2011年7月31日日曜日

「村人」たちはお金持ち

デジタル村なんて変な「村」を勝手に作って書いてしまったけど・・・。ついでにもう一発。僻み、嫌味の一言を。

原子力村の方々はどうもお金持ち。電力会社の方々は高給をはんでいる。その給料の一部が「政治献金」に化け、自民党に流れている。欲張りというか欲の塊というか。退職金や企業年金も手放さない。

電力は人間の欲望の象徴。電気を作っている人たちもどうも欲が強く。
村の周辺住民である学者さんたちは、事故後こぞって本を書く。テレビに出る。
危険、危険を手のひら返しのように言う。印税で儲かる。金持ちになるはず。

多くの難民を出し、明日の生活もままならないような人たちを大勢作って、貧乏な人たちをつくって、自分たちは金を持っている。

東電OL殺人事件。彼女は社内でエリートだった。高給をもらっていた。それなのになぜ体を売っていたのか。「村」の闇に心は病んで行ったのか。

地デジ村の住民もおしなべてお金持ち。
すべてのテレビ局の幹部の方がそうではないようですが。

カネがあればなんでも出来るみたいなことをほざいたホリエモンと株の取り合いをして勝ったテレビ局。その会長さん、どうも年俸は1億7千万円とか、社長さんも1億4千万円とか。韓流ブームなんたらでタレント切った切らないはともかく、震災後の番組は見るに値わず。
しかもこの会社の株式。電波法の上限20%を越えた外国人株主。

作り出す番組、商品はお粗末な限り。こころの汚染をまき散らすようなものばかり。

デジタル村は「地デジ難民」なる人たちを作り出す。アンテナ建てられない、チューナーすら買えない人もいるし。

「村」は金持ち多く、“欠陥商品”作り、社会への影響大きく、難民を生み出す。
なんとなく共通点があるような、無いような。

「格差社会」なんて言い古された陳腐な言葉は使いたくないけど、なんか納得いかない村社会。

原子力村や地デジ村には大きく官僚が関与している。多くの官僚の実態。民主政権の欺瞞。天下り。天下り。下る、下る。退職金はいかばかりなりや。おそるべし「霞が関村」。

復興予算めぐっての財源論。飛び出す増税論議。
官僚OBの大学教授曰く。「高齢者は金持ち。その金を出してもらって。例えば国債かってもらうとか」。え、そうなんですか。高齢者は金持ちなんですか。

たしかに多額の資産持っている人たちいます。だけどそれらは、これら村に居住していた人が大半。1000分の一、いや一万分の一以下。

大方の高齢者は、被災地の高齢者はほとんど貧乏。ひとくくりで物を論ずるのが、やはり元官僚の官僚たるゆえんかと。

基本的に年金生活者の亭主。わずか数百万の貯金取り崩し生活。折に触れ明日を思い煩う身。

金持ち見ると腹が立つことしきり。市民運動家であったはずの菅。いつの間に金持ちになったのか。なんで北朝鮮関係団体に数千万もの「献金」出来るのか。

2011年7月30日土曜日

半夏雨

みちのくの放射能ふる半夏雨

福島県の人が読んだ句。
半夏雨(はんげあめ)。半夏生(はんげしょう)の時期に降る雨のことをいいます。半夏雨は時として大雨になるといわれてきました。

半夏生とはいわば季語。二十四節季などの暦日の他に、季節の移り変わりをとらえた言い方とでもいうのでしょうか。特別な暦日。雑節。
草の葉が半分白くなって化粧しているようになることから来ているともいわれます。半化粧、半夏化粧。

半夏生の日に雨が降ると、そのまま大雨が降り続くという言い伝えがあります。この大雨によって起こる洪水を「半夏水(はんげみず)」などとも呼ぶそうです。
半夏生の時期は、梅雨のちょうど真ん中付近。今年は7月2日だったようです。
夏至から数えて11日目とされているようです。夏至の半分というところからつけられたという説もあります。

梅雨が明けて真夏。なのに半夏雨のように集中豪雨が新潟や福島を襲っている。
河川は氾濫し、死者も出し、家屋は浸水。田畑も冠水。

まだまだ降り続くようです。なんか思う。自然災害が多い。なにかおかしいと。

コメどころの豪雨。魚沼もやられた。コメも牛肉も野菜も。雨や放射能で。「食料危機」。そんな言葉もあながち杞憂ではないかも。

過日、友人の画家の来年のカレンダーの作品打ち合わせ。東北六県を題材にしようと。二か月に一枚の絵。
福島の画は半夏祭りにしました。多分豪雨の真っ最中かもしれない会津下郷町の大内宿で毎年行われる祭り。半夏祭。集落の氏神さま高倉神社のお祭り。五穀豊穣を願ったものです。
昔ながらの白装束に黒の烏帽子という装束で男衆が神社に向かって行列を作って歩く。会津の夏景色。

時期外れの半夏雨、集中豪雨、郡山は避けてくれました。あの雨が降っていたら放射能汚染はどうなっていたのだろうなどど思案。
原発に降ったらどうなっていただろう。むき出しの発電所に降ったら・・・。

豪雨の被災地。原発から避難していった人達の多くを受け入れてくれているところです。新潟の三条は南相馬から。三条の汚泥掃除に南相馬のひとが加わる光景が浮かびます。

そしてきのうも亭主の周りで見た光景。

日常の会話も悲し線量と 逃げる逃げない堂々巡り

これも原発難民であろう方の詠んだ句。

2011年7月29日金曜日

「日本沈没」

日本沈没。もちろん小松左京氏の小説の題名である。昭和48年に書かれたSF小説。まさに高度成長をひた走っていた時代。地震により国土は消滅。流浪の民が地球を覆う。空前のベストセラー。それは単なるSF,サイエンスフィクションではなく、現実に有りうることとして受け取られたから。

その後「日本沈没」という言葉は一つの流行語となり、事あるごとに引かれた言葉。

まさに警世の書だった。今、この国は沈没寸前である。小松左京が伝えていたメッセージ。「人間は科学技術の進歩に酔い。自然をなおざりにしてきた」。
そう、まさに。

この未曾有の国難の時、多くの日本国民が流浪の民と化そうとしているこの時。彼は亡くなった。死をもって警告を発したとしか思えない。日本沈没。この4文字が今を生きる人たちにどう伝わるか。

死の直前、東日本大震災について彼は語ったという。「今は大変な時期かもしれないが、この危機は必ず乗り越えられる。この先日本は、必ずやユートピアを実現できると思う。日本と日本人を信じている」。嘘でしょ。小松さん。無理ですよ。ユートピアなんて。

いや、そうじゃない。遺言は実践しなければ。死をもって警鐘を鳴らしたのだから。国民は、彼の愛読者や映画を見た人たちは、その「願い」に答えようとする。するかもしれない。しかし、それを阻害する奴らがいる。為政者という奴らだ。官僚も含め。

記憶をたどると、小説に登場してくる為政者たちは、ただうろたえ怒鳴るだけの無能者だったような。

もちろん、いまのところ巨大地震は相次いで発生していない。発生するという予測はあるが。日本列島は完全に水没していない。しかし、この時期はずれのような連日の豪雨を見ると水没という妄想があながち嘘ではないような気さえしてくる。

沈没とは船が海に沈むことである。得てして陳腐に「日本丸」という言葉が使われる。官邸にも日本丸と書かれた帆船の模型が飾られてあった。総理大臣は「船長」を自認していた。舵取りを任されたと豪語していた。

沈没寸前の日本丸。船長はもとより機関士も航海士も無能である。害毒である。
沈みゆく船の上層階で、権力争いにふけり、「脱」だの「減」だのと将来の問題について口先だけで語っている。
いま、まさに舳先に掴まり海になげだされみとしている乗船者のことは意に介していない。今して欲しいのはただ一点。「除」放射能なのだ。

日本国民はタイタニック号に乗り合わせたつもりはない。しかし・・。
原発からあがる白煙を見て、現場の下士官が舵を切るよう怒鳴ったにもかかわらず次々と爆発。あげく豪華客船の「隔壁」が避難を阻害したように、原発隔壁神話も崩れ、立ち入り禁止という「隔壁」が多くの難民を作っている。

その作家の「死」によって「日本沈没」という事実が、正夢のように目前に迫ってきているような。儚い夢なのか、見果てぬ夢なのか。「ユートピア」という辞世をしばし信じてはみたいけれど。

「復活の日」はあるのでしょうか小松さん。

2011年7月28日木曜日

2011年 子供たちの夏

大震災からまもなく140日が経とうとしている。何かが変わった。しかし、何も変わっていない。震災後の光景は。

原発から避難してきた人たちの仮設住宅。郡山には大きな仮設住宅群が二つあります。仮設には千人規模の人たちが暮らしています。

「仮設」は、それが建つ以前の光景と建った後とでは、その地域の光景を全く変えました。人がいなかった場所に人がいる。

仮設住宅群を見ていると、なぜか戦後の東京を思い出します。復興住宅、復員者住宅。引き揚げ者住宅。そのほとんどは「長屋」でした。そして「バラック」と呼ばれました。その頃に「プレハブ」という言葉は無かった。共同住宅。

炊事場もトイレも共同。七輪で焼かれる秋刀魚の匂いと煙。炊事場から聞こえてくる賑やかな“会話”。職にありつけず、その意欲さえ失った男たちが昼間から飲む酒。酔っぱらいの怒声。喧嘩・・・。

夏。子供たちは上半身裸か、ランニングシャツ(当時の呼び名)で、壊れた自転車のリムだけを外して、その輪に長い箸のような棒をあてて転がして遊んでいました。朝から晩まで。遊び疲れて道端に寝転んで、「腹減ったな~~」と言い合っていました。皆、飢えていました。その子供達の中になぜか亭主もいた。

いじめっ子もいた。磁石で釘拾いをやってる子もいた。モク拾いに専念する子もいた。

仮設の光景とバラックの光景。そこにはかなりの「時差」があるのだが。

仮設にも子供はいる筈です。でもあまり見かけない。年寄りだけが歩き回っているような。

仮設からちょっと離れると、町の光景は3・11前と同じです。もちろん壊れた建物や修復中の建物や解体されて更地になったところもありますが。津波にもっていかれた町とは違う。町としての形は維持されています。形は変わらないけど中味が違った。

