2010年8月31日火曜日

誰がトロで誰がイカ

まぐろ漁めぐりいろいろあって、まぐろは高嶺の花とも言われ。実際はそうでもないのですが(笑)。イカの値段はあまり変動なし。秋刀魚は高い。


これ関係ない話(笑)。鳩山が音頭とって民主党「トロイカ体制」維持とか。菅と小沢どっちがトロでどっちがイカ。トロと言っても大トロではなさそうだけど。


そんなことも言いたくなる茶番劇。今世紀最大の茶番。民主党党内抗争。権力闘争。


「挙党体制」って"美名"。挙党体制ってどんな体制なの?昔話。自民党権力闘争。三木降ろしのために作られた他派閥の烏合の衆のような集まり。その名は挙党体制確立協議会。通称挙党協。大義名分は自分たちの都合のいいように使われる。


三ヶ月前に辞めた人達がまたぞろ復活。トロイカ体制だって。笑わせるなよ。三人よれば文殊の知恵とか毛利元就の三本の矢なんて古事あるけれど。


ロシアから帰った鳩。ロシアにすっかりかぶれたのか。三頭立ての馬車がトロイカ。なんで日本の政治にロシア語登場なの。ロシア民謡は反体制の原点。昭和の時代。


今は昼過ぎ。小沢・菅会談の帰趨は解らず。三人が手を組むってことは小沢の意のままに政権運営がされることに等しい。鳩山は経験済みなのに。懲りない面々。


もし三人が手を繋いで肩を組んで♪雪の白樺並木ーーー♪ってロシア民謡歌ったって国民の誰が聴くのかって(爆)。


カチューシャの歌のほうがまだいいかも。



2010年8月30日月曜日

さっぱりわからん

なにがなんだかさっぱりわからん。わかんない。解らないことだらけの世の中。


何故サッカー日本代表の監督が外人じゃなければいけないの?日本語をわかろうとしない外国人監督連れてきて・・・・。通訳介してなにが伝わるのか。日本人には適任者ってホントいないの?外国人頼みして、よしんば勝つよりも日本人でやってダメな方がいいんじゃないの。なんで勝つことだけにこだわるのか。


せっかく岡田ジャパンで一枚岩になれたとみんな言う。それにみんな感動した。それって継続出来ないの?


世論と輿論とどう違うの?世論調査では圧倒的に菅支持。永田町力学では小沢有利。世論て何?その場の人気投票?輿論こそが民草の声?


秋刀魚が消えた。漁獲量大幅減とか。気象のせいばかりではないらしい。さっぱりわからん生態系。


変なタレントが"マラソン"しただけでなんであんな視聴率とれるの?さっぱりわからん。


世の中わからないことだらけ。こんなこと書いてるからから亭の頭もわからん(爆)。


お願い。この猛暑どうにかして。四季がわからん。


    あはれ 秋風よ (こころ)あらば伝へてよ
    ――男ありて 今日の夕餉に ひとり さんまを(くら)ひて 思ひにふける と。


佐藤春夫は今をどう詠む。 



2010年8月29日日曜日

かくも醜き泥試合

この人たちってまともじゃない。民主党代表選。やはり出ましたね。金をめぐってのつぶしあい。不正があった、なんだかんだと。菅、小沢両陣営から出される「情報」。新聞、週刊誌使って。来週はもっとひどいことになる予感。誹謗中傷、怪文書。いくら選挙にはつきものだとはいえ。根も葉もあるのかないのかそんなこと亭主は知りませんが。とっくの昔のことがなんでこの時期ってこと。


とのかく劣化激しいマスコミはすぐ飛びつく。うまく「特ダネ」にしてやれば扱い大きいし。下世話な古い手法なんですが。


そしてテレビの討論番組。あのののしりあい、悪口はとてもじゃないが同じ釜の飯くったやつ同士の"議論"じゃない。飯は食ってないか。同じ党だっていうことだけか。自己保身のためだけの。


それぞれの派がスポークスマンに選んだのか。同じようなメンバーがお互いを罵倒しあうこと。これで選挙終わったらシャンシャンっていくのかどうか。普通の人ならそうはいかない。あれだけ言われて黙っておられるかってことになるはず。


政治家ってオトナなんですね。(爆)。


なによりもほくそえんでいるのがテレビ。テレビの"罠"にのせられはまったオバカな政治家たち。


まったく醜く、目を、耳を覆いたくなるような泥仕合。「これでは泥仕合ですよ」というマスコミがそれを仕掛けている。協力している。


政治家もマスコミも、およそ「権力」といわれる人たちっていったいどうなってるんだい。ばかばかしいからテレビ見ないぞ。そんな人が増えている。だからテレビは嫌われる。


愛で地球を救おうってチャリティー募金やってる24時間"偽善"テレビ。暑いなか御苦労さま。募金一億を優に越しており。すごいですね。テレビの力。それにしてもこの番組の出演者。あまりにも・・・・。



2010年8月27日金曜日

鳩山流「大義」とは

時の氏神でもかってでようとしたのか。目立ちたかったのか。結果、小沢・菅の決定的対立、対決を招いた「伝書鳩」。


あげくー。小沢支持するのが「大義」だとのたまわった。大義っていったいなんじゃい。辞書にあります。「人として守るべき道義、国家君主への忠義、親への孝行」などと。政治家にとって大義名分とは自己弁護を含めて極めて重用したがる言葉。小沢も大好き。大義名分。たぶん、そのうち立候補の弁で持ちだすだろうと思うけど。小沢に殉じることが鳩山の大義とは。過去の経緯を持ちだしての大義というが。それなら菅との間にだって大義あろうはずなのに。


