2018年12月30日日曜日

「平成天皇」と「沖縄」

1945年6月6日。沖縄根拠地隊司令官の太田實中将は本土の海軍次官に宛て打電した。

“本職の知れる範囲に於いては、県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ、残る老幼婦女子のみが、相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ、僅かに身を以って軍の作戦に差し支えなき場所の小防空壕に避難、尚、砲爆撃風雨に曝されつつ、乏しき生活に甘んじありたり。

 しかも若き婦人は、率先軍に身を捧げ、看護婦、烹炊婦はもとより、砲弾運び、挺身斬り込み隊すら申し出る者あり。

 所詮、敵来たりなば、老人子供は殺されるべく、婦女子は後方に運び去られて毒牙に供せらるべしとて、親子生き別れ、娘を軍衛門に捨つる親あり。

 さらに、軍に於いて作戦の大転換あるや、自給自足、夜の中に遥かに遠隔地方の住民地区を指定せられ、輸送力皆無の者、黙々として雨中を移動するあり。

一木一草焦土と化せん。糧食6月一杯を支うるのみなりという。

沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを“


大田中将は打電後、壕の中で自害した。
いわば遺言とも言うべき「沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを」という遺志は生かされたのだろうか。否であった。

戦後、沖縄県から全国高校野球に参加が認められたが、負けた彼らは甲子園の土を故郷に持ち帰ることは許されなかった。
沖縄は未だ「日本」では無かった。施政権を持たなかった。米軍の検疫は「土」をも許さなかった。

いつの間にか米軍基地が70%を占めるに至った。

終戦時、皇太子だった平成天皇は11歳。疎開先からもどって聞かされたであろう「沖縄」についてはさしずめ心を痛められたのだろう。

皇太子妃を得てから、天皇になってから、沖縄を11回、慰霊の訪問をされている。
大田中将の“遺言”を実践するために。

これは勝手に想像した「天皇と沖縄」である。

天皇としての最後の誕生日の記者会見で天皇が述べられた言葉。
「沖縄は先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解する様に努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いはこれからも変わることはありません」。


民主党政権時、首相だった菅直人は「いま“琉球処分”という本を読み、沖縄について勉強しています」と国会で答弁した。彼は何を学んだのか。

安倍晋三は正月休みに本を読むと言って、百田尚樹のコピペだらけの「日本国記」を机の前に並べて悦に入っていた。

象徴という天皇をどう理解すればいいのか。
憲法第1条。天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって・・・とある。
象徴の意味を一番理解されているのは天皇自身では無いのか。

美智子妃が沖縄について詠まれた歌の一つ。
<雨激しくそそぐ摩文仁の岡の辺に傷つきしものあまりに多く>

大田司令官の三女、愛子さんの詠める歌。

<身はたとへ沖縄の野辺に朽ちるとも祖国守ると父は逝きにし>


今年最後の駄文でした。

2018年12月23日日曜日

その車狂暴につき

高速道路での「あおり運転」で夫婦が亡くなった事故。
道交法含め、関係する法律の不備。
停車は運転ではないとか、危険運転致死傷罪の絡みとか。
納得できない点が多い。
高速は「最低限スピード」が規定されているはずだ。
駐停車禁止のはずだ。

法律はすべからく万能では無い。抜け穴だらけだ。抜け道だらけだ。
そして、実態、実情に即していない。

かつて田中角栄に言われた。
「キミたちもっともっと法律を勉強しろよ。今の法律は抜け穴だらけだ。
明治の時代にできたものが今も大手をふってまかり通っている。
役人は見て見ぬふりをしている。
ワシが多くの議員立法を提出したのも、法律が追いついていないからだ」。

この言葉、「あおり運転」裁判の状況を言い当てているような。

最近乗ったタクシーの運転手が言っていた。
「あの事件の前から、あおり運転は多くなっていますよ。クラクションは鳴らすし、割り込むし。なんかみんなイライラしているような。
どうしてなんでしょうね」と。

たしかに、老若男女、車の運転が乱暴であり、他の車に敵意を持っているかのような光景を目にする。いや、実体験もした。

ウインカーを出さないで右左折していく車。これが多いのには30年前に驚いた。タクシーの運転手もそれを指摘していた。

家の前の道路はもともと農道だ。そこを抜け道に利用している人が多い。
地域の人たちは暗黙の了解で、すれ違い方、退避方法を心得ている。
抜け道族はダメだ。がむしゃらに突っ込んでくるのはしばしば。
そして面突き合わせた様にいさかいが起きている。

一種の“社会契約”が破られているの感。

日暮れが早いこの頃、夕方から夜。車の運転はしないことにした。
対向車のライトが眩しすぎて前を見ることすら至難なのだ。
LED電燈をつけているからだ。
新性能の車が連日CMで流れている。新型の車も。
そのスタイルは「恐ろしい形相」をしている。
強さを誇示するかのように、とにかくライトが明るい。いくつもの形のサイドもののようなライトが付いている。
異形の車。

そこのけそこのけくるまさまのお通りだ。

しかも、いつ道交法が変わったのかわからないまま走行中は「上向き」というのが正解らしい。
昔は、市街地では下向きと教えられており、上向きライトにはパッシングして“警告”したものだが・・・。
LEDライト礼賛記事がどこかに載っているのも見た。
明るさと危なさは別問題だ。

ぼやいてもなにしても車社会からは生活手段として逃れる訳にはいかない。

科学文明の進歩は危険を連れてやってくる。こう言うは大袈裟か、時代遅れ人か。

2018年12月21日金曜日

「沖縄」と「福島」と

沖縄には在日米軍の70%の基地がある。
それらの土地はいわば「強制収用」によって出来たものがほとんどだ。
少なくとも直近の二度の知事選で、多くの県民の「ノー」の意志は示されている。
しかし国はその「民意」なるものを一顧だにしない。

すべてを「抑止力」という言葉で片付けようとする。
「抑止力」とはなんだ。軍事力と一致させている人がほとんどだ。
そして、トランプに脅迫されたように、アメリカから大量の戦闘機を買う。

多分、これからの”戦争“は軍事力だけではあるまい。
「サイバー攻撃」がその主流になるはずだ。
中国のIT技術の進化には目を見張るものがある。
サイバー攻撃で日本の電気を数日間停めることは容易だ。
日本を「ブラックアウト」に追い込めば日本は終わりになるだろう。

日本から中国へのサイバー攻撃は可能なんだろうか。

沖縄返還時、佐藤栄作は「核抜き本土並み」と豪語した。
蓋を開けてみれば「核付き本土以下」。

沖縄の問題はその根源に「日米地位協定」がある。
地位協定を廃棄、変更しない限り、沖縄の“悲劇”は続くのだ。

日本はアメリカの属国でないにもかかわらず、その振る舞いは属国意識にかたまっているように見える。

辺野古の海への土砂投入は日本人の未来への土砂投入のよおうに見える。

最近、芸能人たちが沖縄問題で声を上げ始めた。
ローラというタレントは政権に向けてでは無く、ホワイトハウスに向けての署名活動を呼びかけている。

本土の人間は言われるほど沖縄に無関心ではないと信じるのだけど。

福島は原発事故によって、国が勝手に描いた「同心円」によって、自分たちの所有する土地を失った人がいる。
その“悲劇”は今も継続中だ。
かつて、それらの事象に“棄民”という表現を使った。

中間貯蔵施設とはいったいなんだったのだ。今も、ここ郡山で「汚染物質」の搬入のための作業が続いている。
40年後には永久貯蔵施設を作る。国の根拠の無い期限と発想だった。
福島には原発事故による土地の「強制収用」があった。
その土地の返還については「解」がない。

もし仮に、仮にだよ、最終処分場が決められたとしたら、そこではまたも「反対運動」が展開されるは必定。

沖縄では美しい海が土砂で埋められようとしている。
福島では美しい自然がプルームによって汚染された。
未だもって立ち入り禁止区域が存在する。
それは鉄条網で囲われた沖縄の基地の如くにだ。

最近、辺野古の問題で、テレビが取り上げる機会がいささか増えてきてるようだ。
その不条理についてあらためて触れ出している。
福島についてもあらためて国と東電の無為無策ぶりが表面化してきた。

日本からの原発輸入を断る国が出てきている。

国に捨てられるか、国を捨てるのか。そんなことを考えたくもないが。

問題の根底には「人のこころ」という一番大事なものが横たわっているように思えるのだが。

2018年12月8日土曜日

「ブラックアウト」で思う事

きょうは真珠湾奇襲、日米開戦の日だ。そんな日であることを承知の上で。

「ソフトバンク」が通信障害を起こした。4時間余りか。携帯は不通になった。
4時間、社会生活は混乱に陥った。

冗談で言うなら、白戸家のお父さん犬を唐草模様の風呂敷に包んで“幽閉した”かだとも言いたくなる。

障害の原因は「機器の問題」として片付けられようとしている。その原因は当時者のみにしかわからない。
英国でも同じようなことが起きたとも聞く。

今、世の中はスマホ依存症の“患者”で溢れている。もちろん、この依存症への治療法は皆無だ。
スマホが使えなくなった途端、そのユーザーと言われる人は極端な不安に陥る。
孤独感にさいなまれる。

「文明の利器」と称されるものが「人間を支配する」。その典型的な現象。
もはや、我々はそんな環境から抜け出すことは出来なくなってしまったのだ。


あるところに「スマホを捨てて街に出よう」と書いたばかりだった。
それは寺山修二の「書を捨てて街に出よう」という名言を模して書いたものだったけれど。

公衆電話は無くなって行く。ポケベルも先日その“終焉”を告げられたばかりだ。

消費税の引き上げの“対案”として、スマホで決済すればポイントが付くという愚策が飛びだしている。
国家としてスマホをまるで一時のマイナンバーのようの押し付けてくる。

スマホ難民が誕生するは必定。パソコンをいじったこともないという大臣の担当はサイバーセキュリティー担当大臣。
笑い話で済ませるわけにはいかないし。

スエーデンのエリクソン社の機器が不具合を起こした。老朽化への対応がされてなかったからだと説明があった。
世界11か国で同時発生とか。
これって企業の社会的責任が追及されて然るべきことじゃないのか。

しばらく前、地震で北海道は全域停電した。ブラックアウト。
子供の頃は停電は日常茶飯事だった。常に身近に蝋燭を持たされていた。

3・11後の首都圏のブラックアウト。

日本が他国から“襲われる”のは軍事力ではない。
サイバー攻撃、停電を各地で招来させれば、日本は滅びる。

文明の進化はおおむね禍を伴ってやってくる。もはや人類はこの文明の進化なる“美しいことば”から抜け切れない。

折しも国会ではわけのわからぬどう見ても「移民法」としか思えない生煮えの中途半端な法律が成立した。
移民排斥、外国人排斥を唱っていた「右翼」の連中はなんの声も上げない。
「アベサマ」のやることにかれらは無条件に従う。
だいたい、この法律、付け焼刃的な“人材確保”。裏で動き安倍を空きつけたのは「人材派遣」会社関係者と容易に推測できる。

生煮えの外国人の安全も担保されないこの法律。真夜中の本会議での採決。
議会制民主主義が多数決をもって成り立っている以上、国会もまた無知無謀な権力者の下では「ブラックアウト」なのだ。

この国が何処を向き、どういう国なのか。ますますわからなくなってきた。
腹を立てる日々の連続。

それにしても、テレビは今この国で起きていることをなんで解説しながらキチンと伝えないのだろう。
国会では数の原理がものをいう。
数に関係なくものを言え、権力の暴走に抗えるのはメディアのはずなのに。

昨夜、国会周辺で声を上げていた人達の様子はどこも敢えてつたえようとしていない。

2018年11月22日木曜日

「ゴーン」と「ムヒカ」

“表層的”な事だけで書く。

日産の“中興の祖”であるカルロス・ゴーンが逮捕された。
所得の虚偽申告、会社のカネの私的流用・・・。

僕には「第一印象」で人の好き嫌いを判断する”癖“がある。
ゴーンが華々しく登場した時、テレビで見た印象は下世話に言えば「インチキ臭い嫌な奴」というものだった。

僕が最初に買った車はワーゲンの中古だった。ドイツの国民車という触れ込みの。
大学時代の友人がヤナセに就職しており、その縁で買ったと言うだけの理由。ヤナセの近くにはたしかルノーがあったように思う。
ルノーは国営企業の作り出したクルマだ。

ゴーンの100億円と言う報酬額には驚いた。50億円を“脱税”にも驚き、会社のカネで海外のあちこちに邸宅を買っていたともいう。
ゴーンがもてはやされたのはコストカット、いや従業員の首切り。それを“リストラ”は言えないが。

当時解雇された日産社員はどういう思いでこの金額や逮捕劇を見ているのだろうか。

ゴーンの話を見聞きしながら、なぜかウルグアイの大統領だった、世界一貧乏な大統領として有名になった、ホセ・ムヒカの逸話を思い出していた。
彼はかつて地球環境会議でこう演説していた。

“我々の前に立つ巨大な危機問題は、
環境問題なんかではありません。
政治的な危機問題なのです。
現在に至っては、人類が作ったこの大きな勢力を
コントロールしきれていません。
逆に人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているのではありません。
幸せになるために、この地球にやってきたのです“

ムヒカの問いかけはSDGs(持続可能な開発)という言葉を含む、今の世界の在り方の向けられたものだ。

持続可能な発展と世界の貧困をなくすこと、その本音は何だと言う問いかけ。
“ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車を、
インド人が持てば、この惑星はどうなるのか。
息するための酸素が、どれくらい残るのか。

西洋の富裕社会が持つのと同じ、傲慢な消費を続けたら、
世界の70億~80億人ほどの原料が、
この地球にあるのか。
なぜ私たちは、このような社会を作ってしまったのか。
間違いなく私たちが、この無限の消費と発展を求める
社会を作ってきたのだ。
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で、
「みんなの世界を良くしていこう」
というような共存共栄は可能なのか。と言う問題提起。

ムヒカはその演説をこういう言葉で締めくくっていたような気がする。
「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、
 無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

ゴーンに謹呈したい思いだ。
横浜にそびえ立つ、権力の牙城のようなビルの夜景を無ながら思う。

ゴーンの独裁“政治”は彼だけの問題では無い。日産の存在も問われることだ。
独裁は周りに独裁に協力する人、意向に逆らえない人、有価証券の偽造に携わった人がいることで成り立つ。

数の力をもって長期政権を築く。公文書の改ざんは平気で行われる。
「仲間を意識し、常に仲のいい人、コントロールしやすい人で周りを固める。
丁寧な説明といいながら、中身はおろか、説明すらされていない。
過ぎ行く時間の中で、数々の不祥事も忘れられていく。

彼らに共通して言えるのは「独裁」という名の哀れなシステムに安住してきたことだ。

最初にあの男の顔を見た時、端正な顔立ちにの中に隠れている「冷酷さ」を感じたことを思い出した。
o-

2018年11月14日水曜日

「責任論」をめぐるあれこれ

落ち葉の季節である。枯葉が舞う季節だ。
道路にも玄関にも庭にも、落ち葉の“饗宴”が季節を感じさせる。
ある家の庭に落ち葉が、枯葉が大量に飛んできていた。
その家の主は隣家の樹が枯れて落ちたものとし、それを片付けるのは樹の所有者である隣家の「責任だ」と怒鳴りこんだ。
枯葉はどこから飛んできたかはわからない。やがて口論になる。
枯葉処分の「責任論」。

東京電力福島第一発電所の爆発事故。大量の放射線が各所に飛散した。
二本松にある岩代・小浜城ゴルフ場は汚染された。
客足は遠のいた。経営破たん。別の経営で再建。
ゴルフ場は汚染が原因だとして東電の「責任」を問い提訴した。
東電や裁判所の見解。放射能汚染は風が飛散させたものであり、東電のものでは無い。その放射線は「無主物」だ。責任を風のせいにしたとんでもない「責任論」。

福島県内の被災者から集団提訴されている裁判。
東電の元幹部、会長・副社長らは「津波を予測し得る立場になかったとし、勝俣元社長・会長に至っては「部下から報告は上がってこなかった。知り得る立場に無かった」と無罪を主張した。我々には「責任」はないと。
よしんば「知り得る立場になかった」という主張が事実だとしてもそんな組織を作っていた彼らには「責任」があるはずだ。企業のガバナンスとして。

南相馬の小高区の一部住民が起こしていた原発事故の損害賠償訴訟。いわば第三者のようなADRの和解案すら東電は拒否した。

原発事故の「責任」は会社も国もとっていない。
宙ぶらりんのままの「責任」。

シリアで拘束されていたフリージャーナリストの安田純平氏に関する「自己責任論」はいまだ続いている。それは彼が“個人”だからか。
自らは“安全”なこの日本という国に居て、彼の責任を云々する。それはいわば同業のジャーナリストと称する人達が言うべきでは無い。
“私はこのテレビ局の社員です。社が許可しなければシリアには行けない。
一人で、彼の地のことを伝えようとした安田さんの行為を責めるべきでない“
モーニングショーでテレビ朝日社員の玉川徹が怒りをぶつけていたのは腑に落ちた。

「政治責任」とは何だ。言葉だけが存在している。
「説明責任」、それを丁寧ではないまでも果たしたことはない首相。

「責任」「責任」という言葉が連日のようにいわれる。
連日のように企業のトップや学校関係者がテレビカメラの前で頭を下げている。“もうしわけありません”という言葉を並べて。

「製造責任」と言う言葉も聞かれる。
それらの背景には成長の名のもとに、あまた便利で快適で豊かな生活を求めてきた「消費者責任」だってあるのではないか。

落ち葉の季節に思う。
“焚くほどは風がもてくる落ち葉かな”。良寛の句だ。
良寛の教え「足るを知る」。科学文明が進み、AIが進化していく。
良寛の教え、価値観は時代遅れの言葉なのか。意味を持たない言葉なのか。

あとで枯葉一葉に伺てみることにする。


焚くほどに風が持ちくる落ち葉かな

2018年11月4日日曜日

♪ケ・サラ ケ・サラ♪が響いていた頃

3年前の夏、国会議事堂や首相官邸の前では反原発・安倍内閣退陣を求めた
人たちの群れで溢れていた。連日のような行動。

その中で一際目を引いたのは自由の森学園の生徒たちが歌う♪ケ・セラ♪の大合唱だった。

学生の中に大人も交じりケ・セラ、ケ・セラと歌い続けていた。
♪押さえ切れない怒り
 こらえ切れない悲しみ
 そんなことのくり返しだけど
 決して負けはしないさ
 ケ・サラ ケ・サラ ケ・サラ
 僕たちの人生は
 平和と自由もとめて
 生きてゆけばいいのさ