子供がいない。子供が消えた。神かくしにあったように。

夏休みです。日本全国学校は夏休み。福島県内から他県に避難した子供たち。数え切れないくらいです。夏休み中だけ「疎開」という子供も大勢います。
沖縄の海で夏休みを過ごす子供たちもいます。

近所の御宅からペットの訃報が寄せられました。とりあえずお見舞い。御宅を訪問すると顔なじみだった子供たちが次々に顔をみせてくれて。

夏休みどうしているんだい?と亭主。「家でゲームやてるから」。時々大声を出して家の中を走り回ったり。家の中は兄弟達の操るゲーム機の金属音がこだましており。

去年の夏は家の近所を走り回り真っ黒に日焼けしていた子供たち。真っ白です。
近所の田んぼでクワガタ取りに熱中していた子供たちだった。

表には出られないのです。その子達と話をしているときのテレビ画像。「さ、夏休みです。こどもたちは・・・」。アナウンサーの嬌声。海やプールで遊ぶ放射線の無いところの子供たちの姿。屈託の無い笑顔。

その映像を見る放射線下で暮らす子供たちの姿。くぎずけになっているような、無視するような。なんにも変わっていないテレビは、この時期の当然の話題を伝えている。全国ニュース。そのニュースや話題を伝えている人たちには「被災地」への思いやりがあるのかどうか。

まともなニュースでも子供たちに見せるのは酷だと感じる2011年の福島県の夏・・・。

2011年7月27日水曜日

「思い」のままに

民主党政権になってから日本語の使い方が乱れた。曖昧になったような気がして。

「思い」。思えば鳩山の得意な言葉だった。毎日、「それが私の思いです」を連発。国民にすれば全くの片思いとしか思えなかったけど。

菅も言った。というか、側近までもが言った。「脱原発」それは個人の思いですと。

政治は「思い」でやるものではない。実行あるのみ。「ある意味」「いまのところ」。曖昧な言葉が横行し、それが通用している永田町。おかしな言語を持った町です。

恐ろしいかな。それが国民に伝染していく。女子サッカーでも世界水泳でも。インタビューで放たれる言葉は「今、どんな思いですか」。そればかり。一呼吸あっての答え。「よかったと思います」。

ふるさとを追われた人たち、その思いは・・・。いまやテレビの常套句。

被災地は、避難している人たちは、真の意味での「思いやり」が欲しいのです。その思いやりは永田町からは消えてしまったような。

思い返せば懐かしい。金丸信が名付けた米軍への「思いやり予算」。

菅の「思い」発言が頭に来て、流行言葉になったような「思い」について、思いつくまま書いてしまいましたが、思いの外反響なかったりして。

酷暑の避難所や仮設に行って、今も、「今、どんな思いですか」って聞いているオバカなテレビ屋さんたちいるんだろうか。

よう、昔のお仲間さん、思い出話しでもしましょうや。いや、やめようね。

今、こんなことになってしまったこの時代。「思い」という言葉は,二文字は、被災した人たちの、心の中にだけある言葉としてとっておいてあげるべき。
家族を失い、家庭を失い、全てを失った人たちの心の糧としてとっておくべきかも。

2011年7月26日火曜日

東京に出来た新しい「村」

東京に新しい村が誕生しました。もちろん行政組織に書かれた村では無く。
その村は「原子力村」という原子力発電に群がった、関係した人たちのような極端に閉鎖的な村社会ではなく、もっとオープンなものではあるようですが。

その村の主な構成員は、テレビ局、テレビに出資している新聞社、そして総務省というお役所。数年以上前から綿密な計画を立て、時には秘策を用いて、国策として、テレビの地上波デジタル化を成し遂げました。

そして、そのモニュメントの如く、東京の墨田区に634Mという世界一高いタワーを完成させました。近代建築技術の粋を集めた構造物。3・11の震災にも大揺れしたものの無傷で耐えた人類の叡智。


「村」にはどことなく共通点が多い。明日を照らす希望の光。明るいテレビの未来。

電力というエネルギーは経済成長の源。その電力があったから進化したテレビ。
地デジ村は多額の金を使ってその伝播につとめ、設備投資に多額の金が費やされた。
鮮明な画像、双方向、データ放送、通信。いかほど人の日常に役立つことなのか。

電力が無ければ人々の生活は成り立たない。テレビが無くても生活は成り立たない。
原子力発電が生活スタイルを変えた。テレビの登場もお茶の間の在り方を変えた。
原発事故以来、原子力離れが急速に高まっている。テレビ離れも進んでいるという。

原発事故は多くの「難民」を生んだ。デジタル化でも「地デジ難民」を生んでいる。

震災、原発事故の被災地。デジタル化延期。来年3月まではアナログ見られる。デジタル化率の低かった福島県。難民はまだしばらく誕生しない。宮城、岩手でも。

原子力村の被害を被った福島県。地デジ村の“攻撃”から暫時猶予をもらえた福島県。なんかこう見ると皮肉っぽい。
地デジ村はこれから“暴走”することあるのか。世の指弾浴びることあるのか。
634Mの“バベルの塔”は神の怒りをかうのか、かわないのか。

やがて塔から発せられる電波が何かを汚染することはないのか。放射能汚染はないけれど。地デジ村が”頭の汚染“の大元にならないこと祈る。

当店事務所、未だもってアナログ受像機。少々延命です。

2011年7月25日月曜日

国民恥辱賞をどうぞ

政府はなでしこジャパンの国民栄誉賞を授与するという。個人が対象の栄誉賞だけど今回は団体。その特例の理由を枝野はこう語ったと。
「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与える業績があり、国民栄誉賞の目的にぴったり合致する」と。

大いに結構。大賛成なんですが、どうも両手を挙げてとう気持ちになれない。なぜか。当然です。授与するのは菅だから。

枝野が言う“偉業”を達成したメンバーに異形の異業しかしていない菅がまたぞろ満面の笑顔で登場し、彼女たちの偉業のおすそわけにあやかるどころか、人気に乗っかるようにしか見えないこの政権だから。

菅にも賞をあげましょう。栄誉の反対語は恥辱。国民がこぞって「国民恥辱賞」をあげましょう。理由。枝野発言をちょっとひっくり返してそのままいただき。
「広く国民に敬われず愛されず、社会に暗い気持ちを与え、希望を奪った業績」と。

政局混乱。官僚の多くはサボタージュを決め込んでいるような。行政は機能不全に陥っているような。

民主党執行部は菅に辞めてもらいたいと思っている。国会が機能すると思ったから。ところがどっこい。野党は逆に菅を辞めさせない。失政をことごとく「私の責任です。謝罪します」と菅が答弁しても、じゃそれはどうするのってとこにはいかない。菅にやっていてもらって解散総選挙。自民失地回復が狙いだとか。

民主は居座り拒否。野党は口とはうらはらに居座り歓迎。おかしな図式が出来上がってきてしまっている。これがまさに政治の実相。

政治家たちの暑い夏。被災地の暑い夏。夏休みでも戸外で遊べないフクシマの子供たちの夏。その極端な「乖離」を嘆き怒り続けることしかできないのか。

「ある意味で」。菅の常套句。意味不明。その「意味」たるものを誰も問いたださないから。だから「あらゆる意味で」菅は国民に大いなる恥辱を味合わさせている。国民は恥辱を受けている。賞を贈りましょうよ。

ショウガナイから。なでしこの佐々木監督のようにオヤジギャグやってもしょうがないけど。

2011年7月24日日曜日

「語るに落ちた話し」もうひとつ

新聞に載っていた小さな記事。見出しは“復旧作業へ暴力団関与排除 協議会設立へ”。以下本文抜粋。

「東京電力は、福島第一原発の復旧工事に絡む暴力団の関与を排除するため、警察庁の助言に基づき、暴力団等排除対策協議会を22日に設立すると発表した。東電は“工事が大規模化し、多くの企業がかかわるようになったため、暴力団が入り込まないようにする必要がある”と説明した」。

この発表にはいささかの“嘘”があります。入り込まないようにするというのは違います。既にして入り込んでいるのです。
東電が雇ったのか、復旧作業に携わる建設会社など元請会社が雇ったのか、下請け、孫請けが雇ったのか。爆発事故直後から原発にはヤクザもの、暴力団員が入り込み作業をしていました。もしかしたら命知らずの鉄砲玉みたいな野郎が、高報酬を目当てに“志願”していたのかもしれないし。

爆発事故後、現場に暴力団がいたのは事実のはず。しかし、既存のメディアは知ってか知らずかそれを報じていない。報じる必要もなかったのかも。
しかし東電はじめ関係者は知っていた。
メディアが報じたのは過酷な環境の中で作業をする人たちの様子。そして問題視され始めた作業員の被曝問題。

被爆線量検査ということになって困ったことに。「作業員130人が行方不明」って記事になる。不明に決まってるでしょ。雇った方は言えない。被曝していたとしても名乗り出ない。名乗り出て「身元調査」されたら暴力団ってことがバレちゃう。

「捨て身で危険覚悟で原発止めるために行って身元バレて警察に誰何されたんじゃ割にあわねえ」。こんなタンカを切ったかどうかは知らないけれど。

だから冒頭の記事。ヤクザが居たってことを認めた東電。語るに落ちたって次第。

戦後の銀座警察。都心の治安は愚連隊が守った。銀座警察の流れは今の住吉連合か。当時は大日本興行と言っていたかも。

震災後、いち早く避難所に支援物資を届けたのは暴力団だった。中身は細かい気配り。一例。箸が山のように入っている。カップ麺は支援物資で届くけど食べるためには箸が要る。そこに気づくのが暴力団。しかも彼らは絶対に名乗らない。「宣伝」は無し。
阪神大震災のあとの支援。山口組の“貢献“大だったと言われた。

大災害の後には暴力団が登場する。その人たちは悪さはしない。爆発直後、放水する警察の機動隊と暴力団が呉越同舟の作業をしていたってことにもなる。

東電と暴力団とはいかなる関係にありや。株主総会にいたのかな暴力団。献金しているのかな東電。不謹慎な暴論のようですが、東電発表を見ているといろんなこと考えてしまうのです。

何を今更「暴力団排除」。ってことは命知らずはもういらない。いささか安定ってことの証左なんでしょうか。

発表記事だけ書いているメディアはやはりおかしい。発表の意味するところを読み解いてこそ天下の新聞かと思うのですが。

2011年7月23日土曜日

塩野七生の”つぶやき”

