2009年1月31日土曜日

糞害、憤慨

亭主の駐車場はコンクリート敷きではありません。自宅ではありません。事務所。道路に面した土の駐車場。雑草も生えています。安さ優先(爆)。


車を停めて降りた途端、なにか靴底に違和感。踏んでしまいました。糞を。きょうは雨。雨の中のオサンポってことも無いので昨夜のものか。とりあえず、草に靴をこすりつけ、雨の道路で靴を引き摺って・・・・。水たまりの中に靴をいれて足でゴシシ・・・。悲しい出来事(笑)。


亭主がオサンポの時は必ず持参しています。ビニール袋に紙を入れて。愛犬の排出したものはちゃんと大事に持ち帰ります。東京ではペットボトルを持参していて小便した後にも水をかけて流す飼い主もいる。夏場は特に臭いから亭主も持ち歩いていましたよ。


そういえば・・・・。郡山の町を歩いていると「愛犬の糞お断り」だの、「持ち帰れ!!」だの私製のものもあれば、多分市役所が作って立てかけたのでしょう。変なイラストの糞持ち帰りを促す看板も各所に見られます。看板があるという事は「放置」が多いってことなんでしょう。


そして、たしかに時々見掛けます。道ばたに放置された大きな糞、糞。マナーとか公徳心とかって問題じゃない。当然のように放置されていく糞。やたら多いみたい。知り合いの愛犬家も嘆いていました。他のワンチャンの糞を踏まないように散歩させるのは大変だって。


街中にポイ捨て煙草の吸い殻はあまり見掛けなくなりました。コンビニ前にたむろしている若者が棄てる以外は。糞は無くならない。たしかに「うんち袋」持たないで散歩させている飼い主も見掛けます。普段はあまり気にしなかったんですが、思い出すとそんな光景けっこう見てる。


人間の心理というものは不思議なものであります。煙草の吸い殻が捨てられている道路では、そこに皆捨てていく。誰かもやっているんだから俺だって・・・。"犯罪"意識が欠如していく。その習性が犬の糞にも当てはまるかも。他の犬の糞を見つけた犬はその臭いに誘われるようにその近くに糞をする。飼い主は、「どうせあるんだから、ま、俺のも(わたしのも)いいか」って心境になるのか。かくて糞だらけの道路が出来上がる・・・・。


いくら奇特な人でも自分の犬の糞は始末するけど、他の犬の糞はさわれない。当然ですよね。


東京では煙草のポイステは法律で禁止されており罰せられる。犬の糞の場合は・・・。当局(笑)に聞いてみました。軽犯罪法違反に該当するかもって話です。「汚物を捨ててはならない」っていう条項。これで取り締まれるのか。「捨てたんじゃない。犬が勝手にした。持って行かなかっただけ」。こう抗弁されたら・・・・。


その仕組みをどうするかは別にして、我が住む町の美化運動。道ばたの犬の糞を一斉に取り去る"運動"なんか出来ないでしょうか。綺麗な道路では糞を放置するのは気が引けるって人もいるのでは・・・。やはり"良心"に訴えるしかないかも。


犬を飼う人の資質、資格、品格の問題。犬のサンポとは運動だけでは無い。排泄を伴うもの。


こんど「放置」していく人みたら呼び止めて注意するつもりですが、誰もがそれを出来るわけでも無い。争いは避けたがるのも人間の習性。


糞害には憤慨しています。毎日犬を連れて通る道が、ある日、糞が除去され綺麗になっていたら、あなたはそこに放置できますか。良貨は悪貨を駆逐する・・・。反グレシャム理論はいかが。煙草で実践されているはずと思うのですが。



2009年1月30日金曜日

あまりに元気な中高年(笑)

時々通っているジム、プール。健康増進施設。そこで知り合った中高年会員が二月に一度、飲み会をやっています。昨夜はその会合。駅前の定食屋。食堂。15,6人はいたでしょうか。長老は72歳。だいたい50歳以上。とにかく普段運動をしている人達だけに皆お元気、お元気。飲み、食い、喋り・・・・。見る間に無くなっていく焼酎のボトル・・・。


この会は一応「二十日会」と名付けられているようです。毎月20日がジムの休館日だったから。休みの日を選んで集まっていた。毎月10日、20日、月末、月三回の休館日。去年から休館日変更。毎週水曜日に。で、二十日ではなく水曜日の集まりとなったわけで。会の名称変更しなくっちゃ(笑)。


宴たけなわの頃、長老が発言を求めました。この長老とても72歳には見えません。筋骨隆々。昨夜のいでたちも半袖Tシャツ一枚に黒い皮ジャンの上下。眼光鋭く。どうみても堅気には見えない御方(爆)。車は真っ赤なスポーツカーだし。ジムで走り、筋トレし、プールで泳ぎ、サウナで汗をしっかり出して・・・。ボス的存在ですかね。


「休館日が毎週水曜になった。単純に言えば営業日が月に一日減ったことになる。会員の立場からすれば遺憾である。休館日を増やしてそれが従業員慰安になっているかというとそうでもないらしい。インストラクターも辞めていくのが目立つ。我々のクラブをもう少し会員本位に出来ない物か・・・。」。なにせ口うるさい中高年。怖い物無しの人生経験者、強者ども。堰を切ったように発言が飛び交い。


「スタジオやプールのプログラムが明らかに減っている。インストラクター陣の人材不足だ」。「ロッカーの配置がおかしい、脱水機を増設しろ」。内部事情に詳しい人に至っては、「コーチの補充は派遣らしいぞ」などなど・・・・。「社長に申し入れよう」。ちょっと待った。今度社長と話してみるから。なんとなく中途半端な"裁定"に入る亭主(笑)。とにかく皆様お元気なのです。もの申す方々達。血気盛んナオトシヨリ・・・(爆)。


この施設、確かにこういった"不満"は会員にあるようです。去年でも何人のインストラクターが辞めたか。一回会社更生法の適用申請を出した経緯もあり、経営者は大変だと。辞めたのもいわゆるリストラではなさそう。自発的意志。しかし底辺には待遇面での不満もあったかも。


会員の集まりで"不満"が出るってことは、それだけそのクラブが好きだってこと。どっかに移ればいいのに、それはしない。


経営者もいろいろ大変でしょう。ましてこのご時世。倒産している企業も枚挙にいとまがない。どうにか会員の為にも維持しなくては。そういう気持ちもあるのでしょう。従業員、スタッフも皆いい人です。会員の面倒をよく見てくれます。一生懸命に職務をこなしている姿は気持ちがいいものです。


