「五輪」と「コロナ」。コロナウイルスが急速に拡大していく中、当然の事だが、五輪の延期が決まった。安倍は自らの主導権を言いつのり、IOCのバッハ会長は40日以内に結論を出すという前言を翻し、延期は自分の判断だという。安倍の提案を受け入れたと。
電話会談に陪席した、小池都知事や五輪担当大臣、森JOC会長はただ、電話会談の“権威付け”のための付属品だったのか。
東京オリンピック。その責任者は都知事のはずだ。安倍は首相であってもIOCと直接話し合い、五輪に関することを決める立場では無いはずと思うのだが。
こんな決定ずっと前から為されるものだった。大方の国民も他国の多くが予想したこと。英断でも決断でもない。
♪何を今更言ってるのか。気まぐれ夜風に情けなんってあるものか。捨てっちゃえ、捨てちゃえ、どうせ拾った地位だもの~そんなコロンビアローズの唄が頭の中で聞こえてくる。
嘘で拾った恋じゃもの~と続いて出てくる。
「延期でよかった。中止でないもの」。
と言うことは「中止」も視野にあったということか。
電話会談後の安倍と小池の「グータッチ」。その意味わからん。
強固な関係ができたということか。
何かとカタカナ語がお好きで、教養指数とばかりに発音よろしくお使い召さる小池。横文字使って、それがわからない記者に「あんたこれぐらいのことわからないの」と颯爽とショール翻して立ち去る小池さん。
決まり文句は、選挙時は「都民ファースト」。今回は「アスリートファースト」。ハイソサイティーは上級国民は「ファースト」がお好み。
安倍が突然ほざいた「一斉休校」のお触れ。あれで、教育現場や子を持つ家庭はどれだけ混乱させられたか。世の非難受けると、再開などは担当閣僚に振る。
責任回避の上手さ。
専門家会議なるものの議を経ないでの独走発言。うん、格好いいぜ。さすがは三権の長。
それからは何でも「専門家会議」。この専門家会議というものもよくわからん。
誰が選んだメンバーなのか。
国民に自粛を呼びかけながら、都内の高級レストランの庭園で、花見の宴に興ずる内助の功著しい昭恵夫人のご乱行。国会で追及されて例の如くうろたえながら、いわばですね~を繰り返す醜さ。
まさに
夫婦善哉、いや、三文漫才。
昭恵はまさに濃厚接触の「ハイ・ポーズ」。ウイルス拡散の「お手本となる笑顔」。
スーパースプレッダーだ。
原発はコントロールとの嘘。嘘で固めた人生行路。
原発はコントロール出来てもバカ女房はコントロール能わず。
安倍にK-1イベントを誹る資格なし。
強いリーダーシップの大きな勘違いを恬として恥じない晋三クン。
「五輪延期」でカタがついたらその翌日は百合子姫の大号令。
これでグータッチの謎が判明する。
延期決定で、安倍は任期一杯の首相の座を確保。挙句、子飼いのNHK記者に「4選」と言わせる。
小池は自民と手を組み、再選を確実なものに。
オリンピックという自己の政治利用。
前日に「東京ロックダウン」を匂わせ、会見では「オーバーシュート」を連呼。外出規制。家をでることまからぬ、のお達し。
テレビで流れるや否や都内のスーパーは食料品確保のための爆発的買い物行列。
またも出現。買いだめで束の間の”安心“を得る都民の群れ。
そんな不安が「スポット効果」を呼ぶことは原発事故後の世相で体験済みなのに。
我々は3蜜の世界にいる。
換気の悪い密室空間を避ける。
人の密集する場所は避ける。
近距離での会話、発生する密接場面を避ける。
「密」の世界は「ミチ」の世界。同じ「ミツ」なら壇蜜がいいな。
安倍がまた無意味な会見をやっている。経済のV字回復を目指すと。
オリンピックの延期に未練がましい言葉を愚痴めいてのプロンプター会見。
自民党の族議員の集まりではバカバカしいことが言われている。
和牛券の発行、お魚券の発行。
実態が飲み込まれていないのだ。
政治判断とはなにか。それには重大な責任を伴うというのが憲政の常道。
格好付けはいい加減にしようぜ。
「ペスト」以来、人類とウイルスのことを考えている。勝敗ではなく、人類の歴史として。
きょうの記者会見でNHKの記者がしていた。
いつになったら終息するのか、その出口戦略はと。
