2010年8月14日土曜日

「八月十五日」前後譚

戦後65年。


毎年、8月15日前後には戦争にまつわる本を読もうとしています。いま読んでいるのが浅田次郎の「終わらざる夏」。さてさて読破するにはどれくらいかかるのか。それと「昭和史」にかかわる本。半籐一利の本も・・・。


亭主は戦争を体験しています。もちろん戦地に赴いたわけではありませんが、「こども」としていまだに記憶している光景があり、それは死体であり、大やけどを負いケロイド状態になった祖母の姿であり、食べ物も無く泣いていた日々であり・・・。子どもの食料を手に入れようと苦心惨憺していた母親の姿であり。


大人たちが「ピカドン」と言っていた言葉であり、うろ覚えの、途切れ途切れの音声の玉音放送。戦後の焼け野原で遊んでいた光景であり・・・。


8月15日。その日の前から、原爆記念日の前から、テレビはさまざまな記録や番組を作り流します。どういうわけかNHKはきちんと放送しているようです。もう何本も見ました。自分なりの戦争観や歴史観は持っているつもりですが、番組を見て、また思いを新たにします。


民放はどうも腰がひけているいるような。そんな印象。今夜放送のTBS倉本聡のドラマ「歸國」を見るつもりです。そこにはこの65年間という時間の経過の意味が語られていると思うから。


たぶん文字として、映像として、戦争はまだまだ語り続けられて行くと思います。しかし、戦争を生の声で語れる人はいなくなる・・・。


メディアの責任は大きいと思います。NHKも朝日新聞も戦争の旗を振りました。やむおえないことだったといえばそれまで。旗を振り、玉音放送を流したNHkは、局が存在する限り、製作者が戦争を知らない世代になっても毎年番組を作り続けねばなりません。それも戦争と歴史に真摯に向き合った。


極論すればNHKの存在意義はそこのだけしかないと。メディアとしての戦争責任を果たす以外にその意義はないとさえ。


新聞も「今」を伝えることに腐心し、あまり戦争を語らなくなったような印象を持ちます。原爆を戦争を知らない世代が増えています。知らない世代に迎合するようなメディアであってはならない。


なるべく番組を見、本を読んで・・・。それしか出来ないからかもしれないけど、それが「お盆」という季節の大事な"仕事"かとも。



“チェルノブイリ”異聞

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