大義という言葉を軽々に扱うべからず。言葉の軽さをまたまた見せてくれる鳩山。


しかしー。


鳩山の本意はどこにある。菅と決別。小沢支持というけれど。小沢がいなければ総理にはなれなかった。それは大義ではない。恩義。


暑さのせいか皆頭がおかしくなっている。当からから亭亭主とて同じ。メディアはもっと酷い。双方の若手を出演させて「公開の場」で内輪げんかさせて。


伝書鳩はガキの使い。人事がどうのこうのと。言うこときかない菅に堪忍袋の緒をきらした鳩という話だが。政界は常に裏あり、裏のまた裏あり。ブームに便乗した一年生議員じゃあるまいし。いやしくも鳩山一郎の孫。寝首かいたりかかれたりしてきたお家柄。


あの「親指ポーズ」やってみせた"くわせもの"。なにかたくらんでいるのではと狂った亭主の頭には妄想が渦巻く(笑)。たとえば・・・・。小沢支持を打ち出しておいて土壇場で乗り換え。小沢負けてお引き取り願うとか。見殺し作戦。小沢にはしたくないが、しておいて国会論戦で野党の集中砲火浴びさせ戦死してもらい、勿論解散総選挙。身を捨ててこそ浮かぶなんとか。自らの「復権」目論んでいるのか。政界再編の表舞台に立とうとしているのか。夫婦揃って目立ちたがり屋だったし(笑)。


小沢の方が手練手管は長けている。鳩山の裏読みしていて奇策打って出るか。菅は・・・。なにやら喜色満面。正面突破。ポストで釣るのか世論調査持ちだすのか。


中国の語。「大義、親(しん)を滅(めっ)す」。国家の大事のためには肉親の情もかえりみない、親兄弟も犠牲にするとの意。「大義」とは大きな意味を持つ大事な言葉だと思うのですが。



2010年8月26日木曜日

民主党よどこへ行く・・・

いまさら国民不在だとか、所詮は政権党の内ゲバなんて言う気はさらさら無く。はい、政治はもともと「国民不在」なんですから。


小沢が代表選立候補表明。菅もやたら張り切って、いつもはしどろもどろがいきなりやる気(代表選)満々。どうぞどうぞご勝手に(笑)。もちろん興味と関心はありますが。


鳩山・小沢・菅・この三人の相関関係読めない構図。結局小沢が鳩山を上手く使ったということか。鳩山くん別荘での小沢ご臨席。ちょっと持ちあげすぎだけど鳩山は「闇将軍」を気取ったかも。たぶん、菅がのめない提案を持っていったのか。のめないこと承知での「芝居」だったのか。仲裁は時の氏神っていうけれど、"神サマ"はいきなり大義ふりかざして小沢についた。


政界引退などと言ったのがいつの間にか"撤回"。小沢の意向を聞いて菅に伝え、菅の意向を聞いて小沢に伝え。結果「缶ケリ」ならぬ「菅切り」。政局音痴の鳩山には荷が重すぎた役回り。


菅と小沢。60過ぎた大の大人の「サルカニ合戦」(爆)。双方ともに名参謀を持たず。カニをつぶしたような顔の山岡とか松木とかが側近、これが側近とは、底がしれたる大将の器。菅とて同じ。仙石とか誰とか。タナボタ政権の余録にあずかった程度のもの。知恵者はどこにも存せず。


名参謀おらず。船頭多くしてなんとやらのたとえのような代表選必至。


一応、一応、民主党だって政党。要の幹事長なる人が出てこない。どこで何をしているのか。党内まとめられない。そりゃ最初からわかりきっていたところだけど。副代表とかいう人が小沢かついでわめきまわっているというのに。


政党の態をなしていない民主党。はてさてどこへ行くのやら。終わりの始まりなのか。国民は小沢の登板望まず。されど政界力学では小沢に軍杯あがる見通し。小沢に替わったかと言って「ねじれ」解消するわけども無し。またぞろ連立話しか。元の濁れる自民恋しきか。


小沢は負けたら党を割って出るとも。はい、どうぞどずぞ。政界再編望むところ。分裂を心待ちしているヨシミやヨウイチ。菅も負けたら割るのかい。


小沢陣営のお題目。マニフェスト原点回帰。それがまやかしだということは国民こぞって承知。


だけどね。一応は政権党。その中の党内抗争を「コップの中の嵐」なんて単純な言葉では片づけられないと思うんですがね。


軽井沢と永田町。気温差はかなりあるはずなのに。異常気象で同じになったのかな。誰もあたまを冷やしてこなかった(爆)。



2010年8月25日水曜日

人はそれを「音痴」という

音痴とはいわずもがな、もともとは音楽での言葉。リズムやメロディーがちゃんと出来ない。それから派生したのでしょう。音痴はいろんな分野でも「ダメ」の代名詞(笑)。運動音痴からはじまって。


いまこの国にはびこっているのは「政治音痴」。まさに音程がはずれた歌をきかされたようにびっくりすることしばしば。


円高、株安。菅、荒井、仙石、野田。これらの発言、まさに「政治音痴」の極み。関心もって見守るだの注視するだの。東証社長をしていわさせた。「もってまわったような発言ではダメ」。意味をもたないどころか逆に円高加速させる始末。わかってないのか、教えてもらえないのか、官僚にこう言えと言われているからなのか。


まさに無為無策の極致。これじゃ早晩見放されるわい。菅政権が無策だからといって小沢様おでましくだされというのもこれまた政治音痴集団一部民主党議員。まだまだ小沢を信奉しているなんてこれも政治音痴かと。


子供の頃の音痴は矯正出来るが。政治音痴はきっと治しようもない。それに加えて「言語音痴」。そう政治家。大事な時に発する言葉持たず。そしていろんなところで不用意な軽々しい発言の山々。


政治家の言葉の重さを政治家自身が知らない。「こう言えばこうなる、相手はこう出てくる」から始まって「こういえばこういう反響アルだろうから・・・」のような思考回路が閉ざされているような。


