2011年8月31日水曜日

避難ペット、その後・・・

久しぶりにゲンキ君を連れて近くの動物病院へ。いつもの口内炎の治療。
病院は滅多にないような混みよう。犬から猫からウサギまで。

ノミ・ダニの治療してもらった子や体調不良の子。入院犬も。

患者さんの多くが近くの避難所にいる避難ペットだそうです。仮設の家族含めて。

その避難所ビッグパレットが今日で閉鎖。遠くの仮設に行く人が“最後”の診療に。ペット置き場に居た子達は概ね体調不良です。感染症を患っています。
そして仮設にいるペットたちもノミやダニに悩まされているとか。建物の中にアリまでが侵入してくる現状。ペット達の罹患率も高いというわけです。

「避難してきたペットたちの扱いを県の獣医師会に任せてくれればいろんな対策とれるんだけど県の規制というか、許可というか、なんでも指示に従えと厳しくて。預かっている犬も“里親”出来たんだけど、県から“移動禁止”を言われる始末で」。先生が“窮状”の一端を聞かせてくれました。

薬を貰い、飲ませ方を懇切丁寧の教えてもらい「いわき」ナンバーの車が去って行きました。

遠くの仮設に行く犬も。近くの仮設に入っている犬も。ネコも。ケージの中で暮らしながら何を思っているのでしょうか。

震災、原発被災を知らずに去年逝った澪。キーボードの前に置かれた澪の写真。「どうにかしてやってよ」と訴えるような目でみています。

そうなんです。ビッグパレットは今日で閉鎖なんです。各地の避難所も閉鎖になるところが多い。月日だけは完全に移っているのです。

ビッグパレットに設けられていた自衛隊の風呂も今日で終わりです。自衛隊も撤収していきます。
仮設に入ってからも「慣れ親しんだ」自衛隊の風呂がいいと通っていた近くの仮設の“住民”もいました。広い湯船に浸かりながら顔見知りと“温泉談義”が出来たからでしょうか。

ビッグパレットはさすがにがらがらでした。あの3月末頃のあの喧騒と人、人、人で溢れていた“光景”。炊き出しに並んでいた行列。そして人とのふれあい。
思い出したくはありませんが、一種の“懐かしさ”があります。暮らしていた人たちには失礼な言い方かもしれませんが。

ビッグパレットには臨時のFM局が作られていました。避難所は閉鎖になっても、仮設の人たちは、そのFM局の存続を望んでいます。さまざまな「情報」を伝えてくれていたラジオ局。

終戦後、しばらくしてから。ノミ・シラミを退治すると言ってDDTの白い粉をふりかけられ、ラジオから流れてくる進駐軍向けの音楽に耳を傾けていた光景がふと蘇ってくる・・・。

2011年8月30日火曜日

”どじょう”海へ出る

なぜか亭主の若い頃のあだ名は「どじょう」でした。別にのらりくらりしていた訳では無く。新入社員の頃に行った職場の旅行。そこで先輩に付けられたあだ名。いつしか社内外に広がり(笑)。

先輩のひとりは「どぜふ」とも言った。みんながどじょう。どじょうを連発するので、知らない人は本名かと思い、「どじょうさんて土城って書くんですか」と聞かれる始末。

今もテレビに出ている新聞記者。何かで電話したら「あの、どじょうさん?」って言われた。

懐かしい往時のあだ名。

95代総理大臣になった野田佳彦が自らをどじょうになぞらえていた。もしかしたら「泥鰌宰相」なんて呼び名がついたりして。

相田みつをの言葉を“引用”しての自称。「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」。「ドジョウにはドジョウの持ち味がある。金魚のまねをしてもできない。泥臭く、国民のために汗をかいて働いて、政治を前進させる。ドジョウの政治をとことんやり抜きたい」と言っていた。

相田みつをは好きではないけれど、どこか納得。おい、“兄弟”と(笑)。
亭主も金魚に憧れたことはあったかもしれないが、真似したことなかった。どっか泥臭く生きてきような気がする。

政策のプライオリティーの最初に、震災復旧。原発収束を挙げた。少なくても今、福島県が困ったいる最大のことは土壌汚染。

“どじょう”による土壌対策。果たしてやれるのかどうか。

泥鰌海に出る。大変ですよ。ズル賢い金魚や毒をもった魚達がいる。

君が育った泥地は汚れに汚れているよ。早く河清を図らねば。澄んだ川に出来るかな。
君の棲むところには相変わらず変な金魚がまだ威張っている。
その金魚たちは自分たちの終焉が来ていることを認めない。

首班指名。小沢くん1票。海江田くん1票。白票1。なんだいこりゃ。まさか本人ではないだろうが、たぶん“挙党一致”は無理なのかも。

どじょう宰相よ。玉子には気を付けようね。柳川にされて食われないように気をつけようね。

2・3位連合による「逆転劇」。どっかホッとしているメダカのような民草もいる。

2011年8月29日月曜日

「怒ること」を忘れまい

フェイスブックで“再会”した大学時代の後輩からメッセージが寄せられました。「からから亭日乗は毎日拝見していますが、だいぶ興奮されているようで、怒っておられるようで心配です」と。興奮してませんよ。冷静ですよ。おにぎろクン。怒っているだけです。静かな怒りに日々満ちているだけです。

数日前に読んだ被災者の言葉。南相馬市の72歳の女性。「家は無事だったが警戒区域内にあった。避難所は7か所目。今も段ボールで囲んだ8畳ほどで寝起きしている。四国の親戚が来いというけど、先祖が守ってきた田んぼがあるから離れることはできない。終戦の時は6歳。空襲で逃げ回った。どんなに苦しい状況でもへっちゃらだけど自宅に帰るだけで罰せられるなんて我慢出来ない。
東北人は辛抱強いといわれているけれど、内心では怒っている・・・」。

東北人は我慢強い、辛抱強い。雪国の人は我慢強い。別に我慢強くも辛抱強くも無い。雪の中ではじっとしているしかないからそうしてるだけ。

都会の人間が勝手に貼ったレッテル。それを皆が言うことで東北の人間もそう思わされてきた。思いこんでしまった。辛抱強い、我慢強いという認識の中に囲い込んでしまっている。九州の人間は喧嘩早いとか関西の人間は金にこだわるとか。イメージを作ってしまう国。

東北人は皆、それこそ内心では怒っているのです。笑顔だ美談だと話題はメディアがいっぱい作るけど、本心は怒っているはず。

かつて歴史の中でも東北の農民一揆があったように、内心の殻を打ち破って表に向かって行動する時が来るかもしれない。いや、もう怒りの心を持って立ちあがるべき時なのかも。

原発事故。立地地域に多少の恩恵はあったかもしれないが、それとこれとは別。あまりにも多くの犠牲を強いられ過ぎている。

たしかに農民が行った。酪農家が行った。子を持つ親達が行った。東電へ抗議に。東電はもとより、政府もどこもあの程度の「抗議行動」なんて屁とも思ってないだろう。

民衆の怒りによって塗り替えられたことは歴史にいくらでもある。先進国と言われる英国でも民衆の怒りは、暴動という言葉に置き換えられたとしても、政府に大きな打撃を与えた。ギリシャでも然り。シリアでも然り。

日米安保条約。その批准時や改定時には国会を多数の民衆が取り囲んだ。ゲバ棒なんてものが登場しなかった時代。何も武器を持たずに民衆は怒りの矛先を権力に向け、立ち向かった。条約は締結されたが政権は倒れた。

全共闘が生まれ、安田講堂事件があり、浅間山荘事件があり、その時代が終焉を迎え、日本人は、かりそめの、中味の無い「平和」、いや「平和感」だけをつかんだ。小さな、ささやかな、思い込みだけの平和に身を置いているうちに、日本人は「怒る」ことを忘れた。

一冊の本が書けるくらいに、「怒り」についての考えがめぐる。かけめぐっている。

団結。労働組合の腕章だけの文言ではない。サッカーチームの勝利へのスピリットでもない。

東北人よ、福島県人よ。団結して怒りをぶつけ、爆発させてもいいのではないか。その時なのではないだろうか。少なくとも、もっと、もっと怒りの感情を吐露してもいいのではないか。

安保反対運動が、いつしか、燎原の火のごとく日本全国に広まったのと同じように、今の無策で無責任で自己保身だけに明けくれる国家権力に対する怒りの声が全国に満ち満ちないだろうか。

怒りの声が「国政選挙」にだけしか反映されない民主主義って、本当に是なるものなのだろうか。
二日前の菅発言に接し、数合わせに奔走している民主党議員を見るにつけ、何でもハンタイだけ言っている野党を見るにつけ、さまざまな怒りが交錯してくる。「怒ること」を忘れては進歩はないのかもしれない。

テレビのニュース。「夏休み最後の日曜日、子供達は・・・」とやっている。東北ではもうとっくに夏休みは終わり。新学期が始まっている。自分達の日常の感覚で全国ニュースを伝えて恥じない、いや、身近なことしか知らないメディア人達。

差別だ、隔離だ、棄民だ。そんな言葉は使いたくも無いが。

間もなく民主党の新代表が決まり総理大臣になる。これらの中の誰かには「命運」を託さねばならない。そこになんの希望も感じられない。

2011年8月28日日曜日

去りゆく者がなお吐く戯言

なぜ、明日にも「ただの人」になる総理大臣が、去り際の最後っ屁じゃないけれど、とんでもない事を言ってくれるのか。福島県民を絶望させ、まるで疫病神のように隔離させるようなことを言うのだろうか。
わざわざ福島にとんぼ返りで来て。

原発周辺では長期間住めない地域が生じる。まさにチェルノブイリ化だと。
汚染土壌は県内に留め置き、中間貯蔵施設を作って欲しい。

馬鹿にするなよな。

これって政府の正式な考え、方針なのか。菅のまたもや思いつきなのか。原発担当大臣がその前に言っていたことと違う。

相変わらず具体的なことは言わず。中間という期間も示されず。

きのう福島県知事と面談して言った言葉。その前に開かれていた「復興再生協議会」では一言も発せず。会議にはほとんど飛び入り状態。朝から福島入りしていればその会議にも十分な時間をとって出席出来ていたはず。

佐藤雄平(県知事)との会談はセレモニーだったのかも。

原発周辺住民は、一時帰宅した感触も踏まえて、もうここには住めないだろうと大半が思っていた。しかし、その「宣告」はキチンとした国の意思で、しかもその後の在り方含めて納得いく形で示して欲しかった。

キチンとした場で、それなりの人達の前で。ドサクサまぎれの知事だけへの「通告」。

これからこの国の政治をあずかるものが責任を持った発言じゃない。辞めるひとが根本的問題を言う。
自分が言ってしまえば、次期政権への追及は少なくなると踏んだのか。次期政権を困らせてやろうって魂胆で、勝手に中間貯蔵なんて言ったのか。

