とにかくこの肩書社会の国。何かの名残だろうか。おおよその書類には職業を記入せねばならないような欄があり、役職欄まである。
職業とは、それを生業にしているものであり、カネを稼ぐ手段なのであり、職種は時にはステータスともなる。
しかし、それを持たない身、“年金生活者”としか書く以外に無い。
“無職”としか書く以外にない。
仮に交通違反を起こし、違反切符に、無職と申告したら、多分、怪しげな眼でみられるのだろう。年金生活と申告すれば、事故を起こす年齢層と区分され、免許証を返納しろと若い警察官から言われるのかもしれない。
無事故・無違反なんだけど。
「一般人」という区分けがあるようだ。
例えば芸能界、テレビに出ている人やテレビ局の中で。
結婚や離婚の報道、お相手は「一般人」と言われる。有名人や著名人ではない、タレントではない、センセイと呼ばれる人でもない場合は。
かねがね疑問に感じていたこの「一般人」という呼称。ワイドショーに毒されたのか、官房長官さままでが使い始めた。
そこまでやるのか、と思う「共謀罪」なるもの。法案の呼称は変えて「「テロ等組織犯罪準備罪」とした。内容も一部変更したが、いわば(安倍の常套句)お得意の単なる言葉の言い換え。しかも”テロ“と言う字を前面に出し、国民の恐怖感を利用としているシロモノ。
テロとはおおよそ無関係なものまでがその法律の適用範囲になっている。
甦るんだよな、高校生の時にはじめてデモに行った、警職法改正の事が。
警察官が恣意的に市民を“犯罪者扱い”にしようとした時のことが。
で、菅官房長官が言った。「一般人は対象としない」という詭弁。彼の思い描く一般人とは誰か。
おおよそ、日本という国の中にあって、一般人ではないのは天皇家だけだ。
政治家だって、一般人だったのが、選挙に出てたまさか当選したにすぎない「ただの人だ」。
“猿は樹から落ちても猿だが、政治家は選挙で落ちればただの人だ”。
永田町で流行った名文句。
政治家はおしなべて「センセイ」と呼ばれる。政治家同士でもそう呼び合う。
大学教授も小・中・高の先生も「センセイ」だ。お互いそう呼び合う。
医者もそうだ。弁護士もそうだ。一般人の家庭の出なのに、国家試験に合格すれば「センセイ」という呼称、肩書を持つ。お互いがそう呼び合う。
官房長官から「一般人」と呼ばれると、なんだか「下にみられている、侮蔑されている」と感じてしまう。
ふざけんなよ、おめえら一般人に名前を書いてもらって当選してきた奴に過ぎないじゃないか。
一般人とは誰か、一般人とは何か。
昔の一般人としてのジャーナリスト、マスコミ人なら食いついただろうに。
あんたらだって下手をすれば「共謀罪」の適用対象になるんだよ。だからビビッているってことかい。
無職の年金生活者、後期高齢者は一般人の中に入っているのだろうか。
「一般人以下」ということなのか。一般人にも入れない“元イッパンジン”。
で、当ブログ、からから亭日乗、「毒舌」はしばらく“放牧”します。
休載へのご懸念は“ご放念”下さりたく。
各種の“メンテナンス”これありにつき。
ただ今日の一言。
ワイドショーは「荒れる成人式」を取り上げるなよ。テレビに映るという彼らの承認欲求を満たすためだけのものだから。
2017年1月5日木曜日
鬼の攪乱ではありませんが
鬼の攪乱とは、普段は健康で病気になんてならないような人が突然病を起こすこと指した言葉であり、普通は風邪のことをいうのを承知の上で。
病に苛まれている後期高齢者の喩えにはならないのですが。それが突然だったと言うこともありで、自らを「優しい鬼」にしてしまいました。
そうなんです。不覚にも、新年、1月1日から風邪を患い、寝たきりの状態でした。
寝ていると夢を見る。高熱にうなされているわけではないのですが、いろいろな夢を見ました。
子どもの頃の夢、学生時代の夢、そして、今の身の回りのことなど。