バカだね、こいつら。
「コロナのことはコロナに聞け」。禅語の一つ「松のことは松に聞け」をもじる。無意味だけど。
余談。
安倍首相曰く「PCR検査を保険適用にした。これで全員が検査を受けられるようになります」。
あんな安易な発言はどんな口から出たのだろうか。
seiji
2020年3月28日土曜日
2020年3月22日日曜日
人の死せんとする、その言やよし。
論語にこういう一節がある。
「曾子言ひて曰く、鳥の将(まさ)に死なんとする、其の鳴くや哀し。
人の将(まさ)に死なんとする、其の言ふや善し。」
口語体にすれば、おおよそこういうことだ。
「鳥の死にぎわの悲鳴には、人の胸をえぐるような悲痛さがこもっている。
人が死を前にして言う言葉には、真実がこもっている」。
新型ウイルス問題が医療を含めて大問題になっている中、書かねばならぬことがある。
安倍晋三夫妻の“犯罪”の一つである、「森友問題」。
学校法人「森友学園」の国有地売却問題を担当していた財務省近畿財務局赤木俊夫氏が、佐川宣寿元国税庁長官の指示で決裁文書改ざんを強制され自殺に追い込まれた事件。
その遺書が週刊文春で「公表」された。
最後の手書きの部分。
“今回の問題は、すべて理財局が行った。指示のもとは佐川元理財局長と思います。最後は下部がしっぽを切られる。
なんて世の中だ。手がふるえる。怖い。
命 大切な命 終止符“
NHKの元記者の相沢氏が公表、公開に貢献した。彼の正義感とNHK内の“安倍内閣”との相似性。
彼は彼でNHKの内部を暴露する。
超本人は当時の東京の報道局長小池某。
官僚の「悪事」は安倍が国会での答弁で「私や妻がかかわっていれば、総理はおろか国会議員も辞めます」と興奮して喚いた一言。この言葉が悲劇の引き金。
官邸の指示か、財務大臣の指示か。
財務官僚は安倍の「狂言」を正当化するため、資料の破棄、改ざんに血道をあげた。その張本人が佐川。
赤木氏はいわゆるノンキャリア。キャリアの上級官僚から徹底的ないじめをうける。嫌がらせを受ける。「パワハラ」の典型だったような。
「公務員の犯罪」は地位や身分の乱用で起きる。保身のために起きる。
財務省に大阪地検が加担した。地検特捜部長は不起訴を決め、函館地検の検事正に栄転。また大阪地検の次席に舞い戻りの出世。
例えば元TBS記者の山口某の強姦問題。
閣僚の相次ぐ不祥事。もみ消され不問に付され。
なぜ乗り切ってこられたのか。理解不能だ。
そして、安倍が言えば何でもまかり通る空気が国民にも伝染し、「意志を持たない民」が誕生している。
籠池側の訴訟はすべて棄却。籠池は有罪、佐川はお咎めなしの栄転。大阪地検特捜部長も前述のように栄転。
腐りきった日本の官僚組織の実態を物語っている。それが赤木夫人の“決断”で日の目を見た「遺書」。
奥さんは国と佐川氏に計約1億1300万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した。
この提訴を司法はどう扱うのか。再び問う。
政治家の”犯罪“はこれまでも多々あった。司法が機能したと思えるものもあたし司法は死んだと思われるものもあった。
安倍内閣になってから、「司法」は無いに等しい三権の一つとなった。
森友事件、もう一つの問題は安倍夫人の言動、行動。秘書官とされていた
谷査恵子氏はすべてを知っている。しかし、今は異国の地に飛ばされている。
今、新型コロナウイルス問題で、世界は騒然としている。
このコロナ問題でもいきなり「一斉休校」を言い出したり。自分が言ったことの「負の連鎖」には気がまわらない。
面倒になってくると省庁に丸投げする。
コロナの問題からは手を引いてもらいたい。
森友問題。次は野党が佐川を国会の証人喚問に呼び出せるかだ。
もはや刑事訴追の恐れがあるためという言い訳は通用しなくなっているはず。
そしてメディア。
心ある記者には圧力を掛ける。東京新聞の望月 衣塑子記者はめげない。
閑職に追いやられる記者もいる。
前述のNHKの相沢記者はNHKを退社し、大阪の新聞社に身を置いている。
直近では朝日新聞の福島ともつながりが深い
