新しい年となった。雪の中だ。
良寛の詩作を引く。「草庵雪夜作」の題名。
回首七十有餘年 首(こうべ)を回(めぐ)らせば七十有餘年
人間是非飽看破 人間の是非看破(かんぱ)に飽きたり
往来跡幽深夜雪 往来跡はかすかなり深夜の雪
一柱線香古窓下 一柱の線香古窓の下
振り返ってみれば,七十年あまり、
人間のいい悪いを判断するのも飽きた。
人の往来も幽かな外では深夜の雪が音もなくふっている。
ひとくゆりの線香をつけ、1人座っている古い庵の中。
首を巡らせば我が人生八十有余年・・・。
この年への良寛の看破は無い。
自ら顧みるのみか。
看破すべきことが多すぎる。
日本はつくづく変わらない国である。
与党が今回の10万円給付を決めた本音は、先の衆院選で応援してもらった支援者へのお礼、そして来夏の参院選に向けた対策なのである。だから、所得基準が高いのだ。
子どもへの応援と言っているが、タダのランチなどない。選挙権のない子どもたちに、一方的に請求書(将来における借金の返済)を送りつけるようなものだ。
「意義たない」政治のやり方。
コロナ禍の中で、また年を越すことになった。
「コロナ」とは一体なにものなのだ。
コロナを巡る疑問は絶えない。
コロナを取り巻く人間の知性、智識、感性もさまざま。
なぜコロナのウイルスは変異するのか。
ウイルスは、彼らの世界に住んでいた。しかし、人間は「経済成長・開発」それが人間社会の優位性を誇る証左として、「自然界」をも左右出来るものと驕り高ぶった。ウイルスは行き場を失った。
気候変動がいわれている。年をまたいだこの大雪も異常気象なのだろう。
政治の気候変動への対処は余りにも“お粗末”だ。官僚、大企業幹部の意識の低さが輪をかけている。10月の総選挙でも経済成長は大きな争点となったが、自民党は気候変動問題について語ることはほとんど無かった。
「政府は環境問題を理解していない」のだ。SDGSというまやかしの言葉で糊塗している。
環境相だった人のポエム発言からはなんら熱意や解決策は見つからない
今年も強力な台風や洪水など自然災害に悩まされるは必定なり。
昔、「素敵な宇宙船地球号」というテレビ番組があった。
“一乗組員に過ぎない私たちは、これまで他の仲間たちをないがしろにし、自分たちの幸福だけを 追求しすぎたようです。
その結果が現在の地球環境です。未来の“宇宙船地球号”乗組員のために、今私たちができることは?その答えを探り、喜びと感動を分かち合いたい…
それが『素敵な宇宙船地球号』という番組のメッセージです“
自画自賛だったのだろうか。番組はすでに終了している。
コロナは今やオミクロンとう株に変異し、日々感染者の数が増えているようだ。
地球は「ウイルス」が住みやすいところになったのかもしれない。
コロナ禍に翻弄され、非日常が日常になるなか、その時どきに考えたことや抱いた思いが、一人ひとりの中からこぼれ落ちていっている。
作家の綿矢りささんがこの秋に刊行した日記「あのころなにしてた?」でこんなことを書いている。
「“自粛の強化が必要”と“気にしすぎても経済が回らない”が交互にくり返され、洗濯機のなかで洗浄モードと脱水モードが延々くり返されるなかで、ちょっとずつ生地のすり減っていく洗濯物みたいな気持ちになった」。
経済活動の収縮で真っ先にしわ寄せを受ける社会的弱者の悲鳴。ロックダウン、アラート、野戦病院といった勇ましい言葉の氾濫。患者の連日の増加、医療逼迫の下で強行された東京五輪。パラレルワールドだったのだ。
うやむやにされようとしている政治の迷走や、非常時が浮き彫りにした社会のひずみ、不条理。
立ち止まる。去年今年のあれこれを拾い集め、考える。
“看破の作業”とするか。年のはじめの。