イタリアのホセ・フェリシアーノが有名な革命家たちを歌った歌。日本語訳は岩谷時子だ。青春の1ページとして残っているだけか。

自由の森学園とは埼玉県にある中高一貫の私学。
例えば、歌手の星野源が出た学校。

一時は3万人とも6万人とも10万人とも伝えられたあの人たちはいまはどこに行ってしまったのだろう。青春の1ページとして残っているだけか。

今でも毎週金曜日、反原発を唱え、安倍政治を批判する人達が官邸前にいる。
しかし、その人数は往時よりははるかに少ない。千人くらいの時も有るという。

こういうことを白々しく書いている自分に自己嫌悪めいたものを覚える。体の不調でそこには行けないという理由で。

ハロウィンというバカ騒ぎが渋谷であった。多くの群衆が仮装してそこに集まり、無目的に街を荒らしていく。
いわゆる“バカ騒ぎ”をしていた。

渋谷は“解放区”のようになったが、それは昔のカルチェラタンのそれでは無く。

人は化粧をすることによって「気持ち」が変わるという。
病人にいささかの化粧をほどこすと眼が輝いてくるという話もある。

ハロウィンに集った人達。仮装・変装することで、“非日常”なもう一人の自分が誕生する。日頃のうっぷん、不平・不満、働き蜂のような自分から解放されようとして。
そんな風にしか彼らを理解出来ない。

アメリカ大陸では民族大移動が続いている。圧政、暴力、貧困から逃れるために南米ホンジェラスからU・S・Aまでの2千400キロを徒歩で。
日本列島を縦断するより長い距離をただひたすらに歩いている。
仮の寝場所や食料は支援団体がどうにか提供しているようだが。
7千人のうち、半数以上はこども。一縷の希望を持って目指す合衆国。
そこでは武装した1万5千人の武装兵士が待ち受けているという。

彼らは群衆なのか群集なのか。

「孤独な群衆」という論考、「群衆の中の孤独」という論考。

もはやぼんくら老人になった身は「解」を持たない。
♪ケ・サラ♪の歌声だけが耳朶をくすぐる。
  

2018年11月1日木曜日

ジャーナリストという職業

昔、田中角栄と早朝の懇談の席で彼は新聞、テレビの記者にこんなことを言った。話のきっかけは覚えてないが。
「君たちジャーナリストは我々政治家を批判するのが職業だ。仕事だ。どんどん批判すればいい。われわれ政治家はそれらの批判に負けないような政治をする。それが政治家と言う職業にかかわる立場のものの仕事だ。」

フリージャーナリストという“職業”がいつから生まれたのかはよくわからない。どの会社にも所属していないジャーナリストということか。
なぜフリーを選ぶのか。組織からの束縛を排し、文字通り“自由”の書き、行動出来るということか。

フリージャーナリストの安田純平氏が取材先のシリアで武装勢力に拘束された。4年の拘束の後解放された。帰国した。
身代金を払ったのかどうか。3億が出所不明のまま支払われたと言う。

彼の解放時にはテレビは実況中継もどきをはかり、帰国したら、一部メディアやあの例の「ネトウヨ」の非難にさらされている。
「金儲けのために危険地帯に行ったんだ。そんなやつを助けるのに政府が援助、支援する必要は無い」というのが大方の言い分。
職業としてその道を選んだのは、組織メディアには不可能なことをやったんだ。
取材して書いて報酬を得るのは当然だ。と思う。

シリアがどういう状況なのか。知りたいと思っている人たちにそれを伝えようとした。
会社員としての新聞や雑誌、テレビの人間には会社からの許可が下りないだろうことをフリーなるが故の志と環境で出来たことだ。

かつてベトナム戦争時、毎日新聞は数名の記者を投入して「泥と炎のインドシナ」という記事を書き続けた。
その企画記事はベトナム戦争の実態を読者にそれなりに十分に伝えたものだった。
その後塵を拝するがごとく、朝日も何人もの記者を投入して「ベトナム戦争ものの企画記事を次々と書いた。
しかし、彼らの”拠点“は「南ベトナム」のサイゴンだった。
やがて朝日は北ベトナムの「ハノイ」に入るいことに成功し、「ハノイ発」の記事を書いた。
大新聞の記事とは別に、今でいうフリージャーナリストの等しいような外国通信社との特別契約をした岡村昭彦が南ベトナム軍に従軍して「南ベトナム従軍記」を書いた。
カメラマンの沢田教一も、川を渡る母娘の姿を捉えて「安全への逃避行」と題した写真を撮りピュリツアー賞も受賞した。

これらの報道があって日本の国内では「ベ平連」が生まれ、ベトナム戦争反対の機運が巻き起こった。アメリカとて同様だった。

中東の紛争地へ今はベトナム戦争時のような取材が敢行される機運にはない。
たとえば、安田さんらの報道に頼るしかないのだ。
テレビはスタジオの中でああでもない、こうでもないと無責任な”言論“が飛び交ている。

福島ではあの「3・11」時、原発から70キロ以外に報道人も居ろとされた。やがて50キロ・・・。
「現場」を踏めない記者たちにはイライラが募っていた。東京のキー局からの指示。
原発の近くに行きその様子を伝えたのは大方「フリー」のジャーナリストだった。あの時「現場」に行きたかった。20キロ圏内、10キロ圏内の様子を伝えたいとする記者たちの切歯扼腕ぶりを思い出す。

ジャーナルズムは何かが起きる度にそれとどう向き合うか。ジャーナリストは何を為すべきか。
結論の出ない問い。

2018年10月25日木曜日

「使い捨て」について


昔、首相だった竹下登がよく口にしていた。
「歌手1年総理2年の使い捨て」って。
あにはからんや、2年を待つことなく竹下内閣は終わった。
使い捨てだったような。
愚政の典型。「ふるさと創生1億円」。バラマキの典型、1億円を有意義な使い方をした地方自治体は皆無だった。無意味に使い捨てられた。

孫のタレントは使い捨てならぬ、数年もテレビに出演中だ。
ひたすら”日本語“をぶち壊しながら。それが面白がられるところにこの国の悲しみを見る。

大量生産、大量流通、大量消費。壊れたものは直さない、直せない。そんな仕組みが経済成長を支える。
大量消費とは使い捨て文化が浸透してきたのも一因だ。

使い捨てライター・使い捨てカイロ・使い捨ておむつ・ETC・・・。

我が家の洗濯機が壊れた。10年前の物。修理屋は無い。
家電量販店に行く。14万円。泣けてくる。
15年乗っている車。とりたてて不備はない。
しかし、罰金のように税金が、保険料が上がる。
テレビの車のCMは「止まる車」だらけ。
物を大事にしろと育った世代は使えるうちは使う根性。

レジ袋。何十年も前、その“便利さ”と“もったいなさ”に複雑な感覚を持って来た。

魚の胃の中にレジ袋やポリ製品が入っている。魚が苦しんでいるとか。
なんでそうなって行くのか・・・。
ゴミ袋は優良だし、焼却場に運ばれる。そこの排煙は“有害”なのか。

数年前も「レジ袋騒動」があった。それをめぐって繰り広げられる光景は「エコ」なのか「エゴ」なのか。

「レジ袋問題」を話し合う政府や有識者を集めた会議、各人の机の上には水やお茶代わりに「ペットボトル」のお茶が置かれている。
人が集うあらゆる集まり、会合、会議。申し合わせたかのごとくペットボトルが会議のお供だ。
その景色をテレビで見ながら僕は嗤う。

JRの郡山駅の駅中には「ピボット」というスーパーがある。
駅に用があった途中でそこで買い物をする。
レジの女性に必ず聞かれる。「お買い物袋お持ちですか」と。
「無い」と答えると無表情に、「袋代5円」とレジに打たれる。

大手スパーのヨークベニマルは自己申告のカード入れて3円。
レジ袋の原価は何銭のはず。
エコに名を借りた小銭稼ぎ。

コンビニのレジ袋を止めさせる動きが急。
スーパーに買い物に行く人は大方が袋持参。でもコンビニはサラリーマンが缶コーヒーや煙草、弁当を買うところ。
宅配便の人や、工事の人が昼飯を買うところ。

仕事の合間の昼飯に家から買い物袋を持って行くのか。
熱い弁当やコーヒーは手では持てない。

挙句、消費税引き上げ。コンビニでイートインするのと持ち帰るのとでは2%税率が違う。
食品ロスは年間600万トン以上。食べ物も「使い捨て」。

ポリエチレン関連商品、ポロ袋が出来た時、ストローが牛乳の脇に張り付けられるようになった時、多くの人々はその便利さ、簡易さに感激した。
それが「悪者扱い」されることへの違和感。

環境が第一なのは当然だ。
かつての四日市公害、京浜工業地帯の排ガス。悪臭を伴った灰色の街だった川崎。

郡山市では未だに大型バスが走っている。一台に乗客は数人。そのバスの排ガスとやらはとてつもない。車の窓を開けてそのバスの背後は走れない。

「使い捨て文化」「廃棄物公害」「排ガスの健康障害」・・・。まとまった”思想“はそこにはない。

プラスティック文明に酔い痴れてきたことは事実だが。

とりあえず、政府の会議での「ペットボトル」は止めてみてはいかが。

それにしても、安倍の消費期限は・・・。自分で決めるんだもん、使い捨てにはならないよな。もともと使いがってもよくなかったし、不良品、不用品だったんだけどな・・・。

2018年9月29日土曜日

2018年の「秋思譜」

時代にそぐわないようですが、なぜか「西暦」が苦手なんです。
気が付けば21世紀も18年が経ったという事。
20世紀と21世紀では何が変わったのかということ。

1999年12月31日から2000年1月1日。日付を跨いだが月日はなんだらだらと過ぎているような気がする。つまりだらだらと過ごして来たという事。
だらだらとした下り坂だったのか、だらだらとした上り坂だったのか。
いやそんな風に時代を捉えれば実もふたもない。
でこぼこ道だったのだ。

20世紀と言えば「戦争の時代」「戦争の世紀」であり、その後は「科学技術の世紀」などいろんな顔を持っていた。
そんな中、「大量生産」「大量流通」「大量消費」という大きな歯車の中に人々は組み込まれてきた。
そして今や「大衆消費社会」。そのエンジンを蒸かして来たのはテレビでありネットだ。
それは決して「豊かさ」が具現化されたものでは無い。

西日本を豪雨が襲った。被災者は多数でた。家屋は流された。住めないような惨状の家、傾いたままの家。
それは「3・11」のその後の福島県の避難者にも通じる。

常識では住居とは言えないようになった家。それでも「あんたには家があるじゃないか」と支援や補償の”査定対象“にされる。
PTSDとなった人たちは「病気」なのに「病気」とされない。それらは時として「国」よりも「地方自治体」の方が冷酷だ。

生活保護受給者ももちろん被災した。知り合いのところに一時身を寄せた。
「扶助者がいる」ということで、しかも”支援金“が届いたということで生活保護を打ち切られる。生活保護の受給判断はその地方自治体だ。

「豊かになった」と首相が豪語すればするほど「貧者」は増えていくのだ。

21世紀になるとき、「2000年問題」というのがコンピューター時代の最大の危機的懸念だった。
それは例えばSEの努力でなんとかクリア出来た。
「2,000年問題」を一番危惧したのは病院だった。医師たちは寝ずにその瞬間を見守ったという。

「国会と言うところは男を女に変える以外は何でもできる」。そう息巻いた政治家がいた。事実日切れの法案の採決で与野党が合意の上で参院本会議場の時計を止めた。
本会議場の大時計が夜の11時半頃から針の進み方が異様に遅くなった。24時の数分前には止まった。2時間の時差を国権の最高機関は恥じ入ることなくやってのけた。

東京オリンピック対策で、暑さ対策で「サマータイム」を実施すると元首相の組織委員長が言い出した。
そのバカさ加減に驚き、あきれていたが、どうやら止めになりそうな気配。

またぞろ持ち出してくる気配とてあり。

酷暑のオリンピックのためにこの国のシステムをコンピューターで動かされている日常を異常な時間形態に支配させようというのか。

かつてゼンマイ仕掛けの時計を手作業で動かしていた時代とは違う。

ばかばかっしいことを言いだしてくるあの人達。
そんな時代に住んでいる。

台風が接近の予想。列島縦断だとか。コンピューターによるJSTの予報を見るしかない。

明日は沖縄の知事選。選挙がどうなるか、台風の影響がどうなるのか。
オリンピックよりも気になる。その結果が。

2018年9月26日水曜日

美しき秋の、耐えられない「虚しさ」

当からから亭、ほぼ一月さぼっていました。
その言い訳。
先月末から体調不良にありました。
朝起きたら、左足に激痛が走り、歩行困難。坐骨神経痛ということでした。
それの合併症ではないものの痔が・・・。排便後の激痛。これまた歩行困難。
やっとこさの病院通い。後は寝転んでいるだけ。
言い訳は以上。



世間ではいろんなことがありました。いろんなことが起きています。
一喜一憂ならぬ「憂い」の多かりしこと。

自然災害が多発した。
そこにはなにがしかの人災もある。
いや、北海道のブラックアウトは人災だ。

それに乗じるかのように泊原発が稼働していればブラックアウトは防げたという暴論が跋扈する。

もはや日本は災害列島だ。いや、地球規模で天災が起きる。

災害が起きれば避難者が出る。
この国の社会構造は災害を想像してこなかった。

災害弱者。以前から「防災省」の設置の必要性を語って来た。
国土交通省や復興省など“思想”を持たない役所はいらない。

地震予知を学会はやめた。予知は不可能なのだ。だからこそ、政治のレベルで災害に向き合うしかない。不幸な被災者をなるべく少なくするのが政治だ。
防災省には有能な官僚や専門家や有識者を網羅する。あらゆる人災を無くし、災害後の対処にあたるために。

総裁選の数少ない機会の討論で安倍はそれを一蹴した。
自衛隊や警察、消防を動かすのは総理たる自分だと。そこになぜか厚労省が入っていた。解せないことなのだが。

安倍が3選。当然の帰結。言ってみれば5年以上、3選のために“工作”をしてきたのだから。
マスコミはこぞって石破善戦と書いた。数字が彼らの予測を上回っていただけのことだ。
善戦もなにもない。自民党には「一輪咲いても花は花」というまことしやかな“価値観”がある。
安倍はないがなんでもあと3年総理大臣でいたいのだ。

安倍は有能な為政者、政治家では無い。むしろ無能に等しい。彼がある時から抱いた願望は決して「改憲」では無い。彼は憲法そのものを“理解”していない。

彼の願望は2020の東京オリンピックの開会式の場にいたい。それだけだ。
東京招致が決まったIOCの会場で「アンダーコントロール」という虚言を吐いた。
福島を聖火リレーのスタートとしたり、野球やソフトボールの試合をもってくる。県民感情を「コントロール」するかのような子供だましのようなやり方。

傍ら、1F構内に溜った汚染水を海洋投棄が具体化している。
あの東日本大震災の爪痕を出来る限り無くそう、隠そうと図る。海外への眼くらまし戦法。

安倍3選が決まってから、なにやら“怪しい動きが”たちどころに始まっている。
文科省の次官らの辞職。それはもっと前にすべき始末であったものの、引き延ばしてきた。大臣の責任が言われるのを恐れ、自分の任命責任を問われるのが嫌だっただけのこと。

伊方原発再稼働承認の高裁判決。阿蘇の噴火も予想されない、地震だって予想出来ない。「社会通念上容認される」という司法の判断。
司法が天災を容認するという愚。

問題の東京オリンピック。ボランティアを多数必要とする。JOCの組織委員長の森喜朗の年俸は2千400万だ。運営に寄与する人達はボランティアの名の下に無償だ。交通費1,000円を支給すことになったそうだが。
オリンピックという祭典に企業や学生にボランティア供出を求める。
「一億総動員、お国のために」。そんな“歴史”が残滓として蘇る。

西日本の大水害、広島の水害、いや3・11時もそうだった。多くのボランティアが働いてくれた。いや、今もそうだろう。
2歳の迷子をたった30分で発見した78歳のボランティア。
「私の手で見つけて私の手で貴女にわたす」そう約束したから警察にもその子を頑なに渡さなかった人。
彼は年金生活者だ。困っている人を助ける。それだけがボランティアを志した動機だという。
困って居る人たちを助ける。そこには「正義」がある。
「東京オリンピック問題」に正義は存在しない。
殆どの官庁が身障者雇用数の水増しをしている。
そんな国にパラリンピックを主催する資格は無い。

かたわらにあるブルーリボンバッジを眺めながら、安倍の”ペテン“を思う。


うん、椅子の上の尻が痛みを増してきた。横になります。

2018年8月28日火曜日

八月の終わりに

地球は“異常気象”に覆われた。
日本でも熱中症という言葉が連日メディアから伝えられている。
豪雨に見舞われ、災害大国の様相を見せている。
どことなく秋の気配が感じられる昨今、連日思う事の大なる日々。

アジア大会が行われている。
アナウンサーは「日の丸を背負って」と絶叫し、「国家の威信をかけて」と「定型文」を読むかのごとく“国威発揚”を煽る。
挙句、いつものごとく「国民的」を連発。
この「国民的」という言葉をどう理解しているのか、どう考えたのか。
ありきたりの言葉のつなぎ合わせのテレビ。

水泳で6冠に輝いた池江璃花子選手を好ましく思った。
競技の前に彼女はプールに軽く一礼する。プールから上った後も一礼する。
フィギアスケートの羽入選手もそうだった。リンクへの一礼を欠かさなかった。

陸上競技でもそうだ。ゴールのあとコースに一礼する選手を見かける。
「自分を試してくれた場所」への敬意の表れとみる。

表彰式、君が代が演奏され、日の丸が揚る。君が代を歌う姿には口先がかすかに動いているだけだ。

高校野球で背中を反らせながら校歌を高らかにうたう金足農業の選手の姿は見事だった。
「校歌」という自分たちの歌を持っていた。

「国歌としての君が代」「国旗としての日の丸」。難しい問題が存在している。
そもそも日本には国歌や国旗は存在していなかった。
明治政府になって国家を作るように芸大に依頼があった。
苦吟した芸大の教師は、万葉集の中の詠み人知らずにあった「君が代は」という句を“引用”した。君とは恋人を詠んだものであり、幾久しくキミとの恋が続きますように。そんな恋歌だとして君と大君とを掛けた様に歌詞が出来上がった。「君が代」とは天皇を指したのではないと。そういう「説」がある。
国旗も存在していなかった。維新軍が使ったのは錦旗だった。天皇の象徴として。

国歌国旗法が成立したのが平成11年。小渕内閣時。議会は満場一致で可決してはいない。
すべての国民の賛意でできたものではないという「曖昧さ」。
国民の血肉となるかのような位置づけでは無いという“運命”。

それがこの国の歴史だ。そこには70年以上前の戦争が大きく翳を落としている。
来年、元号が変わる。天皇も変わる。それを一つの契機としてすべての国民が支持し口に出来る国歌は出来ないものだろうか。

自分たちの歌、自分たちの旗を持たない国民はある意味不幸だ。

権力者たちはその立場の違いこそあれ、連日のようにその“不始末・不祥事”で「誠に申し訳ありません」と頭を下げまくっている。
その度にそれらの“権力”への不信感が増長されている。