青木 美希いう人は記事審査室に移動させられたこと。朝日新聞においておや。
遺書の公開を機に、この問題を国民は放っておいて良いわけはない。
官僚は誰のために働いているのか。政治家ではなく、国民のためのはず。そうでない現状は政治の仕組みが崩壊しているという事の証左。
国会は政治家が嘘をつく場所になり、官僚が公文書と言う事実を抹消する日本の政治。放っておいて良いわけがない。
それにしても「文春」。
田中角栄は立花隆の「田中角栄研究」で田中金脈を書かれ、児玉隆也の「悲しき越山会の女王」と相まって、世間の指弾を浴び、志半ばにして、潔く首相の座を去った。
これは月刊誌の文芸春秋。
今回の「安倍ゲート」は週刊文春。まさに「アメリカのウオーターゲート」事件をもじってだが。
今の日本のジャーナリズムを考える。考えて、また考える。
「曾子言ひて曰く、鳥の将(まさ)に死なんとする、其の鳴くや哀し。
人の将(まさ)に死なんとする、其の言ふや善し。」
口語体にすれば、おおよそこういうことだ。
「鳥の死にぎわの悲鳴には、人の胸をえぐるような悲痛さがこもっている。
人が死を前にして言う言葉には、真実がこもっている」。
新型ウイルス問題が医療を含めて大問題になっている中、書かねばならぬことがある。
安倍晋三夫妻の“犯罪”の一つである、「森友問題」。
学校法人「森友学園」の国有地売却問題を担当していた財務省近畿財務局赤木俊夫氏が、佐川宣寿元国税庁長官の指示で決裁文書改ざんを強制され自殺に追い込まれた事件。
その遺書が週刊文春で「公表」された。
最後の手書きの部分。
“今回の問題は、すべて理財局が行った。指示のもとは佐川元理財局長と思います。最後は下部がしっぽを切られる。
なんて世の中だ。手がふるえる。怖い。
命 大切な命 終止符“
NHKの元記者の相沢氏が公表、公開に貢献した。彼の正義感とNHK内の“安倍内閣”との相似性。
彼は彼でNHKの内部を暴露する。
超本人は当時の東京の報道局長小池某。
官僚の「悪事」は安倍が国会での答弁で「私や妻がかかわっていれば、総理はおろか国会議員も辞めます」と興奮して喚いた一言。この言葉が悲劇の引き金。
官邸の指示か、財務大臣の指示か。
財務官僚は安倍の「狂言」を正当化するため、資料の破棄、改ざんに血道をあげた。その張本人が佐川。
赤木氏はいわゆるノンキャリア。キャリアの上級官僚から徹底的ないじめをうける。嫌がらせを受ける。「パワハラ」の典型だったような。
「公務員の犯罪」は地位や身分の乱用で起きる。保身のために起きる。
財務省に大阪地検が加担した。地検特捜部長は不起訴を決め、函館地検の検事正に栄転。また大阪地検の次席に舞い戻りの出世。
例えば元TBS記者の山口某の強姦問題。
閣僚の相次ぐ不祥事。もみ消され不問に付され。
なぜ乗り切ってこられたのか。理解不能だ。
そして、安倍が言えば何でもまかり通る空気が国民にも伝染し、「意志を持たない民」が誕生している。
籠池側の訴訟はすべて棄却。籠池は有罪、佐川はお咎めなしの栄転。大阪地検特捜部長も前述のように栄転。
腐りきった日本の官僚組織の実態を物語っている。それが赤木夫人の“決断”で日の目を見た「遺書」。
奥さんは国と佐川氏に計約1億1300万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した。
この提訴を司法はどう扱うのか。再び問う。
政治家の”犯罪“はこれまでも多々あった。司法が機能したと思えるものもあたし司法は死んだと思われるものもあった。
安倍内閣になってから、「司法」は無いに等しい三権の一つとなった。
森友事件、もう一つの問題は安倍夫人の言動、行動。秘書官とされていた
谷査恵子氏はすべてを知っている。しかし、今は異国の地に飛ばされている。
今、新型コロナウイルス問題で、世界は騒然としている。
このコロナ問題でもいきなり「一斉休校」を言い出したり。自分が言ったことの「負の連鎖」には気がまわらない。
面倒になってくると省庁に丸投げする。
コロナの問題からは手を引いてもらいたい。
森友問題。次は野党が佐川を国会の証人喚問に呼び出せるかだ。