きょうも伝えられるセシュウム藁を食べた牛肉問題。汚染牛肉、汚染牛肉の見出しが躍り。「牛はもうだめだ」。農家の嘆きが客観的事実のような見出しの立て方。どこまで不安を煽るのか。

イタリア在住の作家、塩野七生さんが書いた一文が目にとまりました。
言いえて妙なり。“つぶやき”と題するエッセイ。

メディアとは国内国外を問わず次の性格を持つ。
1. 何かが起こらないと報道しない。
2. 悪い事ならば何であろうと取り上げるのに、事態がうまく進んでいるような場合だと、報道心を刺激されないのか。取り上げられることはなはだ少なし、になる。
3. 自分の国や自分自身が興味を持つことしか報道しない。
4. とはいえ、報道人も職業人なので、毎日何かを書き言わねば仕事にならない。それでも何も無い時は予測記事をたれ流す。それがまたたいていの場合的をはずれている。

三か月が過ぎて、日本中が当初のショックを忘れ始めたのか、利己的な行為が見られるようになったらしい。福島産の食品や福島から避難している人々への拒否現象を聞くとまたもモンスターペアレンツが顔をもたげてきたのかと愕然とする。
醜く恥ずべき言動だと、誰かがはっきり言うべきだろう。このような行為が市民権を得てしまう前に、明確に断罪しておいたほうがいい。
それを明言してはいけないようになっている皇室は態度で示されているようだが、首相をはじめとする政治家やメディア人ならば口で言うことはできる。このようなことをはっきり言うこともまた、指導者層に属する人々の責務だと思う。
「真・善・美」とは古代ギリシャ人の考え方だが、美しい行為は真であり、それは善にもつながっていくとは、古今東西に関係の無い人生の処し方ではなかろうか。

まさに「寸鉄人を刺す」の箴言かと。遠く安全なところに身を置いてという自分の立場はわきまえた上で。外国にいるからこそ見えるもの、見えることもあるのだなと。

“指導者”菅は、誰かの入れ知恵で、塩野七生の言葉を悪用した。日本人へ、リーダー篇に書かれた一節。それは小泉純一郎に宛てて書かれたものだったのにもかかわらず。自分に置き換えて。
「私があなたに求めることはただ一つ。刀折れ矢尽き、満身創痍になるまで責務を果たしつづけ、その後で初めて、今はまだ若僧でしかない次の世代にバトンタッチして、政治家としての命を終えることなのです」。
聞いたことありませんかこの文言。

しかもこの本の巻頭に記されている言葉も菅を“刺激”しているのではなかろうか。
「危機の時代は、指導者が頻繁に変わる。首をすげ代えれば、危機も打開できるかと、人々は夢見るのであろうか。だがこれは、夢であって現実ではない」。

言っておくけど、これも菅に対してのメッセージではない。でも、菅は多分、カンチガイしてると思う。我々は夢をみたい。

不毛の国会、国政。牛歩に似た行政。なぞらえると牛が怒る。牛たちの”反乱”が始まるかも。

2011年7月22日金曜日

「被害者」が「加害者」になる不条理

連日テレビを賑わす”汚染牛肉問題”。きのうのテレビ。”消費者”の着飾ったおばちゃんがカメラに向かって言っていました。「心配です(自分の健康)、しばらく福島県産の牛肉は食べません」。その映像の後ろに台風の余波と思われる風にはためく「がんばろう東北」ののぼり。偶然なんだろうけど余りにも”滑稽”なテレビが切り取ったヒトコマ。

福島県の畜産農家は壊滅的な打撃を受けている。放射能汚染が牛にまで及ぶ。
当然政府は想像力を働かせ予想すべきであり、対策を講じるべきだったにもかかわらず。
最初は乳牛。暫定基準値を超えていたということで福島県産の牛乳は出荷停止。乳牛農家は廃業にまで追い込まれた。「処分」される牛を泣きながら、ごめんねといいながら見送っていた農家の人の姿は忘れられない。

そして起こったのが肉牛。餌のせいで、藁のせいで放射性セシュウム検出。肉牛出荷停止。酪農家の怒りや悲しみ。計り知れない。

汚染されたという藁は福島県だけにとどまらない。宮城でも他県でも。酪農家も藁農家も「被害者」である。その被害者がいつの間にか「加害者」にされてしまっている。牛を出荷した農家は陰湿な仕業にさらされているという。メールや電話やなども含めて。

この経過を伝えるメディア。特にテレビ。汚染牛、福島。新聞の見出しもそうだ。大きな見出し。大きな字幕スーパー。色まで変えて。
どこにその肉が行った、どこにあった。どこのスーパーでと。見ている人は思う。読んでいる人は思う。福島県産の牛は全部汚染された「悪い牛」だと。まるで探偵ごっこのように肉の行方を追い、「消費者」に、怖い、嫌だ、食べないと言わせる。その報道の仕方は、むしろ誇らしげだ。俺たちは正義の味方だといわんばかりに。そして付け足しのように専門家の見解。「200グラムを毎日食べても、1キロの肉を食べても内部被曝量は0.008マイクロシーベルト」だと。もちろん、他の食品や自然界から受ける放射能の累積って問題はあるにしても。

でもね、だったら安心じゃないの。なんで「出回っているけど安心」って見出しやタイトルにしないのか。安心じゃニュースにならないから。

視聴率競争なのか。騒然となる話題がいいのか。「安心」は付けたし。「不安」は怒涛の如く。煽る、煽る。新聞の訂正記事。誤報は大きく。訂正はベタ。それと同じ。

不安を煽ることがそんなに楽しいことなのか。

福島県産の牛肉はもう終わり。そのうちに他県産の牛肉にも飛び火するでしょう。
食卓から、飲食店から牛肉が消える日。あながち想定外ではないかも。
牛肉は大幅な値崩れ。畜産農家はやってられない。

放射能汚染は、こころも汚染する。汚染列島。不条理はさらに生まれるはず。

2011年7月21日木曜日

フクシマの子供の寸描

福島県福島市飯野町。計画的避難区域に一部が指定された川俣町や霊山地区に隣接している町。きめ細かい放射線量はわからないが、おおまかに見ると空間線量は1.2マイクロシーベルト。側溝では6ミリシーベルトが観測される地域。原発からまさに北西方向にあたる。 UFOの里を呼び物に町おこしをしていたことでも有名。風光明媚な「田舎」。

ツィッターから拾ったasahi. Comに書かれていた記事。以下転載してみます。


支援の車に「ありがとう」 福島の姉弟手振り続け3カ月


 福島県の沿岸部の被災地と福島市を結ぶ国道114号沿いに毎日朝と夕、小学生の姉弟が立っている。福島市立青木小学校6年生の広野あみさん(12)と4年生の諒君(10)。行方不明者捜索などで行き来する警察や自衛隊の車両に手を振り続け、3カ月になる。
 夕方、福島市飯野町青木の峠道。警視庁のパトカーが来た。2人はカレンダー裏に書いた「おかえり!!」「いつもありがとう」のメッセージを急いで広げ、手を振って「お疲れさまでした」と大きな声をかけた。警察官も手を振り返した。
 始業式だった4月6日、通学路の国道114号は全国から派遣された警察と自衛隊の車両が連なり、横断できないほどだった。「大きくなったら、人を助ける仕事がしたい」という諒君が、登校前と下校後に手を振るようになった。やがてあみさんも加わった。車が多く通る時間に合わせ、平日は午前6時20分と午後4時半からそれぞれ1時間余り国道脇で待つ。

昨日から多分青木小学校も夏休み。この姉弟はきょうも立っているのだろうか。足元には側溝が見える。記事には線量のことは書かれていない。親がどう思っているかも書かれていない。食い足りないけれど立っていることは事実。

国道114号は通称富岡街道と呼ぶ。富岡から福島市に通じる道。この姉弟は放射線量のことをどれくらい認識しているかも記事にはない。しかもこの記事。新聞紙面には載っていないような。

「それでも彼らはじっと立つ」。これも福島県下で暮らす子供の一つの姿。彼らの住んでいるところの線量は郡山より高いはず。

郡山の子供たち。親の意向が大きいのだろうか。表にはほとんど出ない。県外に多数避難している。避難しようかどうか悩む親も多い。これも福島県下に住む子供の一つの姿。

無責任に聞こえるかもしれないが、亭主はこの広野あさみちゃんと諒くんの側に立つ。

「新聞は美談ばかりしか書かない」と批判する人たちもいる。醜悪なことも伝えるべきだとは亭主も思う。でも、こういう“美談”はいいじゃないの。「こころの汚染」をいささかでも除去してくれるような気がして。

2011年7月20日水曜日

語るに落ちた

女子サッカー、なでしこ。その快挙に日本列島未だ冷めやらず。監督も21人の選手たちもテレビ出演に引っ張りだこ。どの局でも同じような話しをさせられ、質問され。ゲームみたいなことにも付き合わされ。嫌な顔せず出ずっぱりの選手達。
いやいや、健気であります。宮間と福元は岡山のクラブに帰ったとか。その他のみなさんも早く解放してあげてくださいよ。
見たいけど我慢するから、次の「仕事」に「休養」に当たらせてあげてくださいよ。

岩清水は大きな約束事を持っている。東北の被災地へメダルを届けるという。

今、被災地に元気を与え、励ます事が出来るのは彼女達しかいないのだから。

それにしても「職権乱用」の菅。きのう早速官邸に呼び。気色満面。そして言った。リーダー論で教えを乞うた。マスコミがこぞって監督や澤のリーダーシップを賞賛しているのを見たからでしょうか。

「うまくまとめ上がるのがプロの力量。私も今から勉強するのは間に合いませんが、そういうところを学びたい」。

語るに落ちるってことはこういうこと。自分にリーダーシップがないことを認めている。揚げ足取りをしているんじゃありませんよ。
国会では失政を問われてすべて謝罪、謝り。なのにこの危機を救うのは俺しかいないとばかりに混乱だけ招いていた舌禍の数々。閣内すらまとめあげられていないということを白状。

監督も選手も被災地の事を常に心に刻んで、それを力に変えた。試合後は支援に感謝して回った。能無しを自認。

新聞記事によれば、なんかアドバイスは?と記者に問われた澤は即答。「ないです」と。そうなんだよ。穂希ちゃん。ついでに「バカにつける薬はない」位のことを言って欲しかったくらい。