「頭を下げればいいてもんじゃないぜ」。頭は下がるが顔の中身は笑っている。

身障者の雇用水増し。国家ぐるみの地方自治体も含めた「詐欺行為」。雇用枠を法律で決めながら守らない統治機構。
流行の「同調」か「予定調和」か。

こんな国が2年後にパラリンピックを開催するという。
嗤える。

2歳の幼児が自宅近くで行方不明になった。警察官が捜索に多くに捜査員を投入した。彼らの“捜索”はあの「棒」で林の中を叩くこと。
それは“遺体捜索”の手法だ。
78歳の7万円の年金生活者がボランティアとしてその場に向かった。
30分後にその子を見つけた。大きな声で名前を呼んだら反応があったという。
子供の引き渡しを求める警察官に言う。
「私の手で探し出し、私の手であなたに手渡す」。母親と約束した。口約束でもそれは契約だ。警察にいくら強要されても国家権力がそれを阻止しようとしても俺は自分が言った約束を果たす。
見事なボランティア精神だ。

オスプレイが横田基地に配備されるという。沖縄だけでは飽き足らず東京周辺も「危険にさらす」。
日米地位協定について国の誰しもが「異議」を唱えない。

緩み切ったこの国の姿。

2018年の8月はさまざま“異形”な月だったような。

2018年8月15日水曜日

平成最後の追悼の日に。

8月15日が近づくとNHKテレビは「つまらんニュース」を流す局とは思えないぐらいNHKスペシャルなど良好な番組を作り流す。
それらは僕の戦争の記憶、戦後の記憶体験と同化してくれる。

姫路大空襲で逃げ回ったこと。とうもろこし畑に身を埋めてB29の機銃攻撃から身を守ったこと。
常に枕元に置いてあった防空頭巾のこと。
空襲で家を焼かれ明石と飾磨の農家の離れに住み、ラジオから流れる玉音放送を大人に交じって聞いたこと。
常に飢えに苦しんでいたこと。

4歳の少年の記憶は時に散漫で、事象と時期がマッチしないが、東京の
世田谷の親戚の家にいた。
「空襲警報!空襲警報!」消防団の人のメガフォンからの声が聞こえる。
「灯火管制!灯火管制!」部屋の電燈を消し一部屋に集まり墨で黒くぬった紙で裸電球を覆い、飛行機の爆音を聞いていた。
やがて「灯火管制解除」の声で灯りが戻り、ほっと一息を付いていた4歳の「坊や」。

一家は東京に移った。三河島の戦災長屋で1年くらいすごした。“お化け煙突”がいつも目の前にあった。
初台に移り住むことが出来た。5歳の少年。毎日が空腹との戦いだった。
メリケン粉をこねた団子を醤油だけの鍋にちぎって入れ食べた。来る日も来る日も。姫路の親戚から揖保の糸という素麺が木箱に入って大量に送られて来た。
廊下の奥に素麺が置かれていた。来る日も来る日も素麺。

廊下の奥に戦争が立っていた。5歳の少年には素麺の木箱が“戦争”だった。
多分買い出しに出かけたのだろうか。母と上野の地下道を歩いた。
地下道には戦災孤児の浮浪児がいた。飢えた眼光が恐くて母親の着物の裾を掴んで行き過ぎた。
浮浪児狩り、狩り込み。そんな言葉を大人たちから聞かされた。

一角に集められ進駐軍か保健所か。頭から足まで噴霧器のようなものでDDTを撒かれた。
白い子供の幽霊の如く。

6歳の頃か。母は着物数着を大きな風呂敷に包み(なぜそれがあったのかはわからない。家は焼かれているはずなのに。親戚宅に預けていたものなのか)
「お米を買ってくる」と朝早く家を出た。
上野から東北本線に乗ったようだ。福島だと言っていた。
農家で着物を買いたたかれ、2升ほどの米と替え、汽車に乗った。
大宮で「臨検」にあった。ヤミ米としてコメは没収された。
夜、家にたどり着いた母は「何もなくなった」と玄関に突っ伏して泣いていた。

没収したコメは警察官が後で皆で食べると大人から聞かされた。
反権力の少年が出来上がる端緒だったような。

小学校の給食。コッペパンに脱脂粉乳。今も牛乳は飲めない。
給食費が払えず給食袋を隠すという愚挙もやった。

遊び場は近くの防空壕跡がある野原だった。何も無かった。

喪失と再起。それを子供心に理解するのは大変だった。
闇市を覗きにいった。人であふれていた。
そしていつの間にか僕は「つまらない大人」になり、後期高齢者になった。


平成最後の全国戦没者追悼式。「反省」を口にされる天皇陛下の心中を慮った。
北の丸公園には蝉が鳴いているだろう。
ふと思う。追悼の対象者は310万人の日本人だ。
しかし亡くなった人命はこの限りでは無いのだ。
日本軍の犠牲になった東南アジアの人も居る。
満州へのロシア侵攻で、落とさざるを得なかった人命がある。

戦争による多数の死者。死者の数だけ、親に捨てられた子供の数だけ”物語“がある。戦災孤児は親が死んだために生まれた悲劇だ。

正午の黙祷。開けた窓からは防災無線がいつもと同じ「郡山市民の歌」を流している。
平和の享受って何だろう。飽食の時代、食品ロスという時代は何なのだろう。
追悼者が希求していた国の姿なのだろうか。

今、毎日の食べ物には困窮していない。しかしあの頃の「飢餓感」は形を変えて僕の中にある。

「私の叔父さんは知覧から特攻で飛び立っていったの。その後の消息はわからないって」。家内がひとりごつ。

お盆の送り火。戦没者への手向けか。

2018年8月12日日曜日

テレビは死んだ。

8月8日、沖縄の翁長知事が亡くなった。9日の新聞のトップはその訃報を伝えるものだった。
9日の朝のテレビ。モーニングショー。朝8時からのそれを垣間見た限りでは約1時間にわたってスタジオで取り上げられ、出演者が口角泡を飛ばさんばかりに言い合っていたのは日本ボクシング連盟の山根会長の“不祥事”の事だった。

相撲協会の不祥事、日大アメフット部の、いや、日大に跋扈するあの“暴力団的”体質。
たしかにワイドショー的には事欠かない話題だと思う。

常に「正論」を吐いているワイドショー。9日のネタは翁長一色であるはずだ。
しかし、東京のテレビは翁長氏のことには全くのように触れない。

「テレビは死んだ」と机を叩いて怒った。

辺野古移設をめぐってかつて菅官房長官と対面した翁長氏は移設を言う菅に対して、こう言っていた。
「私は本土に行くときはパスポートが無ければ行けなかったのですよ。同じ国なのに」。
これに菅がどう反応したのかはテレビはもちろん新聞も伝えてくれてない。
無視したのか、なにかの言葉を口にしたのか。

僕が初めて持ったパオポートも沖縄に佐藤栄作に同行取材をするためだった。
入管のごときものがあり、米兵がチェックし、その脇には免税店のPXがあった。
施政権と言う名の下に“分断されていた”日本。

翁長氏が大きな集会に顔を見せ、「沖縄」について語ったのは病気がかなり進行している姿での6月23日の沖縄戦没者追悼式だった。
 「私たちは、この悲惨な体験から戦争の愚かさ、命の尊さという教訓を学び、平和を希求する「沖縄のこころ」を大事に今日に生きています」と語り始めた。

そして式典では浦添中学3年生の相良倫子という3年生が「生きる」という自作の詩を語った。自分の言葉でまさに戦没者の霊に訴えるように。

「七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜(むこ)の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。
 
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。」

彼女の声に、言葉に、表情に心が震えた。

もしかしたら、彼女の詩は翁長氏に向けての手向けの言葉、誓いになったのかもしれない。今となるとそんな気がする。

安倍は誰かが書いた紙から目をはなさずただ読み上げていた。

今朝、TBSのサンデーモーニングという番組を観た。
沖縄について、翁長氏について語られていた。


翁長氏はイデオロギーでは無いアイデンティティーだと国に対する心中を語っていたという事。
「沖縄のこころ」を訴えて来たという事。

安保条約がある以上、基地の問題からは逃れられない。だとすれば国土の0.6%に70%の基地がある。その現状を打破しなければ。

内閣官房参与の岡本行夫も含めての“静かな環境”の中で静かに、しかし当然すぎる結論だった。

TBSはかつて「オウム真理教事件」の時、坂本弁護士を取材したテープをオウムに見せた局だ。
取材テープは絶対見せないという放送倫理を破って。テープを見せたことが坂本弁護士一家殺害の要因の一つにもなっている。

ニュース23で筑紫哲也は「きょうでTBSは死にました」と言った。
少しだけ“生き返る」ような努力をしているようにも思えた。

テレビよ死なないでくれよ。僕の半生はそこにあったのだから。


2018年8月5日日曜日

「酷暑」というカタストロフ。

地球温暖化であり、気象変動なのだろう。この真夏日とやらは何日続いているのだ。
日本だけじゃない。地球上全てで起きている高温。
山火事を引き起こし、生態系を変え、人間の生存すら脅かしている。

なぜ人類は炎帝さまのお怒りに触れたのだろう。

豪雨災害があった。その地を酷暑が襲う。まさにカタストロフだ。

テレビは連日「熱中症」の話題だ。
「冷房を使って水分を採って」「不要不急の外出は控えて」外出禁止令発令。

東日本大震災、原発事故。あの年は「冷房を控えて」だった。毎日出されていたのは「消費電力量」。あと10%で電気が無くなるという話しばかり。

電力量は増えてのか。供給量は安心なのか。
健康維持のため、熱中症にかからないため、冷房を使うことが推奨される。
たしかに、冷房が無ければ暮らしてはいけない。
「3・11」を身近に経験したものにとっては「電気を使う」ということに、ためらいを覚えることを学んだ。

屋外の駐車場に停めてある車はスターターを使っているのか。エンジンが悲鳴をあげそうに掛っている。
あの時ガソリンは「血の一滴」だったのに。

車の性能が良くなった、省エネ車になったからということか。
でも、エンジンがかかっている車の脇は熱風だ。

冷房を使えと勧めることは電力量は足りているという事の証左だ。
原発はいらないじゃないか。

異常気象は科学文明の進歩とどう折り合いをつけるかという問題を提起してくれているようだ。

「3・11」前の時代は「冷房病」というのが問題視されていた。
事務所の女性はタオルケットを膝に掛けていた。

僕はもともと冷房が苦手な体質。しかし高齢化とともに寒さにも暑さにも対応力が鈍ってくる。
熱中症ももちろん怖いが、冷房による体調の変化も怖い。

酷暑の中高校野球が始まった。選手もスタンドの観戦者も辛い。

この酷暑は今年で終わりではないだろう。来年も再来年も続くのだろうか。

「東京オリンピック」。選手も観客も暑さとの戦い。「いちばん快適な気候の時期」と嘘が言われていた。
アメリカの3大ネットワークテレビ、膨大な放映権料を払うテレビ。
大リーグと重ならないようにと日本で一番時期にスポーツの大会。
ばかげてはいませんか。
マラソンコースでは打ち水作戦だと真顔でいう人がいる。
打ち水が「涼」を感じせたのはもっと気温が低い、30度以下の時の風情だ。

連日、事あるごとにオリンピック、オリンピックと煽り立てるテレビの気が知れない。

夏休み、子供の遊ぶ声が響いていた。その声は聞こえてこない。
日が暮れる頃ようやく涼風が漂ってくる。早く窓を開けたいよ。冷房からは逃れたい。暑さと冷気の中で体調は崩れていくばかりなり。

明日は原爆忌。平和公園の中は暑さにむせ返るだろう。そこでどんな言葉が聞けるのか。

原爆忌 死者の想いは炎帝のごと。

2018年7月26日木曜日

そして「オウム」はアンダーグラウンドの闇に

オウム事件で死刑を宣告されていた被告、過日の麻原以下7人に続いて残る死刑囚6人への刑が執行された。
「オウム」を語れる当事者は皆無になった。
地下鉄サリン事件はまさに地下鉄と言うアンダーグラウンドの中で起きた〝狂気“だった。
その事件の「何故」を知りたかった。
バブルがはじけ、カネに依存し、それまで持って来た「価値観のようなもの」を、生きる目標を失った“優秀な若者”がオウム真理教という“宗教集団”に加入した。彼らはそこに意味を見出したと思ったから。

社会に対して異様なコンプレックスを持ち、おそらく日本と言う国の根幹を揺るがせたいとした麻原彰晃なる人物に「自己」を喪失させ、「自己」を捨てることが自己への救済であると盲信した。

そんな“分析”しかできない。

ある意味「生きる」という事を考え続けた哲学者が「宗教」でしか自己内対話の結論が出せないとした事例と酷似すらしている。

全員の死刑。それはオウムとは何かという問題に対して答えが出せない状況を作ってしまった。

知りたかったことは結局なにも知ることは出来なかった。
「オウム」を知っている世代にとっては、あのカタストロフィーのような事件がなぜ起きたのか。
「オウム」という事件があったという事実だけでなく、なぜ「オウム」が起きたのかを知りたかった。
全てが闇の中に、アンダーグラウンドの中に消えてしまったのだ。

麻原ら7人が処刑された前夜、法相は首相の酒宴に望んでいた。大水害が予想される中、翌日の処刑を知りながら。
たとえ、救いがたい大罪人であっても人が処刑されるのを知りながら酒宴で笑顔を振りまく。その神経が全く理解できない。

25日の夜、彼女が何をしていたのかはしらない。処刑後記者会見に臨んだ彼女の目には「恐怖の光」が宿っていたような気がした。

親鸞の「悪人正機説」を持ち出すのは場違いかもしれないが、
松本サリン事件で捜査当局のリークにより“犯人”おされ、奥さんが犠牲にもなっている河野義行さんが言っている。
「オウム事件の真相そのものが明らかになっていないのに、なぜこんなに急いで執行しなければならなかったのか。国はその経緯を説明すべきだ」と語っている。

「オウム」の被害者は、殺された人たちの家族は、自分達が蒙った被害、悲劇を未消化な、納得できない澱のようなものを抱えているのではあるまいか。

国はその経緯や意図を語るまい。
平成と言う時代に起きた事件を平成のうちに片付けたい。来年は天皇退位、新天皇即位という慶事があるからだけを理由にするのかも。

死刑を執行しないで置けば、マインドコントロールをかけたとされる麻原だけで済ませておけば、あの死刑囚たちも何かを、真相に近づける何かを語ったかもしれない。

1995年は阪神淡路大震災と言うカタストロフがあった年。
2018年の7月は大豪雨災害と酷暑に見舞われた年。
天災が進行中に死刑執行と言う形でカタストロフの再現が図られた年。

朝8時、テレビは一斉に死刑執行を伝えた。朝のうちか昨夜「リーク」がされていたのだろう。3カ所の処刑場からアナウンサーが淡々とレポートしていた。
拘置所内に立ち会いとして検察官が入る車を映しながら。

死刑の同時進行ドキュメントだと思った。

オウムの闇を暴ける人はいないだろう。当事者の上祐以外は。
メディアやジャーナリズムが歴史に残る残虐な事件の真相に迫る術はもうないのかもしれない。

また一つ歴史が消された。そんな思いがする。

「オウム」とは何か、何だったのか。僕一人の思考では行き詰まりしかない。
誰かと語り合いたいとしきりに悩んでいるのだが、話に乗ってくれる仲間はいるようでいない。


「思考停止」の現代の為せる業か。

次なる“オウム”が起きることも有り得る。

2018年7月23日月曜日

サイコパスとしての安倍政権、盲従する輩

サイコパスと言う心理学用語がある。
「良心が異常に欠如している」「他者に冷淡で共感しない」「慢性的に平然と嘘をつく」「行動に対する責任が全く取れない」「罪悪感が皆無」「自尊心が過大で自己中心的」「口が達者で表面は魅力的」。
そんな性格や気質を持っている人を“サイコパス”という。
 「彼らは社会的な地位が高い傾向があり、表面的には好印象であるとも言われています」と学者は指摘する。

安倍晋三はまさにこれに匹敵する。我々はサイコパスの宰相を有しているのだ。
サイコパスとは精神病質者を指す。

通常国会が終わった。
この国会ほど議会制度を全くのように無視し、形骸化させ、立法府の存在を無意味なものとしてしまった「暴力的」なものであったことは、かつて見たことが無い。

日本の議会制民主主義は死んだ。

独裁者はそれを喜ぶ。
この国は議会制民主主義の国だ。そんな「おためごかし」の教育は止めた方がいい。明らかに安倍は「三権の長」として君臨する。

それを認めたのは「政治」を全く理解していない自公の議員だ。
強い者に傾斜することが日常にある不安感を開放してくれると錯覚している国民だ。

思考停止に陥ってしまった国民だ。

安倍政治には政治としての思想も哲学もない。
政治家に求められる「道義」を持たない。政治家に求められる「想像力」もない。

「カジノ法」はトランプの意に従っただけの「亡国法」だ。
トランプの外交に右往左往する。

積極的平和外交とは何を意味しているのか。

彼が就任時に放った言葉「美しい国」。
外形の、景観の美しい国は自然の猛威の前になすすべも無く崩れた。
それをよそに「酒宴」で笑顔を振りまいていた。笑顔はどうみても美しくなかった。

この国を博打大国にするのか。すでに「公営ギャンブル」は競輪、競馬、競艇と存在している。

パチンコ大国だ。パチンコ屋を経営しているのは北朝鮮、韓国の人間だ。
北朝鮮の大型チェーン店は、少し前まで定期船で莫大な利益を送金していた。。
その利益は「依存症」にかかった日本人が時には「サラ金」で“資金”を借り、返済不能になるまで吸い尽くされた哀れな”性“の犠牲の上に成り立っている。「カジノ」はそういう日本人を増やす。確実に。

博打で儲かるのは常に胴元だ。
その胴元には必ず暴力団が入り込む。

カタカナ語に劣等感を持つ日本人は「インバウンド」という言葉に惑わされる。
一時期、消費者物価指数を押し上げたのは中国人の爆買いという現象だ。

IR,それは地獄の一丁目かもしれない。
日本人の約7割が反対しているというのに。

酷暑の中「西日本豪雨」の被災者は疲れ、弱り果てている。
その救済策や国土改造にすぐに手を染めるのが政治だ。
砂防ダムも決壊し、砂防ダムを保存するために人の命や家屋が破壊されることを承知で「放水」する。

笑い話ではないが、自民党本部は安倍が政治家になるずっと以前は平河町の「砂防会館」と言う中にあった。皮肉と言う言葉では片付けたくない。

「モリカケ」は何ら結論を見ることなくうやむやのままにされてしまった。
参議院の議員定数はほとんど議論されることも無く審議と言う作業も無くお手盛りで自民に有利に改正されてしまった。
この国は今や人口減と言う大問題に直面している。人口が減るのに参議院議員が増える。ばかばかしい想像力の欠如だ。