会社でもそうでしょうが、関係者皆が意識を共有することが大事なんでしょう。経営者の方針や考え方を従業員にどうやって理解して貰い納得し、働く意欲を湧かせるか。会員にも経営方針やシステム変更をその意図も含めて理解して貰い、皆のためのクラブにするーーー一つの場所に集った人達。立場は違えど、「こころ」で一つになれることって無いんでしょうかね。社長・社員・お客さま。このあるべき関係を再構築していくのがこの時代の企業の在り方だと。


皆、居心地がいいクラブだと思っているんだから。怪気炎を聞きながらなんとなくそんな思いが去来し・・・。カラダを動かしている人はお口もよく動く・・・・(爆)。



2009年1月29日木曜日

悪化

悪化。悪くなることです。


財務省は「景気は悪化している」と経済情勢報告で発表しました。まれに見る出来事。なかなか政府は「悪化」という表現は認めてこなかったんですが。どうもにっちもさっちも行かなくなっているんでしょう。


病状が悪化。そんなことを医者に言われたら、それこそ重体。医者は回復に向けて全力で治療をするのでしょうが、景気とやらは治療の方法さえ見つからない模様。もっと悪くなったらなんていう表現をするのでしょうか。


今日の新聞を見ても「悪化」のニュースばかりです。パナソニックが今年度1,000億円の赤字。ソニーや東芝はすでに営業赤字を発表。唯一の勝組だったパナソニックまで。証券会社も軒並み。野村が五千億円弱の赤字。前年は860億円の黒字だったのに。


車も売り上げが20%減、百貨店も軒並み減。売り上げをコンビニに抜かれる。


そして失業者が増大している。雇用情勢悪化。悪化。年度内に製造業では40万人の失業者が。他の業種を合わせるととんでもない数の失業者が出るとか。欧米では一日で7万人の失業者を出しているとか。


「虚業」は破綻するのはわかるけど「実業」の世界が崩壊しかかっているようです。


政府や自治体が打ち出す雇用創出。もはや焼け石に水かもしれません。悪化のスパイラルに落ち込んでしまっているようです。抜け出せない・・・。


マスコミ不況とも言われます。マスコミ業界の収益は、ま、これもひどいもんですが、マスコミが伝える不況、景気悪化、雇用悪化の話題、話題・・・。これがネガティブ情報として伝播され、消費活動を萎縮させているとも。


これで銀行に公的資金注入なんて話題が広まったらその心理的影響ははかりしれないものになるかも。


風邪を悪化させている人もおおいようです。一日の寒暖の差が激しすぎるせいか。


「悪化」という二文字が世界を覆い尽くしている・・・。「景気悪い、悪い、どうにもならない」。身近でもそんな声ばかり聞く昨今。世界中が病巣に冒されている。「医者」が見つからないのだから、自己治癒しかない・・・。金は使わない・・・・。嗚呼。



2009年1月28日水曜日

時代遅れの男・・・

テレビで河島英五が歌っていました。ピアノの弾き語り。「時代おくれ」。サラリーマンに成り立ての頃、新宿のゴールデン街のスナックでよく流れていた歌・・・。久しぶりに耳にしたこの歌。あの頃は聞き流していたのに、なぜか染みいるものがあるんです。作詞は阿久 悠。彼の詩は憎らしいくらい上手い・・・。


♪一日二杯の酒を飲み 肴は特にこだわらず マイクが来たなら微笑んで 十八番(おはこ)を一つ歌うだけ 妻には涙を見せないで 子供に愚痴を聞かせずに 男の嘆きはほろ酔いで 酒場の隅に置いて行く  目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことは無理をせず 人の心をみつめつづける 時代遅れの男になりたい♪


♪不器用だけどしらけずに 純粋だけど 野暮じゃなく 上手にお酒を飲みながら 一年一度酔っぱらう  昔の友にはやさしくて 変わらぬ友と信じ込み あれこれ仕事もあるくせに 自分のことは後にする 妬まぬように 焦らぬように 飾った世界に流されず 好きな誰かを思い続ける 時代遅れの男になりたい♪


すっかり忘れていましたが、1960年代、この歌を聞きながら、"そんな男"に憧れを抱いていたようでした。男の嘆きを隅に置いていかれた酒場のママさんはどうそれを処理すればいいんだい?ゴミとしても出せないぞ。なんて与太飛ばしながら・・・・。


you tubeであらためて聴く河島英五。阿久悠節。


倉本聡のドラマのワンシーンが浮かんでくるようでもあり、宮沢賢治の世界に引き込まれるようでもあり・・・。そう、彼らの世界にはいつも時代遅れの男達が登場していた・・・・。時代遅れの男になりたいーーーそういうものにワタシはなりたい・・・。


阿久悠は「歌は時代を語り続けた」と言っています。男の"美学"を歌に託しました。ちょうどトレンドなる言葉が登場し、誰もが皆流行っていうものを追いかけた、追いかけようとしていた時代。そんな時代へのアンチテーゼのような歌・・・。


歌詞の何処かに自分が重なります。そして思います。時代遅れの男になりたいではなく、時代遅れの男になったーーーと。


今朝、どの服を着ようかと迷いました。結局取り出したのが、昔の服。今のようにスリムな仕立ててでなく、タックがついたダブダブ系。時代遅れの服・・・(爆)。


飾った世界、虚飾の世界に、今の時代に生きる人は流されています。流され過ぎです。IT革命、先端技術の進歩が飾った世界を加速させた・・・・。それにあらがって生きていくのは難しい・・・・。だけど、皆、阿久悠的"美学"には憧れているのでは・・・・。


今夜は時代遅れのような男と酒を飲む予定です。もちろん二杯では済むはずも無く(笑)。もし彼と歌うはめになったらこの歌一曲だけを口ずさんでみようかと。そして自分自身へつぶやいてみます。「時代遅れの男になりたい」と・・・・。                 



2009年1月27日火曜日

ペテン師

恒例の飲み会。紫酔会。今月も皆集って楽しくワイワイ。この会、毎回なんか話題が生まれる会。今回は誰が言い出したか「ペテン師」。話の前後の脈絡は覚えていないのですが・・・。誰かが誰かをペテン師と言ったことからかも。もしかしたら亭主の事だったかも。(爆)。


きまじめ弁護士クン。早速出ました。質問。「ペテン師って犯罪に問われるのかどうか。法律にはペテンって言葉無いし、語源は何なんでしょうね・・・」。


ペテンって言葉の語源はどうも中国語のようです。peng-tzuとかbengziとか書くらしい。意味は。そう詐欺です。詐欺師が何でペテン師って言われるのか。どうも日本語にすると微妙なニュアンスの差があるようで。