ホテルのマネージャーと口争いしていたり、有り得ないはずのゴルフ場にいて、何回もティーグラウンドでティーを差していたり。
何の脈絡もないことが重なり合ったり、いつも傍らに黒い姿の見知らぬ影がいたり・・・。
夢とはまったく不明なことばかりです。
今年の干支「丁酉」は、いささか不穏な年回りでもあるような謂れもききます。
すでにしてその予兆すら感じられます。
そう、夢の中にはいつも「アベ」くんが登場してもいるのです。
病気になると(風邪が病気かどうかはともかく)なぜか医者や病院の事を考えます。
広野町にある高野病院の高野院長が、自宅の火災により亡くなったことを知りました。もちろん面識はありませんが、テレビの番組ではお姿を、生き方を拝見していました。
あの「3・11」。全町避難の指示が出ているにも関わらず、高野院長は避難しませんでした。残ってくれたまず少ない職員とともに入院患者を守った人です。
享年81歳。たった一人の老医師。
彼の医師としての魂を貫いているのは「患者を守る」という一点だったとか。
原発被災地の双葉郡にはたった一つしか残されなかった病院だったのです。
後継者は現れるのか。医者としての「使命感」を持った人が表れるのか・・・。
床に臥していて「病院」の夢を見ました。目覚めて「医師」のことを考えました。
郡山に菊池小児科という医院があります。知る限りでは初代の院長は菊池寿子さんという郡山では初めての女医さんでした。
鬼籍に入られて数年。その後には長男の菊池辰夫医師が亡くなりました。震災後、郡山の子供を守るために奮闘されていました。
寿子先生が亡くなったのも原発事故の後。
原発を優しい表現の中に強い意志を込めて糾弾していました。
菊池医院の理念は「すべては患者のために」でした。
年中無休でした。
今は孫の信太郎くんが後を継いでいます。子どもたちの遊び場「ペップ・キッズ」を立ち上げています。
なぜか、郡山にある病院の事が浮かびます。土屋病院というのがああります。
その病院の二男で医師の繁裕さんは若くしてくも膜下出血で突然の他界。
その繁裕さんが書いた本に「ドクター・ハラスメント」というのがあります。
医者の患者いじめの事を書いていました。縁あって、その本の宣伝に協力させてもらいました。もう10年以上前の事ですが。
医師も患者も同じ人間です。人間としては同等であるべきです。
医師は、患者に対しても敬意の念を持つべきです。
しかし、「先生」「先生」と呼ばれているうちに人によってはどこか「勘違い」を起こしてくる。
病院内では権力者となり、どこか患者を「上から目線」で見るようになる。
夢から覚めた夢ですが、すでに到来している高齢化社会。高齢者の患者は増加します。高齢者は体も自由には動かせない場合が多い。
自分の意志や感情を的確に伝えられない場合が多い。
高齢者の患者を怒鳴り上げている若い医師がけっこういる。
「醜い光景」に思えるのです。
医療技術の進歩・向上は必要です。その前に、この高齢化社会にあって、医師と患者との関係はどうあるべきか。
国の社会福祉政策、医療行政制度とは、また違った次元での「在り方」が求められる時代になっているような気もするのです。
「医療従事者の人間学」。そんなものを医療教育の場でせめて一年、学んでもらうというのも必要なのではと。
だから僕は国境なき医師団に加わった医者を尊敬します。看護師を尊敬します。
さだまさしの「風に立つライオン」に感動します。
たまにスーツを用いる時は襟にライオンの襟章をつけます。
一つのささやかな“主張”として。
風邪は癒えました。どうも病は歳月とは無関係のようでありまして。
病に苛まれている後期高齢者の喩えにはならないのですが。それが突然だったと言うこともありで、自らを「優しい鬼」にしてしまいました。
そうなんです。不覚にも、新年、1月1日から風邪を患い、寝たきりの状態でした。