有権者の三割。岩盤の様な安倍信奉者がいる。美しい国という幻の国の住人。

政治を見る限りこの国は「滅びの道」をたどっている。
「美しい」と言う言葉、姿が垣間見えるのは豪雨の被災地に赴いている「ボランティア」が流す汗だ。
彼らに、被災者に、いささかの「涼風」が吹かんことを。

エアコンの程よく効いた部屋でこれを書いている身に恥じらい感を覚えつつ。

2018年7月10日火曜日

「オウム」という暴力装置、そして、天災。

2018年7月6日、僕は朝の食事の後新聞を読んでいた。
テレビのニュース速報がオウムの浅原彰晃の死刑執行を伝え、その後、次々と死刑囚の刑執行を伝え始めた。
やがてNHKは執行に立ち会うため拘置所に入る検察官の姿を流している。
いわば同時進行のものなのだ。
執行は事前に当局からメディアに“リーク”されていたと気付く。

これまで死刑の執行は事後に法務省から発表されていた。発表では事件にもよるが“正式”に執行された死刑囚の名前は発表されなかった。
オフレコという名目でその名前が伝えられていた。

死刑とはある意味“国家による合法的殺人行為”だ。一日に7名。幸徳秋水らの大逆事件以来の出来事だ。

なぜ、この時期に一斉に。
そのことを考え続けた。それに意味づける論理は見つからない。
「元号が変わるまでに」という理由がまことしやかに言われているがそれだけなのか。
再審請求をしていた被告もいる。死刑であの事件は「過去の出来事」となり、解明されないことが残る。
オウムは常に「闇」だ。

テレビは朝から、昨夜来の記録的豪雨の被害を伝え続けていた。その中での速報。
二つの大ニュースにテレビも新聞も、そのニュースバリューをどう置くか苦吟したであろう。
死刑執行と言うことで一つの時代を終わらせたかったのか。

オウムに関するニュースはひとまず“話題”から消えた。豪雨は続いている。
死者の数も類例を見ない大災害は続いている・・・。

死刑執行には法相が判を押す。執行3日ほど前に。
以前、何人かの法相経験者に話をきいたことがある。

執行されると想像される時間、大臣室で、手を合せたと言う人もいた。
自分の判で死刑囚と雖も人の命が奪われることに悩んだ政治家もいた。

執行の前夜、翌日の執行を知っている上川陽子や安倍たちは「自民赤坂会」なる宴会を催していた。写真も撮っている。法相はピースのポーズすらとっている。
舞った解せない振る舞い。

集中豪雨の情報が続々と入っている中、首相や国会議員が宴会をやっている場合じゃ無い。いや異常なのだ。
政治家に総理大臣に必須の要素は「想像力」だ。明日への想像力だ。未来への想像力だ。
大水害の予想、それがこの国に及ぼすであろう被害への想像力。それを持ち合わせていれば宴会が出来るわけが無い。
すべがそのしのぎの場当たり的政治。そういう政治家の群。

これが今この国の姿だということを肝に銘じよう。

自民が言う「緊急事態宣言」にあたる大災害だ。
国の対応はあまりにもお粗末だ。

オウムのサリン事件があったのは1995年3月20日。その年の1月17日には阪神淡路大震災が起きている。

天災と人災の違いはあるが「暴力装置」が働いたのだ。
自我を捨てて、自我を喪失しオウムに走った若者たち。

この二つの出来事の前と後では日本人の意識の在り方が大きく変わってしまった。バブルが盛大にはじけ、行け行けどんどんの時代はほころびをみせていた。
冷戦構造が終了した。
日本という国家の在り方の根源が厳しく問われる時代にやってきた大事件だった。

2011年3月11日には東日本大震災が発生した。
原子力発電とい暴力装置が牙を剥いた。
天災と人災。
130人を超す大雨の犠牲者。濁流にのまれた街、人々の暮らし。

政治は無力なのだろう。国民の生命と財産を守ると言うその至上なる使命が機能してない。

濁流と闘い、取り戻せない日常を手にしたいとする被災者。政治に苦言をたれながらも日常の連続の中にいる我々。

彼我の差に何を語るべきなのか。
命を失った人に何を語るべきなのか。
無力だ。あくまでも無力だ。

オウムというカルト教団が、宗教団体が我々に突き付けた物は大きかった。
宗教とは何か。
オウム事件が我々に突き付けた物は、考えねばならないことは大きかった。
人類の歴史に中でも「宗教戦争」は存在した。
殉教や殺戮が繰り返されてきた。

「宗教」という根源的な物、それがもたらしたことに我々の思索はほとんど及んでいなかった。
オウムは単なる異様な殺人事件として扱われてきた。
物質的には豊かになって行く社会にあって、オウムはまさしく異様な存在であった。
その異様な社会に人はいとも簡単にのめり込んでいく。
それが「オウム」に対する一つの見方、判断だ。

裁判と言う司法の世界では「宗教」は正当な判断を下す材料では無かった。

記録的豪雨災害。甚大な被害。この後に何らかの爆破装置が起動しないことを祈る。       

2018年6月30日土曜日

「西野サッカー」に思ったこと。

サッカーに関しては全くのど素人である。
しかしサッカーのフアンでもある。大好きでもある。

素人が安易に容喙すべきではないと思うが、ポーランド戦から2日が経っているにも関わらずテレビのワイドショーはサッカーの話題で沸いている。
新聞とても余韻を書いている。

「本戦」に行けるかどうかがかかっていた過日のポーランド戦。
後半のコロンビアとセネガル戦の途中経過が伝わると、本戦出場の一縷の望みをかけて日本は“戦う”ことをやめた。
試合終了までの時間を“球まわし”に費やしていた。時間切れを狙っていた。

試合には負けたが本戦へ進む権利は獲得した。

球回しの間中スタジアムにはブーイングが巻き起こっていた。

球回しが行われている時、脳裏に国会の姿がかすめた。
野党の持ち時間を計算し、野党から追及されることを嫌う安倍。
持ち時間いっぱい、的外れな口説を弄していた安倍。
そんな姿が浮かんだのだ。

サポーターあっての日本代表だとかねがね監督含め選手は言う。
あの時、サポーターの存在が彼らの頭の中にあったのだろうか。
サポーターの中には”劇的逆転“を願っていた人もいた。
試合が終わってのサポーターの反応には“歓喜”は少なかった。

サッカー選手は子供たちの憧れの的だ。
子供たちには彼らは言う。
「練習を重ね、常に諦めることなく前をむいて全力を尽くせ」と。
子供たちがどう思うかという発想はあの時は無かったのだろう。

とにかく勝ちあがって本戦に出る。

その「至上命題」を果たすことに関係者は腐心していたのだろう。

終わりよければ全てよし。

素人の僕には、最後の最後まで死にもの狂いで相手ゴールに迫る選手の姿が見たかった。
結果、それが敗退につながったとしてもだ。
その敗者を誰も責めないだろう。

グッドルーザーたれと思うのでは。悔しいけれども。

学校ではVTRに編集して”球回し“の場面は子供たちに見せなかったという。
それでも本戦に進めたことに子どもたちは無言だったと新聞に小さくあった。

目先の勝負に拘るのか。将来のサッカー選手になるであろう子どもたちに大人の背中を見せるのか。
多くのサッカーフアンにとって僕は「異論」を述べている輩に過ぎないかもしれない。
素人が何をほざくかと非難されるかもしれない。

「勝つ」ということは何なのだろう。そんな思索の材料を提供してもらったような気がして。

2018年6月23日土曜日

SNS,その功と罪

大阪地震。スマホが活躍した。安否確認からはじまって各種の情報取集。
車内に閉じ込められた人にとっては有り難いツールだった。

被害の様子も最初に流された映像は市民がスマホで撮った映像だった。
今回に限らず、スマホの普及は「一億総ジャーナリスト」化の象徴にも見える。

そして、デマも多数発信されていた。
今ほどSNSが普及していなかった「3・11」の時でさえ、デマが発信され、デマを信じた人はうろたえ、拡散されたデマは社会的混乱を招いた。
「フクシマ」は格好の標的とされていた。

機会があるごとに「スマホ、SNSの功罪」について思うところを話してきた。
スマホはその機能を急速に進化させてきている。
もはやあれは電話機ではなく写真機だ。
生活に必要なあらゆる機能が搭載されている。
買い物もナビも音楽視聴も。

スマホ一台あれば生活には事欠かないのだ。

誰が開発したかは知らないが人間はスマホと言う“文明の利器”にすっかり取り込まれた。
まるで天使からの贈り物のように。

数か月前だったか。新聞の投書欄に埼玉県の16歳の女子高生の投稿を眼にした。

“あと少し早く生まれて来たかった。私が強くそう感じたのは正月にいtった海外旅行がきっかけだった。
小学5年生の時、家族とオーストラリアに行った。当時は今ほどスマートフォンで何でも調べることは出来なかった。
そのため、ホテルの従業員にお勧めのレストランを聞いたり、店までの道を街でいろんな人に尋ねたりと、たくさんのコミュニケーションをとったことを鮮明に覚えている。
今年、再び家族でオーストラリアに向かった。今度はレストランもその場所もすべてスマートフォンで調べることが出来た。
しかし私は何か物足りなさを感じていた。それは便利さの陰で失われてしまった人と人とのつながりだった。そして小学5年生の時は何気なく交わしていた現地の人たちとの会話がものすごく恋しくなった。
私たちの生活は豊かになったのか。たしかに便利にはなった。でもそれはかえって私たちから大切なことを奪っているのではないか。
あと少し、スマートフォンが普及する前に、生まれてきたかった。“

彼女の意見に賛成する。

ツイッター・フェイスブック・ライン・インスタグラム・・・。

写真を撮って公開する。自撮りと云う機能で顔を映す。
有名人や友達も交ざって。

スマホの便利この上ない昨日は多くの人を満足させている。
既存メディアのテレビは「スマホ講座」番組をつくりその普及促進に手を貸している。

スマホによってこの国は動いているようだ。そんな中、前記の少女の投書はまさに一服の清涼剤のようだった。

妖怪ウオッチというアニメがある。
その中に「コマさん」と「コマ次郎」という兄弟が登場する。

兄のコマさんはアナログ人間。弟はスマホを使いこなすデジタル人間。
三差路でどっちの方向に行くか兄は真ん中で棒を立てその棒が倒れた方に行こうとする。
弟はスマホのナビですべてを知っている。
兄の気を逸らせておいて弟は棒の向きを修正しておく。

スマホ世界の「寓話」が出来上がっている。

今日は沖縄慰霊の日だ。沖縄でもネットを駆使した「デマ」や「誹謗中傷」が渦巻いているとか。
米軍基地反対派に対してのものだ。

スマホの功罪。人を傷つけ、社会を混乱させる罪の方が大きい。
スマホで「つながる」という。ネット上にしか「友達」なるものは居ないという。

ハイデガーやサルトルの言をもってスマホ社会を語るものでは無いが、「人間の存在」「人間の存在意義」がスマホ社会では排斥されているようだ。

人と人とのつながりは顔を見て語り合うことでしか生まれない。

医療現場でもスマホによる遠隔診療が行われるようにもなった。
「手当」という言葉がある。
人間が人間の手で人間に触れることに治療の意義がある。

ネットで本は買わない。本屋で向き合ってつながりを感じた本を買う。
スマホで簡単に「押した」だけで本は届く。だけど宅配業者の勤務はかさんでいる

真の便利さとは何か。真の豊かさとは何か。
立ち止まって考える時代なのだと思うけど。

2018年6月20日水曜日

この国に生きているという事

日本列島は地震列島である。
地震はいつかかならずやってくる。
寺田寅彦の言葉を借りるまでも無いが「災害は忘れたころにやってくる」

今回の大阪北部を中心にした地震、前日には群馬県の渋川で震度5、その前日には房総半島沖で震度3。
きょうは福島で震度3.
忘れたころにではないのだ。熊本地震からも数年後、東日本大地震からも7年余り。連日の様な地震。

毎日が地震との“遭遇”だ。

南海トラフ地震の可能性。学者の意見は様々だ。極論すれば「わからない」ということ。

メディアは「都市のもろさが露呈された」と大見出しで書く。
「もろさ」は大方の人はわかっている。わかってはいるがそこで日常を送って居る人たちは手の出しようが無い。

慣れるしかないのだ。
慣れるとは事が起きた時いかに冷静に対処するか。
慣れるとは身近で出来る最小限の対処をしておくことだ。

小学校が“違法”なブロック塀を作っていた。それが倒壊し幼児が犠牲になった。
その学校や関係者は昭和になってからの数多くの地震被害から何も学んでいなかったということになる。

地震を学んだ市民は冷静だった。車内で待って線路を黙々と歩いた。
いつくるかわからないタクシーやバスに長蛇の列をなした。きちんと秩序を保って。

きょうも雨の中、難儀をしている被災者は少なくない。
互いに助け合ってその日を過ごす。
屋根の修理には業者がいない。多くの業者は割のいい東京オリンピックに駆り出されている。

あの時間、多くが通勤、通学者だった。なんとかして会社にたどり着こう。日本人の勤勉さだ。

働き方改革と地震被害。意識の中で相反する。

政治は“あの程度の天災”には無関心だ。市民と国政なるもののあいだには壁がある。
国民を守る。それは政治の第一義なのに。
「全力を挙げて」という形容詞だけが飛び交った。
全力を挙げるのは当然なのだ。その言葉が出るという事は意味を持たなくなった言葉での自己防衛。

首相は「云々」を「でんでん」と読み、官房長官は「枚方」を「まいかた」と読んで憚らなかった。
悲し過ぎるぜ。

あの日は決算委員会が予定されていた。野党は中止を求めた。与党は歯牙にもかけなかった。
森友、加計問題での新たな資料を基に野党は追及した。質問通告がないから答えられないと政府は逃げた。

丁寧な説明、答弁。あれはその場しのぎの言葉だった。

きのう突然加計理事長が記者会見もどきをやった。短時間。
「記者会見で説明しただろう」というアリバイ作り。

会見は地元の記者にだけ告知された。地震の影響で東京からは大阪からも記者は行けない。
好機到来だったのだ。「このチャンスしかないぜ、加計くん」。そんな囁きが交わされていたような気がする。

病める体に鞭打ってコーヒー豆を買いにいった。そこの女性店員さんもあの加計理事長の会見をテレビで見て「あれはないでしょ」と怒っていた。

たぶん、東京新聞を除いて各紙の一面トップはサッカーだった。

「地震」を利用し「サッカー」を利用し、政治家による「男たちの悪巧み」は進行している。

地震後に二階は官邸に足を運んで悪だくみ。
夜は安倍が料亭に岸田を招いて総裁選への腹を探りあう。

「まいかた市民」よ怒れ。大阪府民よ怒れ。

我々にとって「終末期」に思える安倍政治は実は「反転攻勢期」なのだろうか。

また熱が出てきている・・・。

2018年6月5日火曜日

「国民」とは誰そ

日本国憲法には「日本国民は正当に選挙された・・・」で前文が始まるように各所に国民と言う言葉が登場している。

かって、帝国憲法には「国民」という言葉は無く「臣民」だった。
しかし子供たちは「少国民」と呼ばれ、兵士になることを名誉だとする教育が施されていた。

いささか屁理屈ぽいかもしれないが、国民とは何なのだろうか。
国民と日本人は違うのか、同じなのか。

1990年代に「国民的美少女コンテスト」というのがあった。芸能プロのオスカープロが始めたものだ。
たしか初代は藤谷美紀という子だった。女優の道に進んだ。このコンテスト出身者は大方女優になっている。たしか米倉涼子もそのはず。

「国民的美少女」、その「的」が当時からひっかかっていた。
的と言う字の意味はなんなのか。
国民的歌手と言うのが排出された。国民的俳優もいた。
国民的スポーツという言葉も存在している。

「的」には「~のような」という意味があると思う。文字の解釈の問題だけれど、あまりにも仰々しい。

なぜこんなことを今更のようにいうかというと「国民栄誉賞」の話につなげたかったからだ。

国民栄誉賞は福田赳夫内閣時に制定された。その前は佐藤内閣時代は内閣総理大臣表彰だった。

内閣総理大臣表彰はわかりやすい。総理が”勝手“に決めて表彰すればいいのだから。
国民栄誉賞となると、その「国民」と言う言葉の主体と客体が曖昧だ。

国民がこぞって表彰すると言うのなら内閣総理大臣が賞状を授与するのはおかしい。
国民の代表は総理大臣では無い。国権の最高機関である国会だ。
国民の代表である議員で構成される「院」が表彰するならわかるけど。


羽生結弦が国民栄誉賞を受賞することが決まった。
羽生は受賞を名誉なこととして受け入れ「この賞が被災地にとって明るい光となることを祈ってます」とコメントした。

「被災地にとって明るい光」か~。素直に喜べる人と、そうでない人もいるはず。
かって国民栄誉賞を辞退したスポーツ選手もいる。イチローがそうだ。
「まだ現役で発展途上の選手なので、もし賞をいただけるのなら現役を引退した時にいただきたい」。固辞の理由だ。
羽生はまだ現役だ。発展途上だ。

羽生は国際的にも著名な選手だ。
羽生の名を借りての自分のための“政治利用”。
ザギトワに贈られた秋田犬の贈呈式には押しかけ参加。抱いて見せるパフォーマンス。

映画監督の是枝裕和がパルムドールを受賞した。快挙だ。
しかし、是枝にはメッセージの一つも送ってない。無視だ。
「万引家族」という映画が、暗に安倍政治を批判しているからと聞く。

なんと度量の狭い男なんだろう。

この国の官庁は国民の為にある。あの公文書改竄の、しかも組織ぐるみのような“犯罪行為”。安倍を守るための組織。あの一連の不祥事には「国民」は不在だ。彼らの目は内向きでしかない。

政治の世界では連日のように「国民」という言葉が発せられている。
安倍の云う国民とはだれか。野党の云う国民とは誰か。
国民は戸惑う。

安倍は「膿を出す」と言った。膿を出す“治療行為”は全くなされていない。
膿は溜る一方だ。外科手術を必要としているのに。
溜る一方の膿はもはや澱となって沈殿している。

意味不明な言語を連発し、不誠実な態度を取り続け、徹底的という言葉だけの形容詞で逃げ切る。
国民の多くはもはや諦めに近い思いでいるのかもしれない。
少なくとも安倍が言う国民には入りたくない。

自分で育てた膿は自分で切除すべきだがそれは仕方さえわからない。
国民は「総外科医」になるべきかとも。

2018年5月24日木曜日

この国の「空気」にキミは耐え得るや

加計問題をめぐり安倍はかたくなに加計理事長との会談を否定している。
愛媛県の文書には面談の記録があるというのに。
愛媛県が文書を捏造する必然性はどこにもない。
知事は職員を信頼していると言う。

