2017年12月28日木曜日

冬の日

今年の冬は「死」を伴ってやって来た。
郡山の親友が亡くなった。74歳。
彼の闘病、そして死。
あまりにも想うことが多く、ブログに手を出せなかった。

毎日のように、彼のことを考えている。

人は二度死ぬと言う。一度目は命の火が消えた時、二度目はその死者の事が人の記憶から消え去った時。

乞われて彼の追悼文を書いた。多くの時間を必要とした。
その文章の中に、決して君を忘れないと書いた・・・。

僕が大好きな詩を彼に送る。彼はこのブログの読者でもあったから。


ああ智慧(ちゑ)は かかる静かな冬の日に
それはふと思ひがけない時に来る
人影の絶えた境に
山林に
たとへばかかる精舎の庭に
前触れもなくそれが汝の前に来て
かかる時 ささやく言葉に信をおけ
「静かな眼 平和な心 その外に何の宝が世にあらう」

三好達治の冬の日と題した詩の一節だ。

きょうの郡山は風が強い。風に悩まされながら、彼には「風と共に去りぬ」という映画の題名が似合いそうだ。

一人の男が死んだ。世の中の動きは全く変わらない。
歳末という事で気ぜわしく、慌ただしい光景。
この季節が嫌いだ。厭だ。

劣化した政治は劣化したまま年を越す。
政治が何をもたらしたのか。

少なくとも生活保護者にとっては「暖かい冬」は望めそうもない。

なにやら、この国は「富者」のためだけに存在しているようだ。
愚かな為政者は周りを一層「お茶坊主」で固めている。
自ら“裸の王様”への道をひた走っているような。

戦争の足音が近づいているような思いがある。巨額の財政赤字を抱えた国が、企業ならとっくに“破産”しているかもしれない国がトランプに脅されて、巨費を投じて兵器を買う。
昔からそうであったように、日本はアメリカの兵器産業を儲けさせている。

核の抑止力という神話はもう崩れている。通用しない安全保障の根幹となる理念にいまだにしがみついている。

国の予算は再来年には100兆円を超えるかもしれない。
悪知恵の働く奴らが国民の税金をむさぼろうとむらがる。

沖縄の基地問題は、原発が抱える諸問題は、高騰する野菜や魚の価格は・・・。

群雄割拠の戦国時代では無い。首相一強の時代。乱世なのだ。

正月飾りに南天を買った。270円。

「一度だけ本当の恋がありまして南天だけが知っております」。

山崎方代の句だ。

三好達治の詩に救いを求め、方代の句にやすらぎを求める。

友の死が連れてきた錯綜する感情のもろもろ。

どこかで切り替えてしかと書き続けねばと。

2017年12月5日火曜日

虚しさ一路の旅なれど

ある日からなぜか突然、書くことが、思っていることを字で表すことが出来なくなった。
世の中の毎日のいろいろなことに考えは及ぶのだが、その考えるという作業が嫌になっていた。
体力よりも気力の問題だと思う。体力の減退が気力の減退を招く。
エネルギーがないのだ。

おおよその事がバカバカしくなってきたからかもしれない。

北朝鮮からのミサイルが世上を騒がす。かたや漁船が日本海で遭難や徘徊を続けている。
北朝鮮とトランプは悪口雑言の応酬にあけくれている。

トランプに“同化”している安倍。
トランプの「ロシアゲート問題」、安倍の「森友・加計問題」。
疑惑を抱えていると言う点でも彼らは似通っているようだ。
それらを闇というなら、闇が生まれるべき「闇」が底辺にあるはずだ。
それが問題の不可解さに通じている。

拉致問題は“具”にされている。横田早紀江さんが安倍に宛てて手紙を書いた。
安倍は返事も出さない。

政治と言う権力が“不祥事”をもみ消している。

テレビはワイドショーを筆頭に大相撲の不祥事で連日大騒ぎだ。くだらない。
ワイドショーのレポーターなる奴らが車に向かって大声でなにやらわめいているのを見ると吐き気がする。
なぜあんな追っかけごっこみたいな。
アナウンサーやレポーターなるものの絶叫に近い声に辟易する。

あらためてテレビは“劣化”していると感じる。
CMに思う。なぜあんなに”新商品“を買え買えと迫るのか。

企業の不祥事が多発している。連日、頭を下げる企業のトップ。悲しい。
その企業に就職しようと努力してきた若者がいたというのに。

国は「原発再稼働」に向けてあの手この手の方策を繰り出す。
核のゴミは溜り続ける。
1Fの収束作業には終わりが見えない。

原子力政策が抱えていた矛盾があらたな矛盾を生んでいる。

流行語大賞なるものにあいかわらず「みじめな言葉」が選ばれる。
この国の流行とはあんな程度の無意味なものだったのか。
忖度の本来の意味を取り違えている。
インスタ映えなる言葉は多くの人が知らないと言っている。

電話機能のついたカメラが大手をふってまかり通っている。
そんなに日本人は写真好きだったのだろうか。
解せない光景だ。

地震が多発している。海水温の上昇で魚の生態系がかわっている。
火山の爆発も頻繁だ。
自然災害への関心はどうやら薄い人達。

「文明の利器」なるものから離れて本に逃避したい。
しかし、もう眼がかなりしんどくなってきた。

本と言えば、なぜか子供の頃に読んだ本が思い出されてくる。。
中学生の時貸本屋から借りて読んだ山本有三の「路傍の石」や「真実一路」。

「真実一路の旅なれど真実鈴振り思い出す」。白秋だったか・・・。

武者小路実篤の「新しき村」。“師”を求めたいと思ったころ。

“原点”に立ち返るためにも、あの頃の”映像“を”時代“を振り返るためにももう一度読み返してみたい本。

多分、それらは今の時代を読み解くための参考書となるのかもしれないと。
しかし、それがうまく探せない。

来年は明治維新から150年。再来年には改元。
時代と言うものを考える。

真実とは何だろうか。永遠の課題のようだ。
「真実諦めただ一人、真実一路の旅を行く。真実一路の旅なれど真実鈴振り思い出す」。

鈴を振ったら騎士団長が出てくるのだろう。“真実なんてありない”と言われるのかも。

しばらく休んでいたので「存在証明」として。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...