郡山の町の中にはいたるところに張り紙やステッカー。
「がんばろう福島」「がんばろう郡山」。「がんばっぺ郡山、がんばっぺ福島」。
商店の窓には「今が頑張りどき」とか「元気だせよ」とか。
郡山市民が郡山市民にあてた檄か。自分たちへの檄か。はたまた郡山にある避難所の人たちへの励ましか。多くの仮設住宅入居者へのメッセージか。
まだまだブルーシートに覆われた家々の屋根。ようやく本格化してきたようなビルの解体、補修。建設。
一か月ほど前までは「がんばろう」は一つの合言葉のようだったけど、「がんばる」ことが日常のようになって来た昨今。あの張り紙やステッカーを見ると、あらためて、ここは被災地だったのだと実感させられます。
二月近く使えなかった、壊れていた新幹線の駅。今は人の行き来も含めて元に戻っています。しかし、構内には張り紙が沢山貼られています。看板も。
皆、それぞれに頑張っています。避難してきた人も含めて。「がんばろう」っていう文字や言葉にいささか疲れてきました。
何をどう頑張るのか。
“放射能の恐怖”は日を追って増しているようです。特に小さい子を持つ親には。
事、放射能に関しては「頑張ろう」という言葉はそぐわない。避けるか逃げるかしか方法は無いのだから。きちんとした「安全」という言葉しか、「安心」という言葉しか安堵感をもたらすものはないのでしょう。
反原発をいくら叫んでも原発事故の処理が進むわけでもなし。ただただ終息の早いことをと願うのみ。終息の報が一番の安心なんですが。先の先のずっと先のこと。目先にある「線量」だけが気になる日々。
きょうはこれから東京に行ってきます。震災後の上京は二度目。前回は講演。今度のメインは昔の仲間との会合。政治記者との。いわゆる田中角栄番をやっていた仲間達10数人との。会社は違うけど、抜いた抜かれたしてきたけれど、苦楽を共にしてきた“同志”。不思議な連帯感や絆があります。
政治論議に花が咲くでしょう。今の政治を嘆くことしきりと予想。多分、現役のマスコミ人はいないと思うけど。一線は退いたものの、筋金入の元政治部記者共。退いているからこそ見えるものもある。誰がどう語ってくれるのか。楽しくもあります。「昔はよかったなあ」で終わらせたくない。
会合の前に住み慣れた街に寄ってみます。「頑張ろう」って文字は無いと思うけど。90才になって一人で暮らしている知り合いがいます。苦労されている様子。その方には「頑張って」と声をかけて来たい。
正直な話し、地下鉄にのるかどうか躊躇しています。もし、あの3・11が再来したら・・・。帰宅難民になるわけにもいかず。ま、それは杞憂と。
節電モード一色の花の都の夜を味わってきます。どんな様子か実感してきます。
暑さはまだ我慢できそうだから。扇子必携で。
そして、官邸や議事堂に殴り込みしてこようかな(笑)
2011年7月6日水曜日
“チェルノブイリ”異聞
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