悼式。「反省」を口にされる天皇陛下の心中を慮った。
北の丸公園には蝉が鳴いているだろう。
ふと思う。追悼の対象者は310万人の日本人だ。
しかし亡くなった人命はこの限りでは無いのだ。
日本軍の犠牲になった東南アジアの人も居る。
満州へのロシア侵攻で、落とさざるを得なかった人命がある。

戦争による多数の死者。死者の数だけ、親に捨てられた子供の数だけ”物語“がある。戦災孤児は親が死んだために生まれた悲劇だ。

正午の黙祷。開けた窓からは防災無線がいつもと同じ「郡山市民の歌」を流している。
平和の享受って何だろう。飽食の時代、食品ロスという時代は何なのだろう。
追悼者が希求していた国の姿なのだろうか。

今、毎日の食べ物には困窮していない。しかしあの頃の「飢餓感」は形を変えて僕の中にある。

「私の叔父さんは知覧から特攻で飛び立っていったの。その後の消息はわからないって」。家内がひとりごつ。

お盆の送り火。戦没者への手向けか。

2018年8月12日日曜日

テレビは死んだ。

8月8日、沖縄の翁長知事が亡くなった。9日の新聞のトップはその訃報を伝えるものだった。
9日の朝のテレビ。モーニングショー。朝8時からのそれを垣間見た限りでは約1時間にわたってスタジオで取り上げられ、出演者が口角泡を飛ばさんばかりに言い合っていたのは日本ボクシング連盟の山根会長の“不祥事”の事だった。

相撲協会の不祥事、日大アメフット部の、いや、日大に跋扈するあの“暴力団的”体質。
たしかにワイドショー的には事欠かない話題だと思う。

常に「正論」を吐いているワイドショー。9日のネタは翁長一色であるはずだ。
しかし、東京のテレビは翁長氏のことには全くのように触れない。

「テレビは死んだ」と机を叩いて怒った。

辺野古移設をめぐってかつて菅官房長官と対面した翁長氏は移設を言う菅に対して、こう言っていた。
「私は本土に行くときはパスポートが無ければ行けなかったのですよ。同じ国なのに」。
これに菅がどう反応したのかはテレビはもちろん新聞も伝えてくれてない。
無視したのか、なにかの言葉を口にしたのか。

僕が初めて持ったパオポートも沖縄に佐藤栄作に同行取材をするためだった。
入管のごときものがあり、米兵がチェックし、その脇には免税店のPXがあった。
施政権と言う名の下に“分断されていた”日本。

翁長氏が大きな集会に顔を見せ、「沖縄」について語ったのは病気がかなり進行している姿での6月23日の沖縄戦没者追悼式だった。
 「私たちは、この悲惨な体験から戦争の愚かさ、命の尊さという教訓を学び、平和を希求する「沖縄のこころ」を大事に今日に生きています」と語り始めた。

そして式典では浦添中学3年生の相良倫子という3年生が「生きる」という自作の詩を語った。自分の言葉でまさに戦没者の霊に訴えるように。

「七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜(むこ)の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。
 
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。」

彼女の声に、言葉に、表情に心が震えた。

もしかしたら、彼女の詩は翁長氏に向けての手向けの言葉、誓いになったのかもしれない。今となるとそんな気がする。

安倍は誰かが書いた紙から目をはなさずただ読み上げていた。

今朝、TBSのサンデーモーニングという番組を観た。
沖縄について、翁長氏について語られていた。


翁長氏はイデオロギーでは無いアイデンティティーだと国に対する心中を語っていたという事。
「沖縄のこころ」を訴えて来たという事。

安保条約がある以上、基地の問題からは逃れられない。だとすれば国土の0.6%に70%の基地がある。その現状を打破しなければ。

内閣官房参与の岡本行夫も含めての“静かな環境”の中で静かに、しかし当然すぎる結論だった。

TBSはかつて「オウム真理教事件」の時、坂本弁護士を取材したテープをオウムに見せた局だ。
取材テープは絶対見せないという放送倫理を破って。テープを見せたことが坂本弁護士一家殺害の要因の一つにもなっている。

ニュース23で筑紫哲也は「きょうでTBSは死にました」と言った。
少しだけ“生き返る」ような努力をしているようにも思えた。

テレビよ死なないでくれよ。僕の半生はそこにあったのだから。


2018年8月5日日曜日

「酷暑」というカタストロフ。

地球温暖化であり、気象変動なのだろう。この真夏日とやらは何日続いているのだ。
日本だけじゃない。地球上全てで起きている高温。
山火事を引き起こし、生態系を変え、人間の生存すら脅かしている。

