2019年10月29日火曜日

台風災害と高齢者

地球温暖化に起因する台風、自然災害。それは年々“熾烈”になってくる。
例えば、阿武隈川の氾濫もその規模は未曾有の様であった。
中小河川でも。
日が経つにつれて、被害の深刻さがわかってくる。

住み慣れた家、慣れ親しんだ家財があっという間に瓦礫、ゴミと化す。

ハザードマップで見る河川。それは人体の解剖図、血管の如く見えた。
中小河川が氾濫しても、それは1級河川の氾濫にも及ぶ。
中小河川は、ハザードマップに見ると国土の「毛細血管」と置き換えて考えてもいいのでは。
血管が詰まる、破れる。
脳の中の血管が詰まる。小さな血管にしてもそれが詰まれば「脳梗塞」だ。梗塞は流れても後遺症が残る。歩くこともままならない。河川の氾濫もその“後遺症”はなおらない、なおせない。

今回の災害で知人も多く被災した。追い打ちをかけてくるような豪雨に為すすべも無かった。

天災はますますその熾烈さを増すだろう。

「3・11」を体験したばかりだ。災害は建物だけでなく人間の生業(なりわい)そのものをも棄損する。
千葉から福島、宮城、長野、九州・・・。河川の決壊、氾濫だけではない。いわゆる内水氾濫も必ず起きる。

本宮、郡山、須賀川。浜通りのあちこち。
住み慣れた家が瓦礫と化し、ゴミとなって積み上げられていく。
その無念さを思う。

郡山では廃棄物処理場も被災した。
処理能力が足りない。
解決するまで数年はかかるとも言われる。

ゴミと化した自分の家の中に在った家財の多く。それを毎日眺めることになる。
辛さがわかる気がする。

今度の台風災害でこの国は多くの課題を背負った。

想定外はすべて想定内のなった。
河川の改修。膨大な国費の投入を計らねばならない。
人の命を、生活を守るためにも。

テレビを見ていた。いわき市に避難指示が出た。34万市民に避難しろという命令。
市民全員が入れる避難所なんか無い。

避難所生活は過酷だ。
避難所の「整備」。3・11の教訓として残されているはずだ。

避難所を巡る有機的なあり方。社会全体が取り組まなければならない。
空気を入れれば簡単に出来上るベッドのCMを見た。
自治体は食糧含め、トイレの問題含め、小さなテント状のような居住空間の確保まで。国も自治体もそれらの対処を進める「義務」がまさに発生しているのだ。

東京ではホームレスの受け入れを断った区がある。台風の中、そのホームレスを外に出す。段ボールを被ってその避難所の壁にもたれかかったままのホームレス。彼らにも基本的人権はあるはずだ。

そんな中、マスコミに取材を公開した渋谷の「再開発」の光景。
高層ビル群の街に変わった“故郷”渋谷。レポーターはその中から「夢」を語る。
地下には巨大な貯水槽がある。渋谷川、宇田川、東西の坂。
そこに濁流が派生しても水を「飲みこむ」機能が出来ている。
IT企業が入り豪華なたたずまいの高層ビル。

災害に起因する停電は必ず起きる。停電になった高層ビル。自家発電は当然完備されているだろうが。

空撮の渋谷のビル群を見て家内は言った。
「まるで墓場みたい」と。

テレビのワイドショーの司会者は言う。濁流を取材中の記者に。
「だれそれさん、十分気を付けてくださいね、取材に当たってくださいね」
違うだろう。気遣いを呼びかけるのは、その安否を気にする対象は災害の渦中にいる市民のはずだ。

水害での死者、その70%は高齢者だと言う。
避難所に行くことをあきらめた高齢者。
2階のベットの上から足の悪い夫を引き上げようとして力尽きた高齢の妻。

高齢化社会は急速に進む。
災害弱者としての高齢者。自らの身を思いながら、その在り方を考える。
結論は出ない。

災害時、善意のボランティアが片づけを手伝ってくれている。
ボランティアがいなければ高齢者の住宅では何もてにつかない。
ボランティアは「自己完結」とされている。
ボランティアに対する制度の在り方も再検討すべきだ。

自衛隊にはいつも助けられている。人を救うことに、助け上げることに空挺団は生甲斐を感じているはず。
誰しも無条件に「ありがとうございます」と何だながらに礼の言葉を言う。
その被災者の言葉に涙する自衛官もいる。