寝ていると夢を見る。高熱にうなされているわけではないのですが、いろいろな夢を見ました。
子どもの頃の夢、学生時代の夢、そして、今の身の回りのことなど。
ホテルのマネージャーと口争いしていたり、有り得ないはずのゴルフ場にいて、何回もティーグラウンドでティーを差していたり。
何の脈絡もないことが重なり合ったり、いつも傍らに黒い姿の見知らぬ影がいたり・・・。
夢とはまったく不明なことばかりです。
今年の干支「丁酉」は、いささか不穏な年回りでもあるような謂れもききます。
すでにしてその予兆すら感じられます。
そう、夢の中にはいつも「アベ」くんが登場してもいるのです。
病気になると(風邪が病気かどうかはともかく)なぜか医者や病院の事を考えます。
広野町にある高野病院の高野院長が、自宅の火災により亡くなったことを知りました。もちろん面識はありませんが、テレビの番組ではお姿を、生き方を拝見していました。
あの「3・11」。全町避難の指示が出ているにも関わらず、高野院長は避難しませんでした。残ってくれたまず少ない職員とともに入院患者を守った人です。
享年81歳。たった一人の老医師。
彼の医師としての魂を貫いているのは「患者を守る」という一点だったとか。
原発被災地の双葉郡にはたった一つしか残されなかった病院だったのです。
後継者は現れるのか。医者としての「使命感」を持った人が表れるのか・・・。
床に臥していて「病院」の夢を見ました。目覚めて「医師」のことを考えました。
郡山に菊池小児科という医院があります。知る限りでは初代の院長は菊池寿子さんという郡山では初めての女医さんでした。
鬼籍に入られて数年。その後には長男の菊池辰夫医師が亡くなりました。震災後、郡山の子供を守るために奮闘されていました。
寿子先生が亡くなったのも原発事故の後。
原発を優しい表現の中に強い意志を込めて糾弾していました。
菊池医院の理念は「すべては患者のために」でした。
年中無休でした。
今は孫の信太郎くんが後を継いでいます。子どもたちの遊び場「ペップ・キッズ」を立ち上げています。
なぜか、郡山にある病院の事が浮かびます。土屋病院というのがああります。
その病院の二男で医師の繁裕さんは若くしてくも膜下出血で突然の他界。
その繁裕さんが書いた本に「ドクター・ハラスメント」というのがあります。
医者の患者いじめの事を書いていました。縁あって、その本の宣伝に協力させてもらいました。もう10年以上前の事ですが。
医師も患者も同じ人間です。人間としては同等であるべきです。
医師は、患者に対しても敬意の念を持つべきです。
しかし、「先生」「先生」と呼ばれているうちに人によってはどこか「勘違い」を起こしてくる。
病院内では権力者となり、どこか患者を「上から目線」で見るようになる。
夢から覚めた夢ですが、すでに到来している高齢化社会。高齢者の患者は増加します。高齢者は体も自由には動かせない場合が多い。
自分の意志や感情を的確に伝えられない場合が多い。
高齢者の患者を怒鳴り上げている若い医師がけっこういる。
「醜い光景」に思えるのです。
医療技術の進歩・向上は必要です。その前に、この高齢化社会にあって、医師と患者との関係はどうあるべきか。
国の社会福祉政策、医療行政制度とは、また違った次元での「在り方」が求められる時代になっているような気もするのです。
「医療従事者の人間学」。そんなものを医療教育の場でせめて一年、学んでもらうというのも必要なのではと。
だから僕は国境なき医師団に加わった医者を尊敬します。看護師を尊敬します。
さだまさしの「風に立つライオン」に感動します。
たまにスーツを用いる時は襟にライオンの襟章をつけます。
一つのささやかな“主張”として。
風邪は癒えました。どうも病は歳月とは無関係のようでありまして。
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