2017年9月28日木曜日

「漂流」、「混沌」、「危惧」・・・。

民進党という政党は何だのだろう。政界再編なるものの徒花だったのか。
希望の党なるもののなかに吸収される民進党議員、いや候補者。

「恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」

そんな古歌が浮かんだ。

葛の葉とは狐の異名だ。敢えて小池百合子なる人を女狐を呼ばせてもらう。

謡曲に載せた舞台の上で変幻自在のごとく政界を泳いでいるからだ。

民進党をのみ込んだ希望の党。命名発表時の理由は、まさに「この国には何でもある。希望だけが無い」のパクリだ。

小池用語には辟易する。やたら横文字を連発する。ダイバーシティー、ワイズスペンディング、アウフヘーベン・・・。
「わからなかったら辞書を引いてごらんなさい」と流し目で笑みを浮かべる。

政界渡り鳥だし、気を見るに敏な“大物”だ。そしてまごう事なきマキャベリストだ。

「民進党から来る人を全て受けいれるわけではありません。私が会って話を聞いてから決めます」。

恐れ入ります女王様。

小池の一人芝居では無い。この芝居には振付師がいる。小沢一郎だと思う。
監督は小泉純一郎、助監督は細川護煕というとこか。

安倍1強にはほとほと愛想が尽きている。政界再編、願うところだ。しかし、小池は安倍の対抗勢力なのだろうか。

お坊ちゃま前原は”狐“に騙されているのではないか。
小池は国会復帰を狙っているとも伝えられる。
あの熱狂した都知事選は何だったのか。
都民も騙される。

20年くらい前か。藤原新也という写真家で作家が書いた本に「東京漂流」というのがある。高度成長で華やぐ大都会の裏面、裏街道の人生を切り取った写真と文章。

その本を思い出した。都民は漂流するのだ。民進党の候補者、議員も漂流するのだ。有権者は選択の指標を失うのだ。
無様な体たらくを見せつけていた民進党にも8%の支持者がいた。この人達は“選挙難民”になるかもしれない。