なぜ人類は炎帝さまのお怒りに触れたのだろう。

豪雨災害があった。その地を酷暑が襲う。まさにカタストロフだ。

テレビは連日「熱中症」の話題だ。
「冷房を使って水分を採って」「不要不急の外出は控えて」外出禁止令発令。

東日本大震災、原発事故。あの年は「冷房を控えて」だった。毎日出されていたのは「消費電力量」。あと10%で電気が無くなるという話しばかり。

電力量は増えてのか。供給量は安心なのか。
健康維持のため、熱中症にかからないため、冷房を使うことが推奨される。
たしかに、冷房が無ければ暮らしてはいけない。
「3・11」を身近に経験したものにとっては「電気を使う」ということに、ためらいを覚えることを学んだ。

屋外の駐車場に停めてある車はスターターを使っているのか。エンジンが悲鳴をあげそうに掛っている。
あの時ガソリンは「血の一滴」だったのに。

車の性能が良くなった、省エネ車になったからということか。
でも、エンジンがかかっている車の脇は熱風だ。

冷房を使えと勧めることは電力量は足りているという事の証左だ。
原発はいらないじゃないか。

異常気象は科学文明の進歩とどう折り合いをつけるかという問題を提起してくれているようだ。

「3・11」前の時代は「冷房病」というのが問題視されていた。
事務所の女性はタオルケットを膝に掛けていた。

僕はもともと冷房が苦手な体質。しかし高齢化とともに寒さにも暑さにも対応力が鈍ってくる。
熱中症ももちろん怖いが、冷房による体調の変化も怖い。

酷暑の中高校野球が始まった。選手もスタンドの観戦者も辛い。

この酷暑は今年で終わりではないだろう。来年も再来年も続くのだろうか。

「東京オリンピック」。選手も観客も暑さとの戦い。「いちばん快適な気候の時期」と嘘が言われていた。
アメリカの3大ネットワークテレビ、膨大な放映権料を払うテレビ。
大リーグと重ならないようにと日本で一番時期にスポーツの大会。
ばかげてはいませんか。
マラソンコースでは打ち水作戦だと真顔でいう人がいる。
打ち水が「涼」を感じせたのはもっと気温が低い、30度以下の時の風情だ。

連日、事あるごとにオリンピック、オリンピックと煽り立てるテレビの気が知れない。

夏休み、子供の遊ぶ声が響いていた。その声は聞こえてこない。
日が暮れる頃ようやく涼風が漂ってくる。早く窓を開けたいよ。冷房からは逃れたい。暑さと冷気の中で体調は崩れていくばかりなり。

明日は原爆忌。平和公園の中は暑さにむせ返るだろう。そこでどんな言葉が聞けるのか。

原爆忌 死者の想いは炎帝のごと。

2018年7月26日木曜日

そして「オウム」はアンダーグラウンドの闇に

オウム事件で死刑を宣告されていた被告、過日の麻原以下7人に続いて残る死刑囚6人への刑が執行された。
「オウム」を語れる当事者は皆無になった。
地下鉄サリン事件はまさに地下鉄と言うアンダーグラウンドの中で起きた〝狂気“だった。
その事件の「何故」を知りたかった。
バブルがはじけ、カネに依存し、それまで持って来た「価値観のようなもの」を、生きる目標を失った“優秀な若者”がオウム真理教という“宗教集団”に加入した。彼らはそこに意味を見出したと思ったから。

社会に対して異様なコンプレックスを持ち、おそらく日本と言う国の根幹を揺るがせたいとした麻原彰晃なる人物に「自己」を喪失させ、「自己」を捨てることが自己への救済であると盲信した。

そんな“分析”しかできない。

ある意味「生きる」という事を考え続けた哲学者が「宗教」でしか自己内対話の結論が出せないとした事例と酷似すらしている。

全員の死刑。それはオウムとは何かという問題に対して答えが出せない状況を作ってしまった。

知りたかったことは結局なにも知ることは出来なかった。
「オウム」を知っている世代にとっては、あのカタストロフィーのような事件がなぜ起きたのか。
「オウム」という事件があったという事実だけでなく、なぜ「オウム」が起きたのかを知りたかった。
全てが闇の中に、アンダーグラウンドの中に消えてしまったのだ。

麻原ら7人が処刑された前夜、法相は首相の酒宴に望んでいた。大水害が予想される中、翌日の処刑を知りながら。
たとえ、救いがたい大罪人であっても人が処刑されるのを知りながら酒宴で笑顔を振りまく。その神経が全く理解できない。