「電話もしてないのですか」と委員会で野党の議員が問う。
「仮定の質問には答えられない」という。

“もし、私や家内が森友と関係しているのなら総理はおろか国会議員も辞めますよ」と大見得を切った男。すべてが隠ぺいさればれないと言う自信があったからだろう。
それは仮定の事に答えたのだ。

まさに二枚舌としか言いようがない。

森友の破棄されたはずの資料が大量に出てきた。抜けている日もあるが森友と谷査恵子との詳細なやりとりが記載されている。
安倍昭恵が関与していたことは明白だ。

資料の破棄作業は佐川前理財局長が国会で「破棄した」と明言したのとあわせてその作業が行われている。

官僚の答弁は全てが安倍を忖度してのものだ。

イラクの日報問題も当時の大臣は知らなかったと言い続け、処分は防衛省の役人どまり。

セクハラ罪は無いと開き直る麻生。

すべてが安倍を擁護するための詭弁の連続だ。

嘘と疑惑と隠ぺいで塗り固められた政権。忖度と言う空気が支配する政権内部。

「空気」と書くのはイザヤベンダサンこと山本七平がこの国を評した著作のタイトルで用いた表現だ。「空気の研究」。

日大のアメフット部の事件。
「この場に出て事実を話すことが自分の償いだ」と述べたあの選手。大好きだったアメフットを辞めると言う覚悟をして彼は語った。
彼を称賛するにいささかのためらいもない。
彼は一人の人間として自分の良心に忠実であろうと決心したのだ。

きのう会見に臨んだ監督・コーチは保身を旨とした。
挙句、監督は心労で入院した。逃げたと言うに等しい。
伝統ある日大フェニックスの中にある逃げと嘘と保身。

最高権力者である監督を忖度したあのコーチや司会者。
絶対権力者であり、大学の経営陣のナンバー2である男に逆らえない大人たち。

奇しくも「空気」は政界と符合しているのだ。
日大はマンモス校と呼ばれる。学生数の多さを学校当局は売りにしている。

自民公明の議席はまさにマンモス的数字だ。どこか符号してはいないか。

かつて学園闘争が激しかった時代。それは日大にも飛び火していた。
日大全共闘の秋田明大。彼らを潰しにかかったのは応援団はじめ体育会の学生、そしてその中には暴力団も交じっていた。

あの真相を告白した学生はもしかしたら学校をも辞める事態に追い込まれるかもしれない。

「空気」に染まらないまともな企業だってあるはずだ。彼を有能な社員として迎え入れればいい。きっと役に立つ。

東大でのエリート官僚は日大など目にもくれない存在だ。しかし、学生の中には「人間性」に於いて権力を忖度しない優れた人物がいたということ。

「空気」を振り払い、権力機構を解体に追い込む。そんな萌芽が生まれることを祈る。

安倍政権の「醜さ」を糾弾する政治家が与党の中からも生まれることを祈る。

監督もコーチも会見で「正直言って」と何回も行った。
正直と言う倫理観も言葉もかれらによって壊された。

自ら用いた「信なくば立たず」という言葉も安倍によって無意味な言葉とされてしまった。

僕はこんな空気に耐えられない。アナタは耐えられるのですか。

2018年5月22日火曜日

その存在の耐えられない「嘘」

永田町や霞が関、日本の中枢。
そこで虚言や妄言、有ってはならないことが相次いだ。
首相は「膿を出し切る」と大見得をきった。

膿を出すための「手術」が行われた気配はどこにもない。
丁寧な説明ももちろん無い。

「口先だけ」の所業が相次いでいる。それに国民は馴らされてくる。

膿は出せない。なぜなら膿の元凶は言った本人だからだ。

加計問題で愛媛県が安倍と加計の「密会」があった記録を出した。
きのう、それを記者団から聞かれた安倍は無言で去った。

歴史は夜作られる、そんな大仰なことを言うまでもないが、昨夜安倍周辺は「対策会議」に大童だったのだろう。
今朝になって「会ったことはない」と言い切った。
愛媛県文書を「無視」することで乗り切れると判断したからだろう。

会った、会わない。記録が無い。あまりにも子供騙しが過ぎる。
愛媛県が偽の文書を作る必然性はどこにも無い。

官邸の面会記録は「破棄される」と公言してきた。記録が無いのだから確認のしようが無い。全く都合のいい理屈だ。

「愛媛県文書」というれっきとした記録がある。

面談は15分。多忙な日程でもその合間を縫えば可能だ。その夜は公邸。
彼が公邸泊の時はなにかその理由があるからだ。
公邸への出入りは番記者の目にも止まりにくい。正面では無く南門と言う溜池側からの出入り口もある。
かって今の公邸のその門もしばしば利用されたことがある。

公邸での来客は秘書官の言うがままに報道される。

ベタ記事ではあるが「首相動静」は立派な記録である。
新聞は今回の「ぬかり」を糧として首相動静の報道の在り方を官邸サイドと内閣記者会でこれまでのような馴れ合いのやり方を再考するチャンスだ。

報道機関の恥でもあるのだから。

「モリカケ問題よりももっと重要な法案がある。いつまでもモリカケにかまっていられない」と自民幹部や安倍寄りのテレビのコメンテーターは言う。

違う。

一国の宰相が「嘘」を言っているという事はこの国にとってのその存在を問われる重大事なのだ。

もう一つ書く。
麻生が「セクハラ罪」と言うのは無いと記者を脅すように言った。閣議もそれを追認した。

ならば、少なくとも野党は、国会は立法府であり、国権の最高機関である以上、すぐさま「セクハラ罪」を明記した法律を議員立法で作るべきだ。
女性閣僚がどう反応するかが見ものだ。

野党は本腰で加計問題をさらに追及しなさい。立法府としての責務として。
ジャーナリズムよ、覚醒しなさい。我々はあなた方の報道によってしか事実や真実を知ることが出来ないのだから。

昔し、一緒に取材活動に当たっていた毎日の岸井君が逝った。彼があの病気であることは聞いていたが無念だ。もう一回、昔よばれていたあだ名で呼んでほしい。
岸井君とて政権やジャーナリズムに対する思いは同じだと思う。

安倍はあまりにも甘い蜜を味わい過ぎた・・・。去るのが唯一の汚名を着ない道だと思うが。

2018年5月13日日曜日

官邸の“黒い霧”

かつて政界には「黒い霧解散」と呼ばれる“政変”があった。
政治家が関与した疑獄事件、汚職事件が多発し、その「霧」を吹き払おうとした解散。
極端な話し、政界はしばしば黒い霧に覆われてきた。

「黒い霧」とは松本清張が書いた政界の不祥事を称した言葉だ。名付け親は松本清張だ。

いま、また首相官邸に「黒い霧」が渦巻いている。

加計問題を巡る通産省出向の柳瀬唯夫秘書官の行動、言動の件。
過日の国会での参考人招致で、かって首相秘書官の経験がある江田憲司が自分の経験をもとに質問していたが、いささか隔靴掻痒、ポイントがずれていたような思いがした。

あの参考人質疑やその後の愛媛県知事の会見を聞いておもったいくつかの疑問。
なぜあの加計関係者や愛媛県職員、今治市職員が面談することになったのか。
その経緯が判然としない。

首相秘書官が、多忙なはずの秘書官が、日程をたくさん入れるのが好きな首相の秘書官が「記憶にない」面談が実現したのか。

首相からの指示があったのか。
かねて面識があった加計学園の関係者だったからか。
おおかた、秘書官といえども官邸の要職あるものがなんらかの“介在”が無ければ「陳情」を受けることは無い。
議員であっても野党なら入門を阻止される時代。

政治部の記者になった時、テレビの用語では首相と言うのは使ってはいけない。
総理大臣とすべきだ。各大臣にしても相という言葉はつかってはいけないと教わった。
何故なら、読みいくいし、発音もしにくい。間違って聞き取られることがある。というような理由だった。
首相案件でなく総理案件というのが自分たちの「正しい用語」だと言う“柳瀬理論”の根拠もここら辺にあるのだろう。

しかし、永田町居住者以外では多くが「首相」だ。文字化するときは尚更だ。新聞では首相と表記されている。

名刺が出てきた。ということは名刺交換が行われたという事の証左だ。
それを「相手方の名刺をもらってないか、探したけれど見つからなかった」というのは秘書官室の事務怠慢だ。

官邸に入るには「表門」と慣例でよばれる警備小屋兼受付の様な「関所」がある。
「表門さん、どこそこの誰それさんたちが見えますが面会はOKです」と事務方の連絡がいくはずだ。いきなり来ても入れるはずはない。
受付では名前などを書かされる。警備上の都合もある。
面会記録がないということは有り得ない。

首相と秘書官は一心同体である。常日頃、連日事務報告事務連絡は欠かせない業務だ。親分に報告していないという事は有り得ない。
面談の時にはお茶が出されるはずだ。事務職員は知っているはずだ。

「官邸の中にいると世間の事に疎くなるので、なるべく外部の人と会うようにしている」。
おいおい、あんたは宮中に居るのじゃないぜ。

首相の傍にいつもいるのだから同席していれば”外部“の様子は逐一わかるはずだ。
彼の言い分は「総理も世間の事に疎い」と言っているに等しい。

内閣記者会の記者は毎晩のように秘書官宅にも夜回りに行く。世間と接触できているはずだ。

首相秘書官は田中内閣までは政務秘書官、大方は首相にずっと仕えてきた秘書。
事務秘書官は大蔵省、外務省、警察庁からの出向だった。
田中内閣の時に田中通産大臣の有能な秘書官だった小長啓一氏が首相秘書官になった。彼を角さんが見込んだからだ。
彼は日本列島改造論も書き、田中首相の国会演説原稿も書いていた。

田中内閣の名残か。通産出身の秘書官が定位置を占めた。
今や官邸は通産、ではない経産省か、そこ出身者が枢要な地位を占めている。

今の建て替えられた官邸にはもちろん入ったことがない。
今は公邸といわれる昔の官邸の模様を想起しながら「おかしな点」を列挙してみた。
白亜のような官邸にはどうも黒い霧が立ち込めているような思いに捉われて。

官邸に発生している霧が日本中を覆わないようにと念じながら・・・。

2018年5月3日木曜日

71歳の誕生日を迎えたキミへ

きょうはキミの71歳の誕生日だ。昭和22年、1947年にキミは正式に生まれた。

71年間、ボクはキミと付き合ってきた。
高校3年時、大学受験勉強の合間に、毎日キミを読んでいた。キミが語りかけてくる言葉を一語一語噛みしめるように。

キミの前文にある「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において名誉ある地位を占めたいと思ふ」。この部分をある種の感動を以って接していた。

テレビの社会に入り、政治担当になると渡される議員手帳。そこには憲法が記載されている。
折に触れて読みふけっていた。

71歳になって、またぞろ「改憲論議」にキミはさらされている。
しかし、その論議は戦争放棄をうたった9条の扱いに収斂された感があり、どこか本質論とずれている。

キミが公布された昭和21年11月3日。総理大臣は吉田茂、国務大臣に幣原喜重郎の名がある。吉田茂の前任者。
キミを誕生させたのは事実上は幣原喜重郎という人だ。

幣原喜重郎「外交50年史」という“公文書”が、国立公文書館に保管されているはずだ。
彼の日記がそこに残されているはずだ。
「私は図らずも内閣を組織することを命ぜられ、総理の職に就いた時、すぐ余の頭に浮かんだのは、あの電車の中の光景であった。これはなんとかして、あの野に叫ぶ国民の意志を実現すべく努めないといかんと堅く決心したのであった。
それで、憲法の中に未来永劫、あのような戦争をしないようにし、政治のやり方を変えることにした。つまり、戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹するようにしなければならんということだ。

少しばかりの軍隊を持つことはほとんど意味がないのである。外国と戦争をすれば必ず負けるに決まっている。

中途半端な軍備をもつよりもむしろ積極的に軍備を全廃し、戦争を放棄してしまうのが一番確実な方法だと思ったのである。」

抜粋すればこんな文章だ。幣原はキミの誕生のタネを植えたのだ。

キミが生まれて50年後くらいの人たちは、憲法論議をあえて避けている。
仲間の中でそれを言い出せばその場がしらけてしまうからだという。

新聞の世論調査は「安倍政権下での改憲について」と聞く。
どの、だれの政権下にあってもキミはキミなのだ。

今日の新聞は一日では読み切れないくらいの量でキミのことを書いている。
でも、一挙にこの日に合わせて書いても理解は深まらない。
常時、この憲法と言う民主主義の「基本法」について誰もが議論しやすいような記事を書き続けなければいけないのだ。

若者が日常の話題に供せるような書き方で。それが、マスコミと言うものがキミの誕生日に心することではないのだろうか。

AKB48の内山奈月と言う子はどうしているのだろう。今も活動しているのだろうか。
彼女が憲法学者の南野森教授と書いた「憲法主義」と言う本は若者への啓蒙に足る本だと思うけれど。

ボクは終生キミに付き合うつもりだ。
お祝いにもならない誕生日のメッセージ。

2018年4月30日月曜日

4月の終わり、5月の始まり。

しばらく入院をしていました。
病院生活はどうも体や精神を衰えさせるようで、退院しても気力・体力整いません。
気が付けば4月はもう終わる。一年の三分の一が過ぎる。
時間さえも世の風潮に呼応したかのようにスピードを速めている。

ベッドの中から世情のいろいろを眺めていました。
国会は停滞したまま。
高級官僚による「セクハラ」事件。
そして南北朝鮮の首脳会談。

次々と展開するさまざまな事柄に一つ一つをじっくり考えさせてくれる時間が与えられてもらえないようです。

財務次官のテレビ朝日女性記者に対する「セクハラ」問題。
立場によってどこに焦点を当てて考えるか。
さまざまな問題をはらんでいます。

かつて世を騒がせた毎日新聞の西山記者による機密文書漏えい事件を思い出しました。
外務省の女性事務官を通して沖縄返還にかかわる機密文書を入手して「特ダネ」記事を書いた西山氏。その秘密文書を社会党の、たしか楢崎代議士にわたして国会で追及させた事件。

女性事務官は国家公務員法違反で逮捕された。西山記者も教唆の罪で東京地検特捜部に逮捕された。
「過情を通じて」という司法の表現が話題になった。

西山氏を毎日新聞の政治部は必死に応援した。「報道の自由」ということで。
西山氏が出頭する際、毎日新聞の政治部は総出で彼を見送った。


少なくとも毎日新聞政治部は「ジャーナリズムの在り方」の問題として、その問題と向き合った。
テレビ朝日の女性記者の場合、セクハラ言辞を録音し、社に報道するよう迫ったが、報道することをやめさせた。彼女がセクハラを受けながらも財務省の不祥事に関する「ネタ」はとれなかったようだ。
社は彼女を守り、ジャーナリズムの観点から報道すべきことをしなかった。
なぜ彼女がその録音テープを新潮社に持ち込んだのか。
それはわからない。

しかし、そのことを含めて、どこかに「闇」を感じさせた出来事。

このセクハラを含め、日本のジャーナリズムは大きな曲がり角を迎えていると。

南北朝鮮の首脳会談。半島ではなにやら動きが急だ。
かつて何度も北朝鮮には「裏切られた」としても、たとえ、また「騙されたって」いいじゃないか。

騙す国より騙される国のほうがいい。

金正恩の本音はわからない。
しかし、半島情勢が融和に向かうことは歓迎すべきことなのだ。
どこかに「民族自決」はあるべきなのだし。

ピョンチャンオリンピックを契機に南北は関係改善、融和にむけて急速に動き出した。
米朝会談によって事態は“確定”してくるだろう。
およそ「常人」とは思えぬ言動を吐き、信頼に値しないような二人が話し合ってどういう結果が導き出されるか。

「北」について、ジャーナリズムは、特にテレビのワイドショーでは北に対する「固定観念」に基づく言説が飛び交っている。
時には本質とは無関係な、ニセ者説までが真面目に語られている。

テレビジャーナリズムの“限界”を見る思いだ。

日本にとっての重要課題、「拉致」について話は俎上に上ったと伝えられる。詳細は知らされていないようだ。
拉致を真剣に考えてるのなら、安倍は即刻韓国に飛び、詳細を聞くべきだ。金正恩の意向も。

それが拉致被害者家族への「礼儀」でもある。

安倍は、ゴールデンウイークを外遊の名の下に満喫している。
イスラエル和平に、中東和平になんら貢献できる策も持たずに。
後世に残る名演説でもしたらどうか。
言葉を持たない彼には無理だ。

とりあえず思いつくままにの空白を埋める思いを書き連ねて。

徐々に復調を目指します。

来年の今日は「平成」について感慨を込めて書いているでしょう。
来年の明日からは新元号となっていることについても。

“草むらに白き十字の花咲きて罪なく人の死にし春逝く”
美智子平成皇后が春にあたって詠まれた歌。

2018年4月17日火曜日

「不幸な国を生きる者」として

国連の「世界幸福度報告書2018」によれば、日本のそれは54位だという。去年は51位。幸福度なるものが年々下がってきているらしい。
第1位はフィンランドだ。
幸福度とは「一人あたりのGDP・社会支援・健康余命・社会の自由度と寛大さ・汚職の頻度」などについて分析したものだ。
アメリカも14位から18位に順位を下げた。豊かになっているにもかかわらず、幸福度は低下している。
一人あたりの所得は顕著に増加したが、社会支援ネットワークの脆弱化、政府と企業における汚職の増加、公共機関に対する信頼低下が幸福度を押し下げていると言う。

さすが“日米同盟”と。

何が幸せか。人によってその「観」は違う。
「なにげない日常、なにげない当たり前がどんなに幸せかを3・11で教えてもらった」という人は多い。
小さな幸せは意図しない小さなところにあるということか。

“観”と言うことについて、数学者で教育者だった遠山啓と言う人がこう書いている。
「僕の観というのは一人一人が自分で苦労して築きあげていくものなのだ。
一人一人がそれまでに自分の体験したこと、身に付けた技術、学んだ知識を総動員して、人間とは、世界とは、生命とはなにか、あるいは、人間は特にこの自分はどうやっていきていったらいいか考える。そうして得られた人生観・世界観・社会観などをボクは観と言っている。
これまで、観を持つ人間は政治家や学者などごく少数のエリートと呼ばれる種類の人たちだけでいいと言う人もいた。
それは間違いだと思う。
日本人すべてが、皆、自分自身で創り出した人生観・世界観・社会観・政治観、などの観を持つようになってほしいのだ」。

つまり、遠山啓のいっていることは、世の中の“常識”や“風潮”に流されるのではなく自分自身の“観”に基づいて自分自身を生きるということなのだと思う。

この国はいま、不幸な国だと思う。
自分の“観”を持っている人は少ない。持つことを否定されてもいるようだ。

政治家や官僚。その多くが“観”を持っていない。上に上げた観以外に彼らには“倫理観”が求められる。
それらは、忖度・隠ぺい・偽装・保身という全くの非倫理性に支配される人たちになってしまった。
政治は劣化の一途をたどる。官僚は使命感すら持ち得ない。官僚機構は崩壊している。
そんな支配階級にこの国は弄ばれてもいるようだ。