この企てに連合も関与していると言う。連合の中には原発推進の電事労連もいる。
やはり烏合と言わざるを得ないのではないか。

希望の党なるものの実相は全く見えない。反自民で固まっているとも思えない。
政界一寸先は闇という言い伝えがあるがまさに然りの感ありだ。

野党共闘の梯子を外された共産党は怒り心頭だろう。
全選挙区に候補者を立てるとか。
共産党が票を伸ばすことも十分考えられる。

選挙の構図はわかりにくいものになる。まさに政界は混沌だ。カオスだ。カオスの名はカオスだ。
やはり国民不在の政治が展開されることを危惧する。

青天の霹靂ではない仕組まれた小池劇場。小池もまた老獪な政治家の「タマ」にされているのかもしれないし。

狐につままれたようなここ数日。

そろそろ秋です。小池が提唱して強制したクールビズなるだらしない服装から脱する季節です。

政治を「リセット」するそうです。パソコンじゃあるまいし。

しがらみとは何を指すのかも不明だし。

窮鼠の前原は猫にすり寄ったのかな。

「出て壊し入って壊す小沢流」。戯れ句を思い出した次第。

小沢神話は生きているんだな・・・。

2017年9月27日水曜日

「“異次元”の解散劇」

あす、衆院は解散されると言う。
あす臨時国会が召集される。そこでの冒頭解散だという。

国会には会期というものがある。
通常国会は150日間と定められている。
臨時国会では与野党が協議して会期を決める。

明日からの国会には会期がない。
会期の無い国会って“成立”するのか。

それとも会期は明日1日だけという事か。

会期の無い国会。幻の国会だ。国会を開かなくても解散は出来る。
わざわざ解散の詔書読み上げだけに議員は参集する。

衆参共に「議席の指定」という最優先課題はあるのだろう。
しかし、その議席はもはや自分の席では無い。
戻れない自席・・・。

会期の無い国会とは過去あったのだろうか。
成立要件を満たしていない国会のように思えて。

幻の国会、幻の解散。

内閣改造があった。閉会中審査で委員会に出席した閣僚もいるにはいるが大方は国会答弁無しの幻の閣僚。

この人事は決めた安倍自身がご不満だったのか。

選挙でチャラにしての新しい組閣。それが狙いなのかな。

解散詔書の読み上げ前に内閣不信任案を出すと言う「奇策」もい出す人がいる。
事実上は有り得ないことだと思うが、やれるだけやってみてはどうか。

議席の指定直後の不信任案提出という異次元のことを。
否決される。信任される。選挙の必要はなくなるという論理。

野党は本会議を欠席すればいい。あの空疎な「バンザイ」におつきあいする必要なんてないはずだ。

自己都合の解散なのだから。勝手にやってればいい。そんなハラの括り方も痛快だ。

安倍の安倍による安倍のための解散。それに付き合わされる議員も気の毒と言えば気の毒だ。

議会制民主主義すら無くしたこの国。
希望の党だってか。しゃらくせえよ。

横丁のご隠居がそういって怒っていた。

後世に残るかもしれないな。名言ではなく迷言として。
「異次元」なるお言葉。

2017年9月24日日曜日

“絶望”の国に化している

「この国にはなんでもある。しかし希望だけが無い」。

希望の国のエクソダス、村上龍の作品の中にある”名言“だ。

今、我々は希望の国に住んでいるのか。違う。まさに“脱出”をはかりたいくらいの絶望の国に住んでいる。

北朝鮮の問題をめぐって、この国の政治思考の貧困さが露呈され、首相の発言でこの国は危機にさらされている。
トランプの尻馬に乗って北への制裁圧力のみを言い募る。
北の危機を煽る。

選挙の争点に据えるのか。それはしない。

政治と言うものは他人の言葉の尻馬に乗って力を誇示することでは無い。
攻撃に加担しようとすることではない。

北をおさめ、トランプに忠告し、危機が招来しないように、国民の生命、安全が危うくなることを避けるようにする。危機を無くすように意を注ぐのが政治だ。

「国際間の紛争を武力で解決しようとしない」。それが政治のあるべき姿だ。

暴言居士の麻生が、ナチス礼賛とも思われる言葉を吐き、米朝が戦争に突入すれば、北朝鮮から多くの難民が押し寄せてくれば、警察や自衛隊でそれらの上陸を阻止し、場合によっては射殺するとまで言い放つ。
総理大臣を経験し、安倍の側近の如く振る舞う副総理。

76歳になるまでキミはいったい何を学んできたのか。
ヨーロッパの国、例えばドイツからしてみれば危険な国とさえ受け止められないだろう。
品位も品格も無い国との烙印を押される。

政治とは難民が生まれないように外交を含めて、世界の各国との共存を図るべきものなのだ。

何を言っても彼らには「ごまめの歯ぎしり」にしか映るまい。
そうだ。ごまめの歯ぎしりというブログを綴り、原発反対を言ってきた河野太郎なる三代目も、国連の「核拡散条約」を拒否している。

「希望の党」というのが誕生するとか。

既成政党の“能無し”に飽きた都民が選んだ徒花としての百合。
小池にすがる議員どもの、議員を目指す者たちのなんというあざとさ。

何をもって「希望」と位置付けるのだろうか。

何をもって税金を使っての選挙を行うのか。
選挙を希望していた、洗礼を受けろと請願していた国民はいるのだろうか。

「美しい国」という言葉だけをひっさげて登場した安倍政権。
結果は、なれの果ては「醜い国」だ。

政治をいくら批判してもそれを聞く耳は持ち合わせていない側近の官房長官。

若いころ見てきた政治の姿は無い。政治家の矜持も無い。あるのは“異次元”の政治だけだ。もちろん悪い意味での。

米朝もし戦わば・・・。“戦場としての日本”が出現することになるかもしれない。
日本人が難民になることだってありうる話だ。

積極的平和外交とは何だったのか。その片鱗すら見せてもらったことはない。

憲法を無視し、皇室をさげすむ。

そんな堕落した政治の中で、国民も精神的堕落に陥っている。

丸山真男の書いたものの中に「自己内対話」という論考がある。そんな思索の道を安倍様ご一行は考えてもいまい。

都民ファーストという“ファースト”と言う言葉が嫌いだ。国民ファーストという言葉も嫌いだ。
ファーストという言葉の語感からは一種の「差別」も感じる。
アスリートファーストという言葉も嫌いだ。
アスリートを目指しながらアスリートに成りえなかったスポーツマンだって大勢いるのだから。