「おれおれ詐欺」って犯罪はあるけど「おれおれペテン」とは言わない。詐欺は犯罪で捕まるけど、ペテンに掛けた、人を騙したってことじゃなかなか捕まらない。そんな感じ・・・。


誰かが面白い例を言いました。結婚詐欺ってのは結婚しないで金巻き上げるけど結婚した後、この人に騙されたって思うのはペテンに掛けられたってことじゃない?ーーーって。


詐欺師は憎むべき犯罪者。ペテン師は時として憎めない場合もある・・・・。


明治時代に流行った言葉らしいんですが、当時の流行の舶来かぶれの一つなんでしょうかね。


最近、時々、日常使っている言葉の"語源"がやたら気になる時がある(笑)。知っているのもあれば知らない物も多い。


シカトするーーー。シカト。花札が語源。十月は鹿。その鹿は横を向いている。だからソッポを向くことをシカトするって言う。これは昔警察官に教わりました(笑)。どうも警察の"隠語"だったらしい。


グレル。ぐれる。はまぐりをひっくり返すと「ぐりはま」。蛤をひっくり返すと裏表が合わなくなるってことから来たとか。これも"隠語"の類でしょうかね。


亭主もグレています(笑)。どこかペテンにかけているかもしれません(爆)。世の中ペテンだらけだし。語源を知りたくなるーーーそれは自分の源を知りたくなったってことかも(嗤笑)。



2009年1月25日日曜日

ネットで本を買うということ

ついつい便利なので本をネットで買ってしまいます。アマゾン。


今朝また本が届きました。直木賞受賞作。「利休にたずねよ」。"過剰包装"の包みをあけて新刊書の匂いを。手触りを。その瞬間が好きなのです。


利休に関してはけっこういろんな本を読んだつもりです。ちょっとだけ、ほんのちょっとお茶をかじったことと、利休にまつわる番組を昔作ったこともあり。資料も含めて、その生涯をちょこっと調べたことがあります。いくらいろんな本を読んでも、理解出来ないところが多い人物。作者がどう見るかによって正反対の人物像も生まれるし。まして、利休と秀吉の確執に及んでは・・・・。それはともかく・・・。


ゆっくり読むつもりです。もう一つの直木賞。「悼む人」ーーはすでに受賞前に発作的に(笑)購入しており。


で、読んだ先から内容を忘れて行く。この本は読んだという記憶だけは残るのですが、内容を反芻しようとするとダメ・・・。


パソコンで本が買える。便利な時代です。使っていますが、いつも????があるのです。本は本屋で買うもの。手にとって、パラパラ数枚めくって買うもの。これは面白そうだって感じて買うもの。そういう長年の習慣を破っている。一つには町に本屋さんが少なくなっているってこともあるんですが。


新聞の書評欄を見てつい買ってしまう。ネットで。こういう買い方は常に失敗を伴っており・・・。字が小さかった。ま、これはしょうがないとしても手にとってみていたら多分買わなかった。


書評にごまかされ、まどわされて買ってしまう。直近の例は藤原新也の「メメントモリ」。加筆されているという書評、紹介を真に受けて買ってみたのですが、昔の本と比べてみるとそんなに大差ない。装丁が変わっているだけといえば極論ですが。


買わなくてもよかった本でした。「語前語後」もそうでした。絵描きさんの世迷い事が並べられている感じ。これも本屋で買おうとしていたら買わなかった類・・・。


ことほど左様。通販、テレショップ然り。やはり手にとって現物見てから買わないと・・・。ツンドクにしてしまうと本にも申し訳ないし。ネット買いは"博打"に似ているかも。当たり外れありっていう意味では(爆)。


とりあえず「利休」は当たりのようでした。早く読みたい。読みたい本が手元にあるってのは楽しみなのであります。


面倒臭いと思わずに、やはり本は本屋で買うべきと思いながら。



2009年1月24日土曜日

現世はデジャヴ・・・

デジャヴ。辞書によると「既視感」「既視体験」とあります。フランス語。心理学用語。dejavu。一度も経験したことがないのに、かつて経験したことがあるように感ずることーーーと書かれています。また、過去に実際に体験したという確固たる感覚ーーーという意味もあるそうです。


昨日、友人の会社の新年会。出入り業者さんも交えての恒例の集まり。友人の社長が挨拶でこのデジャブを言い出しました。「我々は中小企業である。長年中小企業をやってきた。昨今の経済危機。まさにデジャヴ、既視感だと思っている。1974年以降、円高、狂乱物価、総需要抑制策などが次々と打ち出され、景気は急速に悪化した。仕事もなかった。だけどどうにかそれを乗り切ってきた。今、またそれが目の前にある。今はどうやって我々が持っている経営資源を生かすかが大事。大企業の今の経営者は、1975年当時の経営の厳しさをわかっていない。経験していない。我々には既視感がある。厳しいのは皆同じ、その中で何をやるかが問題だ。学者やアナリストに答えを求めない」。そんな事を熱く語っていました。


デジャヴ。心理学用語が経営に使われる。というよりも懐かしい言葉を聞いた気がしたのでありまして。昔、郡山にデジャブって名前のクラブがあった(笑)。若い頃聴いた歌の中に♪デジャブの香♪ってフレーズがあって、どんな香水だろうかって気になっていた(笑)。日頃耳のすることのない「コトバ」に久々接した気分で。


デジャヴという現象。なんと70%に人が体験してるということです。亭主にもあります。ある街に行った時、「ここ知っている、来たことある」って感じたことが。テレビでみる光景。「そこ知ってる」って思ったことが。どう考えても行っていないのですが。


光景だけでなく、人との出会いにもデジャヴ的なことがある。政治にもあるかも。いつか来た道ってことじゃないでしょうが、夢幻とは違うデジャヴ現象。歌の題名にも、歌詞にも最近、デジャヴって言葉が登場しているようです。♪恋はデジャヴ♪とか♪久しぶりにデジャヴ♪とか♪さよならデジャブ♪とか。


現世(うつしよ)はデジャブ・・・・なのかも。


 



2009年1月23日金曜日

間抜けなサンタさん(笑)

駅前広場。夜ともなるとイルミネーションが輝きます。なんで今頃でもイルミネーションか。年末、クリスマス時期はとうに終わっているのに。不思議な光景です。
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郡山駅前の夜の光景。トナカイさんが並んでいます。後ろは駅舎。裏に廻ってみます。噴水がある駅前広場。



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よく見てください。右端にはなんとソリに乗ったサンタクロース。隣はもちろんトナカイさん。全くのクリスマスバージョンのイルミネーションが堂々と駅前広場を埋め尽くしている・・・。


