2007年11月2日金曜日

遮断された日常

今朝ー。事務所へ。いつもの日常の始まり・・・のはずだったんですがーー。

届いていたFAX数枚に目を通し、早速返信。パソコン立ち上げ。しばし・・。どうもおかしい。グーグルのガジェットが読み込まれない。嫌な予感。メール,インターネット、つながらない。エラー、エラー。この道の手練れに電話。ヘルプミー。

奥の手。電源引っこ抜いて、しばらく待ってからやりなおし。それをやってもダメ。ルーターのランプが付かないとこ数カ所。パソコンの設定をやり直してみたり、あらゆる方策。ルーターは無反応。ルーターの故障ではないか・・。NTTに電話。とおもいきや、電話もつながらない。そりゃそうだ。ルーターがダメなんだから。携帯でNTTと交信。いおいろ試してもダメ。「やはりルーターが不具合なんでしょうね。午後に伺います」。って回答。さあ、ここで日常が完全に遮断されてしまいました。パニックとまではいかないけど、何も出来ない。いつもつながっているものがつながらない。これって"最悪"なんです。

覚悟を決めて無為の時間を過ごすこと5時間。パソコンがつながっていなくてもやれること、やることはあるんですが、もう、そんな気持ちの切り替えが出来ない。本を読んで待っていました。NTTを待っていました。本は「暴走老人!」。要は怒る老人と待つ、待たされるという時間の相互関係。完読していませんが。「待つ」という行為が他人に強要された時、人は怒りに変わるとか。

やっとNTTから電話が入りました。「すいません、調べてみたら回線が不調だったようです。もう一回電源入れて試していただけませんか」。ルーターの電源入れると、なんと「復活」なんです。この待たされた、待っていた時間はなんだったんだい!。怒りの感情よりもつながってという安堵が先に来てしまい・・・。ちょこっと文句を言いましたが、電話の相手の誠実さもあったんでしょうか、「暴走老人」になりきれませんでした。

それにしても、このネット社会。パソコンという代物。回線がつながらないっていうだけで、単なるワープロか音楽プレーヤーだけになってしまう。そして、毎日、それに依存していた人は、完全に日常が遮断された状態になる。う?ん、落とし穴ですな。"被害者"になってあらためて実感。一時的にではあるにしても、ちとパニック的になった数時間。落ち着かない数時間。すっかり狂ってしまったきょうの予定・・・。疲労感だけ引きずっております(笑)。



“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...