「この国には何でもある。しかし、それらは絶望を伴ってやってくる」。

2017年9月22日金曜日

解散の「大義」ということ


25日に衆院が解散されるそうだ。
解散の大義をめぐってなにやらいろんな話が伝えられている。
もともと、というか政治史を見ても解散に大義なんてあったためしがない。

解散せざるを得ない理由があっただけだ。

「バカヤロー解散」も「追い込まれ解散」も「死んだふり解散」も解散に名は付けられたが“大義”など存在しなかった。

広辞苑には大義とは重要な意義、大切な意味とある。人のふみ行う重大な道義、国に対して為すべき道としか書かれていない。

大義、あるいは大義名分を糾しても致し方ない。それは解散権を持つ者の「都合」「私利私欲」「党利党略」でしかないからだ。

安倍は「追い込まれて」いるのか・・・。

今度の解散に名前を付けるなら「異次元解散」だ。
失敗に終わった「異次元の金融政策」、アベノミクス。
好戦的な北朝鮮に対する「異次元の制裁」。どういう行動を指しているのかわからないが。
そしてなによりも自らの“疑惑”隠し解散。

卑怯な男だ。

解散には大義は無くとも「理由」は存在する。
その理由は自己都合の勝手解散。

解散には憲法の7条解散と69条解散がある。69条解散は内閣不信任案が可決された、いわば国会の意志による解散。
7条解散の解釈は難しい。内閣の助言と承認により天皇の国事行為としての解散とされているから。

とにかく解散する「理由」がまともな人間、政治家からすれば見当たらないのだ。

「選挙で禊をすます」といわれている。すべてが御和算、清算されるといわれている。

それを狙っているとすればとんでもない“違法行為”だ。

選挙には800億円の費用がかかる。そんな大金をかけてもやす選挙の意味はなんだ。

安倍政治、安倍の発言は“嘘”という縄を繋ぎ合わせてきた。

「常識」でかんがえてみよう。
安倍は北朝鮮の脅威を煽ってきた。北朝鮮に喧嘩を売り続けている。
国民は騙されているのかもしれない。

「Jアラート」なるもので混乱させておいて、北朝鮮の脅威を「在るもの」と洗脳しながら、北の“脅威”がいつあってもおかしくないと言いながら、有事には対処が不可能になるような衆院の解散を行う。

政治に空白を生じさせる。北の脅威は本当は「無い」ということなのか。

安倍は極端に民進党や共産党が生理的に嫌いなようだ。国会答弁の喧嘩腰をみていればわかる。

民進党が衰退化している。この際、民進党を徹底的に叩こうという事か。

野党は不甲斐ない。野党共闘で揺れている。
安倍政権を倒すには野党共闘しかない。
政党間の協議では埒があかないなら、市民団体が主導権を握ればいい。

安保法制や共謀罪で連日国会を取り囲んだ実績。
シールズや市民団体の動きに野党が引きずられていたようなかっこうのあの時を再現することも出来るはず。

民進党の“内紛”は自民を利している。舐められている。だったら安倍の常套句ではないが“異次元の策”を考えればいい。

前原よ、自民党に手を突っ込めよ。もしかしたら自民から”野党“にまわる人だっていないとは限らない。
「そんな人が数名はいる」と言えば自民に動揺が走る。
疑心暗鬼を生む。

知将と言われた戦国武将ならそうしただろう。

総選挙後の特別国会や臨時国会、いやそれも拒否するだろうから来年の通常国会でも「モリカケ問題」を野党は忘れないことだ。
禊を済ませたなんて言わせてはならない。

今、解散総選挙を行う。自民党は勝つ。公明も勝つ。安倍政権は続く。任期は東京オリンピックまで十分ある。
安倍の野望は開会式の場に立つことなのかもしれない。大叔父と比肩しようと。