もはや刑事訴追の恐れがあるためという言い訳は通用しなくなっているはず。
そしてメディア。
心ある記者には圧力を掛ける。東京新聞の望月 衣塑子記者はめげない。
閑職に追いやられる記者もいる。
前述のNHKの相沢記者はNHKを退社し、大阪の新聞社に身を置いている。
直近では朝日新聞の福島ともつながりが深い
青木 美希いう人は記事審査室に移動させられたこと。朝日新聞においておや。
遺書の公開を機に、この問題を国民は放っておいて良いわけはない。
官僚は誰のために働いているのか。政治家ではなく、国民のためのはず。そうでない現状は政治の仕組みが崩壊しているという事の証左。
国会は政治家が嘘をつく場所になり、官僚が公文書と言う事実を抹消する日本の政治。放っておいて良いわけがない。
それにしても「文春」。
田中角栄は立花隆の「田中角栄研究」で田中金脈を書かれ、児玉隆也の「悲しき越山会の女王」と相まって、世間の指弾を浴び、志半ばにして、潔く首相の座を去った。
これは月刊誌の文芸春秋。
今回の「安倍ゲート」は週刊文春。まさに「アメリカのウオーターゲート」事件をもじってだが。
今の日本のジャーナリズムを考える。考えて、また考える。
2020年3月11日水曜日
9年前と同じ「この国の姿」
今、新型コロナウイルス、COVID-19のまさに“パンデミクス”のような騒ぎに、日本はおろか全世界が慄いている。
今の社会構造は、原因は違うが、あの「3・11」の時と重なって見える。
それは、人間は、少なくとも10年前に起きた大惨事から何も学んでいないということ。
危機管理という問題から、目を逸らしてきたということ。
原発についていえば「事故は起こらない」という安全神話の中に身を置いてきたということ。
それを安全性バイアスと呼ぶかどうかはともかく、勝手に起こらないものとしてきた。原発事故は。
政府というものは、「調べない、知らせない、助けない」。そんな国の姿を9年間見続けてきた筈だが。
当時のこの国の姿はあまりにも異様であり、異形だった。
国は、常に“目くらまし”を図ってきた。それは今も続いている。
「復興五輪」とは何だ。その「イカサマ」に気付いているのは、事故の被害者である、強制避難の「罠」にはめられてしまった未だ6万人に上るという福島の「当事者」だけだ。
五輪のためについた「嘘」、アンダーコントロール。そのまやかしを気付かないふりをして、「聖火リレー」に血道を上げる一部の人。
端的な話、リレーのコースだけは整備され、除染も進められた。
一筋、裏側に入るとどうだ。「廃墟」という言葉しか浮かばない。
そして高線量地域がまだ存在しているということ。
廃炉の問題、汚染水の処理問題、崩壊された地域社会、家庭・・・。
アンダーコントロールというまやかしも、今度の「新型コロナ」ではNot under controlだ。
正しく知って正しく怖がろう。こんなセリフを何十回も聞かされた。
その「正しさ」が何を指すのかいまだもってわからない。
同じセリフを、「コロナ」でも聞かされている。テレビの向こうにいるタレント評論家、専門家という人たち。
「3・11」時も専門家が数多く登場した。登場させた。
そして、我々は“正しさ”が何か判らなくなり、右往左往し、デマに苛まれ、「一億総ヒステリー状態」の中に身を置いてきた。
曰く。
不要不急の外出は避ける。
外出時にはマスク必携。帽子必携。帰宅時には玄関先でコートをパタパタと払う・・・。町内会から貸し出された線量計で家の周囲を計測する。
そして生活の混乱。ペットボトルの水を求めての行列。
近くのスーパーから食料品は消えていた。
そしてガソリン不足。
1号機の爆発のテレビ映像に恐怖を覚えながら、生活の手段を考えていた。
あの日から数日間、どんな食事をしたか記憶が無い。
それが刊行されるかどうかは不明のまま、連載しているコラムの原稿を届けに行った。FAXもパソコンも使えなかったから。
慣れ親しんだ町はほとんど人はいなかった。どんよりとした空気に覆われていた。
デマのチェーンメールが送られてくる。もちろん“知り合い”からだ。
