2020年2月8日土曜日

マスクは何処に消えた?

中国、武漢発の「新型コロナウイルス」。依然、世の中は騒然としている。騒擾状態といえるかも。死亡者も。

連日、ワイドショーは「専門家」を呼んで、さまざまな“見解”が伝えられる。

「正しく知って正しく怖がろう」ー司会者のご託宣。
今は、何が正しいのかわからない。正しいことを知る術はテレビだということか。

例えばマスク。手洗い・洗顔・マスクと言う。しかし、マスクにどれだけ“効果”あるのか。
「正しく知った」人たちは、日本人を含めた感染者の拡大とともに、マスク買いに走った。あっという間の品切れ。中国から「爆買い」に来た中国人のように、奪い合いのような光景は見られないものの、近所のドラッグストアでマスクを買えないで途方に暮れる母娘の姿を見て、入荷の見通しはありませんという店員の応対は冷酷にすら見えた。

マスクは必要不可欠なものなのだろうか。

WHOの危機準備担当局長は「マスク着用は感染予防にはならない」と指摘している。手洗いの方が効果的だという。
マスクは医療関係者などの間で、感染拡大を抑止する助けにはなるが、一般の人のマスク着用は必ずしも感染予防にはならない。咳など呼吸器症状がない人には必要ない。とも指摘する。
そしてその会見の中で「パンデミック(警戒レベルが最高度の世界的大流行を意味する)ではなくインフォデミック(根拠のないフェイク情報が大量拡散すること)が起きている。との見解を示した。

マスク不足に対しては、医療従事者などに優先的にいきわたるようにと警告。
買占めなどに警鐘を鳴らし、価格のつり上げにも遺憾の意を表している。

因みに、厚労省のホームページを見る。「マスクは、咳やくしゃみによる飛沫及びそれらに含まれるウイルス等病原体の飛散を防ぐ効果が高いとされています。咳やくしゃみ等の症状のある人は積極的にマスクをつけましょう。
一方で、予防用にマスクを着用するのは、混み合った場所、特に屋内や乗り物など換気が不十分な場所では一つの感染予防策と考えられますが、屋外などでは、相当混み合っていない限り着用する効果はあまり認められていません。
咳や発熱などの症状のある人に近づかない、人混みの多い場所に行かない、手指を清潔に保つといった感染予防策を優先して行いましょう。」と書かれていた。

これらが信ずるに足る正しい知識かどうかはわからない。正しく恐れることへの答えかどうかもわからない。

原発事故で経験した一部学者への不信。
国民の生命と安全を守ることへの無策ぶり。

9年前、「放射能汚染」が言われたとき、防護服を持たない(当たり前だが)市民の出来ることは、不要不急の外出は控える、外出時にはマスクをする。手洗い、洗顔、着ていった服は表ではたいて入る。

そう、公共機関からもマスコミからも“知識”を刷り込まれた。
日本列島の半分はマスク姿があふれていた。

でも、ドラッグストアでマスクは自由に買えた。

今回の「新型ウイルス問題」、いつの間にかマスクはどこにも売っていないという状況。
発生当時は中国から来日した中国人がマスクを爆買いしている光景をテレビは半ば揶揄するように報じていたが。
事が日本に飛び火すると日本人によるマスクの「爆買い」が発生。
目端の利いた奴は大量に買い込みネットで法外な値段で売っている。

スーツケース一杯にマスクを買っていた中国人を笑えない。
同じようなことをしているのだから。悲しいぜ。

ニュースというものは、大きなものほど真相はよく分からない。
情報はいくらでも作れるし、加工するのはもっと簡単だ。権威のある機関(例えば政府機関とか大新聞社とか大学教授)が発している情報だから信頼できるかというと、まったくそんなことはないことを、我々は経験済みだ。
自分の中の知性、リテラシー能力をフルに活動させる以外にない。
何が真相に近いのかを「総合的に判断」するしかない。

今の政府には、いやその他の権威には常の不信感を持っている
大体、感染源は何なのか。全く不明だ。

武漢の海鮮市場のウイルスが突然変異したとされてはいるが、こと中国のことには常に懐疑的なことが伴う。

新型コロナウイルスと呼ばれているものがどの程度の危険性を持っていて、自分の生活とどのように関係してくるか、そのリスクをどう捉えるか。
この「リスク」には、感染するリスクだけでなく、過剰反応してストレスをためたり、他者を攻撃したりすることで社会が乱れるというリスクも含まれる。現時点ではそうしたリスクに国は踊らされているような気がする。

日本政府は初動で後れをとり、変化に対する想像力を欠いていた。
大統領選に血道を上げるトランプのツイッターは黙したままのようだ。

来日が予定されている習近平主席に安部は気を使いっぱなしだ。
自民党の二階は都の知事に依頼して大量のマスクを中国に送らせた。

20年ほど前に話題になった本に「チーズは何処に消えた?」という物語がある。二匹のネズミと二人の小人が食べてしまったチーズの塊を捜し求めていく物語。
 小人のホーは、新しいチーズを探していく中で、迷路を駆け巡りながら、気づいたことを壁に記録していき、とうとう新しいチーズステーションを発見する。
 ホーは、自分が学んだことを次のようにまとめた。
変化は起きる。
変化を予期せよ。
変化を探知せよ。
変化にすばやく適応せよ。
変わろう。

消えたマスクを憂いながら、こんな物語を思い出していた。
今の世相や政治の在り方にどこか通じる気がして。

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  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...