とにかくやることなすことが卑屈で卑怯。

「なんですか、これは、突然の話ではないですか、非常に困惑しています」。知事の言葉も戴けない。内々知っていた中での「猿芝居」のようにも見える。

政治には常に「裏」がある。

「裏」のためにはそれを見ぬけない普通の県民のことなど配慮の外かも。

じゃ、誰がなるにせよ、次期政権がこの「菅発言」を踏襲して履行するのか。

確たる見通しも展望も示されないまま、もう、ふりまわされるのはこりごりだ。

菅はこの期に及んで福島に何をしに来たんだろう。マスコミは事前に「陳謝」と言っていたけれど、陳謝の言葉などかき消すくらいのとんでもない事を言ってくれ。東京に帰って「チュエルノブイリ」の映画観賞。しゃれにもなんないよ。

菅主導による「汚染物質、汚染土壌」県内留め置き作戦。福島県隔離作戦。

県民は忘れない。この男にどれだけ痛めつけられたのかを。

「たまたまこの時期に、この首相と、この知事の時に、我々はこの地に居てしまった。そう思うしかないよね」。市議選の出陣式で亭主の脇にいたおじさんが諦め顔で喋っていた・・・。

2011年8月27日土曜日

帰れるのか帰れないのか

郡山のビッグパレットに避難してきている、いた、富岡町の人達。臨時の町役場はビッグパレット内。川内村と並んだプレハブ。

役場の職員に今年4月に採用されて若者もいます。富岡の仮設は何百戸単位で郡山市内や隣の大玉村に分散して建てられており。役場も今年中には郡山市内に仮庁舎を建設だとか。

若い職員さんたち。御苦労な日々。その数名と「慰労会」に参加させてもらいました。いろんな話が聞けました。いろんな話を聞きたがっていました。

亭主が気になっていたことの一つ。郡山に避難してきてよかったと思っているかどうか。「良くしてもらいました。本心から郡山でよかったと思っています」と。いまだ着の身着のままの人もいました。

酔うほどに本音。政治への不信。政権への不信。リーダー格の人に聞かれました。「もし、総理大臣が田中角栄だったらどうしたでしょうかね」。

強い国のリーダーシップを期待してるのか。田中政治は知らないであろう世代なのに。

いつ帰れるのか。彼らも全く見通しは持っていません。持てない。仕方ないことです。

「ふるさと」という言葉が出ました。「景色としての故郷の思い出や懐かしさはあるだろうが、あなた方は、今、自分達が立っているところで両足を踏ん張り、そこをふるさとだと思って仕事しないと」。有る意味“無責任”とも思える亭主の言葉に目を潤ませながら聞き入ってくれ、固い握手を交わしました。

「お客様からのクレーム対応で一日が終わります」。お客様。つまり町民。役場の人達の苦労が少しはわかりました。

「自分達だけで固まっていたのではダメだと思うんです。外にも目を向けないと」。住民はもとより役場の人間だって人生設計が描けない。

きのう原発3キロ圏内の一時帰宅がありました。平均4マイクロシーベルトだったとか。滞在時間2時間。みんな気にする位牌や先祖、家族の写真。火事場泥棒にやられて惨憺たる有様になっている住居。170人の人には170の「短い物語」が出来、やがて「長い物語」となって紡がれていく・・・。

「やはり帰りたい」そういう人もいれば「現状をこの目で見て、もう帰ってこられないと確信した」という人まで。

丹精込めて手入れをしていた庭の花に、まだ枯れずにいた花に持って来たペットボトルの水をあげて来たとか。生きていたペットに大量の餌をあげてくることしかできなかったと涙で語る人とか。

帰らるのか帰れないのか。

自分達の意思とは全く無関係に「政策」としてしか結論らしきものがだされないであろう人生の分岐点。道しるべの無い人生行路。

あらためて感じさせられる故郷への思い。感情。

秋風の気配が強くなってきました。さまよえる避難民。それぞれがそれぞれの思いを抱きながら過ごすきょう一日・・・。

どうしても「うつろ」にしか見えない民主党代表選。

2011年8月26日金曜日

「政治不信」を作ったのはメディアだ

菅が今日正式に退陣を表明した。一年二ヶ月。やはり短命でした。そしてよくもったもんだ。
「歌手一年、総理二年の使い捨て」。故竹下 が好んで使った名言。
彼独特の戯言。「10年経ったら竹下さん」という戯れ歌から始まって、使いしての戯言。自らの“軽量”を推し量っての言だったのか。そうはならないという戒めだったのか。そしてもう一つの名言。だれかの受け売りだったけど。「総理大臣になった途端に辞め時のことを考えておかなければないらない」とも。

中曽根政権以降、長続きした政権はあったのか。小泉純一郎だけ。あとはもう覚えていないくらいにコロコロ替わるこの国の「リーダー」。

ほとんどが資質の無さのなせる業かと。

郡山ではまもなく市議会議員選挙がはじまります。候補者から電話がありました。「もう選挙にならないです。こんな時期になんで選挙なんだって声から始まって、ものすごい政治不信。政治には何も期待してないって声ばかり」と。

オバカなテレビがまたまたやっている次期首相の人気調査。今、名乗りをあげている人の中から街頭でインタビュー。断然前原人気。しかし、それの上を行ったのが「誰もいない」。

マスコミがメディアがこぞって菅退陣の論調はってはや半年近く。辞めることが決まると一転。「ころころ替わる指導者。国際社会は日本を信用していない。国債の格付け評価が下がるのも首相がしょっちゅう変わるせい」と。辞めろ、辞めろと言っておいて、今度は変わることでの国難を憂うる。

どうしようって言うんだい。それに対しての明快な論調は無し。世論調査の在り方含め、政治不信を作っているのはメディア。政治を動かしているような気になってさえいる。

菅が辞めることで赤字公債法は成立した。いくばくかの復興資金は生まれる。しかし言ってみれば砂漠の水。
再生エネルギー法。成立しらから即、脱原発になるわけでもなし。新たな亀裂を生む可能性だってあり。
まだ数日は続く「政局報道」。小沢の“神格化”。何を言っても解散したい自民。

紙面や時間を使っての政局報道。東北の牛が出荷OKになったとか、放射線量の基準値が決まったとか。そんな動きは見過ごすばかりに小さな扱い。
原発3キロ圏内の一時帰宅も行われている。たぶん扱いは政局の片隅。

きょうの東京電力福島第一原子力発電所では、どんな作業が行われているのだろう。収束に向けて何か一歩でも進んだのか。そうではないのか。そんな報道は全く見られなくなった。

何かが起きないと報道しないメディア。

「この国は終わりだね」。ぼそっとつぶやく市井の素人の感想が一番この世を言い当てている。民主党の党内勢力図や相関図をいくら解説しても、被災者には何の意味も持たないんです。

2011年8月25日木曜日

5万人が消えた地

大震災、原発爆発、放射能汚染・・・。ほとんで何も解決していない。
そして福島県からは5万人の人が消えた。消えたというのは失礼かもしれない。避難、疎開と言うべきだろうが。
とにかく福島県の住民であった人たち。過去形でかたらねばならない人たち。
津波で家を無くして県外に出た人もいるだろう。高線量で避難を強要され県外に出た人もいるだろう。
でも、多くは「被曝」をおそれての避難、疎開。「こんな汚い空気の中に住めると思ってんの」。そんな言葉を吐きつけ海外に行った生粋の郡山人。繁華街を闊歩していた男。別に責める気は更々ありませんが。その人それぞれの価値観、生き方。

200万人の人口だった福島県。そこから5万人がいなくなる。人が集まるところに街は栄え、人が居なくなった街は衰退の一歩をたどる。

経済活動は滞り、消費も減少し、明日の担い手もいなくなる。やがて日本一の貧乏県、過疎の県になるかも。

今日から大部分の小中学校は新学期。小中学生は1万4千人居なくなったという。学校一つをとれば約50人の減とか。

久々にあった友達と子供たちは何を話すのか。学校で語れる「夏休みの思い出」は何を語るのか。

おおかたの子は言う。「表で遊べなかったし、プールにも行けなかったのでつまらなかった」。そう語る子供たちの胸にはガラスバッジと称する積算放射能測定器具。ガラスバッジにしか頼れない親。

校庭で遊べない、走り回れない。そんな子供たちに健康面で、精神面でどんあ影響がでるのか。確実に素人の亭主でも言える。発育に大きな影響あると。もしかしたら“汚染”による影響の比ではないような。

「子供は社会が育てるもの」。民主党のマニフェストなるもの、まやかしの公約にはそう書かれていた。そして何万円もの子ども手当を配るとした。その子供たちが“放置”されているような。
すでにしてメディアの目下の最大の関心事は政局。そして島田紳助のヤクザとの交流。紙面の多数は政局割かれ、テレビは紳助話にうつつを抜かす。

なぜか「救世主はあなただ」といわんばかりに小沢一郎をキーパーソンと位置づけ、小沢史観を再燃させる朝日新聞。そして笑えた。社説に紳助が登場。「紳助さん引退―どうみてもアウトだ」。

今、苦しみ悩む人たちを思い、主張すべき、論陣を張るべきことは多々ありと思うのに。

どっかにだれかが書いていた。「やはり日本は何も変わっていないのだ」と。

“弱者”である子供たちは政権獲得のための道具に使われ、今や、ある意味、見捨てられようとしている。

朝日新聞は「最後まで仕事をあきらめない」と菅を持ち上げる。図に乗った菅は毎夜慰労会と称する宴会へ。自慢話にでもふけっているのか。

新学期を前にして、たまたま“当選”した遠くの県の子供キャンプ。「学校で友達とも会いたいけど、休んで遊んでくる」。近所の子供がそう言ってきた。小学校の兄妹二人だけでバスに乗って。「そうか・・・行っておいで。思いっきり遊んでおいで」。そうとしか声をかけられなかった亭主。

宿題をやってこなかった。先生に怒られる。それだけが気がかりだったずっと昔の亭主の始業式。

2011年8月24日水曜日

解散総選挙のすすめ

多くの大人たちが、この時期に、政局ごっこにウツツを抜かしている。バカバカしいというか滑稽というか。憤慨というか。

もちろん亭主も「菅退陣」を激しく迫った身。菅のあとはどうなるか、どうすべきかについてはいろいろ考えていましたが。菅以外なら誰でもって思いもあったし、民主党はもうすこしまともにやってくるだろうと思っていましたが。