幸福度が上昇するわけがない。

民の声に彼らは耳を貸さない。支配と言う愉悦を楽しんでもいるようだ。
民主主義と言う言葉は名ばかりにされてる。

さまざまな国民にとって不幸な出来事も、それをどこかに迂回させて何かが企まれているようなきがしてならない。

たとえば熊本地震の被災者。未だに仮設に暮らす人が1万6千人もいるという。
自宅を建てるにも業者がいないからだという。
業者はどこに行ったか。東京オリンピックのために高賃金で働いている。

「いかに生き、いかに学ぶか」。遠山啓の本のタイトルだ。

だから考える。
駄目な政治、おかしな行政。それらがまかり通っているということは、それだけ我々に学ぶ材料を提供してくれているのだ。と。

2018年4月12日木曜日

おかしゃん、花ば・・・

桜の季節である。
川の土手も公園の樹々も、あるいは地蔵堂の一本の樹も、桜いろに染まっている。
あちこちで桜の話しに花が咲く。宴が話題になる。
テレビもあちこちの桜の光景を伝えてくれる。

「3・11」以来、桜と言う毎年季節を彩り、人々の目を楽しませ、こころを躍らせる美しい花に対して、“複雑”な思いを抱いてしまうようになった。
全町避難を強いられた富岡。
何回か訪れたあの見事な夜の森の桜並木。
今年は帰還が許可された地域で、戻った人を含め、観光客の目を楽しませてくれている。

夜の森公園の桜並木は、南相馬小高区出身の実業家であり、教育者であり、衆議院議員も務めた半谷清寿と言う人が、あの地域の入植・開墾に当たり、明治34(1901)年に、理想の村づくりを求めて、不毛の原野に300本苗木を植樹したものだ。
半谷の著作「将来之東北」を実践するかのように。

原発事故後の今頃、桜の季節が訪れようとしていた時期。避難所のビッグパレットのダンボールで囲われた居所の中に、その夜の森公園の桜を写した写真を持参してきた人がいた。
頭を下げに来た東電の社長に「この桜を観てください」と静かに言い、「桜がどうなってしまうかそれだけが気掛かりです」と語りかけていた。

その光景が未だに脳裏を離れない。
2011年の春、桜を観ることに苦悩した。

今日の新聞にある人の死亡記事があった。
水俣病資料館の語り部、前田恵美子さんの訃報。彼女も3歳の時に水俣病を発症している。2013年、天皇・皇后両陛下が水俣を訪問された際、自作の「ピンクの花が好き」という歌を披露したという。

水俣病を書き続けてきた石牟礼道子の作品の中にこんな話が記されている。
きよ子という胎児性水俣病患者の母親が語った話だ。
「死ぬ前の頃でしょうか、桜の散る頃、ある日、眼を離した隙にきよ子は括りつけられていた紐をほどいて廊下に行き、縁側から庭に転げ落ちていました。
“おかしゃん、おかしゃん”という声を聞いて駆け寄ってみると、曲がらぬ手のひらに桜の花びらを握りしめていました。“おかしゃん、はなば”と喋れない口から絞り出すように声を出して。
きよ子は命をかける思いで桜の花びらを手にしたかったのでしょう」と。
そして母親はこう訴える。
「桜の時期に、花びらば一枚、きよ子の代わりに、拾うてやってはくださいませんでしょうか。花の供養に」

悲しく、惨く、そして美しい話だ。

明日は病院に行く日。途中の笹原川の桜は見事に咲き誇っている。
今日の風で花びらが散っていたら、その花びらを数葉拾うつもりだ。
そしてそれを小さなガラスの器に水をはってうかべてみる。
そしてーー。
「桜よ、あなたはいったい何者なのだ」と問いかけてみる。
この7年間がそうであったように。

2018年4月7日土曜日

“神聖喜劇”

大相撲の地方巡業、舞鶴場所。挨拶に立った市長が突然発作を起こして土俵上に倒れた。後頭部も強打したようで痙攣をおこしている。
傍にいた若い呼び出しの様な行司はただうろたえている。関係者らしい背広姿の男性数人が倒れている市長の周りを囲んでいるがなにも手をくだせない。
うろうろして呆然としている。

観客席から女性が数人男性をかき分け市長の傍に行き、心臓マッサージをほどこす。渾身の力をこめての救命措置。

「私は看護師です」と名乗り処置を続ける。
観客の一人が女性が神聖な、女人禁制の土俵にあがっていると声を上げる。
呼び出し行司が「女の人は土俵から下りて下さい」と数回アナウンスする。
降りようとする女性看護師もいたが同僚はそれを止める。

私人として相撲観戦に来ていた女性が目の前で起きた「事故」をみて咄嗟に公人としての看護師になった瞬間だ。

「命を救う」という倫理観に基づいた行動。咄嗟の判断、行動。
彼女らの行動には一点の非もない。
その彼女たちに「土俵から下りろ」と呼びかけた相撲協会関係者。
呼びかけた行司だとされている人物は「土俵は神聖、女人禁制」をいう“伝統”が吹きこまれ、染みついていたのだろう。

テレビ報道でその様子を見ていてなぜか「神聖喜劇」という大西巨人が書いた大作の題名が浮かんだ。

人一人の命を救うために禁を冒してでも救命行為という神聖な行為を選択した看護師。
神聖な土俵には女性を上げてはならないと言うなんら根拠の無い権威づけの“伝統”なるものを口にした行司とされる人のアナウンス。

「仮定の質問には答えられない」とするのが今の政界での常識のようだが、あえて「仮定」を言う。
もし、彼女たちの救命行為が無く、市長が死んでいたらどうするのか。
救急車を呼んだというが、救急車が到着するまでには早くても数分はかかろう。

たとえば脳梗塞、たとえば心筋梗塞、たとえば脳卒中、たとえば大動脈瘤破裂。
市長はくも膜下出血だった。
適格な措置により一命をとりとめた。後遺症も軽くてすむかもしれない。

市長が担架で搬送され女性たちが土俵を下りたあと。その土俵には大量の塩が撒かれたという。
女性があがった土俵は“穢れ”だというのだろうか。

昨日主治医とこの話をした。医師は言う。
看護師たちはかなり訓練された練達の看護師だ。
相撲協会のアナウンスを聞いた時怒りで涙があふれた。医師として使ってはいけない言葉だろうが「ぶん殴ってやりたい」と思ったとも。

「神聖喜劇」、それは旧軍隊に中にはびこる伝統とか慣習とか、それを下にした不条理に主人公が驚異的知識と頭脳で論破していく物語だ。

相撲界にはあまりにも不条理な思考やしきたりがある。その不条理を看護師である女性がからだを張って打ち破ったのだ。

昔から「女性相撲」というのがある。力士としてならば土俵に上がれる。

相撲協会の中にはさまざま「不条理」が存在している。ジャーナリズムは今回のことをもっともっと追求するべきだ。
協会の評議委員長である池坊保子に記者会見を申し入れ、事の顛末と女性としてどう思うかをしかと質してみるべきだ。

看護師を称賛する声は多い。表彰も言われたが彼女たちは断ったそうだ。
「当たり前のことをしただけですから」。

今の不条理に覆われた世の中、人が人としての人命救助という当然の行為。
それは何にも増して崇高な行為だ。
当たり前のことが当たり前とされない、出来ない。そんな根拠の無いしきたりとか伝統とやらはくそくらえだ。

長く風習として有った「葬儀でのお清めの塩」。もう会葬御礼の封筒に入れて渡すところはほとんどなくなったはずだ。
死者は清めの対象になる”穢れ“ではないことにやっと気づいたからだろう。

2018年3月30日金曜日

「無責任の体系」ということ。

政治学者丸山真男の著作の中に「無責任の体系」という言葉がある。
かつての軍国主義時代のこの国の統治システムを言い表したものだ。

極東軍事裁判で「なぜ聖戦と呼ぶのか」と聞かれた時、かって朝鮮総督であった官僚は「聖戦と一般に言っていたから、ついそういう言葉を使った。侵略的というような戦争ではなく、状況上余儀なき戦争だったと思っていた」と答えた。

丸山真男はこうした日本軍人の姿を「主体性を喪失して盲目的に大きな力にひきまわされる精神」と分析した。そしてそれを「無責任の体系」と位置付けた。

 この「無責任の体系」という言葉は、大きな事件を起こした組織が幹部のリーダーシップの欠如のため、より事態を悪化させたり、トップが部下に責任をなすりつけ居座り続けたりするときにしばしば使われた。

 丸山真男は「無責任の体系」の構造として、上位から「神輿」、「役人」、「無法者」の三つの類型を置き、軍幹部や佐官、民間右翼らはそのどれかに当てはまると書いている。

さしずめ、今の統治機構に当てはめるなら、神輿は首相であり、無法者は安倍信者たちかもしれない。

今、二行か三行に行間を空けて書いている。それは典型的な「官僚文書」の書き方だからだ。
行間は上司や決裁者の手直しが入れやすいように考え出された書式を真似てみた。

森友問題、佐川の証人喚問、予想通りの結果だった。“刑事訴追の恐れ”という逃げ口上の連発。
かつての“記憶にありません、ございません”の連発が思い起こされる。
証人喚問と言う立法府の持つ国政調査権行使も“抹殺”されたに等しい。

証人喚問の宣誓文と補佐人と言う名の弁護士の入れ知恵で連発される答弁にはあまりにも乖離がありすぎる。

真実は語られていないという事。

専門家と称する人達がメディアで「解説」らしきことを言う。
国民感情とは、それは、かけ離れている。

国は「専門家」によってなりたっているのではない。あくまでも国民大衆によってなりたっているはずだ。

政治家は政治の「専門家」だろうか。違う。
マックス・ウエーバーの言葉を借りれば「職業としての政治家」だ。

国民は選挙と言う民主主義の原則で、政治家の首を切ることは出来る。だから常に己の保身を図り、その「職業」が無くならないように意を用いる。

官僚の首を切ることを国民は出来ない。首を切れるのは政治家だけだ。だから官僚は国民の意向をさほど気にしない。身の保全は左右されないからだ。
生殺与奪の権を握る政治家にだけ、政権にだけ尻尾を振る。

無責任の体系の無責任たる所以だ。
「公文書の棄損、改竄は日本の政治史に残る悪行だ」。小泉進次郎をして言わしめた歴史の改ざん。それが、歴史の隠ぺい、改竄が日本の歴史を正史としなくなっている。

日本語を読めない、使えない政治家が教育を語る。笑い話にもならない。
麻生太郎という男はどこまで「バカ」なのだろう。
「T PP」のことを森友ばかり書いて日本の新聞は書かないと言い切る。そんな新聞に存在価値は無いというようなことを断言する。

無知も甚だしい。ちゃんと大きく書いているではないか。
大臣の机の上には毎日大量の新聞の束が置かれている。重要な、その省庁に関係する記事は秘書官が、事務官が付箋をつけている。

麻生が辞めるとか辞めないとか、無意味な政局記事に労力を費やすより、彼の発言がいかに無知であり嘘であるかをもっと書くべきだ。
マスメディアまでが無責任の体系の中に組み込まれているこの国。

ほんと、国民が覚醒する以外にこの国は取り戻せないのではないか。

怒りに狂いながらの日々。脳梗塞の後遺症でリハビリに通っているが、最近腹が異常に膨らんできた。運動しないからだ。自己責任だ。他人任せのリハビリではダメなのだ。自らが努力しないと。
僕は「無責任の体型」の中にある。そう自覚することしきり・・・。

2018年3月25日日曜日

「日本の統治機構は崩壊した」

今、日本の政治は末期的状態にあるとあらためて思った。
官僚組織も機能不全のような状況だ。

旧友の郡山出身のかっての高級官僚、福島県が輩出した“偉人”朝河貫一の顕彰会の会長とまた会った。
東京で暮らしている彼は今の政界、官界の堕落、腐敗ぶりに忸怩とした思いにかられている。その想いを語りたかったのだろう。
数時間語り合った。


内閣人事局は廃止すべきだ。政治家の顔色を窺うようになった官僚はこの国を間違った方向に導く。
彼の現役時代は有り得なかった事態になっている。
政治家がお粗末すぎる。その根源は小選挙区制度にある。
小選挙区制も廃止すべきだ。

お互いに思うことは一緒だった。多少の異論はお互いにあったものの。
官僚OBは、官僚同士のつながりがある。各種の会合もある。
“情報”を抱えている。
そして矜持を持っている。

その余韻で書く。
「森友学園問題」、国有地の不当払い下げ問題を巡る官僚の公文書改竄、隠ぺい問題、さらには「嘘」の答弁を繰り返してきた佐川宣寿前国税庁長官への証人喚問が明後日行われる。

たぶん「記憶にありません」、「刑事訴追の恐れがあるので、答弁は差し控えます」。そんなやりとりで終わるのではないかと想像する。
そんな想像の中で野党がどれくらい“真相”を引き出すことが出来るのか。

官邸と佐川の間で綿密な打ち合わせがされていることだろう。
大方の国民が関心を持つこの証人喚問。NHKは高校野球を理由に中継しないと言う。高校野球はEテレで中継できるではないか。

安倍夫人や御付の秘書だった女性官僚、迫田理財局長の証人喚問。
それを要求する野党に理があると思う。
異例の長期拘留中の籠池に野党の議員が面会した。

改竄前の公文書にある彼の発言は「その通りだ」と拘置所の寒さで罹ったあかぎれ、ひび割れの手で語ったと言う。
何があっても籠池は囚われの身から解放されないのだろう。
“保釈”にでもすれば何を語り出すかわからない。それを官邸や一部の自民党議員は危惧しているからだ。

安倍官邸の「闇」。

国会の委員会で常に目を閉じている関係者の一人の麻生太郎。
「悪い奴ほどよく眠る」。そんな言葉を想起させる。

働き方改革は嘘のデータでその政策の根底が歪んだ。
前川喜平の“授業”には自民党文教族が圧力をかける。

泥縄であろうと何であろうと改憲に向けての足掛かりをつけようとはかる。

独裁政権が忌み嫌うのは民主主義と言う言葉のようだ。
この国の民主主義は危機に瀕している。

まがりなりにも我々は民主主義国家に生きている。
独裁国家のロシアや中国、北朝鮮とは違うはずだ。
しかし、今この国の実相はそれらの国に近い。

100%信頼するアメリカには鉄鋼製品の関税をかけられた。
「トランプファースト」。米も独裁国家に近づいている。
東アジアの問題に関しては日本は蚊帳の外に置かれた有様。

朝河貫一存すればいかなる言論を述べただろう。
今の時代にコペル君と叔父さんがいればどういう会話がされるのだろうか。

少なくとも「卑怯な振る舞いはしてはいけない」と叔父さんは諭すだろう。

安倍別働隊の小池百合子は都の迷惑防止条例の改正を目論む。
この中では「粗野な言動」があげられている。つまり官邸や国会前でのデモのシュプレヒコールも規制の対象になる。
言論弾圧に等しい。
「みだりにうろつくこと」も対象だ。高齢者の病気の一つである「徘徊」もみだりにうろついている行為だ。

放送法第4条を撤廃すると言う。公正な報道をうたってきたこの条文。それを盾にテレビは委縮させられてきた。
自分たちに都合のいいテレビ放送をさせるという事なのだろう。そういう局を支援するという事なのだろう。

書いているだけでも息が詰まってくる。ケツの毛を抜かれた官僚。無知蒙昧な政治家。
森友疑惑は改竄文書は朝日新聞のスクープだ。毎日が後をフォローした。
今や権力の監視や欺瞞行為を摘発できるのはジャーナリズムの一部だけになった。ジャーナリズムがどれだけ覚醒し、権力と対峙していけるのか。

しばらくはその動向に身を委ねてみようかと。

2018年3月18日日曜日

「国民のカルテ」としての公文書


いわゆる森友問題でこの国は揺れている。
森友問題と言う表現は事を矮小化させる。
国有地の不当払下げ問題と呼ぶべきだ。

公文書管理法は、公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置づけている。
その公文書が改竄、隠ぺいされることは何を意味するか。
民主主義の根幹が失われるという事だ。

公文書とは国家による国民のカルテだ。
公文書とは歴史の記述だ。

そのカルテが改竄、偽装されていたらどうなるか。

もし、病院のカルテにそういうことがあれば、患者は間違った治療や投薬を受けることになる。医療の間違いは患者の生命にも関わる。

公文書の改竄は国家を死に至らしめるということだ。

国の歴史が隠ぺいされ、あったことがなかったことにされるという事だ。

城山三郎の著名な作品に「官僚たちの夏」というのがある。
通産官僚の姿を書いたフィクションだ。いや、ノンフィクションだ。
文学として書かれたジャーナリズムだ。

登場する人物は実在した官僚や政治家がモデルとなっている。
主人公はあのミスター通産省といわれた佐橋滋。日米貿易摩擦が国家的問題となっている時の官僚たちの姿を書いている。
省内の派閥争いやノンキャリ官僚の実直な働き方。
官僚としての国家観。

自分たちの政策を実現させるべくいかにして時の政権と関わっていくか。
政治家を説き伏せるか。池田勇人派、佐藤栄作派、その他の自民党の実力者。

政治家の思惑を巧みに利用しながら国家の為という信念で動いた官僚たちの姿。

今の官僚たちと比べれば今昔の感しきりだ。

貿易摩擦でやり玉にあがった自動車産業をいかにするか。
ノンキャリの官僚は自動車メーカーの下請け工場にまで出向く。
現場主義の官僚たち。

この小説は「官僚のカルテ」だ。

森友問題を見ているとこの小説が浮かぶ。

そして考える。森友問題とは何かということ。なぜ森友問題が起きたかということ。
それは「○(まる)政」問題であり、保身を願う役人にとっては至上命題だったということ。○政とは政治家が絡んだ、政治から要請があった課題だという事。

しかし、なぜ政治家があるいは政治家の妻がそれに関与することになったのか。
そこに、この問題の“暗部”を看るのだ。

いま官邸は通産官僚で占められている。1級官庁の財務省は官邸の中で目立たぬ存在になっている。

何故籠池が政治家とつながりを持てたのか。安倍昭恵と関わりを持つようになったのか。
それらの接点の根源がわからない。

「もし、わたしやわたしの妻が関係したのであれば総理大臣どころか議員もやめます」と言わしめたのは籠池側が”悪だ“という認識があったからだろう。

政治家の質や力量は一時と比すまでも無く低下、劣化している。
官僚の書いた紙を読まなければ演説も答弁も出来ない。

政治主導なる“妄言”に国民は欺かれている。
内閣人事局なる“官邸主導”の欺瞞を見抜いている。

だってそうでしょ。
昨日までは「適材適所」と言っていた人物が、公文書改竄の元凶にされる。

安倍夫人の名前が黄門さまの印籠の如くに書かれている。発言内容も書かれている。
「妻に確かめたところ。そんな発言はしていないということだった」と安倍は言う。
ならばあの改竄前の公文書は虚偽の事実を書いていたということになる。
ならば「適材適所」とされた人物やその部下だった官僚が「嘘」を記したということになる。
ならば告訴するべきだ。国政を混乱させ、名誉を毀損させられたという“罪状”で。