25日の夜、彼女が何をしていたのかはしらない。処刑後記者会見に臨んだ彼女の目には「恐怖の光」が宿っていたような気がした。

親鸞の「悪人正機説」を持ち出すのは場違いかもしれないが、
松本サリン事件で捜査当局のリークにより“犯人”おされ、奥さんが犠牲にもなっている河野義行さんが言っている。
「オウム事件の真相そのものが明らかになっていないのに、なぜこんなに急いで執行しなければならなかったのか。国はその経緯を説明すべきだ」と語っている。

「オウム」の被害者は、殺された人たちの家族は、自分達が蒙った被害、悲劇を未消化な、納得できない澱のようなものを抱えているのではあるまいか。

国はその経緯や意図を語るまい。
平成と言う時代に起きた事件を平成のうちに片付けたい。来年は天皇退位、新天皇即位という慶事があるからだけを理由にするのかも。

死刑を執行しないで置けば、マインドコントロールをかけたとされる麻原だけで済ませておけば、あの死刑囚たちも何かを、真相に近づける何かを語ったかもしれない。

1995年は阪神淡路大震災と言うカタストロフがあった年。
2018年の7月は大豪雨災害と酷暑に見舞われた年。
天災が進行中に死刑執行と言う形でカタストロフの再現が図られた年。

朝8時、テレビは一斉に死刑執行を伝えた。朝のうちか昨夜「リーク」がされていたのだろう。3カ所の処刑場からアナウンサーが淡々とレポートしていた。
拘置所内に立ち会いとして検察官が入る車を映しながら。

死刑の同時進行ドキュメントだと思った。

オウムの闇を暴ける人はいないだろう。当事者の上祐以外は。
メディアやジャーナリズムが歴史に残る残虐な事件の真相に迫る術はもうないのかもしれない。

また一つ歴史が消された。そんな思いがする。

「オウム」とは何か、何だったのか。僕一人の思考では行き詰まりしかない。
誰かと語り合いたいとしきりに悩んでいるのだが、話に乗ってくれる仲間はいるようでいない。


「思考停止」の現代の為せる業か。

次なる“オウム”が起きることも有り得る。

2018年7月23日月曜日

サイコパスとしての安倍政権、盲従する輩

サイコパスと言う心理学用語がある。
「良心が異常に欠如している」「他者に冷淡で共感しない」「慢性的に平然と嘘をつく」「行動に対する責任が全く取れない」「罪悪感が皆無」「自尊心が過大で自己中心的」「口が達者で表面は魅力的」。
そんな性格や気質を持っている人を“サイコパス”という。
 「彼らは社会的な地位が高い傾向があり、表面的には好印象であるとも言われています」と学者は指摘する。

安倍晋三はまさにこれに匹敵する。我々はサイコパスの宰相を有しているのだ。
サイコパスとは精神病質者を指す。

通常国会が終わった。
この国会ほど議会制度を全くのように無視し、形骸化させ、立法府の存在を無意味なものとしてしまった「暴力的」なものであったことは、かつて見たことが無い。

日本の議会制民主主義は死んだ。

独裁者はそれを喜ぶ。
この国は議会制民主主義の国だ。そんな「おためごかし」の教育は止めた方がいい。明らかに安倍は「三権の長」として君臨する。

それを認めたのは「政治」を全く理解していない自公の議員だ。
強い者に傾斜することが日常にある不安感を開放してくれると錯覚している国民だ。

思考停止に陥ってしまった国民だ。

安倍政治には政治としての思想も哲学もない。
政治家に求められる「道義」を持たない。政治家に求められる「想像力」もない。

「カジノ法」はトランプの意に従っただけの「亡国法」だ。
トランプの外交に右往左往する。

積極的平和外交とは何を意味しているのか。

彼が就任時に放った言葉「美しい国」。
外形の、景観の美しい国は自然の猛威の前になすすべも無く崩れた。
それをよそに「酒宴」で笑顔を振りまいていた。笑顔はどうみても美しくなかった。

この国を博打大国にするのか。すでに「公営ギャンブル」は競輪、競馬、競艇と存在している。

パチンコ大国だ。パチンコ屋を経営しているのは北朝鮮、韓国の人間だ。
北朝鮮の大型チェーン店は、少し前まで定期船で莫大な利益を送金していた。。
その利益は「依存症」にかかった日本人が時には「サラ金」で“資金”を借り、返済不能になるまで吸い尽くされた哀れな”性“の犠牲の上に成り立っている。「カジノ」はそういう日本人を増やす。確実に。