新聞各紙は無様。菅辞任を迫っておいて、脱原発を言い始めたらなんとなく菅支持のようなところも表れ。
挙句、候補者が乱立してくると「軽量」とこき下ろし。数合わせの政局のお先棒担ぎ。そして相も変わらぬ「小沢評価」。軽量じゃない人って誰?小沢か仙谷なのか。

候補者と称する人たちは時折震災復興を口にするけど、何をどうするって話があるでは無く。
前原立候補となると騒ぎ出す自民党。外国人献金問題持ち出し。いつまで「政局」「泥仕合」をやってればいいのか。

ネットメディアと称する人たちの中には、フリージャーナリストと称する人たちの中には小沢信奉者多し。

誰も彼も、立候補者は小沢詣で。小沢の高笑いが聞こえる。小沢は田中角栄を真似た「闇将軍」なのか。そんな器か。

脱小沢か親小沢かが時期首相を決める鍵。ふざけないでよ。

もう民主党はトッチンバラバラ。政党の体を為して無い。民主党解党のすすめ。ガキまでもが勝手に言いたい放題。

自民党はもっとガキ。なんでもかんでもいわばイチャモン。

でね、きのうはっきり辞めるって言ったらしいけど。菅さん。最後の、いや一生に一度の大仕事してみれば。

そう「死んだふり解散」。

民主は割れる。少なくとも小沢・反小沢に。
自民も割れるはず。「解散」については嘘ついていいという政界の不文律あり。どうせいままで散々“嘘”ついて来たんじゃないかい菅さんよ。

どうせ政治空白は続いていたのだし、仮に前原が総理になっても政治空白は続くのだから。今の人たちじゃダメなんですよ。

政界再編。今の民主や自民ではない人を総理に担ぐっていう、本当に力のある人にやってもらう。じゃないにしてもガラガラポンやれば怨念も何も一応へゼロからのスタート。

永田町壊滅。それが日本を救う道だと。きょうも「暴論」かな。

2011年8月23日火曜日

やはり美味い福島の桃

先日桃が届きました。贈られてきました。福島の伊達の桃。
旧知の若夫婦からの贈り物です。亭主が“現役”でなくなってからも毎年送ってくれている桃。亭主にとって最高品質の桃。送ってくれた彼の実家は桃農家です。

過日、その彼と街中でぱったり遭遇。もう6年ぶりか。顔を見るのは。思わずい声を掛ける。「久しぶりだな、ちょっと一杯やろう」「嬉しいっす」。

またたく間に空いていくボトル(笑)。

「どうだい、実家は。桃作ってるかい。今年も食べたいな」。「結構悩んでいるようです。先行きわからないし。でも作っているようですが」。

会社の話し聞いたり、昔話で盛り上がったり。再会を約して。

その桃が届いたのです。早速賞味。「美味い!!」。その一語。ゲンキ君もすかさず参加、もっともっとのおねだり。

いつも貰っている桃だけど今年の味はまた格別。“友情”が込められている。ここまで育てた実家の労苦がわかる。味に気持ちまでが伝わる。

たしかどっかのネットかツイッターで見た話し。匿名闇社会。真偽の程は不明ですが。

都会のある家に福島県産の桃が送られてきたとか。箱を開けて子供は桃を手にしてはしゃいでいる。止めに入る母親。「こんな時に、汚染されているかもしれない桃を送ってくるなんてどういう神経してるの」。送り主を“罵倒”。
びっくりした子供は桃を放り出し、「放射能が移る」と言って傍から離れたと。

真偽はわかりません。でも、ありそうな話し。もし架空、創作の話なら、彷彿とさせる東海テレビのセシウムくん話し。
“心の汚染”が広がっています。

亭主は弟と妹にお盆の時期、墓守のお礼の意味も込めて福島県産の米と野菜を送りました。皆、喜んでくれていたようです。あの天才「回文」くんもトマトにかぶりついていたとか。

福島県産の桃。市場に出回ってはいるものの価格は暴落しているとか。桃農家の経営を圧迫。続けられるかどうかの瀬戸際だとか。東京のアンテナショップやイベント会場で桃の販売に意を注いでいる。喜んで買っていってくれる人もいれば素通りする人もいる。

天皇陛下に献上される福島の桃。たぶん召し上がったことと思う。

三陸で始まっている「ファンド」による漁業や地場産業の支援。福島の桃農家を支援するために始めましょうよ。「桃ファンド」。集めた資金でますは徹底的に土壌を除染。国や県はあてにならない。民間で支援しよう。

ファンドに投資すれば来年か再来年には美味しい桃が届きますよ。

まだファンド立ち上げって機運は生まれてないようだけど。

亭主が主宰する塾。塾生の一人に須賀川の桃農家の娘がいます。実家のことを気にしています。

おい、塾生。桃持って来いよな。みんなでひと切れづつ食べよう。幸せ感を分かち合おう。福島の桃は美味い!!

2011年8月22日月曜日

"暫定”に支配される国

「放射性セシュウム検出」。連日新聞、テレビはなんとなく大仰に伝える。最近では米、収穫予定の田んぼの稲穂、栃木県の鉾田市。堆肥は岐阜県。栃木の腐葉土。堺のプールの脇の落ち葉。

もはや“汚染列島”。セシュウムというだけで大騒ぎの神経過敏な国。そしてメディアは言う。専門家によると健康に影響は無い・・・。しかし、もはやだれもその付け足しのようなコメントを信用しなくなってしまった。

国の定めた暫定基準値を上回った。下回っている・・・。なんとかベクレル。なんとかマイクロシーベルト。

数字に振り回される日々。

いつまで経っても判断の基準になっているのかなっていないのか。数字は「暫定」のまま。

暫定。本式に決定せず、しばらくそれで定めること。臨時の措置と辞書にはある。たとえばICRPでもどこでも。まさに押取刀で決めた暫定基準値。それがすべての基準。

危険なのか危険でないのか。誰も明言せず。出来ない。健康に影響無し。じゃ、健康ってなんだい。「暫定」以上に漠然とした言葉。

食品安全基準。あるにはあるが放射性物質に対しては無いに等しい。こよなく食の安全を求めてきたこの国。いや先進各国。

何を基準に安全と言うかわからないけど添加物だらけの食品って健康に影響ないの。あるでしょ。だから有機栽培なんてのがブームになった。

何万人、いや、何十万人という飢えたソマリアの子供たち。食べるものが無い。全くない。骨だらけの肉体。日々餓死する子供たち。

暫定基準を上回ったとか言えば直ちにそれを破棄、唾棄、拒絶する飽食の国の人たちはソマリアの子供たちをどう見るか。所詮は他人事なのか。極端な対比ですが。

いつになったら本式の基準値が出来るのだろう。このままずっと暫定がまかり通るのか。

「検出」された放射性物質。すべてが福島発なのか。汚染マップだけでは正解はないような。もともと自然界にあった放射性物質、計っていたのか。計ってませんよ。稲や堆肥までは。大気のモニタリングポストだけ。

検査体制が不十分だという。当然です。だから、今、国のやる仕事は検査体制の大幅拡充、充実。人を投入、機材投入。先決問題。

そして早く本式の基準決めなさい。専門家さんたちよ。テレビでムニャムニャ言ってないで。そして安全か危険なのかその境界をはっきりさせなさいよ。

リスク、リスク。リスクと危険とな違う。リスクとはあくまでも恐れ。

そして、政治もこれまた暫定に向かっての政局ごっこ。来年の民主党大会までの暫定政権選び。誰れがなるにしても、その暫定政権に身を任さなくてはならない国民や哀れと。

人の一生も暫定かい。人生は一回限りの筈。

地獄は一定すみかぞかし。歎異抄にはそう書かれている。一定(いちじょう)、それはしかと決まったことを言う。確実なことを言う。定めを言う。そう。人生には一定はあっても暫定はないはずなのに。

曖昧な、どれだけの意味があるのかさっぱりわからん“暫定”に縛られて右往左往する人や哀れと。
暫定があるが故に、地獄を一定の栖と心得ざるを得なくなる人ありて。

2011年8月21日日曜日

「福島」のこと

きょうは福島県民の日です。なにがどうってことじゃないけど。極言すれば誕生日。今年の誕生日は余りにも目出度く無さ過ぎる。

明治9年8月21日。明治政府の廃藩置県後の指示によって、今の会津。若松県と今の中通り、いわきを中心とした磐前(岩崎)県と、中通り、旧福島県が合併して出来た県。行政区画としては同じ県だけど気候風土、人の有り様は大いに違う。

異質の人達が集まって出来た県。どこか京都の気風を持った会津といわきでは様々違う文化や伝統、気質。

福島という呼称は、今の県庁があるところに昔杉妻城という伊達藩の出城みたいのがあり、時の会津藩主だった蒲生氏郷がそこを攻め滅ぼし、その名を出身地日野の松坂の地名にあった福島という名前を持ってきたとか。若松も氏郷の郷里に由来している。いわきはどちらかといえば奥州藤原三代の流れをくむ人が多い。いわきの以前の地名駅名は平。平泉の一字をとった。いわき市にある古刹、白水阿弥陀堂。中尊寺を模した造り。白水とは泉と言う字を分けた由来あり。平泉への望郷の念が生みだした地名。

その合併県が今は「福島」という名前でひとくくりにされている。会津人の思いは複雑だとか。会津若松の西にある新潟県の津川というところは今でも若松への編入を求めている。昔は一緒だったから。明治政府によって線をひかれるまでは。

原発事故以来、「福島」という名前は全国にとどろいた。“悪名”として。大阪にも札幌にも福島という地名がある。なにかと紛らわしかった時も。

サッカーの川島。試合で観客から浴びせられる「フクシマ」という悪意に満ちた暴言に切れたという。

「ふくしま新発売」。そんな横断幕を持って県知事は東京に行き、農産品のPRにつとめたという。奇妙な光景。もう福島県は無くなった。新しい「ふくしま」というひらがな県を新発売しよう、売り込もうってことかと思えてしまう。

住む人たちの気質や伝統は様々なんだろうが「福島」は「福島」なのだ。

もちろん旧知の間だが、この佐藤雄平という福島県知事。原発被害に苦しむ県知事として、県民のトップ、リーダーとしてはなはだ心もとない。

今更言ってもしょうがないことだけど、やはり野に置け蓮華草っていうわけじゃないけど、恒三さんの秘書として、自民党政権時代に、各役所に陳情団連れていき予算獲得の精を出しているのが一番お似合いの姿だったのでは。

東電との面会は拒否し、ただただ怒って見せて、国から大臣がくると文句ばかりいっているだけ。自前で県を立て直す、県民の安寧を図るという姿勢が見えないお方としか言えない。昔の知り合いを悪く言うのは心苦しいのだけど。