「選手たちから勇気を貰った。諦めない気持ちを学んだ」。国会答弁、取りようによっては居座り発言。
人気にあやかろうとした姑息な官邸招致。あの菅の笑顔みて、発言聞いて、誰しもが呆れていましたよ。かえって墓穴を掘っているって。

きのう大関魁皇が引退宣言。1047勝の偉業達成して。おのれの限界知った鮮やかな出処進退。魁皇は歴史に名を刻む。引き際の見事さも含めて。

原発事故。処理工程のステップ1達成と豪語するけれど。なんとも心もとない。
汚染の余派は広がるばかり。

菅は汚名だけを残して歴史の片隅に残るだけか。

アメリカのメディアは書いたという。なでしこを称えて。「フクシマの年の伝説」と。菅の福島の年の伝説。失われた日本を作った人として、不名誉な伝説に名を連ねる。

2011年7月19日火曜日

「消費者」と「生産者」と

「消費者の安全を考えて」「消費者の不安を無くすため」「消費者に安心していただくため」「消費者の方には申し訳ない」。等々。

放射能汚染による食品問題。世の中に染みついた消費者保護の完璧なる思想。政府の言い方やマスコミの言い方。消費者っていったい誰なのか。どういう部類に属する人なのか。都会に住んでいる「もの買う人々」のことかい。

世の中、たとえば需要と供給とか、生産者と消費者とか、二極分化で成り立っているように定義付けられる。往々にして。しかし、その二つの線引きはどこにあるのか。

生産者だって日常の生活に必要なものは買う。それは消費行為。国民全部が消費者のはず。屁理屈のようだけど、たとえば政治家がどこの党でも「国民、国民」と連呼するけれど、その国民とは誰をさしているのか。きわめて概念的な呼称。

たしかに、高度成長期。日本経済を支えているのは生産者だった。生産者優先社会。数々の法律も生産者保護を目的とした。
バブル崩壊後、一転。日本は消費者保護、消費者優先社会の構造になった。だれしもが消費者保護、安全、安心を「社会政策」として捉えた。

世間を騒がしている肉牛問題。セシュウム汚染のイナワラをエサにした牛肉問題。流通経路が調べあげられ、購入した“消費者”までは特定出来ないまでも、売った店まではたどり着く。肉は回収、福島県の牛は出荷停止。生まれが福島なのか育ちが福島なのか。

牛肉は消費者が食べるものと決め付けるようなメディア。酪農家も肉は買って食べる。食肉加工しなければ食べられない。酪農家だって肉の消費者だ。

今日の週刊朝日の広告見出し。「本誌デスクも汚染牛肉食べた」。羨ましいよ、牛肉食べられるなんて。で、だからどうだって言うの。心が汚染されまくっている週刊誌さん。

“汚染”された肉を食べる恐れありとかで都会の人は戦々恐々。食べたら死ぬのごとき騒ぎ。消費者はいわば「被害者」といった扱い。牛を出荷した農家、藁を出した農家は「加害者」扱い。
何千万円もの牛が出荷出来ない。まさに死活問題。消費者保護という“美名”のもとで、その人たちの健康を保護するという目的で取られる措置が生産者を「死」に追いやる。

そして片や、いわば電力の生産者である電力会社の供給量を鵜呑みにしての節電、節電。消費者である需要者は、文句も言わずに節電に耐える、同化する。過度な節電が健康に害を及ぼすとしても。

暴論承知。あえて問う。消費者って何と。得体のしれない“消費者”というカテゴリーが妙に市民運動という“空気”とだぶって見える。
それもこれも菅が総理大臣をやっているせいか。八つ当たりの話ですなこれは。

きょう菅はなでしこと会うとか。シュショウという言葉の違い。首相はダメ。主将は最高。サッカーまでも政治利用、延命利用する菅。なでしこの心中複雑なりと。

2011年7月18日月曜日

兵を用いるということ

兵を用いる。古くから言われる指導者の条件。用兵の術。

サッカーなでしこジャパンの劇的勝利。テレビの前で歓声をあげた人も多かったでしょう。感涙を流した人も多かったでしょう。

この嫌な世の中の憂さをひと時でも忘れさせてくれた快挙。酔いしれていいのではないですか。

勝利だけじゃない。被災地支援への感謝のメッセージを持ってピッチの中を歩く彼女たち。その姿にまた涙腺が緩みます。

日の丸を身にまとうように走り回る彼女たち。美しい。世界で一番日の丸が似合う女達。

日の丸に書かれた岩清水選手の言葉。その日の丸を皆がかわるがわる持つ。岩清水梓、岩手県滝沢村出身。
「東北の皆さんへ 忘れたことはありません。いつも自分に出来ることを考えています。今回、良い結果を届ける、その一心でした。メダルを持って皆さんのところへ会いにいきます。待っていてください」。

なでしこジャパンの優勝。それは佐々木則夫監督の力によるところ大と思います。その力とは。用兵の妙です。いわば「人事」。かれの采配はことごとく適中した。選手の起用のみならず、ポジションまで。
そして選手の気力を高めるための意の用い方。絶やさぬ笑顔。PK戦に入る前、円陣の中にいた彼の笑顔を見て「勝てる」と確信した。

一人のリーダー。指導者。そのあるべき姿と能力。選手の使い方。人心収攬術、チームを一つにまとめる力。それらを、そのあるべき姿を彼はことごとく示した。

菅直人は、きのうサッカーの事を記者団から聞かれ「勝つといいですね」みたいな事を言ったという。彼が試合を見たかどうかは知らない。
もし、仮に見ていたら、「リーダー」として「指導者・監督」として何を思ったか。多分何も思わなかっただろう。いや思ったことは「俺のチームにはあんな優秀な選手はいない」ってことかも。

チームをひっぱりMVPを獲得した澤 穂希。名前の由来は、彼女が生まれた時、食料難の時期だったとか。コメが実りますように。稲穂の穂と、希望の希の字をとって親が名付けたという。

コメが採れない、野菜もだめ、牛肉も。打ちのめされた東北。穂希という字は奇しくも被災地を励ます名前だった。この日のために生まれて来た子かもしれない。やがて、彼女達が「誉」となって名が残ることを希む。

2011年7月17日日曜日

森をみて木を見ざるがごとし

木を見て森をみざるがごとし。古くから言われている諺。目先のことにとらわれて大局を見失うことを戒めたもの。

過日、仙谷由人は仮設住宅の遅れを問われて、こう述べた。「市町村によってマンパワーの違いがある、市長さんの力が違うからだ。遅れていると批判するのは、まさに木を見て森を見ざるだ」と。

なるほど。仙谷は森を見ている政治家だったんだ。

最近仙谷と菅は仲が悪いといわれている。本当のところはわからないけれど。
その菅はぶち上げる。「脱、原発依存」を。エネルギー政策の転換を。そして、それを政権としての公約ではなく、個人の思いだという。「思い」の政治。それはもう鳩山でこりごり。なんで民主党政権は「思い」ばかりいうのだろう。
「思い」なんてすぐ変わる。鳩山の前例でわかったはずなのに。

「思いの政治」に賛辞を送る一部のジャーナリズムや論壇がある。文学者が思いを語り、書くということは意味のあることだが、政治と言うものはさにあらず。その国の有り様にかかわってくるのだから。言った言葉の内容ではない。菅直人の本質を分かっていて送る賛辞なのか。

菅の言っていることはまさに「森」。今、「木」を見なくては。木とは即ち目の前のこと。被災民、避難民、生きる術を失いかけている原発被害者。
菅が本心から、政治家としての良心をかけて「脱原発依存」を言っているのだとしたら、あえて言おう。「森を見て木を見ざる」と。森を構成しているのは数々の木なのだと。木を守らないで、救わないで、森は成り立たない。

今日の新聞にあった一人の訃報。岩本忠夫、82歳。原発のおひざ元、双葉町長を5期20年務めた男。20年間原発と付き合って来た男。
反原発を掲げて社会党所属の県会議員をつとめ、やがて“転向”。一時は反原発運動のリーダーだった。町長になって初めて気づく。余りにも酷い赤字財政の町。町長を努めたいという権力欲がそうさせたのか、町を救うためにそうせざるを得なかったのか。東電の「金」に町を預ける。東電無くして町は成り立たなかった。原発誘致に舵を切った。反原発という「森」を捨て、町を生かすという「木」を選択してしまったともいえる。

双葉町の歴史に彼の名前は刻まれる。良きにつけ悪しきにつけ。

原発事故当時、彼は重い腎臓病を患い、双葉町の病院で人工透析を受ける患者だった。爆発で彼も家族とともに避難民になった。結果、福島市に移住。容態急変。一昨日亡くなったという。

東電に原発に裏切られた。その「思い」を強く持っていたのかもしれない。異郷の空を見ながら、我が半生をどう思っただろうか。

きょう福島市内で行われた葬儀。東電からの参列者はあったのだろうか。「功績者」に対しての惜別の言葉、詫びの言葉はあったのだろうか。

2011年7月16日土曜日

官僚達の夏

きょうも酷暑の列島かと。土曜日だけど霞が関の官僚たちはどうしているのでしょう。たぶん、いろいろやることがあるはず。懸命に働いているはず。暑さをものともせず。そう思いたい。

「官僚達の夏」。故城山三郎が書いた名作。通産官僚で、”天皇”の異名をとった佐橋滋が主人公。通産官僚たちは暑い夏をものともせず、登場する官僚たちは日本の経済成長を確たるものにしようと、己の信ずる道をまい進していた。この国のために英知を絞り、それを実現しようとしていた。

自民党政権のもと、政権が変わるたびに、永田町の政争に巻き込まれながらも、時には悲憤の涙を流し、時には政治家をうまくあしらい・・・。巨国アメリカと立ち向かい・・・。

通産省はいつしか名前を経済産業省と変えた。菅政権の下、原発を巡って経産省は「原発推進官庁」というレッテルを菅によって張られ、悪者にされた。その配下の安全保安院は「役立たず」というお言葉を賜った。デタラメな委員長を擁した原子力安全委員会が、菅の支持を得てぞろぞろ這い出して来た。この安全委員会なるものだって内閣府の「機関」なのに。

経済産業省の官僚たちの思いはいかばかりか。暑い、熱い夏をどう過ごしているのか。

痛烈に政権を批判した通産官僚は仙谷に恫喝され閑職に追いやられ、かれの識見や憂国の情はどこにも生かされない。彼、古賀茂明は本を書いた。「日本中枢の崩壊」という本を。