たまたま駅に用があって出かけて発見。驚きました。


年末、点灯された時は各マスコミも格好の話題として取り上げ、乗降客をはじめ寒いご時世、その灯りで少しは人のこころを温め、、目を楽しませてくれたのでしょうが・・・。12月25日でサンタさんはお役ご免。もうとっくにフィンランドに帰った筈と思いきや。居心地がいいのかどうか郡山駅前には滞在されているんです(爆)。


この駅前イルミネーション、市街地活性化の一環としてJC,青年会議所の面々が始めたものとか。その後経費の問題もあり商工会議所がバックアップ。暮れの風物詩とされていたのですが。


年が明けてもあのままってのはどうもいただけない。まさに間抜けって。ツリーだけならまだしもサンタとトナカイは・・・。


誰も気づいていないのでしょうか。予算が無いからほってあるんでしょうか。正月バージョン、新年バージョンに差し替えって出来ないんですかね。郡山市民としてはちょっと「恥」かも。まさか一年中このまま????。


街を歩いて見ると時々おかしな光景に出くわすもんですな



2009年1月22日木曜日

「変革」とは「原点回帰」


バラク・オバマの就任演説。「変革」、チェンジを訴えてきたオバマ。危機に瀕するアメリカが耐え抜いて来たのは国民が先人の理想に忠実で、独立宣言という建国時代の文書に忠実だったからだ。今もアメリカは危機の最中にいる。経済も疲弊している。それを乗り切るには一人一人の米国人が国や世界に対し責任があると認識することだ。今求められているのは新たな地代の責任だ」・・・・。


オバマのいう変革は極論すれば、見果てぬ夢を追う変革ではなく、建国の精神に戻る、それを想起するという原点回帰というのだと感じ取った次第です。


そう。人は原点を忘れている。政治だけでなく全てのところで。日本にだって良い言葉があるじゃないですか。「初心忘るべからず」って。世阿弥が言った。


論語にもあるじゃないですか。しかも為政編に。「温故知新」と。古きを温ねて新しきを知る 以て師となるべし。


どんな時代であっても、先人に学ぶことは多い。先人の智慧は計り知れない。そんな思いが去来しました。


アメリカ再生を訴えるオバマ。その言葉に聴いていた聴衆は、少なからず勇気と自信を取り戻し、かすかであっても希望を持つことができたのでは。


残念なことにニューヨークの株式市場はダウ平均を下げました。ご祝儀相場はなかったようです。でも、それも原点回帰かも。投機、投資マネーの"暗躍"で一喜一憂するのは、まさに現代人だけのアサハカさだと言わんばかりに。


もう少しだけ「学ぶ」ことをしてみようかと思いつつ・・・・。



2009年1月21日水曜日

大寒

きょうはご存知「大寒」。気温はそれほど低くはないのですが、なぜか寒く感じます。


耐寒と字を置き換えたほうが良いかも(笑)。一応、暦の上では一番寒い季節ということですから、これからは少しずつ春が感じられるのかも。蕗の薹にも出会いました。


大寒と聞くとなぜか一つの漢詩が浮かんでくるのです。


    月落ち 烏 啼きて 霜 天に満つ 江楓 漁火 愁眠に対す


    姑蘇城外の寒山寺 夜半の鐘声 客船に到る


 


寒山寺。もちろん行ったことはありませんが、「寒」という字が大寒とつながる。


月が落ちた頃カラスが鳴いているのかどうかはわかりませんが、月と鳥と寒さと鐘の音。風情を感じ。


寒山寺の鐘の音を聞くと十年若返るという"伝説"があるそうです。鐘といえば・・・。


祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きありーーーとか。驕れるものは久しからずーーとありますが、日本もどこか驕っていたのでしょうかね。自民党長期政権も驕っていたのでしょうかね。寒いーーー空気の国会論戦。相変わらず麻生くんは驕っているようにテレビに映っているんですが・・・・。



2009年1月20日火曜日

政治家の言語力


国会は言論の府と言われています。民主主義の基本です。演説というのが政治家には要求されています・・・。政治家はどこかでは言葉によって国民を導いていかなければならないのです・・・。


きのう自民党と民主党の党大会がありました。マスコミは「異例の同日開催」とか「麻生は結束を訴え、小沢は転換を訴えた」とか「いよいよ政治決戦」とか。たしかに"事実"としてはそうなんですが。


テレビで見た両党首の演説。あまりにも無味乾燥。政策を述べたり、自説を披瀝しても何も伝わってこない。会場からも何の熱気も感じられない。何故か。彼らは紙を読みながら紙に目を通しながら喋っている。口を動かしている。マスコミは「麻生は俺たちという言葉を二回も使った」とか書いて揶揄するのが精一杯。小沢に至ってはほとんど原稿の棒読み。


全て、自分の言葉で語られていないのです。よしんばあれが自分の言葉だとすれば余りにも悲しい。


人の心を動かすのは言葉です。何を考えていて、この国をどう導いていこうとしているのか、目指す理想は何か。それが前提にあって、それのもとづいた政策が行われる。彼らが発する指導者、為政者としてのこころが国民に届けば、それを良しとすれば、個々の政策も受け入れられる。言葉で惹きつけるものがないから、出される政策にも懐疑的になる・・・。


熱く、力強く、人のこころに響く言葉で語って欲しかった。いささか脱線気味かもしれませんが、全共闘全盛時代、学生達がそこにのめり込んで行ったのは、強い力を持ったアジテーターがいたからかもしれない。リダーがいたからかもしれない。少なくとも言語力という意味では麻生も小沢も、リーダーではなく指導者でもなく単なる権力欲に操られる政治屋煮すぎない・・・。そんな印象だったのです。


なぜか。前後して伝えられるアメリカのオバマ新大統領の就任式の話題。オバマが大統領になったのはすぐれて彼の類い希な言語力にあったのでは。それをテクニックと言ってしまえばそれまででしょうが、過去一年間の彼の演説には人々のこころに届く言葉で満ちあふれていた。彼の言葉は希望を惹起させ、彼を戴くことをアメリカ国民はその言葉を聞いて良しとした・・・。


彼我の差であります。悲しいかな。「一国の国民はその器量にあった総理大臣しか持つことは出来ない」。古い昔の外国の哲学者の名言。


オバマの就任式にははかりしれない数の人々が、彼の「言葉」を聴きに集うといわれています。亭主も何を言うかに、ある種の期待感を持って20日を待っています。多くのゴーストライターや知恵袋が演説の中味を作っていることでしょう。それをオバマは完璧に自分の言葉として、言葉にして伝えることが出来る。多くの聴衆がオバマ演説に再び涙することがあったら、会場の議事堂前が歓喜の声でつつまれたら、アメリカ国民に嫉妬するかもしれません。