最初はデマと返信していたけど、労力がばかばかしくなり止めた。
やがてビッグパレットに富岡、川内の人たちが避難させられてきた。
何千人の「集団雑魚寝」。
あのころもし新型ウイルスが発生し、感染が拡大していたらどうなっていたのだろう。
あの時の光景に怯える。
そして2020年の今、放射能に変わりCOVIDO-19に人々は怯えている。
テレビは相変わらず「正しく知って正しく怖がろう」と言いながら、何が正しいのかの「解」は示せない。
おなじみの「風評被害」。それによる差別とイジメ。
当時は水が、ガソリンが無かった。放射能測定機器もなかなか手に入れにくかった。
今はマスク不足、トイレットペーパー、ティッシュペーパーの欠品。そして、医療体制。PCR検査機・・・。
もしかしたら、医療崩壊への危機。
高齢者の切り捨て。
今度のコロナウイルスの件、政権は事態を、当初は「甘く」見ていた。
拡大しないものとして。
官邸の危機管理。感染症の専門家はいなかった。結果厚労省に丸投げ。
「調べない、知らせない、助けない」の「論理」が働く。
そして、政治家は現場を知らない。現場主義の思考がない。
専門家も、“研究医師”だ。臨床医師が加わっていたのかどうか。
いわゆる刑事事件でも「初動捜査」が事件解決のカギを握る。
政治家はまずもって「初動」から間違えていた。
クルーズ船への長期拘留。患者を拡大させた原因の一つではないか。
武漢からのチャーター機での帰国。日本のホテルの中での滞留。
状況は大違いだ。
3・11時、政府は国民に知らせることをためらった。放射能を測定しても公開しなかった。
「危機管理」ということを政府はもっともっと真剣に考えるべきだ。
官僚機構や官邸官僚が的確な「民情」を上にあげないから、安倍の「独走」が世間を混乱させる。
原発事故当時の「非常事態宣言」はまだ解除されていない。理由はわからないが。そして「ウイルス」では「緊急事態宣言」。法に基づいた私権の制限も起こる。
だから、3・11は過去のことではない。そこから学ぶことを学ばなかった権力者の群れ。
そして、あまりにも似通った9年前と今。
今の社会構造は、原因は違うが、あの「3・11」の時と重なって見える。
それは、人間は、少なくとも10年前に起きた大惨事から何も学んでいないということ。
危機管理という問題から、目を逸らしてきたということ。
原発についていえば「事故は起こらない」という安全神話の中に身を置いてきたということ。
それを安全性バイアスと呼ぶかどうかはともかく、勝手に起こらないものとしてきた。原発事故は。
政府というものは、「調べない、知らせない、助けない」。そんな国の姿を9年間見続けてきた筈だが。
当時のこの国の姿はあまりにも異様であり、異形だった。
国は、常に“目くらまし”を図ってきた。それは今も続いている。
「復興五輪」とは何だ。その「イカサマ」に気付いているのは、事故の被害者である、強制避難の「罠」にはめられてしまった未だ6万人に上るという福島の「当事者」だけだ。
五輪のためについた「嘘」、アンダーコントロール。そのまやかしを気付かないふりをして、「聖火リレー」に血道を上げる一部の人。
端的な話、リレーのコースだけは整備され、除染も進められた。
一筋、裏側に入るとどうだ。「廃墟」という言葉しか浮かばない。
そして高線量地域がまだ存在しているということ。
廃炉の問題、汚染水の処理問題、崩壊された地域社会、家庭・・・。
アンダーコントロールというまやかしも、今度の「新型コロナ」ではNot under controlだ。
正しく知って正しく怖がろう。こんなセリフを何十回も聞かされた。
その「正しさ」が何を指すのかいまだもってわからない。
同じセリフを、「コロナ」でも聞かされている。テレビの向こうにいるタレント評論家、専門家という人たち。
「3・11」時も専門家が数多く登場した。登場させた。
そして、我々は“正しさ”が何か判らなくなり、右往左往し、デマに苛まれ、「一億総ヒステリー状態」の中に身を置いてきた。
曰く。
不要不急の外出は避ける。
