2020年2月28日金曜日

殿、錯乱状態にあらせられ。

まずは言葉の疑問から。
「全国の小中学校、高校を春休みまで、休業とします」。突然の安部の声明。
どのテレビを見てもスーパーで“休業”を“休校”とカバーしてやっている。
郡山市でも“休業”と通知を出している。
普通の感覚と知識を持った人は誰しも「休校」だ。
役所言葉に、業界用語として学校は休業と呼ぶのだろうか。

COVID-19の問題が起きてから安部政権は何も手を打ってこなかった。
対策費は150億円。他国は、国民の生命と生活を守るために億ではなく、兆の単位の国家予算を用意している。
甘く見ていたんだな。いや、今でもか。

クルーズ船の対応に失敗した矢先、新型ウイルスはまさに燎原の火の如く、ほぼ全国に拡散されている。
東北には感染者やいない、そう大見栄を切って、パーティーを行った秋葉首相補佐官の開き直り。東北にも感染者はいる。
福島にも21人。いずれも陰性だが。
それらを国も県も隠す。

万策尽きた格好の安部は毎日、「お仲間」の中に身を置いて、どうやら心の平静を保ってきた。
でも、それも限界。
お山の大将は力づくに出る。

「一斉休校」。

それが、市民生活にどれほどの影響が出ることなのかを認識する気さえない。
前日は「自衛策の要望」、翌日は「暴挙」。
その間に誰かと相談したのか?協議したのか?。そんな痕跡もない。
大胆に行きましょうと“進言”した奴がいたかどうか知らないが。

メディアと称するものが様々多様化した。
PCR検査を受けるのが陰性か陽性かの分かれ道。とされている。
しかし、その神頼みのような検査もなかなか、というかほとんど受けられない。
PCR検査の結果が唯一の物証とされる世間。

原発事故後、農産物は例えば農協にある検査機器によって「ND」未検出の測定結果を待たねばならなかった。
同じような光景だ。

地球上にはセシウムをいう放射性物質は常に存在する。「ND」と言っても数値は決してゼロではない。
“コロナ”、きわめて微細なウイルス。体内に一つでも残っていれば、いや、残るものだが、陰性が陽性化するケースもあり得る。

リハビリに病院に通っている。小学生の子供を持つ療法士は困惑していた。
奥さんもリハビリ療法士で仕事を持っている。休めない。
故郷、岩手県から親に来てもらい、家にいる子供の面倒を見てもらうかどうか腐心していた。

簡単に一斉休校と言うのは楽だが、そのことが与える影響は計り知れない。
看護師だってそうだ。今夜も家族会議が続くだろう。

医療の現場に与えるPCR検査のことも含めて、医師会会長の姿は見えない。
世界医師会の会長はどう考えているのか。

こんな一事をもってしても、医療崩壊がこれまで言われていた問題以外に始まっている。

きょうになって安倍の「カケ友」の萩生田文科相も強制ではなく、自主的な判断の要請だ、とかばい始める事態に。

何も手を打っていない、PCR検査も受けられない、などなどの批判が相次ぐ中、ついに安倍は錯乱状態になったようだ。
安倍の決定には専門家は関与していない。

関係閣僚会議の対策本部に、医学者、教育者、社会学者などなど、まともな専門家を加え、鳩首協議すべきことを独断でやる。
この国は、まったくもっておかしい。子供の将来のことが考えの中に入っているのか。いない。それは、それぞれで考えろという得意の丸投げ。

トイレットペーパーがなくなっていた。ドラッグストアに買いに行った。
ものの見事に棚が空。
デマが買占めの原因らしい。

医療は崩壊、社会構造も崩壊。教育も崩壊。中小企業も倒産。飲食店も閉店。株価は下がる一方。国そのものが崩壊していると言えなくもない。

ウイルスに責任があるわけではない。
つとめて、政治の責任、政治の不作為、政治家の無知、それらが絡んだ“複合汚染”だということなのか。

何がどう転がるか。数日様子を見るしかないのが悔しい。

2020年2月26日水曜日

静かに進行している「パンデミクス」

先月か、「不条理」について書いた。
カミユの「ペスト」、そのエンディングにはこんなことが書かれている。
“リウー(主人公の医師)はこの町から立ち上る歓喜の叫び(ペストは終焉したという当局の声明を聞いての)を聞きながら、この歓喜が常に脅かされていることを思い出していた。というのも、彼はこの喜びに沸く群衆の知らないことを知っていたからだ。それは、様々な本の中で読めることだ。
ペスト菌は決して死ぬことも、消滅することもない。数十年間も、家具や布製品のなかで眠りながら生き残り、寝室や地下倉庫やトランクやハンカチや紙束の中で忍耐強く待ち続ける。そして、おそらくいつの日か、人間に不幸と教えをもたらすために、ペストはネズミたちを目覚めさせ、どこか幸福な町で死なせるために送りこむのである“。