城山三郎は読んだけれど、この古賀茂明の本はまだ読んでいません。読んで見ようと思っています。もしかしたら日本と言う国の平成という時代にあった政治史の悲劇の「証言」となるやもしれずとの期待を持って。

官僚主導打破、政治主導。それに異を唱えるものではありません。しかし、民主党政権のやったことは官僚排除の手法。官僚の中にももちろんピンからキリあり。「夏」にも書かれたいたが、官僚は常に上位を目指す。立身出世を心掛ける。それは己が思う政策の実現を図りたいがゆえ。

排除の思想、排除の論理が今のこの国の破たんを招いている。そう思わざるを得ない。官僚たちの夏は官僚たちの反乱となって具現化している。

エリート官僚に勝れる政治家やありやと。

中枢が崩壊した中、「兵士」達はいかなる道をたどればいいのか。隊長を頼むのみ。その隊長がまたこころもとない。

八甲田山死の行軍はもう御免だ。城山三郎ももう物言わぬ人になってしまった。物言えぬ民にとって、なんとも苦しく辛い夏・・・。

2011年7月15日金曜日

あの頃のあれは・・・

テレビで連日字幕を含めて伝えられていた放射線情報。そう、原発水素爆発直後から。

放射能からどうやって身を守るか。連日そればかり。

外出は控えよう。止むを得ず外出する時は帽子をかぶってマスクをして、長袖着て、手袋して・・・。ゴーグルかけて・・・。
外出から帰ったらすぐ手を洗う。シャワーを浴びる。着ていた服は洗う。
室内は窓に目張り、窓は開けるな、換気扇は使うな、エアコン使うな。

もう刷り込まれてしまった防護対策。子供にはまだ適用。

酷暑、酷暑。夕方にはゲリラ豪雨襲うものの日中の暑さはまさに熱中症の贈り物付き。

一転テレビは熱中症の話題で大騒ぎ。節電、節電を言って来た”正義の味方“のふりしてる人たちまでもが「エアコンを使いましょう」と。

挙句、「エアコンはだいたいのものが外気を取り入れないから大丈夫」だと。専門家の弁。

何故か今年の夏は虫が多い。網戸もすり抜けてくる細かい虫も。

豪雨。思い出すのはビキニ環礁での水爆実験。放射能に汚染されまくった日本列島。第五福竜丸の事件。
「雨に当たるな、雨に当たるな」。親から散々言われた。雨が恐怖だった昭和31年。その時の“残滓”は未だに列島各地にあるはず。半減期をさえ迎えていない放射性物質。

福島県を襲うゲリラ豪雨は・・・・。

きょうもお医者さんと会話。「20ミリシーベルトでも問題ないと思いますよ。ビキニの時はとんでもない数値だった」。

どこのお医者さんかは言いませんよ。市民団体とやらに刑事告発されてしまうから。

「告発」か・・・。東電と学者を告発するという。東電はともかく、放射能に関する見方で裁判所が学者を裁けるのか。ろくな学者はいないけど、まともな学者はいないけど、裁判官が学者の言論を裁くということはファシズムにつながる。

すでにして一部の知識人なる人たちの間や、政界では「ヒトラー待望論」が否定も含めて言われ始めている。

テロリズムやファシズム。放射能よりも怖い。

そして、ここ数日は「汚染された牛」の話しがメディアを賑わす。もちろん、餌の管理で農家に非があるとしても、故意にやったことではない。

この国の危機管理能力のあまりにも貧しさ。

将来の自然エネルギーを語る前に、思いつきの人気取りに走る前に、今、やらねばならないことあり。牛の餌。被災地の子供の給食。

やがてこの国を襲うであろう食料危機への危惧。

2011年7月14日木曜日

往生際の悪さ極まれり

またもストレスが貯まるのを覚悟して見た菅の記者会見。やはり・・・。

もちろん支持するって人もいるだろうし、両手を挙げて大賛成というキャンキャンおばちゃん党首もいるけれど。

まやかしの「脱原発依存」。そうとしか思えない。遠くの「安全」な場所にいて、安心、安全を求める人たちには、もしかしたら耳触りがいいかもしれないけれど、いま、放射能と共存している福島県在住者、全部ではないか、中通り以東の人か。その人たちの正直な気持ち。総理大臣に語って欲しいのは、今の我々をどうしてくれるのか。どうやって収束させるのか。米や農作物や果樹や家畜をどうしてくれるのか。明日の生活、来年の生活をどうやって国が守ってくれるのか。そういう切実な思い。

「我々の悲惨な体験を教訓にして、原発の無い社会を築いてください。日本国民の安全のために我々は捨石になります」。そうはまだ言えない。

「脱原発依存」。異存はありません。しかし、それが官の口から出ると、すべてが「まやかし」に思える。だから、何の具体策も、方途も示されない。
「多くの国民の皆様の声を聞いてそう決断した」。政治主導じゃない。国民主導。
それを大衆迎合政治という。政治とはすべからくきちんとした道筋をつけること。

官は卑怯者である。自らの定見をもたない。入れ知恵に乗っかるだけ。悪いことは何でも他人のせい。

国会答弁でもさんざんありました。「それは自民党政権がやったことじゃないですか」と。いまさら自民党政権を批判してなんになる。民主党が政権とってからどれだけの年月がたったのか。2年だよ。自前でモノを言え。
答弁に窮すると「質問の通告うけていないから」。逃げる。「俺は何でも知っておる」。そう豪語してたじゃないの。なんにもしらなかったのだ。化けの皮が剥がれっぱなし。

昨日の記者会見。「原子力を推進してきた経産省」。何回言ったことか。「その中にある組織の保安院にはまかせられない」。経産省も保安院もあんたの「部下」だよ。俺は違うというのか。上司に恵まれない部下や哀れ。企業ならとっくに倒産。そんな理屈が通るはずないのに。

敗軍の将が兵を語る。往生際が悪すぎる。もしかしたら辞める気さらさらないのでは。なんか「来年」なんて言葉も使っていたようだし。

「無私」というお言葉をお好きなようだが、無視の「無」は、なくすということではない。こだわらない、とらわれないという意味。

原発が人気取りに使われている。原発避難民が、被災者が延命の道具にされている。

でも、なんかわかる。市民運動家ってしょせんそんなものだった・・・。

菅が居座り、辞めない理由。後が居ないということ。それは事実。民主党には人なし。いるかもしれないが、この国をどうする、どういう国にするって明確な意思表示出来る人なし。辞めたあとからではダメなんだ。「俺はこうする」って人がでてこなければ。今。

ならば自民党。それも無理。大連立よりも政界再編のすすめ。民主党はもはや解党寸前。ならば自民も割れ。政見を披瀝する人いないのか。

2011年7月13日水曜日

同じ郡山に住んで・・・

郡山に住む若い母親がテレビに出ていました。放射能と戦う母親。線量計で家の中や庭を測りまくり。
「避難しようかどうか迷っているんです。娘の将来を考えると。でも、今のこの暮らしを捨てたく無いし・・・」。

“有名”なキャスター氏曰く。「国や県は何もしてくれないんですか」。いつも何でも知ったかぶりで喋っている人。なんでも知ってるような態度の人。
「はい、自分たちで考えないと。子供はこの暑いのにマスクと長袖で学校に行っているんですよ・・・・」。
スタジオの新聞記者さん曰く。「そんな状況なんですか、知らなかった」。バカも休み休み言え。しらじらしくもよくそんなこと言えるな。新聞記者だろ。

「話を聞いてくださってありがとうございました」ってお母さん。とにかく不安の塊なんです。

同じ郡山。場所によって線量違うけれど・・・。

原発避難民が大勢います。避難所に仮設に。富岡町と川内村の人たち。少なくとも川内は郡山より線量低いのに。子供たちはTシャツ一枚で走り回っています。

郡山から避難しようとする人。避難してきた人。亭主の中で埋まらないこの乖離。市役所が把握している避難した人2,600人。避難してきた人1,800人。

一時帰宅をした富岡の人が詠んだ歌。

「ふるさとは無音無人の町になり 地の果ての如く遠くなりたり」

「“ただいま”と主無き家に声かける 懐かしき匂いにこえあげて哭く」

様々な人間模様。

南相馬の牛。「暫定基準値」を上回った放射性物質検出。肉の一部は消費者に出回った。メディアは大騒ぎ。牛肉はもう食べられないような。
付け足しのような“専門家”のコメント。食べただけでは健康に影響ないです。

危険性ありでは大騒ぎ。大丈夫の記事は小さく。

計画的避難区域の人の内部被曝検査。検査結果はベタ扱い。健康に問題ありませんが結果だった。

菅よ。毎日、福島県産の牛肉を食え。細野も枝野も。食え、食え。安全対策さえ取り得ない政府。せめて自らが食べての贖罪のすすめ。そうでなければ福島県の畜産農家は全滅だ。

畜産農家よ。牛の分まで生きてくれ。

2011年7月12日火曜日

宮沢賢治を今に

東北地方もきのう梅雨明け。会津地方では37度を超え。梅雨ってあったのか。
3.11以降、死語になったようなものの一つが異常気象。
地球は異常気象に覆われている感じがします。
あの大地震と大津波のせいで、これ以上の自然の災禍は無いと思ってしまったからか。火山は噴煙をあげています。海水温も変化しています。
豪雨もあれば砂嵐にも見舞われ。
3.11以前なら大ニュースだったものが、みんな怖がったものが余り語られていない。
東北地方は14日も早い梅雨明けだった。

震災後、一時、宮沢賢治の詩が言われた。自然科学者としての言や、詩人、文学者としての言。

有名な詩文「雨にも負けず」。東北をそのまま語っている。東北の歴史を、人間性を語っている。

雨にも負けず、風にも負けず。雪にも夏の暑さにも負けぬ、丈夫な体を持ち、欲は無く、決して怒らず、いつも静かに笑っている・・・。

そうです。夏の暑さにも負けないようにしているのです。欲は無く、政府の無策にも怒らず、静かに笑っているのです。
今年の冬はきっと大雪になるかもしれない。

一日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ。

長い避難所暮らし。一日におにぎりたったひとつと乾いたパンを貰い。

野原の松の林の陰の小さな茅葺きの小屋にいて。

急拵えの小さな仮設住宅。雨漏り、ハエ、蚊、異臭、騒音。仲間で支えあっている。

日照りの時は涙を流し、寒さの夏はオロオロ歩き。
今年は涙を流しそうな日照りです。
来年は寒さの夏になるかもしれない。津波で田畑は奪われたけれど、原発で田畑は失ったけれど、冷害がやってくるかもしれない。天明の大飢饉のようになるかもしれない。

褒められもせず苦にもされず。

東北人は忍耐強いなどと勝手な先入観が支配する。忍耐にも限度がある。そしてすでにして「苦」にされかかっているような。疎まれはじめているような。
そのことを決して忘れない。

そういうものに亭主はなれない、なりたくない。

未来を照らす明るいエネルギーだったはずの“妄想”が未来を真っ暗なものにした。そのことに決然として怒る。人間の欲が生み出した“産物”におののく人の傍に行って、決して怖がらなくてもいいとは言えない。

喧嘩や訴訟を受けて立つ。

井上陽水さん、あなたなら、今、この詩をどう歌う?