外出時にはマスク必携。帽子必携。帰宅時には玄関先でコートをパタパタと払う・・・。町内会から貸し出された線量計で家の周囲を計測する。
そして生活の混乱。ペットボトルの水を求めての行列。
近くのスーパーから食料品は消えていた。
そしてガソリン不足。
1号機の爆発のテレビ映像に恐怖を覚えながら、生活の手段を考えていた。
あの日から数日間、どんな食事をしたか記憶が無い。
それが刊行されるかどうかは不明のまま、連載しているコラムの原稿を届けに行った。FAXもパソコンも使えなかったから。
慣れ親しんだ町はほとんど人はいなかった。どんよりとした空気に覆われていた。
デマのチェーンメールが送られてくる。もちろん“知り合い”からだ。
最初はデマと返信していたけど、労力がばかばかしくなり止めた。
やがてビッグパレットに富岡、川内の人たちが避難させられてきた。
何千人の「集団雑魚寝」。
あのころもし新型ウイルスが発生し、感染が拡大していたらどうなっていたのだろう。
あの時の光景に怯える。
そして2020年の今、放射能に変わりCOVIDO-19に人々は怯えている。
テレビは相変わらず「正しく知って正しく怖がろう」と言いながら、何が正しいのかの「解」は示せない。
おなじみの「風評被害」。それによる差別とイジメ。
当時は水が、ガソリンが無かった。放射能測定機器もなかなか手に入れにくかった。
今はマスク不足、トイレットペーパー、ティッシュペーパーの欠品。そして、医療体制。PCR検査機・・・。
もしかしたら、医療崩壊への危機。
高齢者の切り捨て。
今度のコロナウイルスの件、政権は事態を、当初は「甘く」見ていた。
拡大しないものとして。
官邸の危機管理。感染症の専門家はいなかった。結果厚労省に丸投げ。
「調べない、知らせない、助けない」の「論理」が働く。
そして、政治家は現場を知らない。現場主義の思考がない。
専門家も、“研究医師”だ。臨床医師が加わっていたのかどうか。
いわゆる刑事事件でも「初動捜査」が事件解決のカギを握る。
政治家はまずもって「初動」から間違えていた。
クルーズ船への長期拘留。患者を拡大させた原因の一つではないか。
武漢からのチャーター機での帰国。日本のホテルの中での滞留。
状況は大違いだ。
3・11時、政府は国民に知らせることをためらった。放射能を測定しても公開しなかった。
「危機管理」ということを政府はもっともっと真剣に考えるべきだ。
官僚機構や官邸官僚が的確な「民情」を上にあげないから、安倍の「独走」が世間を混乱させる。
原発事故当時の「非常事態宣言」はまだ解除されていない。理由はわからないが。そして「ウイルス」では「緊急事態宣言」。法に基づいた私権の制限も起こる。
だから、3・11は過去のことではない。そこから学ぶことを学ばなかった権力者の群れ。
そして、あまりにも似通った9年前と今。
2020年3月2日月曜日
覚醒しろよ、内閣記者会。
官邸の記者クラブ。内閣記者会とも永田町クラブと言われている。
そこに多少の出入りはあったものの、約20年間所属していたものとして一言書く。
今更ながらだけど、権力とメディアの関係。それは常に「緊張」がともっていてしかるべきだ。
記者が安倍に“同化”し、安倍の猿芝居に手を貸しているような今の在り方に今の政治の世界の異常さとメディア界の凋落を感じる。
2月29日の記者会見。記者会見というより安倍の演説会だった。
プロンプターを読み上げるしか能のない安倍。
言葉尻だが、万全を「マンゼン」と読んでいた。毎度の誤読。
そして、内容は形容詞を並べ立て、大方の人が周知のことを言っただけ。
全校休校の言い訳。自らが決断した。責任はすべて私にある。またも出ましたある種のヒーロー現象。
安倍内閣になってから、記者会見は自己宣伝の場に化した。
この日の会見は、国民生活を直撃しているコロナ問題について、各種の疑問に答えるべきはずの、特別な会見のはず。国民生活を大きく左右する重大な会見、長時間かけての説明ややり取りが行われるものとある種“期待”していた。
しかし、その期待は見事に裏切られ、いつもの会見と同じようなものだった。
“期待”は見事に裏切られ、空虚さだけが残った。
