日本列島は地震列島である。
地震はいつかかならずやってくる。
寺田寅彦の言葉を借りるまでも無いが「災害は忘れたころにやってくる」
今回の大阪北部を中心にした地震、前日には群馬県の渋川で震度5、その前日には房総半島沖で震度3。
きょうは福島で震度3.
忘れたころにではないのだ。熊本地震からも数年後、東日本大地震からも7年余り。連日の様な地震。
毎日が地震との“遭遇”だ。
南海トラフ地震の可能性。学者の意見は様々だ。極論すれば「わからない」ということ。
メディアは「都市のもろさが露呈された」と大見出しで書く。
「もろさ」は大方の人はわかっている。わかってはいるがそこで日常を送って居る人たちは手の出しようが無い。
慣れるしかないのだ。
慣れるとは事が起きた時いかに冷静に対処するか。
慣れるとは身近で出来る最小限の対処をしておくことだ。
小学校が“違法”なブロック塀を作っていた。それが倒壊し幼児が犠牲になった。
その学校や関係者は昭和になってからの数多くの地震被害から何も学んでいなかったということになる。
地震を学んだ市民は冷静だった。車内で待って線路を黙々と歩いた。
いつくるかわからないタクシーやバスに長蛇の列をなした。きちんと秩序を保って。
きょうも雨の中、難儀をしている被災者は少なくない。
互いに助け合ってその日を過ごす。
屋根の修理には業者がいない。多くの業者は割のいい東京オリンピックに駆り出されている。
あの時間、多くが通勤、通学者だった。なんとかして会社にたどり着こう。日本人の勤勉さだ。
働き方改革と地震被害。意識の中で相反する。
政治は“あの程度の天災”には無関心だ。市民と国政なるもののあいだには壁がある。
国民を守る。それは政治の第一義なのに。
「全力を挙げて」という形容詞だけが飛び交った。
全力を挙げるのは当然なのだ。その言葉が出るという事は意味を持たなくなった言葉での自己防衛。
首相は「云々」を「でんでん」と読み、官房長官は「枚方」を「まいかた」と読んで憚らなかった。
悲し過ぎるぜ。
あの日は決算委員会が予定されていた。野党は中止を求めた。与党は歯牙にもかけなかった。
森友、加計問題での新たな資料を基に野党は追及した。質問通告がないから答えられないと政府は逃げた。
丁寧な説明、答弁。あれはその場しのぎの言葉だった。
きのう突然加計理事長が記者会見もどきをやった。短時間。
「記者会見で説明しただろう」というアリバイ作り。
会見は地元の記者にだけ告知された。地震の影響で東京からは大阪からも記者は行けない。
好機到来だったのだ。「このチャンスしかないぜ、加計くん」。そんな囁きが交わされていたような気がする。
病める体に鞭打ってコーヒー豆を買いにいった。そこの女性店員さんもあの加計理事長の会見をテレビで見て「あれはないでしょ」と怒っていた。
たぶん、東京新聞を除いて各紙の一面トップはサッカーだった。
「地震」を利用し「サッカー」を利用し、政治家による「男たちの悪巧み」は進行している。
地震後に二階は官邸に足を運んで悪だくみ。
夜は安倍が料亭に岸田を招いて総裁選への腹を探りあう。
「まいかた市民」よ怒れ。大阪府民よ怒れ。
我々にとって「終末期」に思える安倍政治は実は「反転攻勢期」なのだろうか。
また熱が出てきている・・・。
2018年6月20日水曜日
“チェルノブイリ”異聞
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