「トップの顔が見えない」。危機に有って一番問題なこと。菅を持ち出すまでも無く。雄平クンは会津田島の出身。しかし中選挙区時代は県内幅広く恒三さんの票を固めていた。警戒区域指定の浪江にも支持者を持っていた。

票集めに長けていたことや陳情裁きが上手いということと、リーダーとしての資質は違う。雄平クンにこの県の未来を託せるのか。

大女優さんと並んで、ふくしま新発売と拳を高らかにあげている姿は馴染めない。

だれが考えたのだろうか。この不可思議な「ロゴ」。これまでの福島は原発事故で「捨てた」ということか。

ごめんね雄平クン。健闘は祈っているけれど。

2011年8月20日土曜日

“金”の話し

なでしこジャパンとなでしこリーグ代表との強化試合。楽しめました。W杯の金メダルの効果は凄い。あの観客数。

いつも思うのですが、彼女達は必ず「東日本大震災」を心に刻んでいるような。必ず口にする。昨日の試合も復興支援。

胸に輝く金の星。ウン。キミらには合うデエ~。

多くの人達があの金メダルに勇気づけられたという。菅もそれらしいことを。そして、またまたあの目立ちたがり屋さん、総理大臣の“特権”行使。試合会場へ。満面の笑み。見てるほうは嫌気さす。

たしかに彼女達は勇気を与えた。そして勇気を貰ったという人が大勢いた。もし、菅も貰ったというなら、その「勇気」を何に使ったのか。貰った「勇気」は役だっていない。被災地で復興・復旧にあたる人達は、その勇気を実践に移している。確実に貰った勇気を使っている。

その場限りの気分だけの勇気の人も。

勇気にもいろいろありと。

菅が実践すべきだったのは辞める勇気だったのに。未練たらたらグランドへ。

“金”が泣いている。

円高勢いを増す。ドル安。アメリカは大変なことになるのか。世界への影響避けられず。スタグフレーションの危機さへも。

市場最高値の円。そのきっかけ作ったのが財務省の中尾財務官の市場介入消極的発言だったとの話も。

市場とか相場とか。極言すれば「金」の亡者の集い場所。額に汗せずのマネーゲーム屋さん。資本主義のアダ花か。

通貨危機。なんと金を買う動きが凄いとか。信じられるのは金。カネではなくキン。テレビは連日、金を買う人のあの欲ボケ顔を世相のすべてのように伝える。中国人、韓国人、その他・・・。ポケットから無造作に札束が取りだされ、金塊に替えられていく。

キンで金儲け。それが賢い人の処世術とばかりに伝えるテレビ。おバカな日本人。金歯まで売りに出している。

金、金、金。カネ、カネ、カネ。金歯が売られている光景。戦時中の鉄供出。銅供出。なんかあの光景がだぶる。お寺の鐘まで供出だった。

金とはなんだろう。なんで人間は金に惑わされるのか。豊臣秀吉の金の茶室。やがて豊臣家は滅んだ。黄金の国平泉。まばゆいばかりの金色堂。金売り吉次の暗躍。金に囲まれた奥州藤原三代も滅んだ。その他、外国にも多々あり。金にまつわる滅亡の歴史。

原発建設にまつわる、おおきな役割を果たしたのも金。原発マネー。いったいどれくらいがばらまかれたものか。

努力と団結と勇気で勝ち取った金メダル。労せずして富を増やそうとする金。字が同じなのが悲しい。

2011年8月19日金曜日

鋭い子供の”目”

回文という、いわば言葉遊びのようなものがあります。「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山」みたいなやつ。
亭主の弟の孫。姪の息子。幼稚園児。その子が回文を作ったとか。おじいちゃんは「天才」だと大喜びのご様子。

「ほあんいんぜんいんあほ」。保安院全員阿保。参りました。子供の目、子供の表現力。誰に聞いたわけでもないのに見抜いているとは。
亭主がうろ覚えの回文。
「長(なか)き夜のとをの眠(ねぶ)りの皆目覚め浪(なみ)乗り船の音のよき哉」
ちゃんとした歌になっている。これ、蛇足。

園児も見抜いたアホの保安院。更迭云々というイカサマ。トップはなんと7,500万円の退職金いただき。ほとぼりさめて天下り。寺西さんよ、己に恥じるとこないのかな。ないんだろうね。

三人組。得意げに更迭語る海江田、菅。エリート官僚たるもの、いささかの武士の意地みたいなものないのだろうか。

「なんにしても我々には責任が存在します。せめて、退職金は返上させていただきます」。なんで、こんな簡単なこと言えないのだろう。退職金の小切手もって帰ってかみさんに「あっぱれ!!」とでも言われたいのか。

武士の女房なら言う。「だんなさま、お返ししてきなさい。あなたさまには、今、受け取る資格はございません」と。賢婦人なら言う。山内一豊の妻なら言う。

あさましいかな、あさましかな。

やはり公務員制度は抜本的に改革しなくちゃダメなんだ。増税言う前にやることありは正論なり。

それはさておき。福島の子供たちが議員会館に“陳情”。経産省など関係の役人前に訴える。本の生活に戻して。表で遊びたい。プールに行きたい。あげく、わたしはいくつまで生きられるんですか・・・。

官僚たちの答え。「怪文」の棒読み。子供の問いに答えてない怪答。遅々として何も進まず。議員会館の別室では政局楽しむ悪巧み連中の本音トーク。


「子供手当は無くしません」。出回っている“怪文”巡りまたもや「大人のケンカ」。「子供のケンカ」のほうがまだましかも。

本能的に自らの身の不安を感じるのか。こども達の耳目は冴え渡っています。そして鋭い。大人の嘘を見逃さない。

メディアには怪聞、醜聞が流れ。政治家はそれに踊らされ。


2011年8月18日木曜日

ばかばかしい”演出”と、おバカなメディア

野心家どもがうろちょろするだけで、すっかりお盆休み状態だった官邸中枢。この時期、お盆休みが彼らに必要だったのかどうか。結論。「無い」。

ただ、議員さんたちはそれぞれの選挙区に多分帰っておられただろうと。被災地選出の議員さんは何を感じ、何を言われ、何を学んだか。

大勢の取材記者を持つ大手メディアのみなさん。各議員さんに聞いてみてくださいよ。選挙区入りした感想を。これからの覚悟を。紙面に全員の答えを書いてくださいよ。
昨夜のニュース。NHK。被災地元に帰った議員の姿追っていたけどなんら意味なし。かれらの無能さだけが際立つ。自民も、民主も。

そのお盆休みの中で朝日新聞官邸記者のツイッター。「公邸の門が開けられました。車列を作っています。どこに行くのでしょうか。墓参りか、避暑地か」。びっくり。明日でお盆は終わりってのに。
「本を買いに行くそうです。八重洲ブックセンターに」。読者からのリプライ。「どんな本を買ったか教えてください」「わかりました」。

結果、きのうの記事。

「首相も読書の秋、書店で5冊購入」。見出し。全く平時じゃないですか。ま、辞めるんだから何をしようと勝手ですが。
そして本文。「半袖シャツにチノパン姿で東京・八重洲の書店に行き、本5冊を購入した。“読書の秋が近いから”と記者団に語った。首相は30分ほど立ち読みし、“知事抹殺(佐藤栄佐久著)”“緊急解説!福島第一原発事故と放射線”(NHK出版)などを選んだ」。

首相が本屋に行けば、大勢のSP護衛さんが同行する。所轄警察の私服も行く。いく途中は交通規制。30分間、本屋には一般の人はそのまわりには近づけない。ハタ迷惑。

理工系出身の総理大臣様、パソコンにも精通されているとか。ブログも自分で書くとか。ならば、そんなに本を読みたい、買いたいというならアマゾンのねっとショッピングやればいい。わざわざ伴ぞろいでのお出まし。
黙って買って黙って読んでいればいい。もっとも今の彼に少なくとも総理大臣に在職していて、やるべきことは多々ある。読書の秋なんて暢気なセリフほざいてる暇ないはずだけど。

俺は勉強しているんだ。菅得意の目立ちたがり性格。演出。彼の行動のすべてに露見するみっともないパフォーマンス。それに、買った本が・・・。「プルサーマルに異を唱えたことで東電・経産省の“闇”勢力に狙い撃ちされ汚職で有罪にされた」って主張の本。栄佐久さんの主張の是非は論じないけれど、菅が今読む本は「汚染除去」の本。NHK解説委員の本読んで、メディア統制、メディア操作の検証でもするってことかい。

皮肉の一つの言わずただ伝えるだけのメディア。そんなメディアはいらない。馬鹿な総理とこき下ろしてもよろしかろうに。

せめて読むなら先人の箴言。「引き際の“美学”」でも記した本を。

2011年8月17日水曜日

「薪」の話しの続き

余り同じ話題を書きたくないのですが、書かないようにしているつもりですが。

腹に据えかねて「薪」の話を改めて。

京都五山の送り火、大文字焼き。京都の夜空を染めていました。涙で眺めている人たちの姿をテレビは映していました。その人が京都の人なのかどうか。定かでは全く無く。

陸前高田の高田松原の松。数奇な“運命”をたどっています。京都で燃やされること無く持ちかえられた薪は“故郷”で燃やされまさしく鎮魂の灯りとなっていました。薪に書かれた被災地の人達の思い。京都で丁寧に護魔木に書きうつされ、送り火の中に溶け込んでいきました。

三春の僧侶、玄脩宗久氏はこう言っていました。「心の混乱、分裂がある。私は京都を責めないでおきたい」と。

昨夜の報道ステーション。コメンテーターの朝日新聞の記者。キザなお方。世界遺産に指定された平泉中尊寺の送り火に薪が使われていたことに触れ。なんと奥州藤原三代にまで話をひろげて。「現地と京都との距離感の問題だ。京都を責められない」と。要旨。地図上の距離感を持ち出す。なんだい、こいつは。

あの薪を燃やしてどれくらいの放射能が京都市民の頭上にふりかかるって言うんだい。たいしたことない。なんら問題ない。ある種の「強迫観念」のかられてのヒステリックな反応。それに疑義を持つべきだと思うのですが。

彼の論法で行くと放射性廃棄物。たとえそれが微量なものであっても現地処理という国交省の考えと同一。
日本は一つだ。そりゃ嘘だ。距離感だって。京都よりはるか遠いところから、福島の地に赴き、放射能下で働いているボランティアだって大勢いる。こころに距離感あって良いわけない。