その「長」である河野太郎防衛大臣は、災害の傷跡も癒えぬ時に、自分の政治資金パーティーで「私は雨男と言われています」とシャレにもならない冗談を言って場の空気を盛り上げようとした。
この十日間、災害に苦しんでいる中で、政治の場では不祥事があり、大臣はバカなことを言っている。

昭和の日本はこんな国では無かったはずだが・・・。
何を書いても言い尽くせない、この国の姿。

2019年10月19日土曜日

自然は人類を見限ったのかも。

台風19号が甚大な被害をもたらしてはや一週間。
被害は続いており、被災された方々の「悲嘆」「苦労」如何ばかりかと。

我「当事者」にあらねども、「思い、考える」ことしか出来ぬのが歯がゆい。

台風19号の被害。我が家は無事だった。しかし、近くの中小河川の氾濫は多くの被害を目の当たりにしてくれている。
知人の多くも被災したと聞いた。

災害がある度に、我々が手にしてきた科学文明の進歩が、無残に打ち負かされていく。
台風の後には地震が来るともいう。現に、その「大きさ」は巨大ではないが、不吉な災害も予想される。

関東大震災、昭和初期の室戸台風。自然災害の度に引き合いに出される寺田寅彦の言葉。
「文明が進めば進むほど、天然の暴威による災害はその激烈さの度合いを増す」
まさに然りだ。

「国中に電線やパイプ、交通網がはりめぐらされた有様は、人間の神経や血管と同様である。その一カ所が故障すれば、影響は全体に波及する」とも。
ハザードマップを見ると“血管”の様子が人間の血管の張り巡らされている様子に重なる。

永平寺にある「水五訓」の中の記述。。
“自ら活動して他を動かしむるは水なり”
“障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり”
”常に己の進路を求めて止まざるは水なり“

本来は水に喩えた人生訓なのだが・・・。

東日本大震災時、高台にうずもれていた石碑がいくつも見つかっている。
先人のが身を以って記した後世への遺訓だ。

「これより下に家を建てるべからず」。

東日本大震災の津波は、それらの碑の前まで来ていた。

もって瞑すべしだ。

治山治水。国策の要諦だ。
徳川家康も武田信玄もいかにして川の氾濫を食い止めるかに腐心した。
領民を総動員する形で、人力を主に、堤防をつくり、暴れ川の川幅を広げ、蛇行を修繕することに腐心したと言う。

阿武隈川の増水、反乱。その支流のバックウオーター現象。
本宮と言う町は完膚なきまでにやられた。

1級河川を管理するのは国土交通省。
国交省の「人為ミス」で、氾濫被害にあった事象が目立つ。
ダムの放流に際しても然りだ。

人間には「安全バイアス」という脳の作用がある。

そのバイアスが働き過ぎたのかも。

安倍晋三の首相就任にあたってのキャッチコピー。「美しい国」。
法律としての国土強靭化。
眉唾であったような気がしてならない。

政治家の発言や行動には、その人の見識、人間性を疑わせるようなものが多々あった。
それを「無責任バイアス」とでも名付けるか。

今も、被災地の復旧を妨げる無情の雨。
吾、「当事者」にあらねども辛さとくやしさぞ増す。

どうしてこの人が率いる内閣って災害に対してこんなに動きが鈍いのだろうか。

そして、間違いなく言えることは、この種の災害はまだまだ発生する。

自然は人間を見くびっている。

せめて東京の都心にある「地下神殿」を、あるいはそれに類する類の対策を、避難所とされたところの居住環境の整備。

溢れだす水、水が無いと苦境を訴える人々。
泥を流す水も無いということ。
御託を並べず、泥に浸かりながら作業に当たる消防団などの民間人、そしてボランティアにただただ敬意を表する。

偽善めいた“視察”、その翌日「調査の結果、激甚災害にしてします」。

美し国の「正体」を見た。

2019年10月12日土曜日

埋没した「福島原発」

きのう、あるところで台風19号の脅威の話をしてきた。
国連の気候行動サミットで地球温暖化に激しく抗議するスエーデンの16歳の少女、グレタ・トゥンベリさんのスピーチの話を交えて。

台風19号の猛威に関して、福島県民は福島原発の廃炉作業に大きな関心があること、1Fがどんな影響、被害を受けるかということ。
解体中の排気塔がどうなるかということ。
建屋の中に溜った水が海中に漏れ出さないかということ。