以下、賢治の詩の全文を記す。それが読後、酷暑の中の一服の清涼剤になるであろうかどうかはともかく・・・。心の支えになるかどうかはともかく・・・。



「雨ニモマケズ」
雨ニモマケズ  風ニモマケズ
雪ニモ  夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲ  モチ
慾ハナク  決シテ瞋(イカ)ラズイツモシズカニワラッテイル
一日ニ玄米四合ト  味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲジブンヲカンジョウニ  入レズニ
ヨク  ミキキシ  ワカリソシテ  ワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ  小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモ  アレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテ  ソノ  稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ  死ニソウナヒトアレバ行ッテ  コワガラナクテモイヽトイヒ
北ニ  ケンクヮヤ  ソショウガアレバツマラナイカラ  ヤメロトイヒ
ヒドリノトキハ  ナミダヲナガシサムサノナツハ  オロオロアルキミンナニ  デクノボウト  ヨバレホメラレモセズ  クニモサレズソイウイウモノニ  ワタシハ  ナリタイ

今日も酷暑です。

2011年7月11日月曜日

「無私」と「無視」と

菅が自分の使っている手帳の欄外に、最近「無私」という字を大書しているという。この二文字を座右の銘にしているような。

笑いが止まらなかった。ばかばかしいにも程がある。無私どころか我欲じゃないの。

この手帳もちろん見たことは無い。先週、テレビで紹介された。それを言ったのは内閣官房審議官とやらの肩書き持つ、下村健一の言。この人―。菅の選挙運動手伝い、「市民運動家」を自認、辞任。TBSのアナウンサー。筑紫哲也のニュース23のレポーターつとめ、「告発モノ」得意だった。その報道内容や姿勢にいささかあやうさを感じていた。誤報だったのかどうか、何かをきっかけにTBS辞めてフリージャーナリストなるものやってた人。

菅内閣発足と同時に官邸入り。そう、菅の昔からのお仲間。まだ菅に嫌われていない、お気に入りのお仲間。側近。菅の周りに棲息する数少ないお友達かとも。

官邸が発信しているメルマガ。KAN-FULLブログの編集担当らしい。この官邸メルマガ、始めたのは多分小泉純ちゃんだったと。書いていたのは官房副長官名だった。その後歴代内閣に受け継がれて・・・。

動画を入れたり、工夫はしているようだけど、結果、一文にもならない役に立たない広報紙。まともなジャーナリストだった筈の人が為す業とは思えぬ。
KAN-FULLブログと名付けられた時、菅内閣に「カンフル剤を注入」するものと誤解してしまった。

昔のよしみでってことでしょうがTBSの報道特集に登場。“無私”の秘話披露。あの番組らしからぬネタ。がっかり。菅の人気取りに手を貸したような。

菅は「無私」に非らず。「無視」。被災地、被災者無視。批判も無視。もしかしたら件の手帳には「無視」って書かれていたのかもよ。

テレビの報道だけど、酷暑の中、被災地の仮設に入居した78歳の夫人。備え付けのエアコンも付けず。熱中症で倒れることも覚悟。我慢します。我慢します。吹き出す汗。なぜエアコン付けないか。3万5千円の年金暮らし。エアコン付けたら電気代払えないと。一日の食費は400円だと。修羅場の中から生き残った命。電気代タダにしてあげてよ。せめて“快適”な四畳半だけでも提供してあげてよ。

ほんの一例。菅が野にあれば市民運動家でありせば、ぎゃんぎゃんわめいたことだろう。下村がTBSにいれば許せないとレポートしたことだろうに。

無視は果てしなく続くだろう。もはや菅にあたうる言や無し。

2011年7月10日日曜日

スポーツの力

気になっていたサッカー女子のW杯。やってくれましたね。ドイツに勝利。またとない朗報。
被災地から発せらるツイッターも、この時ばかりは歓喜の声、声。

被災地や避難所。地道に活動を続けるボランティア。汗を流しながら職務にいそしむ役場の人、原発の現場で恐怖と闘いながら作業を続ける人。

人には人それぞれの役割がある。それを成し遂げているかどうか。

メディアが取り上げるせいでしょうか、いや、そればかりではない。スポーツには不思議な力が、魔力のようなものがある。

震災後、子供たちはまず最初にサッカーボールを蹴っていた。避難所で。キャッチボールをしていた。素手でも。

プロ野球選手、相撲、サッカー、プロゴルファー。彼らが訪れた避難所は歓声に沸く。みんな異口同音に言う。「力を貰った」と。
全力を挙げてプレーするスポーツ選手から何か力を感じ取る。力を彼らは発している。

ドイツ戦、ゴールを決めたのは丸山桂里奈。アシストは澤。絶妙なコンビ。

試合前、佐々木監督は選手全員に東日本大震災のビデオを見せたという。「本当に苦しい時は被災地の人のことを思って頑張れ」と言ったという。
苦しい戦いの中で、多分、彼女たちはその映像を自らの体験を思い出し、気力を振り絞ったのだと思う。

ゴールを決めた丸山。かつて東京電力の社員だった。東電のサッカーチーム「マリーゼ」の主力選手だった。
彼女の職場が原発だったかどうかは知らないが、今、事故収拾の前線本部となっているJビレッジのコートは彼女のサッカー人生の“ふるさと”だったはず。

原発事故の後、彼女のブログが炎上させられた。彼女はそのエントリーを削除した。

試合前に見たビデオ。彼女の中に期するものがあったのではないだろうか。後半交代で出場。走り回る彼女の姿には鬼気迫るものがあったように見受けられた。
そして走りに走ってのゴール。職責を全うした。

論語の一節が浮かぶ。
「衆これを悪(にく)むとも必ず察し、衆これを好むも必ず察す」。

この際、読解は不要かと。

次はー。もしかしたらゴルフの宮里藍かも。目下2位。仙台ゆかりの人。

スポーツには力がある。昨夜のNHK原発特番。延々とした議論。隔靴掻痒。
テレビに伝える力はあるのか。あったのか。

2011年7月9日土曜日

ストレステストを受けたい

原発を巡って突然数日前から登場してきた言葉。ストレステスト。
菅が誰かの入れ知恵でそれを言い出した時、マスコミは書いた。「ストレステスト(耐性検査)」と。なんだかおかしい日本語の置き換え。

もう30年以上も前か。会社であった管理職研修なるもの。その中にあった研修の一つが「ストレス耐性」。いかにしてストレスに耐えうるかというカリキュラム。そのくだらない研修を思い出して・・・。また一つストレスが増えた。

そのおかしさや間違いに気がついたのか。きのう、きょうは安全性評価とか、負荷に耐えうる安全性の余裕度などと置き換え。

マスコミの悪い癖。誰かが使ったり発表にあった言葉をそのまま使うこと。意味を吟味しないで。

ストレスなんて言葉、いつから日本人が使うようになったのか。

メディアに登場していた専門家なる人達。わかったように物を言う人達。彼らだってストレステストなんて言葉使っていた人見たこと無いのに。
そんなテスト、検査あるならなんでもっと早く言わないのだ。

放射能汚染による「被害」が広がる福島県。またも自殺者。遺書にあった。「墓場へ避難します」と。

放射能汚染じゃない。放射能による”こころの汚染”が増大している。

知り合いの医者との会話。「内部被曝含めて、どれだけ危険なのか、危険でないのかはキチンとしたことはわかりません。多分大丈夫でしょうとしか言えない。今、直接的な被害や病気の発症は無い。それよりも命にかかわる危険はストレス。それの方が問題なんです」。

ストレスは万病のもと。医者は誰しも、どんな病気に対しても「ストレスを与えないように」と言ってきた。だから亭主は言い返していた。「誰だってストレスをためたくはありません。どうやったらストレスためないで済むのか、それを教えてよ、それが医者のつとめでしょ」と。そんなこと半ば冗談で言い合っていた時が懐かしいかも。

亭主はもっかストレスの塊です。頭のてっぺんから足のつま先までストレスに犯されている。

菅の顔を見るとストレス、声聞いてもストレス。言ってる言葉聞いてもストレス。脱原発まがいのことを言って“人気取り”に走り、原発事故を延命や名誉欲に使おうとしている卑怯者。かつて言われた宰相、風見鶏以下。

菅のストレスから逃げたい。除染されたい。

菅はもちろん王ではないけれど、歴史上、バカな王がいた国はいかなる大国であったにしても皆滅びた。

歴史の教訓を知るべし。

脱原発や自然エネルギーを語る前に、いま、目先のストレス患者(亭主じゃありませんよ)、被災民を救うのが何よりの急務。それは、これまた部下(閣僚)任せ。

ストレステストを受けたい。受けて見て菅の本心を見てみたい。あの黒い腹の中をえぐってみたい。

2011年7月8日金曜日

国会はなんでも出来る

居座る菅がついに「悪魔」に見えてきた。本当の悪魔に。とにかく、こんな厚顔無恥な政治家には出会ったことがない。

津波という悪魔を見、放射能という悪魔の元に身を置き、その上、人間の顔をした、最高権力者が悪魔だった・・・。

自らの定見を持たず、意に反すれば盟友までも切り捨て、その場しのぎの人事を行なって恥じない奴。
誰かから入れ知恵があれば、すぐそれに乗る菅。

善し悪しはともかく突然飛び出した「ストレステスト」。誰の入れ知恵。また斑目かい。いい加減にしろよ。とっくに首にしてほしかった安全委員長。

いいように使われて来た海江田万里。すでに切れそう。きっと切れる。

菅をやめさせる方法は無いという。本人が言わない限りは。本人、言を左右に辞める気無し。

ならば内閣不信任案。本気で検討して頂戴。再提出を。

国会を縛っている法律は国会法。そこには不信任案の一事不再議については書かれていない。いわば慣例。ところが国会というところは慣例を大事にする。もしかしたら憲法よりも。