朝日新聞的論調があるからだろうか。高田の薪を燃やすことにしていた千葉の成田山新勝寺にも140件もの抗議の電話が殺到したという。京都と千葉。距離は半分。

いわれなき差別と隔離を強いたハンセン病患者の歴史を思う。当時も学者、医者、専門家は伝染すると言い募った。マスコミはそれに飛び乗っていた。

戦争責任。国か軍部か。当時のマスコミにも大いなる責任あり。国威発揚を言い募り、嘘の戦果を書きまくり。

東京のメディアは「フクシマ」を「東北」を隔離したいのか。それならそれでよし。「たいまつ」掲げて抵抗する。「たいまつ」とは終戦時、朝日新聞に抗して退社したむのたけじさんが起こした手作りのローカルメディア。

テレビに登場する一部の知ったかぶり人間ども。それらがこの国を危うくしていることに気づくべきと。

2011年8月16日火曜日

何も語らず花は咲く

盆の行事もきょうで一区切り。それぞれの人がそれぞれの思いで亡き人の霊を弔ったことでしょう。

我が家の仏壇も元気そうに花が・・・・。

津波で流された“廃墟”。海の塩に浸かった大地。そこにも雑草が生い茂り、瓦礫のあいだから花が顔を出している。

人は雑草と一口でいうけれど、雑草にもそれぞれ名前があるとか。そこに住んでいた人、生きていた人それぞれに名前があったように。

被災地で育てた花を人々はお盆の祭壇に手向ける。

花。不思議ないきもの。死者の霊を弔うのは、手向けるのは花。

人見るもよし、見ざるもよし、我は咲くなり。世阿弥はそう喝破したけれど、折に触れ、人が願いを託すのは花。

花は花の使命を果たしている。最高の使命を果たしている。

花に特別の興味や関心があるわけではない亭主。そんな亭主でさえ、花に対して畏敬の念が湧く。

花も雑草も、自然そのものなのだと。誰が見向きもしなくとも、草や花は咲くところには咲く。水をやり、手を加えれば、それまたそれにこたえるように咲く。

放射能が襲ったのは人間だけではない。牛にも野菜にも。犬にも猫にも。そして花にも。

雑草が生い茂り、家の玄関への入り口さえ見えなくなった原発からの避難区域。どんなに線量が高くても花は咲き、草は茂る。

例えばひまわりでも、たとえば菜種でも、花は放射能に負けない。殺されない。自然の営みというこの荘厳な事実。

平成23年夏。被災地にとって特別なお盆。孫が帰ってくなかった福島のお盆。死者への思いに「区切り」をつけようとした被災地のお盆。

人間のさまざまな思いを託された花々。その思いの深さ、重たさにもかかわらず、花はいつものように花・・・。 饒舌でも寡黙でもなく。

2011年8月15日月曜日

戦災と震災、原爆と原発

八月十五日。あの八月十五日。66年前。大人と並んであの玉音放送を聴いた記憶がある。戦争が終わった。泣く声を拍手を聞いた記憶がある。

この時期になるとテレビから流れる大空襲による被害の映像。モノクロが故に、なにもかも、瓦礫さえも燃やしつくした焦土の光景が語りかけるものは大きい。
大震災。瓦礫の山は残されたままのところが多いが、あの廃墟をカラー映像ではなく、モノクロ映像に反転させたら重なる光景も多いかも。津波の被災地も焦土なのだ。
「災」という字で表現される共通点。人々が支え合って生きてきたという部分でも。

戦争は人災である。なぜ日本は戦争を選んだのか。天皇の意向を無視してまでも戦争に突き進んだ軍部。その組織の危うさ、脆さ。省益優先、真の国家的リーダー不在。統帥権を無視してまでも、国体護持を言い募ったあの時の「偉い人」。それぞれにそれぞれの言い分はあるにしても。

震災。もとは確かに天災である。それを防ぎえなかった人災の部分も大きい。まして、その後の被害の拡大、いまだ進まぬ復興への道、被災者対策。
そこにあるのは戦後出来あがった役所も含め、役人の、官僚の省益優先の思想。リーダー不在だったこの国。
嘘ではありません。あの3・11の時、これからどうする、どうなると思った時、菅の顔が浮かび、あ、もう駄目だと直感した。そしてそれは当たっていた。

66年前も首相は行くたびかころころ替っていた。替えさせられていた。菅は居座るが、どことなく同じ総理官邸を取り巻く光景。

原発も人災である。それは人間の欲望がもたらしたもの。いろんな意味での欲望。物質欲だけではなく、政治欲も。しかし、それで人を殺そうとは思っていなかったはず。結果そうなろうとも。
原爆。それは人が人を殺すために作られ、その投下を命じ、それに従いボタンを押した人。結果は十分わかっていたのに。
共通する「原」の字をなんと読み解く。

兵器こそ使われていないものの、被災地は戦場だと思う。原発事故の現場では、いまだ見えざる敵との戦争が続いている。核の暴走を止めるための外交交渉も、玉音放送もそこには存在しない。

66年の時空を超えて人間は「生きる」ということをあらためて考えている。
朝日歌壇の寄せられていた一句。
「“生”という文字の中に牛がいて牛が地に立ち生きぬとありぬ」。福島市の人の作。
原発20キロ圏内。いまだ痩せこけた牛が草を食み、生きようと動きまわっている。

「戦争と原発を合わせ語る夏」。俳壇にあった一句。

2011年8月14日日曜日

それぞれの小さな物語

お盆。テレビも新聞も、いつものように道路のラッシュを伝えています。帰郷ラッシュ、帰省ラッシュ、そしてUターンラッシュと。

東北道を走る車。東北新幹線にのる家族連れ。いつものお盆とは違う「物語」があるようです。

地震と津波の被害を受けた宮城や岩手に帰る人達。すでの「ふるさと」の面影を失った故郷に震災後初めて向かうという家族も。
帰省してやることは実家の片づけや修復の手伝いだとか。子供達はどこで何をして遊ぶのか。

帰省、帰郷というと故郷に帰るということ。たしかに帰っているのだけれど、それは数日の滞在。帰るという字よりも行くという字をあてるべきか。

すぐに帰京が待っている。

帰京したあと、どんな物語を語るのか。

原発事故の町福島。そこにも帰省の家族が。

「放射能が怖いからどうしようかと思ったが、やはり帰ることにした。子供を緑あふれる野山で遊ばせてあげることが出来ない。でも帰るとこにした。「みんなここで生活しているわけですから」。

帰ってくるであろう子供や孫のために、放射能の地を離れない老夫婦もいることだろう。放射能の地で過ごす数日間。都会で暮らす人たちの心に、どんな物語が体験談として生まれるのだろう。

お盆の帰省ラッシュ。道中は苦行でも、その先には楽しみがあった。これまでは。今年の帰省は・・・・。

それでも人々は故郷を目指す。

遠くにありて想うもの、そして悲しく歌うものとしたくないが故にか。
混雑を避けて夜の高速道路を走る車のライトが迎え火、送り火のようにも見える。

北へ帰る人達の心には、まだまだ何年という数字の中での「行事」が続くのだろう。

混雑する駅頭でのありふれたテレビのインタビューに対する答えを聞きたくないような気がして。
語りたくない“物語”が多すぎるような気がして。

2011年8月13日土曜日

「こころの混乱」と僧は言う

陸前高田市の薪。京都五山の送り火に使われる予定だった薪の“汚染問題”。二転三転、微量の放射線セシウムが検出されたとかで結果使われないことに。使用中止に。

表皮1キログラムあたり1130ベクレルの放射性セシウムが検出されかからという。学者はコメント。「表皮だけを削り取った試料で検出されたもの、内部からは検出されていない。薪全体ならもっと下がる。薪500本を燃やしても二次汚染が問題になる数字ではない」と。

そう、おそらく日本列島の森林は多少のセシュウム“汚染”はされているはず。最近明らかになった汚染マップみれば予想の範囲。

例え微量であっても検出されたら使ってはならぬ。要は「科学」「数字」の問題。福島県三春町の僧侶で作家の玄侑宗久氏は言う。
「放射能とどう向き合っていくか。日本人が抱える心の混乱が出たと思う」と。福島県民も心の分裂がある。できるだけ取り除きたい心情と、気にしすぎたら暮らしていけない心情と」と。要は「心」「心情」の問題。

科学と心をどうやって一致させるか。おそらく一致出来ない。

薪が“汚染”されている。政府にしてはこれまた「想定外」とでもいうことか。なにせ震災後日本人が大好きになった「数値」「数値」。暫定どころか全く基準も指針もないのだから。すべて後手、後手。

友人に薪を扱っている人がいる。冬のストーブ用やピザ屋で使用する薪。だいぶ前、彼の「想像力」は薪にも及んだ。ベクレル計を入手して保管してあった薪を調べた。表皮からはやはり多量の線量が検出された。出荷自粛。表皮はがせば問題無しだったのだけれどその手間は計り知れない。とてもじゃないが採算とれない。剥がす手間考えたら。

それを県や国に申し出た。応対は無反応に近かったと彼は言う。考えてもみなかったと言われたという。しかし、専門機関での「数字」携えての問題提起。それ以降の対応は彼の元にはとどいていないという。これは福島県下の話し。もちろん30キロ圏内や飯舘,伊達方面のものではない。

やはり国は「無策」だと彼も怒る。
確かに“汚染”されていたとしよう。高田の薪。一夜だけの送り火。拡散されるセシウムで、どれだけの影響があるのか。

五山の送り火。営々として続けられてきた日本人の心の行事。暮らしていく、いかないという日常の問題ではない。たった人夜の魂の世界。
数字と心が咬み合わない。

薪は保管されるという。保管場所を云々されるだろう。陸前高田に持って帰ろう。「故郷」で燃やそう。薪は怒っている。燃やされる薪は紅蓮の炎となって怒りの火となって夜空を染めることだろう。

安心、安全だと思って住んでいる高級住宅街の暖炉をお持ちの皆さん。今年の冬、薪ストーブは使えませんよ。身体も心も温める算段をしておいてくださいよ。京都の冬は特段に寒いと聞く。

2011年8月12日金曜日

義援金はどこへ”消えた”

最近メディアが全く取り上げなく無くなったニュース。震災後集められた義援金。その行方。普通の感覚の人は皆いぶかしく思っている。

孫正義の100億円は大きく取り上げられ、彼はそれに見合うくらいの有形無形の“メリット”は受けただろうが。

未だももって被災地をはじめ全国いたるところでのイベント会場には募金箱が置かれています。
チャリティーイベントも数多く開かれています。
そこで集められた「善意」はどうしたのか。メディアは関心が無いご様子。
無名の善意は必要としている人のところには届かない。政治家も無関心の様子。