博打で儲かるのは常に胴元だ。
その胴元には必ず暴力団が入り込む。

カタカナ語に劣等感を持つ日本人は「インバウンド」という言葉に惑わされる。
一時期、消費者物価指数を押し上げたのは中国人の爆買いという現象だ。

IR,それは地獄の一丁目かもしれない。
日本人の約7割が反対しているというのに。

酷暑の中「西日本豪雨」の被災者は疲れ、弱り果てている。
その救済策や国土改造にすぐに手を染めるのが政治だ。
砂防ダムも決壊し、砂防ダムを保存するために人の命や家屋が破壊されることを承知で「放水」する。

笑い話ではないが、自民党本部は安倍が政治家になるずっと以前は平河町の「砂防会館」と言う中にあった。皮肉と言う言葉では片付けたくない。

「モリカケ」は何ら結論を見ることなくうやむやのままにされてしまった。
参議院の議員定数はほとんど議論されることも無く審議と言う作業も無くお手盛りで自民に有利に改正されてしまった。
この国は今や人口減と言う大問題に直面している。人口が減るのに参議院議員が増える。ばかばかしい想像力の欠如だ。

有権者の三割。岩盤の様な安倍信奉者がいる。美しい国という幻の国の住人。

政治を見る限りこの国は「滅びの道」をたどっている。
「美しい」と言う言葉、姿が垣間見えるのは豪雨の被災地に赴いている「ボランティア」が流す汗だ。
彼らに、被災者に、いささかの「涼風」が吹かんことを。

エアコンの程よく効いた部屋でこれを書いている身に恥じらい感を覚えつつ。

2018年7月10日火曜日

「オウム」という暴力装置、そして、天災。

2018年7月6日、僕は朝の食事の後新聞を読んでいた。
テレビのニュース速報がオウムの浅原彰晃の死刑執行を伝え、その後、次々と死刑囚の刑執行を伝え始めた。
やがてNHKは執行に立ち会うため拘置所に入る検察官の姿を流している。
いわば同時進行のものなのだ。
執行は事前に当局からメディアに“リーク”されていたと気付く。

これまで死刑の執行は事後に法務省から発表されていた。発表では事件にもよるが“正式”に執行された死刑囚の名前は発表されなかった。
オフレコという名目でその名前が伝えられていた。

死刑とはある意味“国家による合法的殺人行為”だ。一日に7名。幸徳秋水らの大逆事件以来の出来事だ。

なぜ、この時期に一斉に。
そのことを考え続けた。それに意味づける論理は見つからない。
「元号が変わるまでに」という理由がまことしやかに言われているがそれだけなのか。
再審請求をしていた被告もいる。死刑であの事件は「過去の出来事」となり、解明されないことが残る。
オウムは常に「闇」だ。

テレビは朝から、昨夜来の記録的豪雨の被害を伝え続けていた。その中での速報。
二つの大ニュースにテレビも新聞も、そのニュースバリューをどう置くか苦吟したであろう。
死刑執行と言うことで一つの時代を終わらせたかったのか。

オウムに関するニュースはひとまず“話題”から消えた。豪雨は続いている。
死者の数も類例を見ない大災害は続いている・・・。

死刑執行には法相が判を押す。執行3日ほど前に。
以前、何人かの法相経験者に話をきいたことがある。

執行されると想像される時間、大臣室で、手を合せたと言う人もいた。
自分の判で死刑囚と雖も人の命が奪われることに悩んだ政治家もいた。

執行の前夜、翌日の執行を知っている上川陽子や安倍たちは「自民赤坂会」なる宴会を催していた。写真も撮っている。法相はピースのポーズすらとっている。
舞った解せない振る舞い。

集中豪雨の情報が続々と入っている中、首相や国会議員が宴会をやっている場合じゃ無い。いや異常なのだ。
政治家に総理大臣に必須の要素は「想像力」だ。明日への想像力だ。未来への想像力だ。
大水害の予想、それがこの国に及ぼすであろう被害への想像力。それを持ち合わせていれば宴会が出来るわけが無い。
すべがそのしのぎの場当たり的政治。そういう政治家の群。

これが今この国の姿だということを肝に銘じよう。

自民が言う「緊急事態宣言」にあたる大災害だ。
国の対応はあまりにもお粗末だ。

オウムのサリン事件があったのは1995年3月20日。その年の1月17日には阪神淡路大震災が起きている。

天災と人災の違いはあるが「暴力装置」が働いたのだ。
自我を捨てて、自我を喪失しオウムに走った若者たち。

この二つの出来事の前と後では日本人の意識の在り方が大きく変わってしまった。バブルが盛大にはじけ、行け行けどんどんの時代はほころびをみせていた。
冷戦構造が終了した。
日本という国家の在り方の根源が厳しく問われる時代にやってきた大事件だった。