一番頭に来る。金融担当大臣って何する人?。そういえばなにかと発言で物議をかもした亀井静香さんの顔が最近見えない。どうしたんだろう。かっての金融担当大臣。この局面では、たとえそれが音痴だとしても一家言あるべきなのに。亀井が消えた。ちょっと気になる。なぜかマスコミは伝えない・・・。まだ連立政権のはず。


そりゃそうだ。マスコミにも「音痴」がいっぱい居るし(爆)。



2010年8月24日火曜日

戸惑う「トンボ」

庭にトンボが一匹、二匹・・・。生け垣にとまっています。近づいても逃げようとせず。だいぶ弱っているのかも。


きょうも酷暑であります。いわずもがな。挨拶は「暑いですね」のみ。風にも秋の気配は感じられず。昨夜はさながら熱帯夜。まだ夏、夏、夏。


しかし、まるでカレンダーを熟知しているかのようにトンボがやって来た。トンボと言えば秋なのに。狂った季節。迷い込んだトンボ。戸惑っているトンボ。


ラニーニャ現象だのなんだのと気象専門家はいう。とにかく季節がおかしい。狂った季節。


季節が狂えば人も狂うということか。連日伝えられる「狂ったような犯罪」。狂ったような話題。酷暑で儲かったとこ、損したとこ特集なんてやってるテレビ。なんでも金勘定、損得計算ばかりのメディア。


政治も狂ってしまっている。小沢だ菅だ。狂った為替相場に打つ手を持たない政治。車で5分のところにいるのになんで首相と日銀総裁が電話会談なの。すぐに会えるじゃない。「成り行き注視」だって。注視だけならトンボの目だって出来るワイ。


地球上は普通のことが普通でなくなっている。まさに季節も。季節を間違えたトンボと日差し遮りながら世間話しでも・・・。話しかけたらトンボはどっかに行っちゃった。「わしゃ知らん」って(爆)。



2010年8月23日月曜日

全ては「個」なのか

大仰なタイトルですが・・・。


知人がゆうパックと使って和歌山県に荷物を送りました。そうです、またまたゆうパックのお話し。孫の誕生日プレゼント。配達日、配達時間指定して。


当日。ゆうパックから電話があったとか。「申し訳ありません、手違いで荷物が神戸に着いてしまいました。配達は明日ではダメでしょうか」。無理、ダメの押し問答一時間あったとか。


激怒する知人。ゆうパック信奉者(笑)。他の宅配では誤配、遅配を何度となく経験したらしく。そういえば以前桃を送った時も遅配有りで味が悪くなってしまった経験もありとかで、二度にわたるゆうパック騒動に切れる。


「孫の誕生日プレゼントなんです。孫は楽しみ待っているんです。どうしてくれますか。子供のこころが傷つくんです。アナタがもし当事者で、しかも孫がいたらどう思いますか」とやったとか。「はい怒ると思います。許せません」と先方。「だったらどうにかして下さい」。「お待ち下さい、掛け直します」。待つこと暫し。「これから5時間かかりますがチャーター便でどうにか今日中には届けます」との返事。結果、夜になってプレゼントはどうにか孫の元へ。孫、大喜びだったとか。


和歌山への荷物がなんで神戸に行くの。物流ルート組織に問題ありと。どこかで「誤認」するような体制。組織に問題あり。


何が解決したか。たまたま電話をかけた人、個人が解決への努力をした。すべて個人がどういう判断、配慮をするかによって決まることもある。優秀な社員揃えていてもそれを機能させられないのが組織というバカの壁。全ての社会にあてはまる。


その知人、母親の病気のことで病院の医者ともチャンチャンバラバラ。ドクハラ的言辞を吐かれたとか。その病院はちゃんとしたはずの病院。「もうあの病院は行かない!」。一人の医者、個人がどう患者と応対したかによって病院という組織までも批判、誹謗の対象になる。どこでもそう。


現場の個人がどう対応するかによって全てが変わる。一人の人間が大きな組織をダメにしてしまう場合もある。


処暑というのに暑さおさまらず。頭まで暑くなる話題はご免蒙りたく。暑さのせではなく。世の中、どこかやはり壊れているような。



2010年8月22日日曜日

平成22年夏、「沖縄」

全国高校野球夏の大会。沖縄興南高校が優勝したことを喜んでいます。ちと感動しています。福島代表の聖光学院が負けた学校というわけではなく。


沖縄基地問題で間抜けなことを言った菅首相。結局あの時言った「琉球処分」って本はもう読み終わったのかな。誰も聞かないけど。今月末までに辺野古の工法結論予定。「聞いていない」としか答えていないし。


戦時下、、沖縄は結果「見捨てられた島」だった。戦後、日本であって日本でなかった領土。沖縄県。返還前に訪問した時、空港にあった免税店。まさにアメリカだった沖縄。


そして返還後もいまだ基地含め戦後を引きずる沖縄。沖縄には数回行ったけれどほとんど知らない沖縄。知らずして語る沖縄。


甲子園で優勝してくれて、やっと一つの戦後が終わったのかなとひとりごちた次第。選手も応援団もだれも、もちろん口にはしないし、思ってはいないだろうが、本土の学校を負かせて日本一。日本一強い県。なにか嬉しい。


踊り狂っている沖縄県民。多分今夜も踊り狂うであろう沖縄の人たち。本土のどの県よりもその思いには様々な「思い」がこもっているだろうと。


沖縄の高校球児に「日の丸」への思いはどうあるのか。それぞれがそれぞれに語り継がれた何かを持っているのか。


閉会式。君が代とともに下ろされる日章旗。どういう思いで彼らはあの旗を見たか。すでに春の選抜で経験済みなのか。


なぜか今年の夏の高校野球はいつにも増して良かったと思う。戦後65年。沖縄が輝いた日。



2010年8月20日金曜日

「もみじ」転じて「クローバー」となる

高齢者運転標識、いわゆる「もみじマーク」が今年中には「四つ葉のクローバー」に変わるという。道交法による高齢者とは70歳以上だとか。高齢者標識は表示義務はあるが罰則はないと。今は。