全てがばかばかしく虚しい限りだ。

付け焼刃の選挙公約が出されるだろう。まさに付焼刃。まともに取り合う気にもなれない。
古い膏薬だ。すぐに剥がれるメッキだ。

満腔の怒りの中に身を置き続けなければならないと言う不条理。

2017年9月18日月曜日

「戦争」と唐様で書く三代目

北朝鮮のミサイル、核問題で連日かまびすしい。
Jアラートなるものが鳴らされ、その賛否論議もある。
北の意図、今後をめぐってメディアは百家争鳴だ。


北朝鮮の主導者、金正恩は北朝鮮と言う国が生まれてからの三代目に当たる。
彼の野望は祖父金日成を超えることにあると聞く。
祖父の為し得なかったことを成し遂げることに自らの存在価値を見出そうとしているとも聞く。
小国北朝鮮が核兵器をもつことによって大国アメリカと肩をならべようとしている。その戦争兵器を持つことで民草がいかに貧しい生活を強いられようと歯牙にもかけない。

日本の主導者安倍晋三も岸家の三代目。彼も祖父を超えようとはかる。
祖父が悲願とし、成しえなかった憲法改正を悲願としている。
祖父の時代は再軍備と言われたが、唯一の被爆国であり非核三原則という祖父の弟が作った国是をも“無視”して核を持たんかの勢い。
北の行為に「異次元の制裁」と怒り、お前たちには明るい未来は無い事を思い知らせてやると言う。
口にはするが拉致被害者対策がなされている気配すら感じられない。
大国アメリカと同盟と言う名の連携に余念が無い。

北の暴挙を諌める側近はいない。何か言えば殺される。北の親玉は独裁者だ。
安倍政治の在り方を、その独裁政治を諌める側近はいない。

独裁者は常に孤独だと言われている。孤独から抜け出そうと強がりを連発する。

北の敵はアメリカ。日本の大の仲良しはアメリカ。だから北の敵に日本もなるという三段論法。

なんともはや、三代目の多い事。小泉家、鳩山家、中川家・・・。

昔、商家は三代目で家を潰した。
売り家と唐様で書く三代目 。江戸時代の戯れ語だ。
「初代が苦心して財産を残しても、3代目にもなると没落してついに家を売りに出すようになるが、その売り家札の筆跡は唐様でしゃれている。
遊芸にふけって、商いの道をないがしろにする人を皮肉ったもの」と物の本にはある。

北朝鮮の三代目、日本の三代目。国を潰すことはないと思うけれど。

北のミサイル、安倍政治の愚挙。真正面から論じるのもたばかられ、昔の戯言を借りてみた。
国を売るわけはないから「戦争」に置き換えて。

唐様の字を書くわけがないから、安倍はパソコンで誰かが打った文字を読み上げ、金正恩は“風格ある”女性アナウンサーに読ませている。

なんか冗談話も上手くは書けないな。おあとがよろしいようで・・・。

2017年9月11日月曜日

「11」という日

きょうは9月11日だ。今から16年前、時差の問題はともかく、アメリカ、ニューヨークの超高層ビル、世界貿易センタービル2棟にテロリストによってハイジャックされた民間航空機2機が突っ込むと言う前代未聞のテロ事件が発生した日だ。

世界の最強国、文明国アメリカを震撼させ、阿鼻叫喚の渦に巻き込んだ。
我々はテレビの画面を通して突入する飛行機、やがて崩れ落ちる文明の象徴ともいえる瀟洒なビルが崩壊していくさまを見た。

ビルの跡地は「グラウンドゼロ」と呼ばれ、このテロによる犠牲者は3千人にのぼる。

その跡地には犠牲者の名前が礎に刻まれ、追悼式が行われる。

16年前、2001年は世界の歴史の転換点だったのかもしれない。
テロという言葉が日々伝えられるということになった事からしても。

そして今、北朝鮮と言う国がアメリカに向けて「テロ」を仕掛けようとしている。

9・11のテロ実行犯はアフガニスタンに拠をおくタリバーンというテロ組織だとされた。
テロの報復としてアメリカのアフガニスタン侵攻が始まった。空爆も行われた。
数多くの民間人も犠牲になっている。

アフガンで亡くなった人たちの名前はどこかに刻まれているのだろうか。

アフガン戦争は泥沼化している。まだ終わってはいない。タリバンがISをはじめ、その他のテロ集団を生んだ。

世界は分断された。

難民が多数生まれている。
そして、時として難民は排斥される。

分断がさらなる分断を生んでいる。

東日本大震災も11日だった。2011年3月11日。あれから6年半。
その「後遺症」は依然として残ったままだ。

その被災者の亡くなった人の名前は国としての慰霊碑に刻まれていない。それは設けられていないからだ。
原発事故は、どれかは“正義感”によるものかもしれないが、デマと風評という人間が持つ「醜さ」を露呈させ、多くの分断と差別を生んだ。