あれで「国民に対して丁寧な説明をした」とほざかれてはたまったもんじゃない。
記者会見を安倍が申し入れたのか、記者会側が申し入れたのか。
どちらにしても、安倍の独演会。
首相の記者会見は1時間というのが慣行だった。
記者会見は基本的には記者クラブが主催するもの。
確かに、事の是非はともかく、首相会見の前には各社の代表者会議というのがあり質問項目を決めていた。しかし、それは代表質問をする幹事社が何を質問するかをそうだんするもので、それは“当局”に事前通告されていたが、その他は「自由」だった。首相の答えが判然としないと、何回も重ねて質問する、いわゆる「二の矢、三の矢」を問うことも自由だった。
幹事社の質問があらかた終わると「各社、自由にどうぞ」と声をかけ、最前列のキャップをはじめ、後方の記者も質問を繰り出していた。
会見の仕切り役は当局ではなく、幹事社の意向によっていた。
会見の冒頭発言に15分も首相がプロンプターを見ながら喋り捲るなんて言うこともなかった。
佐藤栄作首相時の「テレビだけに直接話します。他は出て行ってください。やりましょう」というけんか腰。記者団は「出よう出よう」と席をたった。広い会見室で一人カメラに向かって話す宰相の姿はみじめだった。
今は官邸に置かれた内閣報道官という人が会見を仕切る。
一人一問という制限を課す。質問者は所属と氏名を名乗ってから質問してください。手が上がる。報道官はその人の名前を言って「どうぞ」という。
なんだい、知り合いじゃないか。ならば名乗らせなくてもいいじゃないか。
細川内閣になってから、彼がペンで記者を指して質問するという異様な光景がうまれた。
福田康夫内閣時、記者の質問に「あなたと私は考えが違うんです」と言わせたこともあった。
過日の会見はわずか32分で終わった。打ち切られた。強権発動。
記者席から「まだ質問があるんです」という女性の声が聞こえたが、一瞬の躊躇を見せるようにして安倍は会見場を後にした。
権力とメディアの間に自由闊達な応酬がないというのは大げさに言うわけではないが民主主義に反する。
そんな会見の在り方を了としたのは記者の側だ。「時間無制限一本勝負」。
今回の会見はそういう重大な会見のはずなのに。
32分で数問の会見しか行わず、それもAP通信の記者も含めての「出来レース」と映った。
記者会見の意味をなさない。それを許す内閣記者会の記者の、記者としての矜持。
例えばだ。専門家の意見も聞いて全校休校にした。それは、いつ、どんな専門家だ。その疑義は残ったままだ。それが彼のいう「丁寧な説明」なのか。
今日、国会で、参院予算委で「化けの皮」がはがされ始めた。
しかし、国会の場でも彼は言う。「質問通告が無いから答えられない」と。
官房長官の「懇談」では記者はレコーダーやスマホを籠にいれて差し出していたということもあったと聞く。
茶番劇のような会見があって、きょうの紙面は安倍批判。その乖離、甚だしくはないかい。
この日の会見の幹事社は朝日新聞とテレビ朝日だった。もちろんそれらの記者は知らないが・・・。
新聞協会で、記者会見の在り方のついて真摯に再検討する時期にきている。
32分の会見を了とするような会見なら、各記者の疑問に答えない会見なら止めたほうがいい。
叔父さんにならって、テレビカメラに向かってプロンプターを読みあげていればいい。
何人かの首相に執拗に質問をした記憶がある。
しかし、それで何らかの職務上の不利益を被ったことはない。
そこに多少の出入りはあったものの、約20年間所属していたものとして一言書く。
今更ながらだけど、権力とメディアの関係。それは常に「緊張」がともっていてしかるべきだ。
記者が安倍に“同化”し、安倍の猿芝居に手を貸しているような今の在り方に今の政治の世界の異常さとメディア界の凋落を感じる。
2月29日の記者会見。記者会見というより安倍の演説会だった。
プロンプターを読み上げるしか能のない安倍。
言葉尻だが、万全を「マンゼン」と読んでいた。毎度の誤読。
そして、内容は形容詞を並べ立て、大方の人が周知のことを言っただけ。