今日は朝からテレビの台風情報に観ている。
そこから1Fに関する危惧を話題にしたところはない。おそらく。
新聞も県紙や中央紙の県版でも扱いは小さい。

もちろん、自分たちの周りの、現象や被害に関心があるのは当然だが、1Fga気になる。

郡山も警報や非難情報が度々発令されている。
天気図を見ると1F直撃だ。
そのことが非常に気になる。

テレビも新聞も、大方は「東京発」だ。全国の様子も気になるが・・。

高齢者、障害者は避難と言われるが
避難所に行きようが無い身、夫婦と犬で家にこもることにした。
原発よりもわが身を心配しろといわれるかもしれないが、為す術は無い。

竜巻もあった。飛ばされている家もある。水没した民家も、氾濫した河川もある。停電も発生している・・・。

1Fになにがあろうと即座の被害はないのだろうが。
やはり気になる。

多くの被害が出ている中で1Fのことは埋没しているような気がして。

とりあえず、今、思っていること。

阿武隈川の近くはレベル4の警報がだされた。不安なること計り知れず。

2019年10月3日木曜日

「香港のデモ」から思い浮かんだこと

香港で起きている若者中心のデモ。ついに警官は拳銃を抜いた。発砲した。
撃たれた学生、高校生は一命を取りとめたが。
高校生の通う学校では生徒たちが抗議行動に入っている。

大人たちも、昼休みにはデモ行進を行ている。
今夜も抗議デモの参加者は増え、香港はさまざまな機能が「マヒ」状態になるだろう。

香港の学生たちを主体にしたデモ、警察の発砲。妄想めいたことが浮かんできた。“未完のストーリー”めいたもの。

“一つの家庭がある。父親の職業は警察官。機動隊に配属されている。
その日も高校生の子供は、朝学校に行った。
出がけに父親と母親が声を掛けた。気を付けてね。と。
子どもはいつものように行政府に抗議するデモに参加した。
少なくとも彼は「自由」について学び、考えて来た。
香港を中国から完全独立させるべきだと考えていた。

デモの現場は荒れていた。警官隊は催涙ガスを撃ち、デモ隊と対峙し、ごぼう抜きのように学生たちを引っこ抜いて警棒で殴打し続けていた。
一人の若者が警察の側に引っ張り出された。
その日、彼の父親は機動隊員として、鎮圧に当たっていた。
ひきずり出された若者。殴打している途中に顔の黒いマスクが剥がれた。
それは自分の息子だった。
その警察官はそれ以上警棒をふるえるのだろうか・・・。“

頭の中は「3・11」後、テレビの番組で人気を呼んだ、サンデル教授の白熱教室を思い出す。
これからの「正義」の話をしよう。
“一人を殺せば5人が助かるという場面があったとしたら、あなたはその一人を殺すべきか”
道徳的、哲学的な問題提起のいくつか。サンデル教授は答えはださない。
教室にいる聴衆にさまざま議論させる。
もし香港の事象をテーマにしたら教室にはどんな議論が展開されただろうか。

さまざま「大衆運動」の歴史を想起する。

天安門事件の際、軍の戦闘車両の前にいわば素手でその行く手を遮ろうとした若者がいたこと。彼は素手なるが故に戦車の運転手はブレーキを踏んだ。
何回も。

日本の歴史。安保闘争は権力に敗れた。
東大安田講堂事件も結局、警察に鎮圧された。
大学国家管理法が生まれた。

4年前の官邸前での市民行動・・・。

原発反対の市民行動・・・。

警察とは常に権力者を守るためにあるのだろうか。
市民の側に立てないものなのだろうか。
時の権力者は守るべきという至上命題があるのだろうか。

香港を考え、22歳の運動の指導者周庭さんのことを考える。
少なくとも最近メディアの画像には登場しないが。
地球温暖化防止を訴えたスエーデンのグレタ・トウーベリンという16歳の少女の事を考える。
「人々は苦しんでいます。人々は死んでいます。生態系は崩壊しつつあります。
未来の世代の眼はあなた方に向けられています。もしあなた方が私たちを裏切るのなら私は言います。あなた方を絶対許さない」と。

周庭さんもトウーベリンさんも“これからの「正義」の話をしている”ように思えてならない。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...