道交法にはかねがね、常々違和感あり。ハイビーム、ロービーム問題にしても。速度制限にしても、なにやら保険会社任せのような前方不注意にしても。法律とは違反は問うがマナーは問わない。携帯電話背反、ひげそり、化粧はさにあらず。危険性を問うならどっちもどっち。


もみじマークが枯葉マークなどといわれ不評だったからクローバーにしたとか。マークを替えて何が変わるんだい。


紅葉は秋のもの。クローバーは春から夏のもの。季節感を変えて運転者の気分を若返らせようということでもあるまいし。


四つ葉のクローバー、幸せの象徴とか言われています。よくある三つ葉は「希望」「信仰」「愛情」をあらわすとか。残る一葉は「幸福」のシンボルだとか。よくも採用したもんだ。信仰や愛情はともかく「希望や幸福」なんとは縁遠い人達に(笑)。


もみじマークをつけた車によく出会います。大体が怖い運転。蛇行あり、ウインカー出さずあり、スピードな流れに乗っていないし、やたらブレーキ踏みまくるし。若葉と紅葉は他の運転者は「保護」しなけれればならないと。それに甘えているのかどうか。なんか我が儘勝手な運転ばかりと。そこのけそこのけ紅葉サマのお通りだい。近寄るな近寄るな。この道は我らの物だ・・・。といわんばかりの。


そういえば、四つ葉のクローバーの花言葉、「私の物になってください」。そうです。道路はあなた方のものなのです(爆)。


四つ葉のクローバーは珍しい。幸せになれるっていうことで探してもおいそれとは見つからない。貴重な植物。だけど四つ葉は成長点が傷つけられることによって出来る物だと。いわば「傷物」のクローバー。合点する。高齢者は最早キズモノ(爆)。


亭主は断固付けるつもり無し。


なんでこんなことばかり書くかって。一言で言えば「標識」で人間を「差別」「区別」するっておかみの発想が気にくわないから。次回の免許更新時、クローバー買わされたらどうしよう(笑)。



2010年8月19日木曜日

また、一人・・・

突然届けられた訃報。東京時代の同僚、友人。また一人・・・消えた。


知らせてくれた先輩からの電話。「女房に逃げられ、住まいも変わり、一人暮らしだったらしい」と。死んだのが8月10日とのこと。訃報は昨日。そして今夜が通夜とか。


人の流れ、つながりとは時間の経過とともに疎遠になることしばしば。彼ともここ10年は全く音信不通でありました。


それにしても都会のマンション(多分)の一室で"孤独死"とは。死因はわかりません。酷暑の都会で一人静かに横たわっていた・・・。言うこと無しです。


もろもろ事情あり。通夜、葬儀に行くこと叶わず。ただ冥福を祈るのみなのです。故人との思い出を記しても何の意味あることでもなく。ただ、悼むことは忘れないことだと思う故に彼の事を記憶の断片にきちんと、もろもろとどめておきたいと。


人は生きれば生きるほど、様々な死と出会はなくてはならない。これからもどれだけの人の死を知るのか・・・・。自分はどういう死に様をするのか。


通夜の席には多分、かつての同僚や仲間が集まって故人の思い出話をすることでしょう。その場に交ざることも供養とは思いながら、なぜか、今回、物理的理由はあるにしても、黙して祈るのみという送り方を選択しました。


昨夜帰宅すると一通の葉書が。知人の現役引退の挨拶状。「首都圏で、ひっそりと年金暮らしです」と肉筆で添え文。そうか、また一人・・・・。


きょうは、きのうが嘘のような秋風らしきものが頬をなでてくれています。



2010年8月18日水曜日

世代の差

昨夜は亭主主宰の「粒々塾」。早いものでもう5回目。「言葉」についていろいろな角度から話をしてきています。塾生も"定員"をほぼ満たすまでに"成長"し。


ちょっとイタズラをして宿題を出しておきました。好きな言葉、力を貰った言葉、座右の銘などをそれぞれ話せと。みんな考えていたのでしょう。いい言葉を吐いてくれました。自分で考えた言葉あり、古人の名言を引いたものあり。学生時代に先生から学んだ言葉あり。


なんでこんなことをしたかというと、ハイネの言葉を持ち出す為のイタズラ。「矢は弓弦を飛び去るやいなや、もはや、射手のものではない」。矢とは言葉のこと。皆なの前で口にした言葉には「責任」を持たねばならない。重さを感じなければならない。彼らはきっと自分が言った言葉を大事に生きて行くだろうと。


20代、30代、40代。そこには言葉をめぐっての世代の差はありませんでた。皆、しっかりした若者だと。世代間格差。世論調査ではよく言われます。特に選挙。若者と中高年の間に「差」を見て取ろうとする。政党支持率がどうだこうだと。余り意味のあることとも思えず。


高齢者のことを若い記者が書く。若者のことを中高年の記者が書く。記者達の書く「言葉」に世代の格差はあるのかどうか。


「歸國」という字は戦後「帰国」になった。「歸國」という字はパソコンでは出ない。「外地で死んだ英霊達が歸へる國は無くなった」と。「国」には帰れないとあのドラマの作者は言いたかったのかも。歸國と帰国とには明らかに世代の差はあるかもしれないが。


講義後の懇親会。30代の若者が問いかけて来た。「学生運動が盛んだった時代の若者と僕らのような世代には違いがあるのでしょうか、差はあるのでしょか」と。「時代を否定するエネルギーが若者には必要だと思うよ」。そんな答えしか渡せなかったけれど・・・。


 



2010年8月17日火曜日

経済は成長し続けなければいけないのか

内閣府が4~6月期のGDP,国内総生産を発表。成長の伸び鈍化。景気減速だと。景気後退、減速で困って居られる方も多々あり。円高で困っているかたも。それは十分承知の上で。