カミユの「ペスト」は1947年に刊行されている。わずか70数年前にこんな「文学」があったということ。
現代の黙示録のような気がしてならない。

多分、同じ頃か、日本では結核菌が大流行していた。カラ咳をしている人は結核患者とされていた。近ずくなと大人から口を酸っぱくして言われた。結核菌は何処にいるのか何処からくるのかわからなかった。
結核患者への療法は「サナトリウム」というところに患者を隔離し、有効な治療薬はなかったはずだ。
いま、結核菌を持つ人は少ない。

これまで我々が知ってきた菌、ウイルス。インフルエンザがその代表だが、6つに菌に脅かされてきた。
そして7つ目が今回の「COVID-19」。新型ウイルス。

科学文明は進み、我々は便利で快適な生活を得るようになった。テレビのCMがそれを象徴している。しかし、生命体であるはずの「ウイルス」に対しては、その防御策や治療薬はまだ無い。AIによる豊かな生活とは無縁だ。

今度の「事件」」、数々の「わからないこと」が多すぎる。
“震源地”は本当に武漢なのか。カエルやヘビが感染源なのか。
ならば、なんで中国政府は化学工場を爆破するのか。

ダイヤモンド・プリンセスという豪華客船の怪。船籍や保有会社が最近やっとちょこっと伝えられる。船籍イギリス、所有者はアメリカ。

船長は船内の”録音・録画“を聞けば、どうやら日本人のよう。
船の中のことはすべて船長に権限があるとされてきた。
しかし、船長の「権限」はどれくらいあったのか。無いに等しい。

長期間にわたる船内での“隔離”。隔離は成功しなかった。蔓延に火をつけいるようだし、死者もでた。
大黒ふ頭に着岸後の検疫体制の不備。船内の“隔離体制”の不備。
下船は厚労省の指示待ちだという船長。

素人考えだが、すぐに全員下船させ、しかるべき隔離措置をとるべきだったのではないか。

メディアの特にテレビの問題。昼のワイドショーは何を考えているのか。
興味本位。その一言。それがテレビの存在意義か。
視聴者の不安をやたら煽ってはいないか。

感染と発症とは全く違う。しかし、テレビの扱いは感染、即発症。
もしかしたら、COVID-19はすでにして日本の中にも侵入していて、「仲間」の到来を待って、一斉蜂起したのかもしれないという”妄想“が湧く。
感染源の特定や感染経路の探索はもはや不可能。

いつ、どこに登場するかだれもわからない。
誰しもが「菌」の中にいるのかもしれない。

マスク(それはウイルス防御に役立つかどうかは別)の買占め屋が登場し、ネットで高値で売るという卑劣な輩がやはりいるということ。

消毒液も品切れ。これも買占めの対象か。

新型ウイルス事件が起きてから、これはつとめて「政治問題だ」と言ってきた。
しかし、政治は機能していたのか。していない。
今頃、なにやら指示を出す。

対策会議は政府だけ。学者など専門家は含まれていないようだ。
前日の専門家会議の提言は聞くに値するが、国の指針は遅きに失した。

肝心な「初動」が無意味であり、政治の「空白」が事を大きくした。
政治の要諦は「想像力」だ。想像力を働かせれば、先手、先手と手を打てたはず。

今日になって安部は「イベント中止」と言い出した。もう民間ではやっていること。
医療体制の構築、治療薬の開発。PCR検査も所管の保健所は逃げている。

国は、地方自治体に振る。保健所は医療機関に振る。
みんな責任回避だ。

原発事故の当時が浮かぶ。保健所に「ホールボディーカウンター」の検査に行けたのは、騒ぎがとりあえず一段落してから。

「お役所仕事」とは昔の人はよく言ったもんだ。

正しく知って正しく怖がろう、恐れよう。原発事故時に言われた“標語”。
どうやって正しく知るのか。国からの「情報開示」はなはだ心もとない。
正しく怖がっている。でも、どこへ行けばその不安は解消されるのか。

やはりあらゆることが、「不条理」にあり、我々は、その不条理にさいなまれている。

安部の野望だった東京五輪。五輪のことは夢のまた夢。中止するなら早いほうがいい。まともな関係者や選手には気の毒だが、諦念を持ってもらうのも政治の課題。ヘビの生殺しからの脱却。そうあるべきとも思うのだが。

新型ウイルスの蔓延は、今が盛りなのだ。

2020年2月8日土曜日

マスクは何処に消えた?