明日の参院予算委でどんな論議が交わされるのか。
週末の世論調査がどんな数字となって出るのか。

週末も安倍は、麻生は、側近を集めて逃げ切り策を、想定問答を話し合っていることだろう。

昨夜、友人たちとの集まりがあった。この問題に一人が話を向けると堰を切ったようにめいめいが口を開き、意見を語っていた。
大方が疑問を呈し、疑念を語り、あげくこの国の行く末にまで論議が及んでいた。
市井の民の雑談と言ってしまえばそれまでだが、国民の大多数が関心を持っていることだけは間違いない。

週末に選挙区に帰った議員たちはどんな選挙民の声を聞いてくるのだろうか。

2018年3月11日日曜日

「3・11」前後譚

7年――。何が変わり、何が変わっていないのか。
さっぱりわからない。
形状や景観ではなく、根底はなにも変わっていないのではないかと思う。

「原子力災害」は継続中だ。
災後、除染という作業があった。
庭の“汚染土”や“草”は剥ぎ取られ庭の一角に埋められたままだ。
何回か春が来て、夏がきて、冬が来た。冬には庭は雪に覆われた。
地中のフレコンバックはすでに破れているだろう。

「3年間の保管です」と市の担当者はいった。その頃、運び込まれるはずの中間貯蔵施設は建設の緒にもついていなかった。

いずれまた掘り返されるのだろう。そんな“確信”のもと庭の手入れはまったく放棄している。

県内各所には仮置き場というのが設けられた。中間貯蔵施設は未完のままだ。
仮置き場からフレコンバックがダンプカーに積まれて運び込まれている。
10トントラックが列をなして、貯蔵施設に向かう。
道路は損壊、陥没の危機にある。

30年後中間貯蔵施設から廃棄物は県外に移送すると国は法律で定めた。
「引き受ける」ところはあるのか。有り得ない。
最終処分場になることは明らかなのに、福島県民を国は騙し続ける。

メルトダウンし、溶け落ちた核燃料。あの1Fは未だに防護服を必要とし、短時間しか滞在できない高線量地帯だ。
作業員の被ばく量は低くは無いはず。
しかし、その実態は把握もされないし、隠されたままだ。

高濃度の廃棄物、取り出したあとのデブリや再処理工場に運び込まれている核のゴミ。
海中深くに埋め、10万年保管すると言う。

先日、県北の河川で「セシウムボール」と呼ばれる放射線が付着した微粒子が発見されたという。
川にあるものは海に流れ出る。

7年―。何も終わっていないのだ。

災後、福島の子どもたちは「ガラスバッジ」と呼ばれる積算線量計を首から下げさせられていた。その光景はいつの間にか消えた。

7年前の3月、爆発以降、不要不急の外出は避けろと言われ、外出時には帽子、マスクを着用するように言われた。家に入るときは付着物を払い、手洗い、うがい、洗顔を必須とされた。
同じ光景や対応が今でも求められている。その対象はインフルエンザと花粉。

なぜか笑える。

3・11にあわせてメディアはさまざま特集を組む。
それらを無意味だという気はさらさらない。しかしだ、その大量の「情報」を消化し読み取る能力は持ち合わせない。
発信する側はそれを為したことで“満足”する。受け手の側は許容範囲を超える。

「3・11」を挟んで国会は混乱し揺れる。森友問題(この呼称は矮小化する感ありだ。公文書偽造、国有地不当払下げ問題とすべきだ)を巡ってこの国の形が壊れるような事態にある。
佐川が辞任した。そんなことはどうでもいい。事件に関与していた一人の官僚が自殺した。組織の悪弊、矛盾に耐えきれなかったからではないか。

総理大臣の名が取沙汰された“犯罪”は死者を伴う。田中角栄の秘書田中利夫さん、運転手の笠原さん。
竹下登の秘書青木伊平さん。
皆、仲のいい知り合いだった・・・。

佐川や麻生が辞任を巡って記者会見している頃、同時刻。安倍は日本テレビの社長や解説委員長と会食していた。近畿財務局の官僚の自殺ももちろん知っていたはず。

「許されざる者」。

その非情さはどこからくるのだろうか。

そして「3・11」から8年目。パラリンピックはともかく、この国は安倍肝いりの東京オリンピックに向けて邁進していくのだろう。その“負”の部分には目もくれないまま・・・。

避難生活を送る人がいる限り、立入り禁止区域や強制避難区域がある限り、福島にとっての「3・11」は全く終わりをみせない。

損害賠償は今月で打ち切られる。
「カネ」をめぐる人間模様が露呈されている。それは大方「えげつない」感情だ。

7年はなんら「区切り」とはならない。安倍はまた言い訳のように福島に昨日来た。彼が“視察”したものは「いいこと」だけだ。
「負」の部分に彼らの目は向かない。いや見ようとも感じようともしない。

「原発事故」に多額の国費が投入された。
再稼働を「コスト」で論じる奴がいる。事故があれば大量の“コスト”が失われる。

フクシマは実験場であり、学びの場なのだ。
書きながら怒りが満ち溢れてくる。この国はどこに行くのだろうと思いながら。

2018年2月26日月曜日

戦争が祭りの後に立っているのか

ピョンチャン五輪が終わった。
日々伝えられる日本選手の活躍に国中が湧いた。
「努力は必ず報われる」と競技結果を伝える新聞は書いていた。
なんともありきたりな文章だ。
運が付いて回っていることもオリンピックは証明している。
天候の問題もあれば、他人のミスに巻き込まれるという不運もある。
運は努力で克服出来るものでは無い。

このオリンピックほど政治が外交が介在した「平和の祭典」は無い。
競技とは別に政治の陰が見え隠れしていた。
競技中は選手が主役だったが。

開会式には金正恩の妹らを送り込み、閉会式にも「高位級代表団」を送り込んだ。
韓国の文政権も「政治利用」した。南北融和、祖国統一という旗印を掲げて。
アメリカもそうだ。トランプの愛娘を送り込んだ。
東アジアの戦争の火種となっている北朝鮮とどう対処するのか。

安倍のオリンピック利用外交は徒労に終わった。閉会式には要人は行かない。
行っても無意味だからだ。

なぜ北朝鮮はこれほどオリンピックに“介入”してくるのだろうか。
北の真意や真相は不明だ。なにやら蠢く中国も不気味だ。
祭典が終わらぬうちからトランプは北への制裁を打ち出している。
「瀬どり」を阻止し、それが成果を挙げないのなら次は軍事行動だと威嚇している。

北朝鮮と米国が会談する用意があると北は言った。
アメリカは警戒感を抱きつつも双方腹の探り合いと言うところか。
常に軍事的行動をちらつかせるトランプ。

とにかくトランプと言う男は暴力的な男だ。
武力で事を解決すると言う思想の持ち主だ。
フロリダ州の高校の銃乱射事件を以って、教師に銃を持たせ、持った教師にはボーナスを支給すると言う。
銃でアメリカ社会の病巣である銃社会の秩序が保てるとは思えない。
教鞭の代わりにライフルを教育の場に持ち込むと言う発想。
トランプとはあのカードのジョーカーのように“悪魔”だ。

核をもてあそぶような金正恩と発想は同じなのだろう。
似た者同士の争いと笑って済ませる訳にはいかないのだ。

きのう長年の親交がある元外交官とあった。「アメリカ」についてもろもろ話した。彼は全くの保守の人間だ。
全米ライフル協会といういわば極右の様な団体からの資金援助。それらの人を核とする35%という数字の熱狂的トランプ支持者がいるということ。
彼を辞めさせるには弾劾しか道は無いだろうという事。
アメリカと言う国の威信は大きく揺らいでいるということ。
トランプをどうにかしないと世界の秩序は維持できないかもしれないということ。
そんな事を彼は外交官の矜持を持って語っていた。

聖火がゆっくり消えて行った。アリランの歌声が郷愁を誘った。
次にともるのは聖火ではない。戦争と言う火だ。そんな予感が杞憂であって欲しいと願うのだが。

日本の政権はアメリカに、トランプに追随している。安倍の堅い支持層も35%だ。

米朝もし戦わば。日本は完全に巻き込まれる。
それがもたらす惨禍は・・・。

五輪でメダルを獲得した選手たちは凱旋帰国してくる。出迎えの歓喜の声が湧く。テレビは「後日談」で選手を引きずり回すだろう。

華やかな宴の後はさびしい。その寂しさが戦争と言う悲しみに変わったのでは選手たちがあまりにも気の毒だ。

オリンピックで「戦」という言葉を使うのは止めようよ。あくまでも「競」であるべきなのだから。
「競」であるからこそ結果が出た後にお互いを称えあうことが出来るとのだと思うから。
それを立証してくれた選手もいる。

取りあえずオリンピックと政治について書いてみた。オリンピックと政治は“密接”につながることは否めない事を再認識した次第。

2018年2月20日火曜日

「平昌オリンピック」に思う事

オリンピックは必ず「物語」を連れてくる。その物語は誰をも心の美しさに誘ってくれる。その物語を求めてオリンピックを観る。
そこには閉塞感に満ち溢れた一般社会とはかけ離れた「人間の美しさ」があるからだ。

スケートの小平奈緒選手の光景は美しかった。彼女が勝利したと言うことだけではない。永遠のライバルと言われた韓国の李相花選手とのお互いをリスペクトした光景だ。

そして彼女を支援し続けた茅野市の相沢病院の存在だ。彼女に国は今まで何を支援したか。何もしていない。スケート連盟はプレッシャーだけを与え続けていた。

彼女と李選手の涙の抱擁の姿を見て普通の国民は感動したはず。
一部の嫌韓に凝り固まっている人は別にして。
スポーツの世界ではスポーツを通してしか実践できない“友好”があるのだ。
スケートフィギアの浅田真央とキムヨナもそうだった。

嫌韓のトップである安倍が祝意を表した。李選手との抱擁の光景に感動したとも言った。日の丸の小旗をちらつかせた自分の写真もつけて。

開会式に安倍は出かけた。全く無意味な訪韓だった。
北朝鮮から金与正という金正恩の妹らが韓国に来ていた。
「微笑み外交」と日本のメディアはある種の揶揄を込めた表現をし続けていた。
「北朝鮮に騙されるな」と。

南北朝鮮の合同チーム。文韓国大統領の政治的思惑がそこにあるかもしれない。北には北の思惑があるかもしれない。
それについて他国が憶測を持って論ずることに疑義がある。
同じ民族同士。それに意を用いるべきではないだろうか。
束の間の、見せかけの融和かもしれない。
しかし、何事にもきっかけというのがある。それになったとすれば、それこそオリンピックが平和の祭典と言われる所以に立ち返れるのではとも思う。

開会式での金与正の席の真近に席があった安倍。一度たりとも顔を見ようともしなかった。笑顔で挨拶を交わすだけでも日朝関係に変化がみられるかもしれないのに。

「北への圧力強化」は文大統領にいなされた。拉致を言ったと言うが相手からはそのことは聞かれなかった。


朝鮮半島、そこはかつては日本、大戦後はロシア、侵攻を阻止するアメリカ。
いわゆる大国にいたぶられてきたところだ。

米ロの覇権争い、領土争いで38度線で分断された民族だ。
南北朝鮮はいまだに戦争状態なのだ。単に休戦中なだけだ。理屈を言えばだが。

北と南の分断は果たして半島民族が望んだことだったのだろうか。

政府はすでに金メダルをとったフィギアスケートの羽生や小平に国民栄誉賞を授与する検討に入っていると聞く。国民栄誉賞なるものでオリンピック選手を表彰する。スポーツを人気取りにしようとしているの感大だ。

受けるか受けないかは選手の意思次第だ。
ただ、小平にはお願いしたい。なんとか時間を作って相澤病院にメダルを見せに行って欲しいのだ。
応援した入院患者はそれを心待ちにしているはずだ。
銀メダルを取った時病院に行った彼女は患者から大歓待を受けたとも聞く。

彼女の快挙に日本中が感動した。病床に伏せている人には尚更感動を与えるだろう。病を癒す最高の治療にもなるだろう。
金メダルを獲った選手は強者だ。獲っただけでは単なる強者で終わる。
弱者に目を向けることで真の強者となる。
小平はきっとそうするだろう。
「多くの皆さんに支えられて」。その多くの皆さんと言う言葉の中には病める身ながらも彼女に声援を送り続けたあの病院の患者さんが含まれていたと思う。
病人と言う弱者が強いアスリートに力を与えたのではないかとも。

メダルに手は届かなかったものの,勝者にはならなかったものの、力及ばずだった敗者も大勢いる。時には仲間のサポートに回った選手もいる。
悪びれない敗者も賞賛に値すると思うのだけど。

きょうもNHKのテレビはメダル獲得数を話題にするだろう。メダルだけがオリンピックだけではない。メダル至上主義の日本のメディアにこの国の“後進性”を見るのは“偏見”か。

2018年2月11日日曜日

なみだふるはな

石牟礼道子さんが亡くなった。90歳。パーキンソン病の悪化によりという。
“水俣病”はまた一つ消えていく。

「3・11」の後、福島に対するデマがふりまかれ、原発事故の被災者になった多くの人たちの苦悶の日々を見聞きする中で、文学に逃避していた僕は思い立ったように石牟礼道子の「苦海浄土」を久しぶりに手にしていた。
なぜその本を選んだのか。水俣と福島には重なり合うものがあると思ったからだ。
当時、このブログにもそのことを書いた。

福島と水俣、福島と沖縄、福島と広島、長崎。日本人の一部の奴らが好む「差別」がそこには共通項としてあったからだ。

「苦海浄土」はジャーナリズムとしての完全な文学だ。

チッソが垂れ流した産業廃棄物としての有機水銀中毒事件。これほど水俣の漁師に関る人達を痛め苦しめ、絶望に追いやった事件は無い。
かつて足尾銅山事件と言うのもあった。鉱山から流れ出る有毒な廃棄物の川への垂れ流し。
それと闘った田中正造のこと。
そして、原発の爆発事故という絶望的事件。放射能に怯えて暮らす人々。そして抗議の自死者。

絶望の極限に陥れられた不知火海。そこから抜け出すには浄土に行くしかない。
豊穣の海を破壊し、絶望の海へと変えたものは。

患者一人一人の声に耳を傾け、それを綴り、文学として表現したもの、遠藤周作をして最高の文学と評させた作品。

藤原新也と言う写真家であり作家である人がいる。彼は多分この石牟礼作品を読んでだろう。「日本浄土」という作品を世に出している。
彼が昔練り上げた写真と巧緻な文章による「東京漂流」。
写真は人々の生きざまをレンズを通して表現したまさに写真ジャーナリズムだった。

「3・11」の年、藤原は2か月にわたって福島に身を置き、レンズを通して「福島」を伝えた。

そして石牟礼との対談を一冊の本にした。
「なみだふるはな」

“時を経ていま共震する二つの土地。その闇のかなたにひらく一輪の花の力を念じつつ・・”と藤原は言う。

「1950年代を発端とするミナマタ。そして2011年のフクシマ。
このふたつの東西の土地は60年の時を経ていま、共震している。
非人道的な企業管理と運営の果ての破局。
その結果、長年にわたって危機にさらされている普通の人々の生活と命。
まるで互いが申し合わせるかのように情報を隠蔽し、
さらに国民を危機に陥れようとする政府と企業。
そして、罪なき動物たちの犠牲。
やがて母なる海の汚染」

藤原が序にかえてものした“二つの歴史にかかる橋”という一文の一部。

あとがきにある石牟礼さんの“野苺の記憶”という一文の一部。
「東京漂流と名付けられた本について長いこと考え込んおりましたが、漂流と言う言葉が今世紀を予見していることを具体的に知ることが出来ました。

ある方がこんなことをおっしゃいました。
「東京まで行ってみたがなあ、日本ちゅう国は見つからんじゃった。探しきらんじゃった。
どこにゆけばよかろうか。
水俣は日本の外になっとるにちがいなか。日本から見れば、水俣は行方不明になっとるにちがいなか。
家族全部水俣病になって、もう3代目、いやいやもう4代目になっとる。
ひょっとすればわざと、失くしてなくしとられんかもしれんと邪気をまわしたりして、こりゃ独立して、もう一つこの世ば作れちゅうことじゃなかろかなあ」
今は亡くなった、患者さんの言葉です。

我々は「恥の文化」を忘れている。あらためて痛切にそう思わされた。
3・11後、琉球独立・福島独立と書いた自分がいた。

文学者であり詩人であり、人の道を生きた石牟礼道子さんに弔意を捧げる。

2018年2月5日月曜日

「バカ丸出し」ということ

子供の頃よく言い合った。「バカ丸出し」「まるでバカ」。
自分で自分を「丸バカ」と呼んでたやつもいた。

養老孟司の著作を借りるまでもなく、この国は今「バカの壁」の囲われているような気がする。政治家はまるでバカの集まりのような様。
官僚も物を言えないバカ。
それらのバカどもに我々はバカにされている。

官僚の書いた紙を読むしか能の無いバカ。
質問通告が無いから答えられないという首相のバカ。
日本語を常に読み間違えるバカ。

どんな質問が野党からあっても答えられるのが、その資質を持っているのが首相であり、大臣だ。職責だ。答えないのは職務放棄だ。その任に非ず、だ。

開き直る閣僚に手をこまねいている野党。
政権を追い込める「ネタ」を生かせない野党。
政権に対峙するよりも自分たちのエゴで離合集散を繰り返す野党。
国民のことを考えるより自分たちの都合を優先させる野党。
バカだ。

仮装通貨なるものにのめり込む人々がいることを最近知った。
とにかく儲かる仕組みだったらしい。
ネット一つで億のカネを稼ぐという。
「億り人」と称し、夜な夜な都心の高級バーで話し合いをしているとか。
カネの亡者というバカ。
中には生活費をねん出するためにこの仮装通貨の世界に、ネットの闇に舞い込んだ若者もいるという。悲しい話だ。

不倫報道に血道を上げるワイドショー。相撲界の騒動に時間を割くワイドショー。
視聴者を「バカの道」に誘っているようだ。

フェイクニュースと言う言葉を連発し、自分の意に沿わない政敵の攻撃を政治だと勘違いし、新兵器の開発を誇示し、武力で世界の覇者になろうとするアメリカの大統領。最悪の大統領。その人を支持する37%のアメリカ国民。
バカになったかアメリカ人。

かつて変人、小泉純一郎は田中真紀子を巻き込んで「自民党をぶっ壊す」と連呼して首相になった。
じゃ自民党はぶっ壊れたか。壊れていない。バカは増殖された。
今は反原発の士としてもてはやされている。正義の味方ぶっている。
バカと変人は紙一重だ。
原発推進の自民党に息子は加担し、人気を博している。