日本国民だって指導者の言葉を待っているのです。せめて言葉に救われたいと思っている人だっているはず。「政治家の言は信用出来ない」。そう切り捨てられているように思えるのが日本の現状なのです。



2009年1月19日月曜日

四十余年ぶりの再会

地下鉄丸の内線の後楽園駅を降りて、先日事件があった中央大学理工学部の校舎の前を通り伝通院へ。目指すは大国屋という食堂・・・。


事件のあった理工学部の校舎は音楽研究会の練習場のあったところ。冨坂練習場。そこで4年間を過ごしました。大黒屋食堂は出前を頼んだり、食べにいったところ。毎日のように。恵ちゃんというお兄さんがいて。常に貧乏学生の胃の腑を満たしてくれていたところ。


音楽研究会の同期の集まりがあったのです。しかも思い出の場所で。同期生は14人。二人は60歳を待たずして鬼籍に入り。一人はもっか病気療養中。一人、静岡のチャンジイが急用でダメとなり、残る10人が勢ぞろいしました。北海道から滋賀県、富山県在住者も含め。彼らとはそのほとんどと年賀状の交流は続けていました。時々会う奴もいます。しかし、全員勢ぞろいは卒業後初めて。顔がわからなかったり、昔の面影どおりの奴も居たり・・・。幹事役のコンチャン(大村昆に似ていた)が一念発起。全員に「回状」を回し、実現した40余年ぶりの再会、邂逅。大黒屋で2時間半。すべて昔話しに我を忘れ。恵(もう70歳)ちゃん交えての昔日談。それぞれが思い出す回顧談をつなぎ合わせると一本の線が見えてくる・・・。


もちろん周囲の光景は全く変わっていました。練習場とてとうの昔に無くなっており、そこに校舎。そこには相撲部の合宿所や機動隊の宿舎もあり。相撲部にしか無かった電話を呼び出しで取り次いでもらったり。そうです。当時はまだ都電が走っていました。毎日その都電を水道橋駅から利用していました。都電の停留所あとはそのままバス停に。


大黒屋の時間を終えて理工学部の校舎の前をまた通り、御茶ノ水へ。校舎の門の前。刺殺されて教授への献花台。だれいうとなくそこで手を合わせ・・・。もちろん知る由も無い世代の離れた人なんですが。


御茶ノ水駅前の光景も様変わりでした。ネオン輝く繁華街。当時駅前には洒落た洋館の瀬川小児科っていうのがありました。「ここ俺の家、寄っていかない」。冗談を随分言ったものです。小児科の建物ももちろん無し。がっかりしていたら誰かが見つけてくれました。立派なビルにsegawa buildingと書かれている・・・。いろんなテナントが入っている・・・。


懐かしの中央大学学員会館で、夕闇とともに「宴会」再開。呑み、食い、語り合い。近況報告、サンデー毎日の連呼(笑)。回顧談・・・。そして健康談義。学ランを着て突っ走ってきた4年の時日。40有余の歳月は瞬く間に失われ。昔日の友の代わっており・・・。


夜八時過ぎ。散会の時間。「年に一度は集まろう」。再会を約し。学員会館から御茶ノ水駅までの上り坂がこたえる。そう、冨坂の上りもきつかった。4年間、そこが上り坂であったことを覚えておらず。苦も無く上り下りしていたんでしょう。


駅の改札入ろうとして気付きました。切符が無い。買っておいた切符がどこにも見当たらない。やむおえず東京駅まで。新幹線窓口で買いなおし・・・。なんたることや。


きのう午前中は横浜の妙蓮寺で会社時代の先輩の告別式でした。渋谷駅の改札を切符で出た記憶はあるのですが、往復乗車券。大人の休日クラブで買った年寄り割引の日帰り往復一万円の切符。たぶん渋谷駅で取り忘れたかコートを脱いだり着たりして落としたか・・・・。


坂のきつさといい、切符紛失といい、年のせいにするしかない出来事の数々。最後の仕上げ。新幹線で寝込んでしまい、間もなく郡山ですーのアナウンスで目覚め、とりあえず乗り越しだけは避けられたのがまだサイワイ(笑)。


本日は多少疲れております(爆)。そして再会の興奮を未だ引きずっているのであります。最近、「昔の」集まりが増えました。みんな懐かしく集まります。誰しもそうなんでしょうか。みんなそれぞれ「残日録」をつけはじめようとしているのでしょうか・・・。



2009年1月17日土曜日

飢え死に・・・・

大阪のマンションで49歳の男性が餓死していた・・・・。元派遣社員であったと書かれています。いま、派遣切りという言葉が連日使われている折。ついに餓死者なのか・・・。暗澹たる思いです。


餓死者の数は平成16年は68人。。17年は77人。厚労省の把握している数。飽食の時代にでもあったということ。


今も考えようによっては飽食の時代です。賞味期限が切れた食品は惜しげもなく棄てられています。残飯も棄てられています。


いくら収入が無いからと言って「餓死」という道を選択するとは・・・。


二年前にも北九州でありました。おにぎりを食べたいと言って死んだ人の話が。生活保護を受けられず。


大阪の人は実家もあったようです。家族、友人もいたのではないでしょうか。餓死。いわば自死、自殺というべきなのでしょうか。失業者は増え続けています。失業者の人ほど自死者は多いようです。ホームレスには少ないとか。仕事を失うと言うことはその人の全ての尊厳、プライド、生きて行く事への意欲・・・すべての気力を失わさせてしまうということなのでしょうか。


「派遣切り」にあった人の犯罪も伝えられます。万引きなども含めて。衣食足らざれば礼節はおろか「生」をも放棄するということなのでしょうか。


食べるものはあるのです。食べる方途はあるはずです。糊口をしのぐ術はまだ残されているはずです。大天災、大飢饉が起きているわけでも無く。


自らが選んだ死に方なんでしょうが・・・・。餓死。あまりにも悲しい死に方だと。


折しも直木賞に選ばれた作品。天堂荒太の「悼む人」。だれがどのようにしてこの人の死を悼んであげればいいのか・・・。餓死者を悼んで歩いて回る人はいるのか。


餓死という選択は"無言"の現代社会への抗議なのか・・・・。暗澹たる気持ちであり・・・。



2009年1月16日金曜日

雪の日にはジャズが似合う


郡山はこのところ連日雪模様。降ったりやんだり積もったり・・・。きようは目下マイナス1度。お寒くゴザンス。


今、I?TUNEのラジオを聴いています。当店のBGMはもっぱらI?TUNE。無料だし、CDかけ直す手間もいらない。時々英語のおしゃべりが入るのさえ我慢すれば。


いつもは大体クラシックを流しているんですが、このところジャズなんです。いや、もともとはジャズ大好き人間。レコードのコレクションもそれなりにあったのですが。いまそのレコードはサトシ邸に居候中(笑)。なにせ昔ジャズ青年。真剣に向き合って聴くって教えを受けていたので。BGMはよろしくないと勝手に決めておりました。夜中の酒のお供はOKだとか勝手にパターン化して。