やはりこの国のシステムはおかしい。なんだかんだの屁理屈こねて手をこまねいている。配る人の手が足りない。自治体は手が回らない。名簿が作れない。

人手が足りないなら、まともなボランティアに依頼して仮設や避難所に配って貰えばいいじゃやないか。半壊している家に住んでいる人たちのところ回ってもらえいいじゃないか。

なになに。民間は信用出来ないから任せられない。そんな法律が無いって。いいじゃないですか。超法規措置やれば。だいたいですね、国会議員さんたちが、すでにして職務放棄のような憲法違反しているんだから。

カネはね、使うべき時に使ってはじめて意義のあるもの。日赤に眠らせておいてなんの意義ありや。

善意は行使されないと萎縮して身を隠す。

だいたいですね、あの鳴り物入りで作られた「配分委員会」って何をやっているの。あのエヘラエヘラした元特捜検事さんよ。なんとか財団の理事長さんよ。

復興構想会議にしてもこの配分委員会にしても、この政権は常に人選を間違えている。

義援金は個人にわたすものとされている。法律では。配れないなら自治体の復興資金に回すよう「違法行為」をしてもいいじゃないの。善意の違法行為はあり。現に放射性廃棄物を研究のために持ち運ぶ学者がいる。みずから違法と認めている。それを咎める人は誰もいない。

西田敏行がおかしな格好でおかしな歌を歌っている。♪復興宝クジ~♪って。このたからクジの売上金だっていつになったら被災地に届くのか。

ボランティアに行きたいけれど無理だから生活費を切り詰めて義援金にします。そんな高齢者も沢山いる。酷暑の中汗を流すボランティアの水代や食事代に、交通費にしたっていいじゃないか。
いまだ不明者の遺体を探す機動隊員への差し入れに使ってもいいじゃないか。それに文句をいう人はほとんどいないはず。

2513億の義援金が集まり、3割だけは配分された。1700億円ほどが眠っている。ちょっと前の数字。

電気代が払えないから仮設にすら行かないという人もいる。

税金のバラマキを党是とした民主党政権。税金じゃないよ、民間の善意のカネだよ。バラ撒きなさいよ。

善意が生かされない国なんて先進国でもなんでもない。無策の国だ。

2011年8月11日木曜日

ボヘミアン

チェコのボヘミア地方からフランスに移住したボヘミア人のことを言う。ジプシーと呼ばれる。流浪の民。流れ者とも。

あれから5ヶ月である。一口に五ヶ月と言ってしまえば単なる時の流れだが、被災地にとっては重い、重い、五ヶ月。

死者、行方不明者2万人以上。ひとりひとりに名前があり、それぞれの人生が、物語があったにもかかわらず、2万という数字にくくられてしまった。

月日の流れとて然り。一日、一日を様々な形や思いで生きてきたが、五ヶ月という時間でくくられる。

被災者、避難民。最初は寝るところ、食べることが最大の問題だった。月日の流れは求めるものや、問題を変えてきた。物質的なことだけでなく、人のこころも変わって来た。

予測がつかなかった原発事故のその後。避難所を転々とし、まさにボヘミアンとなった人たち。

震災後、原発事故後、福島県で転校した小中学生は県外に7672人、県内が4575人。夏休み中にその数はもっと増える。県外に1081人、県内755人。小中学生の一割が転校する。

転校先で子供たちは、どんな環境で、どんな気持ちで学校生活を送っているのか。親とも離れた子もいれば、両親が「別居」状態での避難、転校の子もいる。

総じて子供たちは学校生活の詳細を親には話さない。語ることを止める子供達もいる。一種の子供たちの「自己防衛反応」。「イジメ」という社会現象にも似ている。

9割の子供は今までの学校にとどまっている。家族観や親の事情もある。
親は困惑している。給食が心配だと思う親は弁当をもたせる。牛乳が気になる親は飲ませるのをやめる。雨がすれば迎えに行く・・・。

親が迎えに行けば、それを揶揄する子供たちもいる。俺は放射能を食ってやると叫ぶ子もいるという。イジメに近い状態がある。無口になった子供たちが増えている。

20キロ圏内。浪江から郡山に避難してきた一家。内部被爆検査を受けて「影響無し」とされた。心配だが郡山に定住する“覚悟”を決めたという親もいる。

その郡山から出ていく子供たちもいる。

たまたま夏休み中ではあるが、学校の中で、子供たちの中で、放射能汚染をめぐって確実に何かが起きている。危険を訴える学者や検査体制だけでは子供たちの世界に起きているさまざまな問題は解決出来ない。

「去るも地獄、残るも地獄」。大げさな表現だが、口を閉ざした子供たちのこころの世界をどうすればいいのか。

国は全くの無策である。市町村は大掛かりな「除染作業」しか出来ない。
「子供を放射能から守ろう」。声高に呼びかけた市民団体。避難先でのこどもの心にどこまで立ち入れるのか。

「放射能の恐怖」を子供たちはどれくらい理解出来ているのか。”恐怖“をめぐって親子の間でさえ微妙な乖離が生まれているという。

先に挙げた数字は公立の学校の数字。私立や幼稚園児も乳児も含めれば、とてつもない数字。

食物を含めた内部被曝という汚染に加えて、慣れ親しんだ環境や友達と離れ避難、転校した子供たちには、「心の汚染」が生まれる。

高圧洗浄機で汚染を少なくし、通学路を確保しても、校庭の表土の汚染度を下げても、もはや定住、安住の地にはならなくなった。何も信用できない。親達の「こころの汚染」が定着してしまったから。

震災から五ヶ月の夏に思うことの断片。なぜかボヘミアンという古い言葉が浮かんでしまったこの夏。

2011年8月10日水曜日

電力逼迫

暑い。ただその一言。全国39都道府県に高温注意報がだされている。
午前中、車の中は41度を示していた。

東北電力管内の電力需給が大変なことになっているようだ。ようだと書いたのは電力会社の言い分だから。


前にも書いたけれど、電力需給の実態、実際の数字はワカラナイ。東京電力でもどこでも。少なくとも「埋蔵電力」は公表されていない。それが何故だか・・・。

東北電力の「逼迫」の原因は、先の豪雨災害で水力発電所がダメになったからだという。たしかにそれはわかる。

メディアは絶叫する。綱渡りだと。

ネットで「発表」されているでんき予報。東北電力は連日90%台。朝から。
95%なんてざら。その数字に誰もが驚愕する。

どうすればいい。節電しかない。大部分の人は節電を心がける。でもおかしな現象もある。公共施設。ホテル。全体的に照明は暗い。だけど、冷房は効いている。とてもじゃないが28度なんてもんじゃない。多分22度くらいか。

ある会合に出かけた亭主。スーツにネクタイ。炎天下10分の道中。会場到着。寒い。冷えすぎ。
人の体感は様々です。半袖シャツ一枚の人は暑いという。誰も寒いと言わない。
長袖シャツにスーツ、ネクタイの亭主は寒い。寒いというよりも冷えすぎ。

ホテルの係りにすぐ文句を言うのが亭主の悪い癖。「冷えすぎだよ。節電だろ」。
「あ、はい」。なにやら動き出すホテルマン。

会合終わり外へ。外気温28度の夜風が心地よい。解凍してる気分でしばしたたずむ。

ホテルの冷房ってどれくらいの電力をくっているのだろう。

報道によれば電力量逼迫ということで東北電力は東京電力から電気を融通してもらっているとか。昨日も今日も。百万キロワットの単位で。いまのところ東京電力には余裕があるらしい。きょうの酷暑。東京電力で「余裕」が無くなったら・・・。

あの「計画停電」までやった東京電力に、「余裕」があるというのも不可思議といえな不可思議なんですが。。東京だって東電管内だって暑いに決まっているのに。テレビが伝えるのは「暑い、暑い」と連発する都民の姿。

電力融通してもらって当座の危機を回避出来ている東北。ありがたいとお礼を言うべきなのか。なんか複雑。少なくとも事実として過去、福島原発で作られた電気は全部首都圏に行っていたのだから。電気には産地が明記されようもないから、融通されている電気がどこの産だかわからない。

福島原発で作られた電気は全部首都圏で使用ということで、事故後はうらみつらみの話もあった。都民の不見識、不心得を詰った。

一転、東北管内が電力不足。東京電力からもらう羽目に。なんか気分としては複雑。

要は「お互い様」の精神かと。

消費電力量を気にしながらエアコンいれちゃった。首には保冷効果のある「紐」巻いて。

いつまで続くこの酷暑。人はどこまで「我慢」出来ることか。音を上げて「原発仕方ない」ってことにならないか。

逼迫、不足の警告の裏に原発、原発って声が見え隠れしているように思えるのは亭主の邪推か。

急造のプレハブメーカーによる仮設。屋根に断熱材あるわけもなく。エアコンあっても使うのをためらう愚直な原発避難者たち。

2011年8月9日火曜日

祈りにつつまれる日

被爆地長崎はきょう一日祈りに包まれる。祈りが捧げられる。その祈りとは死者に対する鎮魂でもあり、核という文明が作り出した兵器への決別であり、原子力という非情なものへの反省が込められている。

長崎はカトリック教徒の多いところである。大浦天主堂は爆心地からわずか500メートルだった。朝早くから天主堂に集い祈りを捧げる信者。原子力という物を作った人類に対して神の答えを求めているのだろうか。

神は答えない。祈りという行為の中から人間が学び取っていかなくてはならない。

多くの死者に対して、生かされた人たちは祈ることでしか答えを見つけられない。

やがて長崎では精霊流しが行われる。川に流される小さな船の中に明かりが灯されている。鎮魂の明かり。

精霊船には、東日本大震災の犠牲者を弔う短冊も入れられることであろう。

祈りの心がある限り、人は人でいられる。

明かり。あるいは火。「神は、光あれと言われた。すると光が出来た。神は光をよしとおもい、光と闇を分けられた」。旧約聖書の冒頭。光は神なのかもしれない。

京都五山の送り火。その光と闇との儀式から“拒否”された陸前高田の鎮魂の薪。陸前高田の迎え火として焚かれたという。

かえってよかったのかもしれない。言ってみれば新盆。ふるさとの空をさまよっている魂はふるさとの明かりで迎えて欲しかったのかもしれない。

きのうも花火が打ち上げられていた。漆黒の夜空に。花火師は作品に心を込めた。花火に鎮魂のメッセージを入れ込んだ。
夜空を焦がす花火に、見上げる人は涙した。魂が浄化される想いがしたからだろうか。空の彼方にいるであろう肉親に思いが伝わったと感じたからだろうか。

もうすぐお盆。お盆の行事が家々でおこなわれる。津波で家をなくした人たち。どの迎え火に向かって帰っていけばいいのだろうか。帰るべき家が無い。

たとえそこが未だ瓦礫の中であっても、家のあった場所で迎え火をたいてあげられないだろうか。新盆。家々の軒先には死者が間違わないようにと高提灯が吊るされる。目印として。