中国、武漢発の「新型コロナウイルス」。依然、世の中は騒然としている。騒擾状態といえるかも。死亡者も。

連日、ワイドショーは「専門家」を呼んで、さまざまな“見解”が伝えられる。

「正しく知って正しく怖がろう」ー司会者のご託宣。
今は、何が正しいのかわからない。正しいことを知る術はテレビだということか。

例えばマスク。手洗い・洗顔・マスクと言う。しかし、マスクにどれだけ“効果”あるのか。
「正しく知った」人たちは、日本人を含めた感染者の拡大とともに、マスク買いに走った。あっという間の品切れ。中国から「爆買い」に来た中国人のように、奪い合いのような光景は見られないものの、近所のドラッグストアでマスクを買えないで途方に暮れる母娘の姿を見て、入荷の見通しはありませんという店員の応対は冷酷にすら見えた。

マスクは必要不可欠なものなのだろうか。

WHOの危機準備担当局長は「マスク着用は感染予防にはならない」と指摘している。手洗いの方が効果的だという。
マスクは医療関係者などの間で、感染拡大を抑止する助けにはなるが、一般の人のマスク着用は必ずしも感染予防にはならない。咳など呼吸器症状がない人には必要ない。とも指摘する。
そしてその会見の中で「パンデミック(警戒レベルが最高度の世界的大流行を意味する)ではなくインフォデミック(根拠のないフェイク情報が大量拡散すること)が起きている。との見解を示した。

マスク不足に対しては、医療従事者などに優先的にいきわたるようにと警告。
買占めなどに警鐘を鳴らし、価格のつり上げにも遺憾の意を表している。

因みに、厚労省のホームページを見る。「マスクは、咳やくしゃみによる飛沫及びそれらに含まれるウイルス等病原体の飛散を防ぐ効果が高いとされています。咳やくしゃみ等の症状のある人は積極的にマスクをつけましょう。
一方で、予防用にマスクを着用するのは、混み合った場所、特に屋内や乗り物など換気が不十分な場所では一つの感染予防策と考えられますが、屋外などでは、相当混み合っていない限り着用する効果はあまり認められていません。
咳や発熱などの症状のある人に近づかない、人混みの多い場所に行かない、手指を清潔に保つといった感染予防策を優先して行いましょう。」と書かれていた。

これらが信ずるに足る正しい知識かどうかはわからない。正しく恐れることへの答えかどうかもわからない。

原発事故で経験した一部学者への不信。
国民の生命と安全を守ることへの無策ぶり。

9年前、「放射能汚染」が言われたとき、防護服を持たない(当たり前だが)市民の出来ることは、不要不急の外出は控える、外出時にはマスクをする。手洗い、洗顔、着ていった服は表ではたいて入る。

そう、公共機関からもマスコミからも“知識”を刷り込まれた。
日本列島の半分はマスク姿があふれていた。

でも、ドラッグストアでマスクは自由に買えた。

今回の「新型ウイルス問題」、いつの間にかマスクはどこにも売っていないという状況。
発生当時は中国から来日した中国人がマスクを爆買いしている光景をテレビは半ば揶揄するように報じていたが。
事が日本に飛び火すると日本人によるマスクの「爆買い」が発生。
目端の利いた奴は大量に買い込みネットで法外な値段で売っている。

スーツケース一杯にマスクを買っていた中国人を笑えない。
同じようなことをしているのだから。悲しいぜ。

ニュースというものは、大きなものほど真相はよく分からない。
情報はいくらでも作れるし、加工するのはもっと簡単だ。権威のある機関(例えば政府機関とか大新聞社とか大学教授)が発している情報だから信頼できるかというと、まったくそんなことはないことを、我々は経験済みだ。
自分の中の知性、リテラシー能力をフルに活動させる以外にない。
何が真相に近いのかを「総合的に判断」するしかない。

今の政府には、いやその他の権威には常の不信感を持っている
大体、感染源は何なのか。全く不明だ。

武漢の海鮮市場のウイルスが突然変異したとされてはいるが、こと中国のことには常に懐疑的なことが伴う。

新型コロナウイルスと呼ばれているものがどの程度の危険性を持っていて、自分の生活とどのように関係してくるか、そのリスクをどう捉えるか。
この「リスク」には、感染するリスクだけでなく、過剰反応してストレスをためたり、他者を攻撃したりすることで社会が乱れるというリスクも含まれる。現時点ではそうしたリスクに国は踊らされているような気がする。

日本政府は初動で後れをとり、変化に対する想像力を欠いていた。
大統領選に血道を上げるトランプのツイッターは黙したままのようだ。

来日が予定されている習近平主席に安部は気を使いっぱなしだ。
自民党の二階は都の知事に依頼して大量のマスクを中国に送らせた。

20年ほど前に話題になった本に「チーズは何処に消えた?」という物語がある。二匹のネズミと二人の小人が食べてしまったチーズの塊を捜し求めていく物語。
 小人のホーは、新しいチーズを探していく中で、迷路を駆け巡りながら、気づいたことを壁に記録していき、とうとう新しいチーズステーションを発見する。
 ホーは、自分が学んだことを次のようにまとめた。
変化は起きる。
変化を予期せよ。
変化を探知せよ。
変化にすばやく適応せよ。
変わろう。

消えたマスクを憂いながら、こんな物語を思い出していた。
今の世相や政治の在り方にどこか通じる気がして。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...