たぶん解消されることのない分断と差別。

北朝鮮問題をどう捉え、どう理解すればいいのか。
何にしても、新たなテロに日本も巻き込まれるかもしれない。

21世紀に限っていえば、「核」を中心に世界が蠢いている。

唯一の被爆国、非核3原則を国是としているはずの日本が核禁条約の締結に参加せず、北の核に怯えながら、アメリカの核に依存する。
核の使用も辞さないアメリカに身を預け、もう破れているはずの核の傘を信用し、「異次元の制裁」を首相は口にする。

「戦争」は必ず金儲けをする人達を伴う。朝鮮戦争、ベトナム戦争で日本の経済は潤った。
北の脅威を前面に打ち出すことで防衛予算は増大する。防衛産業は潤う。

一枚のパンすら食べられない戦争の犠牲者となった人達が居る。
一杯のミルクを飲めない子ども達が居る。

沖縄返還時「核抜き本土並み」と沖縄の人たちは乞い願った。
冷戦構造時、沖縄には多くの核兵器が配備されていた。
ソ連や中国を“仮想敵国”として。
核持ち込みの「事前協議」という妥協案が「他策ナカリシヲ信ゼント欲ス」と密使に言わしめて・・・。事前協議とは妥協の産物であり、形骸化した外交の産物だ。その対象に沖縄は含まれていない。という“合意“が有ったとも聞く。

ナイキやトマホーク、それらの核兵器がどうなっているのか。真相はわからない。新たに持ち込まれているかもしれない。温存されたままかもしれない。
北朝鮮という“テロ国家”の脅威に対抗するために。

平和解決をドイツやスイス、スエーデンの首相は言う。日本はさらなる軍事力の強化をいう。トランプはアメリカの「死の商人」の如く、兵器を買えと迫る。

原発の汚染水問題は凍土壁が出来たからと言って解決には至ってない。汚染水は増え続けている。

「11日」はテロを想起し、自然災害、原発事故を考え直す日だ。
「11日と言う日は学び、知り、考えるために与えられた日なのかもしれない。

2017年9月9日土曜日

「街の本屋さんです」

コンビニに寄った。車を停めたところから張り紙が見える。

「セブンイレブンは街の本屋さんです」。

セブンイレブンのネットを通して本を購入するということらしい。
セブンイレブンが“本屋さん”・・・。

毎朝開く新聞には本の広告ページがある。
新刊も再版も含めて大量の本が出版されている。
触手が動くものもそうでもないものも。

どんな本が出版されているのか。「情報」としての「広告」。
それが「購買」にどれほどつながっていくのか。

それにしても「馴染み」の人がよくもまあ、こんなに次々と書けるものだと感心する。
本を書くことにはかなりのエネルギーが必要だと思うから。

時々本屋に行く。やはり本は「手に取ってご覧ください」だと思っているから。

詩人の長田弘が言っている。
「わたしは本屋に本を探しにいくのではない。なんとなく本の顔を見に行く」と。

街から本屋が減っていると聞く。大きな書店はともかく、地方都市から小さな“街の本屋さん”が消滅しているという。
「書店ゼロ自治体」が2割を超えるという。

人口減に加えて、雑誌を扱うコンビニの増加、活字離れなども影響しているそうだ。「文化の灯が消えた感じ」だと当該市の役所の人は言う。

「周辺に大きな本屋ができたり、ネットで買ったりする人が増えて20年前くらいから客が減ってきた」と書店を経営してきた人は嘆く。

小中学生が学校帰りに立ち寄れる本屋さんは必要なのだとも思うけれど。

昔し話しで申し訳ないが、子供の頃は「貸本屋さん」に入り浸っていた。
「一泊はいくら、二泊はいくら」。借りたら早く読み上げないと小遣いが足りない。
せかされるような思いで本と親しんできた。