廃墟となった地にたかれる迎え火、一本のろうそく。その灯りが、せめて叶わぬとはしても小さな希望の光であって欲しいと。

原子の火、それはやはり“悪魔”の囁きであったと心から思う。ささやかな、小さな手作りの火が、悪魔の火に打ち勝つ。そんな想いがこみ上げてくる平成23年の特別な夏。そう祈る夏。

2011年8月8日月曜日

魂を受け入れない仏都

京都五山の送り火。仏都京都ならではの精霊の伝統行事。祇園祭に次ぐ鎮魂の祭りである。

祭りとは決して「お祝いごと」ではない。「ケとハレ」の民俗文化に由来する死者を弔い意味がある。祭祀という言葉にも葬祭という言葉にも祭りという字が入っている。

だから祭りは神聖なものとされ、人々は祭りに様々な思いを託す。

五山の送り火に岩手県陸前高田の津波から「生き残った」松で薪を作り、その薪に被災者が鎮魂のメッセージを書いて燃やそうという計画があった。
発案したのは大分県の美術家。京都の「保存会」もそれに乗った。

陸前高田で薪を集めている人たちは喜んだ。肉親や友人を亡くした人たちに呼び掛け、薪一本、一本にフェルトペンで祈りを込めて鎮魂のメッセージを書いた。400本。

ところがこれに反対の声が上がった。陸前高田の薪を燃やしたら放射能汚染が京都や琵琶湖に広がると。市や保存会に。電話やメールで。
念のためということで薪の線量測る。もちろん問題無し。しかし「反対」の声収まらずだったとか。

保存会はやむおえず計画を撤回。保存会会長は頭を丸めて陸前高田に謝罪に行ったという。薪に書かれた400のメッセージは護摩木に書き写して送り火に使うという。

ふるさとの松に、生き残った松に、遺族が思いを託して書いた自筆だから意味がある。自筆だからこそ死者のもとへ届く。

反対運動。だれがやっているのか。京都市民でないことを願う。京都市民なら送り火の意味を知る敬虔な仏教徒であるはずだから。

なにやらどこにでも出てくるなんとか運動を生きがいにしている人たちの影を感じる。
そんなに心配ならば、京都にいるでしょ。放射能危機を声高に言う有名な学者さんが。その人のところに薪を持って行って調べてもらいなさいよ。仮に汚染されていたとして400本の薪がどれくらいの放射性物質をまき散らすのか調べてもらいなさいよ。

京都には原発避難民がかなりの数身を寄せているという。温かく迎え入れてもらっていると聞く。

もし京都府民の「心の汚染」が広がっているのだとしたら、もうこの国の人たちは・・・・。

そしてもう一つの疑問。この“騒動”について京都の「お寺さん」たちが何も言わないこと。

劫火の中に身を置いて衆生の安寧を願った僧も歴史の中ではいたはずなのに。

大本山も含めて大震災の法要は行われている。しかし、生者に対しての宗教者からの言葉が聞けない。過日も真言宗の僧に問うたけれど。宗教者からの発信が無いと。定かな答えは返ってこなかった。

この大震災、原発事故。

現代に宗教を問う。語る言葉が無いのか。限界を悟ったのか。いかなる事態になろうとも人は宗教に救いを求めるものなのだけど。

京都は観光の地であり、こころの平安を求める仏都ではなくなったのかも。

2011年8月7日日曜日

ふるさと納税のすすめ

福島県の南相馬市が電源立地三法のもとずく交付金を辞退することを決めた。
東北電力の原発立地計画があるところ。
これまで約5億円の交付金を受けてきたが、今年の申請はしないという。年5,000万円。

南相馬市の年間財政規模は280億円。そのうちの5千万円の歳入減は痛い。
「原発の新規立地は認めないという姿勢を示すためにも必要な決断」だという。

被災地の自治体は多分、こぞって「赤字団体」に転落するだろう。被災による歳出は大幅に増え、歳入は欠如する。

政権の一部には「甘えるな」と恫喝する議員さんもいるようだけど、復旧や復興、放射能汚染対策などにかかり費用は莫大。

極言すれば「夕張化」は避けられない。

税収は大幅に落ち込むこと必定。払えない人多発。故郷を離れる人も多数。
やむなく地方債に頼る自治体。それとて償還考えればむやみに発行もできまい。
国からの交付金はどうなるか。三身一体の改革なんていつぞやは言っていたけれど。

福島県は東京電力による「カネ」で、立地地域を含め潤ってきたことは事実。電源三法による交付金で歳入まかなっていたことも事実。

もはや「原子力」による「カネ」とは決別せざるを得ない。

東北から東京など大都市圏に出て行った人は多いはず。東京人と言ったって多くが今は住んでいる、働いているということであって、被災地を故郷とする人多いはず。

で、お願い。ふるさと納税の勧め。寄付してくれれば、その分(制約はあるけれど)税金が控除される。どこに払っても同じ税金ならばふるさとへ。

住民票も被災地に置いたままにしておいて欲しい。市県民税はそこに払うことになるのだから。

そんな制度を活用されてはいかがかと。

このままで行けば被災地はまともな住民サービスも受けられなくなるのだから。

2011年8月6日土曜日

平成23年8月6日

小学校4年生の頃だったと思う。書き初めという授業がありました。亭主は多分、それが当時の流行り言葉だったのでしょう。「平和日本」と書きました。

教室に貼り出されたそれぞれの書を見ながら担任の先生が言いました。「平和がないから願いを込めて平和って書くのよね。早く平和という言葉が使われなくなる時が来ればいいのにね」。今でもその先生の言葉を覚えています。それ以来、「平和」という言葉を封印したわけではありませんが、考えながらその言葉を使うようになりました。安易に使ってはいけない言葉なんだと思い。

戦後まだわずかの時期。原爆の悲劇が日本中に知れ渡って間もなくであったような時代。

いわずもがな、きょうは原爆の日、原爆忌です。何回か8月6日に広島を訪れました。原爆ドームも記念館も見て回りました。
亭主の記憶の中では、8月6日はいつも青空があの日がそうであったといわれるように広がっており、暑い日であり、記憶の中の惨禍をなぞる日でした。

原爆投下時、どこにいたのかはっきりした記憶がありません。ピカドンという言葉と黒い雨という言葉や現象は残っているのですが、

母親の実家があった兵庫県にいたような。東京にいたような。でも被爆者と呼ばれた人達と接触した覚えはあるのです。何人もの。それは病院の待合室。祖母が空襲の被害にあい大やけどを負い、病院に同行していたから。亭主にとって原爆は「身近」なものでした。

8時15分。鎮魂の鐘に合わせて黙とう。「平和」の鳩が飛び立っていきました。カタルニアの鳩のようにピース、ピースと鳴いていたかどうかは知りませんが。

被爆者と被曝者。原子爆弾は人を殺すために人間が作った残酷な兵器です。原子力発電は、結果はともかく、目的は電力を生み出し、国を豊かにするためのモノとされてきました。「原子力の平和利用」。この言葉は被爆者たちに大いなる“錯覚”を与えたのかもしれません。自分達を犠牲にした憎むべき原子力が「平和」のために役だってくれるならという。

原発事故。被爆者の方々の心の中は様々でしょう。

「平和」という一見使いやすいわかりやすい言葉。しかし読解の難しい言葉。

被爆と被曝。たまたま双方を身近に体験した亭主。科学者の驕り、人間の愚かさを思うだけです。

菅が何を言うか。耳をこらせていました。聞こえてきたのは、所信表明演説のような無味乾燥な言葉。紙に書かれた「脱」という文字を読み、依存しない社会を作るという言葉遊びだけのような。

菅のあいさつに送られたまばらな拍手。その意味が読みとれない。

「追悼式典でエネルギー政策に触れるのは異例」とマスコミはコメントする。触れるのは当然でしょう。触れるだけでは意味が無い。自分の言葉で、自分の「思い」を語って当たり前。しかしー。挨拶からは何も伝わってこなかった。

抜けるような青空の下、高校野球が始まりました。選手宣誓をはじめ、こどもたちの言葉の方が、笑顔の方が、伝える力は大きかったと。

2011年8月5日金曜日

経産省人事の”怪”

昨日の朝日新聞(福島)、一面トップ。「原発関連3首脳更迭へ。首相意向」。
そして本記。
「菅直人首相は3日、経済産業省の松永事務次官、細野資源エネルギー庁長官、寺坂原子力安全・保安院長の3人を更迭する方向で、海江田経産相との最終調整に入った」。

他紙見てもこの記事無し。アサヒの「特ダネ」。特ダネとは往々にして「リーク」。

この記事読んだ人、多分思ったでしょう。最近経産省憎しで凝り固まっている菅。幹部人事に手をつけた。原発事故の責任をとらせた。脱原発発言以来、なかなかやるもんだなって。

朝日新聞見て驚いたのが海江田。朝、緊急記者会見。「人事は私が決めること。一ヶ月前から考えていて数日前に菅に報告したばかり。人事は私の管轄」と。

海江田発言信用するならこういう構図。3人の更迭人事を菅に報告。時期は12日。海江田は自分が発表するつもりでいたし、菅からは後任含め任せると言われていた。菅は考えた。更迭を海江田が言うと彼の“得点”になる。なんでもいい。得点は自分の物にしたい権力亡者。で、海江田が発表する前に自分の方から「リーク」して朝日に書かせた。自分の意向だと。

最近、なんか怪しい菅と朝日新聞との関係。脱原発を言い始めた頃からか。朝日新聞の論調は菅支持に回る。それまでは散々こきおろしていたのに。主筆の若宮くんまで登場してきて菅擁護。朝日の原発に対する論調は、反対でも脱でもなかった。むしろ支持派だったはず。

菅と朝日新聞の間に何があったのか。仄聞するに首脳とは密かに食事を共にしながら会談していたとか。どっかで気脈通じるところがあったのか。

今日の紙面。海江田の会見はそのまま書いた。解説で負け惜しみ。「菅は後任を改革派起用したかったけれど海江田が反発。順送りになった新鮮味の無い人事」と。

この人事。更迭、更迭っていうけれど経産省内部に言わせればいわば「定期人事」。そろそろ交代の時期だっただけ。
更迭って言葉使って世間受け狙う人気取り。

更迭には処分の意味あり。ならば彼ら3人の退職金はどうするの。天下り先はどうするの。朝日新聞はそれをちゃんとフォローするんでしょうね。

さ、官僚は更迭しました。“更迭”求められている菅さん、あなたはどうするの。

菅も海江田も「ヤメル、ヤメル詐欺」実行中。あげく菅は国内は脱原発。海外には原発輸出の答弁書を閣議決定。これじゃ「原発詐欺」じゃないの。

あすは広島原爆の日。またぞろ菅はウケ狙いの戯言発するのか。

2011年8月4日木曜日

移ろいゆくのが世の習いというけれど

しばらく前に書いた塩野七生さんの論。

「メディアとは国内国外を問わず次の性格を持つ。
何かが起こらないと報道しない。
悪い事ならば何であろうと取り上げるのに、事態がうまく進んでいるような場合だと、報道心を刺激されないのか。取り上げられることはなはだ少なし、になる」。