近くの喫茶店。ジャズのお店。先日も雪の降る中お邪魔。暖炉に薪がくべられ、赤々と火が燃え。コーヒーを飲みながらのジャズ。もうたまらない時間です。申し訳ないくらい至福の時。雪の暖炉とコーヒーとジャズ。贅沢であります。それに触発されてしまいました。I?TUNEをジャズに切り替え。当店はジャズで満ちています。


友人の出光くん。彼のブログに時々音楽のうんちくが。なんと、もういい年してるくせに若者風のジャンルを見つけてくる。


ちょっと浮気。electronicのdeepinsideってとこへのお誘い。覗いてみたらけっこう楽しめる。おすすめ曲がgypsy woman♪。うんうん、亭主もまだ若い(笑)。彼は前にはambientって"サイト"を薦めてくれていたんですが。BGM用に。


ちょっと覗いてまたジャズに戻って・・・・。表は晴れ間は出てきたものの雪の残滓ありあり。やっと暖まって来た部屋でジャズ、ジャズ、ジャストジャズ。のめりこんでしまうと原稿が書けない(笑)。きょうが締め切り・・・・。のはず。


なぜか音の聞こえ具合がおかしい。スピーカーが変。PCの後ろのスピーカー触ってみたら片方の線が抜けてました(爆)。あらら。復帰。


かくしてもっか当店一応営業中なり。



2009年1月15日木曜日

無駄遣いの強要じゃありませんか

天下の愚策「定額給付金」。第二次補正予算の衆院通過で現実味を帯びてきました。年度内には間に合わないでしょうが、与党の強引な国会運営で4月頃には日の目を見る。支給されることになるでしょう。何にもしないで棚からぼた餅が落ちてくる・・・。


自民党の国会議員の大半はそれを貰うという。そして、自分の金を足してどんどん消費に使うという。飛騨牛たべたり、焼き肉食べたり・・・。


あのですね。消費拡大すれば景気良くなる、物を買えば景気よくなる、どんどん金使えっていうなら、あなた方は立派な高額所得者。預貯金など資産を億の単位で持っている人も。税金で歳費貰っている人。いまさら1万2千円の税金から出されて給付金使うってことが美徳なんでしょうか。個人消費の拡大が景気浮揚につながるなら、1万2千円なんて"はした金"の言い訳にしないで、どんどん自分の金使えばいいじゃないですか。


物を買え、物を買え。生活に本当に必要な物を買うのが「消費」。なんでもいいから物を買えっていうのは究極の無駄遣いの強要なんではないですか。子供に節約・倹約なんて言えなくなる。


大多数の家庭にはほどほど必要なものは確保されている。無駄に物買って不要なものを狭い家の中に増やせってことかい。胃の腑を満たしてメタボになれってことかい(笑)。


政局より政策って声高に叫ぶけど、要は言い出しっぺの公明党への義理立て給付金。公明党との連立維持。これって政局なんじゃないですか。公明党の議員さん達は貰うのかどうか貰ってどうしようとするのか。メディアの伝え方は隔靴掻痒。見えてこない、聞こえてこない。まさか学会員に配った奴を"上納"させようってことじゃないでしょうな。(爆)。知り合いの学会員の方も言っていました。給付金貰わなくても十分暮らしていけるって。


国民に無駄遣いを強いる。国は税金をあらゆるところで無駄遣いしている。極めつけは無能な国会議員への歳費(爆)。無駄遣いの例は枚挙にいとまがない。税金は無駄に使われるものなのかって。政府与党のこころある人達はこの給付金が経済政策として有効だなんて思っていませんよ。長いもの、うるさい物に巻かれているだけ。


どう考えてもいっときの個人消費の拡大だけでこの不況から脱せる訳がない。自明の理なんですが。


基本的に年金暮らしの亭主。「節約すればどうにか食べていける。給付金貰ったら恵まれない人達に寄付しようかな」。家人はぼそっとつぶやいていました・・・・



2009年1月14日水曜日

消し忘れ


二日間の連休。人並みに。冷え込んだ寒気の中を事務所へ。「二日も空けていたから寒いだろうな。冷えているだろうな」。覚悟をしてカギを空けるとーーーー暖かい。・・・・・・。


久しぶりにやってしまいました。エアコンの消し忘れ。エアコンくん、誰も居ない部屋を無人の部屋を、その恩恵にあずかる人が誰もいないところを黙って働き続けていてくれたんですね。こころなしかエアコンくんも疲れた様子(笑)。


部屋の中は乾燥の極み。空気もよどんでいる。酸欠。空気入れ替えようとすると寒気が・・・。消し忘れ、付けっぱなしに愕然とし、空気の悪さもあって頭の中も混濁。しばし表で深呼吸・・・。


家ではコマメに電気を消し、倹約に努めているのに。全くの電気の無駄遣い。悔しさが募るのであります。無駄なCO2排出にもなっているだろうし。電気代がいくらになっているのか。不安でもあります。


おととい、一偶会で学んだ曽国藩の教え。曽国藩ー中国清代末期の軍人、政治家、文人。その教えにあった「おしなべて倹約を旨とすべし。怠惰につくなかれ、時を無駄にするなかれ」。ぐさっと突き刺さる言葉の数々。少し生活態度習慣を改めないとと思っていた矢先の消し忘れ。倹約が反古。


幸い石油ストーブや煙草の消し忘れでなく、火災には成りませんでしたが。あちこちで火災が頻発している昨今。この己の注意力散漫というかうっかりというか、その所行に落ち込むのであります。


「消す」。昨夜見ていたテレビのクイズ番組。さんずいの字を出来るだけ多く書け。芸能人達けっこう書いていましたが、消という字はなかったような。彼らには「禁句、禁字」かも(爆)。



2009年1月11日日曜日

ガソリン価格の"怪"

馴染みのガソリンスタンドからメール。いわゆるメール会員っていうのに入っていて。お知らせが時々くるのです。


「10日、11日、12日は特別価格です。お早めに。レギュラー95円」。「12日以降は値上がりする可能性があります」とも。


ついに100円を切ったガソリン価格。つい半年前のあの値段はなんだったのか。190円はしてたはず。原油価格の高騰でガソリンだけでなく食品に至るまで値上げ、値上げだったのが。あの頃はまだ雇用不安なんていわれていなかった。生活防衛には車乗らないとか、買い控えするとか。