経済って成長し続けなければいかないのか。亭主の頭の中はまだ65年前以降の記憶の中をさまよってるのか。成長、成長、経済成長。誰もがみんな豊かな暮らし。その60年間で日本が失ったものは。テレビドラマの残滓ありなのか。65年経って帰国した"英霊"たちが感じた疑問。失われた日本人のこころ。


人間の一生だって成長期もあれば後退期もある。後退期を迎えた人達がぞろぞろいるこの国。経済成長だけが"保証"されているはずもなく。


成長鈍化の原因が個人消費の伸び悩みとか。エコポイントなるものの期限切れが要因だとか。車買える人、家買える人、家電商品買える人。もちろん必死の家計やりくりだとは思いますが、やはり貧乏人ではないのでは。成長を目指すが故に、エコという「美名」を持ち出し、やれ買え、やれ買え。エコポイントや補助金はいわば税金。それが底をつくからそろそろ止め。はじめからやる必要なんて無い。金持ち優遇だ。なんとも悲しい成長戦略。結果、自動車や家電メーカーの社長さんや役員さんは「億」をこえる年収。所得税の累進税率もっともっと上げろ。


成長戦略を描けず、策を打ち出せない政権は「無能」とされる。


エアコンは持っているけど電気代払えないから使わずに熱中症で死んだ・・・。なんとも皮相な事件ではないかと。


酷暑が続く日本列島。地球。「沈没」の危機だって。経済成長しなけれな日本は「沈没」と煽るマスコミ。ノアの箱船に乗れるのは一億円以上の収入の人だけか(笑)。


駐車場ではエアコンかけっぱなしのエコカー散見。高速渋滞で排ガスまき散らし。地デジテレビが映る映らないで「ケンカ」や「訴訟」。環状八号線(東京)にはカンパチグモ発生。異臭が空からふってくる・・・。


いったい一回成長とめてみたらどうなるんだろう。落ちるとこまで落ちてみたらどうなるんだろう。見たくないし経験したくないけど、見たくもあり。経験済みだから。だけど「どっこい、おいらは生きている」。



2010年8月14日土曜日

「八月十五日」前後譚

戦後65年。


毎年、8月15日前後には戦争にまつわる本を読もうとしています。いま読んでいるのが浅田次郎の「終わらざる夏」。さてさて読破するにはどれくらいかかるのか。それと「昭和史」にかかわる本。半籐一利の本も・・・。


亭主は戦争を体験しています。もちろん戦地に赴いたわけではありませんが、「こども」としていまだに記憶している光景があり、それは死体であり、大やけどを負いケロイド状態になった祖母の姿であり、食べ物も無く泣いていた日々であり・・・。子どもの食料を手に入れようと苦心惨憺していた母親の姿であり。


大人たちが「ピカドン」と言っていた言葉であり、うろ覚えの、途切れ途切れの音声の玉音放送。戦後の焼け野原で遊んでいた光景であり・・・。


8月15日。その日の前から、原爆記念日の前から、テレビはさまざまな記録や番組を作り流します。どういうわけかNHKはきちんと放送しているようです。もう何本も見ました。自分なりの戦争観や歴史観は持っているつもりですが、番組を見て、また思いを新たにします。


民放はどうも腰がひけているいるような。そんな印象。今夜放送のTBS倉本聡のドラマ「歸國」を見るつもりです。そこにはこの65年間という時間の経過の意味が語られていると思うから。


たぶん文字として、映像として、戦争はまだまだ語り続けられて行くと思います。しかし、戦争を生の声で語れる人はいなくなる・・・。


メディアの責任は大きいと思います。NHKも朝日新聞も戦争の旗を振りました。やむおえないことだったといえばそれまで。旗を振り、玉音放送を流したNHkは、局が存在する限り、製作者が戦争を知らない世代になっても毎年番組を作り続けねばなりません。それも戦争と歴史に真摯に向き合った。


極論すればNHKの存在意義はそこのだけしかないと。メディアとしての戦争責任を果たす以外にその意義はないとさえ。


新聞も「今」を伝えることに腐心し、あまり戦争を語らなくなったような印象を持ちます。原爆を戦争を知らない世代が増えています。知らない世代に迎合するようなメディアであってはならない。


なるべく番組を見、本を読んで・・・。それしか出来ないからかもしれないけど、それが「お盆」という季節の大事な"仕事"かとも。



人並みに・・・

八百屋、魚屋。「市場が休みなので当店も盆休み」とのお知らせ。


「現役」の頃は休みってありがたいような気もしてたけれど、無職渡世には無縁。市場だって無縁なんですが。


されど・・・世間様並みに盆休みとやらを決め込んでみようかと。


どこに出かけるわけでもなく、病犬と寝て暮らそうか。そうもいかず。来週頭は締め切り原稿あり。なにか考えないと。


とりあえず「休業」。しかし、臨時営業あり得べしの気まぐれからから亭であります。


お休みの方はのんびりと良いお休みを。そうでないかたはそれなりに(爆)。



2010年8月12日木曜日

お盆だそうで

墓地の前を通ったら路上駐車の車の列。お盆のお墓参りの人達散見。仏壇に手向ける盆花買いにいかないと。


高速道路、新幹線。帰省ラッシュの便り。毎年恒例なれど。渋滞、混雑。お盆休みの人あればお盆が稼ぎ時の商売もあり。とにかく恒例民族大移動なり(爆)。


お盆で帰省した孫に肩たたきしてもらうおじいちゃんおばあちゃん。肩たたきって一番手軽なスキンシップの方法なんだそうですね。触れ合いの原点なんだそうですね。


ああ、誰かに肩たたきしてもらいたい。肩たたきされたのはサラリーマン終焉の時のみ(笑)。


道路渋滞。トンネル付近と坂などのブレーキが原因だとか。渋滞緩和策ではないだろうが、国道のトンネル、照明を半減する試みやったところ、ほとんど不評無かったとか。トンネルの照明が明るすぎていたってことの証明か(笑)。なにを今更。照明設置する前にすでに実験しておけばよかったこと。相変わらず省エネだの国道維持費のコスト削減だのと。最初から減らしておけばいい。そんなことぐらいわからない技術後進国ではあるまいに。だからわからない道路予算。