その息子の功績だけではないだろうが、名護の市長選では自公が推す候補が勝った。公明党の功績大だ。
名護の人口はここ数年6千人も増えている。

本土の人間が沖縄を語ることにはいささかの躊躇があるが、やはりあの沖縄戦は過去の出来事になったのだろう。
基地よりも日々の経済と苦渋の選択をしたウチナンチューもいるはず。

“バカ丸出し”のような世相を嗤う。

「バカとなんとかは風邪ひかない」と子供の頃言われていた。

「バカ」と書くと差別用語だとご批判なさる向きがある。

3・11のあと、トヨタのリ・ボーンと言うCM。ビートたけしとキムタク。
三陸の海に向かってたけしが叫ぶ。

「ばかやろー」と。

あのばかやろーにはいろんな意味を感じる。津波へのやるせない感情。
手をこまねいている国への怒り・・・。

バカとハサミは使いよう。時としてそれは「真言」となり得るとも思い。

ここ数日、このバカ爺は風邪をひいて寝込んでいました。

2018年1月24日水曜日

大雪と”働き方改革”

きょうの郡山は雪が降ったり,舞ったり,止んだり、時々晴れ間がのぞいたり。
真っ白な田んぼが目に痛い。

日本列島は連日寒波にさらされている。
寒波は大陸からのものだという。
大陸も大雪にさらされているだろう。
しかし、そのニュースは伝えられない。

なにか海外で事故や事件があるとすかさず話題にされるのは「日本人は・・・」。

それにしても、過日の月曜日の大雪は酷かった。
郡山にも大量の積雪。我が家も雪に埋もれた。車も埋もれた。
予定されていた病院も断りを入れた。
担当医は「病院の周りは大変な事になっていますから来ない方がいいですよ」。
優しい先生だ。

テレビや新聞はおおかた東京の大雪被害の話題。連日。
もはや当たり前のようになった大雪による交通網の切断。帰宅難民となった人達。
被害にあったのは会社勤めの人だけではなかろうが大半は「働く人」だ。

雪を覚悟で出社し、閉じ込められた車内で「生き地獄だ」とツイートする。
東京が雪にもろいのは先刻承知の事。
それが判っていても仕事に出掛け帰宅困難者となる。
雪でも働きに出掛けなくてはならないのだ。

交通網がマヒしている中、国会では総理大臣様が「働き方改革」を叫ぶ。
夜は公邸に泊まる。
雪に難儀はしていない。
昨夜は公邸で“宴会”だ。

なんだか嗤える。このばかばかしさは笑う以外に無い。

巨大化した都市東京とはいったい何なんだろう。

一夜明けて雪がおさまった東京。道路には通行不可能やマヒ状態は残ったものの働く人たちは黙々と職場に向かっている。
天候のせいだとはいえ、死ぬような思いまでして行かなければならない会社。

働き方改革ってなんだ。大事な言葉が空疎に感じられる。

ロシアでも先日大寒波があり零下60何度とか。
日本列島をまだ寒波が襲うと気象予報士が言う。

寒波、寒波・・・。地球は温暖化なのか。定説に湧く疑問。
地球はもしかしたら大昔にの様な「氷河期」を迎えているのでは。

幸いなことに、というかなくてよかった大停電。電力需要は95%になっていたとメディアが伝える。

あの大雪が数日続いたら電力はもたない。エネルギーを持たない災害がおこっていたのでは。
交通マヒで物流がストップした。
生活の“非常事態”だ。

草津の白根山が爆発して犠牲者が出た。爆発の予兆がないはずの山だったのに。

明らかに自然の様子がおかしい。不気味だ。小さい地震も多発している。

アラスカでマグニチュード7,8の地震。
フィリピンの火山は大爆発。
あきらかに地球を取り巻く環境はおかしい。

科学技術の留まるところを知らない進歩。それが自然の脅威とどう向き合えるのか。

コンピューターシステムで運行されている電車、地下鉄、バス、タクシー。
システムは自然の前では無力化する。

自然災害はすべて「一過性」にされる。
噴火予知連絡会なる専門家の集まりも、「想定外」という言葉で、無力さを示した。

雪の残る国会では今日から「決して熱くない」論戦なるものが始まる。

質問要旨を渡し、答弁は官僚が書き・・・。

予算委が始まると霞が関は大変だ。
廊下トンビの政府委員なる役人が野党を回って質問要旨を貰いにまわる。
それを受け取った役所では徹夜の構えで大臣答弁を作る。

役所の周りには深夜まで帰宅待ちのタクシーがエンジンをかけたまま待機の長い列。

働き方改革なんでしょ。役人だって対象でしょ。タクシー代は税金ですよ。

なんだか急に安倍はピョンチャン五輪の開会式に行くという。
ほんと、この人目立ちたがり屋なんだね。

意味不明の外遊の多々。かかる膨大な費用。
あなたの“働き方改革”をしたらいかが。
役人が書いた紙しか読めない”無能“な閣僚の方々の働き方改革してみては。

2018年1月17日水曜日

いくつかの大地震のこと

大相撲の初場所が始まっている。
貴の岩への暴行事件をめぐり醜態をさらした相撲協会、しかも立行司の不祥事。なにがあっても連日の大入り満員だ。
何があろうと「声なき声」は国技館に行き土俵に目を凝らし歓声をあげる。

天皇ご夫妻は恒例の観覧を取りやめられた。

相撲中継時にたまたまであろうが地震速報が流される。
きのうも福島県沖、震度1が伝えられた。
このところ地震が多い。数日前は北海道で震度4、宮城沖、福島沖、東京湾、千葉県沖・・・

つい先日は北茨城と富山沖で同時刻に地震。緊急地震速報が携帯電話を鳴らした。

海の向こうでもマグニチュード7以上の地震の情報がしばしば伝えられる。

またこの国のどこかで大地震が発生するのではないか。そんな不安が絶えない。

23年前の今日、あの阪神淡路大震災があった。6434人が犠牲になったあの惨禍。
今も地震があった時刻には遺族を含め、関係者が発生時刻の午前5時46分に合わせて慰霊の灯篭に手を合せる。

郡山でも一時は公園にキャンドルをともして慰霊の気持ちを伝えていた。

25年前には北海道の奥尻島で大地震があった。200人以上が犠牲になった。

2年前には記憶に新しい熊本地震があった。大きな余震が重なった大参事。

そして何よりも間もなく7年を迎える東日本大震災。

神戸ではあの瞬間に誕生した赤ん坊がいた。過酷な環境の中で生を得た子。
「生ましめんかな」の光景ががあの時あった。

東の本大震災時も東北では20人ほどの赤ん坊が誕生している。いわば「奇跡の子」だ。

「災害を語り継ぐには、何があったかを知るだけではなく、被災者がどう感じたか、その“感情の記憶”をつないでいくべきだ」。そう、そこにあった事実だけではなく。

人は感情の記憶を消すことはできない。いや、その記憶を消してはならない。

大災害はその時もその後も「死」をもてくる。
しかもそれらの中にある“孤独死”。

地震はじめ天災の前ではあまりにも人間は無力だ。学者も無力を告白した。
予知は不可能なのだ。

地震がいつ来るのか。誰もわからない。大地震に備えましょう。その呼びかけは「空語」にしか聞こえない。

もし人間に出来ることがあるとすれば、その死を悼むだけではなく、死者をなるべく少なくするような手立てを国を挙げてやるべきだ。
死者を生む兵器の開発、購入に国家予算をつぎ込むのではなく、災後の備えを計ることが政治のはずだ。
食糧や生活必需品の備蓄だけでは無い。
高齢化社会と言う構造の中にあって、医療機関をいかに守るか、患者を守るか、酸素タンクを確保しておくか・・・。
そして子供を・・・。

国民の生命、財産を守る、それは“抑止力の向上”などという戦争ごっこの話しでは無い。

繰り返す。地震はいつ、どこにくるかわからない。防ぎようが無い。戦争は人間の意志で防げる。

きょう17日は親友の祥月命日。はじめての命日。遺影の前でしばし語らってきた。
きゅうの雨は冷たさを伴って降っている。これとても自然の為せる業ではあるが。

2018年1月11日木曜日

変化の年としての平成30年

暦とはある意味非常にうまく作られたものかもしれません。
人の一生についても「干支」をもとにして60歳を還暦としました。
それは時代についてもあてはまりそうです。

今年から60年前は、昭和33年。もろもろ変化を予測させる年でした。
ようやく戦後の空気が変わりはじめていました。

モノクロのテレビが登場したからわずか数年。テレビは各家庭に急速に浸透しはじめていました。
カラー化されるとは誰も予想していませんでした。

フィルムの映像がVTR化されるとも思っていませんでした。
団地族が雨後の竹の子ように生まれていました。

インスタントラーメンが出来ました。今のインスタント時代が幕を開けていたのです。

1万円札も発行されました。岩戸景気の幕開けのような時代でした。

その頃17歳の少年は「警職法反対デモ」に連日のように参加していました。
それは去年の共謀罪法の端緒だったのかもしれません。

テレビが衛星中継機能を持つなんて誰も予想していなかった。
電話もすべての家庭には行き渡らず、電話を引くには多額の債権購入が必要でした。

しかし、誰もが何かの変化を感じ取っていたようです。

そして60年後、テレビは形も機能も変わり、電話は一人一個の携帯電話、スマホになりました。

電話機が世の中を激変させたのです。

「電話が写真の機能を持つようになった。いや、写真機で電話が出来るようになった」。村上春樹の騎士団長殺しという小説の中にある一行です。

スマホという「怪物」が世の中に何をもたらしているのか。
人間性を剥奪する行為に大いに貢献しているような。

SNSという「サイト」は9つもあるそうです。
フェイスブックもインスタも「写真」がなければ意味を持たないような気風。

「個」をさらけだすSNSへの投稿。

プライバシーなるものとSNSは「VS」なのか「WITH」なのか。

アメリカの大統領は常にツイッターなるもので私見を打ち込んでいます。

大方の病院の医師の診察室にはパソコンが常備されています。
レントゲン写真は現像などという手法では無く、撮影すれば瞬時に医師の前のパソコンに画像が届きます。

診療室で医師がパソコンを見る時間と、パソコンと向かい合っている時間と患者の顔を見る時間とどっちが多いか。

スマホの功罪――。
それを持っていれば電話も出来る、メールも出来る、写真も撮れる、さまざまな情報にも接することが出来る。

かたや、ながらスマホは事故を生み、イヤホンを通じて大音量の音楽が頭脳に突き刺さる。スマホ依存症という病名も生まれた。
人間関係がスマホを介在してのみ存在し得る・・・。

そしてスマホは5Gの時代になるそうです。第5世代。スピードが今の何百倍にもなるとか。

そんなにスピードを求めて何が得られるのか。
遺伝子のゲノム編集も進化するそうです。

科学技術の進化は止まるところをしりません。
今年を変化の年とするならば一言。「立ち止まる」ということではないかと。
世の中の流れに無条件で身を置くことでは無いのだと。

「立ち止まる」という詩がある。福島の詩人長田弘が書いたもの。

立ち止まる。
足をとめると、
聴こえてくる声がある。
空の色のような声がある。

「木のことば、水のことば、
 雲のことばが聴こえますか?
「石のことば、雨のことば、
 草のことばを話せますか?

立ち止まらなければ
ゆけない場所がある。
何もないところにしか
見つけられないものがある。


 「人がマインドコントロールを受けやすいのは、情報が過剰に与えられている状態か、極度に不足している状態だ」と言った人がいる。

“スマホの正体”を言った言葉のように思えて・・・。

きょうは11日。あの時スマホが果たした「功罪」。いや、スマホだけではない「ネット」。それを考える日。

“「その日」のために何かをするのではなく、その時にあったことのために何かができるように、世の中の今を見ることが私たちには必要だと思う。”

青森県の16歳の女子高生の言葉に頭を垂れるのです。
この高校生の60年後はどうなっているのだろうとも。

2018年1月5日金曜日

「CMは文化だ」と言ってはきたが・・・

またテレビについて書きます。
年末・年始の大型特番もそろそろ終わり。レギュラー編成となり落ちつきを取り戻したようです。面白いか、つまらないか、くだらないかは別にして。

テレビ業界に「引っ張る」という言葉があります。
たとえばスポーツ中継、中継録画。競技は1時間半でも番組は3時間です。
VTRを多用し、それも何回も繰り返し番組に仕立てていく。

そこのCM枠が上手く織り込まれる。CMの間にチャンネルを、チャンネルという言葉もある意味“死語”です、もうチャンネルと言う装置はテレビには付いていないのですから。リモコンボタンだけですから。それはさて置き、チャンネルを切り替えられないように、盛り上がった場面でCM入れて待たす。
ドラマでもこの手法は当たり前です。次の興味ある部分に行く前にCMを入れる。

「う~ん、引っ張るな~」が感想です。

言わずもがな民放テレビはCMという広告収入が「売上」のほとんどを占めています。いわずもがな視聴率の悪い番組にはスポンサーがつきにくい。
CM枠を自社の番組の番宣にあてる。
CMは無いけどNHKの番宣は執拗です。しかも番宣番組と思われるものを恥じらいも無く流し、たとえば大河ドラマや連ドラの出演者を他の自社番組の中にどんどん投入する。

CMは文化であり、世相を的確にとらえた内容がかつては多数みられました。
「オ~モウレツ」から「24時間働けますか」。それが「モーレツからビュティフルへ」となる。

今のCMは総じて五月蠅いです。
車のCMはちょっと前まではスピードをうたっていました。今の車のCMは「止まる車」です。事故防止ということで、運転がやさしいということで。

警察庁の発表では交通事故死は大幅に減少しているということです。
車の“性能”が強化される以前の統計です。

車と言えば「3・11」直後、CMが「再開」されてからしばらく経ってトヨタの「ReBORN 」というCMは秀逸でした。キムタクとビートたけし。

東北道を北上し福島はじめ東北をたどる。信長や秀吉らも登場させ。いろいろなタレントを使い。
強烈なメッセージ性が込められていました。被災地への愛が感じられました。

「3・11」は今やCMの世界からも忘れ去られました。

豊かで子贅沢な世界がCMを占拠しています。化粧品と健康食品、くすり。
メッセージはおおよそ存在していません。
それが今のこの国の「文化」ということなのでしょうか。

テレビは2兆円産業といわれていました。広告費のことです。
いまは1兆8千億くらいにさがっています。
ネットにCMがシフトしているのか。

“茶の間”のテレビはついている。その前で若者はスマホをいじっている。新たな「ながら族」。スマホからも広告は流れています。

分岐点の一つを見る思いです。

2018年1月1日月曜日

年末年始テレビ考

明けましておめでとうございます。と通り一遍の“言葉”にて。

年始のお目汚しとして「テレビ」について書きます。

時代の“還暦”、60年前の1958年、昭和33年。テレビの契約件数が100万件を越え、東京タワーがテレビ塔として完成した年でした。たしかNHK,NTV,TBS、CXは開局しており今のテレビ朝日が開局を目前に控えている時でした。

テレビはかつてラジオが箪笥の上に鎮座していたように、家族が集まる「茶の間」に存在しました。

テレビとお茶の間、いまもこの表現が使われています。密接不可離の関係にあるとして。茶の間の娯楽、それがテレビと言うものの位置づけでした。
外国のテレビ映画が時代を作っていきました。

今、「お茶の間」というものは存在しないと思います。丸い卓袱台を一家全員で囲む。そんな光景は無いにも関わらず、未だにテレビには「お茶の間」という肩書が付けられています。

その表現の不可思議さが、今のテレビそのものの不可思議さでもあるのです。

一億総白痴化。大宅壮一が喝破した見方は今でも通用するようです。

受像機は四角い箱から横長になり、カラー化され、ハイビジョンとなり、今や4Kとか8Kとか登場します。より高精細、高画質のものとなるようです。
音質も優れたものになりました。
アナログ放送がデジタル放送になった。国策で。完全デジタル化された時、ネットが“相乗り”し、放送と通信の融合と言われました。
5,1サラウンドなるスピーカーが開発され、画面が横長になり大きさを増しました。液晶画面が出来、薄型になりました。
5,1サラウンドスピーカーシステムは数年で姿を消しました。

余談のようですが、原発事故の後作られた多くの仮設住宅、その4畳半の部屋には全く不釣り合いな液晶大型テレビが東電によって”配布“されました。
することが無くなったお年寄りは目の前にあるテレビの画面を日がな見入っていました。

受像機が進化するとともに、内容も進化したでしょうか。答えは否です。
娯楽であったテレビは、報道機関としての使命を持つようになった。
マスコミというカテゴリーの中に入った。
情報番組なるものも出来上って行った。

最近の一例。連日無言の沈黙を守る貴乃花に突き出されるマイクを怒声は何を意味しているのか。
公道を占拠しているマスコミに近隣の住民は迷惑を蒙っていることを彼らの思考は及ばない。

震災報道が一段落したあと、テレビは震災前の「かたち」に戻った。
震災を経験して、テレビの在り方を考え直そうという人達が少人数はいたものの・・・。

元テレビ屋が今のテレビを慨嘆する。滑稽なことだが。

テレビは視聴者のことをどれだけ考えているのか。視聴率という数字にだけ関心があるのでしょう。
視聴者、つまり一般市民がもとめているものを伝えているのか、放送しているのか。自分たちがこれがニュースだと思い込んでいる物を押し付けてはいないのか。

政治の有り様と同じじゃないですか。政治家が思い込んでいる政治と国民が求めている政治とには大きなかい離がある。
政治とテレビは同じ立ち位置なのではないでしょうか。

年末・年始、4月と10月の改編期、テレビはやたらと長時間の特別番組を流します。
芸能人というかタレントというか、アナウンサーも交じってただただうるさい。
意味なく笑い転げてる。彼らの笑いは視聴者の元には響かない。

長時間の特別番組の中でニュースは消し去られている。正月だって考えねばならない、知らなければならないニュースはあるはずなのに。
知りたいことにテレビは応えていてくれていない。

バラエティー番組なるものの中では、多分番組収録後は捨てられるであろう豪華なおせち料理がスタジオに並べられている。
おせち料理どころか日々の食い物に事欠いている人も居る。
その人たちは特別の少数だ。
しかし、そんな少数に人たちの年末年始の実相を伝えることにテレビの存在意義があるのだと思うのですが。

科学技術の濃厚な進歩、それに反比例するテレビ人の思考の希薄さ。
そして映像を潰す字幕スーパーの多様。

テレビがつまらない、テレビはおかしい、テレビ死ね!
去年話題になった一市民の“叫び”を真似てみました。

我が家のテレビは消えています。年賀状に見入っていました。旧友、知友と”会話“していました。

つまらぬ年頭の「所感」。
嫌がらずに今年もお付き合いください。

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