突然届けられた訃報。東京時代の同僚、友人。また一人・・・消えた。
知らせてくれた先輩からの電話。「女房に逃げられ、住まいも変わり、一人暮らしだったらしい」と。死んだのが8月10日とのこと。訃報は昨日。そして今夜が通夜とか。
人の流れ、つながりとは時間の経過とともに疎遠になることしばしば。彼ともここ10年は全く音信不通でありました。
それにしても都会のマンション(多分)の一室で"孤独死"とは。死因はわかりません。酷暑の都会で一人静かに横たわっていた・・・。言うこと無しです。
もろもろ事情あり。通夜、葬儀に行くこと叶わず。ただ冥福を祈るのみなのです。故人との思い出を記しても何の意味あることでもなく。ただ、悼むことは忘れないことだと思う故に彼の事を記憶の断片にきちんと、もろもろとどめておきたいと。
人は生きれば生きるほど、様々な死と出会はなくてはならない。これからもどれだけの人の死を知るのか・・・・。自分はどういう死に様をするのか。
通夜の席には多分、かつての同僚や仲間が集まって故人の思い出話をすることでしょう。その場に交ざることも供養とは思いながら、なぜか、今回、物理的理由はあるにしても、黙して祈るのみという送り方を選択しました。
昨夜帰宅すると一通の葉書が。知人の現役引退の挨拶状。「首都圏で、ひっそりと年金暮らしです」と肉筆で添え文。そうか、また一人・・・・。
きょうは、きのうが嘘のような秋風らしきものが頬をなでてくれています。