90円台になって"恩恵"はあまねくいきわたっているのか。値上げのままの物だってあるはず。


しかし・・・・。束の間の90円台。いった原油市場から手を引いた投機マネーがまたぞろ戻り始めているらしい。すでに地球の裏側では投機マネーが暗躍(笑)。またもや上昇傾向に。日本の市場にもこの投機屋さんたちが戻ってくるらしい。


需要と供給のバランスの上に成り立っているのではない原油価格。思惑で値上がり、値下がり。だから物の価値がわからなくなる。全てが一部の大金持ち、それも実態のわからない人たちを潤す。大多数の買う側は、その動向に反応しながら恐々としてるだけ。


まだ車の中には半分くらい残っているけど早速満タンにしにいかないと。ついでに灯油も。買いだめの出来る商品ではないけどなんでも安いうちに満たしておかないと。


灯油もだいぶ値下がりしていました。きっとまたこの冬中に上がるのでしょう。電気代と灯油代とどっちで暖をとればお得なのか。悩ましい冬なり(爆)。


見えざる手。それによって生活も大きく影響される。昔からこの分野は苦手。相場とか先物買いとかさっぱりわからないで来た身。物の価値が値段で決まる。その実態がいまだ解せない。


石油で高成長、高繁栄を遂げたドバイ。まさに幻想都市、バベルの塔。それも急速に失速中だとか。


とにかくガソリン入れてきます?。



2009年1月10日土曜日

永田町の流行歌

ネットでニュースを見ていたら面白いものに出会いました(笑)。


今、永田町で密かに歌われている替え歌だそうです。思わずコピー(爆)。


♪麻生版・あの日にかえりたい♪


 泣きながら ちぎった詔書を 手のひらに つなげてみるの
 根拠なき あの日の自信
 わけもなく 憎らしいのよ
 あのときの 高支持率を
 人はみな 忘れてしまう
 あの頃の私に戻って
 「
解散」と言いたい?

♪麻生版・時の過ぎゆくままに♪



 あなたはすっかり 疲れてしまい
 
解散さえも イヤだと泣いた
 壊れたマイクで いつもの演説
 繰り返しては ため息ついた
 時の過ぎ行くままに この身をまかせ
 紫の袱紗(ふくさ)が 漂いながら
 もしも袱紗が 出てくるならば
 議場の景色も 変わっていくだろう


 


いやいや、ユーミンもジュリーもびっくり。なんで麻生くんの替え歌に使われるんだって(爆)。作者は不明ということですが、選曲からして多分団塊の世代議員さんじゃないかと。議員さんってけっこうカラオケ好きだし。なにしろ日頃演説やヤジで喉鍛えているから。替え歌出来るあたり、まだまだ"お暇"な方々もおられるのか。


きょうは雪。東京でも初雪が観測されたとか。永田町冬景色。


ユーミンが流行った時代、ジュリーげ絶頂だった時代。どこか退廃的世相はあったものの、あの頃の政治はまだ少しは夢があったかな。みんな今よりはましだったかな、いや、同じだったかな。


文部省唱歌、童謡。♪雪♪


雪やこんこ、批判もこんこ 降っても降っても 一顧だにせず                                     太郎ははしゃいで我が道を行き 庶民はこたつで丸くなる


お粗末!!(爆)。



2009年1月9日金曜日

焼き肉食って景気刺激

いわゆる定額給付金をめぐってわけのわからない説明、言い訳が繰り出される昨今であります。


一人12,000円。総額2兆円。生活支援の社会政策なのか、消費刺激しての経済政策なのか。さっぱりわからないまま。所得制限有り無し。貰う貰わないでも二転三転。愚策、愚策。為政者の質が問われる。


ついに国のおっしゃるにはダレもが貰うことに。自民党の笹川総務会長曰く。「事務所の連中と話すとみな喜んでる。みんなで焼き肉食いに行こうって、あはは」。


言い出しっぺの麻生くんも貰うと言ったり貰わないと言ったり。生活支援ではなく景気刺激、消費刺激だと。あのですね。みんなで焼き肉食ってどこが景気刺激ってことになるんですかね。確かに焼き肉やさんとか、牛肉の卸元は儲かるかもしれないけど。それで終わり。


派遣切りで問題になっている業種。車、家電。12,000円の金ではもちろん車買えない。頭金にもならない。家電商品だって買えない。


構造不況業種、円高不況業種に金ぶちこまないと不況は脱せ無い。金を一律にばらまいてもとても消費刺激になんてなりっこない。国会議員もみんな貰おう。細田幹事長の?の一声。これはどう見ても発案した公明党への配慮。公明党の議員さんが皆おの定額給付金をもらうのかどうか。どうもはきりした声が聞こえてこない。公明党の発案は生活支援ではなかったかと。


2兆円という超大金。うまく使うか使わないかで国の命運を左右することにも。個人消費で景気刺激して経済回復っていうなら、麻生くん、まず自分の持ってる財産で普く業種の商品かってみたら。洋服屋さんと飲食店、ホテルにはだいぶ"貢献"してるようだけど。仮に給付金を国民が使って一時的に消費が増えたとしてもそれは景気回復にはつながらない。消費拡大には持続性ってものが必要なんですよ。


給付金ばらまいて票を稼ごうとした筈がどんどん票が離れて行ってる。そんな事先刻ご承知の筈なにの。なんでこんなにこだわるのか、さっぱりわからない。政策という名の無策。その存在の耐えられない愚かさ。



2009年1月8日木曜日

新年会につき・・・

昨夜は郡山のタウン誌「街こおりやま」の新年会。一念発起"和装"で出陣してみました。この新年会、例年年配の女性は和装が多く、なんとなく華やいだ雰囲気にあり。男性も仲間の弁護士センセイはいつも和装なので、彼に競う意味もあってつい和装に。一応自慢は祖母の形見の大島の羽織。


若い衆二人と会場へ。どうも他人の目には893さんに見えるらしい(爆)。本人は茶人を気取っているのに(爆)。やはり人相風体悪いんですかね。よって画像は非公開。ご希望の方には無料配信(爆)。しかし、たまに着物姿っていうのもいいんです。まず身が引き締まる思いがする。姿勢を正している。


どっかで悪友デビカルが見ていたのか聞きつけたのか。早速書き込み。「おい、爺さん七五三かい」って。コンチクショウ?。


素浪人は素浪人らしく着流しってのがよろしいかと思っただけなんですが。食べ物こぼさないようにして、トイレは面倒だし、2時間立っていたら疲れるし・・・。


突然、当店の常連さま登場。亭主サマらしいとお褒めあり。が・・・あらお久し振り!。なんか最近ご無沙汰だね。だって難しいことばかり書いてあるもん。あららゴメンなさい。