台風襲来との予報も。帰省の皆様道中の無事を。


しかし、お盆の時期の東京はよかった。人も車も少なくて。暑いには暑かったけれどなんとなく"快適"でした。


お盆の時期、人口の地方分散。これ、国土の健全な在り方なのかも。束の間の。孫とじいちゃんばあちゃんの邂逅。これも国の当たり前の在り方なのかも。墓参りとて然り。死者は何も語らねど。


墓が掃除され、花が置かれ、線香の煙たなびき、蝉の鳴き声が響く・・・・。そんな夕暮れの光景が好き。



2010年8月11日水曜日

「日韓」と「原爆」と謝罪と

菅内閣が日韓併合100年を機に「植民地支配」へのお詫びと反省の談話。謝罪。民主党議員の中には50代以下の世代に「反対」の声あり。自民党は言わずもがな。歴史認識、歴史的事実をどうとらえるか。体験、非体験含め、世代間格差大なりと。


ヒロシマ、長崎、原爆投下65年。広島にはアメリカの駐米大使出席。長崎には出向かず。大量殺戮への謝罪の言葉は無し。


ともに共通していること。事実として多くの人の命が落とされたということ。65年という歳月、100年という一世紀を経ても何も解決しておらず。関係者含めそれぞれが「己が正義」を言いつのる。


それぞれの時代にあった出来事。それを後世にどう伝えるか。共有出来ない歴史認識。政治・外交という国の在り方あるものの、多くの人命がそこなわれている・・・。


恩讐の彼方に。それは小説の世界だけにある言葉か。


お盆という季節。花を手向け、迎え火、送り火。それぞれがそれぞれの風習で先祖に、亡くなった先人を弔う。戦禍で倒れた人達の墓中での胸中や如何。未だ埋葬もされず、地中に骨をさらす人達の胸中は・・・。


時代という時の流れは何を解決し、何を取り戻したのか。決して交わらない国論。二分されたままの国論。


そして、あの8月15日がやってくる・・・。



2010年8月10日火曜日

地球が怒っているのか、いたずらか

ご来店各位。


酷暑お見舞い申し上げます。きょうも30度超え。外出したらなんと気温は36度を指している。いつまで続くものやら。


亭主は夏は嫌いではありません。むしろ好きなんですが。寒さには弱いのですが。さすが今年の暑さには辟易。


朝はいささか涼風があったのですが、昼間のこれは・・・。


世界中が異常気象。日本は酷暑。ロシアも酷暑。農作物に影響。小麦不作。とたんに顔を出す「投機筋」。そこらへんの、それこそ野球賭博のヤクザものより始末悪い。天変地異。人が苦しんでいる困っているときに金儲け企む奴ら。金の亡者。


中国の水害も酷い。被災地はきまって「貧困層」の人が多いような地域。インドもパキスタンも。そして地位南米は逆に真冬。気温が20度以上も例年と違っているとか。


魚の棲息分布はおかしくなっていたり、雨は降るところにはいっぱい降り、降らないところには恵み無し。


宮城県沖では震度4の地震ありとか。速報。


地球規模の異常気象。温暖化の影響かなんて言ってる場合か。地球が怒っているとしか。


長い地球の歴史をみるとこういう気象もあったとか。人間の仕業に対しての怒りとも思えず。深刻ないたずらかとも。


道行く人影も少なく。車だけが行き過ぎる。暑さと陽射しの強さで運転大丈夫なのかと心配。


亭主、いささか参っているような。皆様いかがお過ごしかと。



2010年8月9日月曜日

「長寿」と「幸福」の落差

土、日、新樹会、一隅会とお勉強の週末(笑)。西郷南州翁遺訓を聞き、二宮尊徳の足跡を聞き、論語を聞き。


講師は92歳。かくしゃくとしており。最近テレビで見た聖路加の日野原重明さんも四捨五入100歳。こちらもお元気。見事でさえあります。


戦争と原爆を体験を含めて語る人、語れる人。みな高齢になっておられ。しかし、語り継ぐことを使命とされている人達もおられ・・・。


そのいっぽう、聞かされる90歳以上の老人の日常の気の毒な様子。年をとるということは人間にとっていかなることなのか。


きょうもテレビで誰かが言った。長寿世界一の座が奪われると。だからどうなの。長生きしている人が多いってことが何を自慢出来るの。


思い出した過日のギャロップの調査。世界の幸福な国ランキング。


日本は81位でした。イラン、香港、シンガポールと並んで。一番はデンマーク、二番はフィンランド、三番はノルウエイ。アメリカ14位、中国125位、韓国56位・・・。


何をもって幸福、幸せというかははっきりしてませんでしたが、とにかく81位。最小不幸社会というキャッチフレーズでランキング上げられるはずも無し。


屁理屈でしょうが、長寿と幸福とはランキングでは比例していない。むしろ反比例。長寿とは幸せならず。高齢者にとっての幸福、幸せとはなにか。ただ生きていることか、生かされていることか。


土曜日。郡山夏祭り。うねめ祭り。浴衣の男女が踊りながす・・・。高齢者の姿ほとんど無し。単なる盆踊りにすぎないのに(笑)。


その日の新樹会で郡山市長も同席。「100歳以上の高齢者の調査。、市役所の全職員を動員してやったよ」と。調査に動員された職員さん、ご苦労さま。行方不明者なかったとか。郡山の幸福度は?。聞くの忘れた(爆)。