高校生になると区営の図書館に通った。大学に入ると神田の古本屋を巡っていた。

本を読むにはエネルギーがいる。

若いころにはそのエネルギーがあった。今は無理だ。一冊を読むのにかなりの時間を必要とする。

おかしな性分だ。本に囲まれていないと落ち着かないのだ。
本は背表紙を眺めているだけで、何かを書こうとしている時の「ヒント」ともなりうる。

にも関わらず書棚から「消滅」していった本。家の建て替えや引っ越しの度に本が無くなっていく。

在ると思っていた本が無くなっている。その錯覚。
五味川純平の「人間の条件」を読み返そうと探した。やはり無かった・・・。

本屋で気に入った本を買う。その本を持って近くの喫茶店に入る。珈琲を飲みながら煙草を片手に読みに入る。
楽しみの一つだった。贅沢な時間だった。

本屋は減った。喫茶店はカフェと呼ばれ新しい店が出来ている。煙草は「公共の場所」では吸えなくなっている。“街の本屋さん”では煙草が売られている。

東京オリンピック、パラリンピックを控えて東京都は禁煙条例を制定するそうだ。

昔の小説家は大方、煙草をくわえて書いていたようだ。記念写真にはよくその姿がある。1964年の東京オリンピックの記録映画を製作した市川崑監督は煙草を片時も手放さなかった。フィルムによく火が移らなかったと思うくらい。

国会議事堂内にはあらゆる場所に灰皿が置かれていた。スタンド型の。委員会室もそうだった。

自民党の総務会では「灰皿」が飛び交っていた・・・。

目下は喫煙者ではありません。お医者さんにきつく言われてます。
禁煙外来で“治療中”だったのが2011年。3月11日は薬の治療が佳境に入った時でした。
ストレスからの煙草復活。されど去年の肺がん手術。

きょうのような秋晴れの快晴。白い雲の下で白煙を吐くのが快感だった時代もあった。もちろん本を手に持って。

2017年9月4日月曜日

「かまってウンチ」

躾のある程度行き届いた犬も、飼い主にかまってもらえないとトイレでないところでウンチをする。怒られるのはわかっていて。
無視されているより怒られた方がいいらしい。

それを「かまってウンチ」というのだとペット屋さんから聞いた。

立て続けの北朝鮮のミサイル騒ぎ、核実験騒ぎ。
国際社会からさらなる「孤立化」を招いている“三代目”のある種の焦燥感が狂気の沙汰に及んでいるのではないか。

事前通告なしの北海道の上空を通過したというミサイル。
Jアラートに混乱させられた日本。

日本国中が避難騒ぎに話題が集中したことを三代目は満足しているのかもしれない。

Jアラートのばかばかしさはあらためて書くには及ぶまい。

それにしてもお粗末な政治家がいるものだ。
グアム近くの海域にミサイルを打つ。事前通告をした。ミサイルの航路も発表した。

島根、広島、四国。

なんで”計画を変えた“のかはわからない。

島根出身の自民党総務会長の竹下亘が「人口の多い広島ではなく、島根に落ちても意味が無い。ミサイルの精度が上がり東京や大阪、米軍基地を狙ったものが間違って島根に落ちることは無いと思ってはいたが」。そんなことを広島県内で語ったと言う。

言わずとしれた竹下登の異母弟。NHKの経済部記者出身。認識も発言もとても要職にある政治家のものとは思えない。

経済制裁を受け、非難をされる。核を持つことで、核保有国になるということで、自国の立場を優位に立たせようとしているのか。

孤立化の中で、次々騒動を引き起こす。存在感を誇示する。
まさに「かまってミサイル」「かまって核」と揶揄してみる。

かまってウンチをした犬は、怒られると「ゴメンナサイ」のポーズをとる。
「仲直り」をする。

「三代目」と話し合いをすることはおそらく不可能だろう。
北朝鮮の狙いがアメリカだとして、アメリカとの仲立ちをするのがアメリカの同盟国とされる日本だが、トランプと完全に一致と数度にわたる会談でもそれしか伝えられない。

アメリカと完全に一体化しているような日本が何を言うが北は受け入れまい。

テレビでは連日「専門家」が登場し、それぞれ薀蓄を傾けている。
希望的観測を述べたり、憶測を語ったり。

国民には何も真相がわからない。ツイッターで発信されるトランプの真意もワカラナイ。

何もワカラナイのだ。

もしかしたら、またJアラート騒ぎに巻き込まれるだけなのかも。

「平和」という言葉が宇宙の彼方に飛んで行ってしまうようだ。


“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...