国会がもめると職員たちは衆議院規則と先例集を持って走り回る。それらを読み解いて「知恵」を出す。

同一国会で内閣不信任案は一度しか出せない。それは明文化されているものではない。慣例なのだ。先例にないからだ。

大震災、原発事故という先例にないことが起こった。先例に無い対処をすべきなのだ。未体験のことが起こったのだ。


「国会は何でも出来る。男を女にする以外は」。有名な言葉が存在する。そしてかつてはそれをやって来た。例えばー。本会議上の時計を止めた。その日の夜12時に時間切れになると時間切れで廃案になってしまう法案。それを成立させるために時計を止めた。これは先例にあり。本会議場の時計がある時からゆっくり動き始める。普通の10分が1分になる。それしか進まない。
議員が持っている腕時計は午前3時でも、議場はまだ午後11時。採決終わると途端に早周りした議場の時計。
はい、事実です。亭主経験済。

「国会は何でも出来る」。そうなんです。不信任案もう一回。やろうと思えば出せるんです。違法行為ではないのです。あらたな先例作ればいい。旧態依然とした慣例にとらわれている必要なない。

野党が不信任案出したら、民主は自由投票。党議拘束かけない。岡田と安住が決めればいい。

悪魔退治には多少の悪事もはからなければならない時かもしれないのだから。

2011年7月7日木曜日

東京見聞記

事務所から郡山駅まで、徒歩10分強。ふだんあまり汗をかかない亭主もいささか汗ばんで。駅構内で扇子のお世話に。日差しが無い駅の構内。設定温度は多分28度だとしてもすぐに暑さは収まり。

上着着用。新幹線乗車。ほぼ満席。走り出して5分もすると車内に冷気が満ちてくる。音を立てて冷風を送る車内のエアコン。上着を着ていても寒い、寒い。
隣の席のデブ男の熱気も気にならない。このまま寝てしまったら風邪ひく・・・。

一時間半、寒さとの戦い。ふと思います。新幹線の電気ってどこの電気と。東北電力?東京電力?いなJRの電力?
回って来た車掌に思わず声をかけた。「寒すぎる」と。車掌はわかりましたと言ったが“改善”の気配無し。

やっと東京駅。”解凍”しようと思い降り立ったホーム。気温は32度のはずだけど海側から吹いてくる風が心地よい。暑さ知らず。

地下の改札へ。さぞかしムーとしているかとおもいきや。なんとも快適な環境。コンコースの椅子は涼を求める人で満席。読書する人、パソコン使う人、おしゃべりに熱中するおばさんたち・・・。

東京駅から新宿に向かう中央線。ここも寒い。寒い。完全に冷えきっている。

世の中、大節電ムードじゃなかったのかい。電力浪費は“非国民”じゃなかったのかい。

新宿から乗ったタクシー。ここもギンギンに冷えている。おお、懐かしい“死語”、「冷房病」になりそう。
メディアはこぞって節電キャンペーン。話題はスーパークールビズだの、ありとあらゆる節電グッズの“宣伝”。新商品は開発され、まさに家電業界に一大商機到来と。節電景気到来のような。

テレビは伝えていました。暑そうな企業の執務風景。奇妙なスーパークールビズが歩く光景、時差出勤、休日調整。あげく地下鉄では冷房切るとか。

電力会社に脅されている。脅しを少なくとも大阪の殿は見抜いている。見抜いていても菅はそれに乗る。利用する。自己を正当化しようと。

窓の無い高級オフイスビル。開けられない。だから着るものでってことでしょうが、勤務時間なんでしょうか。テレビで紹介されていた格好の人には出会わなかった。

窓さえ開けば快適な風が入ることあるのに。自然の風が。自然の恵みが。自然を遮ってしまった人間の生活環境。

風を感じられない。その言葉はそのまま永田町へ。世間の風が読めない、わからないセンセイ達。

風を無視した社会構造かと。

夜の会合、集まり。スーツでネクタイ。ちょうどいい温度。たぶん28度以下に決まってる。隣室では肌もあらわなお嬢様たちと芸能界っぽい人たちのグループ。

テレビが切り取って伝える節電の夏の光景は東京の全体像にあらず。恣意的報道かと。

テレビが伝える節電のある光景。それはある意味“嘘”だ。東京中が酷暑にうだっているわけではない。

少なくとも昨日の昼間から夜。亭主が滞在していた東京、亭主がいた東京の場所は、以前とほとんど変わっていなかった。個人商店の中は風が吹き抜けていた。

都心では役立たないような自然の風。やがて風も怒り出すかも。

2011年7月6日水曜日

「頑張って」「がんばっぺ」

郡山の町の中にはいたるところに張り紙やステッカー。
「がんばろう福島」「がんばろう郡山」。「がんばっぺ郡山、がんばっぺ福島」。

商店の窓には「今が頑張りどき」とか「元気だせよ」とか。

郡山市民が郡山市民にあてた檄か。自分たちへの檄か。はたまた郡山にある避難所の人たちへの励ましか。多くの仮設住宅入居者へのメッセージか。

まだまだブルーシートに覆われた家々の屋根。ようやく本格化してきたようなビルの解体、補修。建設。

一か月ほど前までは「がんばろう」は一つの合言葉のようだったけど、「がんばる」ことが日常のようになって来た昨今。あの張り紙やステッカーを見ると、あらためて、ここは被災地だったのだと実感させられます。

二月近く使えなかった、壊れていた新幹線の駅。今は人の行き来も含めて元に戻っています。しかし、構内には張り紙が沢山貼られています。看板も。

皆、それぞれに頑張っています。避難してきた人も含めて。「がんばろう」っていう文字や言葉にいささか疲れてきました。

何をどう頑張るのか。

“放射能の恐怖”は日を追って増しているようです。特に小さい子を持つ親には。

事、放射能に関しては「頑張ろう」という言葉はそぐわない。避けるか逃げるかしか方法は無いのだから。きちんとした「安全」という言葉しか、「安心」という言葉しか安堵感をもたらすものはないのでしょう。

反原発をいくら叫んでも原発事故の処理が進むわけでもなし。ただただ終息の早いことをと願うのみ。終息の報が一番の安心なんですが。先の先のずっと先のこと。目先にある「線量」だけが気になる日々。

きょうはこれから東京に行ってきます。震災後の上京は二度目。前回は講演。今度のメインは昔の仲間との会合。政治記者との。いわゆる田中角栄番をやっていた仲間達10数人との。会社は違うけど、抜いた抜かれたしてきたけれど、苦楽を共にしてきた“同志”。不思議な連帯感や絆があります。

政治論議に花が咲くでしょう。今の政治を嘆くことしきりと予想。多分、現役のマスコミ人はいないと思うけど。一線は退いたものの、筋金入の元政治部記者共。退いているからこそ見えるものもある。誰がどう語ってくれるのか。楽しくもあります。「昔はよかったなあ」で終わらせたくない。

会合の前に住み慣れた街に寄ってみます。「頑張ろう」って文字は無いと思うけど。90才になって一人で暮らしている知り合いがいます。苦労されている様子。その方には「頑張って」と声をかけて来たい。

正直な話し、地下鉄にのるかどうか躊躇しています。もし、あの3・11が再来したら・・・。帰宅難民になるわけにもいかず。ま、それは杞憂と。

節電モード一色の花の都の夜を味わってきます。どんな様子か実感してきます。

暑さはまだ我慢できそうだから。扇子必携で。

そして、官邸や議事堂に殴り込みしてこようかな(笑)

2011年7月5日火曜日

日本の”政治”は終わった

昨日の続きを書かなければならない。
松本龍が辞任。それをきのう亭主は迫った。そしてそうなった。だけど、よかったとは言えない気分。当然であって、驚くことでは無いし。

昨日の夕方まで「強弁」していたのが今朝になって「心機一転」というか「変節」。鳩山や菅を見習ったかのような振る舞い。あげく、辞任を決意した理由は個人的理由であり、申し上げられないーと。

そして曰く。「被災地の人たちに寄り添って行きたい」。やめてくれよ。寄り添ってなんかほしくない。傍にこられたら気持ち悪いし。そしてまたもや出ましたね。「一兵卒」。小沢のセリフ借りたのか。

昨日も書いたが菅の任命責任は大。さっきテレビに映っていた菅の表情。目はうつろ、頬はこけ。覇気も感じられない。もう無理なんですよ。早くやめなさい菅直人さん。

人事のミスはトップにとっての命取り。まともな閣僚人事出来ない人は宰相の器ではないのだ。

野党の矛先は菅に向く。党内からだって向く。言い訳の言辞は想像に難くないが、何を言っても空虚、無意味。

政局好きのマスコミは解説する。松本の発言や行動は「菅降ろし」のための“自爆テロ”だと。
言ってみれば、お遊びじゃないの。それの証拠。松本はこの期に及んでもまだ言う。「謎かけが出来なくなった」って。遊んでる。永田町は。

後任に誰を充てるにしても、もう、被災地の人間からしてみれば同じこと。今の政治を、菅内閣の無策を終わらせて欲しいということだけ望んでいる。

一本釣りだ。あんな小物を政務官にしてそれを釣りに例えられたら、被災地で魚を釣ることを生業とし、命をかけている漁師に失礼だ。
菅退陣の「花道」。あのね、花道っていうのは歌舞伎役者さんの名演を称えて花を贈る道。これだけ世を騒がせ混乱させた菅に「花道」って言葉はあてはまらない。マスコミよ、言葉にこだわれよ。

さ、明日からの国会再開。不毛の延長。菅はどう出るか。辞めろ迫ると“花道”から逃げ出そうとする奴なんだから、舞台暗転、奈落へというのが筋道なんだけど。

とにかく菅が辞めない限り政治は進まない。なんでもいいから多少は「明るい道」が見えて欲しい。

日本の政治が終わってしまう。

菅さんへのハナムケの言葉。「あなたは辞めることだけに、退陣することだけに意義がある」。

被災地は蚊やハエに苦労している。感染症も危惧される。子供たちが汚染されていくと福島県民は恐怖に怯えている。菅は目の前のハエを振り払うことにだけに専心している・・・。