2010年8月6日金曜日

大阪の若い母親の幼児二人遺棄殺人から、連日の消えた老人問題、そして孤独死・・・。なんかきのうの続きのようですが。


テレビに出てくる識者とかコメンテータとか称する人達は問題の根本には社会の絆が無くなったという。みんなこぞって「絆」「絆」。


絆。きずなという漢字一文字、かな三文字で時代を読み取ろうっていうのか。こんな漠然とした言葉で。


絆とはもともと馬や牛を繋いでいた手綱の事を言う。「きずな」と読んだ場合。そこから「絶つことの出来ない人間同士の深い結びつき」という意味になる。もう一つの読み方。「ほだし」。その意味は束縛された人間関係という意味。二面性を持った言葉。しかもその人間関係を否定的に捉えている。


親子の絆からはじまっていろんな絆。地域社会の絆とまで言われる。今の社会に生きる人達は、どうもおしなべて希薄化した人間関係を求めているような。濃密な深い結びつきは求めていないような。「ほだし」派が多いような。


死語とはいわないまでも絆って言葉、どれだけ日常多用されているのか。逆にいうと意味が深すぎるような。「きずな」が無くなった、切れたから「絆」という言葉が復権してきたのか。


きょうはヒロシマ原爆の日。「平和」という言葉が言われ、平和の誓いが述べられ、誰しもが平和であることを願う。


小学生の時。書き初めで「平和日本」と書いて出した。その時の先生が言ったこと。「平和じゃないから平和って言葉があるのよね。君達が大人になった時、平和って言葉を使わなくてもいいような国になっていればいいのだけど」。言葉の意味を考える最初の機会だったかも。


原爆記念日。平和という言葉と絆という言葉が重なる。言葉だけでは何も解決しないし、何も読み解けない。しかしそれしかない言葉のもどかしさ・・・。


絆という字は糸偏に半分と書く。字解はわからないが、人と人が相手の力加減をわからずひっぱりあうと糸が半分にちぎれてしまうというところから来ているとも言われる。それとも・・・糸の半分くらいの弱い結びつきってことなのか。


こんなこと書きながら65年前の8月6日の記憶をたどっており・・・・。


 


 



2010年8月5日木曜日

「消えた老人」とは・・・

100歳以上の老人の安否や行方をめぐって世の中は大騒ぎになっています。一つの「事件」がきっかけでマスコミが格好のネタにして。ひとくくりにするのもなんだと思うけど。確かに「消えた」老人もいれば、「消された」老人もいる。不作為で消息不明になった人だって・・・。


町内会、民生委員など地域社会が見守っていて、それを行政がサポートするって仕組みの確立をとみんな言うけれど。たとえば個人情報保護法なんてバカな官僚が考え出した法律にみんな飛び乗って。地域社会との関わりをみずから拒否してる人だっているし。地域社会だってとっくに崩壊しているし。


亭主の居住地域にももちろん町内会あります。たしか、年会費4,000円。班にわかれていて班長さんもいるけれど。廻ってくる「回覧板」。班の家庭の苗字はあるがそれ以外は無し。会長さんの連絡先も班長さんの電話番号もわからない。町内会ってどこまで機能しているのか。


民生委員。皆、ボランティア。無報酬。主婦や定年退職者が多いとか。若い人がやるわけ無い。やってる人は皆使命感持って真剣だけど、数が足りない。


民生委員や町内会に依存する行政。役所は人が足りないから一軒一軒廻るのは物理的に不可能とか。そうかな。昼間は廻って夜に役所でデスクワークすればいいし、組織の枠にとらわれないで暇そうにしている課の人を動員すればいいのに。


ある程度の「権限」もった公務員がやらねば消える老人は補足出来ない。現役の政治家や霞ヶ関官僚のいう「地方自治」とは自分たちの年齢や身分を基軸にした行政。


「口先地方自治」「口先地方分権」と言わざるをしてなんというか。


暴論覚悟。なんで暴力団がはびこっったか。戦後の銀座警察がその象徴。警察だけでは銀座の治安守れない。勢い暴力団に「治安」を「依存」。繁華街の治安は暴力団によって維持されていると指摘する人も。


3万人を越えるという自殺者。孤独死、無縁死。地域社会が気にしてやり、見守ってやれば・・・と人はいうけれど。


インターネットの普及による「匿名社会」の闇。匿名社会が物をいい、はびこる社会。地域社会はすでに崩壊している。消えた老人をいくら追跡しても問題解決にならない。「長寿世界一」が崩れるって危惧なんて。ばかばかしい。人の生き死にで世界ランキングを問題視するなんて。


高齢者は票にならない。寝たきりは投票所行けないし。子供手当ばらまいた方がよっぽど票になる。


ああ、言い出せば切りが無い。明日は我が身と覚悟決めようか。



2010年8月4日水曜日

犬の相性

どうやら犬にも「相性」ってのがあるようで。他の動物もそうなのか。


熱中症騒ぎの昨今。朝6時起きです。コーヒー一杯飲んで犬を散歩へ。はい、去年は二匹だったのが、今は名前の通り元気なゲンキ君と二人で。犬の散歩している人によく会うこと会うこと。そこで発見。相手が大きかろうと小さかろうと、どうも犬同士好き嫌い相性ありで。やたら威嚇して吠えてみたり、逃げてみたり、尻尾を振って近づき鼻をこすりつけるように匂いをかぎ廻ったり。


お互い散歩の途中での出逢いと家にいるときでは接し方がまた違う。近所で馴染みの犬。ケント君やキーウイー君のところに行くと向こうはワンワン吠えて歓迎。ゲンキは知らんぷり。なんともつれない仕草。