終わって若い衆と駅前の繁華街へ。おっとびっくり。ほとんど人がいない。出ていない。コート無しの着物姿。夜風が身に染みる。寒い。町の空気も。馴染みのお店で焼酎お湯割り。装いと飲み物に乖離あり(爆)。演歌歌えばいいいのについ若い衆との合意で陽水をにわかトリオで。


帰途、車の中から発見。本物の893の組長が歩いてくる。そうそう、やはり地回りしないと(笑)。つい窓をあけて呼び止めて。「あららとっちゃん、降りろよ。飲みいくべ」。とんでもない、とんでもない。七五三はおやすみの時間(爆)。組長さんのいでたち。ノースフェースのダウンジャケット。おいおい、稼業だろう。街中闊歩するなら松の内は紋付き羽織袴だぞ!。悪態ついたら組長曰く。「わしらの業界も不況だ・・・」。(爆)。



2009年1月7日水曜日

おーいつながれ。0120。

0120で始まるいわゆるフリーダイヤル。企業も公共機関も多用しているようです。このフリーダイヤルにかけた時は電話代はかからないって話なんですが、実はその真偽の程や、フルイーダイヤルの仕組みが解っていません。わかっているのは、いや、わかったのは、繋がりにくいということ。繋がっても面倒だということ。


今、あるカード会社に変更の手続きをしたく、送付されてきた書類に書かれた番号にかけているんですが。


呼び出し音が数回なったあと、「フリーダイヤルで係におつなぎしています」。例のテープに吹き込まれた女性の声。いわば機械音。しばらく鳴る音楽。やがてまた機械音。「お待たせしておりますが、ただいま混み合っています。このままお待ちになるか、あらためてお掛け直し下さい」。また音楽・・・・。きのうからずうっとこれをやっています。いくらかけてもつながりません。いくら待ってもつながりません。


この種の出来事、例えば信託会社だったり、保険会社だったり。とにかくつながり難い。そして繋がったあともまた面倒。用件によって数字と*印と#を何回も押して。機械に操られる人形みたいに。


NTTの116もそうでした。


慣れてないひとには音声ガイダンスによる操作って無理。例えば高齢者。断念する人も多分おられるでしょうね。その面倒さと煩雑さに怒りを覚えることもしばしば。送られてきた書類に普通の加入電話の番号があるとほっとします。が、その加入電話の番号書いてないところもけっこうあり。フリーダイヤルどころではない。IT関連企業では電話番号は無し。パソコンでしか用の足せない会社もあり。


いろんな電話にそれぞれ人がいちいち対応していたのでは「コスト」」がかかるということか。掛ける方へのサービスか。極めて変なものと思ってしまう時が。


フリーダイヤルでかかる、絶対すぐに繋がるのは通販会社(爆)。やはり人を大勢雇っているのかな。カード会社は不景気。で、電話番に雇った派遣を切ったのかな(爆)。


とにかく電話の向こうには肉声が欲しい。用件も多様。ちゃんとしたコミュニケーションが取れるのは「会話」だけ


0120=おーいツゥながれィ(爆)。



2009年1月6日火曜日

毒舌、辛口だそうで

一応本日から当店通常営業とさせていただきます。


皆様よろしくご贔屓の程を。


新年。各方面から電話、メール、賀状にてのご挨拶を戴き恐縮でした。有り難く。自宅と事務所に届けられた賀状の山に埋もれています。山といっても数百枚なんですが。


「年賀状は贈り物だと思う」。そんな昨年末の郵便局会社のCMに乗せられたわけでもなく、毎年苦吟する年賀状なんですが、貰ってみるとやはり嬉しい。一年に一回のやりとりの人もその消息、近況がわかり。若者はだいたい家族の写真。あらーーーこんなに大きくなった・・・。同年代以上の方はだいたい老後の過ごし方。それはそれで味わい深くあり。ぬくもりを感じながら拝受。懐かしい人からの便りまで。


メールや賀状に当店の事を書かれておられる方の多々ありで。嬉しいです。商売繁盛かなって(笑)。


「今年も辛口のコメント楽しみにしています」。「今年も毒舌を期待しています」。


え・・・・・そんなに亭主は辛口で毒舌家なんでしょうか(爆)。当たり前のことを当たり前に喋っている「つもり」なんですが(爆)。然らば、然らば、今年も毒舌貫かなくっちゃ(笑)。小心者には勇気が要るんですが(笑)。


きょうから世の中だいたい正常に動き出したみたいで。世間の話題はほとんど去年からの積み残しの懸案ばかり。雇用問題始め・・・。


東証は9千円台回復。明るいと思う向きもおありでしょうが所詮ご祝儀相場かと。国会。テレビニュースでは激しい攻防とか与野党激突とか言葉だけが踊って居る感否めず。


    何となく今年はよい事あるごとし 元日の朝晴れて風なく(啄木)


今日はまさに啄木の読んだ元日の気候。今の時代に彼が生きていても同じ歌を詠んだかどうか。


「太陽さえあれば生きていられる」。誰かが書いていました。雨の中でも風の中でも寒さ冷たさの中でも人は生きていかねばならない。


はてさて、来年も賀状が出せるようにこの一年を送らねば(爆)。とにかくよろしくお願いします。



2009年1月3日土曜日

酔いて候

お客さま各位。


謹賀新年でごじゃります。冬眠中だったのですが・・・・ふと目覚め。気が付いたら単なるヨッパライにへんし?んっ ?(0\0)ゝ。


年末。紅白歌合戦。良かったのは平原綾香のノクターンだけ。森くん、古い歌ひっさげてくんなよ。


元日。新聞各紙見る読むところ無く。


テレビはどうしようもなくつまらない番組垂れ流しており。


まさにメディアは世紀末かと。


怒りシンントウ。


かろうじてBSだけが古いけれど多少見られる番組かなって。


犬に起こされ、走らされ・・・・。寒さが骨身にこたえ・・・・。とは言うものの・・・・90歳まで生きてやる。嫌われもんになってやる。


年賀状の束と格闘し・・・・。眼が、眼がああああ。霞んできて。


賀状の中に教えられる一通。70歳を越した元田中角栄秘書の女性からの達筆な筆字。もともと下手な書道家はだし。


「老化」してますが、化に草冠をつけてみました。「老花」になっていました・・・・」と。今年の秀逸な賀状でした。


亭主ももう少し冬眠し化を花にしようと。


今年もよろしくお願いします。酔ったゆえまたしばし穴篭もりにて。


今年も世情を憂うことしきりかと存知ます。


新年早々あらゆる通信手段を駆使してのご挨拶にて。



“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...