全校休校の言い訳。自らが決断した。責任はすべて私にある。またも出ましたある種のヒーロー現象。
安倍内閣になってから、記者会見は自己宣伝の場に化した。
この日の会見は、国民生活を直撃しているコロナ問題について、各種の疑問に答えるべきはずの、特別な会見のはず。国民生活を大きく左右する重大な会見、長時間かけての説明ややり取りが行われるものとある種“期待”していた。
しかし、その期待は見事に裏切られ、いつもの会見と同じようなものだった。
“期待”は見事に裏切られ、空虚さだけが残った。
あれで「国民に対して丁寧な説明をした」とほざかれてはたまったもんじゃない。
記者会見を安倍が申し入れたのか、記者会側が申し入れたのか。
どちらにしても、安倍の独演会。
首相の記者会見は1時間というのが慣行だった。
記者会見は基本的には記者クラブが主催するもの。
確かに、事の是非はともかく、首相会見の前には各社の代表者会議というのがあり質問項目を決めていた。しかし、それは代表質問をする幹事社が何を質問するかをそうだんするもので、それは“当局”に事前通告されていたが、その他は「自由」だった。首相の答えが判然としないと、何回も重ねて質問する、いわゆる「二の矢、三の矢」を問うことも自由だった。
幹事社の質問があらかた終わると「各社、自由にどうぞ」と声をかけ、最前列のキャップをはじめ、後方の記者も質問を繰り出していた。
会見の仕切り役は当局ではなく、幹事社の意向によっていた。
会見の冒頭発言に15分も首相がプロンプターを見ながら喋り捲るなんて言うこともなかった。
佐藤栄作首相時の「テレビだけに直接話します。他は出て行ってください。やりましょう」というけんか腰。記者団は「出よう出よう」と席をたった。広い会見室で一人カメラに向かって話す宰相の姿はみじめだった。
今は官邸に置かれた内閣報道官という人が会見を仕切る。
一人一問という制限を課す。質問者は所属と氏名を名乗ってから質問してください。手が上がる。報道官はその人の名前を言って「どうぞ」という。
なんだい、知り合いじゃないか。ならば名乗らせなくてもいいじゃないか。
細川内閣になってから、彼がペンで記者を指して質問するという異様な光景がうまれた。
福田康夫内閣時、記者の質問に「あなたと私は考えが違うんです」と言わせたこともあった。
過日の会見はわずか32分で終わった。打ち切られた。強権発動。
記者席から「まだ質問があるんです」という女性の声が聞こえたが、一瞬の躊躇を見せるようにして安倍は会見場を後にした。
権力とメディアの間に自由闊達な応酬がないというのは大げさに言うわけではないが民主主義に反する。
そんな会見の在り方を了としたのは記者の側だ。「時間無制限一本勝負」。
今回の会見はそういう重大な会見のはずなのに。
32分で数問の会見しか行わず、それもAP通信の記者も含めての「出来レース」と映った。
記者会見の意味をなさない。それを許す内閣記者会の記者の、記者としての矜持。
例えばだ。専門家の意見も聞いて全校休校にした。それは、いつ、どんな専門家だ。その疑義は残ったままだ。それが彼のいう「丁寧な説明」なのか。
今日、国会で、参院予算委で「化けの皮」がはがされ始めた。
しかし、国会の場でも彼は言う。「質問通告が無いから答えられない」と。
官房長官の「懇談」では記者はレコーダーやスマホを籠にいれて差し出していたということもあったと聞く。
茶番劇のような会見があって、きょうの紙面は安倍批判。その乖離、甚だしくはないかい。
この日の会見の幹事社は朝日新聞とテレビ朝日だった。もちろんそれらの記者は知らないが・・・。
新聞協会で、記者会見の在り方のついて真摯に再検討する時期にきている。
32分の会見を了とするような会見なら、各記者の疑問に答えない会見なら止めたほうがいい。
叔父さんにならって、テレビカメラに向かってプロンプターを読みあげていればいい。
何人かの首相に執拗に質問をした記憶がある。
しかし、それで何らかの職務上の不利益を被ったことはない。
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