片や老犬、要介護犬の澪。この暑さでは道路をよちよち歩きもさせられず。両手両足の関節部分になぜか湿疹出来。毎日病院で塗り薬。絆創膏。まさに「満身創痍」の態。


朝、病院から澪を抱いて連れて帰ってくるとゲンキ君のはしゃぐこと、はしゃぐこと。1メートル近くのジャンプ連続業。なめ回すし、背中には食いつくし。愛情表現で噛む。おいおい澪ちゃん禿げちゃうよって。あげく、病院食が口の周りに残っていると飽きるまで口をなめ回している。澪は嫌がりもせずされるがまま。亭主の膝の上。寝込んでいる澪。それを舐めるゲンキ。犬二匹から賃料貰いたい(笑)。


犬のお守りに疲れております。一つ屋根の下で暮らしているせいか、とにかくこの二匹は仲がおよろしく。病院のモー君は相変わらず主治医。これも舐めてくれる。とくに湿疹のある傷口を消毒してあげるといわんばかりに。動物は傷口を自分で舐めて治すっていうでしょ。まさにそれを他犬に実践している。


そんなこんなの犬との相変わらずの日々。散歩の途中でばったり出会った姉妹。買い物犬か(爆)。余りにもほほえましく有り。相性いいのでしょう。どこか似ている。美形。



買い物犬.jpg



2010年8月3日火曜日

100歳賀寿

20年以上前この地に来て驚いたことの一つ。記者が取材に行くって。何の?っ聞いたら「是非モノ」ですって。内容は「知事の百歳賀寿」というものだと。百歳を迎えたお年寄りのところを県知事が訪ねて表彰するって仕組み。赤いずきんのようなものをまとったお年寄りの周りには正装した親戚や近所の人達・・・。


東京都では113歳のミイラ化した老人の死体が発見されたり、111歳が行方不明だったり、きょうになってまだまだ3件ほどの「不明」が出たり。


すべて役所は「関知」していない。地方では百歳以上の人のところには知事が出向く。


昨夜の報道ステーション。相変わらず訳知り顔の古館。「金さん銀さんの頃や泉重千代さんの頃とは時代が変わった。みんな年寄りに無関心になった・・・。この国は・・・。」みたいなことを。さすがに横のコメンテーターが恐る恐る口を挟む。「地方では100歳以上の人をちゃんと把握しているようですが」。


だからテレビは嫌。マスメディアは嫌。東京にいて高い報酬貰ってちやほやされて。世間わかっているようでわかっていない。東京目線で全てをみるな。語るな。


余談。東京目線で思い出した。日曜日の午後だったか。日テレ系の地方局。なんとテレビ東京の番販番組やっている。池上なんとかのなんとかニュースショーみたいなやつ。内容が参院選。もう終っているのに選挙は。参院選のハウツーものみたいな番組。ご丁寧に最後に池上が言う。「だから皆さん7月11日の参院選投票に行きましょう」。いつの7月だい。今は八月だぞ。


内容も吟味しないで番販番組かける地方局のこの無神経さ。これが今のテレビ界の現状の一例。


本題。そりゃ厳密に言って、当県で役所が百歳以上の老人の消息全てを把握しているかどうかは不明。しかし、東京でも葉書かなんかでお祝品送りますみたいなことはやってるって話だけれど人間が確認はしていない。通り一遍の「お知らせ」のみ。


地方は。オバカなローカル局でも地方紙でも百歳賀寿は「是非もの」で取り上げる。百歳賀寿報道、他人から見れば興味の湧かないニュースなんですが。


「ホントにおかしいです」「ホントに問題です」などなど連発しながらわかった風の能書きたれる東京キャスターについ腹が立って(笑)。


古館くん、キミのプロレス中継は上手かった。キミの名言には舌を巻いた。「掟て破りの逆さそり」。意味は不明だったけど(爆)。



2010年8月2日月曜日

近所の人・・・

大阪のマンションで起きた幼児放置虐待死事件。鬼畜にと言うが鬼でもこんなことしない。まして畜生と言われる動物だって。容疑者はまさに「人間」。こんな事件が増えている。子供が味わった地獄。人間は病みきっている・・・。


児童相談所。通報受けて駆けつけたのが数時間後。なすすべもなく帰ってくる。「権限」無いからと言い訳。これをお役所仕事と言う。一応やることはやった・・・。一応じゃ解決しないことが多いのが今の世。


それにしてもテレビのカメラお前で滔々と語る近所の人。泣き声が聞こえていた。おかしいなと思っていた。普通の親子のようではなかった。いつの間にか泣き声が止んでいた・・・。あのマンションの隣の人なのかどうか。インターフォンからも子供の叫び声が聞こえていたと"証言"。結局彼らはなにもしなかった。児童相談所に匿名で通報しただけ。テレビカメラの前でよくもしゃべれるものだと。


「異変」「事件」は十分想像出来たはず。泣き声なくなって静かになったからほっておいたのか。ゴミの匂いが臭かろうと隣の部屋からベランダ越しに覗けなかったのか。役所の人含め。


個人情報、プライバシーなどという「思想」が余計なお節介と善意の介入を妨げる。マンション群。地域課の警察官も把握できていないし、そこまでやる気は無い。


よくある光景。事件があったあと、滔々と、時には薄笑いを浮かべるような表情で喋り、メディアに露出する「近所の人」。助けるための努力はしたのか。そんなの無理ってことでしょうが。家宅侵入罪覚悟で乗り込む人があってもいい。


「しらんぷり社会」。それが今のニッポン。そんな気がして。こどもの泣き声きいて引っ込んでいたのならテレビが来ても引っ込んでいろって。テレビを見てての傍観者印象論。


風俗女はどうでもいい。子供二人は助けてやりたかった。あの二人の子の運命、宿命と片付けるには余りにも酷すぎる・・・。


「近所の人」。「児童相談所」。遠くの親戚より近くの他人。そんな言葉さえも死語になったような昨今。遠まきで見ている人達に「不作為の犯罪」を見て取ってしまうのは遠くの無責任おやじの偏見か。


みんなが貧しかった戦後には地域社会があった。食えない子ども達は周りの大人にどうにか支えられていた。豊かになったこの国では地域社会は崩壊している・・・。



“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...