少なくとも原発被災地福島県に居住するものにとって気がかりなのは、もちろん身の回りの放射線量や被曝問題ですが、当の原発がどうなっているかという報道も重大な関心事。

毎日、東電や保安院の会見は行われているのですが、現場の様子を伝えるニュースが極端に減った。

何かが起きると・・・・配管塔で5シーベルト以上の放射線量検出。途端に大見出し。本文をよく読むと、周辺への物質飛散は無しと。たしかに近くで作業している現場の人たちはたまったもんじゃないだろうけど。

冷水循環装置。故障すると大騒ぎ。復旧しても伝えず。

毎日、一号機の近くに置かれた固定カメラの映像みています。草木が風にそよぐだけ。中の様子は伺いしれない。雨が降るとレンズに水滴。汚染水増えるぞって嫌な予感。大雨や台風には現場避けてと願う。

汚染水の状況、雨による影響。ほとんど報道無し。時々伝えられえる処理達成率の%。ベタ。

メガフロートはどうなったのか。覆いはどうなたのか。もう報道心を刺激されなくなったのか。

「汚染牛肉」。もっぱらの関心はそっちに。もちろん大問題。しかし、伝え方は「危険」「危険」。買い占めに走っていた人たちが、買い控えに大転換。
やがて「汚染牛」は当たり前のことになってニュースの俎上にも上らなくなるのか。

報道の関心は、めまぐるしいばかりに変わりゆく。諸悪の根源から目が離れて行っているような。

時が移ろいても変わらぬもの。復興した市場。その裏に積まれたガレキの山。震災直後と変わっていない光景もあり。

被災地や被災民を思う人のこころに変化はありや。いまだ黙々と片付けを手伝う名も無きボランティアあり。でも人数は減った。そのボランティア活動も伝えられなくなったような。

世の習い通りになって欲しくないのだが。

2011年8月3日水曜日

それでも「電気」を首都圏に送り続ける

多分、日本の原発はこのまま順次終わりになっていくのでしょう。稼働中のものが定期点検に入ったら再稼働は知事や立地自自体が認めない。点検中のものも再稼働は認めない。

菅が「脱」を言おうと言はまいと。

そして依然「闇」のままの電力量。電力不足なるものはずっと続きます。数年前、埋蔵金騒動ってのが永田町で流行りました。歳入不足の折。特別会計洗っての埋蔵金探し。官僚は隠しに隠し続けた。

これからは「埋蔵電力探し」に躍起にならざるを得ない。そして、今言われている「節電」なるものが「日常」というか、あたり前のものになってくる。

企業が生産拠点を海外に移すとかなんとか言っても、だれもそれを止められない。電気が足りなくなるんだから。

原発事故による放射線被曝。それが福島県内だけのことなら、その人達を忌避すればよかった。差別、区別すれば事足れりとしたかもしれない。

牛乳、野菜にはじまって、牛肉がセシュウム汚染藁を食べ、それが全国に流通したとあっては“賢明”な消費者さまも他人事ではなくなった。

原発はいらない。合い言葉のように。

「脱原発を言う菅を辞めろっていう民主党はおかしいんじゃないか」。テレビで噛み付く芸能人コメンテーター。

脱原発を言う人は良い人。躊躇する人は悪い人。かつての持論はどこへやら。原発危険を叫ぶ“専門家”ばかりが増えて。

異常気象は続くでしょう。いや、もっと異常になるかも。酷暑、酷寒。

電気で成り立っている近代国家。君はこの「節電」に「電力不足」に未来永劫立ち向かえるや。

福島第一原発から南へ20キロ圏内。広野火力発電所というところがあります。
震災以来稼働していませんでしたが、先ごろ試運転もどきの再稼働。発電能力は平時で380万キロワット。とりあえずは100万キロワット。今月中には220万キロワット増。燃料は重油と石油。もくもくと煙を上げながら電気を作り、東京へと送電しています。広野町住民は避難中。

童謡の「汽車」。♪今は山中、今は浜、今は鉄橋わたるぞと、おもうまもなくトンネルの闇を抜けたら広野原♪

この歌の舞台だとも言われている。蒸気機関車が走る常磐線の光景。発電所の煙はどこか蒸気機関車の煙。原子力発電が蒸気を電気に替え、新幹線を生んだと言えるかも。

地域住民が居ない発電所で電気が作られ、多くの人が暮らす東京圏内にその電気が送られている。原発の惨禍があっても福島は東京に電気を送り続ける。

原発が無かった時代、常磐線は多くの集団就職の「金の卵」を福島県から上野に運んだ・・・。

原発の「闇」は依然続く。抜けられない。

2011年8月2日火曜日

さあ、アメリカを見習いましょう

「日米同盟の深化」。民主党政権のお題目だった。だったら米国を見習おう。
かつて、自民政権時、野党はこぞって「対米追随外交」と批判した。そう言っていた人たちも生き残りはまだ民主党の中にいる。

米国の国家的最大危機が回避された。デフォルト、債務不履行の危機。世界の市場は大混乱にもなりかねなかった。

その危機回避。与野党の話し合い。譲り合っての合意形成。米国議会のいわば「愛国心」の結果かも。この国を潰すわけにはいかないよいう。

もっとも、深読みする人は言う。次の大統領選にらみの民主、共和両党の政治的思惑と。
どこもここも選挙狙いの思惑かい。

合意の要点。2,1兆ドルの債務上限引き上げ。かわりに、最大2,5兆ドルの財政赤字削減。大幅な赤字削減。

同盟国日本。うまくいけば円高恐慌から逃れられる。と思いきや。円高おさまらない日本。う~~ん、どういうこっちゃ。やはり政治のあり方か。

国家的危機にある日本。二次補正は成立したが、公債特例法は未だし。単純に比較できる話ではないけれど、公債特例法成立しないと被災地の復興資金は無い。

法案めぐっての与野党駆け引き。被災地抜きの政局ネタ。もちろん今議論されているわけではないが財政支出削減の気配無し。
国会議員の定数減。歳費のカット。公務員の削減。すでに公務員削減可能な法律は出来てるはずだけど誰も言わない、手を出さない。

被災地はほんと深刻なんですよ。愛国心というか、国民を愛するっていう政治の要諦は全く欠如している日本の議員さん。

同盟国を見習って早く合意してはいかが。いやするべき。

あげく菅は言う。「特例公債法案が成立するまでは辞めない」と。続投の意思表明。

日米共に国会は「ねじれ」。菅はオバマにはなれないけど、マネだけは得意な菅なのだから。

国家が危機的な状況にある時に、出てくる出てくる隠蔽、隠蔽。なんか中国の列車事故にみる対応と重なるような。
これじゃ「日中同盟の深化」じゃないの。

震災後の地方選。投票率最低。選挙どころじゃないよっていうことか、すでに政治は見放されていると言うことか。

ほんとにあきれる国会議員さんたちの感覚。

2011年8月1日月曜日

想像力欠如の政権

以前、指導者の、リーダーの要件として「想像力」ということを書いた。菅にはそれが全く無いと。
改めてそれを思い知らされている昨今。菅だけではない。政権が。

直近の例。被災地を中心とした高速道路の無料化。被災地の住民や、たとえば県外に避難した家族のところに行くとか。それは善政であった。被災証明か罹災証明をとれば。それに証明書無くても「物資を運ぶ」大型トラック。

世の中、なんでも「得」することに乗らないのは「損」。全市民に被災証明出した自治体も。
亭主の周りでもいました。被災証明書貰って来た。全国何処へ行ってもタダだからどこかに遊びにいかなくっちゃ。いい大人が真顔で話しあっている。スポーツジムのサウナで。

「悪知恵」働かす奴はどこにでもいる。九州から首都高は通らすに水戸あたりまできて高速降りてUターンして東京。数万円の高速料金浮かせる。
なんでも利用するものはしてやろう。そんな根性の人いるのは当然。問題になると所管大臣様はすかさず言う。「制度を中止します」。

くるくる変わる国の方針。制度を決める際に、ちょっと考えればこんな事態がおこること誰でもわかりそうなこと。

「こうしたらこうなる」「なったらこうしよう」。そんな想像力が全く無し。とてもじゃないが政治ではない。いきあたりばったり、思いつき。

避難区域の設定も然り。菅の想像力の無さ。今でも思いだすと胸くそ悪くなるあの発表の時のしたり顔。

肉牛の汚染藁問題も然り。当然予想されて然り。唖然としている大臣の顔見ると殴りたくなる。なんでそんなこと想像出来ないのだ。

多分、農水省の役人どもはわかっていた。でも教えない。なんたって「政治主導」なんだから。意見具申でもしようものなら怒られる。

牛の全頭検査や買い上げを地方自治体が国に求めると、「甘えてばかりいて何もしない」と国対委員長ふぜいまでがわめく。

原発事故直後から今に至るまで、そしてこれからも続くであろう菅政権なるものの素養素質の無さ。

想像力に無いリーダーを持った国は必ず滅びる。歴史が証明している。

きのうも菅は得意そうに言っていた。はやり言葉では“ドヤ顔”っていうらしいけど。
エネルギー環境会議でわめいた。「安全保安院のやらせメール問題は、あの薬害エイズの時と同じ構図だ」と。保安院のやらせメールは数年前のこと、自分の政権下ではなかった。またぞろ菅の卑怯なとこ。悪いところは前政権。

薬害エイズと同じ構図だと今言うなら、そんな官僚のずるがしこさわかっていたのなら、政権獲得後、なんで、大ナタふるってこなかったんだって。

なんでもかんでも経産省を悪者、保安院は最悪との言いよう。
あんたは社長でしょ。役所は組織としての部下でしょ。社長から悪者にされた部下が真面目に働くとでも思っているの。市民運動の中では通用してたかもしれないが政治の世界では通用しない。

男らしくないし、なんだか不様に見える海江田の涙、号泣だったけど、海江田の心情もわかるような気がする。

そして海江田の涙も帳消しにするような、電力不足、需給見通しをめぐる資源エネルギー庁と電力会社との“怪”。これとて「想像力」欠如のなせる業かと。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...