日本ってこんな国だったのだろうか。政治家全部が蚊やハエに見えてくる。

2011年7月4日月曜日

民主党政治は「恫喝政治」

「貴様、何様のつもりだ。ふざけんな。とっとと帰れ」。亭主がその場にいたら松本龍なる政治家を怒鳴り上げていただろう。

こんな奴を見たことが無い。

宮城県知事を脅し、岩手県知事の前では、「俺は九州だから東北の地名や場所がわからない」。あげくマスコミに対して「発言はオフレコだぞ、書いたらその会社は終わりだ」。ばかやろーー。終わらして見ろよ。売られた喧嘩は買え。マスコミ諸君よ。どっちが終わりになるか徹底的にやれ。

民主党政権になってから政治家による「脅し」が相次いでいる。菅は常に官僚を怒鳴りつけ、いちいち覚えていないが「俺をだれだと思ってる」って自衛官お胸ぐらつかんだやつとか。
連立組んでる亀井も脅しが得意技。

脅しを生業としている“職業”はヤクザ。それと同じ。そのはみだしもんのヤクザだって被災地には支援物資を送った。

菅内閣とはヤクザ以下だ。

ソファに偉そうにでんと構えて座って言いたい放題。あの偉そうな口のききかた。

菅という政治家はほとほとお粗末だと再認識させられる。なんでこの松本なんて野郎を大臣にし、しかも復興担当なんかにしたんだ。

こればっかりは任命責任大。即刻総辞職の勧め。こんなバカヤロウに差配されているより多少の政治空白の方がまだマシだ。

政界一の大金持ち。祖父は社会党の参院議員だった人。部落解放の父ともいわれる松本治一郎氏。オヤジもゼネコンで財を為した参院議員。
まさか「恫喝」が家訓だったとは思わないが。

ヤクザをたとえに出したけど福岡県では川筋もんというのか。麻生太郎も、そういえば恫喝が好きだった。

出迎え方が悪いだと。今頃のこのこ出かけていって“国賓待遇”でも要求しているのか。

福岡一区の選挙民の皆さん。どう思います。あなたがたが選んだセンセイの言動。態度。東区、博多区にお住まいの方。
東北に住んでいますが福岡の地名や選挙区くらいわかってますよ。


おい、松本。お前は国会議員なんだぞ。国中のこと知っていて当然なんだ。新潟から出てきた田中角栄は日本全国の地図を頭にいれていた。叩き込んでいた。

嫌いだと言われた”身内“をかばうのか。菅は。枝野もなんだい。松本をかばっている。まともな政権なら、きょう、即刻辞任させている。また国会が紛糾する。それが被災地復興にどんなに悪影響を与えるのか。

悪代官が乗り込んできての無理無体。だから言ったでしょ。東北一揆だと。そうしよう。東北処分を諾々と受け入れてるわけにはいかない。

松本の記者会見で、彼がサングラスで登場するかどうかはしらないが、「あなたは何様のおつもりなんですか」、そう真正面から質す記者はいないものか。

恫喝が好きな小沢一郎だって、あんな態度や言動はしなかっただろうと思う。

これが菅内閣の実態・・・。

2011年7月3日日曜日

蚊帳の外

節電、節電の大合唱の話題を見たり聞いたり。うんざり感大なのですが。節電の話を見聞きしていて・・・。

ふと昭和の時代の蚊帳のある光景が浮かんできました。

なぜか蚊帳を吊るのは子供の役目だった。部屋の四隅にある金具と蚊帳の金具をつないで。蚊帳の中には布団を敷いて。部屋は窓も何も開けっ放し。
蚊帳の下の方を揺らして蚊がはいらないようにしながらさっと潜り込む。

毎夜、毎夜の夏の仕草。兄弟に一人でも下手がいて蚊帳の中に蚊が入ったら大騒動。

蚊帳の外にはどれくらいの数の蚊がいて人間の血を吸おうとしていたのか。

蚊取り線香の匂いと蚊帳。ニッポンの夏。蚊帳の中は思えば寝心地よかったような。

そして平成の現在。蚊帳を吊るして一家就寝って家庭はあるのかどうか。
蚊帳も見なくなってしまった。気が付いたら。そりゃそうです。窓を閉めてエアコンの生活を選んだのだから。網戸も出来たし。

カニキクカトリスは何時、何処で使うんだろう(笑)。

「蚊帳の外」って言葉の意味。
物事に関与出来ない位置に置かれること。それって菅のはずなんだけど。
冷房の効いた“社宅”のせいか。きのうから風邪を召されてのひきこもりの様子。明日からまたぞろ物議を醸すんでしょうね。

もうひとつの意味。無視され不利益な扱いを受けること。原発事故の一番の被害者、福島県民は節電騒ぎに埋没。蚊帳の外に置かれたように感じるのは僻みか。

もしかしたら菅だけが蚊帳の中で寝ていて、その他国民は蚊帳の外なのかも。

2011年7月2日土曜日

「我慢」「仕方がない」

この数日間で日本国中を覆ったこのムード。停電恐怖症、電力恐怖症。まさに政府・東電の“恫喝”は見事に成功。

メディアはこぞって節電の奨め。もはや脅迫めいている。一億総節電運動。
知恵を振り絞ったありとあらゆる節電策が披露される。そして皆、それに従う。

一億なんとかっていうのは、どうもあの時代を想起させるよう。

とにかく黙って「我慢」する。耐える。日本人の美徳でしょう。散々“浪費”していたことは、それはそれで置いといて。

「原発事故があったんだから仕方がない」。この諦観も日本人ならではのものかも。

今のこの国を新たに覆い始めた精神世界。外国人はどう見ているのか。

「反節電キャンパーンでもやろうかな」。そう息巻く橋下大阪府知事の言もあながち否定出来ない。

「でんき予報」にはじまって、節電目標達成したらご褒美あげますよ。ちょっとしたものをエサにして・・・。

もはや人類の営みは電気無くして成り立たない時代になってしまっている。生産活動も、社会構造も。経済活動も。

すべてが先進国という「美名」にあこがれ、GNP“神話”の踊らされ、超大国と比肩できる国になろうとしたことの「大いなる勘違い」と。

この夏を我慢すれば、来年は元の生活に戻れるか。もはや無理でしょう。この冬も暖房でまた電力不足と言われるでしょう。来年の夏も・・・。

高層ビルは窓が開きません。風を入れることは出来ない構造。地下数百メートルにまで及んだ地下鉄。地下鉄の車内で窓を開けられるのか。

玄海原発の再開を要請する政府、担当は経済産業大臣。嫌な役割は皆“部下”。浜岡停止などおいしいところだけは自分の手柄。菅の卑しい性格。

官邸の中は「外国の要人がくるから」という理由で快適な温度設定とか。菅のところにロクな来客なし。

「電気の無い社会」。それを乗り切るしかないのです。それが体育会系の精神論であったとしても。
そして今の「電量不足」を乗り切れた時、それが当たり前の、普通の生活だと思えるようになった時、はじめて「原発」は要らないーそうなれるのです。

国は号令だけ。実践の戦術は民任せ。まだまだ絵に描いた餅のような自然エネルギー。
決して今から40年前、50年前の暮らし方を「是」とするのではなく、新しい暮らし方を民の知恵が生み出さなければ。

きょうも列島は酷暑の気配。「電気」のせいで死者が出ないことを祈るのみ。
メディアの総節電キャンパーン。被災地のことはもはや「ニュース」でなくなったような。節電グッズなるものをニコニコ顔で得意げにレポートしてるやつら見てると「なんかこの国はおかしい」と思えて仕方がない・・・。

2011年7月1日金曜日

流浪の民

福島県は合唱王国といわれています。中学校から高校まで、全国合唱コンクールで常に上位に入賞しています。

合唱部の子供たちが、多分一度は口にするのがシューマンの歌曲「流浪の民」。さまようジプシーを詠んだ歌。

今、福島県民の中の16万人が流浪の民と化しました。いや、それだけではない。避難区域ではないけれど、子供の事を心配して遠隔地に「疎開」している母子が多数います。新潟県のホテルは今月、7月で終わり。また“転居”です。

家というのは人の営みの拠点です。
鴨長明の方丈記。彼がこの書でこだわったのは家のことです。末法思想の中にあっても諸行無常の世にあっても「家」にこだわり続けた。

津波で家を流された多くの民。その人たちの大多数は、その場にとどまって、家の再興を図ろうとしています。

住む家はあるのに、住み慣れた家はあるのに、そこを追われて各地を点々とさまよう原発避難民。

計画的避難区域に指定された飯舘村は、昨日をもってすべての村としての機能を失いました。郵便局が閉鎖され、路線バスも廃止路線となり、スーパーも営業を止めました。ガソリンスタンドも営業を終えた・・・。まだ、人は残っています。しかし、人が生活していく環境は無くなってしまった・・・。村は「消えた」のです。いえ、「消しさられた」のです。

新たに設けられた「特定避難勧奨地点」。新たに113世帯が営みを放棄します。

きょう川内村から避難してきていて、避難所から仮設に移り住んだ“バアチャン”が我が家を訪ねてきてくれました。ビールを持って。
「あの時受けた恩は一生わすれないからね、死ぬまでわすれないからね」と。

忘れて頂戴。近い将来川内に帰ったら、郡山の生活なんて忘れなさい。

一号機、3号機の爆発で色めき立った政府。なんでもかんでも避難しろの同心円。
自然エネルギーがなんたらと自然派を標榜するバカが恐れおののいて強制した20キロ30キロの避難。自然を言う男が自然の働きに目を向けていなかった。
放射能といえども風には逆らえない。風が運んで行くことを想像すらできなかった。スピーディーの計測を無視した。事情がわかってきても、なんでもかんでも避難、避難。勝手に逃げなさい。号令かけてそれで終わりの責任逃れ。

政治のやることではない。官僚の作文と同じ。

豪華で安全な“社宅”(伸子夫人の弁)に居ては、流浪の民の心境なんて想定外でしょう。

シューマンの曲の歌詞の一節。
「慣れし故郷を放たれて、夢に楽土を求めたり」。「ねぐら離れ鳥鳴けばいづくに行くか流浪の民・・・」。

「菅、どうした」「宰相不幸社会」。民主党役員室にあったという落首に納得。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...