2011年3月11日には東日本大震災が発生した。
原子力発電とい暴力装置が牙を剥いた。
天災と人災。
130人を超す大雨の犠牲者。濁流にのまれた街、人々の暮らし。

政治は無力なのだろう。国民の生命と財産を守ると言うその至上なる使命が機能してない。

濁流と闘い、取り戻せない日常を手にしたいとする被災者。政治に苦言をたれながらも日常の連続の中にいる我々。

彼我の差に何を語るべきなのか。
命を失った人に何を語るべきなのか。
無力だ。あくまでも無力だ。

オウムというカルト教団が、宗教団体が我々に突き付けた物は大きかった。
宗教とは何か。
オウム事件が我々に突き付けた物は、考えねばならないことは大きかった。
人類の歴史に中でも「宗教戦争」は存在した。
殉教や殺戮が繰り返されてきた。

「宗教」という根源的な物、それがもたらしたことに我々の思索はほとんど及んでいなかった。
オウムは単なる異様な殺人事件として扱われてきた。
物質的には豊かになって行く社会にあって、オウムはまさしく異様な存在であった。
その異様な社会に人はいとも簡単にのめり込んでいく。
それが「オウム」に対する一つの見方、判断だ。

裁判と言う司法の世界では「宗教」は正当な判断を下す材料では無かった。

記録的豪雨災害。甚大な被害。この後に何らかの爆破装置が起動しないことを祈る。       

2018年6月30日土曜日

「西野サッカー」に思ったこと。

サッカーに関しては全くのど素人である。
しかしサッカーのフアンでもある。大好きでもある。

素人が安易に容喙すべきではないと思うが、ポーランド戦から2日が経っているにも関わらずテレビのワイドショーはサッカーの話題で沸いている。
新聞とても余韻を書いている。

「本戦」に行けるかどうかがかかっていた過日のポーランド戦。
後半のコロンビアとセネガル戦の途中経過が伝わると、本戦出場の一縷の望みをかけて日本は“戦う”ことをやめた。
試合終了までの時間を“球まわし”に費やしていた。時間切れを狙っていた。

試合には負けたが本戦へ進む権利は獲得した。

球回しの間中スタジアムにはブーイングが巻き起こっていた。

球回しが行われている時、脳裏に国会の姿がかすめた。
野党の持ち時間を計算し、野党から追及されることを嫌う安倍。
持ち時間いっぱい、的外れな口説を弄していた安倍。
そんな姿が浮かんだのだ。

サポーターあっての日本代表だとかねがね監督含め選手は言う。
あの時、サポーターの存在が彼らの頭の中にあったのだろうか。
サポーターの中には”劇的逆転“を願っていた人もいた。
試合が終わってのサポーターの反応には“歓喜”は少なかった。

サッカー選手は子供たちの憧れの的だ。
子供たちには彼らは言う。
「練習を重ね、常に諦めることなく前をむいて全力を尽くせ」と。
子供たちがどう思うかという発想はあの時は無かったのだろう。

とにかく勝ちあがって本戦に出る。

その「至上命題」を果たすことに関係者は腐心していたのだろう。

終わりよければ全てよし。

素人の僕には、最後の最後まで死にもの狂いで相手ゴールに迫る選手の姿が見たかった。
結果、それが敗退につながったとしてもだ。
その敗者を誰も責めないだろう。

グッドルーザーたれと思うのでは。悔しいけれども。

学校ではVTRに編集して”球回し“の場面は子供たちに見せなかったという。
それでも本戦に進めたことに子どもたちは無言だったと新聞に小さくあった。

目先の勝負に拘るのか。将来のサッカー選手になるであろう子どもたちに大人の背中を見せるのか。
多くのサッカーフアンにとって僕は「異論」を述べている輩に過ぎないかもしれない。
素人が何をほざくかと非難されるかもしれない。

「勝つ」ということは何なのだろう。そんな思索の材料を提供してもらったような気がして。

平成最後の追悼の日に。

8月15日が近づくとNHKテレビは「つまらんニュース」を流す局とは思えないぐらいNHKスペシャルなど良好な番組を作り流す。 それらは僕の戦争の記憶、戦後の記憶体験と同化してくれる。 姫路大空襲で逃げ回ったこと。とうもろこし畑に身を埋めてB29の機銃攻撃から身を守ったこと。 ...